松本清張が著した『日本の黒い霧』について日本歴史大辞典は項目を設定しており、『日本の黒い霧』を「記録文学」という言葉で説明している。実は占領下の日本で起こった不可解な事件を取り扱ったノンフィクション作品であり、実はフィクションではなく、語られる機会は少ないが実はリアルな戦後史なのだ。上下巻あるので結構なテーマが取り上げられていますが、その中でも白眉なのは「征服者とダイヤモンド」編であった。数年前にもコンビニの商品棚にミリオン出版系の雑誌があって「M資金」なんてワードが取り上げられていた事がありましたが、戦時中の財宝を巡る話がある。その起源にも置かれそうな戦後のドサクサに消えてしまったダイヤモンドや貴金属の問題を丁寧に語っている。ある筈のダイヤや貴金属はどのように消えたのか? その問題は実は都市伝説中の都市伝説の話である。
以下、『日本の黒い霧』に沿って――。
戦時中の大日本帝国では、昭和19年8月15日から同年11月14日までの三ヵ月間、国民からダイヤモンドを買い上げるという政策を採った。「ダイヤモンド買い上げ実施に関する件」(一九機二三五一号)。元々は軍需省から工業ダイヤの必要性を迫られて政府が立法化し、国民からダイヤモンドと貴金属の即時買い上げを実際に実施したものであった。
政府の命を受けた「交易営団」という組織が、そのダイヤモンド買い上げ業務に当たった。東京、大阪、京都、神奈川、愛知、兵庫、福岡の七大都府県では、それぞれの都府県庁指定の百貨店が買い上げの代行店として指名された。それ以外の道府県では中央物資活用協会が巡回して買い上げを行なった。東京では日本橋三越、銀座松屋、上野松坂屋、神奈川では伊勢佐木町松屋で、それぞれ即時鑑定即時払いとした。
一応は買い取りであったが戦時下、それも太平洋戦争末期の事であった。基本的には「買い取り」であったが、中にはカネは要らないといってダイヤや貴金属を供出したケースも多々あったという。この「買い取り」には行列が出来て、都市部だけではなく、樺太や台湾、満州にも及んだという。
当初は三ヵ月間の予定であったが、期間は延長され四ヵ月間に及び、昭和19年12月15日まで受付は続いた。その締め切りの翌日、つまり、12月16日には当時の軍需次官・竹内可吉は国民の感謝の談話を発表した。その談話の中で「ダイヤモンドは目標の九倍、白金は二倍という大成果が上った」と述べたという。
目標の9倍以上もの買い上げに成功したとの事であったが、具体的な数字は不明で、しかも戦況は一気に傾斜していき、昭和20年8月には敗戦へ到った。確かに戦争のドサクサに消えてしまったダイヤモンド、いわゆる接収ダイヤモンドの話があるのは疑いようがない事実である。
その「ダイヤモンド買い上げ」が実施された事は、しばらくは人々の記憶の中にあったらしく、接収貴金属処理審査会の設置が昭和35年に実現する。最初は接収貴金属審査会を設置すべしという法案が国会に提出されたのは昭和28年であったが、それはお流れとなり、昭和31年に再提出されたが、この時も継続審議となって持ち越しとなった。昭和32年に衆議院大蔵委員会が大蔵当局と協議した結果、接収貴金属処理審査会の設置が決定した。この頃になると、接収した貴金属類は日銀が保管しているものだと考えられていた事が判明する。
当時の評価額についても触れられている。
�々顱糞賣Τし海�ら貴金属を引き継いだ厚生、大蔵省及び造幣局を含むもの)…359億円
��日銀…307億円
�8魄弃鎮帖庁隠隠恐�円
�ぬ唄屐庁苅害�円
合計すると政府・民間を含めて約730億円となり、金が200トン、銀が2114トン、白金が1トン、ダイヤが16万1千カラット、その他に2億円分の資産がある筈だとなった。
しかし、具体的な数字が出始めると、国会関係者や担当筋から、この法案の実施には問題があるというケチがつき始めた。それらは以下のようなものであった。
