2018年03月11日

森友学園問題〜「忖度と自己犠牲」編

先週の火曜、水曜あたりでしょうか、

「これは一大事じゃないですか?」

という類いの言葉を二度ほど交わしていました。おそらく、テレビの中のコメンテーター諸氏の中からも、似たような言葉が漏れていた記憶がある。

何がどのように「一大事」だと思っているのか、相手と自分との間に齟齬が有るのかと気付いたのは、更にしばらく後で事であり、私が思うに、かなり初期の時点から「これは国家の根幹を揺るがしかねない一大事だ」とか「民主主義の根幹を揺るがす一大事だ」という文脈で【一大事】という認識をしていたんですね。

少し論者によって差異があるのは、政局、政治闘争を念頭に置いて「一大事だ」という風に展開させることもできるので、それとは全く異なる次元、異なる意味で一大事だと感じている。そういうニュアンスです。

何かを議題に上げる場合、何某かの質料(資料)が提示されて、その質料(資料)に基づいて話し合いが行なわれるワケですよね。賛成にしても反対にしても、或いはそれ以外の意見にしても、その質料は基本的に間違っていないという前提の上に会議なり議論なり、話し合い、検討などが行なわれている。しかし、その質料を改竄したり、捏造してしまうという事が、稀に起こる。

例えば、「学者が事実を捏造してしまっていた」というケース、その事例としてSTAP騒動や神の手事件を念頭に置く事ができると思う。そんな事が起こるのかと思うワケですが起こった。しかし、まさか国会審議を丸っきり空疎化しかねない資料が国会に出回ることは無いだろうと考える。しかし、よくよく考えてみると、近年、このテのトラブルが相次いで発生しているという重たい現実に気付かされる。

経済界であるとか産業界でも近年の傾向としてタイヤ会社の耐震偽装トラブルであるとか、自動車製造メーカーに於ける走行距離試験に係るデータ偽装であるとか、数値の改竄のような事例が次々に発覚していた。また、政界も似ていて、稲田朋美氏が防衛大臣を辞任する切欠となったのは日誌の存在をないものとして国会答弁してしまった事から発するものであったし、つい先日の裁量労働制を巡っての問題も膨大な資料に対して恣意的な数字の改竄を施したものであった。そして、今回明らかになった森友問題に係る文書書き換え問題も然りであった事になる。

現時点では、この「書き換え問題」の詳細は判明していると言い難く、捏造なのか改竄なのか恣意的な書き換えなのかといった断定的な事柄に関して私が答えることは差し控えますが、要は、根拠となる資料、これは何か物事を考えたり語る場合の質料と同義と考えて欲しいのですが、つまりは、極めて基本的な質料そのものがでっち上げられてしまっている事の重大さを提示したいんですね。

「はて、あれは国会なのだろうか? それとも国会ごっこなのだろうか?」

と過去にも皮肉を言われてきたワケですが、今回の財務省に係る文書書き換え問題というのは、国会議員に配られた資料に書き換えが施されたものであったという一件なのだから、限りなく国会審議を空疎なものにしてしまっていたという意味で、非常に大きな犧甅瓩任△襪隼廚Α(ここでの罪は抽象的な意味であり、法治体系の中の量刑の話ではありませんよ。極めて、物事の本質、根幹中の根幹を揺るがす罪という意味で、大きな罪であると、哲学とか認知論の面から述べたいワケです。)

虚偽の資料を手渡されて、その虚偽の資料を基に何か考えたり、話し合いをさせるられたり、更には、その話し合いの様子を傍観して、その出鱈目な話し合いで可決された決定事項に従わされるなんてのは、物凄いレベルでバカげていると感じるワケですよね。

裁量労働制に係る問題が俎上にあったときにも感じた感慨ですが、それが恣意性を帯びているというか、目的を持った数字が記されてしまっている事、ここにコワさがある。今回の書き換え問題というのは、皮肉としての「国会ごっこ」ではなく、正真正銘、国会というものを国会ごっこにしてしまったような、一大事なのだ。

で、この問題を語るにあたり、情緒的なものを切り離して非情に徹した方がいいと思うと私は考えているんですね。情に絆されていいケースではない。情は情で斟酌すればいい。少し分けて考えねばいけないほど、この問題は、統治システムの重大な問題だと感じている。

10日付の毎日新聞31面には、元会計検査委員局長の有川博・日本大学教授のコメントが掲載されていました。論旨は以下です。

「昨年11月に公表された会計検査院の検査結果は、書き換え後の「うそ」の書類に基づき検査が行われ、ねじ曲げられた可能性が非常に高い。会計検査院法は、検査が妨害された場合、監督責任者に関係した職員の懲戒処分を要求することができる。検査院は関係者の処分を求めると共に、真実の書類に基づいて検査をやり直すべきだ」

重大だ重大だと言われても、どう重大なのかピンと来ない重大さですが、上記の指摘は、その一隅にスポットを当てていると思う。情緒や感情を抑えるのが大変なほど、とんでもないことをしてくれたというのが、公的文書、それも権力中枢が提示した狃颪換え瓩任△蝓∋笋言うところの質料の改竄なんですね。そこを軽々に弄んでいいというレベルの規範では、何も機能なんてしない。すべての営みを無に帰すような極めて根本的な犧甅瓩髻∈睫慨盈修箸發△蹐者が平気で犯してしまっていたこと、その衝撃なんです。「これを一大事と考えず、何を一大事と言おう」ぐらいに語ることも可能な一大事。


いつから、こういう世の中になったんですかねぇ。さすがに、ここには危機的なものというのを感じとらねばいけないのではないかと思うんですね。

米国に於ける分断、そしてポストトゥルース&フェイクニュースというものにも私なりに取り組んできたつもり。で、そこでも既に真実なのか真実ではないのかを巡って大混乱に陥っている情報認知上の混乱を見い出すことが出来ますよね。ロシアゲート事件はどうなってんのという疑問があるが、真偽がホントに見えにくくなっている。論者によって真実が違ってしまっているんですと解説する。しかも、それは相対主義の問題ではない。加害者と被害者とでは「視点が異なりますよね」という話では済まず、認識しているところのファクト(事実)そのものが異なってしまっているのだ。そりゃ、分断するに決まっているよなと思う。

