2019年09月09日

東洋の世界観・宇宙観

◆原人プルシャと盤古神話にみる東洋文明

紀元前1200年頃に編纂されたという「リグ・ヴェーダ」の中にも或る種の宇宙生成論があるという。前田専学著『インド哲学へのいざない』(NHK出版)では、次のように記されている。

天地は創造神ヴィシュヴァ・カルマンが建造したと説いているものや、同じく創造神である祈祷王ブラフマナス・パティが、ちょうど鍛治工のように、ふいごを煽いで現れ、万有の唯一の主宰者となり、天地を確立したとして、いわば生物の出生になぞらえて説明している讃歌もあります。

これらの讃歌の創造観は、キリスト教などに見られるように一神教的であり、神が宇宙の創造者となっています。しかし『リグ・ヴェーダ』の最終期に属すると思われる讃歌には汎神論的な創造観が見られます。


汎神論的な創造観として、挙げられる宇宙創成譚が「原人プルシャ」となる。このプルシャとは、オウム真理教事件では信者らがつけているバッジを「プルシャ」と呼んでいたので、その音を記憶している方も多いのだと思いますが、どうも【プルシャ】の原義は「人、人間」とか「個人の本体、霊魂」、更には「宇宙の精神的原理」を意味しているという。神々が原人を犠牲獣として祭祀を行なった。祭祀を行なうに当たり供えられた溶かしたバターは春になり、火を焚く為の薪は夏になり、供物は秋になったという。そして犠牲獣から集められた酸酪(さんらく/バターの溶液に酸乳を入れたもの)から空の獣、森の獣、村に住む獣が生まれた。その後、神々が犠牲獣を切り刻んだ。切り刻まれた原人プルシャの口はバラモンが生まれ、両腕から王族が生まれ、両腿から庶民が生まれ、両足から隷民が生まれた。

犠牲獣となったプルシャ、その思考機能から月が生まれた。その眼から太陽が生まれた。その口からはインド(帝釈天インドラ)とアグニ(火の神アグニ)が生まれた。そのプルシャの息から風が生まれ、ヘソから空界が、頭から天界が、両足から大地、耳から方角が生まれた。

この具体的な原人プルシャの話は序盤に置いてしまったものの、そんなに大事な話ではない。最後まで目を通せば想像がつくように、カーストを正当化する為に用いられた何かである。それよりも注目すべきなのは、既に世界のはじまりの前に、巨人があり、その巨人を解体したという巨人解体神話そのものにある。

北欧スカンジナビアにはエッダ神話があり、その中のイミル神話では、世界最古の存在としてイミルという巨人が存在していたという。そのイミルは、オージンとフィリとフェーという三柱の兄弟神によって殺され、その屍体は深遠の中に投げ込まれた。イミルの身体は肉は大地となり、骨は山脈となり、髪は樹億となり、頭蓋骨は天空となり、脳髄は雲となり、双眉から人類の住居が現われ、人類はその後に生まれたという。

中国には盤古神話があるという。盤古(ばんこ/パング)という巨人が死んだとき、頭が4つの岳(山)となり、両目は日月となり、脂膏は紅海となり、毛髪は草木となった。

マリアナ諸島にはブンタンという巨人による巨人解体(=宇宙開闢神話)神話があり、ブンタンの姉妹がブンタンの死骸から世界を創ったといい、はてまた、バビロニア神話でもマルドゥク神が、ティアマトという蛇形の女神の死骸から天を創造したという逸話があるという。

さて、日本神話ではどうか? イザナギの左目からアマテラスが、右目からツキヨミが、鼻からスサノオが生まれたというし、インドネシアのハイヌヴェレ神話と日本のオオゲツヒメ神話との共通性などは、過去に触れた通り。

何故か、世界各地に似たような神話が分散している事には気付かれますよね? やはり、一神教と一神教以前の多神教世界を、何やらうかがわせるような配置である。北欧神話と南アジアの神話が似ている。ヴェーダから引いてしまいましたが、ヴェーダの時代には既に南下してきたアーリア人がインダス文明を滅ぼし、アーリア人らがバラモンという階層になる文明を気付いていた。アーリア人に追いやられたのがドラビダ人だとされているので、一般的には、インダス文明はドラビダ人が持っていた文明で、それを吸収した形で「リグ・ヴェーダ」で語られたと思われる。ドラビダ人だと断定すると早計ですが、そのように考えられているの意です。従がってヴェーダ哲学の中にも、この原人プルシャや、とてつもない大巨人の死骸から世界開闢神話が編まれている。

では、古代中国の盤古神話はどうか? これもハッキリとしている。南方の、現在で言うところの中国の湖南省・江西省以南の地域に居住していた非漢民族系の南方民族が持っていた天地開闢神話(世界開闢神話)であったが、後漢時代〜南北時代の頃に漢族が南方に進出し、漢族が吸収していったものであるという。盤古の「盤古」は「盤瓠」となっている場合があり、また、その盤瓠が犬である場合もあるという。この盤瓠神話を有していたのは苗族(ミャオ族)、瑤族(ヤオ族)であったという。

「盤瓠」を犬とする話から枝分かれしたらしい逸話が後漢書南蛮伝で紹介されており、犬戎(けんじゅう)と呼ばれた周代の北西の異民族が、その地に侵入、犬戎の将は「敵将を討った者に姫を与える」と姫を褒美にすえた。その結果、霊犬・盤瓠が敵将の首を取ったので、盤瓠は犬でありながら姫をもらいうけて大いに栄えた。この逸話にヒントを得た滝沢馬琴が「南総里見八犬伝」のモチーフにしたという。

ああ、なるほどなって思う。ハイヌヴェレ神話、倭族論を念頭に置けば、いわゆる倭族は揚子江沿岸に起源を持つという仮説であったから、そちらの神話に似ているのだなという感慨も起こる。転じて、原人プルシャの逸話にしても、巨視的に眺めれば、それは世界開闢神話(天地開闢神話)の典型であり、元々あったものから何かが復元されている、自然の営みが循環しているという多神教的にして汎神論的な哲学から、天地創造(世界創造)が語られている。


