2018年01月13日

戦後の大衆運動〜沖縄と70年安保編

全共闘の一連は、東大紛争にしても日大紛争にしても「政治運動そのもの」ではなく、学内自治を巡って大学当局と衝突した学園闘争であった。ノンセクト、党派に所属しない一般学生を巻き込んだ闘争であったが、学生運動の中心理念は「反戦」であり、「反安保」であった。目玉は、なんといっても「70年安保」であったが、その70年安保の前に牴縄返還瓩俎上に上がった。

2015年刊の春名幹男著『仮面の日米同盟』(文春新書)は衝撃的な内容の本でしたが、米国機密文書からニクソン政権が沖縄返還に踏み切ったのは、日本に於ける政情と関係していたと指摘している。ベトナム戦争で反米ムードが世界的に高まっていた上に、日本でも学生運動が盛り上がり出していた事と関係していたという事柄に触れられていたんですね。

アメリカはどのように沖縄返還を分析していたのかというと、60年代後半頃までは

「沖縄返還に応じないと、日本本土にある米軍基地も使用できなくなってしまう」

と分析し、その上で、沖縄返還を提示したとしている。それを考慮すると学生運動・大衆運動は微力ながら沖縄返還に影響を与えていた事になる。

沖縄を返還する事で日本国内の親米保守勢力は「沖縄を返還させた」と国内的に宣伝できるようになり、一方の反安保陣営に対しては一定のガス抜き効果を見込んでいたが故の、沖縄返還であったという読み方も出来てしまいますかねぇ。仮に、安保闘争が存在しなかったなら、ニクソン政権は沖縄返還に踏み切っていなかった可能性もあるのだ。

学生運動の本丸は反戦、70年安保阻止であったが、これに「沖縄返還」という事態が米国側から提示されてしまったので、沖縄解放と70年安保とはミックスして展開されることとなる。


◆沖縄返還と70年安保闘争

1968年10月21日、この日は国際反戦デーであり、新三派連合体制となっていた全学連は同時多発デモを敢行。

中核派、ML派、社青同国際主義派の1500名が新宿駅を占拠、一般人2万人を巻き込む騒動に発展する。これに対して警視庁は騒乱罪を適用して取り締まる。(ML派とは共産同ML派とあり、おそらくは共産同マルクスレーニン派の略か?)

同日、社学同1000名は防衛庁に突入を試み、社青同解放派(別名「反帝学評議会連合」)1000名が国会突入を試みる。

同日、革マル派、社会主義学生戦線が1700名が麹町警察署前で機動隊と衝突。

同時多発デモが起こっていた理由は、この国際反戦デーに合わせて力を結集し、霞が関を占拠することが目的であったという。

この日には正式名「ベトナムに平和を!市民連合」こと「ベ平連」なども動き、市民5000名が銀座を占拠した。

この1968年10月21日の国際反戦デーは、東京のみに限らず、集会やデモは札幌、仙台、大阪、福岡などでも行われたという。

沖縄返還は1972年に実現されるが、1969年11月の佐藤・ニクソン会談によって要旨が決定するという政治日程であった。日米安保自動更新は1970年であったが、沖縄問題が絡んだことで決戦は前倒しされ、1969年が大衆運動の焦点となった。

沖縄返還(解放)については、沖縄県人会・社会党・共産党・総評が、1962年4月28日に「沖縄返還国民総決起大会を開催し、毎年4月22日を「沖縄返還国民総決起の日」としていたので、1969年の4月22日は特に「沖縄デー」と呼ばれ、政治闘争の焦点であった。しかし、全共闘でノンセクトの一般学生を巻き込む事に成功していた全学連であったが、本格的な政治闘争にノンセクトの学生を動員する事には失敗、限定的な学生運動及び市民運動の諸党派による大衆運動となった。

1969年6月15日、東京で集会が催され、昼に3万人、夜間にも1万2千を集めた。新宿西口広場では週末には決まって反戦フォーク集会が企画され、集会では岡林信康の「友よ」などが歌われていたという。