権威主義というのがある。かの大新聞が報じているのだから嘘ではないだろうという風に情報を認識する「順」の認識回路のもの。それに対して、「かの大新聞こそがフェイクニュースの発信源である」と言い続ければ、まぁ、こういう事態は惹き起こせる。これは「逆」の認識回路ですね。しかし、それだけではない。より、複雑化してしまっている。勝ちか負けかで思考する人たちから容赦なく発射されるフェイクニュースによって共通しての事実や事実関係を把握することそのものが難しくなってしまったのだ。それは対立構図でしか物事を見れなくなっている事の分断でしょう。冷静に質料そのものを吟味する事が蔑ろにされ始めてしまっており、収拾不能な状況が起こっているように感じているんですね。

A案とB案と、もしくはC案も加えた上で、「どれが好ましいと思いますか?」という風に意志決定をしているのではなく、予めB案ならB案、B案を選択することが正解なのですと誘導する資料を提示し、どんどん法制化が為されてしまっているという現実に気付くかも知れない。

小泉政権末期に車座集会というものが執り行われていたが、実はテレビ的なパフォーマンスである事が暴かれたという一件がありました。テレビは改革者・小泉純一郎が居酒屋で飲み食いしているような極めて一般的な大学生を相手にして何かを語っているような映像を見せ、好感度アップの宣伝材料としていたが、それは左翼政党らが行なっている動員と実は同じ原理で実際には自民党青年部か何かを集めて、その映像を撮影していたものであった。いわば、そのようにテレビに映す為の演出であったワケです。それをテレビがニュース番組や報道番組で報じる。宣伝費は実質的にはタダかもね。ホイホイと。どこまでが許されていいのか分かりませんが、こういうパフォーマンスが、これまた斜め上から評価を獲得していったんですね。

「これからの政治家はパフォーマンス巧者ではないとダメなのだ。小泉純一郎や竹中平蔵を卑怯と批判するよりも、むしろ、ああしたパフォーマンスが出来る政治家が優れた政治家なのである」

的な。

なので、その後も、それは傾向はどんどん進行した。

同じく、小泉政権下では、現在でも認知度が低い、B層を巡ってのラーニングプロモーション騒動が起こっていた。政治的関心が低いミーハーな層の支持率さえ獲得すれば選挙には勝利できるから、A層とC層は無視して、B層の支持を獲得しようと画策していた計画書らしきものが発覚した。B層の支持を獲得する為に、小泉自民党はテリー伊藤さんにターゲットを絞った。テリー伊藤さんは郵政民営化に賛成論者だったのかな、そこを狙って白羽の矢を立てて、そのB層を教化するのにテリー伊藤氏を起用していたという、反吐を吐きたくなるような先進的新自由主義者たちの選民意識で構成されていた。

要は、次のような事ですよ。

「この政治意識が低くミーハーなB層の票さえ取れれば選挙は勝てるワケですよね? じゃ、B層から比較的支持を受けているテリー伊藤さんにお願いしましょうよ」

という話し合いが竹中平蔵氏の近辺で行なわれてたという事なんですね。つまり、新自由主義ってヤツの化けの皮ですワな。マーケティングが政治に応用された。この頃、同時並行で米国でも政策プロモーター問題が発生していた時期だそうで、あの頃に政治の宣伝手法は危険な領域に入っていったのだと思う。メディア王が政治家になって、大衆層の視聴者はセレブのゴシップに夢中になったりして。

以降も、AKBの「恋チュン」を歌ったり踊ったりする政治家が称賛され、大衆迎合路線が凄まじい勢いで展開された。ホントは金満体質であり、この時期というのは米国に於いても名門大学の学長らが高額な金銭授受をして政策プロモーター化していった時期とダブっている。市井に投下されている経済理論の多くは、そうした金銭が投下された元で育ち、その資金を投下した新自由主義なりリバタリアンの意向に沿って作られたものになっているとされる。或る時期から日本にも「シンクタンク」を名乗る組織が増えましたが、まぁ、出資者が存在しているワケで、その出資者の意向に逆らうような政策提言なんてしないような仕組みになったという事でしょう。

安倍政権になってからは積極的な情報戦略を採った。その末に起こったのが庇い合う財務官僚と政治家という形で表出したという事なのではないか?


さて、森友問題の経緯についての補足ですが、9日付の毎日新聞では、毎日新聞社でも本年1月に情報公開請求をして入手していた決裁文書には「本件の特殊性」、「特例措置」、「学園の要請」といった記載が複数含まれいた事を報じた。しかし、8日に財務省が国会に提出した決裁文書には同時期に決済されたのに、それらの表現が使用されていない事を報じた。毎日新聞社のケースでは昨年9月に近畿財務局に情報公開請求をし、本年1月19日に開示されたものだという。表現が書き換えられたと思われる箇所を掲載している。また、朝日新聞社が確認したとする文書とも異なる部分がある可能性を示唆している。

そして本日11日付の毎日新聞の一面を引用します。

財務省は10日、書き換えを認める方針を固めた。財務省の調査で、国会議員らに開示された決裁文書のなかの複数の記述で、書き換えられた部分が見つかった。森友学園への国有地売却問題が発覚した昨年2月当時は、佐川宣寿(のぶひさ)前国税庁長官が理財局長を務めており、問題の責任者として書き換えを指示した可能性が高い。

書き換えを指示したのも、佐川氏?

ホントかな?

