どーか誰にも見つかりませんようにブログ

人知れず世相を嘆き、笑い、泣き、怒り、呪い、足の小指を柱のカドにぶつけ、SOSのメッセージを発信し、場合によっては「私は罪のない子羊です。世界はどうでもいいから、どうか私だけは助けて下さい」と嘆願してみる超前衛ブログ。

カテゴリ: 貧者のグルメ

控えおろう! 我が後ろに控えておられるのは、誰あろう、かの大岡越前守であるぞ! 何? 大岡越前を知らぬだと? 大岡忠相(ただすけ)じゃ。ん? まだ、分からぬのか?

大工が三両入りの財布を紛失してしまった。その財布を左官が拾って、大工に渡そうとした。すると、大工は「一度、失くした財布を受け取る訳にはいかねぇ。拾ったあんたのものだろう」と言い張って受け取りを拒否した。左官の方は「そりぁあ、とんでもねぇ話だ。これは間違いなくあんたが落とした財布じゃねぇか。この三両入りの財布を、あっしがウマウマと懐に入れるような不義理な真似は出来ねぇ」と拒否した。大工も左官も双方ともに意固地になって、互いに意見を譲らないって訳だ。そこで大岡越前の登場よ。大工と左官を並べて、その前に大岡越前だ。大岡越前がどう裁いたのかというと、自らの懐から一両を取り出した。財布の中には三両だ。その三両に一両を足して、四両にしてみせた。そして、こう言った。

「二人で2両づつ受け取れ。さぁ、遠慮するな。大工は3両を持っていたが2両になってしまって1両の損。左官は黙ってもらっていれば3両だったところが2両になってしまって1両の損。そして、この儂は、今、このフトコロから1両を出してしまったので1両の損。つまり、三方一両損だ。わっはっはっはっ! これにて一件落着!」

この三方一両損(さんぼういちりょうぞん)の大岡忠相じゃ。まだ、分からんのか? うーむ、じゃあ次だ。或る時、産みの親と名乗る女と、育ての親と名乗る女との間で幼子を巡っての争いが起こった。どちらも「この子は私の子です」と言って譲らない状態であった。大岡様は、その争いを、こう裁いた。「その子を互いに引っ張り合え。勝った方こそが、親子の絆の強さの証明をした事になり、つまり、勝利した方こそが、その子の母親である」と。産みの親と、育ての親とが、その幼子の両腕を引っ張り合った。引っ張り合わされた幼子は「痛いよ、痛いよ」と泣き叫んだ。その時、育ての親の方は我が子が痛みを訴えているのを見て、思わず引いていた腕を放したんだ。すると、そこで大岡様が声を上げた。

「勝負あった! 我が子が痛いと泣いているのを見て、堪らず手を放してしまった親心こそが本物の親子の絆と考えるべきである! これにて一件落着!」

とな。

さぁさぁ、それでは大岡様、前へ。そして、どうぞ今回の夜泣き焼きそば一平ちゃん事件をお裁き下さい。


余が大岡忠相である。此度の事件、吟味いたした。甲と乙との問題じゃ。先ず、乙が賭博にハマって6億8千万両の損失をつくり、その借金の支払いに追われていた。その乙とは二人三脚でやってきた甲がある。甲は、なんじゃ、蹴鞠や撃球(げっきゅう/ポロ競技)みたいなものの名人で天下に名前を轟かせている人物だという。そして甲には、その特技がある故に莫大な富貴を持っていた――そういう前提がある。そして甲は乙が莫大な借金を抱えていると打ち明けられた。その上で「二度と乙が賭博に手を出さないと約束してくれるのであれば、その借金は立て替えてあげましょう」と応じた。更に、その後に状況が変わり、闇賭博に関与していたとなると甲にも何某かの咎が及んでしまう可能性があると考え直して、証言を翻した。つまり、甲は何も知らなかったところ、賭博で借金をつくった乙が甲から金を盗んで借金の返済に充当していたという話にすり替わった。これらの過程に何の疑念の余地があるであろう? 現時点では何が確定的とも言えぬが、物事の流れというものは、そういうものだ。

