2019年09月10日

続・東洋の世界観・宇宙観

◆日本神話と神仙思想

山海経「海内北経」から。

蛇巫(だふ)の山の上に人がいて、杯をもって東に向かって立つ。西王母は几(つくえ)にもたれて勝(かみかざり)と杖をのせている。その南に三羽の青い鳥がいて、西王母のために食物をはこぶ。崑崙の虚(おか)の北にあり。人あり、大行伯といい、戈をもつ。その東に犬封国あり、弐負(じふ)の尸(し)は大行伯の東にあり。犬封国は犬戒国ともいい、その状は犬のよう。

西王母が登場している一節という事になります。西王母は机にもたれて「勝」と呼ばれる養蚕をする道具を髪飾りのように頭にのせているという事でしょうか。杖については注釈があり、この箇所に「杖」という記述があるものとないものとがあるという。そして、その西王母の為に食事を運ぶ為に、その南に三羽の青い鳥がいるという。

西王母の居る場所は崑崙であるが、凡そは現在の崑崙と同じものだと考えられるという。その崑崙にいる西王母に食事を運ぶ鳥がいて、その鳥は南に在ったという事か。西王母のある崑崙の北には戈を持つ大行伯という人が在った。その大行伯の東に犬戒国があったという。この犬戒は前節で登場した犬戒であり、実は、周王朝を圧迫した北西方面の異民族と推定できる。

崑崙は、元々は西にあるという西王母の住む地域という意味であったが、現在では崑崙山脈、崑崙のように実際の地名としても使用されている。

山海経「西山経」には西王母についての記述がある。玉山という山に西王母は住んでいる。人の形状をしているが豹の尾と虎の歯を持つという。おどろ髪に宝石(玉)のついた髪飾りを乗せている。天の禍と五種類の刑罰を司る。これが山海経の述べる西王母ですが、西王母は広く信仰されており、様々な姿で語られる事になる。半獣の姿をした絶世の美女であり、不老不死の仙女である。また、この西王母が周王朝の第5代皇帝の穆王に仙郷に生る桃を贈ったとされる事から、前漢第7代の武帝も長寿を祈っていたところ、天上界の西王母がやってきて仙桃七顆を授かったという逸話を残す。

転じて東アジアでは桃仙郷が理想郷と同義になる。また、桃を魔除けの仙果と認識する道教思想が生まれ、これはイザナギ・イザナミ神話にも堂々と登場し、日本神話には道教が影響すると認められている。桃は悪鬼を払う仙果として用いられている。

そればかりか現代日本人たる我々にも馴染みの深い桃太郎、浦島太郎、竹取物語、羽衣伝説あたりにも、どうも道教の影響を受けたと思われる形跡がある事が指摘されている。「桃から産まれた桃太郎」という名前の時点で道教的だし、その御供をしたのは犬、雉、猿であるが、これは十二支の戌、酉、申でパズルが解けてしまう事が指摘されている。浦島太郎は竜宮城へ行って乙姫らの歓待を受けていると時を忘れてしまったというクダリがあるが、そのクダリは穆王が西王母の元を訪れた際に時を忘れてしまった長居をしてしたという記述に似ている。また、浦島伝説は沖縄のニライカナイの話にも通じており「西へ行けば(海の中に)理想郷がある」という部分でも合致する。日本神話、どうしようも御呪い(おまじない)をする文化圏なのだ。

因みに西王母の髪を表現しての「おどろ髪」とは「荊(いばら)や草木が乱れたような髪」の事であるという。スサノオの髪は、どんな髪であったか。

また、西王母は天災と五つの刑罰を司っていたとされる。周王朝時代の五刑、一つ目は「墨」であり、入れ墨を入れる。二つ目は「劓」(ぎ)といい鼻削ぎをする。三つ目は「剕」(ひ)といい足を切断する。四つ目は「宮」で男子は魔羅切を意味し、女子の場合は幽閉を意味する。そして五つ目は「大辟」(たいへき)といい死刑の事である。

西の果てには理想郷があって、そこには仙人が住んでいるらしいという話が、「そうであって欲しい」という願望と交錯しながら、その西王母像が編まれていたと推定できる訳ですね。玉(宝石)があって不老不死の力を持つ仙女が実在する(していて欲しい)、と。

そしてそして、先ほど登場した「三羽の青い鳥」と関係するのかどうか「淮南子」(えなんじ)には西王母の使いとする説があり、太陽の中に棲む三本足の烏、つまり、三足烏が登場するという。三本足のカラス? これは日本の神話でも非常に重要な鳥ですね。しかも、確かに、その三足烏は太陽を運ぶ役割を負っており、日の出、日の入りを司る役割を果たしているという。

さて、東王父は何処かに居たのだろうか? 或いはホントに徐福は日本にやってきたのだろうか?

