2019年12月02日

日本赤軍と連合赤軍〜7

◆ラディカリストの残滓は狂い出す

序文にて「過激な淑女」という楽曲への嫌悪感を述べた。巧く説明できないが、それは直感的な嫌悪であった。過激化すること、ラディカリズム、急進的態度、先鋭的態度というものは、おそらく本能的なものであり、相互に、もしくは競合する中で、その過激度を競い合うようにして過激さが過激さを招き、大きなうねりとなる。

この1970年という年は、3〜4月に赤軍派の「よど号事件」が起こり、6月更には11月には「三島由紀夫(割腹)事件」が起こっている。そんな事は当たり前の事実であるが、実は、どちらも或る種の残滓である可能性がある。よど号事件は過激派のハイジャックという行為からすれば成功例であるが、何故、ハイジャックという手法に行き着いたのかというと、真正面からの武力革命は不可能だと気付いたからであり、それを示すように赤軍派の計画では米国の極左勢力との連携を模索し、キューバやメキシコ、北朝鮮、ベトナムと連携し、外国で軍事拠点を構築して日本国を攻めるという発想に転換しているのだ。三島由紀夫・楯の会事件にしても、容易に想像できる事は三島由紀夫自身が蹶起文の中で、1969年の10月21日の国際反戦デーで内乱が起こらなかった事に対して、強く不満を表わしている――この事は否定しようがない。

冷静に考えれば、状況は敗北に決してしまった。しかし、それを受け入れられないのが、ラディカリズムの原理ではないだろうか。日頃から勇ましい発言をし、部下を毎日のように往復ビンタしていた上官は、それまでの自分の身の振り方を一気に変える勇気がない。自分が間違っていたなんていう殊勝な態度になる事は極々稀で、多くの場合、ラディカリストは自己否定ができない。いや、反省するという理性的な態度を採らない激情型のパーソナリティーであるからこそ、彼らはラディカリストなのだ。激情型であれば激情型であるほど、過激な行動をとることが可能となり、また、その誰かの過激な行動が、別のラディカリストの過激な行動を呼び込む。彼らは過激である事を競い合っているのだ。

現実的な劣勢を現実的に受け止められない。だから精神論に傾斜し、無謀な戦いを始めてしまう。過激化は、現実を見据えて戦っているときよりも、むしろ、現実的目標を喪失し、その喪失した後の戦後処理として無軌道な過激化を辿るという事かも知れない。

「よど号事件」は日本中にセンセーションを巻き起こした。それに触発されるのがラディカリストの本性のように思う。京浜安保共闘では「赤軍派」に対しての何某かの感情が芽生えた。「赤軍派だけにいい顔をさせていられるか」という感情的な反応を喚起してしまうのだ。それは自己承認要求(欲求)や、他者との比較から生成される嫉妬心といった人格的なものでもある。「あいつが成功したんだからオレも」という心理が作用し、行動はどんどんエスカレートする。

三島由紀夫は、この1970年、週刊プレイボーイに連載中であった野坂昭如の小説「てろてろ」を称賛したとされるが、その評は「これは破裂する為の小説ですね」といった事を述べている。実は、まったくその通りである。小説「てろてろ」は最初は変わり者の若者たちの話で始まるが、殺人に手を染め、誘拐に手を染め、指名手配されると、もう、彼等には行き場がなくなるのだ。明らかに、その先は三島が言うところの倏卜瓩箸いΑ打ち上げ花火のような壮大なフィナーレへ向かう事しか、目的がなくなってしまう。

そして、そのエスカレートしてゆく過程がスリリングであり、(小泉進次郎先生風に言えば)セクシーなのだ。セクシーといっても表面的に性的にセクシーなのではなく、その次元を飛び越えて、死と隣り合わせ、破滅と隣り合わせ、どうせ死ぬのだから…という死を覚悟した境地が、理屈抜きでセクシーなのだ。生と死。その間に生殖があり、ヒトは発情するようにつくられている。理屈抜きで性的なものに吸い寄せられてしまう。性的欲求はヒトの根源であり、その生き死にという宿命を持つヒトの欲求は根源的な部分で繋がってしまっている。社会的成功はセクシーであり、命を賭けた戦いは、それだけでセクシーなのだ。