同日の2面の関連記事では次のように記されている。

政府関係者は、決裁文書の書き換え疑惑が疑われる時期に国有財産管理の責任者だった佐川宣寿前国税庁長官が9日に辞任したことについて「突然辞任したのには理由がある」と述べ、佐川氏が書き換えに関与したことを示唆。事情を把握している佐川氏が責任を負うべきだとの考えをほのめかした。

関与をしていたの意か。関与をしていた可能性は非常に高いと推測できますが、1面のように「責任者として書き換えを指示した可能性が高い」というと、まるで主謀者であったのような印象になる不思議がありますかねぇ。

で、政治案件とか政治問題という場合に使用される【政治】という単語は、「政治即ち政争」という風に使用されている場合と、ごくごく純粋に政治理念を交えながらに語られる統治システムの話としての「政治」がありますよね。念の為に明鏡国辞典を引いておくと「主権者が司法・行政・立法の各機関を通じて国を治め、運営してゆくこと。」とあり、用例として「政治倫理」が掲げられているから私の言っている事はあながち間違いではない筈ですよ。「政治の話です」とか「政治についてだけど」と言っている場合、それは、その政治についての話であり、ヘゲモニー争いを指していない。その場合は、混乱の元でしょうから「政争」とか「政治闘争」という表現した工夫した方が利巧かも知れない。


で、驚くなかれ主テーマは「忖度や自己犠牲は美徳であるか?」なんですね。

いや、もう新聞記事にしてもネット上の記事にしても、野党勢力が政権打倒に動くのではないかと報じていますが、まぁ、冷静に政局を語ってしまうと、ポスト安倍が見当たらない事からすると、そういう動きは牽制すべきであると思う。倒した、倒されたのような事を繰り返したところで、今回、発生した私が言うところの質料の改竄、物証そのものを摺り返してしまう事までもが国政の最高機関にまで拡散してしまっていた重大な現実を直視すべきではないのか――という見解なんですね。これを放置したまま、政権政党を変えたって問題の本質は改善しないワケでしょ? 実際に見当たらないワケだし。

かといって、この問題は分断するアメリカ及び米国議会でも現在進行形で難義している問題で解決方法が簡単に見い出せる問題でもない。一つだけ言えることは、情報戦略であるとか政治宣伝であるとか、そういった情報統制がもたらせた重篤な欠陥である事を指摘したいんですね。重篤ですよ、重篤。下手をしたら、AさんがAさんの利益にならないことを考えさせれ、それでAさん自らが自分のクビを絞めるような政党や候補者に一票を投じてしまっている可能性だって有り得るまでに混乱させられてしまっていると思う。国会にインチキな資料を基に国会審議が為されていたという事の重大性、それは国民主権が毀損させられてしまっている事だし、民主主義の危機でしょう? そして既に異常事態になっている事を認識すべきなのではないかと思うんですね。

ここで論じることが可能なのは、具体的な提案ではなく、日本人がひょっとしたら有しているであろう、忖度を美徳として捉え、また、何かを庇って自己犠牲となる事を美徳として感じることのある、その価値観について。

忖度は、【忖度】という言葉の使用頻度は人によっては低いのでしょうけれども、まぁ、以前から使用していたといえば使用していたと思う。別に流行語であったとは思わない方ですかねぇ。【忖度】という単語は文章なら兎も角、日常会話として口語で使用するケースは少なく、「あんなヤツに気を回してやる必要は無ぇな」とか「そんなに気を遣って下さらないで結構ですよ」という風に言い換えられてしまうから。

とはいえ、日本社会というのは忖度型といえば忖度型の社会かもなって思う。「お客様は神様です」については過去には再三再四どころが再七再八ぐらい触れた記憶がありますが、もう、不要だろっていうぐらいに気遣いを要求し、要求されるところがあると思う。「オモテナシ」の文化か。そんなに気取るまでもなく、おそらくは昔からだろうけど。

しかし、この忖度というものにしても、基本的にはコミュニケーションを円滑にする為の何かなのだろうと考える。昔のドリフターズのコントで言えば、

「タバコって言ったら灰皿も一緒に持ってこいよっ! キミは気が利かんなぁ!」

的なシチュエーションですね。実際に昭和世代の人は、実際に経験もあったのではないかと思う。太閤記の中にも、木下藤吉郎が草履を懐で温めておりました的な展開があり、そうした態度というのは或る種の美徳のように語られていたような気もする。まぁ、単純に気の利かない人よりも、気の利く人の方が優れていると解釈するだろうしね。

そういう中で、なんというんでしょ、過剰な忖度というか、過剰とも思える気の遣い方というのが或る時期から台頭したと思う。ファミレスや居酒屋チェーンの店員さんが、

「御注文は以上でよろしかったでしょうか」

のような奇妙なマニュアル言葉を使用しだした後に騒がれた事がありましたが、まぁ、妙なサービス業の丁寧語が、尊敬語だの謙譲語だのと紛らわしい中で広まってしまい、また、これに敏感に反応して

「あの接客係の言葉遣いがなっていない!」

だの

「正しい日本語を使用できていない!」

等という揺り戻しが起こり、挙げ句にしっちゃかめっちゃかになったよなという感慨がある。変に、お客様意識をこじらせてしまった層というのが大量に発生した事とも関係しているとホントは思っている。

老醜の一つに、その感覚の麻痺があると思う。目上だから敬われて然るべきであるという意識を年長者は抱き易い訳だし、これまでの目上は敬われて当然であるという時間軸の中で生きてきたのだから、そうなり易い訳ですね。しかし、「敬われて当然である」と思った瞬間から、その者は老醜に一歩足を踏み入れてしまう。考えてみれば、目上を立てて、立ててやったが故に何か得るものがあったのかと振り返れば、そんなに恩恵を受けてもいなかったりするのが現実なのだ。戦時中であるとか、戦後間もない時代は知りませんが、多くのケースでは、目下が目上のものに敬意を払うことを要求され、それが順送りすることで、その目線上下という暗黙の了解は守られていた。しかし、常に下の世代が順送りに従ってくれるとは限らないのだ。

「まぁ、年長者を立ててやれや」

ぐらいの温度もあれば、

「いいえ、実力主義であるべきです!」

もあり、更には

「いいえ、人間関係という人間関係は完全フラット型に改めるべきです!」

もある。

老醜を避けるには自ら謙虚を心掛け、驕らない事であろうと思う。齢を重ねてからも猶も謙虚さを失わない事が肝要だと考える。しかし、謙虚を貫徹して実社会で得をすることがあるのかというと、これまた無いだろうなと思う。

