2018年01月14日

ロシア革命という神話〜14

◆革命的敗北主義と革命的防衛主義

第一次大戦が始まってから、レーニンは世にも不思議な牾很薪祖国敗北主義瓩鮗臘イ靴討い拭それが意味するところは、戦争に敗北する事を肯定する非常に難解な主張であった。実際に戦争中であるのに、祖国は敗北すべきというのだ。トロツキーでさえも、レーニンの革命的祖国敗北主義からは距離を置いていた。

この【革命的祖国敗北主義】は一見すると難解ですが、レーニンの言わんとしていた事は、

「戦争を行なっている主体者は誰か?」

に集約すると分かり易くなりますかね。国家と国家とが戦争をしている。兵士や人々が望んで戦争をしているのではない。ホントは犢餡鉢瓩箸いε治機関及び、その支配者階級が戦争を欲しているというのが真実である。総力戦は第一次世界大戦によって始まったとされていますが、その通りであり、田舎で野良仕事をしていた若者や都市労働者、或いは学生たちが戦地へ赴くことになりますが、彼等は彼等の為に戦っていたのではなく、支配者階級に権益をもたらせる為に戦っていたのだ。

その上でレーニンは、更に階級闘争をプラスアルファする。戦争を内戦に転換させ、このまま、世界革命にしてしまうべきだ――と。

荒唐無稽と感じてしまう人も在るかと思いますが、当時の状況は、ホントに際どいのだ。中世の戦争であれば、貴族なら貴族が自費で戦費を賄い兵士を自前で雇い戦争をしていた。しかし、第一次世界大戦になると国家というものが、その権力によって徴兵し、動員も国家の権力によって行なうようになった総力戦なのだ。誰が戦争の主体者なのかは重要な問題だったのだ。冷静な語り口にしても、このレーニンの呼びかけは、20世紀最大の思考実験であったようにも思える。

しかし、その後、二月革命が起こってロシアに臨時政府が出来上がった。レーニンが亡命中であったワケですが、この頃、ペトログラードでボルシェビキはカーメノフとスターリンとがハンドリングしていた。カーメノフとスターリンは、臨時政府を支えるべきである、ケレンスキーを支えるべきだという見解から牾很薪祖国防衛主義瓩鯆鷯Г靴討い拭

そんなタイミングで、レーニンが封印列車でペトログラードに帰国したのであった。レーニンは帰国する以前から、カーメノフに対して辛辣な批判を浴びせていたが、かといってレーニンが圧倒的にボルシェビキ構成員から支持をされているというものでもなかった。しかし、実際にレーニンが帰国してみると、レーニンのカリスマ性が発揮される結果となってゆく――。


帰国を果たしたレーニン一行は、翌日となる4月3日には伝説的バレリーナであるマチルダ・クシェシンスカヤの邸宅に不法侵入した。

その夜、クシェシンスカヤ邸の応接間で、レーニンはボルシェビキ幹部たちの前で、雷鳴のような演説をしたという。

レーニンは、カーメノフやスターリンが展開している「革命的祖国防衛主義」を一刀両断した。臨時政府に対してカーメノフらは「油断なく見張る」としていたが、レーニンは、「そんなのはブルジョアジーの論法に過ぎない」と猛烈になじり、「革命を継続せよ」と演説したという。ボルシェビキの同志たちはの、レーニンの主張に度肝を抜かれ、しばし無言で聞き入ることになったという。

翌4月4日、この日はボルシェビキとメンシェビキとの統合を話し合う党大会が行なわれていた。レーニンの主張は明らかに孤立していたが、レーニンは、その党大会に飛び入り参加し、これまた、大混乱を惹き起こす演説を展開したという。その演説が「四月テーゼ」と後に呼ばれる10項目であった。

この「四月テーゼ」の中には、「ミリュコーフの新政府(臨時政府)は帝国主義戦争を追及しているのであり、レーニン帰国以前に支配的であった革命的祖国防衛主義には僅かな譲歩も示さない」とし、革命の継続の為に「政府から権力を奪取し、議会による共和制から評議会ソビエトによる共和制に替える為の戦いが必要である」、また、「国営銀行を統合して評議会ソビエトの管理下に置く事、警察、軍、官僚機構の廃止」、「既に革命はブルジョア革命の第一段階を通過しているのであり、第二段階へと進ませる。それには最貧層の農民の手に権力が渡らねばならない」などが含まれていた。この「四月テーゼ」には、「全ての権力をソビエト(評議会)に集中させてしまう」という十月革命までのボルシェビキの方針が織り込まれていた。

