◆第一次世界大戦

第一次世界大戦の基本的な構図は、同盟国VS協商国(連合国)でした。

【三国同盟】⇒ドイツ、オーストリア、イタリア

【三国協商】⇒イギリス、フランス、ロシア

覇権主義的帝国主義は植民地の奪い合い、領土の奪い合いであり、帝国主義同士の利害が衝突していた。そして新興勢力のドイツら三国同盟は、イギリス、フランス、ロシアらの協商国と衝突したというのが基本構図です。

1914年6月28日、オーストリア皇太子夫妻がサラエボで暗殺される。

1914年7月23日、オーストリア=ハンガリー政府がセルビア政府に対して最後通牒を突き付ける。

1914年7月28日、オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告する。

1914年8月1日、ドイツがロシアに宣戦布告。

1914年8月3日、ドイツがフランスに宣戦布告。

1914年8月4日、イギリスがドイツに宣戦布告。

1914年8月、日本は日英同盟を理由に協商国として参戦表明。

1914年9月、日本はドイツの租借地であった青島占領。

そんな風に我も我もと戦火は拡大し、8月末までにイタリアを除く全同盟国、全協商国が交戦状態に入るという史上初の世界大戦が実現する。

1914年11月、オスマン帝国がドイツ(三国同盟)側として参戦。

1915年5月、イタリアはロンドン密約と呼ばれる領土拡大の約束を協商国側から持ち掛けられた為、元々の三国同盟を裏切ってドイツに対して宣戦布告する。

連盟国と連合国(協商国)とでは中東の被圧迫諸民族を自陣に引き入れる為に独立や自治を約束して世界大戦参戦に巻き込んだが、秘密協定を結んで領土分割は後世に禍根を残すものとなった。連合国側はアラブ諸民族の独立やユダヤ人国家建設などの約束をしており、また、国境線が直線的に惹かれたりしている事も、この頃の秘密協定が雑な形で残った為であるという。

1917年2月からドイツは猝祇限潜水艦作戦瓩鮑里襦これによってイギリスは無制限潜水艦作戦の前に劣勢に陥ったが、1917年4月にアメリカが連合国軍として参戦。大きな転換が起こる。イギリス軍とフランス軍はアメリカからの兵員・物資の援助を受けて反撃に転じる。

そして、もう一つ、大きな転機となったのが、1917年、二月と十月とに起こった第二次爛蹈轡革命瓩任△辰拭ロシア革命の場合は戦局を劇的に変えたとは言えませんが、ロシア革命に触発されて以降、世界中が動揺することになったという意味では、極めて稀有な出来事が発生したと言えそう。

1917年2月、二月革命によってロシアで帝政が崩壊する。

1917年10月、十月革命によって社会主義政権が成立する。



◆怪僧ラスプーチン暗殺事件

ロシアは第一次大戦に早々と踏み切って総動員体制を布いた。レーニンは、あっと驚く革命的祖国敗北主義を主張した。トロツキーは急進派として反戦を主張していたが、さすがにレーニンの革命艇的敗北主義からは距離を取ろうとしたという。(この「革命的敗北主義」というアクロバティックな主張については後日で触れる予定です。)

総動員体制になると徴兵だけではなく勤労動員も起こるので、ロシアの農場と工場から徐々に人手が減り出して、弾薬、装備、食糧の不足が発生。それはやがてインフレを喚起する。

1915年の夏頃になるとロシアはストライキと食糧を求める暴動が起こり始める。

1915年8月、皇帝ニコライ2世は軍の全面的指揮権を自らが握ると言い出すに到る。しかし、皇帝の人気は既に地に落ちつつあった。元凶は怪僧ラスプーチンにあった。この頃までに皇后アリックスはラスプーチンに高い地位を与え、ラスプーチンの幻視に基づいた助言を皇帝ニコライ2世に伝えるといった奇妙な関係が出来上がっていた。

皇后はラスプーチンの櫛を皇帝に与え、

「この櫛で髪を整えれば、ラスプーチンの英知があなたを導いてくれるでしょう」

と言えば、皇帝ニコライ2世は、それに従ったという。また、皇后はラスプーチンの髭についていたパン屑までを皇帝に送り、そのパン屑を皇帝が食べるまでにラスプーチン信仰が皇帝と皇后を蝕んでいたという。

