どーか誰にも見つかりませんようにブログ

人知れず世相を嘆き、笑い、泣き、怒り、足の小指を柱のカドにぶつけ、金星人にSOSのメッセージを発信し、「私は罪のない子羊です。世界はどうでもいいから、どうか私だけは助けて下さい」と嘆願するブログ。リンクなど御自由にどうぞ。

カテゴリ: 世相・社会

飯山陽(いいやま・あかり)著『イスラム2.0』(河出新書)で、最新のイスラム混乱事情が確認できますが、既に現認する限り、この大混乱は取り返しがつきそうもないという事に気付かされる。同時に、昨今、頻発するイスラム系過激派のテロと、ホーグロウンテロとの、繋がりについても、「なるほど」という説明になっている。

元々、「原理主義」とは、キリスト教原理主義の事を指していたといい、或る時期から「イスラム原理主義」が台頭してきた訳ですが、この【原理主義】の意味が理解できると或る種の諦念に到達するかも知れない。イスラムで使用されている【原理主義】とは、信ずる神の言葉の実践であるという。神の言葉とはコーランであり、そのコーランにジハードが謳われている以上、もうコーランというテキストに忠実であろうとすれば、即、異教徒と戦わねばならない。イスラム教の特徴として、コーランはテキストであり、そのテキストに書かれているのは神の言葉であり、それに懐疑などは挟む余地がないのだという。異教徒と戦えと記されている以上、それを実践する事こそが、イスラム教徒であると考えるのがイスラム原理主義であるという。一神教的な教義、その原理主義、根本主義になると、こうなるという典型であるかも知れない。

イスラム教と一口に言っても、従来は一定以上のイスラム法学者が実際にコーランに目を通し、それを必ずしも識字率の高くなかった人々に聞かせていた。説教師がコーランと末端のイスラム教徒との中間に入り、原理主義的な部分を現実社会に適合するように修正してきたのが、イスラム教の歴史であるという。しかし、識字率の上昇とインターネット環境の普及によって、末端のイスラム教徒もコーランに直接的にアクセスする事が可能になってしまったのが近年であり、そこから「あの法学者の教説はコーランと違う」や「ホントはコーランには、このように記してあるじゃないか」というイスラム原理主義が芽生えたという。しかも都合の悪い事に、多くのイスラム法学者の歩みとは、体制や権力と密接に関わって、コーランの過激な箇所については別の解釈を用いて教説としていたが、多くは権力と結託している。(これはイスラム法学者とイスラム圏の為政者との関係だけではなく、本当はヘーゲルの解説でも見かけた事がありますが、学者と権力者とは実は一蓮托生の関係にある。総じて重用される学者とは、その体制を支える役割を果たしていたりする。)

なので、コーランの中で「異教徒と戦うこと」が記されている以上、このイスラム原理主義は特定の過激思想を持ったリーダーの下に発生しているものではなく、イスラム教世界全体に普遍性を以って起こっている現象であるという。その証拠として、イスラム原理主義は特定の武装勢力や過激派を潰しても潰しても、また、新たに生まれてくる。YouTubeで人気を博したイスラム原理主義の教説者が、そこで或る意味では正しいコーランの教えをレクチャーして人気者となり、且つ、そのまま、自爆テロを起こしたりするようになった。また、SNSの発展によって、イスラム原理主義は先進国諸国でも増加傾向にあるという。

丁度、イランの最高指導者ハメネイ師に対して、例の誤射事件で「恥を知れ」といったプラカードを抱えてのデモが起こっていると報じられていますが、これとも符合するんですね。今、非常に厄介な事に、イスラム教徒社会ではコーランに忠実であるべきだとするイスラム原理主義が強まっており、どこか権力そのもの、権力と近かったイスラム法学者の地位は相対的に低下しているという。或る意味では既存のイスラム法学者らが都合よく政権と結び付いていた事も露見してしまった為だという。相対的にイスラム原理主義を説くSNS上の説教師が人気を獲得しているという侮れない現実があるという。

しかし、では次に、どのような価値観が台頭するのかというと、一神教に忠実であり、共生や平和よりも飽くまで神に忠実である事を優先して考えるイスラム原理主義になる可能性が高いという。著者は、これを自らの定義によって【イスラム2.0】と呼んでいる訳ですが、説得力は高い。諸々の事柄を組み合わせてゆくと、そうとしか思えない。

或る時期からイスラム圏からの労働移民が欧州各国で増えた訳ですね。EU構想とも関係していて、つまりは、或る種のリベラル主義的な言説は自由に行き来できる欧州圏構想の名の下に移民政策を推進してきたが、実はイスラム教の教説というのは、同化に応じにくい性質を最初から内包している。「価値観が異なるので戸惑いはあるが、きっと年月が経過してゆく中で、フランスならフランス、ドイツならドイツ、その社会に同化してくれるに違いない」と考えたりする訳ですね。しかし、実はイスラム教の教義はそうなっておらず、そればかりか現在のSNSの普及などによって、イスラム原理主義が拡大してしまっているという現状を指摘している。

橘玲著『言ってはいけない』(文春新書)では、白人の生徒しか居ない学校に黒人の生徒が転校してきたケースの考察を述べていたと思う。白人生徒しか居ない集団の中に、一人だけ黒人の生徒が入ってくると、実は、そこそこ成功するのだという。例えば「君はなんてバスケットボールが上手なんだ」という具合に距離が縮まったりする。しかし、ここで転入してくる黒人生徒の数が増えると、そうならない。黒人の生徒は黒人の生徒とのみ親交を深めるようになるので、敵対的な関係が出来てしまうのが実際であるという。この話などは本当は見事な説明であり、諸々の差別や偏見の問題を説明できてしまっている。

在日朝鮮人の非行少年の話やら、帰還した中国残留孤児の家系の子たちによって怒羅権が組織され、日本で飛躍的に勢力伸長した話にも似た構図があって、一定数以上の因子が大きな母集団の中に入って来た場合、自ずと似た境遇の者同士でつるむという特性があり、日本社会の中で社会に同化してゆくというのは、楽観的展望なのだ。異分子は異分子同士でくっつくことになるので、結局、母集団に同化する事はない。ユダヤ人問題や客家のネットワークの問題なども同根なのかも知れませんやね。その中で差別があるから彼等は同じ帰属性の者同士でくっつかざるを得なかったのだと、そう説明できるものの、ユダヤ教徒やイスラム教徒、或いはキリスト教といった一神教の教義、それを真剣に信じている者が、移民先の国の世俗的な慣習と、自らが有している宗教的アイデンティティーとの、どちらに帰属性を感じているのかを考えれば歴然な問題でもある。

で、イスラム国が登場した後の、ホームグロウン・テロも、これと関係している可能性がある訳ですね。移民政策の大失敗であるから言及できず、そればかりか欧米リベラルは「日本は移民政策を推進すべきだ」と、自分たちの失敗を顧慮することもなく、自分たちの正論を押し付けてくるという厄介な構図がある。その言説は、結局は、資本家に都合のいい、或いは統治機構としての統治者にとって都合のいい、低賃金労働者を欲しているから、そうなっているだけですやね。

フランス人である以前にイスラム教徒である、ドイツ人である以前にイスラム教徒である、スウェーデン人である以前にイスラム教徒であるという考え方は、特にイスラム原理主義に傾倒していないように見えても、そういうものなのだそうな。イスラム原理主義が拡大しているという事は、どういう事か? また、先の母集団の中へ移民が同化するか否かの話でも答え合わせが出来てしまいますが、在日韓国人・朝鮮人の問題とも似ているところがあって、許永中は「在日は日本の宿痾である」と分析していたようですが、実は都合いいように「同化する訳はない」という事かも知れない。そのアイデンティティーを考慮すると、当然、「日本人である前に韓国人・朝鮮人である」という帰属意識であり、自己同一性なのだから、この事は犲ずから歴然であった瓩里も知れない。

突如として浮上した国際的政情不安が過ぎたなと思う。年初から香港デモでは大量逮捕者が出たといい、更にトランプ米大統領がイランの革命防衛隊の司令官を殺害したとのニュースが飛び込んでくると、その瞬間から世界株式などが激しく変動し、一時的に1ドル107円台まで円高となり、日経平均は大発会の6日に一時的に630円安なんて数字も記録したのは確かでしたからね。そんな中で、年末から続いていたカルロス・ゴーンの脱出騒動があり、日本時間の8日夜にゴーン氏が騒動後、記者会見を開いたのでしたが、ゴーン問題も2018年から継続している問題であった。イランによる報復のミサイル攻撃があり、その報復を受けてのドナルド・トランプの会見に注目が集まっていたが…。

明けて9日、或る程度の時間が経過してみると、大きな嵐は過ぎ去ったかのように日経平均は大幅上昇、一時的な円高も一時的な原油高も一夜にして元に戻っている。これを経ての、感慨になりますが、先ずは牋妥抜境瓩箸い事になると思うんですね。突如として第三次世界大戦の引金にもなりかねないぞという緊迫感に包まれた2〜3日間があり、過ぎてみて人間の情緒としては安堵感が広がっている状態で、強張っていた筋肉が弛緩していくような状態へ。

アメリカとイランとのやりとりについてですが、語弊があるといえば語弊がありますが、一時的に、これは大変な事態になるかも知れないと気構えていた事、そのように緊張した事からすると、何か拍子抜けするような顛末でもあった。おそらく、イランは事態がエスカレートする事を回避する狙いで、ミサイル攻撃による報復とし、実質的にアメリカに打撃を与える報復を行なわなかったようにも思える。という事は、裏返せばドナルド・トランプの「恐怖」を前提にしたディールが成功したという事のようにも思える。

少し気になった事があって、ここに来てアメリカは無人機を利用して要人暗殺に成功しており、それについての批判を見掛ける事が少ないんですが、よくよく考えてみると、既にSF映画のような話が現実的になって来てしまった可能性があるように思う。年頭に於いているのは「ターミネーター」ですが、おそらく、圧倒的な情報網を布き、且つ、無人機、これは或る意味ではロボット兵器でもありますが、いつの間にかロボット兵器を持ち込む事が正当化されてしまった。これだけではピンと来ないかも知れませんが、既にアメリカの情報収集力は表向きは同盟国であるドイツのメルケル首相の携帯電話を、しばらく盗聴できていたというレベルなのだ。更に、現在、アメリカで検討されているのは使用可能な核兵器開発の技術開発の話になっており、ホントにディストピアが実現してしまう危機に瀕しているのに、思いの外、世論などが盛り上がらないんですね。「そりゃダメだろ」っと、この方向性に待ったを掛ける論調が、中々、登場しないというジレンマにあると思うんですね。

「今回のイランの対応に拍子抜けした」と言えば語弊もあるが、この感慨は、それに依拠しているよなって思う。既に、このトランプ政権の恐怖を前提にした世界支配が有効になってしまっている事への絶望感みたいなものがある。これを野放しにしてしまうと、どんな問題でもロボット兵器が投入され、それによってツイッターでの恫喝や挑発、そして暗殺となり、仮に報復宣言をされても「更なる軍事力の行使をする」と、際限なく武力をベースにした恫喝政治が出来てしまう事になる。この問題というのがね。。。

