アビゲイル・シュライアー著・岩波明監訳『トランスジェンダーになりたい少女たち』(産経新聞出版)を読み進めていくと、或る事実に行き着いてしまう。実は、セラピストも精神科医も当事者が「私は生物学的な性別と性認識する性別とが合致せず、性別違和を感じている」と申告した場合、その申告を肯定する事が既にガイドラインになっているのだという。

引用で補うと以下のようにになる。

トランスジェンダーの治療で広く普及している医療の標準犢猟螢吋↓瓩書くシナリオなのだ。その標準は、精神医療従事者は――多くの証拠に反し、ときには問題に対する自身の考えと逆であっても――性別違和に対する患者の自己診断だけでなく、患者の認識の正確さも犢猟雖瓩垢襪海箸魑瓩瓩討い襦つまり、性別違和で自分で女性をだと思っている男性患者はほんとうに女性だと認めなければいけない。(『トランスジェンダーになりたい少女たち』153〜154頁)

おそらく頭が混乱するか、注意深く理解しようとすると一発では理解できないようなニュアンスを孕んでいる。更に補足するように引用すると、以下にようになる。

これは共感を超えて、狄搬里寮別が異なっている瓩箸いΥ擬圓了廚い海澆鯒Г瓩襪茲精神科医に一足飛びに求めている。肯定ケアは医師に偽りを認めることを強いているのだ。十代の少女が少年として見られるほうが気分が楽だということではなく、実際に男性だと認めることを。(同154頁)

「ジェンダー肯定ケア」がガイドラインの標準になっており、間違っても「君が性別違和を感じたりするのは、思春期特有のものであり、気のせいなのでは?」のように対応してはいけないという事なのだ。まぁ、以前に日本でも「新型うつ病」なるものがあって、その際、患者が自分で「ウツなんです」と言ってきたら、基本的にはその主張を受け入れざるを得ないという話は話題になったと思う。というのは「あなたはウツではありません」と診断する訳にはいかないから。自殺されたら医療ミスだと大騒ぎされるし、そうではなくとも「あそこのクリニックの対応はサイテーだった!」のような炎上ネタをばら撒かれてしまうのが現代のSNS社会でもある。しかし、現在、米国で起こっている「ジェンダー肯定ケア」の問題は、どうも全体を取り巻くようにして出来上がっているらしい。

この肯定ケアという標準は、ほとんどの国際認定機関で採用されている。米国医師会、米国内科学会、米国小児科学会、米国心理学会、米国小児内分泌学会のすべては犢猟螢吋↓瓩髻↓爛肇薀鵐好献Д鵐澄辞瓩伴認しているか狎別違和瓩伴己認識している思春期や青春期の若者たちを治療する際の標準としているのだ。(同155頁)

この問題を、著者は次のようにたとえ話で噛み砕いている。

神経性無食欲症の患者を同様の方法で治療すると思ってほしい。身長一六七センチ体重四三キロの少女がやってきて、医師にこう言う。「自分が太っているのはわかっています。爛妊岫瓩辰童討鵑任ださい」米心理学会はこのやせすぎの少女も猗酲瓩砲佞まれるように猴解を修正する瓩海箸魄綮佞望励しているのだ。そして、患者にはこう対応するよう促している。「あなたが太っていると思うなら、太っているんです。あなたの実体験を支持します。おデブさん、これでいい?」(同156頁)

これは確かに説明が難しい問題でもある。著者は例え話で説明しようと、神経性無食欲症の少女の話とは別に、12歳のアフリカ系アメリカ人の少女が自分は白人であると主張して名前も本名ではなく、その少女が呼んで欲しいという名前で呼ぶことになるのかという比喩で、この「肯定ケア」の問題を提起している。これは実際に落語とかコンニャク問答になりかねず、思春期少女が展開する「ほんとうの自分」、それが性自認になってしまっている訳ですが、それにとことん付き合う事を意味している。付き合っているだけならいいが、当の体制そのものがつくっているガイドライン等が性自認に基いたジェンダー思想になってしまっているので、実はそのままホルモン療法などの性別移行へと恣意的に誘導しているという事を指摘している。

説明するのもなんだか非常に虚しい話になってきますが、「これは医療やセラピーと言えるのか?」の問題になってきてしまうように思えるのだ。バカボンのパパの口調で、

「実は精神科医やセラピストらは、単にメンヘラ少女の御機嫌取りをしているだけっていう事はないんでしょうな?」

と言ってしまいそうになる。しかも、これらの一連は「性自認の問題にかかわる事だから」として保護者らに連絡することなく、勝手に学校や医療機関がやっているという問題らしい。引用箇所などは面白味のない文章で読むのも苦痛かと思いますが、要は、「あなたはこうだっていうけど、それは気の所為なのでは?」と言う事を厳しく規制しているポリティカル・コレクトネスに繋がっているという事だ。

つまり、「気のせいでは?」のように言ってはいけないという事なのだ。「君の言う通りだ。君は女性の身体を持っているが君が自分を男性だと思うなら男性なのだよ。どうしたいかね? ホルモン療法や外科的手法があるけど…」のように応じてしまっているだけって事ですよ。

継ぎ接ぎの引用なので、以下だけでは意味は完結しませんが、流れとしては以下に繋がっている。

米国心理学会が用語について、そしておそらくはそうした人々に対する治療方法についても放置し、政治の世界に入っている。生物学よりもポリティカル・コレクトネスに導かれたガイドラインが患者によって最善なのかどうかは疑問を抱く価値があるだろう。(同159頁)

それらは「医療行為」とか「セラピー」なのかさえ、私であったら怪しんでしまうかな。だったら、最初に患者にも打ち上げるべきだ。「私はあなたの言っていることを、ただただ、肯定ケアというガイドラインに沿って受容します。受容するだけだし、ガイドラインに沿って対応しているだけなんですよ」って、きちんと説明しない事こそが罪のような気がするよ。相手の不安心理につけこんで、善人ぶってダマしているだけ、そういうのは避けたいからねぇ。