荒俣宏の『帝都物語』が話題になった頃、徐福は日本に渡って神武天皇となり、倭王となったという説が話題になった事があった。これを荒唐無稽と一刀両断するのが日本人ですが、ホントに一刀両断できるのかという問題がある。水木しげるは富士山に徐福が来訪したという説を挙げていましたが、徐福がやってきたのは熊野ではないのか等という説もある。ただ、徐福が蓬莱島に不老不死の霊薬を探しに行ったというだけで、そこまでの飛躍はどうなのかと考える。しかし、これが厄介な事に京都の吉野の郷を東王父の棲む仙郷と解することが出来るという説がある。地理的条件が合致しているのだ。九州には徐福の塚と呼ばれるものがあるという。よくよく考えてみると徐福神武説も笑えなくなってくるかも知れない。

神話や寓話が影響を受けている上に、都を構えるにしても、ここは仙郷であり、理想郷なのだと名乗ってしまった方が色々と都合がいい。しかも実際に日本の天武天皇は「瀛真人」(えいのまひと)という諱であり、これは「瀛州の真人である」という名乗りであり、堂々と仙郷の真人であると名乗っている。徐福の末裔と名乗った訳ではないが、堂々と蓬莱が扶桑国が在るという瀛州、その真人と名乗っていた。渡来人または渡来人から影響を受けた者が吉野を舞台に、そこを東王父の棲む理想の仙郷であると、自称していた、もしくは、自称して見せかけようとしていたという事でもある。



◆「飛鳥・吉野」神仙郷説

日本の奈良県、古くは大和国になりますが、その吉野は神仙郷であったとされる。本当に東王父が住む神仙郷であったのかというと少し違うものの、要は「東の果てに東王父の棲んでいる蓬莱もしくは扶桑があり、そこには不老不死の霊薬がある」という伝説を知る者たちが、日本列島に上陸し、吉野を神仙郷に見立てていた可能性が高いのだそうな。

実はアマテラスではないのかという指摘がある持統天皇は、夫であった天武天皇の没した後、草壁皇子の元服を待っている間は称制という立場で後見人となり、政務を総覧する立場にあったが草壁皇子が元服前に死んでしまい、持統天皇が即位する。天武天皇没から持統天皇の譲位までは11年間あったが、その11年間の間に持統天皇が「吉野」へ行幸した回数は31回にも上るという。天武天皇(大海人皇子)と持統天皇(兎野沙羅羅)という男女は、天武の即位以前から吉野へ行幸した記録が日本書紀、続日本紀に記されているので、ウノノサララ(持統)は最低でも34回は吉野へ行幸していた事になる。

吉野行幸は、応神、雄略、皇極・斉明、天武、持統、文武、元正、聖武の八天皇が記録されているという。このラインナップの前半の顔ぶれは中々の顔ぶれと言える。裏返せば、他の天皇は吉野行幸をしていない。特に行幸回数が突出して多いのがアマテラス説を持つ持統天皇なのだ。

第15代の応神は実在が確実視される天皇として有名ですが名称に「神」がつく天皇は、神武、崇神、応神のみ。応神の生母は、あの神功皇后であるとされる。第21代の雄略は「オオハツセ・ワカタケル」であり、つまりは実際に出土した鉄銘剣は埼玉県行田市の稲荷山古墳と熊本県和泉町の江田舟山古墳出土の銘文にも「ワカタケル」の読める銘が発見された天皇であり、少なくとも熊本県から埼玉県にまで「ワカタケル」の名前が広まっていた事を実証する天皇である。

そして皇極・斉明は女帝であり、第35代皇極、第37代斉明は同一人物による重祚である。この皇極・斉明は、第34代舒明天皇の皇后であったが、舒明没後に皇極として即位して後に譲位、一代置いて、斉明として即位した人物である。これが何を意味しているのかというと、舒明と皇極・斉明との間に生まれた子が第38代はの天智天皇(中大兄皇子)と第40代の天武天皇(大海人皇子)の兄弟であるという事なのだ。