そもそも甲には何の罪もない。友情から乙を助けようとしただけだ。事実を歪曲して乙の借金を肩代わりしていたという行為の、どこに道義的責任があろうか。むしろ、天晴れと称賛すべき仁義を見せたという事ではないのか。余が裁いた三方一両損裁判でも、大工と左官が互いが互いを庇い合うようにして金銭の受け取りを拒否した事例であった。これは「史書」にも記されている伯夷と叔斉という兄弟の伯夷叔斉(はくいしゅくせい)の逸話とは「聖とは何か」や「仁とは何か」を説いた逸話が挿入されている。また、その話は、此の大八島の神話にも移入されている。第23代の顕宗天皇と第24代の仁賢天皇で、これは兄弟で引計(おけ)と億計(おけ)であったが、この兄弟は互いに皇位を譲り合った。「仁」や「徳」を強調する意図で用いられているのが歴然である。

法律を守る為に友人を見殺しにする者と、友人を見殺しにする訳にはいかないと発想し、行動してしまう者の道徳観の差異が、この問題を複雑にしている。甲には罪がないのは歴然である。そして甲に罪があるかどうかという観点に固着する態度というのも実質的には法律に重きを置き人道を軽んじる観点である。

通常、人は、その者の人格と向き合っている。人格的には糞野郎だが規律を違える事がないという人物よりも、人格的に尊敬できるが規律を冒してでも友情を重んじる人物に好感を抱くものである。

因って、甲の仁義溢れる行為を、なんとか法の網に引っ掛けよう、引っ掛けてやろうと蠢動している法治主義の過剰こそが問題であると裁定いたす。此度の甲の行為についてであるが、誉め称える要素こそあれど、貶める要素は微塵もない。甲を罰しようなどと目論んだり、その法治主義を支持する態度の蔓延は、実質的には南蛮由来の「いんとれらんす」とやらの問題、つまり、非寛容・不寛容が世界を浸食してしまっていると嘆くべき問題である。

そして今、夜泣きしているであろう乙に対してであるが、基本的にカップ焼きそばなのであれば「夜店の一平ちゃん」よりも確実に「ごっつ盛り焼きそば しお味」である。これにて一件落着!
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気のせいか、本年は例の都道府県魅力度ランキングが不発に終わった気がする。そもそも、何故に、あんなものに何年も何年も振り回されるような世の中になってしまったのか不思議な気もしていた。(経産省の関係者でも、例のランキング作成会社に居たのだろうか?)それと、もう一つ、食べログの問題というのもこの数週間以内にあったと思う。他人が飲食店を評した点数、しかも点数は食べログ側の公開する事のできないアルゴリズムによって算出し、且つ、店側からは会費も徴収していたという評価システムと広告との融合なのでしょうけど、皆が皆、そういうランキングをアテにするようになると、どのみち、なんだか不可解なビジネスモデルだよなって感じる。

食べログ問題については、「羽鳥慎一モーニングショー」で話題として取り扱っていた際、長嶋一茂さんは「他人の評価はアテにしない」といい、玉川徹さんも同じく「他人の評価はアテにしない」と答えていたのを記憶している。確かに、きっと点数化する事で利用者に分かり易く利用すべき飲食店の情報を提供しているのだろうけど、そもそもビジネス、利益を追求するのがカンパニーであり、カンパニーは例外なく利益を追求しているものだ。そして、そのカンパニーによって運営されているランキングだし、そもそも広告と密接に関係しているビジネスモデルのように見える。

諸々のランキングというのは、一定以上、恣意的に決定する何かであり、仮に主観的評価の総和であったとしても、それが、その人の好みにベストマッチするとは限らない。行列をつくる人は、常に行列をつくる人であり、行列があれば取り敢えず並んでみるというタイプの人だってある。混雑する時間帯を好み、渋滞しているルートを好む。みんなと同じ行動をする事で、何か安心できる心理でもあるのだろうか?

踊る事は問題がないのだけれども、或る種の商業的マーケティングによって踊らされている可能性なんてものも考えてみる必要性があるような気がする。別に世間的に高ランキングのものを食べなくとも、自分自身がおいしいと思うものこそが「おいしい」という事ではないのかな。他人の評価なんてアテにならないし、ランキングというのは総じて精緻にランキング化されたものではないというのが常だろうしねぇ。

例えば昔からある書籍のベストセラーランキングでは、売れている書籍が、イコールで優れている書籍、読む価値のある書籍であるとは限らないのは一目瞭然でもある。単に部数として売れてる書籍のランキングに過ぎず、中身や内容を評価したものではありませんね。