◆三皇五帝と神々の戦い

中国に起源を持つ神仙思想は紀元前4世紀頃の山東省の神山信仰に端を発し、不老長寿の霊薬を求めるという非常に個性の強い世界観を有しており、それでいて、かなりの年代に亘って、そのように世界が理解されていたという史実がある。いわゆる仙術を操る仙人・仙女が実在するとした。道教思想に痕跡を根強く残し、また一方では「五行説」とも結び付いている。

中国の周王朝の穆王(ぼくおう)は紀元前10世紀頃の人物であるが、この穆、姓名は姫満といい、史記によれば昭王の子であるという。周王朝の第4代皇帝が昭王でり、第5代皇帝が穆王である。この周王朝は聖帝によって世界を治めるという故事に度々引用されてる聖なる帝、「尭」、「舜」も周王であった。つまり、「聖帝だった犇騰瓩任△辰燭覆蕁帖廚箸「舜であったなら…」と周王朝が収まっていた時代を模範として捉えていたりする。「尭」が初代皇帝であり、次代が「舜」である。

第4代の昭王は史記によれば、王道が衰微し、この昭王が南方に狩りに出かけた際、揚子江上で没したという。また異説として、昭王は昭王を憎んだ者によって煮皮貼りの船に乗せられ溺死させられたともいう。

その昭王の子が穆王であった。穆王は陜西・山西方面で勢力を誇っていた犬戎の征伐を敢行したが、これに失敗する。犬戎は、周王朝を圧迫し続けた民族であるという。従がって、司馬遷の「史記」では「周は穆王の頃から帝の徳が低下した」旨の記述があるという。

しかし、この穆王が、実は神仙思想と大きな関わりを持っている。この第5代周王朝皇帝の穆王は、崑崙にて仙術を操る西王母に遭遇したというのだ。「穆天使伝」は小説であるとされるが、その内容は虚実綯い交ぜの不可解な奇書であり、「西の果てには西王母が住んでいる」という驚くべき思想を育んでゆく。

穆王は西方へ行幸し、そこで錦や組み紐を献上した。すると西王母は素晴らしい璧(たま)や帛(きぬ)を賜った。穆王は西王母を池のほとりでもてなし、互いに詩をつくって交歓するなどして親睦を深め、遂には西王母が住むという西方の霊山、崑崙の丘へとのぼった。そこで、穆王は黄帝(軒轅)の宮に遊び、帝者の宝を玩(もてあそ)び、非常に珍しい宝物や、美しい草木、珍しい鳥、珍しい獣を目に下という。穆王は西の果てにある崑崙が素晴らしいところだったので、帰ること忘れてしまったという。

「西の果てには仙人たちの住む山が在り、そこには西王母が住んでいる。そこには珍しい財宝、見たこともない草木が生い茂り、鳥や獣も何もかもが珍しいものだらけの世界がある」という幻想をつくり出したと考えらえれる訳ですね。或る意味では、虚実綯い交ぜの世界がつくり出され、そのままに時代を歩んだ。いつの頃よりか東の果てには西王母に対応するように東王父の棲む理想の仙郷が東方にあるに違いないという思想を生み出し、そこには不老不死の霊薬があるという世界観をつくり出した。どこに不老不死の霊薬があるのか、それは扶桑の国なのか、蓬莱の島なのかとなる。

水木しげるが高馬三良訳『山海経』の「あとがき」を残していて、案の定、水木しげるは事情に通じており、山海経と日本に言及している。いわゆる伝承ですが、蓬莱山とは富士山であり、始皇帝の命令で徐福が蓬莱を探し、徐福がやってきたのは富士山であったとする説に言及している。根拠らしい根拠はないが、徐福という方士が始皇帝の命令で不老不死の薬を探し求めて東方探索をした事、日本には富士山を霊山とする信仰がある事は知られている。

ここまでであれば、さほど驚きもないのですが、水木しげるは男鹿半島の赤神神社の伝説にまで言及している。不可解な事に、赤神神社には前漢の武帝が西王母と共に「飛車」なる乗り物にのってやってきて、その際の、武帝に仕えていた5人の鬼が、ナマハゲのモデルになったという話にまで言及している。

(空飛ぶ円盤みたいなのがあった話になっちゃう。しかし、そうした虚実綯い交ぜの世界観で、世界が編纂されていたと認識する事が肝要。)

その背後には、やはり、「荘子」の認識論的な哲学が影響している。「小知は大知に及ばず」や「然るものを然りとし、然らざるものを然らずとす」がある。意訳すると「疑う必要性のないものを疑わず、疑うべき必要性のあるものを疑うものであるが、そもそも事前に何を疑う必要性があり、何を疑わないでいいのか分かっている事柄などはないのだ。これは東洋ですね。南方熊楠にしても井上円了にしても「逍遥」という言葉を実際に使用していたと思いますが、つまり、考えを遊ばせる事を肯定する。際限なくネッシーなど存在していないだろうとは考えられるものの、実証したり、断言できない以上は自ずと「ネッシーは存在しない」とも断言できない。ブッダにしても幽霊については「不説」でしょうか。きっと論じる価値はないのだろうけど、論じようがないものは論じないという態度とされる。熊楠の円了も「不思議」や「不可思議」についての論考は、決定的な実証が不可能な場合は不思議や不可思議という事実を事実として肯定する。

荘子では、逍遥遊(しょうようゆう)、自らを蝶や鳥になったつもりで逍遥し遊ぶ。夏に鳴いている蝉は、おそらく秋を知らないであろうし、次の夏を迎えることがない。小さな知恵が大きな知恵を知るには余りあるし、短い寿命のものが長い寿命のものを計り切れないとする。「風」というものには実体が無いが我々は「風」という言葉を知っているから、実体としての「風」も知っている。そこに「道」というものがあるだろうか? 人々が通るから「道」という概念が生まれ、それを「道」と認識される。

「可があると同時に不可があり、不可があると同時に可がある。是による一方で非により、非による一方で是による。だから聖人はそうした(相対的な)考え方によらず、天の光に照らして鑑みる。真の是(斉物の理)によるのだ。」福永光司・興善宏訳『荘子〜内篇』(ちくま学芸文庫)斉物論篇第二から引用。