「米占領軍は、この貴金属の管理中に、その大部分の貴金属を熔解、または混合し、一部を米本国へ持ち帰って売却している」
「米軍によって接収された民間分の43億円は、旧所有者に返還できそうだが、戦時中に民間から集めた貴金属やダイヤは、これらの機関が政府に貴金属類を引き渡さないうちに占領軍に接収され、関係書類さえも戦災で焼失してしまったため、返還できるかどうかとなると困難である」
少し面倒臭い言葉遣いになっていますが、これらは平たく言えば、戦時中のドサクサ、敗戦後のドサクサの中で、接収し保管されている筈の貴金属類の行方が不明になってしまっていたという話になる。これは陰謀史観でもなんでもなく、事実そのものなのだ。
さて、少し引用します。
このことについて一つの参考資料がある。それは、当時の隠退蔵物資等処理委員会の副委員長であった世耕弘一氏の手記である。世耕氏は云う。
「供出ダイヤの数量は、現在まで明確に発表されていないのは残念である。国会での、当時の担当係官公吏の証言では、十六万一千カラットそこそこだと言っている。そして、現在、日本銀行の地下室の金庫にある、十六万一千カラットのダイヤモンドは、それを実証していると言っている。ところで、私は此の数字には承服できない。私が内務政務次官として、内務省にいた時分隠退蔵物資を摘発した時の参考資料に基いて調査しても、六十五万カラット位なければならない勘定である。〜略〜反対論者は、世界のダイヤモンド産出量から見ても、それは嘘言(きょげん)だと言うのである。一応、此の主張には考えさせるのであるが、私が調査したところによると、日本の代表的宝石商の専門家の意見を聞いても、私の見解は正当だと言われるのである。〜以下略〜)」(『日本の黒い霧』下巻25〜26頁)
で、この世耕氏の手記とは、『特集文藝春秋』に掲載された手記である事も示されている。
当時の隠退蔵物資等処理委員会の副委員長であり、且つ、内務省政務次官であった人物が、この世耕氏であり、その世耕氏に拠れば「ダイヤモンドが16万1千カラットだなんて話がおかしいです。ホントは65万カラットぐらいある筈なんです」と、文藝春秋誌にブチ撒けいていた、そういう事があったらしい。
「おいおい、すげぇ話になってきたぞ。戦時中に供出された莫大なダイヤモンドがホントにあったのに、ドサクサ紛れに誰かが持ち逃げしちゃったって話じゃねーかよ」となる。
我々が想像している以上に深い闇がある。占領軍の中の不良分子も接収ダイヤ(供出ダイヤ)を横領すれば、日本人の不逞分子も接収ダイヤの横領に参戦していたと思われる事が徐々に暴かれてゆく。ダイヤモンドに群がる魑魅魍魎たち。悪党のみが繁栄できるのが世の常で――まぁ、そんなのが真実なのかもね。
以下、『日本の黒い霧』に沿って――。
戦時中の大日本帝国では、昭和19年8月15日から同年11月14日までの三ヵ月間、国民からダイヤモンドを買い上げるという政策を採った。「ダイヤモンド買い上げ実施に関する件」(一九機二三五一号)。元々は軍需省から工業ダイヤの必要性を迫られて政府が立法化し、国民からダイヤモンドと貴金属の即時買い上げを実際に実施したものであった。
政府の命を受けた「交易営団」という組織が、そのダイヤモンド買い上げ業務に当たった。東京、大阪、京都、神奈川、愛知、兵庫、福岡の七大都府県では、それぞれの都府県庁指定の百貨店が買い上げの代行店として指名された。それ以外の道府県では中央物資活用協会が巡回して買い上げを行なった。東京では日本橋三越、銀座松屋、上野松坂屋、神奈川では伊勢佐木町松屋で、それぞれ即時鑑定即時払いとした。
一応は買い取りであったが戦時下、それも太平洋戦争末期の事であった。基本的には「買い取り」であったが、中にはカネは要らないといってダイヤや貴金属を供出したケースも多々あったという。この「買い取り」には行列が出来て、都市部だけではなく、樺太や台湾、満州にも及んだという。