テレビが取り上げるオジサン像やオバサン像というのは常に厚かましく無神経であり、ステレオタイプ化されている。それによって、そのステレオタイプで社会に認識されているから、仮に殊勝な心掛けをしてみたところでマイノリティーは損な役回りをさせられてしまうのだ。気遣いをしてあげるのに、どうせ厚かましく無神経だと思われるのであれば、いっそホントに厚かましく無神経な振る舞いをした方が人生、どれだけトクだろうな――なんてことも考える。

この「気遣い」というのは、誰かに気づいてもらえて、初めて価値が生じる。先ほど木下藤吉郎の例を挙げましたが、懐で草履を温めていたという事に織田信長が感心したから、木下藤吉郎の立身出世物語はスタートするのであり、仮に織田信長が

「ちっ、猿め、草履を温めておったのか! なんてキモチのワルイ!」

と感じていたら、その気遣いは余計な御節介で終わった訳ですよね。

そう。何を言いたかったのかというと、コミュニケーションというのは双方向性のものであり、どちらかの者が一方的に寄せる気配り、忖度というものは、成立しないケースが有り得るのだ。要らぬ忖度なんてのは、迷惑にもなりかねない。

その社会の構成員の全員もしくは大多数が常識を常識として共有していて、その常識の中に目上と目下の分別が含まれていたなら、要らぬ齟齬も起こらないワケですが、既に実社会はそうなっていませんやね。常識の底が抜けたと言われて久しい。なのに、日本社会の場合は、これも新自由主義として行われたものでしょうけど消費者至上主義という観点からオモテナシ文化へ移行してしまったので、何だか過剰にオモテナシを要求する者と、要求される者とが同一社会に共生しているというイビツな状態になってしまったと思う。

一言で言えば、過剰なのだ。

で、過剰な忖度が慢心を生んでいると思う。「忖度されて当たり前だ」という感覚が、モンスタークレーマーを生み出す。何故なら謙虚さを喪失しているし、相互性原理も理解することなく、ただただ、「当たり前の権利なのだ!」と主張する回路だから。もう、殆んどの揉め事はコレだよなって内心、思っている。

で、現在のように常識の底が抜けた時代に、古くさい美徳というのはおそらくは通用しないと考えている。美徳は美徳なので、その美徳を共有できている空間では通用するのですが、もう、この辺りをかれこれ30年ぐらいかけて徹底的に破壊してきたのが現代の日本人の実相であると思う。

挨拶をしましょうに始まって、御礼を言いましょう、感謝の気持ちを持ちましょうであるとか、そういうしたものを全て古くさいものであるとし劣化させ、金銭価値に還元してきてしまったのは現代人自身ですやね。友情もカネで買えるだろうし、愛情もカネで買えるんじゃないんスかね。カネ、カネ、カネの世の中にしてしまったし、ご近所付き合いなんてものも、まぁ、殆んど死滅させてきたんじゃないんスかね。「カネを払ったんだからオレは神様なんだよ。店員は店員らしく、有難うございましたって言え!」という醜悪な社会に変質させてしまっている。

で、そんな中にあって残り続けているのが組織の論理であり、対面の状況下の忖度であり、組織内では自己犠牲の精神なのではないのかなって感じることがある。

「ボクが犠牲になって職場のみんながシアワセになれるのならボクが犠牲になるよ…」

という具合の話というのは、実は美談なのだ。情緒的な部分で。

しかし、これは今日的な常識の底が抜けた世界の中では、裏切られませんかね? 裏切られるんじゃないかな?

霊魂との約束とか、死者との約束をきっちりと守り続けている人の割合って、どれぐらいあるだろう?

口では何とでも言える。しかし、実際に墓参りを欠かさずに続けたり、常に念頭に死者との約束事を置いて生活している人というのは、どうだろう。都市部で特にどうか? 察するに都市部では少数であり、しかも今後も減少していくと考えられるんじゃないのかなって思う。

現代人の価値観というのは即物的であり、いわばゲンキンなんですね。守銭奴的とも言い換えられる、金銭至上主義型の合理主義だから。きっと目の前に実在していない者の事なんて直ぐに忘却して、目の前にある出世欲だの金銭欲だの名誉欲だのに目を眩ませる事になると思う。

その人の気質というので大体、分かってしまうワケで。で、現在のような社会の中では、ゲンキンな人、即物的に身の振り方を変える器用な人の方が、有利に出来ている。

「墓参りだけは欠かすんじゃねぇど」

とか

「親孝行しとけよ」

という類いの旧式の価値観は年々、いや、日に日に退潮しているのが現実ですよね?

犠牲になって死んでくれた者のことなんて忘れて、今、話題のイベントがあるから出掛けなきゃならないのだ、オレはオレで結構、忙しい身なのだという具合になってゆくと思う。

忖度をしても報われず、それこそ自己犠牲を買って出たところで、おそらくは報われようもないチープな時代になっていると思うんですね。

そうなのであれば、社会的意義に、その人の心が向けられていいんだと思うんですね。歪んだ社会構造や組織の論理の矛盾を「洗いさざらいブチマケてやろう!」という正義を掲げてもいいのではないか? 

どうせ、世の中、狂っているし、腐ってる。心ある者は、きっと同じように悩まされている者は少なくない筈で、それには社会的意義がある。救われる誰か、或いは後発の誰かの救いにもなるでしょう。なので自己犠牲の美徳に囚われることなく、真実に対して固執するという態度で構わないのではないかと思う。

草履を温めてやったのに、それに気付かぬ上司や客では報われない。しかし、実社会は、現実に、そうなってしまっている。「当たり前でしょ」とか「権利なのだ」として実際に片付けている。今、生きている者は、かつての美徳と殉じる必要性はなくなってきていると考えられるのでは? 忖度してやったって、当然だという顔をされてしまうし、御節介になってしまっては元も子もない。自己犠牲なんて、とんでもない。自己犠牲になってやる甲斐があるのなら構いませんが、多分、その帰属組織に対して自己犠牲になってやるだけの甲斐がない時代になっていると思う。利益に目敏い人たちだけを利する為の自己犠牲というのは虚しい犠牲だろうしねぇ。

ussyassya at 15:15│Comments(25)辛口評論 

この記事へのコメント

1. Posted by てらもっち   2018年03月11日 17:57
国が嘘をつくのを良しとするのであれば、国民も嘘をついていいわけで、そしたら法律も嘘だから守らなくていいわけで、契約も嘘だから守らなくて良い。経済も政治も社会もひっくり返る。

