2018年03月13日

水木しげるも「戦争論」を読んでいた。

水木しげるも、小林よしのりの『戦争論』を読んでいたのかぁ…と知りました。僅か8ページでしたが「随筆マンガ 戦争論」というものを目にしました。

水木しげるの場合は、一兵卒として従軍し、そこで死にかけるも生還したという経歴の持ち主なんですね。片腕を失っていたから傷痍軍人でもあった。昨秋でしたか、水木しげるの肉筆の手紙が新たに発見され、戦争漫画を描いていた時代の正直な感慨なども判明し、確か、展覧会などで、その手紙も展示されたか、されるかという経緯になっていると思う。

戦争の悲惨さを漫画にしてみたところで商売にはならないので、商売になるような戦争漫画も描いている、と。しかし、ずーっと後年になると、このブログでも取り上げましたが死んだ戦友たちに背中を押される思いで、もう一つの戦争漫画『総員玉砕せよ〜セントジョージ岬・哀歌』を3年がかりで描き、それはNHKで映像化された。NHK特集スペシャルドラマ「鬼太郎の見た玉砕〜水木しげるの戦争」ですね。

その辺りの事情を「随筆マンガ」で埋め合わせた気がしている。

小林よしのり著『戦争論』が売れているらしいと知り、カランコロンと散歩する道すがら書店で平積みにされている戦争論を購入、そのまま、持ち帰ってゴロ寝しながら読み耽る。読んでいて精神的な高揚をおぼえたと記している。

私は「戦争論」で、ふとあの戦前の――

勇ましさを思い出し、

非常に懐かしかったが……、

なんだか輸送船に乗せられるような気持になったのは、ビンタ恐怖症のせいだろう。

戦争論の売れ行きが気になる。

「戦争恐怖症」のせいか、何となく胸騒ぎがするのだ。

きっと年のせいだろう。


と、椅子にもたれて座っているカットで犂悪瓩箸覆襪世韻痢嵜鑄マンガ」でした。

『総員玉砕せよ!』は、水木しげるが言うには、9割はノンフィクションであるという。「ビンタ恐怖症」とは、どういう意味かと思われるかも知れませんが、つまり、水木しげるが実際に体験した戦争とは、それであった。水木は、門司からパラオを経てラバウルへと、信濃丸に揺られて上陸した一兵卒であるが、ラバウルで兵隊たちを待っていたものは爛咼鵐燭陵鬮瓩任△辰燭箸いΔ里真実なのだ。

戦況も悪化しており、新入りをビンタすることで憂さを晴らし、また、そうされた者は自分よりも新入りの者をビンタして無茶苦茶な精神論を押し付けることが、帝国軍人の矜持であるかのような、そうした狂信的な帝国軍人像が軍隊内にあったのは確かでしょう。そういう状況になると、ビンタをすることは正義化され、そのビンタと称した精神注入がどんどん正当化されてゆく秩序であるワケです。

そんな中、水木しげるは

「アメリカだろうが日本だろうが、水木サンをいじめるやつは全員敵だ!」

と考えたという。

『総員玉砕せよ!』では、セント・ジョージ岬での出来事として記してあるが、ホントはガゼル岬で起こり、水木しげる自身が体験した真実であるという。『総員玉砕せよ!』は戦後28年も経過した昭和48年に発表した作品であったが、どうしても描かずにはいられなかった漫画であり、その絶望的状況の中で奇跡的に生還した者が水木しげる自身なのだ。

生き残った30〜40名は後方の兵団長に指示を仰ぐことにした。生き残った最前線の部隊(バイエン隊)からは軍医殿が、その交渉役を負って、後方に陣取っている兵団長を訪ねてみるが「なんで玉砕していないのだ」と罵倒される。軍医殿は口論してみるが覆る筈もなく、ピストルで自決。その場で焼かれてしまった。そして、兵団長の認可の元に参謀がガゼル岬へと赴き、生き残っていた最前線の兵士たちに、改めて命令を下した。

「キサマたちは生き残ってしまっているようだが、ワシが改めて軍の意向を命じる! 後退は許さん! 総員玉砕せよ! 生きて虜囚の辱めを受くることなかれ、この精神が何故、分らんのか!」