山田太一著『月日の残像』(新潮文庫)の中に、『食べることの羞恥』というエッセイがあって、色々と考えさせられました。

先ずは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の逸話が紹介されている。教師をしていた小泉八雲は、生徒たちを招いた折、客には菓子をふるまうのが日本の習慣があるので、それに習い、少しだけ上等な茶菓子を取り寄せて振る舞っていたのだそうな。学生たちは、それが大好物であった。しかし、学生たちの中で、一人だけ、小豆沢(あずきざわ)なる学生だけは、一向に菓子に手をつけなかった。怪訝に思っていると、その小豆沢なる学生が言った。「僕は兄弟で一番年下ですから、やがて自活して行かねばなりません。これから先色々な困難に出遭います。今から美食の癖がついては、後々苦労することになります」と。小泉八雲は「まるで若年寄りのような男ではないか」と苦笑気味であったが、その文章としては小泉八雲は、そんな小豆沢という学生の言動に好意を抱いていたからこそ、そんな事を日記に記したのだろうと山田太一は考察している。

確かに、殊勝な理由すぎて、若い時から年寄りみたいな事を言うと感じるでしょう。しかし、怪しからん話なのかというと、そうではない。やはり、殊勝な心掛けだと捉えざるを得ない。その小豆沢なる学生の言動からは、日本人の奥床しさが表出した一場面のように思う。

むしろ、若年にして美味いものの味を知ってしまう事は、後戻りできなくなる可能性がある。そんな事は、ホントは私ぐらいの年齢でも、少しは残滓が残っていたと思う。子供に高級食材なんて食べさせる必要性はないという考え方が一般的であったと思う。味をしめてしまえば、毎度毎度、それを欲するような不経済な者になりかねない。しかも、そこに大人げなく、オトナの悔しさを滲ませてみせるのが、通の在り方ではないのか?

「イクラ? 価格に比して得られる満足度は高くもないのでは? コップの中に粒を入れてみ? 浮かんだら、それ人工のイクラなんだってさ」とか「海のダイヤモンド、カズノコなんて笑っちゃうよね、あの味に大枚を叩いている連中の気が知れない。シナチクに鰹節をまぶして小皿に乗せて出してやればいいのに。違いに気付くと思う?」とか、大人げなく負け惜しみ半分に高級食材や高級料理を貶しに行くのが庶民派の正義ではなかったのか?

思えば、ごはんに鰹節をかけたり、ごはんの中にバターを入れて醤油を垂らして食べたり、実際のところ、そんなものでも満足できてしまうのが日本人ではないだろうか? 納豆にごはんとインスタントみそ汁。塩分が高いのを覚悟して荒巻鮭の切り身を食べた事はあるだろうか? 「しょっぱい。しょっぱすぎる。塩の塊を食べているようだ。しかし、きっと、ごはんは二杯ぐらいおいしく食えてしまうであろう」となる。寿命も縮める事が出来るかも知れず、ひょっとしたら一石二鳥かも知れない。しかし、旨いのは確かなのだ。世にいうグルメだなんだという概念は、商業的マーケティングに乗せられた人たちの言辞だったりするのだ。

彼等のボキャブラリーを見よ。肉汁(にくじる)とか肉汁(にくじゅう)と必ず言う。或いは「ジューシー」と表現する。しかし、生産側は、そのような反応になる事を知っているので、鶏脂を注射器でハンバーガーに注入して、ハンバーガーを齧ったら鶏脂が肉汁としてあふれ出るようにしているのだ。空間を表現して「抜け感がいいね」と流行のワードを語り、音楽評になると「この疾走感がたまらないのです」と流行のワードを放り込んでいるだけのようにも見える。てっきり、この「疾走感」なるワードは当代隆盛のコンピューターで作った音楽のあのリズムの事なのだろうと思っていたら、70年代風のロックの楽曲にも使用されていて驚いた。訳知り顔。猫も杓子もだ。

少し『食べることの羞恥』から引用します。

そして「うまいもの」にくわしく熱心な人が敬意を表され、敏感な味覚が権威になったり、大食いを競うテレビがあったりで、ハーン先生の菓子ぐらいならよけて通れるが、時代をあげての洪水では、私如きでさえ、いくらかの美食とは無縁ではいられなくなってしまった。

すると、ある知人が「渥美清さんが、こんなことをいっていたそうですよ」と雑談の中でいった。「うまいもんがあると聞くと、捜してでも食いに行くなんて、なんか、品がないよなあ」と。

さすが渥美清さんだと思った。これは、食べることの羞恥を知っている人の言だと思った。美食から身を引いている人の言だとも。

私の反応がいいので、知人も盛り上がった。「鼠みたいに鼻をクンクンさせて、みつけると舌鼓を打って食うなんて、ほんと臆面ない」「まずけりゃなんだっていうんですか」「たかだか六十年前、俺たちは飢えていたんです」「いつまたそういう時代が来るかも分からない」「舌なんか洗練させてどうするんです」「なんでも食える力をつけよ」「あるものを愛せ、ですよ」「欺されてバカ高いワイン抜いてクンクンするな」