先に盤古神話は、漢族が元々から持っていた神話ではなかった事に触れました。漢族の場合は、どうであったのかというと、代表的なものは「三皇五帝」という事になりそう。諸説あるものの、代表的なものとして三皇五帝の三皇とは「伏犠」(ふっき/伏羲)、神農(しんのう)、女媧(じょか)として語られている。三皇五帝の五帝は「黄帝」(こうてい)、「顓頊」(せんぎょく)、「帝嚳」(ていこく)「尭」(ぎょう)、「舜」(しゅん)を指している。この三皇五帝によって、文明・国家・民族を説明しようとしたものと言われる。

伏犠は、蛇身人面であり、八卦をつくって、人々に漁労を教えたという。

神農は、人身牛首の炎帝のことであり、人々に農耕を教えたという。主に農耕の神とされるが、農業、医薬、音楽、経済、占筮の祖神であったという。炎帝とは夏王朝の帝とも言われ、火の神であり、夏の神である。諸々の事柄から、実は、この神農が万物の父ではないのかと目される。

女媧は、人面蛇身であり、伏犠の妹もしくは姉とされる。太古、天地が崩壊し、大洪水が発生し、天柱が欠けてしまった。その際、五色の石を練って天空を補修し、大亀の足を切り天を支える四本柱とし、葦の灰を積んで大洪水を収めたという。また、泥中を引き摺った縄で人(人類)を創造したとされる。

また、中国神話には冰夷(ひょうい/馮夷)という水神(黄河の神?)も登場し、こちらは人面竜身。水神河伯が北方系であるのに対して、この冰夷は南方系であり、しばしば女媧と並び称されるという。また、伏犠に火の技術を教えたのは燧人(すいじん)であるという。山海経に拠れば、「冰夷は人面にして双竜に乗る」という。

水木しげるに拠れば、炎帝とは神農であり、神農から8代目が黄帝であるという。

黄帝とは、その号を軒轅(けんえん)といい、炎帝の子孫を破り、蚩尤(しゆう)を倒して天下を統一。この黄帝が漢民族の始祖とされている。黄帝は陜西省の黄帝陵に祀られているといい、養蚕、舟車、文字、音律、医学、算数などを制定したという。蚩尤とは神農の時代に乱を起こし、濃霧(暴風雨)を起こすなどして、黄帝を苦しめた人物であるという。

ここで登場した蚩尤は、斉の国、現在の山東省の神にして戦闘神であったという。容姿は銅頭鉄額にして人身牛蹄。

つまり、陜西省に所縁のある黄帝が、山東省に所縁のある蚩尤らと戦い、黄帝が勝利して漢民族が勃興したという事かも知れない。

この黄帝と蚩尤の戦闘についても山海経「大荒北経」の中に記されている。

蚩尤は兵器を作って黄帝を伐しにかかった。黄帝は南極に棲むという応竜をもって冀州(きしゅう)の野で攻め出て、そこで黄帝と蚩尤の戦いとなった。黄帝軍の応竜が水を蓄えたので、蚩尤は風伯(かぜのかみ)と雨師(あめのかみ)を招き、暴風雨を自在に操った。(濃い霧を発生させた。)黄帝は風伯と雨師の攻撃に対抗する為に天上から自らの娘にして天女の魃(ばつ)を天下した。この魃が天界から下ってくると雨が止んだ。暴風雨、濃霧が止んだので、応竜は蚩尤を殺害した。

山海経「大荒東経」に拠れば、応竜は蚩尤を殺した為に天に復帰することが出来なくなったという。しばしば天下には旱(ひでり)が起こるが、旱のときは応竜の形状を真似ると大雨が降り出すという。

「大荒北経」に戻ると、天下って蚩尤を倒した黄帝の娘にして天女だという魃のその後も実は似通っている。蚩尤を倒した後、魃は天に返ることが出来なくなってしまい、魃の居るところは雨が降らないのだという。勿論、この魃の寓話が旱魃の起源になっているらしい。魃が居ると旱になってしまうので困ると黄帝に言上があり、後に魃は赤水の北に住まわされることになった。しかし、ときどき魃は逃げ出すので各地で旱が起こるという。旱になった際には「神よ、北に帰りなさい」と唱えると効果があるという。そして水路をきれいにし、大溝小溝をよく、さらえという。

「な、な、なんじゃ、こりゃあ!」という世界なのですが、では全てが全て、作り話なのだろうかと考えると、そういうものでもない事が分かる。黄帝のモデルや蚩尤のモデルになる神々の時代は実際に在ったと考えるべきではないのか? 何かを伝承をベースにして、組み立てており、訓話らしいものに仕上げている。また、山海経は儒者には冷遇されたものの、何か太古の記憶がファンタジーにして語り継いだものであるという事に気付かされる。地理や名産物などに触れている事からすれば風土記的な性格だが、神々や妖怪が当たり前のように登場してしまう世界。大雑把には半分はノンフィクションだが半分はフィクションという厄介な代物である。

応竜の記述が少なく南極(勿論、当時の人々の考える南の果ての意)に棲んでいた水を自在に操る強い力を有した何かであるが、それが冀州の野で、黄帝軍として山東省付近の軍神である蚩尤と戦い、蚩尤を滅ぼしたはいいが、その後、蚩尤を殺した事が仇となって、南方へ帰還できなくなったという伝承ではないのか。そして、遂には旱を起こす神格らしいものを獲得し、旱を避けたいのであれば、応竜を祀りなさいという「祝と呪」、つまり、呪術として伝承していたのではないか――と推測できる。「元々の住み家に帰れなくなってしまい、旱をもたらす神になった。もし、旱(ひでり)になるのが嫌なら彼等を懇ろに祀りなさい」といった話の構造が、魃の後日談と、応竜の後日談は酷似している。しかも、ちゃんと水路を掃除しろよ、浚渫(しゅんせつ)しなさいよ、と極めて常識的な文言まで添えられているのだ。或る意味では、国土強靭化計画に血税を投入しながら河川の浚渫を後回しにしたりする国家、或いは水害は怖ろしいがドブ浚いなんてものを軽視する現代人を戒めるような訓話に仕上げられている。