それにしても荒唐無稽に響いた。その場にいたメンシェビキのゴルデンブルクは、

「レーニンはアナーキストだ。バクーニンの後継者だ!」

と喚き、同じくメンシェビキのボグダノフは激怒しながら

「狂人のうわごとだ!」

と喚き立てた。この時期に最もレーニンに近かった筈のジノヴィエフでさえ、

「当惑をおぼえる」

という反応であった。

4月18日、ボルシェビキの第一回ペトログラード市大会でもレーニンは持論を展開させたが、代議員たちからは「アナーキズムだ!」や「ブランキズムだ!」という野次が飛んだ。(※ブランキズム、あるいはブランキスムとは「一揆主義」を指しており、つまり、「急進的一揆主義を復活させるような主張だ」、という野次。)

レーニンの主張は、13対2、棄権1で否決された。

臨時政府の面々は、レーニンの主張が却下された事に安堵した。


◆臨時政府の四月危機

同日、つまり、4月18日、臨時政府の外相ミリュコーフは、同盟国宛てにロシア革命後の自由ロシアとして、公式に「革命的祖国防衛主義」としての戦争目的を打電した。「革命的祖国防衛主義」という概念は、評議会ソビエトが強硬に主張して、ミリュコーフに、そう打電させたものであった。しかし、ミュリコーフは、その公式打電とは別ルートで、同盟国であるイギリスとフランスに牾仆颪瓩鯀付していた。その覚書きを「ミリュコーフ覚書」と呼ぶ。

ミリュコーフ覚書では、「後に評議会ソビエトとの折り合いから革命的祖国防衛主義を打電するが、それはロシアが戦争を辞めるという意味ではない。ロシアは今後も三国協商の高邁な理想の為に戦いう続ける」旨、記していた。

議会ドゥーマは、二月革命の収拾の為に評議会ソビエトとの二重権力状態にあった。軍隊をはじめ実験を握っている評議会ソビエトの強い要請を、議会や臨時政府が撥ねつけるワケにはいかず、臨時政府(自由ロシア陣営)からすると、同盟国に対しては、誤解されないように配慮してみせたという事でもあった。

しかし、そのミリュコーフ覚書の存在が翌19日には発覚し、20日には新聞各紙にも掲載され、それによって怒れる民衆のデモを招いてしまう。

二月革命に於いて、5千人のプレオブラジェンスキー連隊を煽って反乱を起こさせた熱血軍曹・フョードル・リンデは、この報道に激怒。二月革命は戦争を終結させるという条項があったが、ミリュコーフ覚書では、明らかに戦争を継続すると同盟国に確約しているとしか読めない。

リンデ軍曹は一個大隊を動かした。すると二月革命時と同じように、パブロフスキー連隊やモスコフスキー連隊の兵士たちも示威行動に合流し、たちまち、2万5百の兵士たちが抗議の声を上げるという事態に発展。

リンデ軍曹らの一団はプラカードを下げてのデモ行進であったが、プラカードには「帝国主義政策を倒せ!」と「臨時政府を倒せ!」というものも混じっていたという。

ペトログラードの北東には軍港クロンシュタットがあり、このクロンシュタットの水兵たちは気風なのかアナーキストと極左ボルシェビキが多かったとされている。一たび、このクロンシュタットの水兵たちが動き出すと、ホントに政府を軍事力で転覆させてしまいかねないという状況であったという。

21日になると、デモはモスクワにまで拡大する。魔都ペトログラードでは、数ヵ月前と同じようにネフスキー大通りを労働者たちが埋め尽くし、

「臨時政府を倒せ! 臨時政府を倒せ! 臨時政府を倒せ!」

と気炎を上げていた。

しかし、この日は意外な展開が待っていた。臨時政府支持派のデモ隊がネフスキー大通りに登場したのだ。彼等はカデット(立憲民主党)支持者であり、カデット支持者たちは幟旗を掲げながら、立ち塞がるように現われ、労働者たちを睨みつけると、声高にスローガンを唱え始めた。