ああ、確かに日本人の感覚かなって思う。いやいや、私が少し古くさいところがあるのも認めなければならないのだけれども、日本人論の小泉八雲と、如何にも日本的な松竹、その松竹映画の看板スターの渥美清、そして綴っているのも松竹映画で助監督をして後に脚本家として成功した山田太一であり、少なくとも昭和40年代や50年代の日本人の価値観は、そちらであったと思う。

そして、やはり、山田太一も、野坂昭如と似たような戦後体験に触れている。つい、この前まで敵として憎んでいたジープに乗った占領軍から流れててきたハーシーの大判のチョコレートをもらった経験を綴っている。

やがてアメリカ軍の菓子だとハーシーの大版のチョコレートを手渡された時の火傷でもするような感じ、少し前まで敵だった奴らの菓子を喜んでいいのかという戸惑い、我慢できずに食べてしまった時の汚れてしまったような気持ちを思い出す。

戦中派の人の場合は、これが原体験としてあったから尚更に強烈だったのでしょう。少し前まで敵だった奴らの菓子を喜んでいいのかどうか…という戸惑い。

まぁ、堅苦しい事を言うつもりはないのだけれども、節約する事の美徳とか、ホントは粗末な食事と呼ばれるようなものでも、美味しいと感じさせてくるものは沢山あるのに、飾り立てられた広告の中にしか価値観を見つけられない飽食状態が商業主義によって実現されているという事だと思う。行列なんてつくらずとも、吉野家の牛丼とか、セブンイレブンで売っている冷やし中華あたりでも、ホントは充分に美味しいと感じさせてくれるものですしねぇ。いやいや、それだって贅沢かも知れない。永谷園のさけ茶漬けだって実際に食べてしまうと「こんなに旨いのか、一日一食は、さけ茶漬けでいいじゃないの?」って感じたりもする。
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舌に関しては、贅沢な舌よりも贅沢ではない舌の方が経済的であるに違いない。
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最強のジュースは不二家のネクターだなと近年、気付きました。体調が悪かろうが、気分がすぐれなかろうが、ごくごくと飲めてしまう。しかし、見つからないので、見つけたらなるべく買う事にしている。風呂上りに、ホントにおいしいのはコレだよなぁ。

小学生の頃、伯母の家に泊まりに行くと、近所にネクターの入っている自販機があって、決まってネクターを買って飲んでたから、私からすると夏休みの味になっているって可能性もあるのかな。

当代、あの不二家が苦境だってか…。高校時代、初めてのデートってやつで入ったのが不二家のレストランだったかな。高校生でも安心して入れたから。言われてみると不二家、世話になってるなぁ。ペコちゃんの消しゴムも持っているしね。

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ダイドードリンコの自販機で販売されている「とろけるネクターピーチ」ボトル缶は果汁23%であるのに対して、不二家の「ネクター」350ミリリットル缶の方は果汁30%と表記してありますな。実は飲み易いと感じるのはダイドードリンコの方だったりして。

ペコちゃん消しゴム&NECTARサワー(共にアフィリエイトではありません。)
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最近、食べたごはんで、「あ。おいしいなぁ…」と思ってしまったのが、丸美屋のたらこふりかけでした。そういえば、幼稚園児だった頃から好きな味だったかも。

で、問題はドレッシングでありんした。野菜サラダを食べるには、おいしいドレッシングがないと食べにくい訳ですよね。いつの頃よりか、ドレッシングの種類も豊富となり、元々はドレッシングといえばフレンチしか知らなかったのに、中華だの、イタリアンだの、更には青じそドレッシングだの、たまねぎドレッシングだの、果てには、どれでもいいんじゃないのか等となって、或る時期からテキトーにドレッシングをチョイスしてきました。

しかし、今年の正月に親戚の集まる機会があって、そこで一人の伯母から衝撃的な事実を打ち明けられました。その伯母曰く、ドレッシングといえば、マコーミックのフレンチ一択である、もう、かれこれ35年ぐらいは、

「ドレッシングといえばマコーミックのフレンチ」

を買い続けてきたという。しかも、その「マコーミックのフレンチ」を教えたのが私の母だったという。つまり、「野菜サラダといば、キューピーマヨネーズでしょ?」という時代に、母が伯母にドレッシングなるものを教え、その伯母は生まれて初めて「どれっしんぐ」なる液体油を野菜にかけて食したらしいのだ。で、そのときにカルチャーショックを受け、以来、延々と「ドレッシングといえばマコーミックのフレンチ」を貫徹しているという。

