どーか誰にも見つかりませんようにブログ

人知れず世相を嘆き、笑い、泣き、怒り、足の小指を柱のカドにぶつけ、金星人にSOSのメッセージを発信し、「私は罪のない子羊です。世界はどうでもいいから、どうか私だけは助けて下さい」と嘆願してみるブログ。

カテゴリ: ギャラリー?!

野口英世について。

1893年、福島県の若松会陽医院に入門し、薬局生となる。

1896年、上京して高山歯科医院の学僕となる。

1897年に済生学舎に学び、10月、医師開業試験に合格。

1897〜1898年にかけて順天堂医院の助手となる傍ら医学雑誌の編集にあたり、且つ、北里伝染病研究所の助手となり、細菌学の研究に入る。この頃、「清作」を「英世」に改名している。

1899年、横浜・長浜開港検疫所の医官補となり、次いで清国の牛荘で発生したペスト治療に日本医師団の一員として作家した。

1900年、渡米。ペンシルバニア大学サイモン・フレクスナー教授の助手となり、毒蛇の研究に従事する。

1903年、カーネギー研究所の助手となり、ガラガラヘビの抗毒血清を発明。(デンマーク国立血清研究所に留学。)その後、ロックフェラー研究所に勤める。

1911年、梅毒トレポネーマ(スピロヘータ)の純粋培養に成功したと発表する。

1913年、麻痺性痴呆患者の脳中に梅毒トレポネーマの関与を証明する。

1915年、帝国学士院から恩賜賞を授与される。

1918年、中部アメリカや南アメリカで熱病を研究、エクアドルに流行中の黄熱病病原調査に参加し、その病原体を発見した。

1923年、帝国学士院会員に推される。

1928年、アフリカで黄熱病の研究をしていたが黄熱病に感染し、ガーナ国の首都アクラで死亡した。

2004年からは、いわゆる千円札の肖像にも選定されている。

いわゆる偉人伝にも描かれている偉人であると、認識されている。


しかし、この野口英世には既にテレビ番組や週刊誌などでは35〜40年前頃から、様々な形で、実は、非常に奇妙な人物であった事が紹介されていた記憶がある。人物としての評判が非常に悪い。それでも功績に誤まりはないのだろうとも思うものの、実は問題だらけだという。以下、福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』(講談社学術新書)に沿って――。

前段にも名前が登場しているサイモン・フレクスナーは、「米国に於ける近代基礎医学の父」と冠される人物であり、同時にロックフェラー医学研究所の創設にも貢献した人物であるという。このフレクスナーは、1899年に訪日し、その際、燃えるような野心的な日本人青年であった野口に一種の社交辞令として大いに励まし、同時に「支援を惜しまない」と伝えた。

するとフレクスナーの元に本当に野口が押し掛けてきてしまった。帰る宛てもなく押し掛けてきてしまったのでフレクスナーは実験助手の仕事を与えた。

その後、フレクスナーの庇護の下、野口は次々と輝かしい発見を立て続けに生み出した。梅毒、ポリオ、狂犬病、トラコーマ、黄熱病の病原体を培養したと発表し、その当時としては破格の二百編もの論文を書いた。その為、一時的に野口英世の名はノーベル賞候補とも囁かれ、そればかりかパスツール、コッホ以来のスーパースターとして崇められた。ロックフェラー研究所にしても、フレクスナー博士が日本から連れてきた日本人青年「ノグチ」の御蔭で、その名を高める事に成功したという。

以下、着色文字は引用です。

パスツールやコッホの業績は解きの試練に耐えたが、野口の仕事はそうならなかった。数々の病原体の正体を突き止めたという野口の主張のほとんどは、今では間違ったものとしてまったく顧みられていない。彼の論文は、暗い図書館の黴(かび)臭い書庫のどこか一隅に、歴史の澱(おり)と化して沈み、ほこりのかぶる胸像とともに完全に忘れ去れたものとなった。

野口の研究は単なる錯誤だったのか、あるいは故意に研究データを捏造したものなのか、はたまた自己欺瞞によって何が本当なのか見極められなくなった果てのものなのか、それは今となっては確かめるすべがない。けれども彼が、どこの馬の骨とも知れぬ自分を拾ってくれた畏敬すべき師フレクスナーの恩義と期待に対し、過剰に反応するとともに、自分を冷遇した日本のアカデミズムを見返してやりたいという過大な気負いに常にさいなまれていたことだけは間違いないはずだ。その意味で彼は典型的な日本人であり続けたといえるのである。

野口の研究業績の包括的な再評価は彼の死後五十年を経て、ようやく行われることになった。それもアメリカ人研究者の手によって。イザベル・R・プレセットによる“Noguchi and His Patrons”(Fairleigh Dickinson University Press,1980)がそれだ。本書によれば、彼の業績で今日意味のあるものはほとんどない。当時、そのことが誰にも気づかれなかったのはひとえにサイモン・フレクスナーという大御所の存在による。彼が権威あるパトロンとして野口の背後に存在したことが、追試や批判を封じていたのだと結論している。(邦訳『野口英世』〔中井久夫・枡矢好弘訳〕星和書店、一九八七)。


2008年頃に目を通していたのに細部を忘れていましたが、これ、物凄くSTAP騒動の際に参考に出来た一連であったかも知れないなぁ…と気付きました。「大御所のパトロンが背後についていたので追試や批判が封じられていた」という箇所と、「錯誤なのか捏造なのか自己欺瞞で事実を見極められなくなっていたのか?」とまで、野口英世を説明する箇所で福岡ハカセは言及していたんですね…。日本を二分したSTAP騒動は2014年だった事を考慮すると、なんだか惜しまれる。思いの外、あの問題の真相を巡っては迷走に付き合わされた記憶がある。まさかそんな事はないだろって思ったものでしたが、よくよく考えれば、その問題が研究者の人間性とも関係しているという仮説は、そんなに難しくなかったのかも知れない。野口英世を評して述べられているように、過剰な反応(過剰に恩に応えねばならないと過剰な出世欲の持ち主が過剰に気負っていたならば…)は、大いに基本的事柄として疑えた話だったのかも知れない。

さて、何故、野口英世の功績のほとんどは今日では意味がないのか。この種明かしも為されている。答えは簡単で、野口英世の時代は顕微鏡で病原体を探していたが、当時の顕微鏡で見つけることができるのは「細菌」の類いで、細菌よりも遥かに微小な「ウイルス」は、そもそも見つけようがなかったのだという。だから、考えられるのは病原体とは異なる病原微生物を野口は発見し、それを病原体だと結論し、発表していたと思われるのだそうな。何かしらの不徹底によって研究用の試料の中に異物混入などが起こり、それを見て、何かしらの錯覚が起こってしまう等々が考えられる。これがあったとか、こういう現象を確認できたとか、これが培養できたとか、色々と起こり得る訳ですね。

人間の心理として、スライドガラスとカバーガラスとに対象物を挟み込み、顕微鏡のダイヤルで焦点を絞ってゆき、そこに何か微細な動くものを発見してしまうと、「なんだこれは!」と大いに精神的昂揚をしてしまうものかも知れない。我田引水なタイプの人というのも確かにあって、途端に「これは大発見をしてしまったぞ!」と興奮する感覚は、なんとなく分かりますやね。その人の性格にもよるでしょうけど。

そう考えると、屈斜路湖のクッシーだの、比婆山のヒバゴンあたりの目撃談なんてのも、そんなものかも知れませんやね。錯覚か捏造か、それらの関わったもの。井上円了の妖怪学で言えば、偽怪(捏造)か誤怪(錯覚)となる。

因みに、野口英世については、ロックフェラー大学2004年6月発行の広報誌には、次のような一節が掲載されたという。

彼の業績、すなわち梅毒、ポリオ、狂犬病、あるいは黄熱病の研究成果は当時こそ賞賛を受けたが、多くの結果は矛盾と混乱に満ちたものだった。その後、間違いが判明したものもある。彼はむしろヘビイドランカーおよびプレイボーイとして評判だった。結局、野口の名は、ロックフェラーの歴史においてはメインチャプターというよりは脚注に相当するものでしかない。

ヘビードランカーでプレイボーイとして米国でも有名であったという事か。日本国内でも助手から嫌われていただの、カネを返さないだのという悪評が多かった事からすると、人格に問題視すべきものは多そうな気もしますね。自己顕示欲の塊みたいな人物だったのかも知れない。

福岡伸一さんは少し前の引用箇所部分になりますが「その意味で彼は典型的な日本人であり続けたといえるのである。」と野口英世の性向について記していましたが、この恩に報いなきゃ、功績を上げなきゃ、みんなを見返さなきゃと過敏に反応するが余り、足元を見失い易い特性ってのが「典型的な日本人」って事かも知れませんやね。和辻哲郎が『風土』の中で、日本人は非常に慎重、非常に注意深いが性向があるが集中力はそんなに持続しないと分析していたし、軍隊の特性なんてのも日本人は「とにかく手柄を立てるのだ。それ以外の事はどうでもいい」というタイプらしい。



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コンビニで衝動買いをしてしまったトランプを開封してみたら、それは箴言集になっており、思わず、「おおっ!」となりました。

◆「勝手に表彰するなら銅賞です。」
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巧い人生訓だなぁ。思えば、競争ってのは、楽しいものであったはずで、昨今のように辛かったり苦しかったりしていいんだっけという気持ちを思い出させてくれる。歯を食いしばって忍耐、忍耐、努力、努力、お金を払って、わざわざ体を鍛えるようになったのって、いつからでしたっけ? ストイック? 違うかな。他者に対して優越感を得る為にストイック競争を始めてしまったのかも。何かを懸命に競っているのも虚しいといえば虚しい。



