2018年05月11日

MeToo運動の動きにくさ

週刊新潮5月17日号に掲載されていた三浦瑠璃さんの連載「ツメ研ぎ通信」は、改めて、#MeToo運動に冷静、且つ、客観的にアプローチされていて好印象を受けました。以下、例によって着色文字は引用です。

福田淳一財務次官のセクハラ問題がちょっと前の週刊新潮で報道されました。音声も出ているのに、当初次官は否定し、二度びっくり。あまりの全否定ぶりに新潮もはめられたのかと危惧しましたが、あれよあれよという間に見苦しい言い訳が出てきて、辞任に至りました。

私もそう感じました。財務省が財務省の見解として反論をした際、音声テープは、あたかもどこかのキャバクラ嬢と前次官との会話であるかのように聞こえる反論会見であった。だから、財務省が10人ぐらいクビを切る事になるのか、新潮社がその社史に終止符を打つ事になるのかと考えたんですね。だって事実関係のシロクロが直ぐにでもつきそうな全面対決構図を一時的にとは言え、財務省がつくってしまったから。しかし、酷い展開で、2〜3日後には勝手に福田次官の辞任が発表されてしまったのだ。しかも、数日前の反論会見からは角度を変えて、

「セクハラの事実は認めないが、現実問題として騒動になってしまい、このままでは職務遂行に悪影響が出てしまうので辞任します。佐川理財局長ともども退職金はよろしくネ☆」

という辞任劇だったのだ。

数日前の反論会見では、まるで週刊新潮にハメられたかのような反論会見を財務省の意向として発表していたのに、酷い肩透かしだったのだ。しかも、最後の最後までセクハラ発言の事実については認めないという醜態であった。

また、世論の方、これはテレビ的世論というべきか、現行の野党勢力が似非フェミニズムに与している為か、ハリウッド発の#MeToo運動にリンケージされて語られるという、バカ丸出しの展開になってしまったんですね。

再び引用です。

#MeToo運動とは、通常の司法プロセスでは裁きにくかった加害者に対して社会的制裁を与える運動です。つまりその性格からして、人民裁判の要素がある。だから通常の手続を踏み越えてよいという正当性を獲得し、そのことが、罪の重さと裁きの均衡を重視する人たちの懸念を呼んでいます。

対して、私はどちらとも決められないところがあります。進歩のためには、ときにこうした運動は必要。けれども、その後速やかに社会の通常の手続の中で捌けるようにならなければと思うからです


先ず、#MeToo運動には人民裁判の要素がある事を指摘している。これには歯切れの良さを感じますし、ホントは、このテの問題、ホントに男女同権意識が確立しているのであれば女性論客が展開させてくれないと、世論は感情的になってしまっているので話にならない問題であったと思う。何しろ、先陣を切ったカトリーヌ・ドヌーブらのフランス女優はバッシングに晒され、挙げ句の果てには、謝罪、更には逆ギレまでしていたのがホントであり、日本のテレビや新聞、野党勢力が悉く、盲目的に#MeToo運動の負の要素を語ることなく、絶対善として取り扱っているのか理解に苦しむものであったと思う。

インターネット上では、山口真由さんがアメリカの実情を語られていたと思いますが、実際には、このテのセクハラ問題というのはアメリカをも悩ませている問題であり、恋人同士であった大学生男女が明らかに合意の上に性的交渉をしたと強く推測されるが、女子学生がモルモン教の家系である事から「合意はなかった」と事後に言い出して裁判になっている例なども紹介していましたが、ホントは密室内の男女の機微に係わる事柄だから、軽々に事実を推測する事は難しいし、ましてや、一方の言い分によって刑事罰に処せる制度にすべきである等の言説は、明らかに稚拙に思える。(昨今、稚拙だろうが何だろうが、とにもかくにも「いいね」を獲得してしまえば勝ちになってしまう社会に移行したのかも知れませんけどね。)

