大晦日の朝日新聞1面は「膨らむ借金 許した先は」を大見出しが躍っていた。その前日から朝日新聞では1〜2面を通して「百年 未来への歴史 デモクラシーと戦争」という連載をしていたのだ。

「7〜8兆円の税収減をどう穴埋めするのか」「富裕層ほど恩恵が大きいのっではないか」

年末の税制改正論議をめぐる国民民主党の記者会見。提唱する所得税の課税最低ラインの引き上げに疑問が呈されると、玉木雄一郎代表は、「それは財務省の説明そのままですね」と切り捨てた。

ユーチューブには、会見のやりとりについて、「完全論破」「圧勝」といった投稿が相次いだ。

国民民主と主張は大きく異なるれいわ新選組も、財務省を敵視する姿勢では一致する。れいわの高井崇志幹事長は「政権交代したら、真っ先に財務省を解体する」と公言する。

財政均衡主義を掲げる財務省は、「カルト教団化」している。その教義を守る限り、国民生活は困窮化する一方になる――。経済アナリストの森永卓郎氏が昨年出版した「ザイム真理教」は、こうした内容が話題となり、21万部のベストセラーになっている。


「財政均衡なんてカルトである」とか「財政均衡なんて時代遅れである」という具合に展開させると、現在のような言論環境では、「さすがです。財務省を完全論破していらっしゃる!」のように評されてしまうという事を冒頭で皮肉交じりに書いている。

財政均衡が著しく不均衡になっていい筈がないのですが、なんとなく不均衡になっても構わないかのような雰囲気になっているというのはホントであろうと思う。また、ホントに厄介な論陣は「どんなに国債を発行しても大丈夫なのである」と展開させているリフレ派の論陣であろうと思いますが、もう何を言ってもムダという状況になってきている。

1941年10月には大政翼賛会が国民に国債の購入を促した際、『戦費と国際』という読本が配布されたという。そこには次のような一節が記されていたのだそうな。

国債がたくさん増えても全部国民が消化する限り、少しも心配は無いのです。国債は国家の借金ですが、同時に国民が貸し手であります――。

そんな話に触れながら記事は次のように続いてゆく。

いまもアベノミクス以降の日銀による国債の大量購入で、日銀が国の借金を事実上肩代わりするいびつな金融政策が続く。

経済規模と比べた政府債務残高の大きさは、戦前もいまも右肩上がりで急上昇している。国民総生産(GNP)の2倍を超えた戦時中の借金は、戦後のハイパーインフレや財産税などの増税の形で国民が代償を支払った。


この問題は今更といえば今更という問題でもあるのですが、もう誰も警鐘を鳴らす事を諦めているどころか、政治家も経済学者もスポーツ新聞と一緒になって、プロレス的な意味合いではなく、ホンキもホンキで「財政均衡なんてものは時代遅れなので、我々は心配しないでいいのであるっ!」という意味不明な民意とやらに囲まれてしまっている。

この話は、過去に何度も何度もやってきている。

拙ブログ:財政破綻リスクの心配はない?

しかし、こういった問題こそ、デモクラシーの弱点かも知れない。戦前の高橋是清らの言動からすると「一度緩めた財政規律を取り戻すことは難しい」という実感があったらしく、一度、大盤振る舞いの積極財政に舵を切ってしまうと、そこからの方針転換は「絶望的であった」という。

安倍元首相以降の政権は、デフレ脱却のために財政出動を続けてきた。コロナ後は物価上昇が目標の2%を超えたが、財政出動を求める与野党の合唱はやまない。今年度補正予算の規模も前年度を上回る13.9兆円に膨れあがった。

まぁ、そうでしょう。景気が良くなっている実感はない筈なのですが、政治家や経済学者たちに景気について尋ねると、景気がいいという事にされてしまっている。デフレマインドから脱却する為には値上げをするべきなのであると言い出し、これまた盛大なバラマキを画策している。最低賃金の話などはマスメディアも一緒になって、上げろ上げろの大合唱をして、あと5年間、毎年7%ずつ時給を上げて1500円まで持っていけるつもりらしいですが、ほぼほぼ亡国政治やってんなぁ…と思いますけどね。

戦前の放漫財政は、戦後のハイパーインフレと財産税で精算された――。結局、ツケを払わされたのは国民であった。既に政府はマイナンバーカードと預貯金口座や株式口座などの紐づけを半強制的に推進させていることからすると、もう、その下準備は整っているんじゃないのと勘繰りたくなる。財務省を擁護する気はゼロですが、結局、そうなるような政治決定を民意の名の下に許してしまっているという事なのでしょう。