もう、国連による調停などが機能しなくなって既に久しい訳ですが、パワーポリティクス全開の時代になってしまった気がする。変な話ですが、現行のトランプ政権の在り方というのは、まるで寺内貫太郎一家の寺内貫太郎、ドラえもんに於けるジャイアンであり、実は物凄い横暴が可能なパワーバランスになってしまった気がする。ドナルド・トランプが言う所の「ディール」(駆け引き)なのかも知れませんが、これ、私は潜在的に末期的な状態なのではないのかなって思う。こうした横暴に対して一矢報いようとすると、もう、次には自爆テロしかなくなってしまうだろう、と。ホントは限りなく人類の歴史は、獣的な方向へ、既に叡智などからは遠ざかる方向へ向かっている気しかしないんですね。

今回のイランの件にしても、結果としてドナルド・トランプは飴玉を手に入れてしまった。客観的には暴挙であったと思われるが、結果として戦争をしたくないイラン側の意向を受けて、外交的にトランプが勝利の飴玉を手に入れてしまったという解釈になるのでしょう。脳味噌的には、今回の一連を通して獲得したのは飴玉であり、快楽物質としてのFIXであり、成功体験を獲得した。そうなると、次から次へと、また、脳味噌は飴玉を獲得しようとする。或る意味では、この数年、この西洋文明が持っている勝つか負けるかに二分化してしまう性質を批判してきたつもりでもあるのですが、まさしく、結実してしまいそうだなって気がしている。

こう述べても、中々、ピンと来ない人も多いのだと思いますが、おそらく20年前ぐらいであれば、アメリカの大統領が大統領選挙に勝ちたいからといって、軍隊を動かすという描写は、半信半疑のユーモアで語られていたんでしたよね。しかし、現在ともなると、完全にそれが明らかになり、しかも論説者なども訳知り顔で、そう解説するようになって既に10年以上になっている。もう、当たり前のことで、今更、何も驚きもしない。また、そういうドライで姿勢である事がカッコいいとでも思われているのか、結構、浅薄なままに、そういう論説が流れてくる。

ドライだというのは人間的に乾いているの意であり、元々の日本人的感性からすればウェットであり、そこには恨み骨髄の世界であり、悔し涙もあれば、血の復讐もある、そういった精神作用も喚起しながら、弱い者いじめはダメだとか、大量殺人は許さんだとか、そのように話し合ったものだと思うんですが、現在ともなると、そういう論者は物凄く減ってしまった。人々の反応というのも、いつの間にか全体的にアメリカ的になってしまい、煽ったり、貶したり、池に落ちた犬を棒で叩いたり、乾いてきた気がしますけどねぇ。

仮に自分が間違いであったとしても反省せず、また相手の顧慮することもせず、強い者は常に無謬であり、その強い者を崇めている自分までもが無謬であるかのように錯覚する次元に突入してしまった気がする。

本当はイラン側が屈したというだけではなく、イラン側の知恵が今回の危機を回避させたものだと認識してもおかしくないところ、どういう訳か昔から白人世界というのは、そのように解釈せず、弱いヤツが弱いだけという解釈してしまうところがありそうなんですよねぇ…。人間としての機微のようなものがないというかね…。

実はウクライナ機をイランが撃墜した可能性というのは、どうか分からないけど(既に判明)、現時点では、やや報道が先行気味な気になる。インターネット上のヤフートピックとして「1歳の子も墜落機に搭乗」とあったかと思いきや「新婚夫婦も墜落機に搭乗」というトピックも立てられており、この情緒的な誘導というのは結構、怪しんだ方がいいような気がする。レーガン政権以降のアメリカは【Low Intensive Confict】(低烈度紛争)という戦略を取る場合がある。武力を使用せずとも地味に情報戦を仕掛けるようになっており、いわゆる大衆向けの地味な印象操作を行なうようになっている。「なにっ、罪もない赤ちゃんがイランに殺されただとっ!」や「学生結婚した幸せな新婚カップルが撃墜されて死んだだとっ!」という具合に感情に作用し易いものでしょうからね。

1990年の「ナイラ証言」が判明していますが、これはイラク兵がクウェートの産婦人科医院に侵入してきて、次々にイラク兵が新生児を叩きつけて殺害したと、ナイラという少女に嘘の証言をさせたものであった。この女や赤ん坊がやられたといった具合の偽情報をリリースして戦争に引き摺り込む等の情報戦もホントにしていますね。

サダム・フセインが捕まった際にも映像が公表され、謀略だったのか事実だったのかも知りませんがサダム・フセインが隠れていた部屋にはブリトニー・スピアーズのポスターが貼ってあった等の情報リリースもあった。そんな事を、公式に情報リリースするもんなんだろかって感じたことがありましたが、真偽の程は、よく分かりませんやね。昨今、印象操作は日常的に行われてしまうから。勿論、事実であった可能性もありますが、意図的に「サダム・フセインはクソ野郎であった」と大衆層の意識に働きかける為の或る種の情報操作であったとしても、これにも驚かないの意です。むしろ、まんまと術中に嵌まり、「サダム・フセインなんて悪党の末路はさー、塹壕に隠れていて、その塹壕の中でブリトニー・スピアーズのポスターを貼ってたんだぜ」と豆知識にしてしまう事が、まんまと情報操作の術中に落ちる事かも知れず…。

諸々の雑記になります。

先ず、NISA枠ですが消化し切れずに終了しました。120万円分の枠があったのに約半分も余らせてしまった。指値で購入予定していたのですが、買い切れず。SBI株は買えたのですが、ソフトバンク株とZホールディングス株は買えず終いで終わりました。2019年は春先から、米朝協議とか米中貿易戦争とか、ツイートで相場が激しく変動する大荒れの相場だったので買うタイミングを逃してしまった…。

それと、パレスチナ問題ってのは、なんか見えて来てしまったものがあるような気がしている。時事でもありますよ。自衛隊の派遣が閣議決定され、さほどメディアも取り上げず、世論も盛り上がらない。しかし、これが何を意味しているのか、ちゃんと説明できる人って少ない気がするんですね。せいぜい、石油の安定した供給うんぬんという訳でしょう。しかし、その核心が何処にあるのかと掘り下げて考えてゆくと、根深かくて根深くてどうしようもない次元がある訳ですね。いつしか、イスラム圏の混乱、イスラムのテロリストうんぬんという問題にすり替えられてしまっていますが、世界秩序が関係していて、イラン革命あたりも関係していて、中東問題そのものが延々と混乱を続けているという話でもある。

どこまで遡れるのだろう? イスラエル建国と、国連が承認した事でパレスチナ問題が浮上し、実は日本赤軍の話を掘り下げてゆくと、60年代後半から70年代に頻発したハイジャック事件では、パレスチナ問題が大きく関与していた。イスラエル建国って、何故に、そのような事になったのかというと、一つにはシオニズムの先鋭化したシオニズムマニアというものが第二次大戦中に沸き起こり、第二次大戦後にナチスによるユダヤ人へのホロコースト、その戦後処理の問題に苦しんで、大雑把に言えば、国際社会が第二次大戦後に大量に出現したユダヤ難民、その問題をパレスチナ地方に押し付けてしまった事にスタートしている。つまり、ユダヤ人の国をエルサレムに建国すべきという狂信的シオニズムが、戦後に明らかになったホロコーストによるユダヤ人の悲劇と結び付いて、ユダヤ難民をなんとかしなきゃいけないとなって、当時のイギリス領にユダヤ難民を押し付けてしまった事が、事の発端なのだ。これは、ほぼ間違いない。

また、特に責任が大きいのは、やはり、米国であり、米国がイスラエルに肩入れし過ぎてきた事が、混乱を引き摺らせている。しばしば、中東情勢をテレビの中の人が解説し、お決まり文句のように「宗教が喧嘩をさせている」とし、なんとなく、喧嘩両成敗の言説を操ってバランスを採っているものの、冷静に考えれば「我々は二千年前に、ここに住んでいたんです。ここにユダヤ人の国民国家を建設します」と言われたら、そこに住んでいたアラブ人が混乱し、反イスラエルとなるのは容易に計算できた筈なんですね。また、イスラエルが出来た事で、パレスチナ地方のアラブ人が今度は難民となり、パレスチナ問題が発生する。

で、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)らのパレスチナ解放勢力の過激派がハイジャック闘争を起こしたのが1970年代であり、そこに一枚噛んでいたのが日本赤軍であった。どうも実際のところは京都パルチザンと名乗っていた勢力が、反帝国主義闘争の「根っこ」はパレスチナに在りとして義勇軍としてパレスチナ闘争に参加。

1970年9月、ブラック・セプテンバー事件が起こった。発端はハイジャック事件であり、人質らを飛行機から退避させた後、大型旅客機三機を爆破した。その後、ヨルダンのフセイン国王がパレスチナのゲリラへの掃討作戦を展開した。これが「黒い九月」という訳ですね。(パレスチナとは地方名であり、その地域はヨルダン、イスラエル、レバノン、シリアの一部だという。)

そして1972年9月にミュンへン五輪村襲撃事件が起こった。五輪選手村に「ブラック・セプテンバー」という武装グループ8名が乗り込んで、イスラエル選手団の中から11名を人質にとってイスラエル政府と西ドイツ政府に対して政治犯の釈放を要求した。この際、イスラエル当局(政府と秘密警察)は最初から交渉に応じる気はなく、西ドイツにしても対テロ部隊は存在していなかった。イスラエルが最初から政治犯解放の要求に応じる姿勢が皆無であった事から西ドイツ当局は、交渉にも苦慮する中で、金銭と引き換えに人質となっている選手団の解放を打診したが、実は、それを武装グループに拒否されている。つまり、飽くまで政治犯の解放が交換条件であった事が分かる。苦慮して西ドイツ当局は、時間引き延ばしや、最終的には空港に移動させてヘリコプターから飛行機へと乗り替わるタイミングで急襲と狙撃をするという計画を立てていたが失敗。結果からすると人質11名は全員が死亡するという惨劇に終わった。襲撃事件を起こしたブラック・セプテンバー部隊は5名が死亡、残った3名は西ドイツ当局に逮捕された。

死亡した5名は西側諸国からするとテロリストである訳ですが、作戦を実行した5名はアラブからすると英雄となる。リビアに返還された5名の棺はリビア人の群衆たちが自らの頭上に担ぎ上げて運んでいる映像なども確認できる。

更に、西ドイツ当局は逮捕した3名の処分にも困って、パレスチナ勢力と裏取引をした。12名ほどの人質をとった貧弱なハイジャック事件が発生、そのハイジャック犯はミュンヘン五輪村襲撃事件の実行犯3名の釈放を要求、これに西ドイツ当局はイスラエルに連絡する事なく即座に応じ、釈放。しかし、このハイジャック事件はパレスチナ解放勢力と西ドイツ当局との間のプロレスであったというのが真相だと強く推定される。しかし、その釈放された3名の内の2名は、なんとイスラエルの秘密警察によって暗殺された。これも、ほぼ間違いない。イスラエルの強硬姿勢がいつも許されてしまうというは不思議な気もしますけどね。国家の諜報機関が行なう暗殺や破壊活動は正当にして合法的な行為とされるが、国家を持たぬ勢力が行なう暗殺は「テロ」と呼ぶことにしているだけのようにも思える。