友よ〜

戦いの〜

夜明けは近い


1969年9月20日、バリケード封鎖中の京都大学に機動隊が投入される。これは全共闘派学生であったが機動隊を相手に徹底抗戦し、京都大学は三日間ほど持ち堪えたという。

大学構内への機動隊投入は、日本大学、東京大学にも行われており、安田講堂陥落が1969年1月であったから、それを経て、京都大学への機動隊投入、また、6〜7週間後には佐藤・ニクソン会談によって沖縄返還の骨子が決定されるというタイミングであった事になりますかね。

そんな中、【赤軍派】が登場する。これはブント(共産同)と呼ばれた共産主義同盟で、全学連再編の流れの中で1966年に第二次共産同が再編されたが、この第二次共産同の中の赤軍派が、いわゆる狎峽貝瓩諒貘里任△襪箸いΑ

共産同の赤軍派は武装蜂起路線を選択し、京都大学に機動隊が投入された事に呼応して、大阪で3件の交番を焼き討ちにする彼等の言うところの狢膾綫鐐茘瓩魑こす。すると赤軍派に触発されて、中核派、ML派らも次々に火炎ビンなどを投擲する武装闘争へ乗り出す。学生運動は純然たる武力闘争へと激化する。

1969年10月10日には東京・明治公園で「安保粉砕・佐藤訪米阻止」を掲げる大規模集会が行われ、各党派、また、ベ平連、地方からやってきた高校生や大学生ら、10万人規模の集会となり、60年安保と規模的には匹敵する動員を見せた。しかし、佐藤内閣は盤石で揺らぐことはなかった。

最後の正念場は国際反戦デーとなる10月21日であったが、都公安員会が1969年10月21日国際反戦デーの集会を全て不許可にするという手を打つ。その為、同日は日本全国で過激派による火炎ビン投擲が起こり、日本全国で1222名もの逮捕者を出したという。

同年11月5日、大菩薩峠で戦闘訓練中であった赤軍派学生53名が一斉に逮捕される。

11月15日、佐藤訪米阻止全国反戦総決起集会に2万人が集まる。

11月16〜17日、過激派と化した党派が羽田空港周辺でゲリラ戦を展開したが佐藤栄作はアメリカへと飛び立つ。

11月21日、日米共同声明が発表され、沖縄闘争は終結する。

体制に捩じ伏せられた形の過激派は沖縄闘争に敗北し、残るは安保延長阻止・安保粉砕に最後の戦いを挑む。

1970年3月31日、田宮高麿率いる赤軍派が「よど号ハイジャック事件」を起こす。

1970年4月28日、12万人デモを実施させるなど、その後も散発的なデモを行なったが、1970年6月23日、日米安全保障条約は規定によって自動延長されて、70年安保闘争も終結する――。

学生は敗北した。

この1970年というのは、歌手・藤圭子がオリコンチャートを席巻した年である。2月にリリースされた第二弾シングル「女のブルース」がオリコン1位。3月にファーストアルバム「新宿の女」をリリース、4月には「圭子の夢は夜ひらく」をリリース。オリコンのアルバムチャートは、サードアルバムまで発売されたが、実に10ヵ月間もの期間をアルバムチャート1位を藤圭子が独占する。暗闇の中で鈍く光る藤圭子のハスキーボイスが街頭に響いていた頃と思われる。

赤く 咲くのは ケシの花

白く咲くのは ゆりの花

どう咲きゃ いいのさ この私

夢は夜ひらく〜


これまた学生運動に興じた人たちは、無力感を噛みしめることになった。

以下は、過激派となった残滓の破滅的闘争。

1971年10月から12月にかけて、東アジア反日武装戦線を名乗る急進派無政府主義者らが爆弾闘争を起こす。連続企業爆破事件。

1971年11月、中核派が渋谷暴動と日比谷暴動を起こす。

1972年2月28日、連合赤軍が浅間山荘立て籠もり事件を起こす。

1975年5月30日、日本赤軍がテルアビブ空港銃乱射事件を起こす。

学生運動は終焉して、同時に大衆運動そのものようなものも、影が薄くなる。若年層の間では政治に関心を抱くなんてカッコワルイという風潮が起こって、ノンポリ化が進行。大学生らは享楽と自己探求や自己実現のような内世界の方向性へ関心が向かい、外世界に対しての関心、例えば世界平和や反戦といった問題を真面目に考える機会は減少し、かれこれ、ざっと40年ぐらいが経過しているという感じでしょうか。