更に、三浦瑠璃さんの引用箇所の「私はどちらとも決められないところがあります」は、消極的な意見であるように感じるが、それでいて、至極真っ当な態度なのであろうと思う。「擁護するのか!」や「批判するのか!」という二択論こそが、或る意味では、最も実態から懸け離れた結論を導いてしまう可能性があるのであって。

ただし、そこから先は、三浦さんと私とでは、幾らか温度が異なるのかも。いやいや、基本的には似ているのかな。微々たる差異かも知れない。

その分岐点は「進歩のためには、ときにこうした運動は必要」という部分でしょうか。

過去に、同連載で三浦瑠璃さんが自己分析をして「私はリベラルです」と導いたものを記憶しているのですが、その際にも【進歩】という単語を利用されていたのを記憶している。かなりクリアに三浦さんは自らの立ち位置(ポジション)を分析し、それを説明できているように思う。一見すると保守的言動も目に付くタイプなのですが、三浦さんの場合は【進歩】というキーワードを判断規準にするリベラルであると自称しているし、察するには、それなのでしょう。この辺りは、冷静に捉えると、中島岳志さんが自らを「リベラル保守」と名乗ってみたりしている事、更には、オリバー・ストーン監督が示してみせたアメリカ史の分類に当て嵌めてみても、矛盾しないように思える。

で、私の場合は――と考えたときに、そこに【進歩】という単語をチョイスする事に抵抗を感じるんですね。進歩、進歩というけれど、実際には、どういう方向性に進むことが進歩なのかが分からないよなと感じているから。この辺りに歴史観であるとか文明論的な文脈を重視しているので、進む方向性によっては人々の幸福に寄与しない可能性が明確にあるじゃないかと考える。幸福に寄与しない進歩だったら要らないよね、と。

他方、「進歩のためには、ときにこうした運動は必要」の後半部分は、尤もだと感じる。

現在、日本人は統治機構に対しての不満を多く抱えているにも関わらず、正当な抗議ルートを持っていないんですね。不満を持っていても、それを表明する機会というのがホントにない。

カジノ法案に賛成だろうか?

働き方改革とやらに賛成だろうか?

観光立国を目指してのインバウンド路線に賛成だろうか?

上記の三点などは、安倍晋三という政治家が掲げていた「美しい国」をスローガンにしていた保守イデオロギー路線から逸脱しているどころか、正反対の方向性のようにも感じますかねぇ。つまり、日本の良さを破壊する方向性に進められてしまっている可能性があるのにな――と。

兎に角、選択肢がないし、統治機構に抵抗しようにも現在ともなると、抗議のしようがないんですよね。

5日放送のテレ朝「池上彰のニュースそうだったのか!! 〜2時間スペシャル〜」でも触れられていましたが、労働組合の組織率なども衝撃的なレベルで低下しているが、それでいて労働組合自体も危機感を持っていないという事情が関係している。既に、既成の団体は何かしらの既得権益を形成してしまっているので、自己保身や自己増殖の為に存在している組織であるとか、機構になってしまっているんですよね。現状、誰も労働する者の権益なんてものを真面目に考えてくれてはいないと思う。週休二日制導入以前よりも現在の方が労働時間が増えているというデータも池上さんが紹介していましたが、実は、何ら日本人の幸福に寄与していない方向転換に晒されているように思えてならないんですよね。

また、IT系論者や、さとり世代あたりから人気なのであろう論者になると、「デモでは現実は変えられない」という指摘が出ている。確かに、そうなのだけれども、一つ、提示しておくと、フランス革命にしてもロシア革命にしても、或いは、ベルリンの壁の崩壊劇にしても、実は、民衆パワーが最後の殻を破ったという事は事実だと認識すべきでしょう。ハナから諦めてしまう事で、それを悟性とし、その悟性を誇るような語り口というのは、あんまり感心しない。まぁ、デモをしたところで、何かが動く気配はなく、その通りに見えるものだけれども。