また、皇后アリックスは、敵国ドイツに近いヘッセン=ダルムシュタット家の出身であった事から、皇后のアリックスが敵国ドイツに有利になるように皇帝に取り入っているのではないかという憶測も流れるようになっていた。

君主制を支持するオクチャブリスト(十月党)の政治家、ミハイル・ロジャンコはラスプーチンを悪の元凶であると考えていた。いつしか人種差別主義者プリシケヴィチらとラスプーチン排除で通じ合うようになり、ラスプーチン暗殺計画が練られるようになったという。

1916年12月16日深夜、ネヴァ川沿いにあるユスポフ宮殿にラスプーチンは誘(おび)き出された。

誘き出したのはフェリックス・ユスポフ公であった。ユスポフ公はロシア帝国随一の資産家であるユスポフ家の相続人であり、皇室士官学校出のエリートであった。いつしか、このユスポフ公はラスプーチン暗殺の協力者となり、ユスポフ公の妻であるイリナは公爵夫人であったが、美人で有名であった上に皇帝の姪にあたるというロシアの名門中の名門の人物であった。

ラスプーチンは一張羅を着てユスポフ公の宮殿にやってきた。

ラスプーチンには青酸入りのチョコレート(大きなケーキ)と、毒入りのワインとを出して、暗殺を試みたが、ラスプーチンは表情を変えることもなく、通された一室でくつろぎ続けたという。この奇妙な霊能者には、毒は効かないのかと共謀者たちはヒソヒソと話し合ったという。

この謀議の重要な協力者となっていたユスポフ公は、この事態にパニックになったという。

ユスポフ公は何とか暗殺を成功させんと思案し、部屋の整理箪笥に立てかけてある水晶と銀とでできたイタリア製の骨董の十字架を指さして、ラスプーチンに見て欲しいと誘導した。ユスポフ公の誘いに応じたラスプーチンが腰を屈めて、骨董の水晶の十字架を見入っている隙に、背後のユスポフ公は拳銃をそっと取り出して、そのまま、ラスプーチンの心臓に向けて発砲した。

ラスプーチンはクマの敷物の上に倒れた。銃声を聞いて、この暗殺劇に参加していたㇻゾヴェルト軍医が階上から駆け付けて、ラスプーチンの即死を確認した。

ラスプーチンの暗殺に関与していたのはユスポフ公の他に、人種差別主義を掲げる国会議員プリシケヴィチと、軍人のセルゲイ・スホーチン大尉と、ラゾヴェルト軍医、それとドミトリー大公の4名。暗殺団はラスプーチンの死を確認した後、遺体の処理を話し合っていた。

すると間もなく怪現象が起こる。死んで目を閉じていた筈のラスプーチンが左目、右目という順番に目を見開いた。そして、口から泡を吐きながら獣のような唸り声を上げ始めたのだ。ラスプーチンはゾンビと化したのだ。ラスプーチンは手を震わせたまま、立ち上がると、ユスポフ公の喉元に手を伸ばして、鉄のようなかぎ爪を這わせた。そして、しわがれ声で、ユスポフの名前を呼び続けたというのだ。

そしてラスプーチンは

「皇后に言いつけてやるぞ!」

とユスポフ公に告げた。

ユスポフ公は、中庭へと逃げ出して、中庭で待機していたプリシケヴィチに

「ラスプーチンを撃て!」

と叫んだ。プリシケヴィチは即座に反応し、ゾンビ化したラスプーチンに二発の発砲、更に二発を発砲。

かくして、皇后に取り入ってロマノフ王朝を自在に操っていた怪僧ラスプーチンは退治された――と通説では伝わっている。暗殺者ユスポフ公が残した回想録によれば、そういうものだったと記されていた為に、そう伝わっていたという。

しかし、ジャイルズ・ミルトン著・築地誠子訳『レーニン対イギリス秘密情報部』(原書房)は、このラスプーチン暗殺事件の真相について記している。まるで不死身のゾンビのようにラスプーチンが一度、死んだ後に襲い掛かってきたなどというのは、勿論、作り話である、と。