こんな社会でいいのかな?
2. Posted by メロンぱんち   2018年03月11日 22:15
てらもっちさん>
平たく言えばウソをついていた――。未だに自民党議員の中から「あれは改竄ではなくて訂正だ」という旨のコメントが出ているとなると、事の重大さを理解できていない可能性がありそうなんですよね。自民党も長く政権政党をやっていましたし、安倍一強体制なので、かなり深部まで中枢がイカレてしまっているという事だと思うんです。

で、公文書偽造ですが、これ、自転車で野菜を売りに来るオジサンだって、それが如何に重罪であるかという認識はあるレベルなんですよね。国会提出用に修正を加えたというのは意図的な改竄と判断せざるを得ないと思うんですよね。現時点では佐川氏については刑事事件にしない方向とも報じられていますが、国を分断する大騒動になる可能性を秘めていそうな予感も。
3. Posted by オハイオより   2018年03月11日 22:54
僕もよく嘘をつくので、嘘はいつかバレるっていうのを分かってはいるんだけど、辞められない弱さというか。日本人に染み付いてるDNAかも、宗教的バックグラウンドも乏しいし。
企業のデータ改ざんもそうですが、ゴマかす方の方がインセンティブがあるような社会構造も問題ですね。ゴマかす方だけじゃなくて、本当のことを受け入れない相手もそうですね。ここはそういうインセンティブがまず働きにくい、時には恐ろしくなるほどほどゴマかさないし、笑。
余りにも企業も役所もコミュニティもそこから外れることのリスク、損失が大きすぎるので、組織団体でゴマかすインセンティブが働いてしまう。辞めても何処でも同じような待遇が受けれる可能性があるなら、こういうゴマかしはする必要がないし。
安倍さんが関わっていたら辞めるとか言わなければここまで調べられなかったでしょうし、脇が甘いというか、すぐカッとなる坊ちゃんなんかなー、代わりもいないのに。辛抱さんが言ってましたけど、あの土地なんか地元では空港近くでゴミも埋まってて見向きもされないとこだったそうです。財務省も誰にでも売りたかったのかも。
4. Posted by メロンぱんち   2018年03月11日 23:20
オハイオよりさん>
厳罰化を匂わせると、余計にゴマカシが地下に紛れ込んでしまったり。基本的には「組織の論理」が道徳や倫理の始まりだそうなので、そちらに引き摺られ易いのだと思うんですね。教育委員会などがいじめを隠蔽してしまう事例が数年来、相次いでいましたが、あれなども同じ構図でしたね…。
5. Posted by 山童   2018年03月16日 11:26
ありゃあ、まあ。
森友、あのゴミ埋め立ての件は、業者に埋め立てたゴミを実態より深く申告させて、ねだんを吊り下げていた話が出てきましたね。
あの場所の過去の空撮写真を分析したブロガーさんがいて、まぁ関西特有のアレ絡みの地域であろうと。で、池周辺の埋め立ては言われる話を信じてきたのですが……
これは流石に酷い。
事実であると確認されたら、財務省解体すな! これは予算管理すべき財務省がコクミンの税金に対してはたらいた詐欺ちゅう事になるす。政権にまで触れられるかは解らないけれども、事実ならば、もはや「制裁」は必用であると、話題を避けてる私ですら思います。
6. Posted by メロンぱんち   2018年03月16日 11:59
これ、ホントは、ロッキード事件よりも大きな疑獄事件の匂いがありますね…。

「ゴミ生みたて費用を大幅に水増しするように申告させられた」にしても、それっぽいネタが新潮に昨年から出ていましたし、テレ朝社員に玉川徹という記者がいて、ちょっと鋭い記者なんですが、生中継中に、同敷地は某音大が7億円で購入を持ち掛けたのに当時の近財が9億円と言っていたので諦めたという部分に触れました。

生中継中に、田崎なんとか氏が

「あれは音大が勝手に辞退したんですよ(土地の事情を知って)」

と説明したのですが、CM明けに玉川徹氏が、

「今、調べてもらったのですが、音大が購入を辞退したのは金額が釣り合わなかったからだそうです」

と。田崎氏は、

「まだ、その時点ではゴミの埋蔵量が…」

と応じていましたが、そもそも同地は湖沼であったと言われていたんですよねぇ。

大阪地検にも改竄文書、会計検査院にも改竄文書を提出していたとなると、ホントにまともな事を言えば、財務省内から10人前後は最低でも…ですかね。

7. Posted by 山童   2018年03月21日 01:17
ここでメロンぱんち様と、応えてくれるなら他のコメント主様に直球の質問する。

中国この先どうなる?

あー、先の終身在任を担保する憲法改定で、
私は「キンペー君は意外とマトモな政治家なのかも?」思うた。
逆だろ?
言う人もあろうが。私はそう思った。
さて、その評価はどーでも良いのです。
問題はこの先。

彼が権力欲だけでない理想を持つ政治家と仮定する。しかし理想家であっても、「共産党あっての中国」は踏み外せまい!
するとこの先、二つのシナリオを選ばざる得なくなると思う。

電子技術と管理化で、中国社会を合理化する。その上で、「上からの民主化」断行!
英雄として勇退する。
かつて蒋介石の倅が、外省人が多数の内省人を支配する事に限界を感じて、民主化に舵を切った話と同じですね?

徹底的に皇帝になり、毛沢東への道を歩む。……政敵を粛清しまくりましたからね。
これで終身在任して、突っ走れば、彼の死後に家族や宗族を待っ未来は暗い。
必ず報復が近親に及ぶ!