また、これらの価値体系上では黄帝が漢民族の祖となっているという大前提があるが、裏返せば、そうではない各地の諸民族が神々や人々、獣のような妖怪たちが実際に在った事の記憶とも言える。この記述方法は、日本神話と似ている。日本列島の地理的な事を考慮すれば、柳田国男の「南方の道」を筆頭に鳥越健三郎の「倭族論」などが参考になるが、どうしようもなく南方由来の神話や風習を残した何かである。

この山海経にも、倭や朝鮮について記されている。大燕国についての記述もある。デタラメなようで完全なデタラメとは言えないのだ。

水木しげるは怖ろしいなと感じたのは、次の箇所でした。

「日本には牛頭の神に牛頭天王(ごずてんのう)がいる。牛頭天王は水神、風神の性格があり、そして何よりも疫病を支配する神として有名である。」

巷間では、この牛頭天王はインドの祇園精舎の守り神であり、疫病の神とされ、しばしば出雲系の神々、特にスサノオの異名であるように語られている。祇園信仰を掘り下げると、南方アジアにありがちな逸話に辿り着け、起源がインドであるというのであるなら、当然、牛の頭を念頭に置けば、それはミトラ(ミトラス)神との関係性さえ怪しくなってくる。そうであれば黄帝、神農はどうなるのかという問題にも繋がってゆく。

ussyassya at 12:08│Comments(33)謎解き古代史 

この記事へのコメント

1. Posted by 河太郎   2019年09月09日 14:21
おお面白いですっ!(*゚∀゚)=3
一度で全てたべてしまうのは惜しい!
この記事で来週まで、しゃぶっていられる。
なので感想を第一弾。
「巨人の死体が世界になる」ですが、いやーエッダの北欧神話と、インドに共通性があるのは
アーリア人から解るですが、中国にもねぇ。
巨人の死体が世界になるように、先行して滅んだ文明・文化が次の文明の基盤にDNAを残すって事ですか。その次文明の肉となるのが「巨人の死体=先行文明の文化の記憶」て訳で??
言われてみると、死者の日の祭りにメキシコに行くと、単なるカトリック国でない…滅ぼされたアステカだか何だかの文化DNAの残りを感じます。あと面白いのはナマハゲですね。
続く
2. Posted by 河太郎   2019年09月09日 14:39
えー確かに苗族にはナマハゲがあるんだすね。
で、それを知ったのはサンタクロースの起源を求めた書籍にあったんです。
聖ニコライはトルコ人ですし、それがオランダの航海神になり、アメリカでコカ・コーラ社の宣伝で今の形になったと、それは構わない。
問題は橇を引くトナカイさんで、あれ戦斧と大剣を持っ、鹿角を生やす獣人なんですね。
ニコライはお祈りなんかでなく、剣と鎖で彼らを捕縛して、無理やり従者にしている。西遊記の猿豚河童を三蔵が腕力で従えている…思えば良いです。どうも…東方教会の範囲で、トルコと関係あるでないですかロシアは。その原型であるキエフ公国だか何だかはバイキングの王朝ですよね。どーもバイキング王朝が東方教会に帰依してヨーロッパになる。それと、その国の末裔がタタールの軛から独立しますよね。
その二つの「野蛮人の征服・独立」が、東方から来た「ナマハゲ的な妖怪」を、聖人が従え伝承へと変化するらしいんですね。
ロシアに北欧にタタール……何も苗族に関係ない?? そうかなぁ?
トルコ(テュルク)と苗族やチワン族と、日本の共通性て何だか解ります??
「こたつ」ですよ。掘りコタツ!!
あれ、トルコにも雲南にもあるんだよね!!
しかもテュルクは語順が日本語そのもの!
その天舟だって、似たようなの古事記に出てくるでないすか!
それに日本武尊の白鳥伝説すよ。あれアジアの鉄の生産地帯に拡がる神話のパターンでは?
だからナマハゲが北欧にいても良いのでは??
3. Posted by メロンぱんち   2019年09月09日 22:51
河太郎さん>
大巨人の屍から宇宙・世界が生まれたという発想は侮れませんよね。この世の生命の起源は、宇宙ぐらい大きな生命の死滅の事を「大巨人の死」とし、その屍から全てが始まった、と。これって生と死の循環になっているんですよね。

北欧の神話も元々は多神教だったようですし、結構、時間的にも長期間だった事を考慮すると、洪水伝説と似ているような気もしますね。

漢民族成立以前の中国大陸の勢力図を、神や妖怪で分布図にすると面白そうなんですけど、これが難しくて…。商(殷)王朝は北方系の民族で青銅器が有名ですが確か女真族と説明されていた記憶が…。これが夏王朝を滅ぼしている。そして夏を滅ぼした商王朝も周王朝に滅ぼされている。確か正体不明の文明が中国南西部にあったという話があったような…。かなり独創的な色使いの巨大な人面像があったりして…。どうも太古のアジア大陸って思い外、情報が伝播していたんじゃないですかねぇ。数百年の単位、そのスケールで考えると…。
4. Posted by 河太郎   2019年09月10日 00:52
巨人の屍に観ると生死の循環説、お見事です。
感想が何か思いつきません。完璧すぎて。
妖怪分布による漢民族以前の中国勢力図は面白いですね。
確かに怪しいんですよ。
私ら漢方医学を学んだ者には開祖は神農様
(炎帝)です。でもバイブルたる最古の医学書は
黄帝内経です。黄帝てのは炎帝の子孫を滅ぼした神ですわね。善戦したのがシユウですね。
これで三皇の時代から五帝の時代に入ります。
どうもプレ文明の遺産を受け継ぎながら、後からの文明が、前文明の痕跡を消した悪意を感じるのですね。だって黄帝て医神でないもの。
なんで本草学や調理法を人類に与えた神農の名でなく、黄帝の撫で上げ最古の医学書がある?
続く
5. Posted by 河太郎   2019年09月10日 01:15
それで気になるのが明代に書かれた奇書の
「封神演義」なんですよ。トロイを巡る人類と神々の仁義なき戦いを、まんま殷周易姓革命に移したようなSFですが。
これほとんどSF兵器を持った仙人が、殷と周の争いに介入して殺しあう少年ジャンプ的なバトルものなんですが。