「ミリュコーフ万歳! レーニンを倒せ! 臨時政府万歳!」

臨時政府打倒派と、臨時政府擁護派とが衝突、プラカードを武器に殴り合い、相手を掴んでは振り回す。

ペトログラード守備隊のコロニーロフ将軍は、騒動の鎮圧の為に宮殿前の大広間に部隊を展開させていた。しかし、コロニーロフ将軍は戦闘態勢を解いた。評議会ソビエトが「武力で事態の解決をすべきではない」という判断を下し、評議会ソビエトが「許可なしに軍部隊を街頭に出す事を禁じる」という布告を出した為であった。

評議会ソビエトは冴えていた。評議会に於いて、ミリュコーフ覚書について票決をとって平和的に解決するという方針を貫徹し、実際に、この騒動を鎮静化した。票決の結果、ミリュコーフ覚書は、事実上の撤回となった。また、武力を使用せずに事態を収める事にも成功したのだ。


◆第二次臨時政府

4月24〜29日にかけて、ボルシェビキは第七回ロシア会議が開催した。いつの間にか、スターリンはレーニンの掲げる四月テーゼ支持に回っていた。しかし、ペトログラードで活動してきたカーメノフの一派などは、レーニンに対しての警戒感を崩していなかった。しかし、数日前に目の前で繰り広げられた臨時政府の四月危機は、民衆の不満の大きさ、そして臨時政府と評議会ソビエトとの力関係をも如実に示していた。殊に、レーニンが訴えた「すべての権力はソビエトに」という主張は圧倒的多数でボルシェビキの支持を獲得した。僅か三週間前にはレーニンの四月テーゼは13対2で否決されたが、レーニンの人気は大きくなっていった。

29日には、すっかり嫌われ者になってしまったミリュコーフが外務大臣を辞任。グチコフも軍事大臣を辞任した。

5月4日、一人のキーマンがロシアに帰国する。カナダで収監されていたレオン・トロツキーがロシアに帰国したのだ。トロツキーは小さなグループでメジライオンツィ(トロツキー派とも訳されることがある。)であり、メンシェビキからもボルシェビキからも尊敬と畏怖を抱かれている特異なキャラクターであった。

5月5日、第二次臨時政府が発足する。引き続き、リヴォフ公が首相兼内務大臣となったが、外務大臣はフリーメーソンのテレシェンコが就任し、軍事大臣にはケレンスキーが就任した。(テレシチェンコ、ケレンスキーは、いずれもフリーメーソン会員である。)

第二次臨時政府は、エスエル、カデット、メンシェビキらの党派が祖国防衛主義を支持、また、自由ロシアとしての臨時政府を擁護していた。メンシェビキに言わせれば、革命はブルジョア革命として起こり、ブルジョアに権力を委譲した後にプロレタリアート革命というステップとなるというのが、かのカール・マルクスの理論であると強硬に主張し、レーニンの主張する「既にブルジョア革命は済んでおり、直ちにプロレタリア革命に移行すべきだ」というのはマルクス主義からの逸脱であると考えていた。

第二次臨時政府でも重要視された人物が、アレクサンドル・ケレンスキーであった。ケレンスキーが軍事大臣に就任したという事は、同盟関係にある三国協商体制を維持する事を意味しており、イギリスとフランスを喜ばせた。また、民衆にも人気があり、エスエルの代表でもあるケレンスキーは、殊にボルシェビキの中でも急進的な立場であるレーニンの仇敵となる。

また、遅れて帰国したトロツキーは、ボルシェビキを支持するのかメンシェビキを支持するのか不明であったが、帰国から数週間もするとレーニン支持の態度を表明する。レーニンの人気も急進派の間で伸びをみせるものの、全体としてはそうでもなく、第二次臨時政府は圧倒的な支持を受けてスタートを切った。

ussyassya at 15:01│Comments(11)ロシア革命史 

この記事へのコメント

1. Posted by 山童   2018年01月14日 22:12
レーニンてやはり怪物ですね。
そりゃあ祖国は戦争で仮に勝ち組に廻っても
手術成功、患者死亡になりかねない危機だったとは思うのですよ。
だから、戦争やってる側こそ、実は民宿の敵なのだ!という論法は解るんです。
ただ、その闘争を拡大して世界革命に持ってゆけば良いて発想は突破者ですね。戦争が現実に終わってないのだから。
巨大な発想転換で超克だと思うのです。
それだけなら夢想家だけど、それを認めさせて軌道に乗せてしまうのは怪物としか言いようがない。



