巧く書けるのか自信も半々ですが、70年代の風潮と現在の風潮との差異について。

先ず、学生運動が盛り上がったり、市民運動が盛り上がったりした60年代後半から70年代前半期というのは、間違いなく、そういう風潮であり、或る意味では「政治の季節」等とも呼ばれていたりする。その政治の季節に終止符を打ったのが、通説的には「日本に於いては、浅間山荘事件の後に発覚した連合赤軍リンチ事件の後、学生運動の危険性や醜悪さが露見して学生運動は下火になった」と説明される訳ですね。既に、連合赤軍あたりになると学生運動などとは呼んでいられず、過激派といった呼称の方が分かり易かったのかも知れない。セクト争いの中で過激さを競い合い、いつしか堅固な革命思想のようなものを主張する過激派と過激派とのセクト争いとなり、その残滓の一部が国内に山岳アジトを築き、そこで軍隊を組織して政府機関の警察と戦うと発想したり、国外を目指し北朝鮮に亡命する為にハイジャックをしてみたり、パレスチナ解放運動に身を投じたり、更には右派として三島由紀夫が市ヶ谷駐屯所占拠事件、東アジア反日武装戦線のような犯行声明付きの爆弾闘争・爆破テロを行なうなどしたが、それらの中で「政治の季節」は完全に終結した。その後も散発的に革マル派と中核派との間での内ゲバ事件などがあった気もしますが、おおよその流れというのは、それであったと言えると思う。

その後の80年代は、どうなったったのか。おそらく、学校を舞台にして起こったのは校内暴力が問題視され、風潮としては一億総不良時代、「荒れる少年たち」のような一時期があったが、ゆとり教育の導入によって「荒れる少年」の問題が沈静化したと同時に「いじめ問題」がクローズアップされたという歩みであった気がする。こうした流れは「3年B組金八先生」あたりにも反映されていたのかな。この一連というのは「物質的な豊かさ」を実現したものの、若年者、特に少年の不満は凶暴な形になって表出したという事であったような気がする。

社会全体の風潮としてのは80年代以降は、地域によって時差があったものと思いますが、おそらくは基調としては「サブカル化」が挙げられるのでしょう。様々な娯楽コンテンツが開花し、テレビゲーム、スポーツ興行の浸透、アイドル、アニメといったコンテンツが以前とは比較にならない程、充実し、且つ、オタクと呼ばれる人たちの主張も尊重されるようになった。また、そのサブカル化の中で思潮としてカテゴライズが起こった訳ですね。例えば「ガテン系」であるとか、或いは、その購読雑誌によって、その人たちの風俗や生態を括ったり、分類したりするような時代になった。その中で軽薄化は進行し、世の中はバブルに踊り、バブルがはじけるというプロセスを辿った。この頃までにはノンポリ化が進行し、「政治? ダセえじゃん!」という風潮になったかな。斯くいう私は、その世代だからよく知っている。そして現在も未だに継続していますが、物事の判断基準は「可愛いか可愛くないか」や「ダサいかダサくないか」といった極めてサブカル的なものへと変節していった。サブカル(次位文化)はカルチャー(文化)でさえないが、評論家はサブカルをベースにして思想らしきものを語るようになったが、重厚な意味での純粋は思想や言論は死滅した。

おそらく、これはアメリカも同じような事が言えるのでしょう。というのは、60〜70年代というのはベトナム戦争の問題があり、日本に限らず世界的に猗神鎰瓩叫ばれていたのは覆しようのない事実である。ヒッピーが登場し、どこか東洋の仙人思想にも似た自然回帰思想が起こっていたし、この頃の音楽としてのロックなども反体制色が強く、後の商業的なロックとは異なる方向性が見い出せたともいう。「魂だ」とか「ハートだ」とか、そういう観念的なサインが見い出せる訳ですね。更に、後の時代となりますが商業的な音楽に対してのカウンターカルチャーとして、パンクロックなんて分野も起こった。

これらの一連を踏まえて、何が言えるのかというと、先ずは、時代は寛容さを失い、不寛容になったという事が言えると思う。明らかに寛容な社会ではなく不寛容な社会になった。イライラとしており、いつもマスメディアは誰かを責めずには要られない。責任追及&厳罰化傾向が強まった。ストレス社会、他罰的風潮、責任感の重さ、その圧力、思うに主張した側が主張したままに勝利できてしまうクレーマー社会&ストレス社会が実現した。

全学連運動、60年安保になると本当は全ての新聞社は横並びであり、学生に同情的な紙面であった。読売も産経も、ホントは毎日や朝日と大した差異はなかった。70年安保にしても、その傾向は残っていたかも知れない。何しろ、物事が理解できていれば、ベトナム戦争に於けるアメリカの態度とは、即ち、民族自決の否定であり、帝国主義的な世界を終焉させた筈であったところへ来ての、帝国主義的な何かの揺り戻しであった。アメリカは世界戦略、世界の警察という発想をし、且つ、東西冷戦構造の中で、そうなったものと思われますが、常識的に語れば広く世界の人々から歓迎されるような大義があったとは言い難い。