天界・仙界・下界(人界)があって、天は良いのですが、「仙人らしからぬ仙人」や「人間離れした人間」が増えて目障りである。ついては新たに「神界」を創設し、目障りな奴等を強制移住させよう!て話なんです。
その為には目障りな奴等を神に封じる必要があり、一度、殺さねばならない。
で、ビーム兵器や誘導弾や化学兵器を用いて仙人同士が殺しあうと。しかし天界に近いところでやると天帝が怒る。
で、殷周の易姓革命を利用して、目障りな仙人や超人を神にして(殺して)しまえ!と。
つまりは仙界の内紛なんですね。その内紛が
人類vs非人類(妖怪)なんです。
仙人は仙骨を持った人が修行して成るものなのですが、自然界には別経由の仙人がいる。
石や樹や獣が気を浴びる場にいて、数百年とか気を浴びる事で、神通力を持った仙になる!
人類出身が、そうではない仙人をクーデターで消そうとするのが封神演義なんです。
その場が周へと変わる革命であるのが示唆的。
儒は孔子いらい周を以て「正当な中華の起源」としてきました。ほれ故に文字記録から消された、商やそれ以前の文明があったかも知れない。現に漢方薬の龍骨から亀甲文字が発見さるるまで、殷墟の発掘まで商王朝は「神話」に過ぎなかったでしょう??
封神演義てのは、実はそういう妖怪として抹殺されて(正当思想である儒教から)いった、別系統の文化文明があった事の比喩として書かれたのではないか?とね。
人類出自の仙人を儒教側。神に封じられる非人類の仙人をプレ中華文明と考えれば……?
そういや周の文王の軍師として、商朝の紂王を倒す太公望は羌族でしたね。

6. Posted by スナフキン   2019年09月10日 01:17
>>4
訂正・撫で上げ→名で
7. Posted by 河太郎   2019年09月10日 01:23
>>5
訂正・亀甲文字→甲骨文字
8. Posted by メロンぱんち   2019年09月10日 09:33
河太郎さん>
使用する言葉は異なるかも知れませんが、天界、仙界、下界という区分のようなもの、日本でも行われていた気がしますね。新撰姓氏録などって、神別と皇別と諸藩に分類されているのですが、神と皇を分けている事に気付かされる。

何故かというと仙人は神にもなれて皇でもある事が許されていたからではないのか? 天皇の崩御をカムアガリ(神あがり)等と表現している場合もある。つまり、死んだらハレて神アガリできる。天皇制は、天皇大帝はじめ結構、道教思想で読み解けてしまうんですよね。儒教的な要素ばかりを強調した国家神道的な価値観が、本来的な日本の神仙思想を隠してしまっているのではないでしょうか。



9. Posted by メロンぱんち   2019年09月10日 09:40
現在も検証中ですが、皇極・斉明天皇の名称って淮南子とか書経とかにある単語ですね。また、この皇極・斉明天皇は吉野詣でを繰り返している。所縁のある遺跡には亀が須弥山(崑崙)を背負っている像に似せた、スッポンらしき石像がある。斉明天皇は粛慎も含めて外来人を饗応している記録がある。

実は挙げればキリがないほど証拠だらけですね…。ホントは、日本神話の中の登場人物の多くは、神仙思想と深く関係していそうなんですけどね。
10. Posted by 河太郎   2019年09月10日 14:33
面白いですねぇ。Wikipediaでググるたら、
神別と皇別は神武以前(神代)か後か。
それで天神に藤原が入ってる。え?
それずっと後の氏名ではないの?
天孫に尾張と出雲と。いや違うだろ?
だって天孫降臨から三代まででしょ天孫は。
出雲って銅鐸の数とか観ても、天孫降臨以前に日本列島に来ていた系譜では??
たしかに大国主はスサノオの娘婿だか何だかだったけど。
諸藩がまた良く解らない!
地祇(国津神)と渡来人の系譜ですね。なら、なんで隼人系統が神別の天孫に入ってる??
んーつまりぃ、メロンばんち様が正しい!と。
これ歴史学的にきちんと815年の文官が調べて訳ではなく……分類法に後から「当てはめた」のだろうなと。つまり分別が目的で、真実追及の記録ではないと。
道教理論の色が濃い(陰陽五行の)鍼灸などやりましてるから、中国文化が「カテゴリーが先行して後から当て嵌め分類する」のが解るてる。
こういう症状にこういう治療したら効いた(経験則)だから……てのが中医学ですから。
さして道教の成立は三国志の序盤の大平道と五斗米道の蜂起(185年。卑弥呼が政権を立てた時)が最初です。時間的に古代日本に影響するには充分なタイムラグがある。
天皇を皇と神を行き来できる者として大前提を立てる。そして道教を利用して(理論武装して)
分類した可能性は高そうですね。
なぜ道教なのか?
これ帝が姓を持たないという(易姓革命否定)と
関係あるよあな気がするです。
11. Posted by 河太郎   2019年09月10日 14:37
隼人の話なんだすが。いや神武以後の皇別に分類されるなら解るのですよ。
和将棋よろしく神武東征は、制圧した異民族を軍団に取り込んで進んだみたいですから。
神武を助けた異民族は縄文系にいたでしょう。
宗像など海民がいなけりゃ当時の瀬戸内海を渡れませんから。
と転がし隼人系列が神別つまり神武以前の神代の天孫に分類されると言う。
これは道教を利用して、結論ありきで分類した事の表れではないですかね??
12. Posted by 河太郎   2019年09月10日 14:48
>>10
あー道教な理由ですが。
どーも神道と仏教の争いが出てくるから、そっちで見ますけど。
三国志を読み返していて、実は仏教てのは南北朝で北魏が重用するまでマイナーなのですね。
魏王の曹操が保護するまで、ほとんど西域の方面でしか知られていない。
仏教以前に日本へ伝わり、ヤマト王権のヒエラルキーに影響を与えた可能性はありますね。
13. Posted by 河太郎   2019年09月10日 14:50
>>11
訂正・神武以後の皇別
→神武以後の諸藩
14. Posted by メロンぱんち   2019年09月10日 21:20
河太郎さん>
新撰姓氏録の分類、有力氏族の申請したものを、あのようにカテゴライズしているという事は、裏返せば、それ以前は各地に有力者が展開していて中には下剋上のようなものもあって、儒教的な価値観の中に納まるように調整したのだろうなって考えていたんですが、これについては中国史も一緒だなぁ…と。