2. Posted by 山童   2018年01月14日 22:34
エッジの最先端にいた、さらに見つめているものが同時代人より遥か先に行っていた!
記事のレーニン評価です。
だって国家主義で戦争やってる訳でないすか。それも世界大戦に参加してる。
その時に陣営から抜けて、両陣営の奥の院に座る国家を牛耳る階層そのものを敵として、
世界に革命を広めるのだ!って考えでしょ?
それ天動説の時代に地動説を唱えるような話で、ガリレオは挫折したけどレーニンは認めさせてしまったのですから。
それを皆が認めた背景って何だろう?
やはり戦争の勝敗に関わらず、目に見えて危険な状況に国が迫られていた。そして、世界も資本と人間の対立がのっぴきならない状況に突入していたから?
この目に見えてヤバいという危機感すごい。
例えば昨年に日本で働いている外人労働者は
108万人を越えてます。一年で40万人増。
だから排斥とか移民とか言う前に、本気で議論すべきと思うのですよ。
受け入れないなら、その代案が必要だし、
受け入れるなら、きちんと移民制度の枠組みは構築しないと。どっちか決める前に、きちんと議論して、国民の納得が必要すね?
なのに何もしない。本腰で話さない。
ズルズルと行ってじうのが一番に危険なのに。そもそもの噺をしない。
やっぱり目前に危機が現れないと動かないものなのかも。
レーニンはある意味、イエスや釈迦に匹敵するタマだったのかも知れないけれども、
資本主義の独占度も、国家間の闘争も、非常に緊迫していたからこそ、レーニンはたすうを認めさせる事ができた。
やはり乱世の人なんでしょうね。
3. Posted by メロンぱんち   2018年01月14日 22:48
山童さん>
省略してしまったんですが、「臨時政府打倒!」というプラカードやスローガンにはレーニンは難色を示すんですね。「臨時政府は敵だが、今はその時期ではない」と。どこを見て物事を考えているのか不思議なんですが、そういうのもいちいちレーニンは的中させてゆくんですね。

第三インターナショナル(コミンテルン)にしても、確かに世界中に波及してゆくんですよね。

近代国家は国家予算を使用して総動員体制で戦争を出来るようになってしまった=「帝国主義」=「資本主義の最終段階」という風に捉えている。

レーニンの構想には勝機もあったような気もするんですよねぇ。20世紀最大の何かだったという表現は正しそうだなぁ、と。
4. Posted by 山童   2018年01月14日 22:53
え、そうなんですか?
そこまで間合いを視ていたんだレーニンて。
いやだなレーニン=預言者説とか。
でも予測って必ずかなりは外れるもの。
相当にセンスと知性ある人でも、そう億り人になった投資家でも、実は必ず過去に痛い目にあっていて、そこから10年とか健さんに普賢岳上で億り人になりますからね。
亡命先から戻ってばかりで、そこまで見切って的中させてゆくのは超能力者とかうたがってしまいますね(笑)
5. Posted by メロンぱんち   2018年01月15日 01:05
イギリス人のスパイの一人、アーサー・ランサムはジャーナリストを装い、ボルシェビキに潜入。トロツキーらはスパイではないのかと疑ったものの、何故かレーニンはランサムを庇ったという。で、そのランサムは、レーニンを間近で見ていたスパイであるワケですが、怖い分析をしています。

