2017年12月07日

ロシア革命という神話〜3

◆「解放皇帝」暗殺事件

ザスーリチによるペテルブルク警察署長暗殺未遂事件の後、ナロードニキ及び結社「土地と自由」ではテロ行為の是非を巡って穏健派と急進派の対立が明確になってくる。急進派は帝政打倒の為のテロを頻発させるようになる。

1879年にソロビヨフによる皇帝暗殺未遂事件が発生。

皇帝暗殺事件を受けて、「土地と自由」から「人民の意志」が分派する。穏健派が「土地と自由」であり、急進派が「人民の意志」である。この頃から【結社】ではなく、「土地と自由(党)」、「人民の意志(党)」という【党】という記述が増えてゆく。この頃より中央執行委員会による決定が絶対視されるような集権体制となり、故に【党】という風に記述されていると推定。

分派後も、人民の意志(党)によるテロ事件として、1879年11月、皇帝列車に爆薬を仕掛けられる。

そして、1881年3月を迎える。

テロリストたちの標的となったのは、農奴解放に踏み切った事から「解放皇帝」の異名も持つ、皇帝アレクサンドル二世(生年1818〜1881年/在位1855〜1881年)であった。

このアレクサンドル2世は、農奴解放を実行したように必ずしも圧政を布いていた訳ではなかった。父ニコライ1世がクリミヤ戦争で敗北、絶望のうちに急死したのを受けて1855年に即位。即位後の1856年にはパリ講和条約で戦争の後始末をし、国内改革に取り掛かった。その大きな目玉の一つが1861年の農奴解放と、【ゼムストボ】と呼ばれる地方自治組織を設置しての上からの行政改革であった。しかし、それは「上からの改革」であり、「中央集権ツァーリズムが、その上からの目線で地方に課した行政改革」であった為に、より行政組織や地主階級との間での癒着が巧妙化し、結局は民衆の不満を逆に高めることになってしまったという。

1881年3月の第一日曜日、皇帝は馬車に乗ってペテルブルクの乗馬学校へ向かっていた。その途中、群衆を掻き分けるようにして、人民の意志党の若き活動家ニコライ・ルイサコフが現われ、ハンカチに包んだ爆弾を皇帝の馬車へと投げつけた。激しい爆発であったらしく、見物人たちの中にも負傷者があり、また、不意の爆発によって大きな悲鳴が一帯に響き渡った。

皇帝を乗せた馬車はよろよろと停車し、その馬車から、皇帝アレクサンドル2世が、やはり、よろよろと姿を現した。人民の意志党の若きテロリストたちは入念であった。今度は、ルイサコフの同志でのイグナツィ・フリニェヴィツキが二個目となる爆弾を皇帝アレクサンドル2世に投げつけた。

再びの大爆発。雪煙の中に、残骸と血が飛び散った。皇帝アレクサンドル2世は、衣服、肩章、サーベルの断片、それと、血まみれの肉塊とになっていた。

この皇帝暗殺が、ナロードニキ運動の最盛期とされる。皇帝の暗殺に成功したものの、それは急進派の勝利とはならなかった。何故なら、アレクサンドル2世の暗殺を受けて新皇帝になったアレクサンドル3世は、苛烈な政治体制を敷き、人民の意志党員らに対しても処刑にするなどの徹底した対抗措置をとった為であった。新皇帝アレクサンドル3世は、ロシアにあった【オフラナ】と呼ばれる政治警察を再編成し、苛烈な弾圧を行なったという。

【ポグロム】と呼ばれるユダヤ人を標的とした組織的な暴動と殺戮が起こったという。少数民族であるユダヤ人に対しては伝統的に差別的な扱いがロシアにはあり、居住区が法律的に制限されていた等の下地があったが、何か国家の危機のような出来事が発生すると、何もかもをユダヤ人の仕業にしようとする屈折が世俗社会と統治体制との間にあったという。平たく言えば、ガス抜きの為のスケープゴートにされていたのがユダヤ人であり、不都合があれば、なにもかもをユダヤ人の所為だという風に片付けようとするものであるという。


そんな新皇帝アレクサンドル3世に対しても、尚も、襲撃計画を練ったナロードニキ分子があった。

1887年3月、ペテルブルク警察は新皇帝暗殺を画策していたとして5名の学生活動家を逮捕、最終的に絞首刑に処した。

その処刑された5人の学生の中にアレクサンドル・ウリヤノフという一人の学生が在った。そのアレクサンドル・ウリヤノフには弟があり、その弟の名はウラジーミル・ウリヤノフと云った。

ウラジーミル・ウリヤノフ。

ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ。

その名は、レーニンの本名であった。

レーニンの誕生年は1870年なので、この実兄が処刑された1887年にレーニンは16〜17歳であったことになる。レーニンはというと、17歳の頃から革命運動に参加するようになったとされる。

ウラジミール・イリイチ・レーニン(1870〜1924)

ussyassya at 02:26│Comments(8)ロシア革命史 

この記事へのコメント

1. Posted by 山童   2017年12月08日 05:39
ポグロムの件で。いま、ナチス支配下でポーランドの動物園長一家がユダヤ人を匿った美談の映画が話題になってますね。
ポーランド大喜び!
そもそもポグロムやっていたのはロシアだけでなく、ポーランドは率先していた国でせけどね(笑)
ナチスに悪事を押し付けて、自分等の黒歴史は隠蔽したいのでしょう。毛唐のやる事は、
どこも同じですよ。
2. Posted by メロンぱんち   2017年12月08日 10:09
山童さん>
【ポグロム】については情報が少ないのですが、基本的には宗教の違い、また、宗教の違いがある故に高利貸しだったユダヤ人が多いので嫌われていたという感じでいいんでしょか?

