21日付の読売新聞社会面(29面)と特別面(27面)とで、大阪地検改ざん事件(村木さん冤罪事件)から10年として検察改革について大幅に紙面がされていました。検察庁法の改正案を前にして、その改正案がどういうものになるのかの見通しも読み取る事が出来るものであった。しかし、翌22日の読売新聞に村木厚子さんが登場、改めて「全面的な可視化」を訴えている。つまり、現状、改正案は全面可視化を織り込んでいない。可視化とは具体的に「録画・録音」を意味しており、読売新聞の記事の見出しは「検察 客観証拠重視へ」と銘打たれているが、それは「見立てに固執しないこと」を意味しているが、尚、録画・録音については賛否があるかのような記事になっている。

21日付の読売新聞には林真琴検事総長も登場しているが、既に可視化を本格導入したかのような前提で語られている事にも気付かされる。

一方で、元東京地検検事の郷原信郎氏は、検察庁法の改正案を「政治ヤクザが権力ヤクザを手足のように使うことを可能にする法改正」と呼んで、反対しているという。この郷原氏が使用している「政治ヤクザ」とは政治家を指しており、権力ヤクザとは検察&警察を指しているという。前者の「政治ヤクザ」とは政治を盾にしてヤクザと同じような事ができる事を含意した名称であり、後者の「権力ヤクザ」とは法律を盾にして合法的にヤクザと同じような事でできるという事を含意しての名称であるという。

実は、我々が想像している以上に、この検察・警察が有している権限は大きい。治安を守る為に暴力装置という定義が、これは揶揄ではなく、マックスウェーバー等の説にも出て来る用語ですが、その問題らしい。

この内、検察については、社会学者の宮台真司氏が、次のように指摘している。

検察が起訴しない限り、刑事裁判は起こらない。それが公訴権の独占です。なんらかの被害を受けた市民が提訴しても、それだけでは裁判にならないということです。

これは当たり前といえば当たり前、特に刑事裁判の話であると思われますが、この辺りがイカレてしまっている可能性がある訳ですね。

例えば、先に黒川弘務氏に係る定年延長問題があり、最終的には場外乱闘のような賭けマージャンによって黒川氏が辞任して問題は、そこでトカゲの尻尾切りにあってしまった。しかし、黒川氏については、次のような経緯が実際にある。

◆黒川氏が法務大臣官房長の時代

2015年4月、小渕優子衆院議員を不起訴

2015年5月、東芝の巨額不正会計事件の捜査に着手せず

2016年6月、甘利明経済再生担当大臣を不起訴

2016年7月、伊藤詩織さん事件で逮捕状の執行をせず


◆黒川氏は法務省事務次官の時代

2018年5月、佐川宣寿・前国税庁長官らを不起訴

2019年10月、菅原一秀経済産業大臣、違法寄付行為が発覚するが、その後の進展なし

2019年11月、「桜を見る会」問題が発覚するが捜査せず

2019年12月、IR汚職で秋元司衆議院議員が逮捕され、現在も裁判中

2020年1月、公職選挙法違反の疑いで河井克行元法務大臣と、その妻でもある河井案里議員の捜査を広島地検が着手。

2020年6月、河井克行・杏里夫妻が逮捕


こう並べても、説明が必要になりそうですが、小渕優子不起訴、甘利明不起訴、伊藤詩織さん事件の逮捕状の執行せず、佐川宣寿・前国税庁長官ら公文書改竄問題に関与した人物ら38名が38名とも全員不起訴、桜を見る会の捜査に着手せず、と、上記の5件については、「まるで政権を守るかのようなものであった」と勘繰られても仕方がないものでもある。モリカケ問題も、サクラ問題も、どちらも国会を空転させた問題としてまるで野党やマスコミが悪者にされてしまっていますが、常識的に考えれば、明らかにおかしい。そして、その何やら官邸を守る検察という流れに反発するようにして、2019年にIR汚職で秋元司衆議院議員が実際に逮捕され、更には広島地検によって過去に例がないような体制で河井克行・杏里夫妻をの逮捕に踏み切っている。つまり、現在も壮絶な政治ヤクザと権力ヤクザとの抗争の最中にあるのだ。