ussyassya at 00:01│Comments(13)TrackBack(0)政治史など 

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この記事へのコメント

1. Posted by 山童   2018年01月13日 15:15
大衆運動として観ると、実はスチューデントパワーに隠れているのですが、同時期に盛り上がるものがあるのです。
ゾクですね。
カミナリ族→暴走族というやつ。
一般に思想に裏打ちされた学生運動の赤色革命が急務でしたから無視されがちなのです。
でも結構、大学紛争の盛り上がりとムーヴを一としてるんですね。
団塊の大学進学率は10%くらいでないかと思うたので、進学組でなく、当時の大半の就職組がやる運動として暴走族があった気がするんですね。これは赤色革命分子が倒れてから、大きくなり過ぎて、1975年の二輪免許の限定制導入から78年の道交法の危険集団行為禁止あたりで国と衝突して、大規模なものは消えてゆくんですが。
70年代のナメ猫ブームの背景に、ヤンキー起業がいた事や、警察無線傍受など 、妙にハイテク化してくんですよ。
実は資金調達やゲリラ部隊編成の為にヤンキー集団に交わり、知恵をつけた奴がいると。
宮崎学的な人達すね。恐らくは学生の可能性に見切りをつけて、非インテリを組織しようとしたのでないかと。でも、こっちはこっちで思想性が無いから結局、分解してしまう……
まぁ、警察も左翼も言わない裏社会の噂ですけどね。しかし…私は新人類世代すけど、政治の季節が去ると、思想に関係ない暴走族すら衰退して、少数チームのゲリラ的な走りしかなくなるのは不思議。
良くも飼い慣らしたものだと感心します。
2. Posted by 山童   2018年01月13日 15:24
同世代が全てバブルに浮かれた訳でなく、それを嫌悪する者もいました。そういう奴はザックを背負うて海外を放浪したりしました。
ただ…これは「自分探し」の罠なハマるので、組織にはならんのですね。
そういう連中の中からカルトに入る奴がいて、それがオウムとなってガス撒いた!!
結局、赤色テロを鎮圧して、若いのを懐柔するのに成功したけど、構造的に変えないから、後に白色テロが噴出したて話すね。
学生運動って進学率が上がってゆくことで、学問がマスプロ化して、一言で言うと生徒としてはつまらなくなったからだと、研究者で元左翼の兄貴が言ってるもの。
大学をコンパとレジャーランドにして懐柔したが、だからオウムを産んだってのは笑える皮肉ですね。
3. Posted by メロンぱんち   2018年01月13日 21:49
山童さん>
この学生運動の話、やはり80年代以降の風潮というのが確かに引っ掛かるんですよね。いやらしい話ですが、実際に

「大学ってコンパするところですよ」

というノリになっていた事も厳然たる事実で、基本的に若くなれば若くなるほど、レジャー慣れしてしまいましたよね…。

試験などにしてもマークシート方式って、出題者の意図を的確に読み取って合致するものをマークして正解1ポイントという感じなので、「この問題はこうであるから…」という思考ではなくて、確かに洗脳術に近いよなって感じる事があります。この条令のこの用語を知っていない限りは正解にしてくれない的な社会秩序になっていますもんね。

で、暴走族やアウトロー的な風俗というのも実は時代を反映させていますよね。
4. Posted by メロンぱんち   2018年01月13日 21:57
一方で60〜70年代の学生運動というのは、大衆運動という意味では大きな意義があったかも知れないなと思い到る部分もありました。地方から上京してきた一般的な大学生がノンセクトとしてバリケード闘争に参加してみると、その子が変わるというんですね。世の中の構造を身を持って知るというニュアンス。確かに機動隊と衝突したり、過激な事をする連中を傍目にみると、「世の中の構造というのは…」と感じ取れるかも知れませんよね。