問題が非常にややこしい事に気付くでしょう。イスラエルという国を生み出してしまったのは第二次大戦中と戦後の判断であり、鍵を握っていたのはトルーマン大統領であった。イギリスは当惑していたが、米国が主導する形でイスラエル建国がなり、また、後追いで国際連盟もイスラエルを承認した。また、ここに登場したドイツにしても、ナチス時代にユダヤ人に対してのホロコーストを行なっていた関係があり、その20世紀の負の遺産が延々と続いている中東問題であり、パレスチナ問題であり、イスラム・テロリストの問題でもある。この一連に、イラン革命や、親米路線に舵を切ったエジプトとアラブ諸国との対立図を当て嵌める事が出来てしまう。

日米安保の絡みで、なんとなく自衛隊派遣が決定したものの、これによって改めて日本は自ら西側陣営に組み込まれる選択をしたとも言える。実相としては日本は外交的イニシアチブを自ら放棄したというニュアンスが真実に近いのだと思う。しかし、この選択は「外交」という観点から眺めると、反アラブに舵を切ってしまったという事でもあり、いわゆるバリバリの帝国主義、アングロサクソン主導の帝国主義陣営に回ってしまったと誤解されるリスクも背負ってしまったかも知れない。おそらく、そう認識されてしまう事になるのでしょう。先々、どうなるのかは分からない。本来的には、この中東問題、第二次大戦では堂々たる敗戦国である日本は全く関係がないのですが、戦後日本の歩み、それと国際情勢の成り行きで、そちらの陣営に組み込まれざるを得なくなった感がある。

湾岸戦争やイラク戦争、そして対テロ戦争というのを、相応の見識でニュース報道を眺めてきた訳ですが、さすがに末期的なものを感じないといえば嘘になる。米大統領がにっくきテロリストの暗殺に成功したからといって「怯えた犬のように死んだ」と発信している等という現実は、どう繕っても狂気の沙汰としか思えない訳ですよね。誰も口にしないだけで。ヨイショ、ヨイショ、ゴマすり、ゴマすりになっているだけで。

今年、話題になった本として李栄薫著『反日種族主義』(文藝春秋)がありますが、或る種の嘘や欺瞞は、いつの日から暴かれる日が来るという主旨が記されている。この『反日種族主義』は韓国でも大きな話題になっているそうで、或る意味では「やっとか…」という話でもあるのですが、無理のある話は無理があると、いつか露見するものなのではないのかなって思う。フェイクニュースだらけの世の中ですが、それでも長い目で眺めると「真実のみが勝利する」というのはホントかも知れない。

叱らない教育なるものが肯定され始めたのは90年代だというから、最早、30年近くにもなるらしい。しかし、この問題、どうしても引っ掛かるんですよねぇ…。別にスパルタ教育を讃美するとか体罰を礼賛するのとは違い、兎に角、方向性として、この25年ぐらいは「叱ってはいけない」、「褒める教育であるべきだ」ときて、とうとう、体罰そのものが違法になるという事態へ。親子関係にしても師弟関係にしても、そこへ法律を介入させてまでシロクロの決着をつけようとしている事態は異常のような気がするんですね。そうせざるを得なくなったのだという主張もあるのでしょうけど、先ず基本的な部分として虐待とシツケとの区別がつかないから、法律で一律で禁止するのですという部分に違和感がある。きっと、それだけ、人間関係が希薄化し、社会そのものが実は無力化しているのでしょう。だからこそ、法律に頼ろうという訳だ。

で、法律で一律的に定めるに当たって、最低ライン基準にしてしまう訳ですね。虐待死事件を念頭に置いて、虐待などしないであろう人々を拘束する。そして喜んで拘束される。これが、近年のトレンド。

個人情報保護法とかコンプライアンスとか、ヨコから持ってきて、機能していた社会へブチ込んで社会がガタガタに破壊してきたのが、近25年のような気がしないでもない。民間企業はコンプライアンスでガタガタにされた部分もあるが、どうも公官庁はコンプライアンス番外地の気配がある。賭博場を付設するIRなるリゾート開発を巡っては早速ワイロが発覚。おそらく五輪招致でもワイロがあったが罪には問えないよねと沈黙している状態だし、ここのところ、政治家だけではなく官僚が平然と嘘を並べて追及を逃げ遂せるようになってしまっている。

何がコンプライアンスだって話で、民にはガチガチに情報管理を課しておきながら、官の情報管理は個人情報の厳重な管理を逆手にとって、廃棄、廃棄のオンパレードになっている。直ぐに、物を紛失する。紙データだから紛失するのだとIT化を推進させたのに、バックアップもとっていなかったと言い張り、もう消去してしまった電子データの復元は不可能なのです、業者に立ち入られは困ります、もうすぐ御用納めになりますので、我々は逃げ切らせて頂きます、よいお年を、ごきげんよう、さようなら。

案外、実際には紛失なんかしていないし、データの消去も最近まではしていなかった可能性もありますが、すべては、国民をダマしてでも、現政権を、自分たちの地位を守りたいって訳でしょう? これは末期的な症状にしか思えないんですけど…。ちゃっかりと自分たちの待遇改善、天下り先を増やす事には積極的っぽいしねぇ。

で、これが狙っているのが、テレビ的大衆層の支持という事だろうなって思う。多数決は民主主義の根幹でもあるのだけれども、多数決で勝てばいいのであれば、分かり易い大衆層をターゲットにして宣伝していくというのが、マーケティング・ターゲットというものですよね。これ、実際にやってますよね。私は、このブログ内でも、若者への投票への呼び掛けにタレントの「ぺこ&りゅうちぇる」さんを使用した動画に苦言を呈した記憶がある。「兎に角、投票へ行きましょう」と呼び掛けることは正義なのだから、若者ウケする「ぺこ&りゅうちぇる」を起用した事は肯定的に評価されたのだと思いますが、ホントは、最初から分かっていた話なんですよね。仮に、そんな動画で投票へ行く若者が増えてもダメだろって話で。そもそもオトナの側に真剣味がないというのが、非常に気に入らなかったんですね。「どれだけコケにされているのか気付けよ」の方が真剣だと思う。しかし、そうしない。断じて、そうしたがらないんですね。バカにはバカでいてもらった方が何かと都合がいいというのが、伝統的な為政者側の理屈だから。

TBSが報じたという入国管理局での、クルド系トルコ人への乱暴な取り扱いの動画を視聴しました。一人の外国人に対して、6〜7人の職員が手足を押さえつけ、後ろ手に手錠。しかも、かなりきつめに手錠をしている。そして「殺される」とトルコ人が叫んでいるのにスリーパーホールドらしき形で首を押さえつけている職員、何やら首に手を伸ばしている職員がある。現時点ではNHKは報じていなかったので、TBSだけが報じている可能性がありますが、結構、日本の暗部を目撃できてしまうんですね。要は、東京五輪を控えて一部の外国人には帰国して欲しいという政府の意向で、どうも故意に虐待的対応をしているという。これが国家ってものの、裏の顔ってやつかもね。ここのところ、入管を巡っての虐待相談が増えているのだそうな。おカネをたくさん持っている外国人サマ、来来って方向性の、物凄く、いやらしいグローバリズムが表出しているなって思う。

そもそも観光立国とか言い出した時点で「あっぷあっぷ」になっている気がするし、カジノという西洋博打場で一儲けを企んでいる事を考慮しても、はて、どこの反社勢力の仕業だろうって話でもある。要人暗殺事件などで名前の挙がる世界のVIPからカネを巻き上げてやるぜって訳だ。仮に、そうなのであれば、日本的なおもてなしとして半丁賭博をする賭場も併設すれば、大事なVIP様を存分に、おもてなしできるのかも知れないけど、どうしても、そこらへんは西洋基準に従うという歪んだコンプライアンス意識みたいなものがある。骨の髄まで、外国系資本様の価値観に占領されてしまったって事かもね。

同じ外国人でも、扱いが違うってのは、どういう事なんだろう。数ヵ月前に山田太一が脚本を担当した「日本の面影」というドラマを視聴したんですね。主人公はラフカディオ・ハーンであり、つまり、「小泉八雲」の話。ドラマの中、ハーンは日本の面影がどんどん消えてゆく事に怒り出すんですね。日本人は近代化する、文明化するというけど、要は西洋化するの意であり、「西洋文明は、そんなにいいものではない」という思いを抱えているのが日本を愛したラフカディオ・ハーンの本心であった。目を患っていた事で、あれこれと偏見に遭い、また、美しい混血娘を「美しい」と評するが西洋的価値観の中では一線を引いて混血娘を評価している事などをハーンは指摘する。

日本人は、どうであったのか? 日本人も外国人に対して差別意識がなかった訳ではないのでしょうけれど、そこに余計な邪念はなかった訳ですね。当初、ハーンは、日本人が一様に浮かべる微笑、その意味が理解できず、「まるで嘲り笑っているようだ」と日本人の微笑の真意を訝しんでいたが実は違っていた事に気付く。日本人は異人に対して恭しい態度で客人を迎える為に、不思議な微笑を浮かべていたというのが真実であった。そこに邪なものはないんですよね…。それがいつの間にやら、アルコール中毒であろうが麻薬中毒であろうが病名を持っている者には最大限の同情をよせ、生活保護受給者にも最大限の同情を寄せる一方で、生活保護を受給できないホームレスに対してはロクに同情もしないばかりか蔑みにかかる。これと同根でしょうねぇ。杓子定規で計れないものを杓子定規で計れた気になった。本来的なマゴコロみたいな感性を喪失してしまった。

「桜を見る会」疑惑、おそらく食傷気味であろうけど、ホントは至極、深刻な話でもある。確かに、それで倒閣と言われても困るし、野党にしたってホントは準備なんて出来てない。国会ごっこといえば国会ごっこなのかも知れませんが、深刻だというのは、言論支配でしょうねぇ。幾ら官邸主導っつったって嘘とか隠蔽だらけじゃ、もう、習近平政権なんてのを批判できなくなってしまう。

特に、酷いのが「名簿を廃棄しました」と「電子データの復元は不可能」と言い張って、それが通されている事でしょう。何が起こっているのか分からない状態になっている。しかも、これは外交機密などではなく、国民に説明できて当たり前の話でもある。この内閣官房の隠蔽体質そのものも問題ですが、それ以上に情報支配というか言論統制みたいな事態になっている状態というのは、ホントは、かなり深刻な事態ではないのか。

古新聞を捨ててしまったので、しんぶん赤旗日曜版を参考に展開しますが、経緯を総ざらいしてみる。

5月9日に日本共産党の宮本徹衆院議員から招待者名簿の公開の要求があった。しかし、その公開請求のあった5月9日、請求のあった時刻の約1時間後に巨大シュレッダーにかけられていたという。また、電子データの方も偶然にも、その前日の5月8日に消去されていたという。「データの復元は可能なのではないか?」と田村智子参院議員に質問されると「データの復元は不可能だと聞いている」という。これは記者会見の映像でも菅官房長官が、そう説明している。

