2018年06月14日

平等と社会主義

5年ほど前に【仏教マルキシズム】なる用語に触れた事がありました。これは上座部(小乗)仏教が伝播した東南アジアで仏教とマルクス主義とが融合するといった話だそうで、そのときにも意外と感じたんですね。イメージとしては上座部仏教とは純粋に解脱を目指すものですが、大乗仏教の対置とする場合、やはり、それは大衆をそれに積極的に導こうとしないという意味では「大乗⇔小乗」の構図は覆らないのであろうと考えている。なので、どちらかといえば、大乗仏教の方こそが、社会主義的な理念に近そうなのなぁ…と感じたので、それを牋娚悪瓩抜兇犬燭里任靴拭

しかし、そんな事を考えるのは私だけではないような気もしますが、一先ず、内山愚童が、やはり、そんな事を主張していたらしい。

内山愚童(生年1874〜1911年)は曹洞宗の僧侶であり、箱根にある林泉寺の住職であったが、社会主義者に共鳴し、最終的には、いわゆる大逆事件に連座して処刑された人物である。「何故、曹洞宗の僧侶が?」となるワケですが、内山愚童は「仏教の平等主義は社会主義思想と一致する」という考え方をしていたという。とはいっても「マルクス主義」ではなく、「無政府共産」を掲げていたから系統としてはアナーキズムの系統の社会主義思想ですね。

「余は仏教の伝道者にして曰く一切衆生悉有仏性、曰く此法平等無高下、曰く一切衆生是吾子。これが余の信仰の立脚地とする金言なるが、余は社会主義の言う所と右の金言と全然一致するを発見して遂に社会主義の信者となりし者なり」

念の為、触れておくと牘Ν瓩箸いΔ里蓮⊇捗颪文章の牘Ν瓩任△襪ら、横書きだと上記のような意味。社会主義思想と、仏教の伝道者が云う金言は全く一致するじゃないかと述べている。一切衆生は悉く仏性を有しており、この仏の法は平等であり高いも低いもなく、すべてこれ、吾子のようなものであるというのは、西洋発のいわゆる社会主義思想と一致しているワケではないのでしょうけど、平等を重視し、民衆一般を重んじているという意味では、大乗仏教と似ている。

その内山愚童は、狎鐐茘瓩遼楴舛砲弔い董⊆,里茲Δ棒發い討い燭箸いΑ

「諸君はひさしき迷信の為に国にグンタイがなければ民百姓は生きておられんものと信じておったであろう。ナルホド昔も今もいざ戦争となれば、グンタイのない国はある国に亡ぼされてしまうにきまっておる。けれども之は天子だの政府だのと云う大泥坊があるからなのだ。戦争は政府と政府とのケンカではないか。ツマリ泥坊と泥坊が仲間ゲンカする為に民百姓がなんぎをするのであるから、この政府という泥坊をなくしてしまえば、戦争というものはなくなる」

と、そのように考えていたよう。

ussyassya at 11:56│Comments(0)世迷い言 | 黒色=右+左

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