どーか誰にも見つかりませんようにブログ

人知れず世相を嘆き、笑い、泣き、怒り、足の小指を柱のカドにぶつけ、金星人にSOSのメッセージを発信し、「私は罪のない子羊です。世界はどうでもいいから、どうか私だけは助けて下さい」と嘆願してみるブログ。

カテゴリ: なまぐさ

和辻哲郎著『風土』(岩波文庫)をつらつらと読み返しながら、改めて色々な発見をしてしまった気がしている。ヴェーダ、バラモン、インド仏教に中国仏教などに触れた上で、日本文化論を論じたものであり、思うに、これこそが日本文化を論じたものの中でも最高峰のような気がする。時間と空間とを分ける事が不可能な事にも触れられている。つまり、「風土とは歴史的風土である事、同時に歴史とは風土的歴史である」とまで言及している。

また、風土は、気候を含めての風土が文明そのものや人間にも影響を与えるものとして考察されているのですが、この洞察が鋭い。

和辻に拠れば、東洋文明と西洋文明とはやはり異なるものとし、西洋、キリスト教などの一神教は沙漠という過酷な環境で生まれたものとし、欧州全般は湿気が強くじめじめとした陰影の影響を受けたものとし、アジア全般に対しては、モンスーン気候型の風土と分類した。

インドには、バラモン教の祖となるアーリア人が侵略したが、そのバラモンによるインドへの侵略と征服は、西洋文明と少し異なり、武力と知恵を武器にしていたとする。バラモンは、おそらくインドに武力だけで侵略したのではなく、そこに神概念を持ち込み、カーストを形成した。ヴェーダであり、ウパニシャッドであり、ブラフマンとアートマンからなる梵我一如など、確かに尋常ではないレベルの神概念が古代インドに持ち込まれている。

中国南部の沿岸部はモンスーン気候であり、気候そのものは日本と中国沿岸部は似ているとする。共に「受容的・忍従的である」と分析している。季節風に左右されやすく、日本にあっては台風の影響も少なくなく、その文化に大きな影響を与えたものは船であろうとする。結局は、揚子江沿岸と日本との間には稲作文化である事でも確認できるワケですが、同時に「南船北馬」、北方の移動手段は馬であり、騎馬文化であるが、シナの南部は船の文化であるを踏襲している。おそらく、日本にも騎馬文化は流入していたが、パーセンテージで言ってしまえば、圧倒的に船文化である。倭寇なんてのもそれだし、騎馬文化は直線的であるが船文化は嫌が応にも水に影響されるので、やはり、そこに芽生える文明は「自然には逆らえない」という精神風土になったであろう、となる。実は、自ずと風土(環境)によって、そうなるという考え方ですね。(福永光司の著書などでも言及されている。)

和辻の場合は、昭和23年頃、香港の九龍で荷下ろしをする中国人たちを見て驚いた経験があるという。シナの労働者たちは木製のジャンク船で、老人から子供までが荷下ろし作業をしていたが、それは死と隣り合わせの作業であったという。昭和2年の上海では蒋介石軍が上海に迫っているという状況であったが、上海では労働者たちがストライキをし、蒋介石軍に加勢しているのを目撃したが、多くの上海人たちは、さほど動揺していなかったという。この経験から、和辻は上海や香港といった中国沿岸の人々は、余計な事には神経をつかって疲弊しないようにしていると洞察している。実際に非常事態となれば、逃げるしか身を守る方法はなく、何某かの軍隊が入って来てしまえば、どのみち虐殺や略奪が起こるような状況だから、身を守る方法そのものがない。そういう状況で、余計な事を考えないようにしていると分析する。悟っているという高尚な何かではなく、その歴史的風土(環境)から、そのような行動様式が出来上がっているのだろうと洞察している。

他方、日本は異なる。日本も中国沿岸部と非常に似ていて、受容的・受忍的であるが、常に神経を働かせる国民性であるとする。神経を働かせているというと欠点はないように見えるが、これには当然、欠点があり、先に述べた香港人や上海人が極力神経を使わず消耗を避けて、その時が来たら一斉に逃げ出すという行動様式であるのに対して、日本人は危機に対しては先んじて神経を尖らせ、危機を回避する為に細心の注意を払う。しかし、これには欠点があり、集中力が続かないであろうと洞察している。

さて、ここからが愈々、和辻哲郎による日本人の人間学的考察となりますが、日本人は細心の注意を払うが、そうした集中力を継続させるのには限界があり、その限界が来ると感情を倏発瓩気擦襪、爐△辰気蠅板める瓩汎胸,靴討い襦