そして誰の説明だったのか忘れましたが、

「君たちは知らんのだろうが、かの巨大シュレッダーは予約待ちになっているのが実情であり、偶然にも請求があった日に順番が回って来てシュレッダーにかけたものである」(なので情報公開請求がある前からシュレッダーの予約を入れていたのですよ、請求されたからヤベェと思ってシュレッダーにかけたのではないのですよ)

という。ホンマカイナ。

そもそも、何故、そんなに急いでデータを消去したり、裁断したりする必要性があるのかというと、曰く「個人情報が含まれているので云々」と個人情報保護法を楯にしての廃棄の正当化をし、またもや、これを許してしまっている。ホントは「桜は見る会」は継続的に行われてきた伝統行事である訳だ。その招待者名簿は、当然、来年、再来年の招待者リストを作成するのに使用するものであろうと思う。毎年毎年、リストをゼロから作成しているのだとしたら不自然なほどに非効率的な仕事を優秀な官僚がしているって事になる。有り得ませんなぁ。優秀な神奈川県庁あたりでは、絶対に漏洩させるべきではない個人情報だって盛大に漏洩させてしまうぐらい優秀だというのに。

実は、この話はワシントン・ポスト紙でも「巨大シュレッダーの奇妙なお話」といった具合で報じられたという。誰が考えたって、そんな都合のいいような偶然が起こる確率は考えにくく、嘘をついているか、もしくは意図的な隠蔽が為されたと認める事が妥当で、そう強く推測する事ができるが、最早、日本人は、これに疑問を抱くことをも放棄している。一部の人たちは、強弁に強弁を重ね、真相や真実なんてどうでもいいといった態度で、ただただ、応援したい政治家を応援している体でしかない。しかも、それで実際に政府が動いてしまっている、動かされてしまっている。因みに、アメリカでは大統領記録法なるものがあり、大統領が触ったすべての文書は歴史的記録として保存し、国立公文書館に送らねばならないという厳格なルールがあるという。それに比して、日本の場合、おかしな方向へ傾斜しているとしか考えられない。

先週、少し触れたのですが、週刊新潮誌上と読売テレビでは、いずれも「桜を見る会」についての追求を、小賢しい事だと大所高所から語っていて、違和感を感じたのでした。基本的に政権政党に甘く、その不正を追求しようとすると追求する側を叩き潰そうとする悪辣な体質が過ぎるよなぁ、と。そりゃ、「桜を見る会」で倒閣とか言っちゃってる連中は確かにおかしくも目に映るが、こうも嘘や隠蔽、改竄、捏造が跋扈する状況をつくったのは、やたらと追求する事をコケにする劣化した保守系メディアの報道姿勢と関係があるのではないだろうか? ウソをついている連中に加担し、そういう自分たちこそが「国士」であるかのように振る舞われるのは、さすがにウンザリって人が潜在的には多いハズなのに。毎度毎度のアベちゃん応援団ぶりには辟易とする。


ホントは初期対応にすべて現れており、ごくごくフツウに情報公開し、税金を使い過ぎていますね、マルチ商法の第一人者を招待してしまっていましたね、反社と呼ばれる人物も混じっていましたね、と認めて真摯に謝罪すれば、それで済んだもの許されたかも知れないものを、どうも安倍政権というのは狡さに味をしめたらしく、いつでも「廃棄した」とか「そのような事実はない」のように言い張る。オボカタさん的なのかな。しかも、そうした悪弊が、どうも恒常化している節がある。しかも官邸だけに留まらず、そうした忖度しての隠蔽体質というのが、官僚機構から御用メディア、御用文化人にまで浸透してしまっているという怖さがある。陰で、どんな悪さをしているのかも分からない秘密組織みたいな政権になってしまっている。巷間に流れている「情報そのもの」が限りなく怪しくなってしまっている。

しかも、これが恒常化してしまっている事というのは異常でしょう。忖度してしまう人たちが大勢いる中で、隠蔽体質が正当化されてしまっている。そして、それらの平気で嘘を許してしまっているという現状が色々と問題があるよなって思う。自衛隊の日誌は「破棄した」に始まり、そこから波及して当時の稲田大臣が苦しい答弁をし、別の角度から森友学園問題が話題になると当時の稲田大臣は籠池氏との面識はない、「弁護士時代を通じて法律相談を受けた事もない」と否定したが、あった。何故、強弁してしまうのか? もう、この強弁して都合の悪い事を隠蔽するというのが常態化していますね。森友学園問題では、その後も不審な答弁が連続した。もう、記憶もおぼろになってしまいましたが、安倍昭恵夫人は公人ではなく私人としたが、実は官僚がついており、窓口になって森友学園側との間で交わしたファクシミリ文などが出てきた。何故、嘘をついて何かを隠そうとするのか。この問題なども外交問題などとは関係なく、本来は進んで情報を開示してもおかしくない問題だった訳ですよね。

不誠実な態度が常態化しているって事でしょうから、それが信任されてしまっている当たり、結構、厄介な事態でしょう。その一因は、情報媒体にあるという。

森友学園問題では、後にNHKの記者であった相沢冬樹氏が例のスクープを報道した後に「報道部門」から「考査部」へと異動となり、結局、相沢冬樹氏はNHKを辞めて『安倍官邸vs.NHK』(文藝春秋)を刊行した。これが何を意味しているのかというと、首相官邸からNHK上層部へと圧力がかかっている事を曝露した。暴露といっても今更なのですが、元NHK会長の籾井勝人氏が

「政府が右と言っているのに我々が左と言うわけにはいかない」

と、とうとう自ら白状してしまったという騒動さえあった。NHKは公共放送だから上層部は政府の意向に逆らえない訳ですな。よく「NHKは左翼だ!」というものの、凡そは公共放送の範疇でしか物事を報じる事ができない宿命を担っている。しかしながら現場で取材している記者は、相応の取材力を誇っている訳だから、必ずしも政府の利害と一致しない特ダネとかスクープを取ってしまうことがある。現場の論理からすれば、それはスクープなのだ。しかし、相沢氏のケースではNHKは政権に不都合なスクープをしたので「政府に不利なスクープなんて報じるんじゃない!」となって、報道部門から外すという人事をした、という事を意味している。こうなってくると「そもそもNHKってのは報道機関なのか?」という問題が当然、出て来てしまう訳ですよね。なんじゃ、こりゃ。

また、前川喜平氏に係る「出会い系バー」については読売新聞が世紀の大失態を演じた。あの大新聞社が、裏どりもしないままに物凄くつまらない提灯記事を書いた。これをインターネット上ではネトウヨ的な言説が大きな声によって圧殺してしまったのかも知れませんが、実際には読売新聞内部でも問題視された大失態であった。政治部が社会部へ出張って来て、告発の用意をしている可能性がある前川喜平氏を潰しに行く為に、書いたという、東スポでもやならないんじゃないのかっていう提灯記事を書いた。後に、前川喜平氏が書籍を出版したところによると、読売新聞記者は「出会い系バー」の記事を掲載する前に前川喜平氏の後輩を介して前川喜平氏に

「和泉(洋人首相補佐官)さんが話をしたいといったら、応じる気はあるか?」

と確認していた事を暴露した。つまり、文脈としては「出会い系バーに出入りしている事を記事にして欲しくなければ、和泉さんに会ってもらいましょうか!」という仲介屋を読売新聞政治部の記者がやっていたのだ。しかし、無視したら出会い系バーの記事が読売新聞社会面でデカデカと掲載された。当時は、事前に「(公的文書とは言えない)怪文書がうんぬん」と官房長官がアピールしていたタイミングでもあった。

さすがにねぇ。

私も、最近、週刊新潮に手が伸びなくなったのですが、これ、理由がある。一言で言ってしまうと、明らかに執筆陣の劣化があった。適菜収さんが指摘していますが、平たく言えば、どうも新潮社はネトウヨに傾斜してしまった。適菜さんは、例の月刊誌の『新潮45』が休刊になる以前に、その誌面がネトウヨ化している事を直接、編集長にも指摘したが小川榮太郎氏を登場させ、杉田水脈議員擁護のネトウヨ的言説に間接的に加担した。

杉田水脈議員がLGBTを批判的に語る中で「生産性がないのです」と発言し、物議を醸した。その杉田水脈議員を庇う企画を『新潮45』が立ち上げて、その中の小川榮太郎氏の論文が更に物議を醸して、『新潮45』は休刊となった。ホント、これ、なんで、掲載したのか首をかしげるような世紀の名文だったんですよね。

「満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の困苦こそ極めて根深かろう。再犯を重ねるのはそれが制御不可能な脳由来の症状だという事を意味する。彼らの触る権利を社会は保証すべきではないのか。」

切り取りとはいえ、この文章、どういう風に読めます? ギャグで書いたのかなとか、ここは笑うところなのかなって、マジで悩んでしまう。筒井康隆のショートショートなら、有り得るかもな、とか…。

しかし、これ、本気なんでしょう? 「論文」って言っているし。但し、適菜さんに拠れば、小川氏の文章は、やたらと飾り立てているだけだと指摘している。不必要なのに旧かな遣いを使用し、無駄に教養をひけらかそうとして、やたらと飾り立てているだけである、と。

その上で、高橋源一郎氏が『「文芸評論家」小川榮太郎の全著作を読んでおれは泣いた』と題する文章を文芸誌『新潮』に寄稿し、その虚像を暴いた。小川氏は「私の全著書を僅か4日間で読める筈がない。不道徳だ」と反論。適菜さんは一連に触れながら小川榮太郎氏の文章を「便所の落書き」と痛罵している。

新潮45休刊騒動の際には新潮社内部からも批判の声が起こったんでしたっけ。一応は文芸誌で名前を売った出版社でもあるから。しかし、小川榮太郎氏や、関西系のテレビ番組の放送作家出身の大物作家や、最近になって右傾言説で活躍するようになったアメリカ人弁護士、若手の保守派ユーチューバー氏を起用する誌面になっている。

で、この小川氏って、元々は安倍晋三応援団的なポジションで有名になった方で、いわば籠池さんと似ている。しかも、小川氏の著書『約束の日』を自民党が大量に買い込んでいたという訳の分からない実態まで発覚。適菜収さんに拠れば、見城徹氏が安倍政権に近い人物から頼まれて書籍化し、それを自民党が買い込んでいた事を指摘している。これが意味しているのは、一種の安倍カルトという名のビジネスモデルが出来上がってしまっていて、やたらと安倍政権にヨイショするジャーナリスト、作家、文芸評論家、外国人弁護士などが妙にゴリ押しされるようなったとして指摘している。安倍信者がカルト化しているので、反韓、反中、反朝日をやっていれば、それで商売になってしまうようになっている、と。