性衝動は暴力と非常に近く、発達過程で分岐する。分岐しない者は暴力的な行為そのもので性的興奮をする。フロイトの言ったようにヒトの心の奥底には死を招き寄せてしまうタナトスという死の欲求があり、そこに到達しようとしてしまう。なので、過激派の残滓こそが危ない。残滓でこそ、その狂気や暴走は止まらなくなるという事ではないのだろうか。

誰も彼もが本当は、この心理を強弱の差異こそあれ、多少は内包している。目立ちたくはないが目立ってみたい気持ちはあるだろうし、どうせ悪目立ちするのであれば、とことん悪目立ちし、いっそ後世に名を残すような爪痕を残したい等と夢想するのが、現代人の秘めたる欲望ではないだろか。



◆M作戦(エロイカ作戦)

よど号事件よりも数ヵ月程度、時間は遡った頃から赤軍派は資金調達の必要性からM作戦と呼ばれる強盗を計画、実行していた。このM作戦の【M】とは【Money】の頭文字の略称で、強盗でカネを搔き集める事を意味していた。この強盗をして資金源を集めるという手法は、かのボルシェビキでも行われていた裏任務であり、レーニンの死後にソビエトを掌握したスターリンはボルシェビキ時代には強盗作戦に関与していたとされる。

元々は田宮高麿がM作戦の指揮を執っていたが、どこかの時点から森恒夫がM作戦の指揮を執るようになったという。森恒夫が指揮を執るようになってから間もなくして、「M作戦」は「エロイカ作戦」に改名された。エロイカとはベートーベンの「英雄」をイメージしたもので、どこかに森恒夫という人物の人間性が表出していたかも知れない。

1969年10月頃から赤軍派では都市アジトを各地に設けていた。要はアパートなどを借り上げて、そこを拠点にしていたのだ。その拠点に実行部隊が集まって、銀行や郵便局の襲撃計画などを練って、一部は実行し、その多くは失敗していた。碌すっぽ、実際には成果が出ない作戦だったので田宮高麿が森恒夫に投げ出したという可能性も考えられる。後の証言に拠れば、大胆な計画は実行のハードルが高く、高齢者を尾行して、そのバッグをひったくる等の「ひったくり」行為も行われていたという。

1970年3月15日、赤軍派最高幹部・塩見孝也が逮捕される。

1970年3月31日、田宮高麿がフェニックス作戦を断行、北朝鮮へと国外脱出する。

1970年5月9日、重信房子が殺人予備罪及び爆発物取締法違反容疑で逮捕(二度目)される。23日間拘留。

1970年6月7日早朝、塩見孝也なき後、実質的な最高幹部であった高原浩之が恋人の遠山美枝子と朝帰りしたところを警察官に待ち伏せされ、逮捕される。この際、遠山美枝子も身柄を抑えられたが、この遠山美枝子は赤軍派内では合法活動を担当していたので逮捕は免れた。(遠山は留置場に入っている同志たちへの接見や差し入れといった合法的な任務に従事していた。)

森恒夫は遠山美枝子から電話で「高原が逮捕された」という一報を受けた。森恒夫が何を思ったのか定かではないが、次から次へと幹部「政治局員」が居なくなった事で、押し出されるようにして森恒夫が赤軍派の最高幹部になった。(赤軍派残党の弁によると、第一次赤軍派と第二次赤軍派に分けて語っており、塩見、高原、田宮らが居なくなって森恒夫が最高幹部になって以降は「第二次赤軍派」という具合に切り離して語ろうとする者が少なくないという。)

このM作戦に必要不可欠な都市アジトの借り上げ任務では、日仏学院生の進藤隆三郎、元芸者という特殊な経歴の持原好子、曲者美人・玉振佐代子らが関与し、M作戦の実行部隊としては、ずっと後にダッカ事件の超法規的措置によって釈放される城崎勉、更にはリンチ事件に参加した植垣康博らどが関与していた。

進藤隆三郎は当時22歳。会社役員の息子であり、オシャレでハンサムな人物であったので人当りがよく、アパートを借りるのに持原好子と夫婦を装って、各地にアパートを借りるなどの活動をしていたという。しかし、途中で持原好子が警察に逮捕されると、その持原から警察に赤軍派の隠密部隊の内情が露見したという。