◆「勝手に表彰するなら銀賞です。」
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これは「探検した者だけが発見できる」の意ですね。当たり前なんですが格言、箴言になっていますね。つまり、虎穴に入らずんば虎児を得ず的な。しかし、果敢に冒険した、この白猫の顔を見ると精悍に前を見据えていて、素晴らしい。しかし、この後、どうなったんだろう。これも昨今、自業自得が否定されるようになっているけど、よぉぉく、カルマ(業)のはなしを掘り下げると自業自得というのは、基本中の基本のような気がしますけどねぇ。基礎単位は個人だ。自分を守るのは自分だと認識すべし。



◆「さて、厳正なる独断と偏見による審査の結果、金賞は以下の二枚に決定いたしました。」
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「小声なら愚痴。叫べばロック。」は文句なしに名言だなぁ…と感心しました。その通りだと思う。忌野清志郎なら「♪こんな夜にお前に乗れないなんて こんな夜に発車できないなんて」と愚痴る。尾崎豊なら「♪仕組まれた自由に 誰も気づかずに 足掻いた日々も終わる この支配からの 卒業」とさすらうように愚痴る。

クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」の訳詞を先日、見て驚きました。あれ、置いてあった拳銃で他人を撃ち殺してしまった青年の歌だったんですね。で、「♪ Mama, woo woo woo」(mama, ooo)と聞こえる部分は「ママ、今、人を殺してきてしまったよ。ママ、嗚呼、嗚呼、僕は人生をダメにしてしまった。死ななきゃならない」的な悲嘆であり、重厚な重厚な愚痴であったと気付かされました。「人生は始まったばかりなのに、僕はもう死ななきゃならない」と悲しく叫んでいる。訳詞を知って改めて、凄い楽曲だなと思い知る。この曲はロックに当て嵌まらないレベルか。

もう一つ、「見えないところにヒーローはいる」は昨今の強烈な風刺として選考しました。なんだか、最近、絶対に悪口を言ってはいけないヒーロー視されている人物と、あの人は叩いても大丈夫と認識されているイジラレ役、その両者の扱いの差異が酷すぎると感じているから。マスメディアに乗って、これでもかと功績を宣伝されている遠いヒーローよりも、身近なヒーロー、真のヒーローは見えないところにいると考えるべし。

人生はニャンとかなるのかね?!

オムニ7のアフィリエイトです。書籍で1400円+税です。
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俳優の石田純一さんは迷言の誉れ高い「不倫は文化だ」と主張したという風に流布している、もしくは流布したいたワケですが、事実関係として、本人は「不倫は文化だ」とは発言していない。しかしながら、延々と「石田純一は不倫は文化だ言った人である」というワイドショウ的な言説が実に20年近くも続いてしまったワケですね。

で、その石田純一さんがなんと週刊新潮に登場。「不倫は文化なのか?」という問題を石田純一さん自身が「特別読物」として語っている。

先ず、事実関係のおさらいからですが、1996年10月に「不倫は文化だ」発言が報じられた。先に亡くなられた平尾昌晃さん主催のチャリティーゴルフ大会での事、折からの不倫問題でワイドショウに追われていた石田さんは芸能記者から追い掛けられていた。そして12番ホールで、或る女性記者からの質問に答えたのが、不倫は文化だ発言の真実であるという。

「でも、やっぱり不倫は許されないですよね」

それに対しての対応が問題発言であった。

「それはあなたのお考えであって、善悪を決めるのは私でもあなたでもないはずです。たしかに、結婚生活を破綻させずにちゃんと成就させている方は尊敬に値します。でも、不倫を完全に否定しまったら、世界からどれだけの芸術が無くなってしまうと思いますか。不倫という恋愛から生まれる音楽や文学もあるじゃないですか。苦しみや葛藤から生まれる文化だってあるんです」

という具合。それが翌日のスポーツニッポン紙では、

牴燭悪い、不倫は文化! 石田純一

とセンセーショナルな見出しで報じられた為、以降、「不倫は文化」という言葉が一人歩きを始め、石田さん本人が発言したものとして、広く解釈されるに到ったのが事実であるという。

その石田純一さんが敢えて、その発言主旨というか持論としている不倫文化論を、今回、週刊新潮誌上で披歴しているのだ。

意外な内容でした。石田純一さんは丹念に事例を列挙している。何をって、不倫から生まれたであろう音楽や文学を。

1.リヒャルト・ワグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」

2.アメリカ映画の「イヴの総て」(1950年製作)

3.中上健次の「枯木灘」

4.オペラの名作「ばらの騎士」

5.イタリアのオペラ「イル・トロヴァトーレ」

6.トルストイの「アンナ・カレーニナ」

7.スタンダールの「赤と黒」

8.モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」

といった作品を列挙し、内容が不倫と関係していると述べている。うーん、知らないものだらけだけど、本気度は伝わってきますかねぇ。また、文化論の体裁を取っており、芸術家としてのワーグナーの女性遍歴や、ドビュッシーの演じた不倫にも触れるなど多彩さを披露されていました。(実は週刊新潮は丸々4ページも石田純一さんの解説が掲載されている。)

摘まみ食い的に、石田純一的不倫文化論の論旨を引用します。

今も間違ったことを言ったとは思いません。もちろん、不倫を奨励するわけではないし、しないで済むならそのほうがいい。しかし、道ならぬ恋を成就させようとしてもがくことや、多くの吐息が、芸術作品の生まれるうえでの大きな原動力になっている。

そして、先に列挙した作品の解説や、ワーグナーの女性遍歴などについての解説を経て、結文に向かっている。

不倫の魔力は強力なパワーやインスピレーションになる。不倫は背後に破滅的なものを背負っているがゆえに、決してほめられませんが、不倫を糧に生まれた作品が、誕生して100年、200年たったいまも、ロダンやクローデルの彫刻のように、僕たちに感動を与えてくれているのも事実なのです。

ここのところ、週刊新潮も含めて不倫報道が花盛りです。〜略〜それが正しいとか間違っているとか、ジャッジする物言いには賛成できません。奥さんがいる男性が、ほかにきれいな女性と付き合っていれば、やっかみが生じるのは当然です。ましてや相手が芸能人やアイドルだったら、やっかみは5倍にも10倍にもなる。「不倫男」の代表たる僕としては、それは想定内でした。でも、他人の行為を無暗に裁くのはどうかと思う。

はたして、なんでもかんでも品行方正であるべきでしょうか。その人は偶然が重なるなかで、抗いがたくそういう状況に陥ってしまったのかもしれません。そうした本能のようなものまで否定するのは、人間への冒涜につながりかねないのではないか。そんなふうにも感じるのです。〜後略〜


長文なので全部には触れきれませんでしたが、石田さんは不倫の果てに地獄の業火に焼かれるような悲劇的な結末であるとか、更には略奪した恋であるが故に、また、その最愛の恋人を略奪されるという因果応報的な報いなどにも触れられている。


石田さんの話は思いの外、芸術論であったので私にはフォローし切れませんでしたが、私なりに、そういう事であろうなという部分はありましたかねぇ。【ドラマ】とは、日本語では【劇】であり、すなわち、「ドラマチック」とは「劇的」を意味している。「劇的なもの」を求めたり、それに心を動かさせられるのが人間の本質なんですよね。つまり、劇的ではないものには感動しない。常にガチガチの一番人気の本命馬が実力通りに勝利してばかりであったなら競馬という娯楽も競技も成立しない。偶然性を含めて色々な要素が絡み合って意外な結末になればなるほど、ヒトは、それを「劇的だった!」とか「ドラマチックだった!」という風に感じ、感動するものなんですよね。

「劇的であった!」と、その事象を感じ取っている主格は、実は人間自身である。ドラマとか劇というのは、そうした裏切りや奇跡的な偶然性とか、そういうものの介入によって生まれるものであり、仮に何もかもがシンプルな数式のように当たり前の正解を導くだけのものであったなら、そこに感動というものを見い出せない生き物なのだ。大仰に聞こえるかも知れませんが、これ、真理であろうと思うんですね。人間中心主義で、その主格が人間であるからこそ、劇的であるとかドラマチックという感慨が生じるのであって、確かに誰も彼もが品行方正で決められたレールの上を定刻とおりに進行する機械仕掛けであれば、その正確性から得られる利便性はあるが、きっと人間中心主義が薄らぎ、無味乾燥とした世界になるんじゃなのかなって気がしますからねぇ。

利己的遺伝子論なんてのを経て考えると余計に、そんな風に思うものかも。ヒトは生まれながらに遺伝子によって各種の資質が決定している。あながち出鱈目でもなそうな話である。しかし、そうなってきてしまうと遺伝子の操作技術が確立してしまったときに、模範的な遺伝子から成る模範人間がつくれるようになってしまう。容姿端麗にして頭脳明晰、スポーツ万能。しかし、そういうものを一元的に希求してしまうと、やはり、人間味であるとか、或いは意外性なんていう劇的要素も減少してゆき、翻って個性や多様性なんてものも。。。



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毎日グラフ緊急増刊「崩御 昭和天皇」がカラーボックスの奥から出てきまして、そういえば、やり残していた事があったなと思い出しました。

戦後日本を考える場合に天皇制の話は欠かせず、且つ、何故、戦後になったのかという問題を考えるにしても天皇問題は外せない。また、戦後日本のスタートというのは、人間天皇からスタートしたと考える必要性があるのだろうと私は考えているワケですが、何故か最近の世論の中には教育勅語を讃美するような事になってしまっていて、もう、そもそもからして戦後日本の保守思想なんてものは、どうにもならないよなぁ…と本心では感じていたりする。

思想家・松本健一は純然たる思想家であるワケですが、「畏るべし、昭和天皇」という著書の中で、この戦後の天皇問題について、いい提案をしていたなという感慨が残っている。それは、本来的な天皇というものの在り方に遡って、はて、天皇なんてものを我々は存じ上げていないが、そもそも天皇という概念は猝軌拏然瓩砲靴討修發修發らして象徴的な存在であり、実際に、晩年の昭和天皇は、天皇の在り方というものを体現していたじゃないか、という見方を示すんですね。何を言われても、「あ、そう」という感じであったのを記憶している方もホントは多いのだろうと思うんですが、アレです。実際に、これは老子にしても「最上の統治者とは、その存在さえ民衆には知られていない統治者こそが最上の統治者だろう」という主旨の言葉があり、それとも合致するんですね。古代に考え出された天皇制、そのエッセンスとは確かに猝軌拏然瓩覆發里魄嫐していたとしても、おかしくない。いや、実際に、そちらに近い意味合いでの「天皇大帝」が語源であるワケで。

