シネフィルWOWWOWにて「青い珊瑚礁」を視聴。改めて視聴してみると、こりゃ傑作映画だったのだなぁ…という感慨に到りました。

「世界一の美女」と冠される事が多かったのは、ブルック・シールズであったか、ダイアン・レインであったか記憶がおぼろになってしまいましたが、この「青い珊瑚礁」は色々と映像として見所が多いんですよねぇ。ぐうの音も出ないぐらいにプリミティブな人体の造形美、自然と性、その象徴としてブルック・シールズ。時代を越えて語り継がれるべき一作という事なのかな。

船舶が火災に遭遇し、8年以下であろう幼い少年と少女とが無人島に漂着し、そのまま、10年ぐらいの歳月が経過し、別々に性に目覚め、やがて男女となり、妊娠、出産。何に驚くって、素材としての美でしょうねぇ。ブルック・シールズ演じるエメライン、それとリチャード役のなんたらという俳優さんなどは全裸で演じていると思われ、ボカシ入りなんですが、実は、局所がどうのこうのではなくて、姿態というのか肢体なのか、或いは自然な筋肉の美しさであるとか、結構、映像美なんですね。これでもかってぐらい。原初的なヒトの造形美の世界。元々、ヒトは、こういう造形美を持っていたのではないか。ブルック・シールズにしても、やはり、原初的な美女だったんでしょうねぇ。コケティッシュとかキュートといった要素は微塵もなく、堂々としている美形さん。

おそらく中学生ぐらいのときに当時のテレビが放送した枠で視聴しているのだと思いますが、中学生ぐらいだと、どうしても性的な目線が先立ってしまうので、色々と見落としてしまっていたなと気付く。念の為、言っておくと、ズリネタになるハダカではないんですよね。ホントは、いやらしいものでもない。ハダカや性を、いやらしいもの、不道徳なもの、忌避すべきものと認識してしまうのは、その者が文明に毒されているからであり、ありのままの姿の美しさといえば、もう、それまででしょうからね。

しかも、それを作品中で描いていた可能性がある。

17歳とか18歳になったという設定になっていたのか、もっと早かったのかエメラインは初潮を迎える。滝で水浴びをしていて、出血をみる。エメラインは「お腹が痛い」と騒いだので、リチャードが駆け付けると、どうも出血している。「お腹を見せてみろ」とリチャードが言うが、エメラインは本能的に局部を見せる事を拒絶する。そのように拒否されたリチャードは機嫌を損ねる。「この島に二人だけなのに、エメラインは僕に隠し事をしているっ!」と怒り、一時的に喧嘩となる。

リチャードは、エメラインの裸の胸を凝視するようになる。リチャードいわく「変な形の胸をしているから、つい、見てしまったんだ!」という。しかし、エメラインは眉を顰める。

そしてリチャードは崖っぷちに立ち、マスターベーションをし、海に放出している。リチャードは、その行為をエメラインに隠れて行っていたが、エメラインは目撃している。なので、「二人だけの島なのに、秘密を持っているのは、あなたの方じゃないっ! 体の一部を握って何かしていたでしょっ!」と、リチャードを詰問する。

その反目の期間を経て、男女関係になり、妊娠、出産。

無人島に漂着した年端もいかぬ幼い少年と少女とが、どう生きるのかという話である訳ですが、やはり、どこかしら原初的な内容になるので、神話がかってくるんですね。アダムとイヴ、或いはイザナギとイザナミの話とかね。案外、後者かも知れない。性愛、性愛していない。性愛の世界でもあるのですが、実はリチャードとエメラインの関係というのは、10年も一緒に二人だけで無人島で生活していたのであり、どちらにしても、相手は欠かせない存在なのだ。欠かせない存在だから、秘密なんて持ってほしくないし、反目だってしたい訳ではないが、性の目覚めによって反目が起こる。そして、その反目を性愛によって克服しているんでしょうかねぇ。

で、そのテーマが分かってしまうと、局部を隠すように修正してあるボカシというものが無粋に思えて仕方がない。別に、どうでもいいんじゃないのってなってくる。その局部を抽出し、そこに関心を持ち過ぎているという事が、なんだかバカバカしく感じてくるんですね。

青い珊瑚礁に囲まれた島で、島の裏側にはブギーマンが出没するらしく、人骨が転がっている。リチャードは、10年が経過しても「サンフランシスコに僕は帰りたいんだ」という。しかし、エメラインはというと、故意に通りがかった船舶に何の合図を送ることもしない等の謎めいた行動を取る。どこかしら、神話的なんですね。

今上陛下は学生時代、ブルック・シールズのファンで、実際に御友人の計らいで御対面されていたという逸話がありましたが、確かにブルック・シールズが持っていた美貌というのは、ちょっと神話的というか原初的というか、そういう美だったんですよね。