ラトビア人やらポーランド人も、一先ずはユダヤ人をスケープゴートにしておけ的な。

アレクサンドル2世暗殺の一件までも、

「ユダヤ人が悪い!」

と展開させると、みんなの意見が一致してしまったらしいんですよね。ひでえ話ですけど。
3. Posted by 山童   2017年12月08日 10:27
仰る通りだと思います。カトリックは、そして多分オーソドックスも「利子」を取る事を禁じていましたから。金融を禁じていたのですね。そしてユダヤは土地所有を禁じられていたので、金融や貴金属加工などの特殊な仕事につくしかなかったと。ギルドにも入れてもらえないはずですので。
ただ……ポーランドだけは特殊だったと思うのです。あそこはユダヤ人の農民が何故かいた。つまり土地所有が認めろれていたと思うのですね。だからポグロムするのも都市市民でなく農民だったはず。
ここ兄貴が詳しいので、週末に実家に行くので聞いてみます。よろしければ後日に報告という事で。
4. Posted by メロンぱんち   2017年12月08日 13:53
山童さん>
少し時代はズレますが、第二次大戦時の様子だと、必ずしも裕福ではなさそうなユダヤ人たちが街中で迫害されている映像なんてのがありますね。
5. Posted by 山童   2017年12月08日 14:06
酷い話ですよ。一次大戦でドイツ帝国の為に戦ったユダヤ系まで迫害されてる。それは日本の軍属としてや軍人として日本の為に働いた人に、戦後、なんの保証もしてきてない日本の無責任に通じるす。
子供の頃にレインボーマンで特撮ドラマを観てましたが、この悪党組織はライダーみたく
「日本征服」でなく「日本民族絶滅」なんすね。実は戦時中に日本を信じて協力した元軍属の結社なんです。大義を信じて日本と戦ったのに、戦後、肥え太りアメリカの犬として
アジアを経済侵略する姿に怒って…て話で、
丁度、インドネシアで反日暴動があった時期でもあり、強烈な印象を残してます。
ユダヤ人は憎まれもしたが、貢献もしているはずで、そうした人々や家族が、信じた祖国に虐殺されたか思うとドイツにこそ核を投下するべきだったと思いますね。
6. Posted by メロンぱんち   2017年12月09日 03:04
山童さん>
この問題なんですが、ドイツ国営放送の番組だと、ドイツ兵が銃殺や生き埋めなどを行なうようになった頃から、戦闘神経症らしきものが確認されているというつくりなんですね。まともな人間であれば、PTSDを発祥してもおかしくない状況であった、と。そこから、徐々に合理的思考として、

「兵士を戦闘神経症に陥らせることもなく、処理する方法は…」

のハテに、強制収容所のようなものになっていっていますかね…。

これは、切腹時の介錯が残酷さによるものではない、ギロチン処刑も残酷さを回避する為に考案されたという文脈に近く、なんていうんでしょ、

生々しい虐殺とすることを回避する為に、装置としての大量虐殺装置という風に発想していると言いますか。

介錯は装置ではありませんがひと思いに楽にさせてやるの意が含まれていると言いますし。。。
7. Posted by 山童   2017年12月09日 04:56
ああ…仰る文脈は良く解ります。
兵士は命令で殺すので、敵に対して怨恨やら何やらある訳ではない。命令されて殺す事に
個人として倫理的な責務を負わされる。
イラクやベトナムの帰還兵士にPTSDが出る訳ですわね…。
いつか敦盛の話を書かれていたと思うのですが……。私は自衛隊を除隊してから狩猟を始めて、想う処あって害獣駆除専門にしたのですが、やはり獣であっても命を断つのはフラストレーションが貯まるのです。
生活をかけた農民の依頼だからという大義がないと辛いものがありました。食物連鎖の頂点である「狼」を絶滅させた故に我々が…思うてました。まぁある時ですが、子連れの鹿を撃ちまして。父鹿でしたが…。こいつ内臓が飛び出しても妻子を連れて逃げまくり、
最後は妻子の前に立ちはだかり決死の反撃をしてきました。無数の銃弾に撃たれて倒れてから、一声に鳴いた。そしたら待っていたメスと子供が逃げた。
駆除ですから妻子も仕留めねばなりません。
でも、でも誰も撃てなかった。誰も。
畜生であれ、命を捨ててボロボロの身で妻子を逃がす為に敢闘したオスに感動したから。
殺める者は大義があっても、背負うのです。
それで私は免許は返さないが、事実上に狩猟を辞めました。
そうした「もののあわれ」がガス室を産んだのならば、何と言うべきか…
嫌な話ですわ。
8. Posted by メロンぱんち   2017年12月09日 15:52
山童さん>
少なくとも強制収容所の発想って、最終的には合理的に心を痛めることもなく殺処分をするものだったと考えると、悪魔的なものを感じてしまいますよね。

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