モンスーン的な受容性は日本の人間においてきわめて特殊な形態をとる。

第一にそれは熱帯的・寒帯的である。すなわち単に熱帯的な、単調な感情の横溢でもなければ、また単に寒帯的な、単調な感情の持久性でもなくして、豊富に流れ出でつつ変化にて静かに持久する感情である。四季おりおりの季節の変化が著しいように、日本の人間の受容性は調子の早い移り変わりを要求する。だからそれは大陸的な落ちつきを持たないとともに、はなはだしく活発であり敏感である。活発敏感であるがゆえに疲れやすく、持久性を持たない。しかもその疲労は無刺激的な休養によって癒されるのではなくて、新しい刺激・気分の転換等の変化によって癒される。癒された時、感情は変化によって全然他の感情となっているのではなく、依然としてもとの感情なのである。だから持久性を持たないことの裏に持久性を隠している。すなわち感情は変化においてひそかに持久するのである。

第二にそれは季節的・突発的である。変化においてひそかに持久する感情は、絶えず他の感情に変転うつしかも同じ感情として持久するのであるがゆえに、単に季節的・規則的にのみ変化するのでもなければ、また単に突発的・偶然的に変化するのでもなく、変化の各瞬間に突発性を含みつつ前の感情に規定せられた他の感情に転化するのである。あたかも季節的に吹く台風が突発的な猛烈さを持っているように、感情もまた一から他へ移るとき、予期せざる突発的な強度を示すことがある。日本の人間の感情の昂揚は、しばしばこのような突発的な猛烈さにおいて現れた。


そして、やはり、桜の花のように、慌ただしく咲き、恬淡に散る、と述べている。内側では凄まじい懊悩と煩悶を繰り返すが、それが実際に外部から観察され、形となっているときは、桜の花のように、慌ただしく咲き、アッサリと散る。例として、おそらくは、江戸開城などを念頭に和辻は論じていると思われる。内面的には猛烈であるが、外面的には恬淡(てんたん/アッサリとの意)として終わることがある。他方、ここが和辻の考察も面白いところですが、当然、そのようになる場合だけではなく、振り子の振れ方によっては、破裂する、爆発するというニュアンスを含めて語っているのだ。

思えば、乙巳の変は大胆なテロによる政変だし、本能寺の変にしても劇的な下剋上であったし、下剋上は少ないようでいて、そうでもない。室町時代には嘉吉の乱(将軍殺し)もあるし、近代日本の幕開けとも関係している孝明天皇には倒幕派による暗殺説もあるし、対米開戦なんていう大胆な歴史もある。

そして面白い事に、和辻は【情死】を感情の爆発と分析している。情死とは即ち心中で、これが日本文化の特異性でもあるワケですが、これを和辻は、シナやインドには見つけられない日本の台風的激情性と洞察している。つまり、日本人の恋愛観とは《激情を内に蔵したしめやかな情愛、戦闘的であるとともに恬淡なあきらめを持つ恋愛》と表現している。

和辻は、日本に於いて「あの世」信仰があったから心中が成立していたというよりも、日本人の気質が激情を内に秘めながら恬淡な諦めに到るという回路で、説明している。

単に精神的な「あの世」の信仰にもとづいたものではない。それは生命の否定において恋愛の肯定を示しているのである。恋愛の永遠を欲する心が瞬間的な昂揚に結晶するのである。たといそれが人間の男女としての役目のゆえに他のあらゆる役目を蹂躙するという意味において人間の道をはずれているとしても、それによって日本的なる恋愛の特性を示しているということには変わりないはないでのある。

かくして日本的なる恋愛の類型においては、まず第一に恋愛が生命的なる欲望よりも優位を持っている。恋愛が欲望の手段ではなくして欲望が恋愛の手段である。だからそこでは、個人的なる欲望に距てられない間柄、すなわち男女の間の全然距てなき結合が目ざされる。しめやかな情愛として言い現わされるのは右のごとき全人格的な結合である。

しかし第二に恋愛は常に肉体的であって単に魂のみの結合ではない。恋愛はその手段として肉欲を欠くことができない。そこで全人格的なしめやかな情愛が同時に激情的になる。全然距てなき結合は離れたる肉体を通じて試みられなくてはならない。魂の永遠の欲望が肉体において瞬間に爆発する。

そこで第三に肉体的生命を惜しまない恋愛の勇敢さとなり、第四にその裏として突如たるあきらめとなる。すなわち全然距てなき結合が肉体において不可能であるとあきらめるのである。


うむむむ、恐れ入谷の鬼子母神、凄い考察だ。情死にかかるギリギリの内面のせめぎ合いを、説明しているらしい。

或る雑誌で、日本映画の最高峰とは何かと好き勝手に論じている一冊(『一個人』)を持っていて、やはり、大胆にも大島渚監督の『愛のコリーダ』が2ヶ所で挙げられていたのだったかな。そのタイトル、なんだか失敗だよなって思うんですが、つまりは「愛の闘牛士」という意味らしく、なんだか中途半端なタイトルだよなぁ…とね。しかし、内容は非常に鮮烈に性を描いたのは確かであったと思う。