そもそもトウ小平が集団指導制度にしてきたのは、血の粛清を回避する事で、権力の移譲を容易にして、独裁を避ける為すよね?
それを壊してしまった!
集団指導制度の下では、江沢民のごとく院政を狙わずに、全ての権力と兵権を潔く捨てた
胡錦濤のような退陣があり得た。
でもムリっしょ、次も在任して、突き進んだら。恨みが多すぎる!
続く

8. Posted by 山童   2018年03月21日 01:32
国家機密をハーバードの娘に持たせて、帰国させずにいる。そして、自分の死後は、こないだ暗殺された金正男みたく、外国の保護に任せる。他にあります?
一応、議会民主制度を標榜してる韓国ですら、パククネどーなってます?
私は幼少にギリギリで、四人組追放で江青女史がどーなったか観てる世代なんで。
例外も社会主義国でありますよ!
ペレストロイカの額の赤痣の親父ね。彼の兄貴って、貧しい職人なのね。弟が権力を握っても、何も良い事はなく、庶民として生きてた。ウオッカが無くてアルコール含有度の高い靴墨をパンに載せて食べ酔うような生活。
あれをやれれば習氏の親族も死後に弾圧されないとは思う。けどムリしょ?
共産主義の徹底度において、中国はズルズル。ムリだろね。
すると何れは矛先が家族に及ぶ。続く
9. Posted by 山童   2018年03月21日 01:46
この先に待ち受けるのは?
中国人の肉体性てか、血への拘りを嘗めてはいけませんよ。私は祖父が中国育ちの諜報機関員であった為に、小日向白郎氏とか、戦前の中国社会の暗部で活躍した日本人、親日中国人と幼少で付き合いあるんです。
絶対に報復を受ける。死後に親族が。
このまま三期も勤めれば、,△料択肢かなくなる!
基本的に俺は中国の留学生や、中国出身の友達を何人も付き合いがある。彼らは口を濁すが、このままだと……。
習氏が英雄として終わらない限り、子孫の未来は……と言う。平均的な中国人は、親族や血縁に対する意識が高い。それは部下として使ってみても解る。
そこから観て質問!
習氏は終身在任して毛沢東への道を歩むのでしょうか?

10. Posted by 山童   2018年03月21日 02:00
何でこの記事に中国なのか?
モリカケでうんざりだけど、権力の集中がソンタクを産むの解ってますね?
日本程度にユルユルで、自由な国でもアレじゃないの?
習氏が理想家であったと仮定しても、周りが彼に「皇帝」を要求すると思うんだね。
別に中南海の北京政府の中枢だけでなく。
庶民も嫌でも逆らえないでしょ?
するとブーメランで、習氏は皇帝化するてか、毛沢東への道を人民からも要求されちゃうと思うんすよ。それが権力の怖さでね。
強い中国万歳!
習国家主席万歳!
それが嫌々の言葉でも、合唱されたら、そっちに進まざる得なくなりまっせ!
その声が反転した時、間違いないなく親族に危害が及ぶ。中国人なら、その怖さと自身の身内に及ぶ怖さを知ってるはず!
にも関わらず…。
封建的な考えと言う方はいるだろう。だか、自分も家族の未来も返り見ない人は、他人の生命には無頓着だろう。
私は習氏に生物として戦慄を感じるすね。
思想や理想の怖さとはそこだ!!
11. Posted by 山童   2018年03月21日 02:03
最後に習氏が毛沢東=皇帝への道を進むとする。モリカケなんか屁でもないソンタクがあの国に産まれる。
解ります?
おそらく政権中枢から人民に至るまで。
そのソンタクが何を産むやら?
ここにコメントしたのは、それが理由です。
12. Posted by メロンぱんち   2018年03月21日 03:13
習近平はどうなるか――。結構、難問だなと感じました。

全人代が終わった後の報道を見聞きして、その中で習近平は「今世紀中の半ば」という言葉を使用して、「社会民主強国」といったニュアンスの言葉を使用して、今後の指針としていましたよね。それで、率直にどう感じたのかというと、「これは手強そうだな」と感じました。西暦2050年頃を目標としているあたり、今のような時代に上手だなと感心したんですね。目指す方向性、その理念として社会民主の理念を掲げている事にも、納得しているワケではないのですが、理念の方向性としては上手いなと感心しました。

なので、今後は一層、中国が国際社会の中で存在感が強大化させてゆくのではないかと素直に受け取りました。なので、皇帝化の道を歩むのかどうかは、あまり深く考えなかったんですけどね。
13. Posted by メロンぱんち   2018年03月21日 03:23
非常にベーシックな史観として老子を応用すると、おそらくは締め付けが強化されれば、いずれは滅びる運命を辿ることになると導くことなる。しかし、そのスケールが分からないんですよねぇ。

これは実際に文春や新潮などでも語られてきた話ですが、北朝鮮のような独裁国家は長続きしやしないと、ずーっと言われて続けてきたし、いたとも思うんですね。しかし、岡崎久彦はじめ、結構、法則性として予想する「あのような政治体制は長続きしやしない」という言辞はアテにならないという。何故なら反抗の芽を見つけると、目敏く粛正をしてしまうから。反乱や反抗の芽を摘むことが出来てしまう世紀に突入してしまったのではないか――という考え方ですね。

現在の北京政府にしても、ホントは民主化を求める天安門事件があったのに、これを徹底した情報管理で乗り切ってしまっているというのが実情ですよね。いずれは崩壊するさという事は可能なのですが、そのスケール、その時間軸を語る事が難しくなってきてしまったなと実は感じていたりします。

完全管理VS民衆

この構図で、勿論、民衆が勝利するというのが理想だし、そうした歴史を私自身もブログに綴ってきているんですが、時間軸として未来に向かってどうなるかが、不安なんですよねぇ。
14. Posted by メロンぱんち   2018年03月21日 03:29
例えば「アマゾン」ですが、正直、登場したときから、世界を変えてしまう可能性があるなと不安に感じたんですね。しかし、どこかでバランスが取られることになるに違いないと意識的に無視してきたんですね。それが12〜13年前のような気がします。実は現在まで一度も利用した事がない(笑 あれは世界を滅ぼしかねないぞ、と。