我々日本人は昔から或る種の道徳観を精神規範として有していた。「新渡戸稲造」的な文脈は怪しくて、武士道が日本人の規範意識を形成したというのだけれども、そうではないだろうと考える。そんな、しゃちほこばった日本ではなく、「お天道様は見ているよ」とか、「星は何でも知っている」とか、そういう自然信仰に根差した、正直である事、清らかな心を持つ事を「善し」とし、規範意識という意味では畏れ、神罰を怖れ、そのようにして誠実に生きてきたというのが民間人レベルのホントのニッポン人の宗教観であったり、道徳観であろうと思うんですね。

万世一系であるとか、臣民であるとか皇民であるとか、そういう類いの話は明治時代の為政者が天皇制を意図的に利用した稚拙な洗脳術。狡猾だ。ホントは「攘夷」を掲げて、徳川幕府を倒し、自分たちが実権を取ったら攘夷の理念を捨てて開国し、そのまま、権力機構に居座ってしまったような連中がつくった手垢に塗れた罪深い天皇観だ。わざわざ、そんなデタラメにダマされてやる程、お人好しではいけないのであって。

戦後日本を考えるのであれば、明治維新以降の皇国史観や軍国主義に惰性で回顧して戻ろうとするのではなく、ニッポンというクニが本来、有している寛大で豊饒な、そちらのニッポンを目指すべきだろうと思うワケです。

で、それに松本健一も言及している。

もし、もしですよ、我々が心の中に天皇像というものを抱えて、「誰も私や私達を理解してはくれないが、無為自然の存在である天皇だけは、きちんと真実を見てくだっているに違いない」と信じて、そのように崇めるのであれば、この天皇制というシステムは、そんなに悪い制度ではなく、確かに有難い制度と言えるのではないか――とね。

で、「やり残した事があったな」というのは幾つかあるのですが、一つは、昭和天皇の写真というものに意図的な何かがあるもの、それが広く知られているものだよなって実は私は感じているんですね。例えば、マッカーサー元帥と並んでいる例の写真は、各種の資料に掲載されているワケですが、あの写真というのが個人的には非常に気に入らない。或る種の政治的プロパガンダに使用されてしまった写真であり、或る意味では「御真影」といったニュアンスがあり、しかも、その「絵」も好きになれない。

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即位の際の昭和天皇


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大正13年の御成婚記念写真〜赤坂離宮


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昭和58年5月18日、春の園遊会で見せたスマイル


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田植えをする昭和天皇


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顕微鏡をのぞく昭和天皇


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昭和46年10月5日、バッキンガム宮殿にてエリザベス女王主催の歓迎晩さん会



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昭和61年5月13日、ダイアナ妃を迎えての宮中晩さん会


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非常に貴重な一枚で眼鏡を外している上に、着用しているのは英国陸軍大将位を贈られ、その参謀襟章をつけている珍しい写真。

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昭和34年4月10日、皇太子ご成婚時の写真


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昭和34年4月12日、皇太子ご成婚時の写真


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稲刈りをする今上天皇


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心の底から破顔している大相撲観覧時の昭和天皇、昭和57年5月16日
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昨秋、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の連載が終了するとの事で、急に漫画に目を通してみたい衝動が沸き起こって、コンビニにて「傑作選」と銘打れた廉価版の単行本を三冊ほど購入して読んだのですが、実は、そこで感じたのは、連載終了やむなしという感慨でした。

単純に述べると、面白いと感じることが出来なかったんですね。もっとハチャメチャだったんじゃなかったっけ、と。よりストレートに言ってしまうと、美少女キャラが沢山、登場していて何が何だか設定が判らなくなっていた上に、主人公である「両さん」にしても、なんていうのかな、キャラクターが変わってしまったかのように感じました。クズ警官であったところが、何故かスーパー警察官になってしまっており、人情話の挿入しても鼻につくような感じ。大原部長や本田巡査ら、そこら辺のキャラクターはキャラクターとして変化していなかったと思うんですが、基本的にアイコン化してしまっているな、と。

美は乱調にあり――。ここのところ、大杉栄関連本を読んでいた事もあって、そんな事を思いました。私の感想ではありますが、おそらく「こち亀」の連載終了というのが大正解であり、幕引きのタイミングを待たれる段階にあったのだと思う。【乱調】の反対語は【諧調】なのですが、既に「こち亀ワールド」というのは描き尽くし切っており、ハチャメチャを描こうにもハチャメチャが諧調になってしまっており、読み手を魅了するだけの乱調になっていなかったというかね。なんだかエラそうに、そう評論してしまいますな、えっへん。

で、やはり、今でも全巻読破をしてみたい漫画って何だろうって考えると、私の場合は仏恥義理で、手塚治虫の「ブラック・ジャック」ですかねぇ。単行本で20冊近くは読んだと思うんですが全巻は読んでいない。書店で思い立って購入してみると、少年チャンピオンコミックスではない体裁の単行本が出版されているので、何が何だか分からなくなり、購入してみたものの、少年チャンピオンコミックスとダブりまくるという悲劇に見舞われてしまう。
カネと時間をかけて、任意のシリーズで全巻集めてみたいなんて考えるのは、やはり、「ブラック・ジャック」でしょうかねぇ。


ブラック・ジャック先生は、御存知の通り、モグリの天才外科医である。そう、犯罪者なんです。確かに誰もが見捨てるような難易度の高い手術を成功させるが、その手術代は法外な金額を請求するというタチの悪い人なんですね。

犯罪者だというのに、何故、ブラック・ジャック先生は、カッコいいのか?

どう考えても、あのブラック・ジャック先生のクールな部分に魅力がある。そのクールさとは、一つはニヒリズムであり、もう一つはというと、ニヒリズムのウラにあるヒューマニズムでしょう。

素晴らしいほどに洗練されたキャラクターであると思う。

以下、ブラック・ジャック先生の名セリフを、着色文字で書き起こしてみる。

「からだも心もくさっているやつは手術したってむだだ」
(第1話「医者はどこだ!」)

「助からないでしょうな」
(第205話「海は恋のかおり」)

「むだと知りながら手術(オペ)なんかやるおれは……よっぽどのバカだな」
(コミックス第154話「恐怖菌」、連載時第46話「死に神の化身」)

「この空と海と大自然の美しさがわからんやつは―――
生きるねうちなどない

(第81話「宝島」)

ひょぉぉぉぉ、クールだぜ、BJ先生のセリフってのはサイコーに。いや、ニヒリズムが滲んでいる。

しかし、それが単なる虚無主義なのかというと、そうではない。BJ先生はヒューマニズムを自分なりに有している。

「わたしは死にものぐるいでなおそうとする患者がすきでねぇ」

(第120話「悲鳴」)

「いいか、患者に治ろうという努力の気持ちがあってこそ、医者の治療はききめがあるんだ」
(第236話「されどいつわりの日々」)

(ジャングルの中で、夜空に向かって)
「医者は人間の病気をなおしていのちを助ける! その結果 世界中に人間がバクハツ的にふえ 食料危機がきて 何億人も飢えて死んでいく……
そいつがあなたのおぼしめしなら……
医者はなんのためにあるんだ

(第51話「ちじむ!!」)

――と、豊福きこう著『ブラック・ジャック「90.0%」の苦悩』(秋田文庫)のページを捲りながら、そんな事を思いました。

確か、手術代を請求するがラーメン一杯分の代金にしてしまう話とかあった記憶があるけど、ちょっと今は探し出す余裕がない。なのですが、BJ先生はヒューマニストであり、「あなたが働いて得た自分のお金で手術代を払ってくれるんなら、それでいいですぜ」的なニュアンスだったんですよね。あ。第212話「ある女の場合」で、未亡人となった女性に手術代を請求するシーンだったか。更に第206話「山猫少年」に到ってはヤマネコに手術をしてあげて、そのオペ代を魚2匹にしてしまった事もある。魚2匹って…。確信犯的にモグリの外科医なんだけれど、結構、根はいい人なんじゃ――。

てか、強きに厳しく弱気にやさしく――か。BJ先生基準のヒューマニズムというか、そのへそ曲がり主義が気味がいい。現在ともなると秩序に逆らう反抗的態度は徹底的に糾弾され、均(なら)されてしまう。そのクセ、弱い者には容赦なく全力を上げて吊し上げる性悪が蔓延し、社会全体が悪人化している。

その対極として、法外な手術代を吹っ掛けているケースは政府要人であったり、某習い事供出の家元に対してであったりする。更には、次のようなセリフもBJ先生は残している。

(ヒステリー症状の学園長の娘が患者のケースで)
「おかあさん あんがい原因はあんたのしつけにあるんじゃないですか?」
(第20話「発作」)

それと、さりげなくイケメンなんだよなぁ、BJ先生ってのは…。

第57話「ブラック・クイーン」では、ブラック・クイーンの異名を持つ「桑田このみ」という女医が登場し、その桑田このみに、BJ先生はラブレターらしきものを渡そうとするが破り捨てる。

第180話「土砂降り」では、BJ先生が片思いであった「清水きよみ」の墓前で、ポツンと呟く。

「あなたの美しい顔にメスを入れたくなかったのですよ…」

うーん。そうでしたよね、30年前の日本の価値観というのは。これは自然美と人工美の話でもあると思う。顔の整形についても幾度も取り上げられていた筈だしなぁ。はて、いつの間に時代の価値観ってのは、これほどまでに変わったんだろ。

