2019年12月01日

日本赤軍と連合赤軍〜6

◆よど号ハイジャック事件

大菩薩峠の失敗後、旅客機の乗っ取りを考案した。考案したのは田宮高麿であった。素案としてのキューバ、ベトナム、そして北朝鮮へと脱出して、それらの地に軍事拠点をつくり、日本に攻め込むという遠大な計画であったという。しかし、先ずは、どのように海外へ脱出するのかが焦点となり、そこで「旅客機乗っ取り」が具体的に出来上がった。広く知られている通り、本邦初のハイジャック事件が「よど号事件」となるので「ハイジャック」という言葉そのものの認知度も低かったという。

このハイジャック計画は隠語で「フェニックス計画」と命名された。このフェニックス計画には塩見孝也、田宮高麿、前田祐一、小西隆裕(東大生)、上原敦男(中央大生)、森清高(京大生)といった6名の幹部と、田中剛三(明大生)、岡本武(京大生)、吉田金太郎(工員)、若林盛亮(同志社大生)、安倍公博(魚本公博/関西大生)、柴田勝弘(当時16歳の高校生)ほかのメンバー合計13名が決行部隊と決まった。ナンバー2の立場にあった高原浩之と女性中央委員の重信房子は残留部隊の指揮を執る事となった。政治局員として戻ってきた森恒夫は出直し修行中であり、何の役割も課されなかった。

決行日は当初、1970年3月21日と決定した。(異説として26日決行予定日あり。)

しかし、その2週間前に警視庁公安一課が、赤軍派最高幹部・塩見卓也と、先乗りして海外を偵察してきた前田祐一とを、アジトと睨んで東京都北区田端の江本ビルを張り込んでいた刑事が発見する。

塩見と前田がタクシーに乗り込んだところを公安刑事が追尾し、タクシーが赤信号で停車していたところに刑事が追いつき、タクシー運転士に警察手帳を提示しながら、窓越しに声を掛けた。

「警視庁の者です。そのままドアをロックした状態でバックして下さい」

とタクシーにバックを要求した。20メートルほどバックすると駒込駅前派出所があり、その派出所の前でタクシーを停車させることにしたのだ。

「何かあったんですか?」

塩見はトボケて、一般市民を装うかのような素振りをしてたが、公安刑事は冷静であった。

「赤軍派の塩見だね?」

塩見は、ここでタクシーから飛び降りて逃走を図るが、駅前派出所から若い警察官が猛ダッシュで逃げる塩見を追走し、50メートル足らずで塩見を確保した。前田の方はタクシーの座席から逃亡することもなく、体を震わせていたという。

塩見と前田が逮捕された。そして塩見が持っていた鞄からは札束と本とノートが押収された。ノートには細かな数字が記入されており、アルファベットの「H・J」という記号が書き込まれていた。その「H・J」は【Hijack】の頭文字を略したものであったが、当時は、言葉そのものが知られていなかったので、警察は、それが何を意味するのか理解できなかった。

最高幹部の塩見が逮捕され、且つ、前田もフェニックス計画でのキーパーソンであった。その2名の逮捕を受けて、フェニックス計画がどうなるのか動揺が走ったが、ここでも田宮高麿という人物のキャラクターが全てを跳ね除けた。田宮は、フェニックス作戦を断固決行するという判断を下し、入念なリハーサルを始め、とうとう日本初のハイジャック事件へと繋がった。(決行予定日は10日もしくは4日ほど当初の計画予定日よりも遅れた。)


1970年3月31日の羽田発福岡行きの日本航空351便、ボーイング727型機は通称「よど号」と呼ばれていた。同機は同日午前7時21分に離陸した。石田真二機長を含めた乗員7名。それと122名の乗客を乗せていた。(何故か乗客数に異説がある。)離陸後、特に何の変哲もないまま、同機は神奈川県座間市上空に差し掛かった頃、機内で異変が生じた。