イデオロギー的なものは殆んど関係ない宝島編集部なども似た見解を示していますかねぇ。「ネトウヨは存在しない」というのだけれども、たとえば産経新聞さんはどうかというと、産経新聞電子版は2017年12月9日、「危険を顧みずに日本人を救出した意識不明の米海兵隊の勇敢な行動を報じずにスルーした」と沖縄タイムスと琉球新報を批判。しかし、これ、なんと誤報。しかも、そもそも米兵による日本人救助という事実さえも無かったという。(なんだ、そーゆー顛末だったのか。めんどくさいからスルーしてた。)

しかも、驚いた事に産経新聞那覇支局長は、沖縄県警にも米軍にも取材せず、電話の一本で確認できた事柄であったが、どうもインターネット上のネトウヨさんの話を信じ、電話一本の確認さえも怠ったまま、産経新聞社の名前で電子記事を配信していたのが真相だったという。結局、同支局長は更迭され、産経新聞社が謝罪した。

(しかも、このケース、内容的には「アメリカさんの英雄的行動を報じない沖縄2紙はけしからん」という内容だからネトウヨさんを喜ばせた可能性がある訳でしょう? まるで自分たちでエサを撒いて自分たちで盛り上がって食べる的な、奇妙な循環がビジネスとして出来上がっている可能性がある。)

また、産経新聞から朝日新聞に転職した者は過去に複数例あるが逆の例、つまり朝日新聞から産経新聞へと転職した記者は皆無だそうな。田原総一朗さんの話でも、本当は集団的自衛権の問題までは、どこの新聞も論調は似たようなものだったが、反目が生じたのは読売と朝日であったという認識だったかな。産経さんは独自色、元々はカラーを出す為に、あの右派のスタンスになったものだ――と。現在ともなると産経色が強く打ち出されている訳ですが、そもそもからすれば朝日の慰安婦報道に係る誤報にしても、当時、読売も産経も紙面にしていたものでもある。それを考慮すると「朝日にダマされていた」という論陣が形成されたのは、そんなに古い事ではないのかも知れないが、いつの間にやら産経的右派が強靭化し、鈴木邦夫氏であるとか小林よしのり氏あたりを通り越して、現行の胡散臭そうなネトウヨのカリスマ諸氏が台頭する状態になった。適菜収さんの指摘も似ていたのかな、新潮社が右翼や左翼を登場させる事に意味はあるが、明らかに言論として劣化が読み取れてしまう「ネトウヨ」はダメだと釘を刺したのに新潮社はネトウヨへ傾斜したというニュアンスである。

日本の言論環境というのは、これですやね。日本共産党あたりを除いて、多くの政党は自民党に限らず講師代などの名目で金銭を支払っており、受け取っている評論家やジャーナリスト、政治学者らが、そのまんま、テレビでコメンテーターなどをしているのは民主党政権時に暴露された話でもある。(「金銭授受を断ったのは田原総一朗ぐらいだった」というのは有名ですね。裏返すと、彼等のジャーナリストとか評論家といった矜持ってのは…。)

こういった状態で何か重大な意思決定をするってのは難しいんじゃないんですかねぇ。書店へ行けば、パクリ疑惑が指摘されている新潮社一押しの大作家先生の大著が山積みされてたけど、ちょっと色々と問題が多過ぎだよなぁ。週刊新潮の話に戻ると、かの大作家先生の連載小説ではなく、連載エッセイは目にするのはちょっと精神的にきつい。穏やかな文章を書ているものの、ツイートなどでは年がら年中、暴れている方ですからねぇ。適菜収さんに拠れば、彼の映画化もされて大ヒットした出世作は浅田次郎の『壬生義士伝』と坂田三郎の『大空のサムライ』あたりからインスパイアされているとしているが、非常に内容、表現が似ていると厳しくパクリ疑惑にも言及している。また、その後のタレントの死を扱った書籍でも訴訟沙汰を起こしているし、出版社が妙に肩入れしている理由が分からない。どこか全体的にネトウヨ化したと指摘されても仕方ないんでしょうねぇ。新潮社は、どうてしてもヒットを出す大作家先生を手放したくないのでしょうけどね。

◆五輪予算は3兆円超え
5日付の読売新聞32面に拠れば、東京五輪関連予算は全体で少なくとも3兆7百億円になる見込みだという。この3兆7百億円の内訳は、国が1兆600億円、東京都が6000億円+8100億円、組織委が6000億円だという。また、会計検査院は2020年に発生する134億円や、大会ボランティアの管理に使うための事業費5千万円は国が負担するとしている1兆600億円には含まれていないと指摘しているという。結局、全体とする3兆円超で東京五輪が開催することになるという。景気、いいでんなぁ…。


◆アベノミクスを加速させる〜経済対策26兆円決定
6日付の読売新聞1面から。政府は5日、事業規模が26兆円程度、国や地方の財政支出などの財政措置が31.2兆円程度となる新しい経済対策「安心と成長の未来を拓く総合経済対策」を決定した。2019年度補正予算と2020年度当初予算に対策費を計上し、経済運営に万全の対応を整える――という。

財政措置の支出の内訳は、国の支出は7.6兆円(一般会計6.2兆円&特別会計1.4兆円)+財政投融資3.8兆円+地方の支出1.8兆円=13.2兆円。

首相官邸で開かれた経済財政諮問会議で

「相次ぐ自然災害や経済の先行きリスクに万全の対応を講じ、未来へのチャレンジに邁進する。まさに今こそアベノミクスを加速し、これらの課題の克服に取り組むべきだ」と協調した。

大丈夫なんかな。どうも最近、アベノミクスって言葉に狂気を感じるようになってきた。

そういえば、ニュースでも三菱UFJ銀行が2年以上動きのない預金口座からは年額1200円の口座手数料を差し引けるよう移行するというのは、3〜4週間前に金融庁が決定したもので、それに三菱UFJ銀が早速、名乗りを挙げたもの。他の銀行も、きっと続くんでしょうな。年額1200円という価格設定、これ、結構、いい儲けになると違いますかなぁ。世知辛いこって。いっそ、預金者が取り付け騒ぎを起こすぐらいじゃないと、おそらく、どこの銀行も横並びで、そうするのと違いますか。預金通帳の維持費だってバカにならんでしょうから。まぁ、大手銀だからできることなんでしょうけど、敵がそうくるのであれば、最初から通帳のない楽天銀行とかセブン銀行に逃がすか、良心的な銀行へ逃がしますわ。ここのところ、銀行、こんなんばっかりで。ネットバンキング手数料とか、ばんばん上げてきますな。ペーパーレスったって、結局は、負担を強いられるのは利用者なんですが、なんか怪しいもんですな。神奈川県庁なんて納税通知などの個人情報が入ったハードディスクの処分を民間企業に委託し、挙げ句、ネットオークションに出されとったでしょう? ザルですわザル。アイテー、アイテーとIT至上主義の割に、やっていることは民間企業への丸投げ。それでいて県民手帳とか売ったり、民業圧迫は平気でやってますのんや。京都だか大阪で、役所がホテル経営してますな。税金で事業したら民間事業主への圧迫、すなわち民業圧迫ですが、世の中的にはセーフ。道の駅も旅館業の経営を圧迫していますが、これも問題視しない。国家主義的な大衆迎合社会というのが進行しており、その意味ではファシズムとも近いのと違いますかなぁ。ケータイを安くすべきだと政治家が号令をかけている。そら、ワシも含めて歓迎するが、それをやってしまうと国家社会主義ですな。中抜きをして国家と大衆とが結び付いているという全体主義の形態はファシズムに似ているかも知らん。読売新聞あたりでも書いてたで。

最近、税金を投じてエロい啓発ポスターとか、吉本興業あたりに丸投げして攻めた啓発ポスターを自治体や公官庁が作成してますやろ。ああいうスタンドプレーってのは、本来、税金でやるべきではないんと違いますかな。その辺が、酷いことになってる。吉本の芸人のツイートが幾ら幾らだったとかありましたが、結局は、丸投げしてますやん。ゆるキャラブームだって、ひこにゃん、くまモンに続けと、日本全国で、ゆるキャラ濫造とかしてますやろ。元からセンスなんて、ありゃしないのに、大学サークルのノリで、平気で公金、使いよりようになってるんですわ。

しかも、大きな声じゃ言えまへんけどな、役所とか公的団体って、いじめが増えているらしいんですわ。不祥事、多いと思いまへんか? そう。山田さんとこの息子さん、先日、会ったら役所辞めたって言ってましたが、結構、内部事情、ヤバいらしいですわ。待遇的にはぼちぼちでも人間関係が近年、ギスギスしているらしいんですワ、まぁ、きっと国民総不幸社会に近づいていっているのかも分からんなぁ。

特に、厚生労働省がらみは要注意ですわ。後期高齢者の医療費窓口負担を現行の1割から2割に引き上げる検討をしてますが、まぁ、確実に実施してきますな。どう考えても財政ボロボロですわ。但し、その割には高所得の年金受給者に対しての年金支給額などは引き揚げようとしてますねん。いやらしいで、ホントに。年がら年中、ちょろちょろと法改正していて、ねんきん定期便一つにしたってすぐに書式を変えてしまったり、ワザと分かり難くしているようにしか思えませんのや。しかもですよ、既に厚生年金の対象幅を広げる方で検討していて、テレビはホントの事を言いませんな。司法書士事務所とか会計事務所とか社労士事務所などが法人になっていないのは、小規模事業者は法人化してもメリットがない事を知っているからでしょう。「厚生年金に加入させてみんなを幸福にする」と言ってますが納付額が原則一律で18.3%なので、所得が少なければ少ないほど保険料の支払いが重くのしかかる。しかも年取ってからもらえる年金額には収入に比例して年金支給になる制度なんだから、元々、低所得者からすると、微妙なシステムですわ。一律18.3%なら金持ちも貧乏人も同じに見えますが、結局、生活費を捻出できる能力が高い方が強いのんは説明するまでもないでしょ、逆進性の話だ。痛税感の話だ。しかも毎年毎年、制度をマイナーチェンジしちゃう。実際に何歳から幾らもらえのか。あるいはホントにもらえるのか、もらえないのかも分からない代物だ。民間企業の保険商品だったら、アウトでしょうなぁ、そんな曖昧な保険商品であれば契約が成立しないわな。電子化とかいって、クラウドとかやっちゃって、そのうち個人情報が漏洩したり破損して分からなくなっていく最悪な展開が待っているんとちゃうの。その頃には別の担当者だから誰も責任とらないで、いいじゃん的な。

それこそ税務署が、その法律に基づいた徴収権でカネを徴収できて、その法的根拠によって滞納者の預金通帳をゼロにするまで徴収していたケースが先日、報じられてましたな。スナック経営者が経営破綻し、従業員や取引先への支払いに追われていた。所得税の滞納があった。預金通帳に10万円があったが、その10万円を国税法に基づくなんとやらで差し押さえられてしまい、預金残高0円にされてしまい、いきなり生活が破綻してしまったという。滞納に非があるにしても生活費全額を毟り取っていく税務署ってのは地味に危ねぇわな。この国の上級国民からすれば、ビンボウ人やホームレスは、懲役囚よりも罪が重いと考えてるんでしょうなぁ。

結局、現在の日本の保守化の正体ってのは、老後年金の為には何が何でも絶対に勤務先にしがみついて生きるしか選択肢がないという、そういう社会なんやろね。ブラック企業が多い事とも関係しているように思えますわ。各人からすれば、老後の生活資金となる莫大な年金が掛かってるんやからな。

ああ、次いでに「しつけ」廃止法の話もあったな。4日付の読売新聞、改正児童虐待防止法とやらで、厚労省の有識者検討会が指針案を公表したんや。指針案では【体罰】の定義を「なんらかの苦痛を与える行為」とするようや。身体的体罰だけであれば兎も角、例によって、ここに体罰の定義なのに体罰以外の《子供の心を傷つけ、成長や発達に悪影響を与える言動も体罰に該当する可能性がある》と付則をつけてる。なんじゃ、こりゃ。つまり、具体例としては「お前なんて生まれてこなければよかった」や「兄弟を引き合いに出してのダメ出しや無視」は体罰に該当する可能性があるという指針のようや。しかし、そんな事にまで、法律が介入するの、間違ってないか? 