周知の通り、中大兄皇子は古代日本史のクライマックスとも言える乙巳の変&大化改新の主人公であり、つまり、蘇我親子を誅殺し、蘇我本宗家を滅亡させた人物である。更に、この中大兄皇子は朝鮮半島の百済国を救済する為に大軍を朝鮮半島に送った白村江の戦いの首謀者である。晩年に即位して天智天皇となるが在位は僅か5年、46歳で没。

弟にあたる大海人皇子と、子の大友皇子とが争いになったのが壬申の乱であり、大海人皇子が大友皇子を討って、この大海人皇子が天武天皇である。この天武天皇の后が持統天皇だとなる。天武天皇によって、飛鳥浄御原律令を制定、八色の姓を制定、更には伊勢神宮祭祀を整備し式年遷宮などを決定したのも天武天皇だという。伊勢神宮に係る決め事及び、律令国家としての完成は、この天武と持統が重視されてる訳ですね。この天武天皇の諡号が「天渟中原瀛真人天皇」で「あまの−ぬなはら−おきのまひと−すめらみこと」になる。

それがどうしたと思うかも知れない。しかし、実は皇極天皇の「皇極」、斉明天皇の「斉明」は、いずれも中国古典中の古典である「書経」や「礼記」の中に見れる単語であり、「皇極」ともなると太極と同義で道教思想でしばしば使用される単語でもある。「皇極」とは「世界の中心」という意味合いがあり、「斉明」とは熱心に神を斎(いつ)く(祀る)の意である。

まとめると、舒明天皇と皇極・斉明天皇の子である中大兄(天智天皇)が蘇我氏を討ち、ややあった後に大海人皇子が即位して天武となり、律令制と伊勢神宮信仰を開始している。その天武の后は、持統天皇である、と。

また、史跡公園・伝飛鳥板蓋宮跡の北東にある小山が皇極・斉明の宮殿であったと想定されているという。平成12年、階段状の石列を持つ五百平米ほどの石敷し遺構が発見され、その石敷き遺構の南側近くで亀の形をした石造物が発見された。花崗岩を繰り抜いてつくってあったという。テレビなどでも紹介されていたかな。亀か鼈(スッポン)かといえば、スッポンのようにも見えるという。

中国古典「楚辞」には、「鼈が山を背負って手を打って舞うというのに、どうして山が落ちないと安心していられるのか?」という問い掛けがあるといい、実は西王母の住んでいる崑崙山は亀の背中に乗っていると神仙思想及び道教では考えられているのだ。勿論、この巨大な亀が背中に崑崙山を背負っているの図は中国山東省沂南県(きなんけん)で発見された沂南画像石墓にも描かれているという。

(巨大な亀が西王母の在する崑崙山を背負っている→神仙の住む山はどれも巨大な亀が背負っている→世界は巨大な亀が背負っている。)

世界が大洪水になったとき、三皇五帝の女神である女媧(じょか)が世界を補修した。天空を五色の石を練ったもので補修した。天空を支える為に大亀の足を切り、その切り取った四本足で天空を支えているのだという。世界は巨大の亀の背中に乗っているという世界図は、この辺りからでしょうねぇ。

参考:高橋三良訳『山海経』(平凡社)、福永光司・千田稔・高橋徹著『日本の道教遺跡を歩く』(朝日選書)、前田専学著『インド哲学へのいざない』(NHK出版)ほか。




ussyassya at 23:28│Comments(9)謎解き古代史 

この記事へのコメント

1. Posted by 河太郎   2019年09月11日 01:09
あー1の話を終えてないのに!
んでも思うよ。えと、嫁と地所処分に東京に行くまで「待った!」ですが。
そもそも「鳥」のトーテム文明と、「蛇」のトーテム文明が2つあった説があるんすね。
古代古代の中国でですが。