玉振佐代子は美貌の持ち主であったといい、きれいにツケ睫毛をつけている上品な新婚の奥さんという印象であったという。しかし、この玉振は、かなりの曲者で、一度、アジトに刑事が訪ねてきた際には、煮えたぎった熱湯を刑事に浴びせかけ、刑事が怯んだ隙にまんまと逃走に成功した猛女であった。この玉振佐代子は1971年4月に神奈川県警によって逮捕されたが、逮捕の際、玉振は紺のミニワンピースにベージュのミディコート、更にはファッション雑誌『アンアン』を所持していたと警察から正式発表された。そのギャップには驚かされる。

城崎勉はM作戦に参加中、無免許運転で警察の検問に引っ掛かって逮捕。ここに挙げた名前では、進藤隆三郎と植垣康博、それと両名が参加していたM作戦坂東班の班長・坂東国男が、連合赤軍に参加する事になる。


1971年2月2日、重信房子は奥平剛士(京大生)と入籍し、「奥平房子」の戸籍を手に入れる。

1971年2月26日、奥平剛士がパンアメリカン航空機で日本脱出。

1971年2月28日、奥平姓でパスポートを取得した重信房子はスイス航空機でレバノンの首都ベイルートへ発った。重信は事前にベイルートのPFLP(パレスチナ解放人民戦線/これはパレスチナ解放機構のPLOではなく、よりイスラエルと敵対的に構えていた勢力)と連絡を取り、受け入れを確認していた。

重信房子がベイルートへ発つにあたり、その見送りにやってきたのは互いに「フーちゃん」、「ミコ」と呼び合っていた遠山美枝子だけであったという。

この記事へのコメント

1. Posted by 江草乗   2019年12月02日 14:21
 とても興味深い内容で、毎回楽しみにしています。志の低い人間がリーダーになった結果どんな悲劇が起きるのか。そもそも同志の中で殺しあってどうするのか・・・とこの後に起きたことを知る私たちは思うわけですが。今回の連載で、詳しく知ることができてよかったと思ってます。

 中学の時に好きだった女の子の部屋を
大学生になってから尋ねたとき、奥平剛士遺稿集の分厚い本がありました。

小手鞠るいさんが「テルアビブの犬」という小説を書いておられて、それはあの乱射事件をモチーフにした内容になっています。ファンタジーと恋愛小説を書く方が、どうしてこのような作品を書こうと思い立ったのかとても不思議に思ったのですが、私よりも少し上の世代にとっては、この一連の事件の与えたインパクトはかなり大きかったのだなという気がします。
2. Posted by メロンぱんち   2019年12月02日 14:39
江草乗さん>
この後に触れる予定ですが、実は「奥平剛士」あたりは、元々は京大生でありながら高齢者や貧者、また、そこで教育を受けられない子たちに勉強を教えていた等、最も最下層の人たちに対して接する慈善活動に熱心な人物だったらしいんですよね。登場人物の中でも一番、純粋なような…。

或る意味では、非常に純粋な人物であったようで、どこかで怒りの感情に転化してしまったようなんですよね…。
3. Posted by 江草乗   2019年12月02日 22:46
 上記の「テルアビブの犬」という作品に、私はかなり長文のアマゾンのレビューを書いています。著者の小手鞠るいさんとは直接メッセージのやりとりをしたこともあります。私が京都大学の学生時代、小手鞠さんは大学の近くで働いておられたということを知って驚きました。
 「テルアビブの犬」という小説に登場する貧しいけど純粋な少年の名前がツヨシ、その少年の幼馴染の少女が風砂子(ふさこ)です。
 奥平剛士遺稿集は「天よ、我に仕事を与えよ」というタイトルでしたね。彼にはテロリストになるのではなくて、政治家を目指してほしかったと思います。
 今のサヨクの情けない連中を見ると、とりわけそう感じるのです。
4. Posted by メロンぱんち   2019年12月03日 01:35
江草乗さん>
奥平の日記の抜粋は『赤い雪』にも記されているのですが、惜しい人物ですね。当時の時代背景も解説してあるのですが、豊かさの中で蔓延しはじめた無関心であるとか、寛容社会と不寛容社会の問題等々…。19歳とか20歳の学生の日記ですが、確かに純粋な人の遺した日記としか思えない内容なんですよねえ。

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