しかし、現実としての時間軸はどう流れたかというと、アマゾンは拡大を続けてしまったなという感慨があるんですね。マイケル・サンデル教授が「社会が経済に飲み込まれてしまった」という表現をしていますが、誰も彼もが経済合理性にばかり腐心し、或る種、流通業界の帝国主義者であるアマゾンに対して苦言を呈するような者は、ずーっと少数派であり続けたのが現実で、半ば、これは諦念に達しました。
15. Posted by メロンぱんち   2018年03月21日 03:35
誰も戦いに行かないというか、警告するような意見さえも軽んじられてしまうという現象が起こる。進歩する事が正しい道であるとか効率化を採る道こそが正しい道だと考える人たちの多さに、辟易とさせられました。

そして、この部分ですが、これは忖度というよりも、経済に価値観が埋没してしまったと感じています。支配されることへの懸念などが消費者として飼い馴らされてしまった先進国の人たちには理解できなくなってしまっているのではないかと思うんですね。小林よしりん先生も「感情の劣化」に触れて「古典を読め」と発言したようですが、ちょっと今時の保守思想はなんだかんだいって勝馬の尻に乗る事ばかりを考えているらしく、独立を守ろうとか、支配されてたまるかとか、そういう思想の話が通じなくなってしまっているような気がしています。
16. Posted by メロンぱんち   2018年03月21日 03:38
もし、こういった世界秩序の動向に反抗の狼煙を上がったら、内心では歓迎することになるのだと思いますが、我々が生きている間には難しくなってきたな、と。

仮に、山童さんの指摘するように中国の人々が「こんなのはダメだ!」と反撃の狼煙を上げてくれれば、少しはマシな世界秩序の未来が拓けるのにな、と、予測というよりも、希望的観測として、そんな事を思いました。

主人と召使、上司と部下、独裁者と取り巻き、そういう部分で発生する忖度って、海外はどうなんでしょ。日本社会にはそういうところが正直あるなと感じています。「ゴマすりしてんじゃねーよ!」と反応するのが本来的な民衆の立場だと思うんですが、もう、そこが作動しないんですよねぇ。「飼い馴らされてしまった感がある」というのは、そういうところで。

いい質問をどうもでした。
17. Posted by rakitarou   2018年03月21日 10:30
民主的細分化かオーウェル1984の世界か

個人が皇帝になっても千年王国は作れない。人間は死にますから、死ねば次の権力闘争が起こる。

では死なない権力者(コンピューター)が王国を作れば、民衆は体制に従ってさえいればそこそこ生きて行ける社会ができてしまったら、これは永続する可能性があります。

前に話題になった数千万人単位で直接民主制が反映できる程度の社会単位に中国が分割されて、戦争にならない仕組みを作って共存してゆければ百以上の民族からなる中国の未来としては明るいかもしれません。今の中国は中央集権体制が強い拡大EUが千年以上続いている状態と言えます。EUが2−30年でもう崩壊の危機を迎える現実を見れば、現在の中国が自然の状態でないことは明らかだと思うのですね。中国の歴史は一部の大権力者が大多数の貧しい弱者を力で支配するか、国家ばらばらの群雄割拠かの繰り返しですから。

習氏がどちらを目指しているかは解りませんが、ネット管理などの現状を見るとオーウェルの世界の様な気もします。いや中国だけでなく米国や日本もオーウェル社会に向かっているかもしれません。
18. Posted by メロンぱんち   2018年03月21日 11:29
rakitarouさんの便乗というものでもないのですが、私の主張の中の「時間軸として未来にかけて」というのは「人々」に係っているんですね。

監視社会に対しては、古典と言わずとも80年代頃までは、誰も嫌悪感を持っていたと思うし、SF作品などには、そういうものが描かれていたと思うんです。しかし、現在の状況は、物凄く不思議なんですね。山童さんも述べられていたと思いますが、電子通貨の普及を民間人が疑わなくなってしまっている。マイナンバーと銀行口座、証券口座との紐付けにも反対の声が上がらなくなってしまっていると感じています。この日本あたりでも。何故か経済効率性の話に民間人が乗ってしまっているんですよね。

大学教授の書いたAI関連本でもビッグデータの話が語られていました。どう考えても情報を収集されているのに現代人は警戒する意識が低いんですよね。プライバシーや個人情報にうるさい割には、あっさりとIоt商品、会話できるロボット、語り掛けるスピーカーに飛びついている。レンタル自転車もそうですけど、あれらはビッグデータの集積が目的なんですよね。しかし、そういう部分に人々の警戒心が向いていないんですよねえ。

それが出来てしまうとなると、初期段階で反抗の芽、その芽を摘み続けることが可能になってしまうんじゃなのかって。
19. Posted by メロンぱんち   2018年03月21日 11:37
個々人の情報を丸ハダカにして政府に守ってもらえるものと感じてしまっているよな、と。実際には、この日本で起こった財務省改竄問題もそうですし、日本年金機構による個人情報丸投げにしても、とてもとても怖い事をしているし、されている。なのに鈍感になってしまっているように思えて仕方がないんですよね。
20. Posted by 山童   2018年03月21日 13:22
メロンぱんち様。
rakitarou様。
お二人とも丁寧な解答を有り難うございます。お二人のお話しを咀嚼してみると、オーウェル型管理社会の機器が来ていると。
一つはメロンぱんち様の仰る管理される事への警戒心の鈍磨。
もう一つはrakitarou様仰るAI管理による永続性確立の問題。

中国は一党独裁国家であるか故に、個人の自由やプライバシーなど圧殺できます。
そこに民主主義国ですら、管理されることへの警戒が磨り減る現状。これは超管理社会になるだろうと。
そしてrakitarou様が仰るようにコンピューターは死なないんですね。皇帝は死ぬが。
さらに「管理社会」というものは「ファシズム国家」より「難しい」とそれてきた。
それは特に中国ごとく人口が多いと、監視の手間とコスト、さらに管理する側にそうとうな「インテリジェンス能力」が必要されるからです。ところがAIと顔認識システムで、
この難易度を極端に弱い下げられる。
顔認識AI直結メガネなんかモロそう!
ボンクラでも良い訳ですねオマワリが。
初期投資すれば何とか可能になる時代になったと。中国の成功率は高い。無理をとおせる体制ですから。
すると、あそこで成功すると次々と自由主義国でもドミノ現象になる可能性があると。
困った事に、テロリストや無差別銃撃犯や、
無差別殺人などが、この勢いの背中を押すような気がします。
rakitarou様が提唱された「1000万人以下の小国家」に人類が分散して、相互管理して戦争を避ける。これが長期的に最も人類の生存率を高める方法だと思います。
超管理社会は世界を一元化する変わりに、巨大火山噴火による気象変化のような、大変動があった時に、一気に全体が滅びる。画一かされてますから。
お二方の話から、遠からず人類滅びるなぁと思わざる得ませんでした。