鳳凰と龍ですわね。北方の鳥(+獣)と、南方の蛇。これが合流して(民族の衝突)で「龍」へと転じたと。
これは貴殿の「ニライカナイ」を再読しないと言えませんが……そもそも浦島子の行くのが何故に「竜」宮城なのよ??
なんで「竜」なの??
さらにさらに、そもそも浦島子は神武を先導した「亀に乗って釣竿を背負うた男」しよ??
それが瀬戸内海でなく、なんで三浦半島に伝説が残るのよ??
あげくに長蛇→龍神で、その起点は「富士山」ですわ。さらにさらに…
神武を先導した金色の鳶とか、ヤタガラスとか、なんかなんか「鳥」に関わりません?
龍とは鳥と蛇の混合では??
あと、鳥(鳳凰)を北する説ですが……これにも疑いはあって、雲南とか(納豆がある!)の地域には、魁を示す神として「鳥」があるすね。
なんか「三山経」とか関係してないかな?
うー、もう興奮して頭が(@_@)
2. Posted by メロンぱんち   2019年09月11日 01:54
河太郎さん>
山海経では、やはり、やたらと蛇が比喩に使用されているケースが多いという指摘があるそうです。何故、蛇なのか? 稲作民のトーテム? 漢委奴国王印の蛇を象った蛇鈕なので水稲稲作民を示しているのかも。民俗学の話にあったような。

竜についてなのですが、これ、南方熊楠は正体はワニだというんですね。山海経の注釈にも龍とはトカゲとかワニかという問い掛けがなされていました。黄河に竜が出るし、幻を映し出す大ハマグリが出る。あ。八つの首を持つ大蛇も出て来てしまったかな。

が、やはり、山海経をみてしまうと竜は竜ですかねぇ。翼を一つだけ持っている人がいて、その国の人は二人になると翼が二つになるので飛行できるとか、想像力がすごいんですよね。

浦島子については、もっと刺激的な逸話があったような…。話のネタ元は、これじゃないのかなってものがあったような…。
3. Posted by ねこあたま   2019年09月11日 07:29
かなり早い段階から中原と西域との交流はあったという事でしょうね。黄河の源流がタリム盆地にあると考える人たちもいたようですし。
4. Posted by メロンぱんち   2019年09月11日 09:39
ねこあたまさん>
よくよく山海経の注釈の解説などを見ると、穆王の姓は「姫」で姫氏であったとか、炎帝の姓は「姜」で姜氏であったとか現実と虚構とがミックスするような世界ですね。しかし、姜氏などは西域が怪しい気がします。

また、犬戎は西域の蛮族なのですが、「匈奴の元になった民族なのではないか?」等と3世紀頃から論考されていたりしたようです。やはり、想像以上に西域と華北というルートは緊密だったのかも知れませんね。
5. Posted by 河太郎   2019年09月15日 01:33
♪万朶の桜か襟の色。花は吉野にあらし吹く。
大和高田男児と生まれたら……(歩兵の本領)
吉野が古来、特別な地とされていたのは解るのですが神仙郷と比定されていた説は面白い。
特定の天皇しか行幸していない事。さらに持統天皇の回数は確かに異常です。
天武天皇は道教好きだった説もあるし。
ヤマトのオオキミがあちこち撰都して、遊牧民民みたく居所が定まらなかったのと関係者があるのですかね?
日高見が日ノ本の語源て説があって、すると東国に日本があって大和とは別だった事になる。
東外軽流三郡史とは言えませんが、確かに幾つかの王権が存在したようですね。
その中で他に神仙郷めいた伝承って吉野の他には無いような。
道教との関係が深いならば、北極星の扱いがどうなるのかが興味深いです。庚申信仰ではせいなる星とされてますが、基本的には日本では「凶星」とされているような。
何かないのかな?
吉野というと桜のイメージなんですが。
6. Posted by 河太郎   2019年09月15日 01:40
>>5
持統天皇の吉野への拘りって、行幸を重ねた始皇帝が、その中でロウヤに拘ったのと似ていません?
徐福も足しかロウヤにいたと思ったけれど。諸葛亮の出生地でもあったような。
蜃気楼が見える土地だから神仙に関係さたとも聞きますが。
それと似たような何かがあったのですかね?
7. Posted by メロンぱんち   2019年09月15日 01:58
河太郎さん>
万葉集などにも吉野が題材にされており、どうも吉野を仙郷に見立てていたとされていますね。蜃気楼が見える土地だったという話は耳にしたことがないのですが、確かに日本の古代って、奈良盆地が舞台になっていますね。
8. Posted by omachi   2019年09月16日 22:31
お腹がくちくなったら、眠り薬にどうぞ。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
9. Posted by メロンぱんち   2019年09月16日 23:45
omachiさん>
拝読しました。かなり膨大な情報量が詰め込まれていた感慨があります。梅原猛の「隠された十字架」、それと竹取物語についても触れられていましたね。談山神社なども小説の中に登場していましたが、やはり、最近、道教遺跡の話で目にしたばかりだったので楽しく読めました。

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