ラスプーチンの死体は暗殺事件の二日後に引き上げられたので、実は解剖報告書が残っているという。

解剖報告書よると、ラスプーチンの遺体は激しく損傷していたという。体の左側には刃物によって傷つけられたと思われる刺創があり、そこから出た浸出液が付着していた。右眼球は眼窩から飛び出して垂れ下がっていて、また、右耳もちぎれかけていて垂れ下がっている状態。更には首にはロープのようなもので絞められた傷があり、死体の顔と体には爐靴覆笋にして固いもの瓩廼打された痕跡が残っていた。

更にラスプーチンの遺体からは性器損傷――二つの睾丸を完全に押しつぶされていた。そのことは、残酷な拷問の途中で死者は両足を無理矢理に開かされ、顔と体を強打した凶器と同じ、何か、しなやかにして固いもので性器に損傷を与えるという行為が行なわれていた事を示してた。

更に、通説では「毒入りのケーキ」や「毒入りのチョコレート」が定着しているが、実はラスプーチンの遺体、その胃の内容物の検査も行われたが毒物は含まれていなかった。

ラスプーチンの遺体には三つの銃創があった。1つ目は胸の左側から入って胃と肝臓を貫通した銃創。2つ目は背中の右側から入り、腎臓を貫通した銃創。そして3つ目は額を撃って脳へ貫入した銃創であった。

ユスポフ公によれば、ユスポス公が撃ったのはドミトリー大公から借りたというブローニング自動拳銃であった。また、プリシケヴィチはソバージュという自動拳銃を使用していた。しかし、検死解剖では口径や射入口についても詳細に言及されており、額への一撃はリボルバー式と呼ばれる回転式拳銃であった。英国製のウェブリー・リボルバーに間違いないと断定されていたという。

実は、ユスポフ公の回顧録は、実は解剖報告書とは辻褄が合っていない箇所が多いのだ。しかも、この検死解剖はラスプーチンの死を悼む皇后アリックスの命令によって急遽中止になったという皮肉までついている。

ラスプーチンの暗殺事件には、実は、もう一人、意外な人物が協力者として関与しており、その人物については伏せられていたのだ。ユスポフ公らによって隠されていた、もう一人の協力者とは、イギリス人将校のオズワルド・レイナーという人物であった。このオズワルドは、ユスポフ公とオックスフォード大学の学友であった。そして、このオズワルド・レイナーが持っていた拳銃こそが、ウェブリー・リボルバーであった。

皇帝ニコライ2世の周辺にも、実は「ラスプーチン暗殺にユスポフ公の学友のイギリス人が関与していた疑いがある」という風聞が届き、ニコライ2世はイギリス大使を呼び出して、そのイギリス人が殺害に関与したのか否かの有無を問いただしたという。大使は何も知らない。一応、大使はイギリス秘密情報部の関係者に尋ねてみたが否定されたので、皇帝ニコライ2世には、「関与の事実はなかった」と謹んで報告されていたという。

しかし、真実としてはイギリス人将校オズワルド・レイナーはイギリス秘密情報部のスパイとしてラスプーチン暗殺に関与していた。ロシアの首都のペテルブルクの住民たちよりも早く、ロンドンでニュースとして「ペテルブルクで犯罪が起こった。一時代の歴史が変わるような犯罪だ」と報じられていたという。

つまり、ラスプーチン暗殺事件には政治背景、第一次世界大戦の戦局が関係していたと思われる。当時、協商国(連合国)としてイギリスとロシアは共にドイツ帝国に当たっていた。しかし、イギリス秘密情報部(SISであり、後にMI6に改称される諜報機関)と帝政ロシアの君主制支持者らが共謀し、皇帝を惑わせている怪僧ラスプーチンを排除する為に行なわれた暗殺劇であった――というのが真相だったとなる。

暗殺した一味は、その暗殺を正当化させる為には、ラスプーチンを怪物のように仕立て上げておく必要があり、それ故に、「毒入りケーキを食べさせてもピンピンとしてした」や、「死後にも立ち上がって襲い掛かってきた」等の、脚色を施していたのだ。実際には解剖報告書の通りであり、誘き出されたラスプーチン、その最期は、憐れ、半ば拷問死であったと思われる。


この頃の帝政ロシアは、既に大国と化していたが、実は多くの資本はイギリスやフランスに依存して近代化を遂げた大国であった。そして、ロシア皇后が心酔していたラスプーチンの暗殺にもイギリス秘密情報部(SIS)が関与していた事になる。大義とは、愛国心とは、君主制・皇帝への忠節というのは――。