夏を商殷が倒して…のクダリの時点で、どうも家臣による主君の追い落としなのですが、必死に「我々が主君を討つのは天命なのだかあ許されるのである」と説得したという風に語り継がれている。すべての儒学的な御手本が、書経などの古典にありますね。

で、最終的には華北が中華となり、漢民族という概念をつくる。それ以前にあった各地の有力氏族の事はあんまり触れたくないので、神や妖怪にしてしまうのは都合が良かったのではないでしょうか。

紹介した「応竜」は竜の絵で山海経が示していますが、きっと中国南部の河の民とか海の民、村上水軍みたいな集団の事ではなかったのか等は、推測できてしまいますし。思えば、先住勢力については神として待遇するなり、親族的な待遇にしてしまうなり、そうする事って理に適っていたという事なのかも知れませんね。
15. Posted by 河太郎   2019年09月11日 00:15
もちろん続編も読んでます(*゚∀゚)=3
正直、兄ぃはどんだけ博覧強記なんだっ!
ヤタガラスの事とか興奮興奮!!
でも俺の知識では、ゆっくり対応させて欲しいです。つまり過去記事を読み直して、色々と勉強したい。つまり「しつこく投稿」しますよ。

んで……先ずは「巨人の屍から世界が産まれた」なんです。話を戻すと。
洪水伝説なんざ、人類が定住を果たせるのは、
気候が安定したBC9c〜BC8cからの事ですと。
なので世界中に「洪水伝説」があるのは、「氷河湖の決壊」という「世界的な流行」があって、同時多発的に洪水していた……てのを前に書きました。
けどさぁ……それじゃ、世界的に「巨人の屍」神話があるのは何故さ??
私の弁では説明できません!
メロンぱんち説による「そうとうな伝搬が古代にあった」としか思えません!
んで、私が睨んでいるのは黒海とズンダランドなんですね。続く
16. Posted by 河太郎   2019年09月11日 00:22
>>15
んー素人考えなんですけど。農耕が始まったのはやっぱりオリエントと思う。黒海周辺ですね。地質学的に氷河期は地中海と繋がっていなかったらしいんですよ。
そこに最初期の農耕文明があったのでは?
と潜水艦で地質調査した地球物理学者が言うています。アトランチス宜しく沈んでいるんだろ?と。
んで、この付近はキンメリア人とか、最古の遊牧民族の発生の地でもある。それが、
ウラル・アルタイ語族説を産んでません?
遊牧民がどう発生したのか?ですが、
続く

17. Posted by スナフキン   2019年09月11日 00:41
続き1
基本的に遊牧民は「二次文明」なのすね。
もともと牧畜って、人が農耕するでないすか。
人が食って美味い😋作物は草食獣にも美味い
…つまりっすねー、人が粗放農業でも始めた時に、寄ってきた獣を捕獲したのが牧畜の資源と言われています。
でも農耕は「水利」に左右される!
最初に農耕を始めた人々が、有利な土地を得る
…後発の人は農耕民の周囲で、蛋白質と皮革と、強い接着剤(獣資源)を得られる「牧畜」へと向かい、それが遊牧の民と農耕民を分けた。
んで、問題となる地域なんですが、黒海周辺からシベリアや中央アジアにかけての地域っすね??
それどうよ?
黒海の海底に一次文明があったとすると分離を説得できません?
「剣」という武器はそもそも遊牧民から中国へ伝わった説がある。高温で燃焼させるには「ふいご」が必要です。ふいごには皮革が必要!
ヒッタイトも遊牧系では?
それらは海底で発掘を拒む、黒海の「一次文明=農耕」から始まるたと。
つまり「黒海の底の人類のアトランチス」が、
「巨人の屍になった」とすれば……
農耕だろうと遊牧だろうと、そもそもは同じ文明…失われた巨人の屍から始まるたと。
かなり強引ですが、このような何かがないと
巨人の屍から世界が生まれる神話は産まれないのでは?
あー、黒海で終えてしまった。もう一つの妄想がタイ国の沿海にある「ズンダランド」だと思うのですが、すんません今日は農作業と嫁にこきつかわれ(もう尻にひかれてます😢。でも幸せです(笑))疲れているので次にします。
18. Posted by スナフキン   2019年09月11日 00:47
>>17
こういう話をしていると時事ネタの兄貴の鋭さを愛する読者は「いいい加減にしろ。
そんなの何の屋久に経つのか?」
クレームすると思うのですね。
でも…さ。
「思想」の背後にある源って、
「我々は何処から来たのか?
何処へ行くのか?」ではありません??
そりゃ、他読者はアレだろうけどさ。
こういう話も大事では。
今さらながら、「たぬ」氏を排斥した事を悔いています。あいつは糞野郎だが、古代歴史は詳しかった。学ぶ事もあった。
後悔は先に立たず。
19. Posted by 河太郎   2019年09月11日 01:12
>>18
しかし良いのかな😥
話が一向に「宇宙観」へとテイクオフしない!
これで良いのだろうか?
話が美味し過ぎる!
20. Posted by メロンぱんち   2019年09月11日 01:39
河太郎さん>
ヒッタイトは私も過去にチャレンジした記憶があるのですが何だか組み立てようがなかったんですよねぇ。突如として現れてしまった何かで…。やはり、黒海や、あの周辺で技術革新が起こって。

巨人解体神話は、宇宙は有から始まったか無から始まったかという論争で、最初から有だとするので理に適っているんですよね。無から有は生じない。巨人が死んで、その鼻汁から宇宙が生じたといった言い回しがヒンズー教などに残っているそうです。最初から、生命の営みが始まってもOKになっている。宇宙の何処からアミノ酸が地球に飛来して、それが生命の起源になった的な説明と同じ効果がある。