そこには残念ながら真実を明らかにするという本来的な使命よりも、深作欣二監督が描いた日本映画の最高峰「仁義なき戦い」のような近代ヤクザの抗争が起こっているようにも見える。

検察が起訴しなければ裁判さえ起こらず、事件化しない。また、警察・検察が捜査そのものに着手しなければ、これも勿論、事件化しない訳ですね。「そんなバカな事が起こるなんて!」と思ってしまうものですが、よくよく精査すると、そうとしか思えないのだ。つまり、治安を維持する為に特別な権能を与えられている警察・検察が、政治家とくっついたり、離れたりしているという厳然たる事実を炙り出している。

この問題が、キョンキョンこと小泉今日子さんが驚きのツイッターをした「#検察庁法改正案に抗議します」の本丸でもある。これに疑念を抱かなければ不自然で、しかも安倍政権も菅政権も一貫して公文書改ざん問題についての再調査を拒否しているのが現状である。

思えば、伊藤詩織さん事件は安倍政権に近いとされた元TBS記者が泥酔状態の伊藤詩織さんをホテルに連れ込み、そこで性的乱暴をしていたうんぬんという事件であった。事の核心は密室内で起こった事件なので是非を論じる事は不可能ながら、伊藤詩織さんの通報を受けて実際に警察が逮捕の段取りまでしていたのに、官邸筋の人物からの連絡によって直前になって逮捕が見送られたという箇所にあった。確かに警察権の私物化、公権力の私物化であった可能性がある訳ですね。

(余談ながら、菅義偉新総理と「ぐるなび」の創業者で会長でもある滝久雄会長は親密な関係にあるという。政治献金を受けている事、また、GoToイート事業でも業界最大手の「ぐるなび」が最も恩恵を計算できる政策だと週刊文春9月24日号が報じている。何故、こんな話を、この箇所に挿入しているのかといと、くだんの元TBS記者氏は、現在、滝会長が経営している広告代理店NKBの子会社の顧問に就任しており、月額42万円の顧問料を得ているのだそうな。うーむ。なんだか元TBS記者氏と菅義偉との関係は、怪しいといえば怪しいような…。)

何故それが起こったのかというと、安倍政権下で内閣人事局が作られ、官邸が実際に通常の官僚人事だけではなく、検察の人事権を掌握してしまった事と関係していると疑うのも、これまた必然でしょう。

現在の法体系の下では、一応は内閣が、検察に指揮・監督する権限を持っています。まず法務大臣に指揮権というものが認められている。指揮権という伝家の宝刀の話とは別に、内閣は内閣人事局を通じて人事権という形で、検察を指揮・監督できる。また、これが上手くできていて、任命するのは我が国では天皇であり、つまり、天皇に任免権があるというタテマエができている。勿論、実際には天皇に「この人物を任命してください」と具申しているのだから形式的な任免権でしかない。また、この天皇が検事総長と次長検事と8名の検事長、合計10名の天皇から直に認証を受ける「認証官」という特別な待遇になっており、これは他の省庁の事務次官でさえ、認証官ではないので、検察という機関が如何に重要視されてきたものであるかを裏返しに証明するものでもあるという。

定年延長問題の際、国会であったかマスコミでも「どこの省庁でも官僚らの定年を延長しているのだから、当然、検察にも定年延長が認められるべきだ」という言説を繰り出していた人たちが如何に狡猾か無知であったかも、推し測れるかも知れない。全然、システムを理解できてしない可能性もある。なのに、彼等は「改革を推し進めるべきだ」と展開しているという、非常に捩じれの多い、厄介な構造になっている。