12日付の朝日新聞の文化・文芸面では「民主主義は限界なのか」と題して、中西新太郎関東学院大教授へのインタビュー記事が掲載されていました。

現行の安倍政権の支持率が思いの外、若年層で支持率が高いという事が以前から指摘されていました。切り口によっては「何故、若者は保守化したのか?」と同義でもあるのですが、同教授によって「犇権瓩里泙泙任いぜ禺圓燭繊廚砲弔い得睫世気譴討り、最も説得力がある説明だなと感じました。

先ず、この民主主義が限界に達しているという問題は、日本の安倍政権の特異性にあるのではなく、世界中で民主主義的なものが崩れているとする。いわく、世界中で「衆議を尽くす」という方法は効率が悪いと考える風潮が強まってきており、どうせなら権威主義的・強権主義的な方が都合がいいと考える人たちが実際に登場してしまっているという。

ロシアや中国などを念頭に置けば民主主義的なプロセスこそが効率が悪い部分があり、現在の日本の場合は「国家が衰退する」という不安が「安倍政権を支持する一つの力になっている」と説明している。

そして、若年性で起こっている「保守化」ついては、次のように語っている。

――若者が保守化しているという声もあります。なぜ、若者は政権を支持するのでしょう。

「30代までの若年支持層を見た時には二つの特徴があります。一つは『権威』や『秩序』を守ることを重んじる人たち。比較的恵まれた層で、格差社会の中で『自分は安全だ。このままでいいんじゃないの?』と思える人たちが支持しています。もう一つは、なんとかギリギリ生活している層です」

――全く異なる層が支持しているわけですね。

「ギリギリの生活をしている若者が、今の生活が何によって守られるのかと考えた時に出てくるのも、『ルール』とか『秩序』という言葉なのです。若年層は総じて将来への希望を持っていない。この先良くなるわけじゃない、でもこれ以上悪くなったら困る、と考えた時に、この『ルール』や『秩序』がないとやっていけないのではないか。そんな意識が支持の背景にあると思います」

だって。

30代以下の年齢層で、比較的恵まれた層が「今の社会的序列を何としてでも守り抜きたい」と考える人たちと、そうでもない層による「これ以上、悪くなったら困る。ルールと秩序だ」と考えているであろうという指摘ですが、確かに、そうなるだろうなって思う。社会保障制度の問題、真面目に向き合えば「逃げ切れるか逃げ切れぬか」という問題が転がっている事に気付いてしまうでしょうからね。しかし、20代前半なのであれば「年金制度なんて撤廃でいいんじゃないの?」と考えてもいいような気がしますが、そうなっていない当たり、中途半端な気もする。

既に、裏切りのプレリュードは始まっており、50代や40代でも「こら、マズいぞ。逃げ切れんじゃないか…」という不安を抱えているのが実際であろうと思う。潤沢な退職金が期待できる時代は既に終わっており、平日の午前中のスーパーマーケットのレジなんて高齢男性率は5割以上になっている。5年前、10年前の男性の老人は、いわゆる「御隠居さん」であり、ああしてレジに並ぶという買い物経験なんて死ぬまでしていなかったと思う。これを考慮すると既に惨めな老後は始まっていますやね。各種のデータでも「働く高齢者が増えている」と指摘されていますが、それは勤労意欲が高いのではなく、ただただ、そうしないと生活できなくなってきているって事だと思う。

学校を卒業したら、もう、後は死ぬまで働くんやで、働き蜂みたいなもんだ。中高年ともなれば生活習慣病なんて当たり前、高齢者になれば持病持ちとなる訳ですが、それでも老体に鞭打って、死ぬまで労働から解放されない。まぁ、少し前の時代だけが人類史的にみて極めて例外的だったという事なのだけれども、なんだね、このルールは。

後期高齢者になっても働き続けるのが常識になっており、昔のように余生なんて言っている暇はなく、或る時期から入院するようになり、「どこそこに癌が見つかっちゃって、癌の手術を受けてたんだよ」なんて言う。徐々に痩せてゆき、しばらくすると訃報を耳にすることになる。いまどきの人間の一生なんていうのは、そーゆーもんだというのが見えて来ちゃう。そら、時間とカネがあったなら豪華クルーズで旅行に行きたいと考えたりしますワな。

それと、中西教授も指摘しているのですが、どうも若年世代の中には冷笑主義(シニシズム)があるのかも知れない。「そもそも政治なんてアテにならないのだ」という言辞を武器にして、政治に接近しない事が賢い行動であるかのような、そういう冷笑主義を指摘している。実際に与党も野党も恐ろしいレベルで悲惨な状態だから、その冷笑主義の政治観は百戦百勝が可能になっているかも知れない。或る種のシラケ現象が若年世代で起こっていると思えば、年長者も思い当たる節があるかも知れない。この冷笑主義になってしまうと真剣に問題に向き合う事さえ、しなくなる。(仏教でも「空論」によって論戦無双が出来る事、老子も「虚無主義的な穏当主義」と指摘されますが、本意は違うと思いますよ。何故ってかなり深遠な体系づけが為されている。それに対して冷笑主義は本当に中身が空洞なままに、小バカにしてさえいればいいという虚無無双である。)

案外、的確な分析な気がしてきましたかね。民主主義は限界に差し掛かっている可能性がある。確かに、諸々、システムとして述べてしまうと民主主義的なプロセスは、多国間での競争世界では不利に作用してしまう。しかし、こうやって世界的混乱が拡大していった場合、どこかに出口がある感じでもないんですけどねぇ…。やはり、世界大戦前の状況と似ているような気がするし…。みんなが権威主義に走っているのであれば、そうなるんじゃないのかなぁ…。民主主義的なプロセスなんてダメだというけれど、一方ではベトナム戦争を終わらせた大きな一因になったのは民主運動であったのではなかったか。


「秩序は重んじるべきです」という考え方について、丁度、楊貴妃の生涯を追った華流ドラマを視聴しているので、少し述べると、その考え方は儒教が最大価値を置いたものだよなって思う。同ドラマの中では玄宗皇帝が道家なので儒家への悪口が結構、セリフに現れてている。「礼節」とか「身分」などの形式的な秩序に「小うるさい」と考えられる。忠節とか忠誠とか孝行などに重きを置くのが儒家ですが、それらは聖なる主人があって初めて報われる忠や孝なのですが、どんずまりになってくると体よく裏切られる事になるのが通例でもある。お隣の韓国の格差社会を考える場合に、この礼節や忠孝といった形式に固執する儒教的価値観が実社会にどのように作用しているのかを考えるのも一考かも知れない。

老荘思想では「道」(タオ)とは定まっていないものだとし、進んだ事に拠って「道」が出来る、拓けるとするので既成秩序にはあんまり頓着しない。おそらく、秩序を巡る話は表裏一体なので「秩序こそが至上である」とか「法律こそが至上価値である」という考え方は、もっともっと切迫すれば崩壊すると思いますかね。実相は既にカオスなのに秩序があると信じ続けるのも無理があるし、このまま行けば「悪法もまた法なり」という具合に開き直られ、結局は自分も利用されてしまうという現実に、いずれ気付かされることになると思う。