話をしていて笑ってしまった。そんな古くさい教えを守っているなんて。今や、キューピーとか味の素とか理研とか、S&Bとか沢山あるというのに、マコーミックって、あっはっはっ、と。

ドレッシングなんて各社が何種類も出している商品であり、むしろ、マコーミックのフレンチドレッシングを売っているスーパーを探す方が大変そう。

しかし、最近、スーパーの売場で発見。150円ぐらいと割安だったの即買い。どうせならとコーン入り野菜サラダも購入して、そのマコーミックのフレンチドレッシングを試してみました。

ああ、ああ、なるほど、なるほど。商品ラベルにもある通り、ベーシックな味。味がしつこくないので、野菜との相性が抜群だなと気付く。そうか、そうか、いつの間にか私は濃い味のドレッシングばかりを好むようになってしまっていたが、むしゃむしゃ、元々は、むしゃむしゃ、こういう食べ方が、むしゃむしゃ、王道だったじゃないか! 確かに、これは飽きがこない味だなぁ。

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ここのところ、一日一食はカップ麺なんですけど…。

コンビニ弁当? 

そんなの贅沢だろって。

子供の頃、かつお節をかけてごはんを食べたり、バターをごはんの中に埋めて醤油を垂らして食べたりしてたでしょ? オカズなんて無くても食事は摂れていたワケで。

うん、そう。バターごはん。

そう。

え? 食べた事ないの?

じゃ、マーガリンごはんとか、マヨネーズごはんも食べた事ないの?

嘘だろ? 君、育ちは何処よ?

だってさ、小さい頃、誕生日のケーキと言ったらバタークリームだったでしょ?

え? 生クリームのケーキした食べた事がないの?

バタークリームのケーキを食べ過ぎて家族中で寝込んだ経験とかないの?

家族中がバタークリームのケーキを食べて寝込んだ事あるよ。

「うううう、きもちわりぃ〜」

ってなったよ。

吐きたいけど、吐けない地獄で。

唇の色とかムラサキになっちゃって。

割とマジで、ヤバかったと思う…。

学校、休んだもん。バタークリームのケーキをがっついてしまい、気持ち悪いと寝込んでいるので休みます、と。

なんだよ、水くさいなぁ、君、ブルジョアだったのか。

え、君も、君も、君も!?

みんな育ちがいい人ばっかりか――――。




そんな貴兄に朗報でやんす!

丸美屋が「すきやきふりかけ」55周年記念でバラエティパックを発売中でした!

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すげぇ。奇跡だよ、奇跡!

ホントに、炭火焼き焼肉の味がする!

何故、焦げている感じの味がするんだろ。

嘘だろ! 確かに、これは牛しぐれ味だし、

こっちは肉みそ味、こっちは牛わさび!

もう、これがあれば一生、食っていけるじゃん!

食糧問題とか給食問題、ぜんぶ解決するんじゃないの?
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やはり、現代人の消費動向というのは価格と直結していそうだなぁ…と、今さらながらに実感しています。多少は品質の方へと回帰している気もするのですが、大勢として低価格というのは強いんですよね。

「みんなで儲けましょうぜ、ぐへへ」

と言うと、典型的なワルモノになってしまうものの、基本的には、そーゆー事っすよね。少なくとも営利活動をしているのであって、無料奉仕することが目的ではない。大手スーパーが相次いで値下げを断行しているし、また、プライベートブランド化も進展しているようなのですが、それは《囚人のジレンマ》に適っているのかどうか…。人気を独占したいが故に低価格・低利益に舵を切ってしまっているという事なのではないだろうか。勿論、彼等を悪というのは筋違いなのですが、それにしても賢明さが無いなぁ…と。

例えば、私がオススメするシーチキンというツナ缶はツナ缶の中でも絶対的なブランドだと思う。で、困ったことに或る時期からツナ缶が価格高騰してしまい、シーチキンも価格高騰。はごろもフーズという会社のツナ缶ですが、はごろもフーズさんは一度はプライベートブランドに応じたようですが、利益率が低下してしまったので辞めるとIRで発表していました。

「偉い! さすがはごろもフーズ!」

と、思わず膝を叩きました。どう考えても、はごろもフーズの場合は長年に亘っての企業努力が《シーチキン》というブランドを築き上げたのであって、大型スーパーの低価格量販戦略に組み込まれるべきではないって思う。ところがですね、そうするとシーチキンファンの私にしても、シーチキンが高値の花になってしまうという矛盾が生じてしまう。

