水木しげるも、小林よしのりの『戦争論』を読んでいたのかぁ…と知りました。僅か8ページでしたが「随筆マンガ 戦争論」というものを目にしました。

水木しげるの場合は、一兵卒として従軍し、そこで死にかけるも生還したという経歴の持ち主なんですね。片腕を失っていたから傷痍軍人でもあった。昨秋でしたか、水木しげるの肉筆の手紙が新たに発見され、戦争漫画を描いていた時代の正直な感慨なども判明し、確か、展覧会などで、その手紙も展示されたか、されるかという経緯になっていると思う。

戦争の悲惨さを漫画にしてみたところで商売にはならないので、商売になるような戦争漫画も描いている、と。しかし、ずーっと後年になると、このブログでも取り上げましたが死んだ戦友たちに背中を押される思いで、もう一つの戦争漫画『総員玉砕せよ〜セントジョージ岬・哀歌』を3年がかりで描き、それはNHKで映像化された。NHK特集スペシャルドラマ「鬼太郎の見た玉砕〜水木しげるの戦争」ですね。

その辺りの事情を「随筆マンガ」で埋め合わせた気がしている。

小林よしのり著『戦争論』が売れているらしいと知り、カランコロンと散歩する道すがら書店で平積みにされている戦争論を購入、そのまま、持ち帰ってゴロ寝しながら読み耽る。読んでいて精神的な高揚をおぼえたと記している。

私は「戦争論」で、ふとあの戦前の――

勇ましさを思い出し、

非常に懐かしかったが……、

なんだか輸送船に乗せられるような気持になったのは、ビンタ恐怖症のせいだろう。

戦争論の売れ行きが気になる。

「戦争恐怖症」のせいか、何となく胸騒ぎがするのだ。

きっと年のせいだろう。


と、椅子にもたれて座っているカットで犂悪瓩箸覆襪世韻痢嵜鑄マンガ」でした。

『総員玉砕せよ!』は、水木しげるが言うには、9割はノンフィクションであるという。「ビンタ恐怖症」とは、どういう意味かと思われるかも知れませんが、つまり、水木しげるが実際に体験した戦争とは、それであった。水木は、門司からパラオを経てラバウルへと、信濃丸に揺られて上陸した一兵卒であるが、ラバウルで兵隊たちを待っていたものは爛咼鵐燭陵鬮瓩任△辰燭箸いΔ里真実なのだ。

戦況も悪化しており、新入りをビンタすることで憂さを晴らし、また、そうされた者は自分よりも新入りの者をビンタして無茶苦茶な精神論を押し付けることが、帝国軍人の矜持であるかのような、そうした狂信的な帝国軍人像が軍隊内にあったのは確かでしょう。そういう状況になると、ビンタをすることは正義化され、そのビンタと称した精神注入がどんどん正当化されてゆく秩序であるワケです。

そんな中、水木しげるは

「アメリカだろうが日本だろうが、水木サンをいじめるやつは全員敵だ!」

と考えたという。

『総員玉砕せよ!』では、セント・ジョージ岬での出来事として記してあるが、ホントはガゼル岬で起こり、水木しげる自身が体験した真実であるという。『総員玉砕せよ!』は戦後28年も経過した昭和48年に発表した作品であったが、どうしても描かずにはいられなかった漫画であり、その絶望的状況の中で奇跡的に生還した者が水木しげる自身なのだ。

生き残った30〜40名は後方の兵団長に指示を仰ぐことにした。生き残った最前線の部隊(バイエン隊)からは軍医殿が、その交渉役を負って、後方に陣取っている兵団長を訪ねてみるが「なんで玉砕していないのだ」と罵倒される。軍医殿は口論してみるが覆る筈もなく、ピストルで自決。その場で焼かれてしまった。そして、兵団長の認可の元に参謀がガゼル岬へと赴き、生き残っていた最前線の兵士たちに、改めて命令を下した。

「キサマたちは生き残ってしまっているようだが、ワシが改めて軍の意向を命じる! 後退は許さん! 総員玉砕せよ! 生きて虜囚の辱めを受くることなかれ、この精神が何故、分らんのか!」

―――と。

これが戦争の実相であったりするのだ。