当初は三ヵ月間の予定であったが、期間は延長され四ヵ月間に及び、昭和19年12月15日まで受付は続いた。その締め切りの翌日、つまり、12月16日には当時の軍需次官・竹内可吉は国民の感謝の談話を発表した。その談話の中で「ダイヤモンドは目標の九倍、白金は二倍という大成果が上った」と述べたという。
目標の9倍以上もの買い上げに成功したとの事であったが、具体的な数字は不明で、しかも戦況は一気に傾斜していき、昭和20年8月には敗戦へ到った。確かに戦争のドサクサに消えてしまったダイヤモンド、いわゆる接収ダイヤモンドの話があるのは疑いようがない事実である。
その「ダイヤモンド買い上げ」が実施された事は、しばらくは人々の記憶の中にあったらしく、接収貴金属処理審査会の設置が昭和35年に実現する。最初は接収貴金属審査会を設置すべしという法案が国会に提出されたのは昭和28年であったが、それはお流れとなり、昭和31年に再提出されたが、この時も継続審議となって持ち越しとなった。昭和32年に衆議院大蔵委員会が大蔵当局と協議した結果、接収貴金属処理審査会の設置が決定した。この頃になると、接収した貴金属類は日銀が保管しているものだと考えられていた事が判明する。
当時の評価額についても触れられている。
�々顱糞賣Τし海�ら貴金属を引き継いだ厚生、大蔵省及び造幣局を含むもの)…359億円
��日銀…307億円
�8魄弃鎮帖庁隠隠恐�円
�ぬ唄屐庁苅害�円
合計すると政府・民間を含めて約730億円となり、金が200トン、銀が2114トン、白金が1トン、ダイヤが16万1千カラット、その他に2億円分の資産がある筈だとなった。
しかし、具体的な数字が出始めると、国会関係者や担当筋から、この法案の実施には問題があるというケチがつき始めた。それらは以下のようなものであった。
「米占領軍は、この貴金属の管理中に、その大部分の貴金属を熔解、または混合し、一部を米本国へ持ち帰って売却している」
「米軍によって接収された民間分の43億円は、旧所有者に返還できそうだが、戦時中に民間から集めた貴金属やダイヤは、これらの機関が政府に貴金属類を引き渡さないうちに占領軍に接収され、関係書類さえも戦災で焼失してしまったため、返還できるかどうかとなると困難である」
少し面倒臭い言葉遣いになっていますが、これらは平たく言えば、戦時中のドサクサ、敗戦後のドサクサの中で、接収し保管されている筈の貴金属類の行方が不明になってしまっていたという話になる。これは陰謀史観でもなんでもなく、事実そのものなのだ。
さて、少し引用します。
このことについて一つの参考資料がある。それは、当時の隠退蔵物資等処理委員会の副委員長であった世耕弘一氏の手記である。世耕氏は云う。
「供出ダイヤの数量は、現在まで明確に発表されていないのは残念である。国会での、当時の担当係官公吏の証言では、十六万一千カラットそこそこだと言っている。そして、現在、日本銀行の地下室の金庫にある、十六万一千カラットのダイヤモンドは、それを実証していると言っている。ところで、私は此の数字には承服できない。私が内務政務次官として、内務省にいた時分隠退蔵物資を摘発した時の参考資料に基いて調査しても、六十五万カラット位なければならない勘定である。〜略〜反対論者は、世界のダイヤモンド産出量から見ても、それは嘘言(きょげん)だと言うのである。一応、此の主張には考えさせるのであるが、私が調査したところによると、日本の代表的宝石商の専門家の意見を聞いても、私の見解は正当だと言われるのである。〜以下略〜)」(『日本の黒い霧』下巻25〜26頁)
で、この世耕氏の手記とは、『特集文藝春秋』に掲載された手記である事も示されている。