昨今、少子化問題が巷間で語られるようになって以降、あれこれと犯人捜しに陥りがちですが、もう、ホントは20年ぐらい前に、或る程度の結論を竹内久美子さんは導いていたと思う。子供をつくらないで済む状況になれば子供をつくらないというのが、本来的な立場なのではないかと論考し、中世のフランスの御姫様の出産数などを挙げていたのだったかな。中世の御姫様は婚姻して何人の子を産んでいたのかというと、実は現代と同じぐらいなのだそうな。昔の人は7人とか8人とか生んでいましたって言うけど、それは子供を欲してつくっていたのではなくて、できちゃったから生んでいたというのが実相であり、だから「留吉」とか「留」とか、これで最後の子だよっていう名前をつけていた訳だ。

そりゃ経済的に裕福な家庭であれば、跡取りが必要だから「子供を、出来れば男の子を」と子供を欲していた可能性がありますが、戦前とか戦中になってしまえば、子供は労働力としてつくられていた訳ですよね。その証拠に、長男以外は都市へ出て労働者となり、実家に送金していた。昭和10年代生まれぐらいの人の中には、丁稚奉公の経験者なんてのもごろごろしている。その後も季節労働者ってのがあって、雪国の人が冬の間だけ首都圏にやってきて飯場で寝泊まりしながら都市開発した訳ですよね。ドラえもんの風景の中に、空き地に土管が置いてありますが、昭和30〜40年代、もしかしたら50年代でも珍しくない風景であった。竹内久美子さんだけでなく、赤川学著『これが答えだ! 少子化問題』(ちくま新書)なんてのもある。少子化は一定以上、物質的に豊かになったなら、そもそも子供を持つ必要性がなくなってしまうというのが答えであり、なんら悩んだり、憎んだり、或いはリスクを冒してまで子を欲する必要性はないという事実が、そこにある。

「国が亡ぶ」という言説も登場して久しい訳ですが、「国家」というのはホントは器に過ぎない。移民を受け入れて日本国籍を与えれば日本人は減らない訳だ。そもそも日本に住んでいる日本人に厳しい政治をしておきながら、何を言ってやがるんだって話だ。国家よりも自分が大事だし、国家よりも家族や一族や仲間が大事であるのもホントは自明だ。体よく、そういう時にだけ、愛国心という概念を持って来ているが、国家と郷土、或いは一族、仲間は異なる。国家が滅ぶが自分や自分の仲間が生き残れるであれば、国家なんて器は放棄するのが、ホントのサガですやね。逆説として、自分や自分の仲間が死ぬのであれば国家が存続しても、ちっとも有難くないというのが事実だ。利己的遺伝子論を考えるべし。人間、誰だって、一番大切なのは自分や自分の家族だよねってところから、きちんとスタートしないと、背伸びをした社会学的言説にダマされるだけなんですよね。

それこそ、戦前まで娼館が経営されていたし、大正時代ともなると浅草に地上12階建ての「凌雲閣」なる売春宿が入った高層ビルがあったという。大正時代だというのに、12階建てですよ。雲をも凌ぐ高さだから凌雲閣だ。通称「十二階下」で、気の利いた辞書であれば記されている。寒村の貧農が娘を売る、年季奉公みたいなものだったのかも知れませんが、そうした娘たちが売られてきた。次男や三男は、都市労働者になるというのはロシアなどでも同じで、つまり、労働力として必要なんですね。だから浅草には、当時、二万人の日雇い人夫が居たとされる。彼等に道路工事だとか建設工事をさせて、都市を造った訳だ。また、低賃金労働者が必要なのは都市の宿命であり、日本に於ける穢多や非人といった被差別民の部落にしたって、基本的には都に隣接する形で置かれた。皮革職人などは古代や中世でも必要不可欠だった訳で。それらの歴史的経緯を無視して、労務者を汚い、人種が違うと言い出した辺りから、都市の奢りが始まっている。現在だって、きっとマイクロバスに乗り込んで現場へ派遣されていく使い捨ての人たちというが居るのだと思いますが、そういう人たちを「底辺の人」として一刀両断する社会になってしまった。

或る種、文明的な虚妄がつくりだしたエロスというのがあって、それらは結構、人為的なんですね。文明的でもある。しかし、ヒト以外の動物がどのように性交しているのかというと、当たり前なんですがワイルドなのだ。犬や猫であれば道端でもやってる。犬や猫は破廉恥なのかというと破廉恥ではない。極めて真面目に生きており、その真面目な生の中に生殖の問題がある。「生と死」、つまり「生きる」と「生殖」とが生き物に共通したテーマで、それ以外を見い出すのは意外と難しい。

流行の服や化粧、或いは美容整形手術といったものも現代社会では重要なウェイトを占めている。しかし、原初的な性とは、原初的な美(自然美)とはどういうものかという事を、このブルック・シールズの美貌は思い出させてくれる。小手先で取り繕う何か、或いは悩む必要もない事で悩んでしまったりするよりも、その本来的にして根源的な美とか性ってのを考えされられる。