で、日本の現状の話に戻りますが、絶望的に抗議のしようがない。デモがダメなら、選挙によって世の中を変えればいいという風になるのでしょうけど、選挙をやっても変わる気配がないんですね。安倍一強体制にしても、他に受け皿がないからそうなってしまっているとも言えてしまう。

これも「政党政治が正しいのです」と言って、二大政党制(小選挙区制)を施行されてしまった事と関係している。政党政治というのだけれども、政党は支持団体と癒着する性質を自ずから持っている。アメリカ共和党とライフル協会の例が分かり易いのかも知れませんが、そうした構図は日本にもあって、総じて経団連などは自由民主党贔屓だろうし、保守的な農村部などは自民党が実際には裏切っているにも関わらず、伝統的に自民党支持がある。

都市部の根なし草層が一時的なムーブメントで投票行動を変える事は有り得ても、実は、革新・野党勢力の方もガチガチに支持層や支持団体が凝り固まっているので、既に投票行動によって何かを変革する事も難しくなっていますよね。また、一方で、実は自民党の政策そのものが、かつての野党寄りの政策を採るようになっているから、新しい何かというものが生まれてこない。誕生する若手政治家は政党の公認なり推薦を受けたなんたらチルドレンとか、なんたらガールズとか、そんなのばっかりになってしまっている。ダイナミズムそのものが失われている。

正規の抗議活動でも社会変革は期待できず、選挙でも社会変革は期待できない。そうなのであれば、民衆の言論上の暴動は許容されるべきなのではないかとなる。そこで、初めて#MeToo運動のようなものが浮上してきますが、それは人民裁判的な内容を内包している可能性がある。それも許されるという風になってしまうと、結局は血盟団事件であるとか、或る種のテロまでもを肯定する事にもなりかねないというジレンマに陥ってしまう。

或る程度のレベルで、健在な野党というものが生まれない限り、この政治的な閉塞状況は打破できない気がしますかねぇ。なんでもかんでも女性の権利問題に擦り返てしまうタイプの既存の、その支持母体からの支持だけで議席数を維持しているタイプの野党は、脱皮すべきなんじゃないのって思う。

NHKの聴取料の問題や、年金を含めた社会保障費の増大もそうなのですが、既に一般的な民間人というのは抵抗する手段も持たぬまま、権力機構の意のままに働かされる奴婢のような存在になりつつあるって事だと思うけどなぁ。

ussyassya at 12:00│Comments(10)世相・社会 

この記事へのコメント

1. Posted by rakitarou   2018年05月11日 18:16
決められない政治

小選挙区制度、二大政党制が必要とされたのは「決められない政治」を防ぎ、数の力で国論を二分するような議案も決めてしまえるように、ということだと思います。でも国論を二分するような内容の政治的決議をあえて決めてしまう必要は本当にあるのか、については議論されませんよね。私は必要ないのではと思います。

中選挙区の時代、自民党が主張が違う派閥で別れている時代でも、与野党共に賛成多数で決まった福祉関係などの議案は数限りなくあります。別れるのは増税と国防関係の事案くらいだと思います。デモをやっても変わらないなどという事はなくて、市政のレベルだと署名活動と市議に掛け合うことで実現できる日常的議案はいくらでもあります。実際私は家の近傍の道路や信号、交番設置などについて運動して実現させた経験もあります。