飽くまで私見ですが、つまり、「こち亀」は時代に対応してしまった為に陳腐化してしまい、一方の「ブラック・ジャック」は時代に対応せず、そのヒューマニズムを現在でも作品の中に湛えているって事なんじゃないのかなというのが結論でゴワス。
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◆櫻井よしこ〜週刊新潮『日本ルネッサンス』

6月23日、イギリスの命運を決定する国民投票が行われ、欧州連合(EU)からの離脱を望む人々が約4%の差で残留派をおさえた。

オバマ大統領をはじめとする米国首脳はイギリス国民の決定を、「アラブの春」の民主化運動勃発に対するのと同様の驚きで受け止めたと、「ニューヨーク・タイムズ」が28日の紙面で伝えたが、それ程予想外だったということだ。


〜略(日本の国益に立った視点からの言及)〜

国家の運命を変える転換点となった重要な国民投票だったが、恐ろしい程に大衆迎合的だった。残留派は、デイビット・キャメロン首相を筆頭にもたらす深刻な損失や、失業の増加といった負の影響を語り続けたのに対し、離脱派は移民を排斥し、EUの官僚機構の支配から抜け出しさえすれば問題は片づくという短絡的主張で、感情論に訴えた。彼らはEUを離れて如何にして経済をもり立てるのか、英国の輝きと豊かさを具体的にどう取り戻すか、世界戦略はどうするのかについて、明確な政策は一切提示していない。提示できなかったのは、彼らにも分かっていないからだ。

〜略(スコットランド独立気運についてと、イギリス金融街シティの打撃について言及)〜

同時進行で、先に猊櫃蹐靴つ瓩判颪い織櫂團絅螢坤爐瞭阿が拡大していくだろう。現にアメリカ共和党のドナルド・トランプ氏とフランスの極右政党、国民戦線党首のマリーヌ・ルペン氏はイギリスの決定を絶賛した。〜後略〜


◆池上彰〜週刊文春『池上彰のそこからですか!?』

(前段では、株価が離脱か残留かで揺れた経緯に細かく触れており、実際には数日前から女性国会議員襲撃事件の影響があって残留派が優勢と報じられてた事、更には当日も実際には分刻みの相場となり、事前の予測でも離脱か残留かは拮抗した状態にあった事に、正確に言及している。かなり、精度の高い説明をされているのですが勇み足か「ジョンソン氏が新しい首相に就任します。」と記述している。当時はその予定でしたからね。)

イギリスがEUから離脱する手続きは、これから2年ほどかかる見通しです。それまで混乱は続くことでしょう。

しかも、これで話は終わりではありません。「国民投票で勝てばEUを離脱できるんだ」ということを、ヨーロッパ中の人たちが知ったからです。東西冷戦は終わり、EUが東にウイングを広げ、東欧諸国までを包み込んだ結果、ポーランドやブルガリア、ルーマニアなどからの移民の労働者がやって来て、自国の雇用が奪われるという危機意識を持っている国は、ほかにもあるからです。


〜略(難民条約についての言及)〜

こうした国民投票を求める動きは、スウェーデンやデンマーク、オランダ、フランスでも拡大しています。この勢いに乗じて、6月17日、オーストリアの首都ウィーンに、反EUを訴える政党の代表が終結しました。オーストリアの極右政党の自由党が呼びかけたものです。

フランス国民戦線のマリーヌ・ルペン党首やドイツの「ドイツの選択肢」の幹部のほか、イギリスやベルギー、イタリアからも参加しました。会合で呼びかけ人の自由党のハインツ・シュトラーヒェ党首は、「欧州連合の愛国者よ、団結して前進しよう」と呼びかけました。不思議な呼びかけですね。欧州がバラバラになるように団結しよう、というのですから。さしずめ「欧州分裂のための統合」でしょうか。

そもそもEUは、ヨーロッパから戦争をなくそうという理想から始まりました。国境をなくし、ヨーロッパがひとつの国家になれば、国家対国家の戦争はなくなるだろうという発想です。そのために欧州統合を目指して、さまざまな取り組みが行われてきました。

発端は、西ドイツがフランスとの国境に近い炭田での石灰採掘を再開し、鉄鋼業を復活させようという計画にフランスが反対したこと。これではドイツが再び強大になってしまうと恐れるフランスを、周辺の国々がなだめて、「欧州石炭鉄鋼共同体」(ECSC)を発足させました。ここに参加したのは、西ドイツ、フランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、イタリアの六か国。


〜略〜

その後、原子力を共同研究する欧州原子力共同体(EURATOM)と欧州経済共同体(EEC)を結成。これらの組織を包含する形で、欧州共同体(EC)が発足しました。イギリスは、このECの段階で加盟し、ECは欧州連合(EU)へ。欧州統合の動きが加速し、通貨統合も果たしてユーロを導入します。さらに欧州の統合を急ごうと、EU憲法の制定や、EUの旗・歌を定めようという動きにまで進みました。いよいよ「欧州合衆国」への道が見えてきたのです。

ところが、さすがにこれは急ぎ過ぎ。各国の国民投票ではフランスやオランダで否決されるなどして、後戻りせざるを得ませんでした。

しかし、このように欧州統合の動きが進んできたからこそ、人やモノの移動が自由になり、人々の交流も進みました。各国に分かれている反EUの政党が一堂に会することができるのも、EUの存在があったからです。欧州統合の恩恵を受けた政治勢力が、欧州の解体を求める。これが皮肉でなくて何でしょう。



◆週刊文春『新聞不信』

英国のEU離脱は、つまるところ、爐錣譴錣譴旅餘廚録されている。自らの手でこれを守った方がいい瓩箸いβ濃擦根底にあるのだろう。さすがにここにきて勢いに陰りが見えるが、米国のドナルド・トランプ大統領候補の猖熟性瓩ここまで受け入れられたのも、背景は同じだ。「自分さえよければ」というエゴイズムが世界を席巻しつつある。

〜略(朝日新聞の天声人語が取り上げた女子高生らが傘を貸し出した運動に触れた後に、読売新聞の編集手帳のクマ出没に触れる。いずれもエゴイズムの問題として取り扱っている。)〜

歴史を降り返れば、ある種のエゴイズムが人類を突き動かしてきたのも確かだが、それにしても昨今は、度が過ぎている。通り一変の正義感で「エゴイズムはよろしくない」と言っておけば済む話ではないように思う。

かつてないレベルのエゴイズムの蔓延で社会常識が歪めば、それが時代のモラルになりかねない。昨日の非常識が今日の常識という社会になれば、どんな人物が育つのか。新聞は人間性の変質に目を向けるべきではないか。



◆宮家邦彦〜週刊新潮『新聞ネットじゃわからない国際問題』

先週、あの国の有権者がついにEU離脱を選択した。彼らの現状への怒りの「感情」が、現実を直視する「理性」に勝ったのだ。あの国とは勿論、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(UK)のこと。彼らがこれほど感情に流される人々とは思わなかった。

〜略〜

それにしても、UKのこの体たらくは何だ。かつて世界帝国として君臨した大国の黄昏が始まったのか。結果を受けて辞意を表明したキャメロン首相の責任は小さくない。彼が反EU勢力を抑え込むため実施した国民投票で国論が二分され、結果的に国政を混乱させた。今回の結果はEU自体の存在意義を根本から問うことになるだろう。EUは冷戦時代に米ソの狭間で欧州を埋没させないため、欧州の政治経済エリートが作った枠組み。今やUK発のダークサイド(大衆迎合的ナショナリズム)が欧州の努力を頓挫させかねない。

〜略〜

EUは欧州覇権の象徴であり、UKの主権と独立を脅かすと離脱派は主張した。「大陸の指示は受けない」という彼らの強烈な民族主義的主張は今後も増殖する。こうした大衆迎合的ナショナリズムの流れはまた、欧州大陸の似たような風潮を一層助長し、EUの政治統合という夢を風化させかねない。〜後略〜


◆藤原正彦〜週刊新潮『藤原正彦の管見妄語』

(前段では、過去記事でEU発足の翌年の思い出として、「経済的に豊かになる為だといいながらも、枕元に猟銃を置くようになったブリュッセルの友人の話」に言及している。)

ここ数十年間のグローバリズムの究極は、世界各地ですべての民族が仲良く一緒に暮らし、同一言語(つまり英語)で円滑に意思の疎通をし、やがては文化や価値観まで共有することのように見える。これは私にとって、似非ヒューマニズムに根ざしたおぞましい光景である。地球の隅々で見事に花開いた魅力ある文化、伝統、習慣、風俗、料理、言語、舞踊、音楽……はすべて地球の宝物である。国境を越えて人々が自由に移り合うようになったら、こういったローカルなものがいずれことごとく消えてしまう。いかに美しくとも地球上がチューリップ一色となっては世も末だ。一面の菜の花や、雨滴をこぼれんばかりにためた紫陽花や、岩陰にのぞく駒草があって欲しいのだ。

昨日6月23日、英国の国民投票でEU離脱派が勝利した。世界のGDPの22%を占めるEUとあって大きな衝撃となり、世界の株式市場は一日にして215兆円を失った。メディアというメディアはリーマンショック級などと言っている。短期的に波乱があるのは免れないにせよ大したことはないと私には思える。英国の最大輸出先はEUだが、逆にEUの最大輸出先もアメリカではなく英国だからだ。できるだけ関税を低くしたいと双方が一致するはずだし、それに向けて産業界も圧力をかけるに違いない。それに当事者となる英独仏蘭などは、国益のためなら何でもする狡猾さを備えている。ただ英国とEUに茨の道が待っていることは間違いないから、早まって英国が中国になびいたり、独仏がロシアになびいたりする方を警戒すべきだ。