メラネシアあたりの痕跡から精霊信仰(アミニズム)が起こったらしいので南アジアの太古は意外な形の文明だったような気がしますね。確か中国でも南西の方で物凄い奇抜な遺跡とかってありましたよね…。どこかで繋がって神話や技術が入り交じっていて、意外と、その期間が数百年とか千数百年あったのかも。
21. Posted by 河太郎   2019年09月11日 02:22
>>20
宇宙から生命の起源が来た説も、過去にコメントさせて頂きましたね。
ただ記号思うのですが。
宇宙から来ても良いのですが、その宇宙の彼方で「生命の起源がどう生じた」かは、
説得できないと思うのです。
空間的に離しただけで根本は解決しない。
結局、「無から有か」「有から有か」の議論は終わらないと思うのです。
私はそもそも「宇宙は最初からあった」派でして。それが物理学的に正しいかは?ですが、やはり元はあると思う。
じゃあ元は何処から来たのか?
宇宙(空間と時間)がグルグルと回転している環と考えれば納得ゆくが、それが物理学的にどうなのかは解らない。
22. Posted by メロンぱんち   2019年09月11日 09:31
河太郎さん>
根源的なものの発生について語った事にはならない話なのですが、前コメで「グルグルと回転している環」という御指摘がありましたが、どうも、それを太古の東洋哲学は説いていたようなんです。

黄河の水が東の方へ、上流から下流へと流れてゆくのですが、下流へ流れていった水は説明もないままに、また西の上流から流れてくるという「循環」で山海経の世界ができている。論理的な説明は不可能であるが、そういう循環であろうことは推測していたようなんですよね。

確か、原人プルシャは、どこその星までわずか数歩で歩いてしまうような、大大大巨人であったという話もあったような記憶があります。
23. Posted by 河太郎   2019年09月11日 12:13
その古代の世界観は実は合理的かも知れません。海の見える場所に農作業してますから、
雲が沸いて雨を降らして、川になり海へ……みたいな「循環」を感じるのですが。
これが砂漠なら、「仕組みは解らないが、そうなっているのだ!」とやるしかない(笑)
でも、それは循環という自然の摂理に合致していますね。現実の自然界が循環している以上、
仕組みはブラックボックスなままで、世界の全体像を観ていた。それは未熟ではないと思います。
24. Posted by メロンぱんち   2019年09月11日 12:29
河太郎さん>

♪川は流れて何処どこ行くの〜

と考えて上流から下流へ、きっと大海へ流れているのだろうとは考えると思うんですが、河の水が上流から下流へ流れて、きっとまた何かの理由で上流へ戻って下流へと流れているのだろうと考える発想が、怖ろしさを秘めた発想ですよね。

実際、水蒸気うんぬんという説明しないものの、雨については理解していたのでしょうし、循環している事を見い出すあたり、侮れませんよね。



25. Posted by 河太郎   2019年09月11日 17:22
>>24
ははぁ……メロンぱんち様が、我にとり「何なのか?」が解るたぞ。今のコメントで。
歴史に犯罪に幽霊から哲学に思想に現代社会……コリン・ウィルソンなんだ私には。
「アウトサイダー」を読んだ時にぶっとんだものなぁ。
土管に寝ながら大英博物館の図書室に通い書いたという武勇伝も好き。彼の右脳論とか現代の先端科学からするとアレなんだろうけども、細部からではなく、あらゆる知識を総動員して世界の全体像を観るような……そういう知性て見かけませんね最近は。癖は強いが佐藤優さんとかか……。
26. Posted by メロンぱんち   2019年09月12日 09:31
河太郎さん>
一見すると無駄なような話が、次から次へと繋がっていくという次元がありますね。河太郎さんは既に経験を積まれていると思いますが。

河伯→黄河の水の神。神仙思想は崑崙山や蓬莱山といった具合に「山」を世界とし、同時に河(水)を欠かせないものとする。なので、この神仙思想から生じた神は山と河とを行き来するのだそうです。この話が河童伝説に変化していくんですね。

頭の皿の上の水が切れては生きていけないという。亀のような甲羅を背負い、鳥のような嘴を持ち…といった出で立ちもホントは神仙思想から派生した五行思想が生み出した妖怪ではないのかという説があるそうです。
27. Posted by 河太郎   2019年09月12日 22:12
妻が農場の女子会に出掛けたので鬼のいぬ間に投稿を(笑)
メロンぱんち様のコメントから、日本の神話や
神道が道教、黄老思想の影響を受けたと解る。
さて、そりやぁ何故なのだろうね?と。
三国志から考えると、それは「儒教の混乱」にあったのでは?と。
黄巾乱が184年。卑弥呼の政権成立が240年頃として……そこから考えてみる。

後漢は儒教帝国なのですね。それはおそらく、
光武帝が豪族を支持基盤とする「寄り合い政権」であった事に発する。
頼朝みたく強力な独裁政権ではない。その為に各地の豪族を地方官僚に飲み込みながら政権の運営を始めたと。それはヤマト王権の成立時期と似てないかな?と。
儒教の基本は人間関係の数値化(上の言う事はきかねばならぬ)により、社会秩序を安定させる事にあります。
これは公子が春秋の戦乱の思想家で、骨肉相い食む社会混乱(相続争い)を忌避した「乱世の思想家」であった事に由来すると思われます。

さて魏史倭人伝当時・以後の中国を考えると、
その儒学が割れた社会と思うのですね。
覇者である曹操は法家出身の酷吏を重用している。もちろん儒の文官が多いですが、それは当時の知識人が儒学が中心だから仕方ない。
だけれど……続く