21. Posted by メロンぱんち   2018年03月21日 14:05
どちらかというと、「打つ手が無くなってきてしまった」と感じているんですね。

後にブログ記事にしようかと考えている話の中で、やはり、植民地支配というのは人々を愚民化させる手法が採られていたと考えられると思うんです。インドネシアでは、オランダによる支配が三百年続いていたというんですね。その間、インドネシアの人々はホントに

「白人には敵わない」

と考えていたという証言を沢山みつけることが出来てしまう。宗主国はインドネシアの人々が主食にしていた食糧生産を辞めさせて輸入品へと農産物を転換させ、教育政策もロクに立てることなく、華僑などを直属上司に据えてインドネシアを統治していたという。僅かにインドネシア人の中からも教養を身に着けた層があり、その者たちはインドネシアの独立を画策するんですが絶望的な状況だったと回想する。実際の歴史は大日本帝国がオランダを退けたので、その要素が重なってインドネシアは独立に漕ぎつけている。その文脈の中で、やはり、教養分野の知識が反抗の芽を育てて、それが独立意識などを呼び起こさせたというんですね。

そこに覚醒するか覚醒しないかは教育や教養と関係していると考えられると組み立てられる。その考え方が浸透していかないと

「宗主国は我々を上手に利用しているのだ」

に気付かない。

中国の現在の若者たちが中高年になり、また子供が若者になったときに、国家体制を疑うという回路に到達できるかどうかが、情報統制の徹底や完全管理化社会の登場によって危うくなってしまっていると懸念しているといった感慨なんですよね。
22. Posted by メロンぱんち   2018年03月21日 14:09
バクーニンに触れた際、アダムとイブの話に触れたと思いますが、あれとも関係していますかね。

知恵の実を食べた二人が世界をつくっていった。

その「知恵の実」とは、実は現体制に疑問を抱き、反抗する態度を育てるものだと解釈できる。知恵がつくと反抗心を抱く。それが分かっているから、管理する側は「教養は必要ない」と言い出し、労働奴隷は労働奴隷であるべきだという統治者の論理を押し付けてくる。
23. Posted by 山童   2018年03月21日 15:53
ただなぁ、そう上手くゆくかどうか?
中国のこの10年てのは、「覇権国になれば皆が豊かなる」というビジョンで推進して来ています。一帯一路が成功すれば、世界から富を収奪して少なくとも「中国人だけは全員が豊かになる」て話すよね?
でも資本主義でそういうシステムでない!
植民地から富が流れ込んだビクトリア朝のロンドンって、インド以上のスラムが拡がってました。同じ事は帝政ローマもそう。現代のアメリカもそう。
世界の富を集めて運用できるようになると、
金融に産業が移動して、足元の祖国産業は衰退し、国内は格差が拡大する。これ動かない真実ですよね。てことは習氏が辣腕でも、
「格差は解消できません」て話になる。
この格差こそが中国のアキレス腱でしょ?
そして格差は民衆だけの問題じゃない。あの国ではです。続く
24. Posted by 山童   2018年03月21日 16:25
昨年まで騒ぎになってた「中国不動産バブル崩壊」ですが。鬼城てゴーストタウンが地方で乱立したやつ。あれ原因は何だろうと。
実は中国て地方政府・自治体の開発、発展ノルマを北京が押し付けるのに、一切の援助を北京はしとらんのですよ!
日本は中央に金集めて、それを地方自治体に配りってますよね?中国それ無いのです!
完全な「自己責任主義」なんです。だから地方政府は中央官僚の経営するノンバンクから金を借りて、或いは大都市銀行から融資してもらい自己責任で開発する。
「わしら貧乏が好きですねん」て逃げは打てない。北京政府にノルマされるから。
で、無計画に都市開発して鬼城なわけ!
で、それを強要してきたのが習近平政権なんすよね。恨み骨髄でっせ〜。実は9000万人いる共産党員でも中枢に立てるのは一握りで、地方の党員は幹部まで不満分子も多い!
そして軍です。北部戦区が瀋陽軍区時代から
反北京なの有名ですね。海岸ハイテク化の為に100万人いる単位でリストラされてきたのは陸軍で、しかも開放軍ビジネスを取り下げられてから退役後の職場もない。格差は民衆だけでなく、地域格差がデカく、陸軍とミサイル基地は、貧しい地方に集中しています。
この格差を是正できない場合、クーデターや分裂の可能性は残るのでないかな?
これが「暗殺」という手段と連動すると。
さらに独裁は「後継者問題」がある。独裁をすすめる事は、有力なNo.2を育てる事が習さんの「首」に関わる。しかし育てないと死んだ途端に権力抗争で、クーデターや内乱が起きるかも。システムと機械設備だけで、その種の権力闘争を阻止できるか?怪しい。
その点では超管理社会を成し遂げても永続的になるのか?私は半ば疑いもしてるのです。
はっきりしてるのは、市民革命的なのはもう没った事ですね。ただし暗殺、クーデター、権力闘争、これら政府側ででの分裂ならば、まだまだ有り得るのではと想うのですが。



25. Posted by メロンぱんち   2018年03月21日 22:18
暗殺やクーデターのようなものが起こるとして、付け入るスキを見い出そうとするなら、時期は早い方がいいのか遅い方がいいのかというのがありますね。やはり、早い方がスキはあると考えるべきなんでしょうかね。

何か事故やバブル崩壊、動乱が同時多発的に起こったりするのが契機になったりするのかも知れませんけどね。

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