右手に短刀、左手にモデルガン、そして腰には登山ナイフとパイプ爆弾を下げた田宮高麿ら赤軍派ハイジャック犯9名が一斉に立ち上がり、乗員と乗客に対して威圧を始めた。

ハイジャック犯は、爆弾らしきものを見せながら、

「このまま北朝鮮の平壌へ行け」

と機長に命じた。ここでは石田機長が機転を利かせて、実際には燃料は満タンであったが「燃料が不足している」と説明し、同機は福岡空港に燃料補給の為、緊急着陸する事となった。

離陸から約1時間半後というから、概ね午前9時前後か。この福岡空港にて乗客の中から女性と子供とが解放される。そして13時58分、よど号は福岡空港を離陸する。また、この福岡空港で燃料補給に費やしながらの時間稼ぎの間、日本政府は韓国政府に要請し、ソウル郊外の金浦空港を北朝鮮の平壌空港に偽装するという大胆なアイデアが編み出された。

同日15時18分、よど号は平壌空港と偽った金浦空港に着陸する。しかし、到着した空港は北朝鮮ではなく韓国だと見破ったのは田宮高麿であったという。見破った理由には諸説あるようで一説に、ハイジャック犯は韓国軍の制服を見て気付いたといい、また異説もある。

この金浦空港にて、よど号事件は膠着状態に突入する。田宮率いる赤軍派は北朝鮮行きを譲らず、日韓両政府は「よど号」を金浦空港に釘付けにしたものの、打開策はなく、金浦空港での膠着状態は三昼夜も続いた。人質になっている乗客・乗員にも疲労が蓄積してゆく。(政府は大菩薩峠事件を経ていたから赤軍派が所有しているパイプ爆弾はホンモノ、かなり威力のある爆弾である事も理解できていたものと思われる。)これ以上の引き延ばし策は、不測の事態を巻き起こしかねない状態へと、事件はもつれた。

ここで山村新治郎運輸政務官(当時36歳)が「乗客の身代わりとして人質になる」と名乗り出る。するとトントン拍子に、山村政務官は日本を発って韓国入りし、全ての乗客と引き換えに、山村政務官が「よど号」に乗り込んだ。石田機長と別の乗務員3名、それと山村政務官、それとハイジャック犯9名を乗せた「よど号」は平壌空港へ発ち、4月3日、平壌空港に降り立った。その後、ハイジャック犯らは北朝鮮に亡命したという形となった。(後に、よど号メンバーが北朝鮮の諜報作戦に関与していた事が発覚している。)当時の新聞には平壌空港に降り立った赤軍派メンバーの写真なども掲載されていた。

この「よど号」事件は当時にしてはハイジャックという未曾有の大事件であり、センセーショナルな事件でもあった。身代わりとなった山村新治郎政務官は「男・山村新治郎」として一躍脚光を浴びて、政治家としても運輸大臣にまで登り詰めた。しかし、1992年4月12日、精神疾患を患った長女に刺殺されるという悲劇的な最期となった。また、よど号事件で機転を利かした石田真一機長も一躍「時の人」となったが、それが仇となって週刊誌に愛人問題をすっぱ抜かれ、不本意な形で日本航空を退社する羽目になった。(別冊宝島『日本の未解決事件100』(宝島社)参照)

亡命に成功した田宮高麿ら、よど号グループは、ホントに理想郷に亡命できたのかという問題が残る。冷静に考えれば分かる事でもあるが、当時の北朝鮮とは即ちソビエト連邦の支配下にある国であり、また、日本の政党でいれば日本共産党の系統である。当時の共産圏の統治体制はモスクワから各国の共産党に対して、その運営方針の細かな指示が出されていたのが実相であった。この田宮らの赤軍派とは反日本共産党系の共産同(ブント)、そのブントから分派した過激な集団が赤軍派であった事を考えれば、どういう境遇で迎えられたかの推測は可能であった。北朝鮮政府は表向きは彼らを歓待したが、そもそもハネッカエリの若者たちであった。北朝鮮政府は、よど号メンバーの生命を保証する代わりに犲臑了彖朖瓩噺討个譴詼鳴鮮の金王朝の思想で洗脳し、諜報・工作活動などに利用したという。



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