28. Posted by 河太郎   2019年09月12日 22:36
>>27
未だ科挙制度がなく、孝鎌を人材登用の規範としていた後漢の元武官にしては、覇者たなった彼のリクルートは異常なのです。
「才能重視」で人格(あくまで儒教原理に基づいたそれですが)は無視する!
これは有力宦官の孫である彼だから?なやり方です。
当時も学閥というものがあり、その学問で名声を得た者が官僚に登用されていた。
学問を学ぶのは「名士」であり、名士は各地の富裕な豪族を背景にする。
いわゆる士太夫ですね。
これは流浪の傭兵隊長であった劉備や、豪族連合のドンであった孫権を観ても解る。
一見、戦乱の時代に読者人(知識人)は無力そうなものですが、そうではない。
戦争やる為には、多大な軍費が必要で、総人口が1/10 まで激減する時代にあって、
離農し流浪する農民を帰農させて、税収を得なければならない。それには関羽・張飛・趙雲みたいな有能な前線指揮官ではムリなんですよ。彼らは戦は強くても、民政や国家戦略の構築には無能です。
で、儒を中核にした知識人を必要とするのですが、その知識人は各地の豪族とツーカーの仲で、士太夫は豪族を中心とする勢力であったと。
そもそも黄巾乱が起きたのも、このような階級格差への反乱(農民起義)だったか?
曹操が「個人の才」を重視して、人格(儒の孝)を軽んじたのは、儒教国家である後漢に対して、「別な物差し📏」を与える為で、
それは儒教に対する思想闘争であったと私は思うのです。問題は当時の中国は、儒教国家であった事です。続く。

29. Posted by 河太郎   2019年09月12日 22:49
>>28
その儒は士太夫層として、各地の豪族とは切り離せない関係であった。
ほれは無一文の(漢朝の帝の子孫である他に旗のない)劉備を観ると解る。
徐州を牧に禅譲されながら、みすみす
呂布に奪われるのは、徐州の豪族を従える事がムシロ売りの彼には難しかったからで、呂布にヘイヘイと譲ったのはそこかと。
これは戦乱の時に、儒教知識人が割れたから…とも思うのです。
曹操が実力主義でゆく。
劉備は漢朝の再興でゆく。
これは実は当時の儒教知識層が戦乱で
「割れた」故の、改革派と復興派の思想闘争であると思うのですよ。
その時に沸いたのが黄老思想を仲立ちとする道教ですね。そういう事を蛮地であっても、邪馬台国とかの日本の御先祖は理解していたと思うのです。
中国の中心思想が割れたよ!と。
続く
30. Posted by 河太郎   2019年09月12日 23:23
>>29
つまり最初に「世界史」に日本が(卑弥呼により)登場した時は、中国と半島は思想闘争の最中にあった事です。
曹操的な法家思想的な現実主義と、
劉備の漢朝復興的な儒教論理。
その対決が腕力とは別に戦われていた

その後、中国は西晋の下で、再び儒教重視国家になる。
だが統一は20年たらずだった!
以後270年だか370年だか、中国は
授業倫理の南朝と「そうではない北方民族系の北朝」に別れる。
河北から中原を征した北魏(北朝)は、
江南の南朝に対して「別な」思想基盤を立てざる得なかった。
そこにハマるたのが「仏教」と思う。
仏教は曹操の庇護の元に、しずしずと中国に浸透を始める。それを利用する。
それを冷静に観察していたのが、邪馬台国からヤマト王権までの祖国の為政者であった。続く
31. Posted by 河太郎   2019年09月12日 23:45
>>30
儒であれタオであれ、それは個人と社会の間の盟約を結ぶ思想では?
それが対立していた!
でも、このような本国での思想対立が、大陸では漢末から隋唐の統一まで
約400年に続くのですね。
それを辺境でも我が祖国の先祖が看過している程に無能であったとは思えないのです。
彼らは分断する儒ではなく、民衆に受け入れられている道教を、自国の神話の構築に用いた。
では、日本の神道が道教に影響されながら、道教国にならず、仏教が伝来したのは何故か?
それは地理的な要因なのでは?
重ねて言うが、半島や倭では、知識をから見れ「北」勢力に近い!
北朝は江南とは違う!
江南の南朝に対して北朝は、漢族の中心思想である儒教や、民間宗教である道教に対して「別な思想原理」を持たざる得なかった。だから西域渡来の「仏教」なのですね。
北の文化圏に属する半島はこれに染まる。半島からの文明輸入を必要とした日本は、結果として染まる。
つまり、中国の分裂内乱で儒も分裂する。なので道教。
その後に仏教が北朝で有利になると、地政学的に近い半島から仏教が「さらなる新思想」として伝来した。
そこで道教的な思想は駆逐された?
日本が儒教国にならず、かといって道教国にならなかったのは、三国志の時代の儒的な価値観の混乱。そして後のアンチ儒教としての北朝の仏教優遇が、日本の為政者に分析されていたからと思うのですね。終わり!
32. Posted by 河太郎   2019年09月13日 00:01
思想を現代社会は軽んじてみる。
だが、人が生きてゆくには何らか精神が必要で、思想は軽んじるべきではない。
それを三国志から魏晋南北朝と我が国の関係にといて感じる。
西部の爺の自裁に対する祖国の冷淡さを観ていて感じる。あまり思想をバカにすると、何度でもオウムのような勢力は現れるぞ!!
33. Posted by メロンぱんち   2019年09月13日 00:02
河太郎さん>
興味深い論考ですね。密度もたっぷりですし。

改めて「道教」や「陰陽道」の本を引っ張り出していたのですが、儒教と道教の線引きは難しいだろうという見解が為されています。はっきりしてないんですよね、境界線のようなものも。三国時代を挙げていただきましたが、ホントに、あの張魯の五斗米道が宗教的な道教の成立に大きく関係しているそうですが、老子や荘子は儒教にも組み込まれてしまっているそうです。他方、道教の方では孟子も韓非子も墨子も教典に取り入れているそうです。

日本の場合は神道と言いたいところですが、おそらく神道は道教の分派か兄弟のような位置付けでいいのだと思います。成立過程として、隋唐時代の中国が道教を重んじていたので、日本にも甚大な影響があった筈なのですが、独立過程で陰陽五行説を取り入れながら神道という形になったという所ではないかと考えています。

しかし、更に古い時代というのを考えてしまいました。西王母の時代の神仙思想って山の信仰らしいんです。その山一帯を聖地とする的な。確かに原始神道でも山の信仰ってあるんですよね。思えば出雲の荒神谷遺跡などからすると青銅器の時代から祭祀の痕跡を残しているから、かなり日本にも太古の時代から何かがあったとハズだと考えないとバランスが悪くなってしまいそうだなぁ…なんて考えています。

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