シーチキン以外のツナ缶は一生買わないつもりなんですが、安くなりませんでしょか…。買ったことはあるんだけれど絶対に後悔することになる。ごはんにシーチキンで食べたい人間なもので、浮気は出来ない。

他にも、ふりかけなら丸美屋ってのは、ブランドとして確立されるべきじゃないのかねぇ。量販店に低価格で卸すなんてのは折角、これまでに築き上げてきた商品のブランドイメージを損ない、典型的な低価格商品に成り下がってしまうのではないか。そもそもマクドナルドのハンバーガーの期間限定廉価販売なんて、明らかなミスを犯したケースに思える。商品の価値そのものを、一時のキャンペーンなんていう薄っぺらな発想で損なってしまったという事なのではないの?

ポテトチップスの湖池屋にも思う。特売に吊られて、他社のポテチを購入して劇的なまでに美味しくないポテチに遭遇した事って在りません? なんか兄嫁が系列会社に居るんですが、実は棲み分けがハッキリしている世界らしく、湖池屋のポテチは無敵に近いような評価があるっぽいんですよね。特に、のり塩味とガーリック味は、何故か満足感が違うしなぁ…。

ここは広告戦略というか情報操作というか「プラベートブランド商品はデフレの根源じゃねぇのか?」と遠まわしに暗喩するサブリミナルな高等戦術が必要なんじゃないだろか。昨今ともなるとプライベートブランドをPBなどと称して、さも経済通の方たちの方便を耳にしてきているものの、それらは市場の寡占化を進める上に、デフレの一因に過ぎないんじゃないのかっていうホントの事を言ってしまうべき。

マンパワーの重要性やオモテナシの文化だなんて言ってる割にはバリバリに従業員に還元されない。市場全体にしてもシェア争奪戦、商圏に於ける囲い込みをしているのであって、利便性と画一化は進展しているけど多様性は喪失している気がしている。それらを寄せ付けないだけの利便性を提供しているのも確かですが、ここに一辺倒にならない方がいいと思うんですよね。難しいところですがなんだかんだいって多様性を喪失すると衰退するんですよね。日本の戦後の高度経済成長なんてのも財閥解体の後にスタートしたのであって、或る種の均衡状態こそが成長の源泉。「これはこういうものだ」とか「この商品はこういうものだ」という固定観念に捉われるべきではないのではないだろか。

ふりかけなら丸味屋、ツナ缶ならシーチキン、ポテチなら湖池屋、醤油ならヤマサ醤油か正田醤油といった具合のブランドイメージを大事にして欲しいですけれどね。
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結婚式や葬式のときに家紋ってのに気付きます。ほんで我が家の家紋てを調べたてみたんですが、僅かながら武家に繋がる記述が登場しました。がっはっはっは。やはり、そうでござったか…。拙者のDNAに誉れ高きサムライがあったとは…。

と、読み進めていくと水野忠邦の家系などが使用していた、と。うっへぇ。そんじゃいいです。だってケチだって評判の悪役じゃんか。庶民の娯楽、特に歌舞伎への弾圧は苛烈であったとか説明されてるし。しかも、性格は強引で陰湿だってさ。ふぅぅ。あぶねぃ、あぶねぃ。偶然にも似ている可能性がある。(実際には江戸末期には米屋であったという家系らしいんですが、苗字や家紋はそっちに由来するものが多かったです。どこかでヒーローに繋がるような家系に偽装しなきゃ夢がないょ。)



粛清と節制こそ、武家の美徳であるぞ。

ところで其の方、もうカップラーメンを買いに参られたか?

実は大事になっておる。日本が誇る「日清カップヌードル」が食品スーパーで158円で売られておった。(平時は128円ぐらい。)つい、先日まで広告の品として99円であった事を考えれば、これは怖ろしい程の価格高騰と云えよう。

拙者が大変に贔屓にしておるのは、日清の「麺職人」である。これは、どういうカラクリなのかノンフライ麺なのにカップヌードルより安く、それこそ98円で店頭に並んでおったものじゃった。ところが、この一週間で何らかの変化があった。3件のスーパーの店頭から消えておる。不吉じゃ。もう貧乏侍には食べられない高級食材になってしまったやも知れぬ。

辛うじて「麺職人」とライバル商品の「麺づくり」なら、まだ店頭に並んでおる。勿論、買い占めたのは云うまでもあるまい。これが節制というものじゃ。
しっかし、ホントに生活者は困ったもんじゃのう。カップ麺といえば、そもそも日本人の主食ではないか。

え? 違うの?