今回の決定は、新自由主義やグローバリズムに対する、最初の大々的反乱として世界史に特記されることになるのではないか。離脱案を支持したのは、ここ3年間で150万を超す移民の流入により仕事を奪われた労働者たちや、EUの下で英国が英国でなくなっていることを憂える人々と伝えられている。グローバリズムによって大量生産される「弱者」と、グローバリズムの反作用として生じる「ナショナリズム」による反乱だった。繁栄したのは一握りの人々のみで大多数は幸せになっていなかったのだ。彼等だって、離脱により生活がさらに苦しくなることを知っているはずだ。経済至上主義にこり固まった英国およびEUの政治家の前に「金より大切なものがある」ということを叩きつけた快事であった。



◆塩野七生(しおのななみ)〜文藝春秋8月号『EU政治指導者たちの能力を問う』

現実的な考え方をする人がまちがうのは、相手も現実的に考えるだろうからバカなまねはしないにちがいない、と思ったときである、と言ったのは、ルネサンス時代の政治思想家のマキャヴェッリであった。

今日(六月二十四日)、前日に行われた英国での国民投票の結果を知って、ヨーロッパ中が、いや日本の株式市場も大暴落したから世界じゅうが、この一句をかみしめているのではないかと想像する。

イギリスは、国民投票の結果、ヨーロッパ連合から脱退すると決めた。脱退しようものならサッチャーが政権をにぎる以前にもどってしまうのだ、と考える人々に対して、不安、怒り、怒り、嫉妬、そしてこれらが合わさっての異分子排斥、の想いのほうが多数を占めたからである。

経済的には、当のイギリスを除けば、いずれは「ゆれ」はもどるだろう。だが、政治的な影響はとてつもなく大きい。


〜英国内的にはスコットランド、北アイルランドがグレート・ブリテンからの独立を画策する事態になるやもしれぬ。国外的にはEUでも次々と国民投票が起こってヨーロッパ共同体は解体してしまうやもしれぬ。という論旨の両論併記の後に〜

この現状を改善するには、強固で一貫した政治意志と、それをゆっくりではあっても着実に進めていく忍耐力が求められる。

これほどの難事を有権者に飲ませるには、各国の政治指導者の能力が問われる。今のEUには、そこまでの能力を持つ指導者はいるのであろうか。


〜キャメロン英首相批判、オランド仏大統領批判、メルケル独首相批判をして〜

脱退が決まった今、ヨーロッパ中が大波に振りまわされるであろうと想像するのも、たいしてむずかしいことではないのである。しかも、ゆれ動くヨーロッパに、舵にしがみついてでも自分が、と思う政治指導者はいず、自分たちで、と思う国もないだから哀しい。


◆浜矩子(はまのりこ)同志社大教授〜文藝春秋8月号『英EU離脱でジタバタするな』

(こちらは8頁にわたる長文なので要約しますが)

市場もメディアも過敏に反応し過ぎだ

が論旨。浜矩子教授の場合はEUの崩壊を予言していた著書を数年前に表わしており、そのままの主張です。おそらくイギリスの戦略を語らせた場合、最も鋭い論客かも。1992年にイギリスは欧州通貨制度の為替相場メカニズム、通称ERMからも離脱しており、それと似ているとしている。イギリスの場合、1990年から欧州内に於ける共同変動相場制と説明されるERMに参加した。これは為替変動の上限と下限とを許容範囲内に留めるように設計されたシステムで1979年から設置されていたが、イギリスは1990年にようやく参加した。しかし、イギリスがERM入りや否や、英国ポンドは投機の嵐にさらされた。かのジョージ・ソロスですね。ジョージ・ソロスはイギリスの通貨当局を打ち負かした。まさしく、これが金融資本主義に於ける有名な事件でした。その結果としてイギリスは1992年にはERMから離脱した。イギリスは大変な事になると思われ、「ブラック・ウェンズデー」とも呼ばれたが、事態は意外な方向へ転がった。

ERMという「拘束衣」から解放されたことで、すっかり楽になったのです。ポンド安爛ミカゼ瓩吹きまくり、低迷していた景気も上向きに転じ始めることになりました。そのため、あの日は実はブラックならぬ「ホワイト・ウェンズデー」だったという説も多いのです。

〜略〜

いわゆる「エスタブリッシュメント」(支配者層)の立場にあるエリートたちは、離脱で国内外を揺るがすことを嫌う。だから、残留派になる。一般人は、そんなことに頓着せず、我が思いを表明する。もっとも、私はエリート層の中にも「隠れ離脱派」が結構いたかもしれないと思います。立場上、それを表立って表明は出来ない。だが、いざ投票となると離脱を選んでしまった。存外に、そんな人たちが今回の結果を左右したかも知れません。

〜「脱英入欧」、つまり、外資系企業がイギリスから集団脱出するという懸念は一定範囲で起こるが脱英雪崩が起こるとは考え難いと指摘している。また、ドイツにしても内心ではEUは爐荷物瓩任△襪箸垢襦また、後半はアベノミクスへの懸念として犲詑岫瓩ら懸け離れ過ぎてしまっていることを挙げている。また、アベノミクスに批判的な立場として〜

アベノミクスのように、一握りの強き者、豊かなりし者たちだかで大きな経済を回そうとすればするほど、経済活動の多様性がもたらせてくれるはずの、新鮮な「活力」すら奪ってしまいます。

イギリスのEU離脱による混乱によって、図らずも日本経済の実体が見えた。このことが、まともな経済に戻るきっかけになればと、私は考えています。






この他にも週刊文春の「宮崎哲弥の時々砲弾」、週刊新潮のヤン・デンマン「東京情報」をチェックしたのですが前者「時々砲弾」はEU離脱に触れながらも、安倍政権を消費税延期で批判していた朝日新聞など大手メディア紙への批判で構成されており、宮崎さん自身の見解は記述なし。「東京情報」はアテが外れてしまい、田中角栄がテーマでした。宮崎哲弥さんは安倍政権の経済政策に近く、成長戦略しかないというリベラル色を長期キャンペーンされている感じですかね。
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以前に、週刊現代が企画した「日本の名曲ランキング」に触れ、その後もコツコツと「青春歌年鑑」シリーズなどで懐メロを愉しみながら検証しているんですが、昭和20年代ぐらいまでは自分なりに気の済むところまで検証できたのかなという手応えに到ったので、以下、独断と偏見によるニッポンの名曲オススメ編としてピックアップしてみる。

戦前&戦中編から。

◆東京行進曲/佐藤千夜子 
作詞:西條八十、作曲:中山晋平。歌い出しが「🎶むかし恋しい銀座の柳」というアレです。古そうな歌だとは感じていましたが、なんと戦前の曲でした。こういう歌の後に先の戦争が起こったワケか。

◆丘を越えて/藤山一郎  
作詞:島田芳文、作曲:古賀政男。「🎶丘を越えてゆこうよ、真澄の空は…」が歌い出し。未だにトヨタ社等のCMソングに使用されている名曲。聴いてみると、マンドリンの長い長い演奏に途中から藤山一郎のボーカルが入ってくる感じ。

◆旅の夜風/霧島昇
作詞:西條八十、作曲:万城目正。これもタイトルではピンと来ませんでしたが「🎶花も嵐も踏み越えて〜」というアレです。

◆暁に祈る/伊藤久男
作詞:野村俊夫、作曲:古関裕而。この曲は昨今では懐メロとして取り上げらる機会も少ないのですが聴いてしまうと伊藤久男のバリトンボイスと古関裕而の世界に魅了されます。「🎶あー、あー、あの顔で〜、あの声で〜」が歌い出し。

◆東京の花売娘/岡晴夫
作詞:佐々詩生、作曲:上原げんと。「🎶花をめしませ〜、めしませ花を〜」が歌い出しの古き良き温かき旋律と、坂上二郎さんがよく岡晴夫の物真似をしていましたが実は聞き分けがつかない程の完成度であったと気付かされました。岡晴夫のボーカルは音節のつなぎ目が流れるような独特なボーカルで味あります。

◆蘇州夜曲/李香蘭
作詞:西條八十、作曲:服部良一。これは稀代の名曲という貫禄が溢れている名曲中の名曲という印象です。「🎶き〜み〜が〜御胸に〜抱かれて聞く〜わ〜」という非常にスローな曲なんですが、その間延びした具合というのが中毒になります。ゆったりとゆったりと流れる調べ。李香蘭(山口淑子)をチョイスしましたが個人的には美空ひばりが歌った「蘇州夜曲」の音源がイチオシです。おおたか静流さんも80年代にカバーしていた記憶があり、埋もれさせるには、余りにも勿体無さすぎる名曲です。

◆若鷹の歌/霧島昇
作詞:西條八十、作曲:古関裕而。「🎶わ〜かい血潮の予科練の〜」が歌い出しの戦時歌謡で軍歌に分類されていることもあるよう。予科練の歌らしいのですが一番の歌詞が変更されているケースなどもありました。「い〜くぞ〜敵陣、殴り込み〜」と勇ましさ満点なんですが、どうしようもなく名曲です。

◆ツーレロ節/美ち奴
台湾民謡。音源がなくユーチューブ頼みでピックアップしました。「シャンラン節」とも。歌詞や楽器の使い方が違っているようですが、「🎶か〜おる〜ジャスミン、どなたがくれた〜」はシャンラン節ですが、ツーレロ節では「🎶ひとめぼれなら、山ほどあるが〜」となっているよう。南国情緒の漂う台湾民謡と御座敷ソング的要素の強い新民謡の融合っぷりが絶妙。「ずったた、ずた、ずったた、ずた」と刻む三味線のリズムが非常にカッコイイ。

◆異国の丘/竹山逸郎
作詞:増田幸治作詞(佐伯孝夫補詞)、作曲:吉田正。歌い出しは「🎶今日も暮れゆく異国の丘に〜」ですが、結構、脳内にこびりつき、知らぬ間に鼻歌になっていたりする。