新左翼と呼ばれる党派が乱立する中、日本では「ベトナムに平和を!市民運動」が起こった。小田実、開高健、鶴見俊輔、高畑通敏、いいだもも、吉岡忍らが運営に関与していたものとされているが、このベ平連は「ベトナムに平和を」というシングルイシューで形成された市民デモ(民衆デモ)であり、自由参加を原則としていた。ここで「ベ平連」に触れる事には意味があって、実は、この当時、赤軍派を筆頭にして多くの党派が乱立し、それぞれの党派は規則で党員を縛りつけ、更には政治思想の統一を指向していたので絶えず主導権争いが起こり、分裂していたのですね。分裂しない方法は何であったのかというと、自由と寛容であり、故に政治思想として合致しておらずとも「ベトナムに平和を」に絞って企画されていた。これであれば、誰しもが参加できる枠組みにしたという意味では民衆デモ(市民デモ)の御手本であった事に気付かされる。田原総一朗さんの回想に拠れば、文化人たちも続々と賛意を表明し、さながらベ平連はオールスター軍団のようであったと語っていた。

岡本太郎が書いた「殺すな」という文字を和田誠がデザインして缶バッジとし、それを50円ほどで売ってベトナムに医療品を送っていたと吉岡忍が明かしていました。その「殺すな」缶バッジについては、元日本赤軍の丸山修(故人)の自叙伝には「『殺すな』バッジをつけて浪人していた」という話があったかな。丸山修の場合は学校の教師らが極端に自虐史観であった事に反発、実は日の丸君が代を支持する右翼的性向であったが、浪人期間中に学生運動の渦に没入し、滝田修を師を仰ぐパルチザンに参加して左翼へ転向、奥平剛士を追ってパレスチナ入りし、奥平剛士を通じて重信房子を紹介され、日本赤軍へ参加していた。

そして小田実となりますが、やはり、70年代に「分断されている訳だよ、市民は」のように早口でまくしたてている映像を確認できた。現在と同じテーマなのですが、分断されてしまっていると不満をもらしていた。(裏返せば、市民の側が分断されてしまうと、権力の暴走を止められなくなるが含意されている。)

総じて「不寛容」とは、構成員にストイックである事を強い、無理矢理に主義や主張を統一しようとするので偏狭なものとなる。カルト団体といった場合のカルトには自ずから、このニュアンスがあって、総じて偏狭なイデオロギーによって運営されている訳ですね。過激派も似ているし、独裁国家等も似ている。その対極にあるのが「寛容」であり、自由である訳です。なんだったらポリコレも不寛容であり、原理主義的で、言葉狩りなどというのは不寛容の極まりである。自由主義を標榜しておきながら言葉狩りをしているなんて、おかしいじゃないかと指摘できる。ですが、実際にどうなったのかというと不寛容が社会を支配し、自由の名の下に自由を制限している。そりゃアカラサマな挑発や侮蔑なら制限する事も有り得ますが、実際に起こったのは一律禁止であり、徹底的な不寛容だった訳です。しかも、それに付随して責任追及と、他罰がついてくる。そのような分断が起こって、ニンマリと笑ったのは誰であろうかという話でもある。

分断が進んだ理由にカテゴライズがあるのですが、分断の証拠として「同時代人の共感」が分断されたとみることが出来そう。ここで言っている同時代人とは、団塊世代とかゆとり世代といった同世代人ではなく、令和2年であれば令和2年に生きている全世代に共通し、同じ時代に生きているにもかかわらず、ティーンはティーン、20〜30代の若年世代、中年、シルバー世代といったものが見事に分断されているという指摘です。令和2年、2020年に生きていながら、その世代間対立が凄い訳ですが、これも分断の一形態とみることができる。勿論、エリート階層と市民層、労働者の階層との分断にしても同じですが、途轍もなく分断が進行してしまっており、最早、同じ国の有権者でありながら隣人とは利害関係も異なれば主義や主張も全く違う、そういう分断が現在起こっている事が確認できるよな、と。逆説的に団塊世代がすべて学生運動をしていた訳ではないし、バブル世代の誰もがバブルに踊った訳ではない、実際には個人は個人の性向で人生を歩んでいるのだから、誤まった括り方に固執すれば、それも「分断」の元でしかない。

例えば【老害】とか【ベビーブーマー】という言葉がある訳ですね。その言葉を使用する事で一刀両断に出来る訳だ。しかし、それは返す刀で、結局はおのずから同時代人を分断しているという行為である。私の感慨だと「あれれ、70年代の知識人や文化人は相応に頭がよかったのに、昨今の知識人ってなんだか…」という感慨があるんですよねぇ。グレタ・トゥンベリさんは「小生意気な娘だな」と思いますが、だからと言ってムキになって叩き潰しにいく感覚は理解できないんですね。少なくとも大の大人が悪態をついて叩き潰しに行く対象にするほどではない。生意気な態度や発言が許せないと腹を立てて、実際に攻撃しているという事は、つまり、不寛容であり、他罰的なのでしょう。おそらく、想像以上に不寛容は既に社会に蔓延しており、偏狭な人が増えてしまったと考えた方がいい。



ああ、そういえば「政治思想そのものは死滅し、サブカル化した」という言い回しも成立していて、それもそうだなと思える。映画「スターウォーズ」の舞台は共和国と帝国の戦いだったようですし、ガンダムには【ZION】に近い綴りなどが登場しているようですが、シオニズム【Zionism】を容易に連想させる。実際に分かり易いところでは、渋谷陽一さんの扱う音楽雑誌であるとか、もしかしたら文芸雑誌の一部であるとか、その辺りには政治思想が薄っすらと生きながらえている。政治色を排除してエンタメに徹せよというものの、主義や主張がなくなると、やはり、そのアーティストや作品、内容などに対しての共感は生じにくくなる訳ですね。日本映画は、それこそ精神を病んだ都会人を扱う作品が増えていますよね。