1.オスマントルコは崩壊、

2.ハプスブルク帝国は終焉、

3.ドイツでも実は大衆蜂起によってドイツ革命が起こって皇帝が退位、

4.勝利した連合国も社会不安、

全世界は否応なく世界革命に近づいているように感じられたタイミングで、レーニンが第三インターナショナルを立ち上げることを知らされた――と。

ホントに爐泙襪罵存声圓里茲Δ性瓩抜兇犬討い燭修Δ任后
6. Posted by 山童   2018年01月15日 07:10
ちょっとその読みは怖いものがありませね。
英国スパイのランサムはラスプーチンが甦ってきたような気味悪さを感じたのでは?
大戦は、そう…やはり19世紀を終わらせる巨大な嵐だったのだなぁ。だから時代を見抜いてたレーニンには、期は熟せり、勝機は我にありという確信があった。
陳腐ですけど、やはり怪物ですよ!
ソビエトが1世紀を待たずに倒れたといえ、ロシア革命で人類史の変化が生じたのは事実ですねぇ。中国と北朝鮮にしか「共産党と名乗る政権」が残ってないけど。あ、キューバもあるかな。だから無意味ってのは違う。
何だったのでしょうロシア革命とは?
たぶん、今はソビエトが崩壊して、マネーしか尺度が無くなっているすよ。
でもロックフェラーですら敬虔な信仰を持っていた訳で。金と投資で世界が本当に廻ってもゆくかというと、それもどっかで破綻すると思うのですよ。その破綻の先に人類史があるのかは知りませんけど。その頃は私は死んでるしなぁ。
7. Posted by メロンぱんち   2018年01月15日 09:53
「ソビエト連邦そのものが、20世紀最大の思考実験だった」

という語り口に関心しています。膨張主義的帝国主義から脱出する方法を模索しての、結構、大きな思考実験だったではないのか、と。

ソ連も含めて、実際に世に出現した共産主義政権、社会主義政権は、どれも独裁的性格が強かった上に、唯物論であったというのがゲオルグ・ルカーチの「レーニン論」なのですが、つまり、純粋にレーニンが構築しようとしていた世界、政治体制は生まれてこなかったというんですね。中沢新一も少し似ているかも。唯物論ではダメで、史的唯物論であるべきだった――と。

ソ連の崩壊にしてもサボタージュの問題で崩壊したというよりは、市場経済や軍事対立、そうした国際情勢の中の相対的な事で崩壊したとも言えそうですし、野望としては確かに大きな野望だったのではないか――と。


8. Posted by 山童   2018年01月24日 19:51
中国NEWSを見ていて。
いちおうマルクス・レーニン主義を掲げる国のマネーに、西側諸国が片端からひれ伏す。
凄いシュールな話で、それって何だろう?
と思わざる得ません。
9. Posted by メロンぱんち   2018年01月25日 01:36
山童さん>
従来、共産主義の崩壊については、NHK教育の番組でも、サボタージュやモラルハザードに問題があったと説明していたのですが、どうも厳密には勝手に崩壊したのではなくて西側諸国と張り合っていた国際情勢、その情勢下での競争に破れたという語り口に比重が移ってきている気がします。単体で帝国が存在して崩壊したのではなく、諸外国との間での経済競争(技術開発・軍拡の競争)も含めてですが、それで崩壊したという方が整合性がありそうなんですよね。

一方でマルクス・レーニン主義の後継者らは無神論的な性格がある独裁的手法を使えるので、単純に国際競争に特化した場合、国家ぐるみでの資本主義競争をするから実は、強いのではないか――という気もしますね。
10. Posted by 山童   2018年01月25日 16:32
ソビエト連邦の軍拡による経済への皺寄せが崩壊誘因となる説はミグ25が函館に強行着陸した70年代に、小室直樹氏だかが「ソビエト帝国の崩壊」で予言してましたね。左翼文化人は攻撃したのだけど小室氏の言う通りになった。80年代にも軍事評論家の惠谷治氏がアフガン従軍経験からソビエト取材を経て、同様に予言してた。
佐藤優氏の「自壊する帝国」はまさに、崩壊な過程をノンキャリア組外交官の眼を通して描かれた本ですが、自壊とはしているが、
結局は複合的な理由である事が書かれてます。それはレポ船でKGBの末席に有るであろう将校の腐敗を見てましてね私も少し感じたです。パンスト一枚に天下の悪役KGB将校が血眼なのには幻滅しました。もう、身の丈を超えた軍拡競争やらでボロボロで、そこへ原油価格の変動とかを喰らったのしょうね。
しかし中露など独裁的な政権が、逆に今の世界的な経済の行き詰まりに、強味を発揮するとは、冷戦崩壊で良い気になった西側諸国へは良い面の皮でないすか。笑える。
11. Posted by メロンぱんち   2018年01月26日 09:48
山童さん>
自由主義陣営に対して共産主義陣営というのは、実際には民主主義国家VS独裁国家というところがあったかも知れませんね。後者は、計画経済政策なので、或る時期には資本主義原理を規制して遅れを取りましたが、現在のような状況になると実は計画経済って強いのかも知れませんね。何かしら政治イデオロギーが勝ったとか負けたのではなく、単なる浮沈のタイミングだったようにも思えてしまう皮肉ですね。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