戦後になると、やはり、いわゆる「懐メロの定番」を並ばせざるを得ない感じのラインナップになりますかねぇ。

◆リンゴの唄/並木路子&霧山昇
作詞:サトウハチロー、作曲:万城目正

◆青い山脈/藤山一郎&奈良林光枝
作詞:西條八十、作曲:服部良一

◆東京ブギウギ/笠置シヅ子
作詞:鈴木勝、作曲:服部良一

◆買い物ブギー/笠置シヅ子
作詞:村雨まさを、作曲:服部良一

◆銀座のカンカン娘/高峰秀子
作詞:佐伯孝男、作曲:服部良一

◆かえり船/田端義夫
作詞:清水みのる、作曲:倉若晴生。そういえば、つい先日のテレビ東京の番組で、五木ひろしさんが最も好きな歌として「かえり船」を挙げていました。おお、そういうものなのか。

◆悲しき口笛/美空ひばり
作詞:藤浦洸、作曲:万城目正

◆東京キッド/美空ひばり
作詞:藤浦洸、作曲:万城目正

◆イヨマンテの夜/伊藤久男
作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而

◆上海帰りのリル/津村謙
作詞:東条寿三郎、作曲:渡久地政信

◆テネシー・ワルツ/江利チエミ
(米国テネシー州歌)

◆お祭りマンボ/美空ひばり
作詞・作曲:原六朗

◆リンゴ追分/美空ひばり
作詞:小沢不二夫、作曲:米山正夫。ここのブロガー的には美空ひばりの楽曲でイチオシです。実はカーステで聴いていたのですが、民謡調歌謡なんですね。民謡調の楽曲のバンド演奏なんですが、バンド演奏の妙があり、且つ、美空ひばりのボーカル。実はアレンジがカッコイイ。全然、古くない。

◆港町十三番地/美空ひばり
作詞:石本美由紀、作曲:上原げんと。ビートたけしさんがテレ東の番組「誰でもピカソ」の美空ひばり特集の際、最も好きな歌であると発言しており、実際に著名人が美空ひばりの一曲を選出した企画モノCDでもビートたけし推しになっていました。

◆悲しい酒/美空ひばり
作詞:石本美由紀、作曲:古賀政男

◆赤いランプの終列車/春日八郎
作詞:大倉芳郎、作曲:江口夜詩

◆お富さん/春日八郎
作詞:山崎正、作曲:渡久地政信。

◆君の名は/織井茂子
作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而

◆黒百合の歌/織井茂子
作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而。「イヨマンテの夜」にも似た土俗的な何かを狙った節がありますが、思いの他、迫力がありました。埋もれ気味ですが、古関裕而作品の中でも屈指の名曲かも。

◆この世の花/島倉千代子
作詞:西條八十、作曲:万城目正。島倉千代子のデビュー曲であり、売上などは冴えないものの、ピカイチです。「🎶あ〜か〜く咲く花、あ〜おい〜花、こ〜の世に咲く花、数々あれど〜」と、島倉千代子の最大の武器である歌唱法が全快。

◆月がとっても青いから/菅原都々子
作詞:清水みのる、作曲:陸奥明

◆カスバの女/エト邦枝
作詞:大高ひさを、作曲:久我山明

◆桑港のチャイナタウン/渡辺はま子
作詞:佐伯孝夫、作曲:佐々木俊一

◆哀愁列車/三橋美智也
作詞:横井弘、作曲:鎌多俊与。「🎶惚〜れ〜て〜、惚れて〜」が歌い出しのアレです。あの民謡調の高音を伸ばしたときの「調子の良さ」がね。心地好さがあると言いますか。

◆チャンチキおけさ/三波春夫
作詞:門井八郎、作曲:長津義司

◆無法松の一生/村田英雄
作詞:吉野夫二郎、作曲:古賀政男

◆喜びも悲しみも幾歳月/若山彰
作詞・作曲:木下忠司。映画の為に製作された歌との事ですが、これは名曲でしょう。「🎶おいら岬の灯台守は〜」が歌い出しのアレです。

◆達者でナ/三橋美智也
作詞:横井 弘、作曲:中野忠晴

◆古城/三橋美智也
作詞:高橋掬太郎/作曲:細川潤一

◆南国土佐を後にして/ペギー葉山
作詞・作曲:武政栄策

◆嵐を呼ぶ男/石原裕次郎
作詞:井上梅次 、作曲:大森盛太郎。昔の曲だとバカにせずに聴いてみると、アレンジがイケてるんですよねぇ。画期的とゆーか。

◆ギターを持った渡り鳥/小林旭
作詞:西沢爽、作曲:狛林正一

◆東京ナイトクラブ/フランク永井&松尾和子
作詞:佐伯孝司、作曲:吉田正

◆有楽町で逢いましょう/フランク永井
作詞:佐伯孝司、作曲:吉田正

◆君恋し/フランク永井
作詞:時雨音羽、作曲:佐々紅華。フランク永井のヒット曲ながら、楽曲そのものは戦前で、二村定一が1929年頃に歌っていたものだそうな。映画「続拝啓天皇陛下様」の中で渥美清さんが口づさんでいたので「年代的におかしい!」と感じたのですが、実は戦前の曲か。凄いな。

◆東京ドドンパ娘/渡辺マリ
作詞:宮川哲夫、作曲:鈴木庸一。マンボやらルンバのカヴァー曲がヒットし、それをリズム歌謡と認識する中で日本オリジナルの「ドドンパ」に脚光が集まり、その中の最大ヒット曲。最近、「抜け感」とか知ったかぶりして使っているけれど、抜け感がある(笑

◆銀座の恋の物語/石原裕次郎&牧村旬子
作詞:大高ひさを、作曲:鏑木創

◆上を向いて歩こう/坂本九
作詞:永六輔、作曲:中村八大

◆見上げてごらん夜の星を/坂本九
作詞:永六輔、作曲:いずみたく。しばしば「上を向いて歩こう」こそが坂本九の代表曲として語られることになりますが、何度聞いても聞き飽きない魅力があるのは、こちらのような。

◆スーダラ節/ハナ肇とクレイジーキャッツ
作詞:青島幸男、作曲:萩原哲晶

◆無責任一代男/ハナ肇とクレイジーキャッツ
作詞:青島幸男、作曲:萩原哲晶。クレイジーキャッツをバカにしちゃいけません。この年代の売上ランキングを調べてみると、どれだけ流行していたのかが分かる。

◆高校三年生/舟木一夫
作詞:丘灯至夫、作曲:遠藤実

◆下町の太陽/倍賞千恵子
作詞:横井弘、作曲:江口浩二。この歌、私は全く知らなかったのですが「下町の太陽とは何であったか?」という郷愁に味が在りました。特に現代人には突き刺さるかも。

◆アンコ椿は恋の花/都はるみ
作詞:星野哲郎、作曲:市川昭介

ここまでが昭和30年代まで。途中でロカビリーブームが挟まっているし、ムード歌謡とかリズム歌謡と呼ばれる分野の先駆けになっていたっぽい。ロカビリーでは「青春サイクリング」と「星は何でも知っている」ぐらいは検討したのですが、キリが無いのでスルーしました。小坂一也さんや平尾昌晃さんやら佐々木功さんあたりはロカビリー歌手って事ですな。

また、映画スターがスターとして唄ってヒットするという現象が起こる。石原裕次郎、小林旭。その後に少し遅れて加山雄三が登場しますが、これらは少し特殊な事例のような気もしました。単なるヒット曲という感じではなく、そのスターの人気に頼って売れたというのでもなく、売れるべくして売れたというか。

それと単純な感想ながら「服部良一」とか「古関裕而」なんて名前はビッグネームだなぁ…と改めて思い知らされました。年代と併せてみると、「よく、あんな時代に…」という感慨が加算されますからねぇ。

で、この後は、昭和40年代以降の流行歌になりますが、本格的なGSブームなどが控えていること、更にはフォークソングと裾野が広がり、シンガーソングライターの登場なり、ニューミュージックと呼ばれた分野が登場するので、流行歌として括ることが困難になってきますかね。なので、広い層に親しまれた意味の歌謡曲を対象にすることにしました。


◆君といつまでも/加山雄三
作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作

◆お嫁においで/加山雄三
作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作

◆想い出の渚/ザ・ワイルドワンズ
作詞:鳥塚繁樹、作曲:加瀬邦彦

◆ブルーシャトー/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
作詞:橋本淳、作曲:井上忠夫。「歌えない者はいないのでは?」というのが、替え歌ですよね。森とんかつ、泉にんにく、かーこんにゃく、まれ天ぷら…。

◆恋のフーガ/ザ・ピーナッツ
作詞:なかにし礼、作曲:すぎやまこういち、編曲:宮川泰。或るテレビ番組で、なかにし礼さんが同曲について語って、「日本の音楽史のピークであった」とコメントしていました。個人的には、この曲を以って日本音楽史の最高傑作という風に理解している一曲です。

◆ウナ・セラ・ディ東京/ザ・ピーナッツ
作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰

◆虹色の湖/中村晃子
作詞:横井弘、作曲:小川寛興

◆モナリザの微笑/ザ・タイガース
作詞:橋本淳、作曲:すぎやまこういち

◆伊勢佐木町ブルース/青江三奈
作詞:川内康範、作曲:鈴木庸一。この曲はイロモノではありません。カーステで大音量にして聴いてみる事をオススメします。「夜の店」のムードを、これほど見事に具現化している楽曲は稀有だと思いますけどね。

◆花の首飾り/ザ・タイガース
作詞:橋本淳、作曲:すぎやまこういち

◆エメラルドの伝説/テンプターズ
作詞:なかにし礼、作曲:村井邦彦

◆傷だらけの人生/鶴田浩二
作詞:藤田まさと、作曲:吉田正。BGMとして流していても、セリフ部分で思わず会話が止まってしまう鶴田の美声に驚かされますが、詞と曲も歌が三位一体となって鶴田浩二的な佇まいが浮かび上がるから不思議です。

◆恋の季節/ピンキーとキラーズ
作詞:岩谷時子、作曲:いずみたく

◆あなたのブルース/矢吹健
作詞・作曲/藤本卓也。これ、黄金の一撃です。この一曲しか矢吹健さんは残していないような歌手人生なのですが、魂の込められたボーカルの破壊力は比類なし。

