15日付の読売新聞には、2004年に大々的に「勝てない競走馬」として話題をさらう事になったハルウララの記事が1面に掲載されていた。勿論、そんな事があったのは記憶にも残っていた。しかし、ハルウララが最終的に勝利を上げることが出来たのかどうか、或いは現在、どうなっているのかを知らないので、興味深く記事を追う事になった。総合1面の記事は、詳細を掲載してある27面へのガイドになっていたので、27面で「勝てない競走馬・ハルウララ」の物語を追う羽目になった。
2003年春、当時の高知競馬場は経営不振にあえいでた。2002年度末には累積赤字が80億円以上にもなっている競馬場であった。そんな中、連敗街道をひた走る一頭の競走馬があった。それがハルウララという牝馬であった。ハルウララは1998年に競走馬としてデビューしていたが、2003年春の時点では、まだ未勝利馬、つまり、一勝もしてないのに処分もされないで済んでいるという珍しい競走馬だった。そんな競走馬が存在している事に気付いた高知新聞の記者が「これは記事になる!」と直感して、報じた事がハルウララ・ブームの起点となった。
2003年6月13日の高知新聞夕刊には、88連敗目を喫したハルウララという競走馬が存在している事が報じられた。記事の中では、担当調教師の言葉として「処分はしない」という言葉が紹介され、更にはハルウララを担当している若い担当厩務員の「一回ぐらい、勝とうな」というやさしい言葉も紹介された。
高知新聞夕刊の記事は、その後、大手マスコミをも巻き込む大騒動とった。ただの一度も勝利することなく、デビュー以来88連敗中の未勝利馬に人々の関心が向かう事となり、一躍、ハルウララという競走馬の名前は全国区のものとなってしまった。ハルウララが出走してレースで負けを重ねるたびに、ハルウララの人気は過熱していった。前代未聞の勝てもしない弱い馬を応援してやろうじゃないかという奇妙なハルウララ現象が起こった。
当時の日本では、長引く不況がデフレの影を落とし、企業の倒産や、従業員に対してのリストラ(本来は「再構築」の意であるが実質的には「人員整理」の代用語)の嵐が吹き荒れている中での出来事であった。
2003年6月にハルウララが高知新聞夕刊に報じられると、間もなくしてハルウララは全国区の人気競走馬となっていった。ハルウララ現象は、その後も継続していたが、2004年3月22日にハルウララ現象のクライマックスが訪れる事となった。世界的な天才騎手でもある武豊が高知競馬を訪れてハルウララに騎乗し、悲願の初勝利に挑戦するというレースが開催されたのだ。「最弱の馬が、最強の騎手と組む初勝利を目指す」という構図は日本中に熱狂を呼んだ。本来的な競馬ファンではない人たちがハルウララを見たさに高知競馬場へ詰めかけ、ハルウララの記念馬券を買った。ハルウララ応援馬券の大半は100円の単勝馬券を複数枚購入するというものだったので競馬場的には利益は薄かったが、武豊が騎乗するハルウララは、単勝1.8倍の圧倒的一番人気というオッズとなった。
武豊が騎乗するハルウララは、ワイドショウや情報バラエティ番組までもが注目するレースとなった。ついにハルウララが初勝利を挙げる瞬間がやってきたのではないかという期待も集まっていた。
ゲートが開くとガシャンと音がする。スタートと同時にハルウララは出遅れてしいまい、レースとしても見せ場をつくれるほどの伸び脚を欠いた。天才・武豊を鞍上に迎え、圧倒的な一番人気に推されたレースでもハルウララは勝てなかったのだ。ハルウララの連敗記録は、この時に106連敗を更新した。
ハルウララ現象は、このクライマックス以降は下火になってゆき、その武豊騎乗のレースから約2ヶ月後の2004年8月には113連敗をしたところで長期休養に入ったという。更に、そのまま、2006年秋には競走馬としての登録も抹消となった。つまり、前人未到の連敗記録は113連敗であったという事になる。
引退馬となったハルウララは栃木県や北海道の牧場で点々としながら余生を過ごす事にになったという。こうした引退馬が余生を送る預託牧場でも、エサ代や治療費を含んだ世話代となる預託料が必要となる。引退したハルウララの場合は、2012年頃になると「預託料支払い」が滞るという状況が発生した。預託料の月額は約8万円だったというから費用捻出も大変なのだ。