カップ麺が食えぬなら、国民食のマグロじゃ。マグロは文句なしに国民食であろう。ごはんの上にシーチキンを乗せて食べる。これこそが、日本人の誉れというものだ。

ほれ、さっさとシーチキンを買ってまいれ。

なにぃぃぃ、シーチキンが値アガリしているだとぅ!!!
( ̄□ ̄;)!!

我々びんぼー侍は、どうやって生きていけばいいか皆目検討もつかぬ...

か、か、か、斯くなる上は…。

フリスキードライ室内ネコ用
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最近、アルコールを飲むとジンマシンが出る体質になってきました。元々、アルコールが体質に合わないってのもあるんで学生の頃とかも樹氷あたりでジンマシンでましたが、その後はヘンな酒じゃないかぎりは大丈夫だったんですが…。

体調なんてのもあるんでしょうけど、楽しく飲んでるときはジンマシンも出ないんですが、困った事に体は正直で披露宴とか出ちゃうんですよね…。うー、飲めましぇん。

ビールってのは定番なんですが、そんなにおいしいとは思わない。能く、居酒屋で出されるスーパードライはピリピリ感が強いので味わいを感じず、サントリーの系列はビールに氷を入れたみたい。という訳で、キリンかサッポロ、オリオン、或いはかっこつけてコロナとかですが、まぁ、仲間と一緒だとスーパードライ(アサヒ)か一番絞り(キリン)になってしまうんすよね。

今年の盆踊りでやきとりを焼いてきたんですが、一番絞りがバンバン回ってきて、水が飲めないから知らず知らず5〜6本空けてました。と、帰ってからケロロ軍曹しちゃいました。ケロしたのって何年ぶりだったんだかおぼえてませんが、うー、キモチわるかった…。

あ。繁華街をうろついてた頃は、そうなる事が多く、しかも食道が切れて血を吐いてしまう方だったんですが、盆踊りのときは無事でした。



ずっと以前から黒ビールはジンマシンも出ないし、おいしく飲めるという自負があったんですが、最近、キリンから出ているスタウト、やっちまいました。佐藤浩一のCMが旨そうなんでコンビニで買ったものの痒い痒い…。おっかしーなー。

探し回って、やっと見つけました。エビス・ザ・ブラック(サッポロ)。うーん、味も今迄飲んだビールの中で一番んまい! ただ取り扱ってる店が少ないんすね。
┐(´ー`)┌

黒ビールならコレでしょ


親戚の叔父さんに一本だけあげたら衝撃を受けてました。

「こんなビールあったの? 旨いなぁ(^^♪」

してやったり。そんなに飲めないんですが、こういう事にはこだわって生きてないと人生、損しちゃいますからね。
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「これって世界に通用するんじゃないのか?」

「確かに。ポテトチップは世界中にあるんだろうけど、これはねぇ!」

スーパーハートチップルス

自分の周辺の人間は誰もが絶賛するリスカの「ハートチップル」。子どものときから小袋を買って食べてました。ニンニクが使用してあって、そのニンニク臭がネックになりますが、やっぱコレでしょう。味がいいんだもん。最近は頭に「スーパー」がついて「スーパーハートチップル」になってたんだ。軽いサクサクとした触感がグー!
(^u^)

このリスカって会社、どのぐらいメジャーなんだろ?! スーパーの商品棚にスナック菓子は数々あれど、これほどのスナック菓子ってあんまりないような気がする。

ポテリッチの「うましお」と味では互角だけど、価格と内容量、低カロリー具合で勝ってる。ただし、空腹時に食べると胃にニンニクが応えます。

ネーミングの【チップル】ってのが謎めいていていい。【チップ】でもなければ【チップス】でもない。判然としないけど、昔は「ハートチップルス」と複数形だったような気がする。ありゃ、違ったかな。ウチの兄貴がテキトーに言ってたから、勝手に我が家では「ハートチップルス」と呼んでいただけなのか?!


あ。ちょっと、あなた。
今、この記事を読んでいるあなた!
あなたですよ、あなた!