今後は、廊下を走っている子供を注意する際にも「走るな」とか「走らない」ではなく、「歩きましょう」等と声掛けすることが推奨される方向へなるようやな。「走らない」だと否定形だからアウトで「歩きましょう」なら肯定形なので、つまり、よい子の御機嫌を損ねないよう、肯定形の言葉を発して安心安全な子育てができるという寸法らしいで。はっはっは、このままだと「しつけ」が禁止ワードになる日も近いかも分からんね。いたずらをしている子を注意する場合だって「やめろ」は禁句になるって事ですわな。「いたずらは見えないところでやりましょう」とか「いたずらは御遠慮くださいませませ」ぐらいに言えばセーフって訳や。さぞかし、20年後、30年後の日本人は品行方正にして優秀な人間になっとるんやろなぁ。

児童一人に一台パソコン支給ってのも、萩生田文科大臣の失言を隠したくて急遽、あんな事をブチ上げたのに、世間的にはウケてちゃってるやろ。こわいもんやで。元々の萩生田大臣の失言は大した問題じゃないんや。謝れば済む程度の失言や。しかしな、今の日本は狂ってるから、世論を操作しようとするんやな。咄嗟に「一人一台パソコンを支給」と言い出して5千億円超の予算を立てようとし、世間一般は喜んじゃったんやな。こら実施するかも分からん。スマホの使い方がどうのこうのと言っているのに一人に一台パソコン支給って支離滅裂やけど、誰も何も言わんな。これが今の日本や。ほんで数年後に、またリテラシー教育がどうのこうのと騒ぐ訳や。読めるな、先が。

♪これで体にいいわきゃないよ、分かっちゃいるけど、やめらない、ときたもんだ状態。

そもそも「しつけ」と「虐待」とは違うと個別に判断すればいいだろうに、現在の行政や有識者たちは「しつけの名の下に虐待が行われているのですっ!」と頑として譲らろうとせんね。一律に規制したいらしい。ホントは、日本の精神風土を、これでもか、これでもかって破壊しているようなもんかも知れんね。


第二次桂太郎内閣を越えて、憲政史上最長の内閣となった現在の第二次安倍政権ですが、どのように眺めるべきか迷うところもあるかも知れない。

しかし、なんだか色々なものが露見がしてきてしまい、積極的評価というのは不可能な次元に突入していると思う。先週の週刊新潮や読売テレビ系列のテレビ番組では「桜を見る会」を巡って野党を批判しての婉曲的な安倍晋三擁護になっていました。いわく「こんなの事をやっている暇はない。大きな政治を目指すべきだ。野党は何をやっているんだ」という論調。それも、一つには言えることなのですが、最早、安倍政権がどうのこうのではなく、日本政府そのものが勝手に情報の捏造や改竄に手を染めている状態こそが、異常事態そのものだ。それに気付かない。

で、その後の「シュレッダーで名簿を処理したと聞いている」とか「消去してしまった電子データについても復旧する事ができないと聞いている」という菅官房長官の答弁が続いている。「捨てる訳がないだろ」だし、このケースで「捨ててしまった」を通ってしまうのは、もう、国のシステムがポンコツ化してしまっている証拠だよなって思う。

考えさせれてしまったのは、読売テレビ的な論調に対してでした。まぁ、辛坊治郎さんとか橋本五郎さんに対してですが、テレビの画面から「強い者礼賛」が滲み出てしまっている。「こんな事で安倍さんを責めるなんて間違っている!」という態度しか伝わって来ない。しかも、彼らは、その先に改憲があることを期待し、改憲が悲願であるという考え方の読売的保守である。

しかし、それは今、最もドツボにハマっている人の考え方であろうと思う。トランプ政権と安倍政権との関係を冷静に眺められていない。トランプ政権を安倍政権が掌の上で転がしているかのような、元TBS記者で詩織さん事件の渦中にある方の記事を信じすぎている。実際に、よく分からないままに戦闘機の大量購入や、米国で不要になったトウモロコシの大量購入、在日米軍に係る費用を跳ね上げられている従属的な関係には断じて踏み込まない。そこに踏み込む場合には急に柔和な笑顔をつくる事になる。しかし、それが明確な日米関係の構図の把握ですやね。「安倍さんはトランプと並び立っている」とか、「安倍さんがリードしている」という具合に見るのは恣意的な虚妄であり、ほぼ、間違いなく、「安倍さんはトランプに苦慮している」という視座に立たない事には、どうしようもない。

現在の日米関係、その力学の中で自主憲法制定などの保守勢力の悲願を叶えるのは、むしろ危険でさえあると思う。より、米国への従属的な依存が進行してしまう可能性がある。だから、安倍政権自身も、「自衛隊を表記するだけ」のような態度に変わってきたというのが、実相と推測するべではないのか。

先日、田原総一朗さんと佐高信さんの対談本に目を通しました。どんな人の意見に対してもドンピシャで賛同することはなく、2割とか3割とかは違和感を持つことになるものであろうと思いますが、凡その、つまり、差し引いて7割ぐらいの賛意を示せるのかどうかという部分で考える必要性があるのかも知れない。私の場合は、読売新聞に赤旗日曜版、それと総合週刊誌に目を通すというライフスタイルですが、どう組み立てて、現状を眺めると、スッキリするのかというと、そのトランプ政権に安倍政権が苦慮している、辛うじて持ちこたえているというアメリカの圧力を認めない事には、何も始まらない。

ワイドショウなどは、やたらと皇室関連の報道が増えた気がしますが、水面下で起こっている事は、日本の制度改革、しかも違和感のあるものばかりだ。社会保障と税の一体改革という事になるのかも知れませんが、もう、ぐちゃぐちゃですやね。正確なデータなどを用いているのかどうも怪しく、官邸からにらまれぬよう忖度した忖度官僚らによってつくられている。税金を使用してのポイント還元にも呆れましたが、その後にはマイナンバーカードを普及させる為のポイント還元までぶち上げている。言ってしまえば、財務省−国税庁の増税すべしという非願に、経済産業省案件として「キャッシュレスを振興させたい」が乗り、更に総務省・厚生省案件として「どうせならマイナンバーカードを普及させて年金と健康保険の完全徴収を実施するべし」が乗っかったという話であるだけで、まったく、国民に何かが還元されるという話ではない。

当座のポイントは還元されますが、今、国がやろうとしている事は、国民をスコアリングし、その全財産を完全管理することでしょう。自分たちは個人情報保護法を逆手にとって、保護法の観点からと言って、即座にデータを処分したと言い張り、情報を開示せよといっても絶対に出そうとしない。

財源が大変なんですっていっている割には、その税金を盛大にばら撒いている。すべては、上級国民が上級国民たる地位を守る為の、社会保障格差を増大させる方向性になっている。年金の多い人にはより多く、少ない人は自力で死ぬまで働くんですな、わっはっは的な方向性だ。

「他の誰がやってもダメだろうから、安倍政権が長期化しているだけなんですよ」、つまり、消極的支持しか成立しない。

例えば、櫻井よしこさんは安倍政権に直接関与している。どのような事態になっても安倍さん擁護。しかし、そうなると正当な評価というものは出来なくなる。何かを評をするには水平な境地が必要で、そうした肩入れが介在してしまうと評が狂う。一方で、ひょっとしたら田原総一朗さんなんてのもホントに安倍総理に電話するタイプかも知れない。すると安倍総理は、そちらにもホンネを吐露する。そして、またまた、日本会議なんていう団体からの圧力もかかっている。改憲、改憲、大きな政治とかカッコいい事を云おうとするのだけれども、現実的に政治を眺めれば、現況としては国際情勢を乗り切るのがやっとこさっとこというところで、具体的に何かを期待できるという状況じゃない。

最期に立憲民主党についてですが、これは、もう必死なのでしょう。存亡の危機だ。次の選挙で、日本共産党の支持を受けられなかった場合、消滅する可能性が出てきた。自業自得なので、どうすることもできませんが、さっさと再編して、ポスト安倍の戦いに備えるんでしょうなぁ。既に、しんぶん赤旗日曜版には、かつての自民党の重鎮だった古賀誠さんだの中村喜四郎さんだのが登場するようになっていて、あれやこれや始まっているし、安倍自民党だけを以て自由民主党になってしまっている事、この狭窄は後に、しっぺ返しとなって降りかかるような気もしますけどね。かつての小泉フィーバーが、そうだったように。

田原総一朗さんの語り口で少し確認したところもあるのですが、現行のなんでもかんでも安倍ちゃん擁護のキモチワルサったらありませんやね。「桜を見る会なんて追求するな!」と大言壮語を吐いて保守を気取っているが、ホンネは「安倍ちゃん応援団」でしかない。窮すると途端に、左翼批判に矛先を変えたり、リベラル批判に矛先を変えたり、立憲民主党批判に矛先をずらし、婉曲的な安倍ちゃん応援団しか、やっていない。籠池さんを猛批判しているのだけれども、そもそも籠池さんを利用していたのは誰だったっけとは口が裂けても展開しない。日経新聞系の、経済派の人たちにしても、そもそも「アベノミクスは成功した」と言えると思っているのんだろうか。どうもアベノミクスは大失敗したようだぞと気付いていないのであれば、これほどの驚きもない。

挙げ句に起こってしまった事は、偽装や改竄、捏造の蔓延であり、官邸主導の政治とは名ばかり、これが忖度政治の正体ですやね。官邸が行おうとしている政策に有利になるように資料を隠蔽したり改竄したり、或いは切羽詰まると都合よく紛失するという事が恒常化している。小学生であっても、これに気付かないバカは居ないんじゃないのかなってレベルになってきている。

田原総一朗と佐高信の対談を、少しだけ引用してみる。

田原:〜略〜昔、山本七平が僕に言った。日本でやってはいけないことは、空気を破ることだ、とね。空気を破ったら生きていけない。いまはかつてないほど、誰も空気を破らない。

たとえば東芝が7年間も粉飾決算をやった。こんなことは東芝の中堅以上の社員、役員なら全部分かる。しかし誰一人言わなかった。なぜ言わないか。言うということは、空気を破ることだ。空気を破ると左遷される、偉くなれない。

