仏陀、ゴータマの死に際の言葉というのは仏典で紹介されていて、それをテレビでも活字でも目にした記憶がある。荘子の荘周は、どんな死に際だったのか? やはり、子弟たちと会話をしながら死んでいったらしい。

弟子たちが手厚く葬ろうとすると、荘子は言った。

「私にとっては天地が棺桶で、日月が一対の碧玉、星々が玉飾り、万物が私の死出の旅への贈り物なのだ。私の葬送の道具はなんて立派なんじゃろう…この上、何が必要なのだ?」

すると弟子たちが

「カラスやトビが先生の遺体を啄みはせぬかと心配なのです」

と言った。すると、荘子は

「地上に晒せばカラスやトビの餌になり、地下に埋めればケラやアリの餌になる。あっちの餌を奪ってこっちにやるのは、えこひいきじゃないのか?」

と答えた。不公平な心で公平にしようとしても、その公平さは真の公平さではない。確証ないものに基づいて検証しようとしても、その検証には正確さはない。知恵の利く者は智恵に振り回され、精神の自然さを全うする者こそが確かな検証をものにする。知恵の働きが精神の自然さに及ばないのは、古くからのことだ。なのに愚者たちは自分の知見を恃(たの/当てにして)んで、人為の境地に没入し、その成し遂げた結果といえば的はずれ、いやはや何とも情けないことだ。
(荘子「列御寇篇」)

これが荘子(荘周)が残した最後の言葉であった、と。

なるほど、荘子らしいなぁ…と思うと同時に、やはり、これは華厳経の明恵を巡っての、それを想起させる。明恵は生きたまま、狼がいるという森に入ってゆき、狼に食べ殺される事が、悟りの境地だと考えたのだ。「自然に還る」という仏教の奥義であり、故に即身仏信仰などと繋がっている。荘子の方はというと「鳥に食われようが虫に食われようが自然に還ることには変わりないじゃないか。鳥に食われぬように埋めるというのであれば、それは狄燭慮平さではない瓩犯歡蠅掘知者は知者であるが故に自らの知に振り回されるのだ」、「天地が自分の棺桶で、太陽と月と星とに見送られて、これ以上、葬送に何を望むものがあろうか?」という。葬儀に豪奢な飾り立てなど要らぬという荘子流が今わの際まで徹底されていたのかも知れない。


「荘子」の書き出しは「逍遥遊」篇であり、平たく言えば「人生とは、なにものにも束縛されることなく、自由気ままである事が望ましいじゃないか」と教えから始まる。人生とは死ぬまでの生の営みに過ぎないだから、束縛されたり、何かに振り回されてはつまらない訳ですね。遊べ、と。この辺りは逍遥遊篇よりも、秋水篇に見える「泥に尾を引く亀」の逸話の方が面白い。三国志に登場する諸葛亮や龐統といった古代中国の賢者は、中々、重用に応じてくれない。同様に、この荘子の荘周が、そういう人物であった。

非常に短い一節にまとめられている。

荘子が釣をしていると、そこへ楚の国の王の使いである二人の大夫(高級官僚)がやって来て言った。

「我が国の事を万事、荘周先生にお任せしたいと願っております」

と申し出た。荘子は釣り竿を捧げ持ったまま、返答する。

「聞けば楚の国には神聖な亀がいて、死んでから三千年も経つのだとか…。王はそれを帛(きぬ)で包んで箱に収め、霊廟で保管されているそうですな。ところで、その亀は死んで甲羅を留めて、大切にされることを望むでしょうか? それとも、生きて尻尾を泥の中に引き摺りながら遊ぶことを望むでしょうか?」

二人の大夫は

「そりゃ、生きて尻尾を泥の中に引き摺りながら遊ぶことを望むでしょうな」

と答える。すると、荘子は、

「お帰りなさいませ。私は将に今、尻尾を泥の中に引き摺っているところなのです」

と言って、その誘いを断った。


この逸話に趣深さを感じ取れるかどうかが問題でもあるのですが、福永光司の著書の中には「泥に尾を引く亀」という具合に引用されており、確かに印象深い逸話だよなって思う。この非常に短い話の中に、荘子の哲学「逍遥遊」が凝縮されている。秋水篇は荘周自身の書いたものではないだろうというのが定説ですが、瑞々しい表現で語られているのは秋水篇の方かも知れないと思わせる。その比喩の泥臭さに味わいがある。

当時の楚の国では、亀の甲羅で亀卜のような儀式があった為、亀の甲羅は珍重されていた。転じて、死して大事に扱われるよりも、泥の中を這って生きることの重要性、更に転じて、死ぬよりも生きることの大切さ、士官して死物のように生きるのではなく、いきいき、のびのびと自由な存在で在ることの大切さを説いている。