アップしてあるハートチップルの写真をパソコンの壁紙にするのはどうかと思いますよ。
( ̄□ ̄;)!!
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グルメじゃないよ。貧乏だからね。寿司ネタで云えばウニよりもタコ、イクラよりも納豆巻き。

貧乏人ってか?
ちゃうわい!
こちとらエコノミーなんでぇ!!
と逆ギレしてみる。

よぉぉく、考えてみると自分は間違ってないとさえ思う。多くの場合、人々は高級食材に対して、勝手に「おいしいに決まっている」という先入観を抱き、それに捉われているように見えなくもない。もっと云えば、ウマイかマズイかという判断さえちゃんとせず、「高級品=おいしい」とか「行列のできる店=おいしい」と枠に嵌めこんでるだけじゃ〜ん☆、と引っくり返したいのね。

「ガンコオヤジの店」なんてのがテレビで盛んに取り上げられていた時期があって、実際にその店では無愛想なオヤジが客を叱り飛ばしながら料理を出してたでしょ?! あーゆーのってバッカじゃねぇのかって本気で思いませんでした? なんでカネを出してまで行列を作り、無愛想なオヤジに悪態を吐かれて、せまっくるしい店内でコソコソっと食事して、何の満足があるの?

この満足ってのは味とか、サービスとか、そんなので判断すべきなのに、明らかに巷間のグルメ感覚はズレてるように思う。行列に並んだからおいしい、高いからおいしいに決まっているんだって本来あるべき満足度を放り投げちゃってる。ホントは、この満足度が大事なんじゃん。

このブログで相場というのは適正価格とは限らないという主張を連発してきた私としちゃ、あれだな。安くてうまいものを極める事こそが真のグルメって訳っすな。

で、この頭に【貧者の】というフレーズをつけてるけど、これは単純にこのフレーズが好きなのね。だって、金満な人々に対抗するときに同じように見栄を張ったところで何の刺激にもならないから。価格は安くとも同等以上の価値なんだぜ、金満グルメをビビらせるには、堂々と最初から貧乏宣言しちゃおうというもの。勿論、貧者の核兵器と呼ばれる生物兵器なんてものは困りものなんですが、なんとなく困ったもん比べでは対等にわたり合っているような気もするし。

てな訳で、庶民の味方、ふりかけ。圧倒的な経済性に加え、圧倒的に手間要らず。これぞ現代人ごはん事情の最強のアイテムってもんだ。貧乏人の必需品と侮るなかれ、食べてみてビックリした体験って、多くの人が経験している筈。

しかも

ごはんがおいしくなるー。
!(^^)!

おかずが要らなーい。
!(^^)!

ごま塩、ゆかり、磯のふきよせらのベーシックなものから、のりたま、たらこふりかけという元祖もの、わさびふりかけ、唐辛子ふりかけといった新種のふりかけもある。どれもおいしいんですが、やっぱ定番は、のりたま、たらこでしょ。知らない間に丸美屋食品工業の製品だけになってるけど、これは作為的なもんじゃなくて、他社のものも食べてるけど、やっぱ違うんすわー。フランソワー。

のりたまもどきと、のりたま(商品名)では、圧倒的にのりたまがオイシイ。これは私が貧乏であるが故に、何度も騙されたとゆーか、20円ぐらいをケチって丸美屋じゃないメーカーのふりかけを購入した失敗した経験則からのもの。敢えていえば、かつお系の商品に限っては他メーカーでも付け入る隙があるけど、(例えば「磯のふきよせ」とかね)のりたま、たらこあたりは丸美屋以外から選択するのは勇気あるなーって思っちゃう。独壇場というか。

つい最近、私の中で、最優秀ふりかけ大賞が決まったんだ。大賞は――すきやき。いや、すきやきふりかけと呼ぶべきか。でも、パッケージには「すきやき」とだけあるんだよね。あ、勿論、丸美屋のものっすわ。

丸美屋のすきやきふりかけ

風味だけでお腹がなっちゃう凄さ。ごはんがすすむ。ばかうま。ごはんにかけただけなのに、なぜかすきやきの味に。単純にすきやき鍋の残り汁を、ごはんにかけたって、この味にはならないでしょう。何でだか判らないんだけど、肉の旨みまでもが感じられちゃう。これって、絶対に世界で通用すると思うけどなー。トヨタ自動車、キャノン、これに次ぐのは丸美屋食品工業じゃねーのか?! ちなみに実験結果では魚沼産こしひかりの炊きたてごはんとの組み合わせがベストコンビかなぁ。

このおいしさは、金満グルメさんには判るまい。

ね? なんとなく、金満セレブに対して優越感をおぼえたでしょ?

あー、食った、食った。
ウニおにぎり?
そんな下痢ピーみたいなグロテスクな具の入ったおにぎりなんて要らねぇから、すきやきふりかけ10袋ぐらい買いだめしよーぜ!
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