日本の企業で次から次に不正が出てくる。またたとえば、いま日産のカルロス・ゴーンが悪者になっている。日産から20億円もらいながら10億円という形にして、とんでもないことをやっている、と。だけど実は、ゴーンが20億円を10億円という形にしているということは、社長の西川廣人は全部わかっていたことだ。西川を社長にしたのはゴーンなんだ。ゴーンの件は日産が東京地検と司法取引をやっている。そのことをわかっていながら、マスコミはどこも書かない。

佐高:日産と菅義偉の結び付きがある。日産の本社は菅の選挙区にあるわけです。

田原:ゴーンが逮捕され、西川がゴーンの大批判をした翌日、日産幹部が菅のところに行っている。


別に今更な話でもある。しかし、最後の一言は鋭いかも知れない。西川がゴーンの大批判をした翌日、日産幹部が菅官房長官のところへ会いに行っている。また、後段では日産から菅官房長官への政治献金の話へと佐高が田原を誘導しているが、田原は「日産と菅官房長官」との関係については「菅はそういうルートじゃない」と突き放している。これなどは考えてゆくと、ごくごく一握りの政官財マがスクラムを組んで、自由自在な政治主導を実現してしまった事を示唆しているかも知れない。上級国民による上級国民の為の、下級国民を情報支配する為の政治。日産の問題なんてのは司法をも、ひっくるめての首相官邸案件で既にフェアネスなんてもは吹っ飛んでいるという事かも知れない。

なんら忖度せずに自分の言葉を紡いでいるだけ実は「麻生太郎」なんて政治家は、マトモといえばマトモなのではないだろか。どこぞの作家が、監視社会を警戒している連中を人権屋とレッテル貼りして大言壮語を吐いていたけど、鳥肌が立つ思いがする。マイナンバーカードを普及させたいという意向や、それが厚労省の管轄の年金や医療費、国税、更には大手民間企業のビッグデータとの連携による完全管理社会が中国で登場しつつある事への警戒感ゼロ。リブラ問題なんてのは実際にあった訳だ。香港デモの問題にしたって、その底には中国政府による人民に対してのレイティング社会の実現の可能性があり、言論の自由を封殺してしまう事に対しての抵抗であり、監視世界登場の脅威を幻想だと嘲り笑える状態ではないのは、どう考えても事実なんですね。しかし、彼等はそういう部分には思いは到らぬらしく、的確に矛先を指定しきれていない狄邑屋瓩覆鵑鵑討い30〜40年も昔の知識でレッテル貼りをし、堂々と言論を展開している。しかも、2割ぐらいは彼の信奉者だ。ホントは、ただただ敵を敵視することが正義であるという直情的な思考回路でしかない。

自主憲法の制定だの、日本の日本による憲法改正、そうした保守イデオロギーの悲願が、現在の状況で可能かどうか? これは不可能ですやね。そんな事をしたら、単なるアメリカの衛星国としての地歩を固めることになってしまう。現実を顧みれば、現在の日米のパワーバランスの中で、日本の独立性を主張する事は自滅の道になる。この混乱した世界の荒波を、どう乗り切るのかだけ、それだけが課題なんじゃないのって思う。

週刊文春12月5日号に拠れば、バチェラー・ジャパンなるプライムビデオの看板番組を差して「婚活リアリティー番組はやらせでした」という記事が掲載されている。番組そのものは、婚活なるものをリアルにショーとしてみせているという主旨らしいのですが、実際にはバリバリに台本が存在しているのだそうな。

こう述べると「どんなテレビ番組でもヤラセですよ」という。その通りなのだけれども、この問題は堂々と「リアリティー番組だ」と掲げた上でのヤラセなのだから、一周してタチが悪い。最初から、「この番組はフィクションです」とか「フィクションを用いて製作しています」なんて具合に掲げてこそ、そのように言えるのではないか。しかも、これは過去でも「喧嘩の花道」であるとか「ガチンコ・ファイトクラブ」であるとか、20年、いや25年以上も昔から、もう、さんばんぱら、起こってますね。ああ、最近でも「グレイト・ジャーニー」という番組であったが一部にヤラセの演出があったと発覚したし、人気番組だったらしい「イッテQ」だからの世界のお祭りを巡る体感レポートなども、そもそもそんなお祭りは実在しなかったという、酷いオチであった。

或る意味では麻薬を使用してCMが差し替えられたり、反社相手の営業をしていたお笑い芸人らを引退させるなどしている反面、ドキュメントとヤラセの境界線、その理解についてのズレも凄い事になっていそうだなって思う。

しかも、この問題、一筋縄ではない。バチェラーなる番組は2002年にアメリカで始まった超人気番組だそうで、セレブなイケメン男性を巡って数十人の女性が共同生活を送りながら最終的に結婚を前提にして付き合うというもので、そのプロセスで、ぎすぎすした人間関係などを面白がって視聴するものだという。で、で、その番組の中の誰それの非常識な行動に対して、視聴者は一喜一憂し、昨今では炎上騒動が起こるようになっているという。つまり、「まぁまぁ、あれはバラエティー番組ですから」というのは半分は嘘であり、ホントに画面の向こうで起こっている事実だと思っているからこそ、一喜一憂し、炎上騒動などまで頻発しているのが実相としか思えない。語り手からすれば、非常に低俗な見世物の極致なんじゃないのって思う。

低俗なんじゃないのって、そこは先ずは「他人を笑う」という行為が低俗だと思う。「私だったら、こんなバカな事はしない」と視聴し、或いは「このセレブは誰々を選択するべきだわ」のように視聴しているのは明白で、そういう感情移入の仕方をしている。その上で感情を起伏させているのだけれども、そもそもヤラセであるとして、これは成立するかというと成立しない。それを真実だと思って視聴しているから感情的になる訳でしょうし。虚構を虚構として楽しんでいるのですという人も実在するとは思いますが、それは1〜2割程度でしょう。で、低俗な見世物を視て、そのテレビ番組の中の登場人物に対して色々な感情をぶつけ、ブーイングするなどして楽しんでいるというのは、いびつといえばいびつそのものではないのか。飽食バラエティの匂いがプンプンとする。仮に、他人の人生とか他人の恋路を嘲り笑うのは悪趣味であろうし、そもそも「他人の恋路」なんてものは、極めて、どうでもいい話であり、そこに干渉して楽しむという趣向は、なかなかに低俗と言える気がする。地上波放送ではないだけ、まだ救いですが、このモラルってのは…。


イギリスで製作されたドキュメント番組をNHKが放送していて、そこでは【シュガー・ベイビー】なる言葉が使用されていました。「おっ、山下達郎だっけ?」なんて思ってしまった私は世間知らずであり、現在、イギリスで「シュガー・ベイビー」という言葉があり、それが意味するところは日本で云うところの「パパ活をしている若い女性」を差しているのだそうな。

要は、出会い系サイトなのだけれども、そこに男性が年収や所得を書き込んでいて、その男性に若い女性たちが接近し、お小遣いをもらってデートをするというもので、昨今は売春の温床になっていると批判が挙がっているという。したがって「シュガー・ベイビー」とは、つまり、お小遣いを目当てに男性のデートに付き合う不特定多数の彼女たちを差している。若い娘の若さを、その金銭と財力とで臆面もなく貪る側の男性は【シュガー・ダディー】と呼ぶのだそうな。

しかし、そのイギリス製作のドキュメント番組、チラっと視聴しただけでしたが、少し違和感を感じました。原則として、それが由々しき事態であるという立場には賛同できるし、構造的にも結局は男性原理の中に女性が取り込まれているという構造にも賛同できる。しかし、あまりにもシュガーベイビー側を、可哀想な一方的な被害者に仕立てるような見立てには、どうしても違和感が残りました。この、問題、昨年であったか一昨年になってしまったか、カトリーヌ・ドヌーブらフランスの女優らがハリウッド女優たちのMetoo運動の盛り上がりに対して、苦言を呈した文脈と似ていて、昨今のフェミニズムの中にある「女性を常に惨めで可哀想な被害者にしてしまう事は良くない」という指摘そのものであろうと思う。

「シュガー・ベイビーたちは被害者である」という見解も成立するのですが、それは一方的な被害者に見立てるかのようにして、哀れで惨めな被害者と展開し、すべては男性の側に責任があるかのような認識で論じらているのが気になる。そこで双方の合意があってデートなり、売買春が成立しているのだから、男性性原理の中に群がっているのは、そのシュガー・ベイビーたち本人である事には変わりなく、広く男性一般を攻撃されても困るし、「一方的に憐れで惨めな被害者」として認識することは実相とズレている。貞淑だというのであれば軽々にデートや売春に応じるべきではないし、お小遣い欲しさに釣られるべきではない。また、そもそも被害者を聖性視するのも背伸びをし過ぎてはおかしくなってしまい、当然、「シュガーベイビーになって何が悪いの?」と考えている者が実在している事も、しっかりと考慮しないフェアに語れない。実相から離れたところで問題が語られている。

当然、各自に求められる素養として「そう簡単にSNSで誘い出されてしまうようでは困る」という前提が見事に抜け落ちている。仮に、自分の身は自分で守るというのは、ごくごく単純、生きる為の鉄則であり、「被害に遭いたくない」という危機意識があれば、軽挙妄動は慎むべしという行動様式になっている者の方が実際には多数派でしょう。そうじゃないと、自分の身を守れる訳がない。

バチェラー・ジャパン、人気お笑い芸人らが地上波のテレビでもCMが流れていますが、週刊文春によれば、中々、酷いヤラセだなと思う。虚実綯い交ぜ、この手法が嘘を巧妙に隠蔽する最も厄介な手法とされていますが、随所に、その要素がある。

バチェラー・ジャパンの第三部では、セレブ男性がデート中に泳げない女性に池に飛び込ませたり、ドレス姿の女性をプールに飛び込ませ、それを「モラハラだ!」として炎上商法的に盛り上げたらしいのですが、これ、台本だという。常識的に、そんな事をする筈がない。それをする人というのは、そういう番組を視聴していて現実と虚構の境界線が分からなくなっているタイプの人かも知れない。しかも、内部告発に拠れば、同番組は「台本なし」と謳っているが、台本はあるのだという。セレブ男性の空気を読めない行動も、実は演出だ。それにブーイングをするというのが、こうしたドキュメント・バラエティー番組だ。プロレスのファンが、反則に対してブーイングしているのは、ブーイングする側も「ここは演出にのってブーイングしてやろう」という精神的余裕があるが、このテのドキュメント・バラエティー番組というのは炎上騒動を巻き起こし、本家アメリカでも出場者へのネット中傷が問題視されているという。(どう考えても、「ヤラセではない」と思って視聴している人たちが存在している証拠ですやね。よく「視聴者はそんなにバカじゃありません!」という論法が多数決では勝利しますが、違うんだな。多数派とか大声を上げる人というのは結構、付和雷同、釣られるタイプの人が多い。)