政治への無関心をいざなうような風潮というのは実は為政者がやりやすい環境を作るためにマスコミをあおって意図的に操作している部分もあるのではないか、とやや勘ぐっています。
2. Posted by ドテチン   2018年05月11日 18:46
貧困で女子高生が売春しているという主張の仁藤夢乃さんがいて
彼女からいじめられていた人間がツイッターで暴露したら、かなり強権的な感じで黙らしたんですよね
被害者が声を上げやすいようにと彼女、ミートゥー運動に積極的だったのにあんななんですよね
個人的にフェミニズムは大事だと思いますよ
3. Posted by メロンぱんち   2018年05月11日 23:24
rakitarouさん>
「ベルリンの壁崩壊」もコマ切れに眺めると最初はハンガリーで鉄条網を切断して、自由にピクニックをしようというピクニック運動なる小さなイベントが行われたところ、東ドイツ住民がピクニックに参加し、そのままハンガリー経由で西ドイツに入ったという小さな騒動があったのだそうです。その僅か三ヵ月後にベルリンの壁が崩壊するなんて、誰も予想していなかったというんですね。それを可能にしてしまったのは民衆パワーだったそうです。ハンガリーの国境警備兵にしても、東ベルリンの国境警備兵にしても、そこで武力を使用するワケにはいかなくなってしまったという。

そういう民衆の持つダイナミズムが確かに歴史を動かしていたと考えることが出来ると思うのですが、今の日本に期待できるだろうかと考えると、やはり、今の日本はそうした回路そのものが見つけにくくなってしまっているように感じるんですよね。
4. Posted by メロンぱんち   2018年05月11日 23:43
ドテチンさん>
政治的な発言をしたり、活動家となったり、或いは特定の方向性を持つ組織を立ち上げたりすると、結局は狎錣い望〕するの為のイデオロギー瓩發靴は自己生存する為のイデオロギーに陥りやすいという事だと思うんですよね。

男女平等社会の実現は好ましいテーマだと思うのですが、情緒的な次元の言い争いに持ち込んでしまうので、結局、分断や失望だけが残るというパターンの繰り返しになってしまっている気がしています。
5. Posted by スナフキン   2018年05月13日 07:37
ある元国会議員の発言では、女性議員の二人に一人は、セクハラ被害に有ってると発言しています、当のmetoo運動?プラカード行進してる議員達の中から、告発者が出てこないのは何故か?この辺でしょう?煽るだけ煽って当事者にはなりたくない議員達、果たして問題解決能力あるのか?いや本質すらわかってんのか?
6. Posted by メロンぱんち   2018年05月14日 02:00
スナフキンさん>
主導権を握る為の作戦として女性議員らが爛札ハラ瓩鰺僂い討い襪里世箸靴燭蕁男女平等を後退させてしまうのではないかという気さえしてしまいますよね。勿論、セクハラは無い社会が理想であるに決まっていますが、申告者の主観に基づいての認識から成っている問題だから、どこか冷静さも持ってくれていないと難しいですよね。
7. Posted by ムーミンパパ   2018年05月14日 06:50
結局#Metooも倒閣政局の道具に使われてるだけでしょ。胡散臭いというかアカまみれになってるとしか見えないんだけど。
8. Posted by メロンぱんち   2018年05月14日 13:50
ムーミンパパさん>
道具にされてしまっているという事が、これまた男女平等の基本的な部分を複雑化してしまっている気もしますよね。
9. Posted by 9時   2018年05月24日 21:25
デモは悪くは無いとは思いますが、デモを行っている側には問題があるかなとは思いますね。議員や著名人が絡んでいるものだと特に。

なんと言いますか、「主張を伝えたい」というより「目立ちたい!」「テレビに映って嬉しい。」という気持ちが強く出ている気がするんですよね。

ですから、テレビ映りありきを止めれば、風向きが変わる気がします。


10. Posted by メロンぱんち   2018年05月24日 23:28
9時さん>
どうもドイツなどは伝統的に労組が強いらしいですし、フランスも自由を掲げてのデモは今年も起こっているらしいのですが、日本の場合はホントにぞろぞろと民衆が集まってくる感じの集会って既に無くなってしまっている気がするんですよね。

実際、池上彰さんの解説などでも気づいてしまったのですが、労組の組織率は70年代や80年代と比較すると半分以下に低下しているそうです。しかし、肝心の労組自体が既得権益化してしまっていて、

「今の組織率で満足している」

というのが実体らしいんですよねぇ。それだと、ごくごくフツウの日本の有権者というのは。。。。

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