―――と。

これが戦争の実相であったりするのだ。

ussyassya at 13:10│Comments(6)兵士たちの戦争 

この記事へのコメント

1. Posted by 山童   2018年03月13日 14:12
どうしよーもねな!
捕虜になるなとか。

捕虜になれば死なない程度に食わせにゃならない。まさか敵をそこいらに放しておけないから収用して監視の兵がいる。
脱走されれば捜索逮捕に兵力が削がれる。
捕虜になれば敵の力を削げるのに。

パターン死の行軍だったかなあ…連合軍兵士をジャングルとか歩かせてバタバタ死なせた。で、この一件、裁判で裁かれてる。
でも、生存者からは食糧分配は日本兵士と同様かつ公平だった事が証言されてる。
つまり飢えていたのは一緒で、それだけ捕虜を持つのは大きな負担なんすよ。
戦わせるなら最低限、生き伸びるように、食えるようにが基本だろうに。

サバイバル技術関係の書籍を探すと、かなりの確率で米軍の教本を元にした文献に会う。
それは類書の始まりが、太平洋戦争での米軍サバイバルテキストに由来するからで。
何が言いたいかとアメちゃんは、生き残る事が勝利への一歩と考えてるんすね。
ジャングルで戦闘するなら、まず病気や飢餓で死んだら意味ないだろと!
だからフィリピンで抗日勢力を育てる時に、
山岳地帯に秘密農場を作って、長期的な抵抗の足掛かりを作った。
毛沢東だって、農村に基盤を置いて食えるようにして、勇敢に日本と戦うよりも、逃げ回り兵を温存させた。だから天下を取れた。

で戦死するのが武士道とか、そーいうのは実は近代の産物で、戦国の武士とかそんな事は考えない。馬鹿馬鹿しい。
だから戦争に敗けたんですよ!
生物としての人を観てない!


2. Posted by メロンぱんち   2018年03月13日 16:50
なんだかんだいって前近代的だった一面が伺えてしまうんですよね。確かに尊敬に値するような軍人も居たのだけれど…と、水木しげるは語っていたようですね。本人は「アメリカも日本も敵だ!」と思うぐらいに感じていたようですが。
3. Posted by rakitarou   2018年03月14日 07:41
戦争の実相は国によって違うかも

戦前戦中の日本では確かに水木氏のようだったと思われますね。アメリカでは多分「国のために、仲間のために戦う」けど最後に得するのは一部の金持ち、というのが戦争の実相だと思います(地獄の黙示録とか数多くの映画でそのような表現が)。欧州でも元々国家の線引きが適当だし貴族社会だったから「戦争は(自由を守るためという大義を立てることはできても)自分のためにならない」と言う考えが普通かも(映画ブルーマックスとか空軍大戦略とか)。中国あたりは「自分が生き延びるために戦争する」が現実で、「勝ち馬に乗る」が常に正しいというのが実相と思われます。
4. Posted by メロンぱんち   2018年03月14日 11:07
rakitarouさん>
戦争に対して捉え方ですね。アメリカ型と欧州型というのは、ドライなので少し考えを巡らせてゆくと、国家の利益と自分の利益とという風にも届きそうですね。

他方、日本の先の対戦の特に末期って、知れば知るほど、「ああ、勝てるワケのない戦争をしていたのだな」と思い知らされますね。

うーん。このブログの論旨に置き換えると国家を神と同一視してしまっているようにも感じますね。当時の各人の国家観がホントに八紘一宇(国家という一軒の家)の思考になってしまっているので、自虐的なんですね。生きて虜囚の辱めを…という精神にもよく表れていますが、かなり強引なんですよね。急激に西洋化を進めてみたものの、心根の部分は西洋化できなかったという事のようにも感じます。
5. Posted by スナフキン   2018年03月15日 20:48
今の日本を見てると
当時と何も変わってませんよ。
日本人の精神はそう簡単には変わりません。
胸騒ぎなど感じる必要はありません。
何も変わってませんから。
6. Posted by メロンぱんち   2018年03月15日 23:22
スナフキンさん>
戦時中も、現在も、「戦争論」が出版された当時も、実は一貫しているというニュアンスでしょうか。

おそらく、水木しげるが「胸騒ぎをかんじる」と漫画を描いたのは「戦争論」が売れ始めた時期を差しているのかも知れませんね。まぁ、底に流れているものは一緒かも知れませんが。

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