すると、今度はハルウララを預託牧場で世話をしていた人たちが2014年に「春うららの会」を設立し、ハルウララの預託料をインターネットで募るというシステムを立ち上げた。すると、短期間で80名もの会員が集まり、その会費でハルウララの預託料を捻出できるようになったのだという。
競走馬は典型的な経済動物なので勝てなければ引退となり、多くの競走馬は余生を過ごさせてもらえるほどの経済的支援がないので殺処分にされてしまったりする。或る時期まで競馬関係の月刊誌を定期購読していたので、その競馬誌に掲載されていた引退馬一覧表だと「斃死」(へいし)という文字がズラズラズラっと並んでいたのを記憶している。確かに競争馬とは、典型的な経済動物であり、勝たなければ引退だし、引退後にもオーナーから預託料が支払われて余生を過ごせる馬はごくごく一握りでしかなく、多くの不用になった競走馬は、大っぴらには語られないものの実質的には殺処分となり、ペットフードの原材料になっていたりすると思われる。経営難で廃止になった地方競馬場のケースでは、横たわっている大量の馬たちの遺体が写された写真が週刊誌に掲載された事もあった。「競馬場なんて時代遅れだ。既に赤字経営なのだから競馬場を廃止すべき」という声が起こり、一部の地方競馬は実際に廃止になった訳ですが、そうなると大量の競走馬は経済動物なので殺処分されてしまうというのが現実なのだ。
さて、前人未到の113連敗の記録を誇るハルウララは、どうなっているのか? 年齢的には死んでしまっていてもおかしくない。しかし、ハルウララは今年2月で29歳になっているが健在だという。29歳という年齢はヒトに換算すると80歳を優に超えるという後期高齢者だという。そんなハルウララの日課は、朝ごはんを食べて、ひなたぼっこをして、お昼を食べたら、また昼寝をして――という悠々自適な老後を送っているという。
ハルウララの世話をする女性は「ウララはある意味、勝ち組ですよ」と言って笑い、その隣をハルウララがのんびりと歩いていた――と。
経営難に苦しんでいた高知競馬場はというと、2009年からはナイター開催に打って出た。馬券のネット販売が普及した事もあり、経営収支は好転し、昨年度は約999億円の売上高を計上しており、これは2年連続で過去最高を更新したという。
2003年春、当時の高知競馬場は経営不振にあえいでた。2002年度末には累積赤字が80億円以上にもなっている競馬場であった。そんな中、連敗街道をひた走る一頭の競走馬があった。それがハルウララという牝馬であった。ハルウララは1998年に競走馬としてデビューしていたが、2003年春の時点では、まだ未勝利馬、つまり、一勝もしてないのに処分もされないで済んでいるという珍しい競走馬だった。そんな競走馬が存在している事に気付いた高知新聞の記者が「これは記事になる!」と直感して、報じた事がハルウララ・ブームの起点となった。
2003年6月13日の高知新聞夕刊には、88連敗目を喫したハルウララという競走馬が存在している事が報じられた。記事の中では、担当調教師の言葉として「処分はしない」という言葉が紹介され、更にはハルウララを担当している若い担当厩務員の「一回ぐらい、勝とうな」というやさしい言葉も紹介された。
高知新聞夕刊の記事は、その後、大手マスコミをも巻き込む大騒動とった。ただの一度も勝利することなく、デビュー以来88連敗中の未勝利馬に人々の関心が向かう事となり、一躍、ハルウララという競走馬の名前は全国区のものとなってしまった。ハルウララが出走してレースで負けを重ねるたびに、ハルウララの人気は過熱していった。前代未聞の勝てもしない弱い馬を応援してやろうじゃないかという奇妙なハルウララ現象が起こった。
当時の日本では、長引く不況がデフレの影を落とし、企業の倒産や、従業員に対してのリストラ(本来は「再構築」の意であるが実質的には「人員整理」の代用語)の嵐が吹き荒れている中での出来事であった。