◆ブルー・ライト・ヨコハマ/いしだあゆみ
作詞:橋本淳、作曲:筒美京平。映画「歩いても歩いても」は、この歌の歌詞のことでした。実家に戻ってみたら樹木希林さんの演じる老いた母が、今でも昔を懐かしんで、こっそりとレコード盤を聴いていた――という。

◆港町ブルース/森進一
作詞:深津武志、補作:なかにし礼、作曲:猪俣公章

◆恋の奴隷/奥村チヨ
作詞:なかにし礼、作曲:鈴木邦彦

◆人形の家/弘田三枝子
作詞:なかにし礼、作曲:川口真

◆ドリフのズンドコ節/ザ・ドリフターズ
原曲:海軍小唄、補作詞:なかにし礼、編曲:川口真。他のズンドコ節とも聴き比べてみてもダントツなのはアレンジがいいのかなぁ。

◆男はつらいよ/渥美清
作詞:星野哲郎、作曲:山本直純

◆男と女のお話/日吉ミミ
作詞:久仁京介、作曲:水島 正和

◆手紙/由紀さおり
作詞:なかにし礼、作曲:川口真

◆また逢う日まで/尾崎紀世彦
作詞:阿久悠、作曲:筒美京平

◆よこはま・たそがれ/五木ひろし
作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃

◆わたしの城下町/小柳ルミ子
作詞:安井かずみ、作曲:平尾昌晃

◆終着駅/奥村チヨ
作詞:千家和也、作曲:浜圭介。おかしいなぁ。浜圭介さんの曲ばかりを選んでしまっている。哀愁のメロディーが巧いというか。

◆だれかが風の中で/上條恒彦
作詞:和田夏十、作曲:小室等。御存知「木枯し紋次郎」のテーマ曲です。「どーこかでーだーれかがー、きっと待って、いてくれるー」というヤツ。小室等作曲だったのか…。

◆あの鐘を鳴らすのはあなた/和田アキ子
作詞:阿久悠、作曲:森田公一

◆瀬戸の花嫁/小柳ルミ子
作詞:山上路夫、作曲:平尾昌晃

◆雨/三善英史
作詞:千家和也、作曲:浜圭介

◆喝采/ちあきなおみ
作詞:吉田旺、作曲:中村泰士。この曲が日本レコード大賞を受賞した瞬間こそが、最も日本人がレコード大賞を視聴していた瞬間なのだそうな。

◆どうにもとまらない/山本リンダ
作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一

◆狙いうち/山本リンダ
作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一

◆くちなしの花/渡哲也
作詞:水木かおる、作曲:遠藤実

◆なみだ恋/八代亜紀
作詞:悠木圭子、作曲:鈴木淳

◆襟裳岬/森進一
作詞:岡本まさみ、作曲:吉田拓郎

◆グッド・マイ・バイ・ラヴ/アン・ルイス
作詞:なかにし礼、作曲:平尾昌晃

◆シクラメンのかほり/布施明
作詞・作曲:小椋桂

◆我が良き友よ/かまやつひろし
作詞・作曲:吉田拓郎

◆石狩挽歌/北原ミレイ
作詞:なかにし礼、作曲:浜圭介

◆年下の男の子/キャンディーズ
作詞:千家和也、作曲:穂口雄右。女の子たちの賑やかさ、そのポップな感じを、そのまま曲調に活かしており、且つ、色褪せない。他のキャンディーズの楽曲も検討したのですが、この曲は、いつ聴いても女の子たちの賑やかさが強烈である事と同時に、肩を揺すりながら歌っている雰囲気が蘇る。

◆時の過ぎゆくままに/沢田研二
作詞:阿久悠、作曲・編曲:大野克夫。阿久悠さん御自身も非常に気に入っていた楽曲だというけれど、ホントに納得してしまう。テレビドラマ「悪魔のようなあいつ」の中でも沢田研二が弾き語りをしているようなシーンがあり、名場面です。

◆木綿のハンカチーフ/太田裕美
作詞:松本隆、作曲:筒美京平

◆津軽海峡・冬景色/石川さゆり
作詞:阿久悠、作曲:三木たかし

◆もう一度逢いたい/八代亜紀
作詞:山口洋子、作曲:野崎真一

◆失恋レストラン/清水健太郎
作詞・作曲:つのだひろ

◆硝子坂/高田みづえ
作詞:島武実、作曲:宇崎竜童

◆おんな港町/八代亜紀
作詞:二条冬詩夫、作曲:伊藤雪彦

◆愛の終着駅/八代亜紀
作詞:池田充男/作曲:野崎真一

◆秋桜/山口百恵
作詞・作曲:さだまさし

◆しあわせ芝居/桜田淳子
作詞・作曲:中島みゆき

◆いい日旅立ち/山口百恵
作詞・作曲:谷村新司

◆魅せられて/ジュディ・オング
作詞:阿木曜子、作曲:筒美京平

◆愛の水中花/松坂慶子
作詞:五木寛之、作曲:小松原まさし。カーステで聴いていたら、想像以上に声が艶やかでした。パロディに耳が毒されていましたが、この頃の松坂慶子さんの色気は強烈です。歌で色気を表現した楽曲としては満点ではないだろか。

◆東京ららばい/中原理恵
作詞:松本隆、作曲:筒美京平

◆万華鏡/岩崎宏美
作詞:三浦徳子、作曲:馬飼野康二

◆狼なんて怖くない/石野真子
作詞:阿久悠、作曲:吉田拓郎

◆昂/谷村新司
作詞・作曲:谷村新司

◆私はピアノ/高田みづえ
作詞・作曲:桑田佳祐

◆さよならの向こう側/山口百恵
作詞:阿木曜子、作曲:宇崎竜童

◆舟唄/八代亜紀
作詞:阿久悠、作曲:浜圭介

これ以降は、少し個人的な好みを優先してしまったかもしれないなという楽曲です。

◆世迷い言/日吉ミミ
作詞:阿久悠、作曲:中島みゆき。日吉ミミさんというのは埼玉出身の個性派女性シンガーの走りですね。(太田裕美、吉田美奈子、NOKKO、丸山圭子、小柳ゆき、近年でもシギなんてあって県南地方は個性的な女性シンガーを輩出する土壌があるみたい。)日吉ミミという、不思議要素のある世界観のある歌手に阿久悠が作詞、作曲が中島みゆき。

◆20歳になれば/桜田淳子
作詞・作曲:中島みゆき

◆想い出のセレナーデ/天地真理
作詞:山上路夫、作曲:森田公一

◆若葉のささやき/天地真理
作詞:山上路夫、作曲:森田公一

◆神様、お願い/ザ・テンプターズ
作詞・作曲:松崎由治

◆夢先案内人/山口百恵
作詞:阿木曜子、作曲:宇崎竜童

◆乙女のワルツ/伊藤咲子
作詞:阿久悠、作曲:三木たかし。三木たかし作品集の中で見つけた曲でリアルタイムでは全然知らない曲でした。非常にシンプルな曲調なのですが、ひまわり娘の伊藤咲子さんの持ち味が活かされており、溜めてからの熱唱、そのメリハリは聴くたびに鳥肌が立ちました。

◆能登半島/石川さゆり
作詞:阿久悠、作曲:三木たかし

◆お元気ですか/清水由貴子
作詞:阿久悠、作曲:三木たかし

◆やさしい悪魔/キャンディーズ
作詞:喜多條忠、作曲:吉田拓郎

◆危険なふたり/沢田研二
作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦

◆女はそれを我慢できない/アン・ルイス
作詞・作曲:加瀬邦彦

◆花と蝶/森進一
作詞:川内康範、作曲:彩木雅夫

◆矢切の渡し/ちあきなおみ
作詞:石本美由紀、作曲:船村徹

◆女のブルース/藤圭子
作詞:石坂まさを、作曲:猪俣公章

◆曼殊沙華/山口百恵
作詞:阿木曜子、作曲:宇崎竜童

◆黒の舟歌/野坂昭如
作詞:能吉利人、作曲:桜井順

◆柳ヶ瀬ブルース/美川憲一
作詞・作曲:宇佐英雄

◆ヨイトマケの唄/美輪明宏
作詞・作曲:美輪明宏


と、勝手に70年代までの懐メロを厳選してみました。
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週刊現代が年末年始合併号として企画した「立派だった日本人ベスト100」は、その後も記事や会話などで引用される事も多く、強引とはいえ面白い総合ランキングだったので後々を考えて記録しておきたいので、以下、そのランキングについて。

◆立派だった政治家ランキング
1.岸信介
2.田中角栄
3.中曽根康弘
4.吉田茂
5.佐藤栄作
6.池田隼人
7.小泉純一郎
8.大平正芳
9.竹下登
10.小渕恵三
11.後藤田正晴
12.金丸信
13.鳩山一郎
14.福田赳夫
15.梶山静六


◆立派だった財界人ランキング
1.松下幸之助
2.本田宗一郎
3.井深大
4.土光敏夫
5.西山弥太郎
6.小林一三
7.中山素平
8.水野成夫
9.出光佐三
10.櫻田武
11.小林中
12.五島昇
13.佐治敬三
14.永野重雄
15.牛尾治朗


◆立派だった芸能人ランキング
1.高倉健
2.美空ひばり
3.渥美清
4.石原裕次郎
5.森繁久弥
6.森光子
7.三船敏郎
8.吉永小百合
9.菅原文太
10.長谷川一夫
11.藤山寛美
12.杉村春子
13.原節子
14.坂本九
15.松田優作



◆立派だったスポーツ選手ランキング
1.長嶋茂雄
2.王貞治
3.大鵬
4.加藤沢男
5.ファイティング原田
6.君原健二
7.山下泰裕
8.野茂英雄
9.三原脩
10.大下弘
11.釜本邦茂
12.高橋尚子
13.坂田好弘
14.具志堅用高
15.古橋廣之進