「DJポリス」を私はキモチワルイと思いました。フーリガンのような連中から持て囃される警察って、率直に、キモチワルイんですよね。しかし、ああやって、どんどん飼い馴らされていくんでしょうねえ。
5. Posted by 山童   2018年01月14日 01:18
ああ…メロンぱんち様とは違う感慨かも知れませんが、DJポリスねぇ……
私は三里塚で左翼と一緒に戦い、いっしょに蹴散らされて逃げた右翼でしたから。
70年代のオマワリって、半端なく怖かった。
夜の公園とか、監視カメラのない時代は、
アスファルトに投げ落とされたり、警棒でこずかれたり怖かったすよ。
三里塚ではもう……。
LAでセレブの住む地域を観光しとると、警官がこう親切かつ丁寧で、しかし、目が合気道や剣道の選手みたく、焦点をぼかしてぜんたいを観るような目つきしてるんだすね。
ボヤ〜と全体を観るみたいな。
ダウンタウンで見た粗暴で、下手すると撃たれそうな警官とは違う。
いやホント、ダウンタウンの警官は道を尋ねて胸ポケットに入れた地図を見せようとしたら拳銃をホルスターから抜いたもんね!
ゆっくりとジャケットをめくり、ポケットの地図を見せて、それから抜くと、こう、親和的なコップに戻るの。飛び出しナイフを危惧していたらしいんですけどね。
そこに行くと、アップタウンの警官はCIA
的というか気味が悪かったすね。
ダウンタウンのオマワリは、危険が無いと示して、
私、アメリカ好き、尊敬、色々みたいな。
とか言うと、結構に親切で、アビス(レンタカー会社)のバスに乗りな!
それでフリーでホテルに戻れる。ヨシノヤは角にあるぜ。とか緊張が解れると親切なんすよ。アップタウンの警官は別でしたね。
あーいう嫌らしさは感じる。
警備部門は実は公安系なのかな?
なんか変な感想すけど、パクられる側の経験からすると気持ち悪い。

6. Posted by 山童   2018年01月14日 01:36
何と言うか……高学歴で見知らぬ他人とストリートでケンカ(刃物も多人数も有り)した事のないネトウヨさんとか温いんだよね。
すぐにポリになびく。
こっちゃあ少年課のデコスケにいたぶられてきてますから、ポリは信用がでけん。
あいつら電話帳を頭に乗せて、上から瓶でコツコツとこづくんすよ!
ケガは全く残らないけど、続けられると頭がガンガンしてきて、もう逆らえなくなる!
そういう証拠を残さない拷問まがいはデコスケは得意なんすよね!
DJポリス?
あーいうの称賛する奴って、検挙された事がないないんすよ!
あとハコバンのチャリね!
いや、正義感の強い奴等がいますよ。だだ、勇敢なだけ容赦ない!
荒れていた時期の歌舞伎町交番のハコバンの
オマワリとか、怖かったすよ!
DJポリに感動しちゃう人って、ケーサツの怖さ知らないんすよ!
結局、なんか運動してても自分は善良な市民だから手出しされないとか思ってる!
甘いの!!
彼らは治安維持の為に銭を貰ってる!
治安をみだせば即、犯罪者と扱う。
その瞬間に彼らは変わりますからね!

7. Posted by 山童   2018年01月14日 01:57
俺は今でもホテルに宿を取る時には、ロビー近くの一階の部屋を取りません!
テロリストも治安部隊もロビーから制圧に入るから!
それにテロリストは「吹き抜け」の階段室から上がる。治安部隊も同じ。
てことは、テロリストに誘拐されたり、治安部隊との銃撃戦に巻き込まれる可能性が高いんですよ。
だから離れて非常口の近い方に部屋を取る。
中東やインド・パキスタンの間を放浪したから、国家も反政府も事あれば同じなのストリンガー(フリーの戦場カメラマン)に習いましたから。自分は外国人だとか、良民だとかは
事あれば関係ない!
ネトウヨさんは甘いですよ!
8. Posted by メロンぱんち   2018年01月14日 14:16
山童さん>
【デコスケ】というのは刑事の事でOKですか? 一昨年だったか振り込め詐欺のオトリ捜査に協力した際、最後の最後に捕まえられぬまま、ネタばらしをしたら、