出演者同士が仲が悪いように見せているのも嘘、演出で「ギスギスした雰囲気」をつくっており、実際には全員参加のグループLINEが存在し、仲良しだという。

「山梨で実家のブドウ農家を手伝っている」というのも設定上の嘘で在り、実際には東京で別の仕事をしているそうな。

「ダンプ乗り」と紹介された30歳女性の設定も嘘、実際は以前からタレント活動をしている方だそうな。

そして、こーゆー番組への出場者が後を絶たないという。この番組に出演する事で、インフルエンサーになれるからなのだそうな。ダマして成りあがるという素晴らしい世界だね。この番組に出演して人気者になって、化粧品やファッションの販促などをする出場者が多いのだそうな。

このテの婚活リアリティー番組は欧米でも人気があるが、出演者のクズっぷりに対しての炎上を売り物にしたビジネスであり、結局は誹謗中傷なども多く、自殺者まで出ているという。セレブ男性に群がりたい女性心理、特に嫉妬心などを巧妙に利用しているって事だと思いますけどねぇ。

世の中が軽薄化して久しく、ひょっとしたら世の中はどんどん白痴化している可能性があるんじゃないかって不安もありますが、本日も異状なしってなるんでしょうねぇ。

この構図って嫌悪感がある。1周まわってしまっているというか2週ほどまわってしまっている。レクター博士が、映画の中で、その相手の脳味噌の一部を切り取って、料理として調理し、それを皿に盛りつけて食べさせている、その相手は自分の脳味噌を「おいしい」と満足そうに食べているという描写がありましたが、構図としては、それに似ている。相手をダマして相手に相手自身を食べせて、心の底で「こいつ、ホントにバカなんだな。自分で自分をおいしいおいしいって食べちゃってらぁ」と蔑み笑いしているという構図だから。

トランプ米大統領に関しての弾劾をめぐる公聴会が始まるという昨晩のテレ東「ワールド・ビジネス・サテライト」でも、その支持率と不支持率とが拮抗している事を解説、また、米民主党が公聴会に臨む姿勢を語る中で「大統領選を視野に入れて」という文言がありましたが、おそらくは、そのまんまであろうと受け止めました。既に、政治ショウの要素になっており、当の米民主党側が目的にしているものが来年の米大統領選なのだとしたら、そう簡単にトランプの牙城は崩せないのではないかという印象を強く受けました。

11月1日付の読売新聞6面(国際面)では、米カリフォルニア大バークレー校のアーリー・ラッセル・ホックシールド名誉教授(社会学)が、米大統領選を巡ってのインタビューに応じた記事が掲載されていました。そこからも現在起こっている分断の深刻さが読み取れる。どうなるのか等と答えられる筈もなく、ただただ、分断が深まっている事、その分断が深まってゆく危機の中に我々は居るというのが、結文である。

そのホックシールド教授のインタビューの中で、目に留まるのは「白人労働者の自尊心を傷つけている」という部分が読み取れる事でしょうか。トランプ支持層について語っている部分を引用します。

彼らは地方に住んでいるが、他者にどのように思われるかに敏感だ。「レッドネック」(肉体労働者で首が赤く日焼け白人)とバカにされるのが耐えられないと思っている。

トランプ氏は、彼らに言った。「あなたたちをバカにする東海岸や西海岸のジャーナリストや大学教授、作家たちを攻撃してやる」と。トランプ氏は、彼らの「恥」の意識に触れ、それを取り除いてみせると訴えている。

労働者層の生活は経済的にも社会的にも苦しくなっており、親の世代のように暮らせないことを「恥」と感じている。トランプ氏はそれに対し、「違う。我々は誇りを持てる」と感情的に訴えた。トランプ現象は単に雇用や賃金などの経済的な問題だけではなく、社会的地位の問題でもある。


また、ここでは【Rust Belt】という単語の解説がありましたが、「錆びた帯」の意味であり、アメリカ東部から中西部の、衰退した工業地帯地域を指しているという。

既に、語り尽くされてきたものでもありますが、トランプ支持層は決して小さくなく、西海岸、東海岸といった経済的に潤っている州では前回の大統領選でもヒラリーが制したが、その支持基盤は大して変わっていないという。つまり、トランプ現象を惹き起こしたのは経済格差であり、しかも、それは自尊心を大きく傷つけてきた従来の政策に対しての、感情的な怨嗟も含まれている。こうなると、引っくり返すのは容易ではない。例え、弾劾にかかる公聴会でトランプ大統領に不利な流れが出ても、おそらくはトランプ支持層は頑健で簡単には崩れないであろうことが予見できてしまう。

この語り口は、昨日、取り上げたイアン・ブレマー氏の分析とも重複しているように思える。また、ブレマー氏の分析では、このトランプ現象や分断の本質は簡単には解決策はなく、仮にドナルド・トランプという人物が倒れるような事態になったとしても、基本的な分断の流れは収まらないと分析している。つまり、「トランプを倒せば何とかなる」と米民主党は躍起になっている可能性があるが、それは錯覚かも知れない。基本的には「誤っている部分」を是正しない限り、根底にある分断は解消されないワケですね。しかも、現実的には調整は困難であろうことも、薄々は分かってしまう。


内心、こういう部分に「勝つか負けるか」とか「殺すか殺されるか」とか「征服されるか征服するか」という絶対的対決構図でしか物事を思考できないアングロサクソン型の思想の脆さを見い出せるのではないのか。選挙に勝って権力さえ握ってしまえば何とかなるという、その勝者の論理が根底にあり、しかも、それはどこかアングロサクソンの哲学だよなって思う。選挙制度一つにしても、見事に反映されており、二大政党制とはアングロサクソン文化そのものである。また、米国大統領選にかかるコスタリカ方式とか選挙人総取り方式というのも、特殊な考え方だといえば特殊な考え方でもある。

有権者を「リベラル」と「保守」という具合に分類しているが、これに対しても別の見解を目にしたかな。ホントは「保守派」と「穏健派」と「リベラル派」といった具合に三分類にすると、どれも三派とも22%前後になるという。「共和党支持者」とか「民主党支持者」という具合に分類し、それに名称を与えてしまった瞬間から、その観念上のアイデンティティー(帰属性)が出来上がり、人々は、そのアイデンティティーに縛られて物事を考える事になるのでしょう。で、それが分断や差別と密接にかかわっているような気がしないでもない。実際、「レッドネック」とかっていうスラングが飛び交っている訳でしょう? そりゃ、ホントは凄い差別で、許しがたい傲慢だと思いますけどね。

11月3日付の読売新聞7面となる言論面には、国際政治学者のイアン・ブレマー氏が登場、そこには

「グローバリズムは破綻しているのです」

という辛辣な文言がある。

先ず、イアン・ブレマー氏なのですが、24歳で旧ソ連研究によって米スタンフォード大の博士号を取得、その後、25歳にしてフーバー研究所のナショナル・フェローに史上最年少で就任。しかし、フーバー研究所を2年で退職し、地政学的リスク分析のコンサルタント会社を起業し、現在も国際情勢分析を助言する事を生業としている。2009年に『「Gゼロ」後の世界』なる著書を発刊、内容は「G7」や「G2」という場合の「G」を指しており、地球規模のリーダー不在の時代を10年前に指摘していた事から改めて注目を集めているという。【Gゼロ】という言葉の生みの親も、このブレマー氏であるという。

また、生い立ちも紹介されていますが米マサチューセッツ州のチェルシーという田舎町の生まれで、4歳時に父親を失い、母親は高校を出ておらず、公共住宅で育ったという。或る意味では生粋の利発さのみでアメリカン・ドリームに近いものを掴んだ人物の一人であり、15歳にしてスタンフォード大学へ入学し、そのまま、史上最年少の25歳でフーバー研究所に引っ張られた人物でもあり、現在も戦争や政情不安といった地政学的リスクの分析、それに係る助言を売り物にして商売をしている人物でもある。

では、このブレマー氏は、どんな見解なのかというと、

「トランプ氏を支持している人々を非難することはできない」

と認めている。先に紹介した自身の母親も生きていたならトランプに投票しただろうし、弟もトランプに投票していると明かしている。つまり、現在の状況は、起こるべくして起こっている事だという事でしょう。

また、このブレマー氏は、「未来は予測できないので、現在を緻密に分析する事が必要だ」という立場から国際情勢(地政学)分析をしている。

では、現在、起こっている事とは何か、その世界的な地政学リスク分析会社の社長にして国際政治学者でもあるイワン・ブレ―マ―氏は、次のように展開している。

世の中が不公平だと信じるのには、4つの理由がある――と。

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世界経済は好調ですが、一般の人々はそこから利益を得ていません。私も富を持つ側になりましたが、トップ1%の富裕層が富を分け合い、残りの人たちを見捨ててきたと認めざるを得ません。トランプ大統領を誕生させたのは、普通の人々の生活に目を向けてこなかった富裕層の責任なのです。

反移民感情
ミドルクラスの労働者層が政府は自分たちへの手当てを十分にしていないと感じれば、新たな人々の流入を歓迎しないでしょう。

戦争
貧しい人々が戦争に行き、国に戻っても尊敬されていません。

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人々は分極化するような偏向したニュース(「フェイクニュース」とも呼ばれます)に接しています。

グローバリズムの破綻に対処するには、上記4点の問題を解消していくことが必要だという。

また、《世界経済は停滞局面に移りつつあります》という発言もされている。


既に現在はGゼロ、地球規模の指導力が失われた世界であるという。指導者が居ない、その規範がないから、秩序は乱れ、紛争の危機が高まるのだという。そして、この状態とは「経済的リセッション」の局面ではなく、「地政学的リセッション」の局面に入っていると発言している。つまり、恒久平和の理念が後退してゆく局面であるの意でしょうか。

しかも、ブレマー氏の分析は厳しい。この地政学的リセッションの局面は滅多に訪れず、前回、訪れたのは第二次世界大戦時であるという。つまり、75年に1度起こる確率程度の地政学的リセッション状態に入る、もしくは入っているというのだ。しかも、この状態は継続し、今後10年間は要注意だという。

私は今後十年、地政学的な危険がもっと高まると強く懸念しています

更に、ブレマー氏は、この地政学的リセッションについては、4つの転機を経て、こうなったと解説してくれている。

1991年のソ連崩壊後の西側による東側に対しての復興計画の不実施

2001年の同時多発テロ、その後、過剰に反応してイラク戦争へ突入した事

2008年の世界金融危機(サブプライムローン問題に端を発してリーマンショックへと波及)

ぅ肇薀鵐彗臈領の誕生で「利益が全て」の価値観となり、既成の価値観は無価値化した事

だという。

このブレマー氏なのですが、その華麗な経歴の中で僅か2年でフーバー研究所を辞めたりしているが、そこには「戦争を回避すべき」という考え方が根底にあるように読める箇所があります。

地政学的リスクのコンサルティング会社を設立して20年がたちました。現実世界の渦中にいて、そこで前向きな変化を起こしたいと思っています。大げさに聞こえるかも知れませんが、戦争のような事態の回避に役立ちたいのです。未来を予測することはできないけれども、現在起きていることの要因を分析することはできます。現在を理解できれば、この先に何が起こりうるのか、もっと分かるようになります

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