◆立派だった文化人・芸術家ランキング
1.手塚治虫
2.司馬遼太郎
3.黒澤明
4.川端康成
5.岡本太郎
6.小津安二郎
7.阿久悠
8.色川武大
9.赤塚不二夫
10.宮崎駿


◆立派だった学者ランキング
1.湯川秀樹
2.南部陽一郎
3.糸川英夫
4.今西錦司
5.柳田國男
6.山中伸弥
7.白川静
8.網野善彦
9.丸山真男
10.日野原重明


と、先ずは昨年末から本年正月にかけての週刊現代による「立派だった日本人」から。

【立派】という表現については、このブログではさんざん触れて来たとおりで、結構、漠然とした言葉なんですよね。裏返すと「誰のどういう部分に対して立派だと思うのか?」と突き詰めないで「立派だと思う人は誰であるか?」と答えを求めているワケですが、それを含めて興味深くもある。どうやったって比較できないんだからね(笑

政界ランキングを決めたのは、田原総一朗&田史郎の各氏。財界ランキングを決めたのは奥村宏&水谷研二の各氏。芸能界ランキングは鴨下信一&木村隆の各氏。スポーツ界ランキングは後藤正治&玉木正之の各氏。文化・芸術ランキングは鹿島茂&亀和田武の各氏。学術ランキングは、呉智英&山根一眞の各氏。

で、「立派だった日本人」の総合ランキングというものを、福田和也氏が作成しており、それが以下。

◆立派だった日本人
1.長嶋茂雄
2.吉田茂
3.松下幸之助
4.美空ひばり
5.手塚治虫
6.湯川秀樹
7.小林一三
8.黒澤明
9.大鵬
10.岸信介
11.本田宗一郎
12.王貞治
13.田中角栄
14.渥美清
15.司馬遼太郎
16.佐藤栄作
17.君原健二
18.岡本太郎
19.南部陽一郎
20.井深大


というものでした。

まぁ、納得するものもあれば、そうかなぁと思うものもありそうですかね…。そのまんまで、これまた週刊現代2月21日号になりますが、「立派だった日本人ベスト100に異議あり!」という声が挙がり、それが記事になっている。

各界識者からの挙がった異論がそのまま記事に。

政界ランキングについて、伊藤惇夫氏が「岸信介の一位というのは、ちょっと許せませんね」とし、「一位になるべきは吉田茂でしょう」と発言。

浅川博忠氏も同じく吉田茂推し。江上剛氏が田中角栄推し。

財界ランキングについては、小宮一慶氏から「ソニー創業者の井深大の名前が挙がったが、ともにソニーを創業した盛田昭夫もランキングに入るべきではないか」と指摘。更に小宮氏はシャープ創業者の早川徳次の独創性を指摘している。

山崎元氏は、ヤマト運輸元会長の小倉昌夫の功績は広く知られるべきだと指摘。山崎氏は他に孫正義の名前を挙げている。

また、江上剛氏は個人的に推したいのは倉敷レイヨン(現クラレ)の社長であった大原総一郎を推したいと言っている。

芸能界ランキングについては、勝新太郎、笠智衆、植木等、横山やすし、山口百恵らの名前が抜け落ちているという声が紹介されている。

スポーツ界ランキングでは、イチロー、力道山、中村寅吉、青木功、国枝慎吾らの名前が抜けていやしないかという声が紹介されている。

学術分野には竹内薫氏が、山中伸弥こそ一位にすべきだと意見している。実は科学者には珍しい人格者でもある、と。なにげに【立派】という表現に対して人格者であることを加味して乱入している。

総合ランキングについても、一位は田中角栄ではないのか、石橋湛山を推したい、市川昆も加えるべきだ、円谷幸吉を忘れていないか。それと三島由紀夫、大江健三郎、寺山修司、タモリ、ビートたけしらの名前も上げられている。

三島由紀夫、大江健三郎を推したのは佐高信氏。寺山修司を推したのは山崎元氏。タモリ推しは中森明夫氏で、ビートたけしを立派な日本人に加えたいとしたのは竹内薫氏。

立派な日本人総合ランキングは評論家の福田和也氏がつけたものですが、同じく評論家である佐高信氏が、「長嶋茂雄さんが立派であることは否定しませんが、彼は『永遠の野球小僧』。日本人の総合一位というのは納得できません。長嶋さんもそうですが、このランキングは全体的に内向きすぎるのではないでしょうか」と述べ、日本人総合一位に田中角栄を推している。

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ドラえもんの名シーンをカルタにしたらしい『ドラ一首』(BANDAI)なる商品を迂闊にも衝動買いしてしまったので、早速、カードを眺めてみたんですが、うわぁ、なにこれという懐かしい世界でした。

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小学生の頃、これが口癖になっている親友が居ました。「グウの音も出ないだろ」と誰かがいうと、その子が必ず「ぐう」という。ドラえもんのこの一コマに由来する口癖だったんだよなぁ。

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「のび太のくせになまいきだ!」というフレーズは、取り立てて注目もしなかったし、話題にものぼりませんでしたが、大学生になって麻雀をしながら、誰かが「ヤマダのくせに生意気だ!」的な流用をしていて笑わせてもらったかな。

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「のび太」については少し意見がありますかね。現在、「のび太」というとダメ人間を表現する記号になってしまっている。しかし、ホントは「オバケのQ太郎」の方が好きな私は、「ドラえもん」に於ける「のび太」に嫉妬してしまいますかねぇ。「正ちゃん」こと「大原正太」はフツウの少年像。それに対して「野比のび太」は、フツウの少年でありながら、やや自堕落な少年でもある。物凄い人間的なんですよね。のんびり屋で、それでいてプライドが高い。「ダメ人間の典型じゃないか」と語られてしまうんですが、よくよく考えてみれば、総じて人間は狡くて、また、子供というのも狡い。子供は純粋ですというのは目くらましであり、ホントはだらしがないし、少しばかり知恵がつけば大人をダマすことも厭わない狡さを持っていると思う。正ちゃんでは表現できないことが、のび太だと表現できる。

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当時の少年を取り巻く環境は、到ってこんなもんでしょう。ドアを開けようが開けまいが悪いことをしたら、確実に叱られる。叱らない親とか、叱らない教師があれば、そこに付け込むぐらいの知恵は小学生にもなると余裕のよっちゃんで持っていましたよねぇ。「子供は嘘はつきませんっ!」なんてバカな事を本気で言う大人が増えてしまったけど、胸に手を当てて考えてみなよって。子供なんて、悪知恵の塊みたいなもんなのに。

「のび太」という名前は間抜けだけれど、「のびのびと育って欲しいので、のび太」だったというのは、今、考えると悪い名前じゃないかも。当代、流行のキラキラネームの方がカッコイイ? 

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では、親や大人は、みんな鬼であっただろうか? 違いますやね。その環境の中で適応させる為に子供を叱っていたのでしょう。勿論、実際には当時から八つ当たりで叱られたり、理不尽に振るわれた体罰なんてのも珍しくは無かったと思いますけど。しかし、家族は家族であった。

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世の中全体が狂っているなって感じるのはオレオレ詐欺の報道を視たときですかねぇ。疑わないでくれるおじいちゃんやおばあちゃんをダマし、カネを巻き上げて「ダマされる方が悪いのさ」と開き直る態度ってのが許しがたい。「仕方がないよ」というのだけれど、悔しくないの? 

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ダメ人間は、みんなのやさしさに支えられて成長してゆくんじゃないの。「みちびきエンジェル」は記憶しているなぁ。ものすごく怖い話だと当時は思ってしまった漫画だったけど。

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最近、世の中全体がジャイアン化してきていますかね。漫画の世界では悪役だったけれど、昨今、腹黒い強者が幅を利かせる社会になったと思う。やはり、ジャイアンみたいな強さの塊みたいな子供じゃないと将来に希望なんて無いのかもね。

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あった、あった。これだよ、これ。第6巻だよ、これ。

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カッコ悪くても、みっともなくても、無能で取り得のない人間の生き方というのは、こうあるべき。これで、ドラえもんも安心して未来に帰れるという話だった。いい漫画だったと思い出したよ。この感動ストーリーは、意外としっかり者の「正ちゃん」では不可能な展開で、弱さを堂々と体現している「のび太」じゃないと作れないストーリーだと思うんですよね。あの、のび太が頑張ったからこそ感動的なのだ。

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この科学至上主義批判みたいなの、ドラちゃんもやっていたのか…。ドラちゃんの「あるまいか!!」という演説口調に味がある。勝手に大山のぶ代さんの声で再生できてしまうから不思議です。また、映画「男はつらいよ〜寅次郎サラダ記念日」の中でも描かれていたけど、ある年代までは精神的貧困を危惧する態度が漫画や映画にあったのに…。気が付いてみたら、いつの間にか上辺ばかりのバカヤローを大量生産する時代になってしまったって事は無いんだろうね。

オムニ7のアフィリエイトです。
『のび太くん、もう少しだけがんばって ドラえもん名言集』(小学館)税込1350円
⇓⇓⇓⇓

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ネット上で話題になった「ねこホイホイ」は我が家の猫には通用しませんでした。ビニールテープで輪をつくれば輪の中に入るというのだけれど、当たり前のようにまたがれてしまい、挙げ句、「そんなことして、バカじゃないの」という顔。

そこで思い付いたのが「ねこロール」でした。のり巻きのように毛布を巻き付けてやると、目がとろーんとしてくるらしく、おとなしくなる。

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にんげんに見張られるのはイヤだが、にんげんを見張るのはスキ。

しかし、カメラはあんまり好きじゃないようで、テレビCMに出ているねこのようにはいきませんやね。

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蝶ネクタイに花で、少し華やかな写真を撮ろうとしたら横を向かれてしまいました。

どちらもシャッターを切る直前までは、目をまん丸にしてこっちを見ていたんですけどねぇ。

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