「そこにデコスケが居るんだろっ!」

と言っていました。ウチの方だと年寄り連中が【デレスケ】という言葉を使用しているので、デレスケのことをデコスケって言っているのかと思ってました。

単純に、警察官に対して敵対心を持というのではなく、体制と反体制、それを身を持って知る感覚というのが、山童さんは突出していますが、校内暴力などがあった時代はハッキリとしていましたよね。

金八先生でもないのに、卒業式にはパトカーがホントに警備に来てしまう。今、体罰禁止を語っていますが、職員室に於ける体罰なんてのは日常茶飯であったワケで、そこからの犲由とは?瓩覆鵑任垢諭しかし、既に尾崎豊の歌でも現在は放送するとクレームが来てしまう。飼い馴らされ過ぎだよなぁ…となりますよね。

9. Posted by 山童   2018年01月14日 15:12
はいデコスケは刑事です。埼玉、東京では。
ただ地方では警察全般も含む時があるす。
屁無頼語(ヤーさん語)はゾク言葉と似ていて、特に関西と関東は違う。
テリトリーをシマて言いますよね?
あれ実は関東語で、関西の博徒またはテキヤさんだと「庭場」言います。
ハコバンやチャリは解りますね?
割とヤンキー語は世間に認知される事が多くて(笑)、「超」ってゾク言葉ですね。
「超バカ」とか(笑)
言葉って生き物だと思います。
10. Posted by 山童   2018年01月14日 15:30
メロンぱんち様。
ご指摘で気がついたのですが、俺って元公務員なんですね?(笑)
確かに国の税金で銃持ってたし。
でアウトロウでもあったんすね?(笑)
そう言われると珍しいケースな気がする(笑)
でも、フロントの時の事とか、やっぱり本社のエンブレム組と違って、自分をサラリーマンと思ってましたし……三里塚とかは自分に正義があると思っていたから。
そう……テロリストが自らを軍人と考えるのと同じですよ。
それと自衛隊は市民と災害の時と、雪まつりしか接点ないから、民間人は珍しくて逆に優しいですよ。
警察は、実は犯罪という最前線にいますから
そういう温さがないですね。本当に暴力装置なんですよ。
途上国に出ると警察と軍が暴力装置で、巻き込まれるとテロリストと変わらないのが良く解りますね。特に途上国の突入って人質の命を二の次にしますから。制圧ありき、時どき救助救出なんですよ。
11. Posted by メロンぱんち   2018年01月14日 22:16
わざわざ警察官を悪者に仕立て上げるものではないのですが、一時期までの「市民に頼られる交番のお巡りさん」の路線って90年代頃から崩壊したような気もしています。交番のシステムを世界に誇るKOBANと言っていたのに、留守が多くなって…。また、警察官にしても人間ですから、稀に酷いのも混じっているのが実情でしょうしね。。。
12. Posted by 山童   2018年01月15日 01:23
そうなんですよ空き交番。
深夜に男に追跡されて、交番に行くと
「電話してね!」ですわ。
あれじゃあ……
10辰きに警官を立番させれば良いって話でもないですけどね。
いっそ空き交番にALSOKとか、ボランティアならガーディアンエンジェルスを詰めさせれば…て話もありますが。それもなぁ?
予算とか考えてないのですが、治安公団とか
警察のライバルを設置しても良いと思いますけどね。
競合相手がおらんから、ケーサツは腐敗するんですよ。
13. Posted by メロンぱんち   2018年01月15日 09:41
警備員でもいいから誰か居て欲しいですね。机の上に電話機が一台おいてあって、

「緊急の方は、この電話で○○警察署へ」

と駅前派出所が留守になっていて驚いた経験があります。あれ、なんとかして欲しいですよね。

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