2003年6月にハルウララが高知新聞夕刊に報じられると、間もなくしてハルウララは全国区の人気競走馬となっていった。ハルウララ現象は、その後も継続していたが、2004年3月22日にハルウララ現象のクライマックスが訪れる事となった。世界的な天才騎手でもある武豊が高知競馬を訪れてハルウララに騎乗し、悲願の初勝利に挑戦するというレースが開催されたのだ。「最弱の馬が、最強の騎手と組む初勝利を目指す」という構図は日本中に熱狂を呼んだ。本来的な競馬ファンではない人たちがハルウララを見たさに高知競馬場へ詰めかけ、ハルウララの記念馬券を買った。ハルウララ応援馬券の大半は100円の単勝馬券を複数枚購入するというものだったので競馬場的には利益は薄かったが、武豊が騎乗するハルウララは、単勝1.8倍の圧倒的一番人気というオッズとなった。
武豊が騎乗するハルウララは、ワイドショウや情報バラエティ番組までもが注目するレースとなった。ついにハルウララが初勝利を挙げる瞬間がやってきたのではないかという期待も集まっていた。
ゲートが開くとガシャンと音がする。スタートと同時にハルウララは出遅れてしいまい、レースとしても見せ場をつくれるほどの伸び脚を欠いた。天才・武豊を鞍上に迎え、圧倒的な一番人気に推されたレースでもハルウララは勝てなかったのだ。ハルウララの連敗記録は、この時に106連敗を更新した。
ハルウララ現象は、このクライマックス以降は下火になってゆき、その武豊騎乗のレースから約2ヶ月後の2004年8月には113連敗をしたところで長期休養に入ったという。更に、そのまま、2006年秋には競走馬としての登録も抹消となった。つまり、前人未到の連敗記録は113連敗であったという事になる。
引退馬となったハルウララは栃木県や北海道の牧場で点々としながら余生を過ごす事にになったという。こうした引退馬が余生を送る預託牧場でも、エサ代や治療費を含んだ世話代となる預託料が必要となる。引退したハルウララの場合は、2012年頃になると「預託料支払い」が滞るという状況が発生した。預託料の月額は約8万円だったというから費用捻出も大変なのだ。
すると、今度はハルウララを預託牧場で世話をしていた人たちが2014年に「春うららの会」を設立し、ハルウララの預託料をインターネットで募るというシステムを立ち上げた。すると、短期間で80名もの会員が集まり、その会費でハルウララの預託料を捻出できるようになったのだという。
競走馬は典型的な経済動物なので勝てなければ引退となり、多くの競走馬は余生を過ごさせてもらえるほどの経済的支援がないので殺処分にされてしまったりする。或る時期まで競馬関係の月刊誌を定期購読していたので、その競馬誌に掲載されていた引退馬一覧表だと「斃死」(へいし)という文字がズラズラズラっと並んでいたのを記憶している。確かに競争馬とは、典型的な経済動物であり、勝たなければ引退だし、引退後にもオーナーから預託料が支払われて余生を過ごせる馬はごくごく一握りでしかなく、多くの不用になった競走馬は、大っぴらには語られないものの実質的には殺処分となり、ペットフードの原材料になっていたりすると思われる。経営難で廃止になった地方競馬場のケースでは、横たわっている大量の馬たちの遺体が写された写真が週刊誌に掲載された事もあった。「競馬場なんて時代遅れだ。既に赤字経営なのだから競馬場を廃止すべき」という声が起こり、一部の地方競馬は実際に廃止になった訳ですが、そうなると大量の競走馬は経済動物なので殺処分されてしまうというのが現実なのだ。
さて、前人未到の113連敗の記録を誇るハルウララは、どうなっているのか? 年齢的には死んでしまっていてもおかしくない。しかし、ハルウララは今年2月で29歳になっているが健在だという。29歳という年齢はヒトに換算すると80歳を優に超えるという後期高齢者だという。そんなハルウララの日課は、朝ごはんを食べて、ひなたぼっこをして、お昼を食べたら、また昼寝をして――という悠々自適な老後を送っているという。
ハルウララの世話をする女性は「ウララはある意味、勝ち組ですよ」と言って笑い、その隣をハルウララがのんびりと歩いていた――と。
経営難に苦しんでいた高知競馬場はというと、2009年からはナイター開催に打って出た。馬券のネット販売が普及した事もあり、経営収支は好転し、昨年度は約999億円の売上高を計上しており、これは2年連続で過去最高を更新したという。