当時の隠退蔵物資等処理委員会の副委員長であり、且つ、内務省政務次官であった人物が、この世耕氏であり、その世耕氏に拠れば「ダイヤモンドが16万1千カラットだなんて話がおかしいです。ホントは65万カラットぐらいある筈なんです」と、文藝春秋誌にブチ撒けいていた、そういう事があったらしい。
「おいおい、すげぇ話になってきたぞ。戦時中に供出された莫大なダイヤモンドがホントにあったのに、ドサクサ紛れに誰かが持ち逃げしちゃったって話じゃねーかよ」となる。
我々が想像している以上に深い闇がある。占領軍の中の不良分子も接収ダイヤ(供出ダイヤ)を横領すれば、日本人の不逞分子も接収ダイヤの横領に参戦していたと思われる事が徐々に暴かれてゆく。ダイヤモンドに群がる魑魅魍魎たち。悪党のみが繁栄できるのが世の常で――まぁ、そんなのが真実なのかもね。

コメント
コメント一覧 (4)
ダイヤについては親王が供出した大きな首飾り(マリー・アントワネットみたいな)が行方不明のままです。皇族の物だけあって小さな粒までカラット数が高い。という事は、売り出す前に再カラットするとしても相当なカッティング技術が必要で並の宝飾細工師では脚がついてしまう。高度なカッティング技術を持った宝飾師や加工機械はほぼユダヤ系で、だいたいが英国か米国へ逃亡していましたから、日本国内でどうこうは難しいんですよ。、未加工のまま市場へ出せば、
ダイヤの流通支配を握るデヴィアスにバレる。戦後30年くらいはデヴィアスの流通支配は鉄壁ですから。
では大粒のダイヤを砕けば良いかと言うと、それでは極端に値が落ちてしまう。それらを考えると、死蔵しておいて後年に捌くとしても、戦勝国ラインで組織的な関与を疑わざる得ません。特に当時はソ連などの南アやインド産でないダイヤ鉱山(シェラネオネなど)は未開拓であり、出所の怪しい大粒ダイヤは指紋のようにバレる。少なくとも今も行方不明の皇族ダイヤは
これが該当します。
すると業界にも顔の効く連合国の政府機関、とくに冷戦突入を想定して動き始めて入る諜報機関、日本のキャノン機関のような元OSS(戦略情報局)で欧州から転任してきた者が多い組織が最も怪しいと思うのですね。ダイヤは高級なものはほぼ英米で加工されていたし、デヴィアスの流通コントロールは英国政府とくっついていた事は確実ですので。
MI6などの統制下にあったはずです。
なぜならばドイツ本土への爆撃や、日本本土への爆撃を敢行するには精密な爆撃照準器が必要で、それらにはダイヤが欠かせません。工業用ダイヤだけでは(製造の部品削加工にも必要だから)足りない。
諜報機関とダイヤは戦時中から関係が深いはずです。
精密爆撃と書きましたが、これは現在のピンポイント爆撃とは違う意味です。
日本やドイツの迎撃戦闘機が思うように動けない高高度からの爆撃で安全を図ろうとすると、一定範囲に集中して落とす必要があります。コンピューター技術の無かった時代なので、光学照準器の精密性が求められます。すると必要なレンズや部品の研磨加工にどうしてもダイヤが大量に必要になると言う意味です。
戦後に破棄されたB29の山の写真を観ても、これらに全て高度なジャイロと照準器を乗せていたと考えれば、海のように小粒ダイヤも必須だった事が解ると思うんです。
正直、私が中高生の頃の感覚だと、このテの戦後ドサクサ財宝ネタは「無し寄りの無し」で認識される方の都市伝説だったんですが、1960年頃までは文藝春秋あたりが取り上げていたようですし、国会でも取り上げられていたガチなネタが元々はあったって事みたいですね。
気のせいか何故かあんまり報じられてこなかったような気がしますが、実際に米軍内では違法に日本から接収品を持ち出したとして2件ほど発覚して米軍内で裁いた事例もあるのだとか。それらは発覚したケースなのでしょうから、実際のところ、どれぐらい流出したのやら…。