描いた内容は密室で性交する日々を何日も何日も続けていた男女、情交に耽るうちに女が男を絞め殺してしまい、陰茎を切り取り、肌身離さずに逃亡していたという「阿部定事件」であり、堂々たるハードコア・ポルノでもあった。この圧倒的な激しさというのが、実は、つつましい事や奥床しいことが美徳とされる日本で起こり、また、当時、この阿部定は人々から称賛されたんだろうね。怖すぎる女であるが、そこまで性愛を全うするとはアッパレだ、と。これを「勇敢な男女の愛」と呼んだら語弊があるものの、おそらく、そのように切り取ったのでしょう。確かにバッドエンディングに達したと言えるが、究極的な性愛の果て、究極的な情愛の果てと考えねばならないのでしょうからね。

まぁ、勿論、心中なんて、そんな事をしてはいけないのだけれども、それが、こうした心性から生じているものだと理解すれば「ああなるほどな」とも思う。
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国家の歳出歳入は予算編成によって決定され、各省庁は必要な予算を予め計上して概算要求を行ない、その概算要求に従って国会で予算が編成されるという仕組みになっている訳ですね。しかし、実際はその予算編成だけでは間に合わず、補正予算によって不足分を補ったりしている。

FMS即ち米国政府を通しての軍事装備品の購入に関しては、予算が膨らんでいる事に加え、請求される予算が不明瞭である為に金額として計上できず、概算要求の枠から米軍再編関係費の金額を切り離し、金額を書き込まないままの事項要求という手法で、軍事装備品の実際の予算を小さく見せようとする作為が行われていたという。

東京新聞社会部が、予算に詳しい防衛省OBに

「2019年度予算の概算要求から米軍再編関係費を外したのはなぜだと思うか?」

と見解を尋ねたところ、その防衛省OBは

「そんなことはないでしょう」

と最初は余裕の笑顔で応じたが、公表された資料を見せると目を丸くして「本当だなあ」と驚きを表し、続けて、

「普通はあり得ない。要求額を少なく見せるためだとしか思えない」

と語ったという。

概算要求は予め財務省が定めた上限を意味する基準、「概算要求基準」を基準とする。それが、その省庁に割り当てられた上限枠ですよの意味合いだ。その概算要求基準内で各省庁は自分たちの概算要求を計上、算出するという仕組みだという。ところが、2019年度予算では防衛省は概算要求から米軍再編関係費そのものを除外し、上限いっぱいに使用した過去最大の概算要求額となる5兆2986億円の概算要求としていた。米軍再編関係費については2018年度で2200億円を計上していたが、その米軍再編関係費を概算要求から切り離しているという事になる。

その概算請求にした事で、防衛費の伸び率は2.1%となり、他の省庁の伸び率と並ぶ水準に見せかけているが、実際には、米軍再編関係費(沖縄に関する特別行動委員会に係る経費&在日米軍再編に係る経費)が、見えないように細工されている事を意味しているのだという。仮に、2018年度同様に概算請求していたなら、防衛省は当初予算比は2.1%増ではなく、6%以上の増加になるのだという。

この話は、FMSによる軍事装備品の調達費が嵩んでしまい、次年度以降に支払いを伸ばす後年度負担(兵器ローン)も積もってきた事、更には国内企業に対して支払いの先延ばしを要請していた事実を補足する内容となる。つまり、どうしようもないほどに、米国政府を通しての兵器購入が拡大してしまっている事実を認めざるを得なくなる。

そして、2018年度の防衛省の補正予算は過去最大の4482億円となった。これは東日本大震災があった2011年の3378億円を塗り替える補正予算が実際に振り分けられた事を意味している。

2009年…防衛省補正予算456億円
2010年…防衛省補正予算93億円
2011年…防衛省補正予算3378億円→東日本大震災
2012年…防衛省補正予算1127億円
2013年…防衛省補正予算1122億円
2014年…防衛省補正予算2038億円
2015年…防衛省補正予算1917億円
2016年…防衛省補正予算1817億円
2017年…防衛省補正予算2273億円
2018年…防衛省補正予算4482億円

やはり、東日本大震災を挟んで第二次安倍政権となりましたが、第二次安倍政権が長期政権化している中で恒常的にFMS調達の軍事装備品購入費が高額化している事は否めず、しかも2018年度からはトランプのディールを受けて、跳ね上がったと考えざるを得ない。

おいおい、ホントに大丈夫なのか? 既に深部では深刻な事態に陥っているのではないか、となる。日米安保の更なる深化というのだけれども、隣国の韓国では米軍駐留経費を5倍に吹っ掛けられており、トランプのディールというのは、或る意味ではテーブルの下で脛を蹴飛ばしにくるディールなのであり、シンゾー、ドナルドは仲良しだから大丈夫という認識は、とてもとても安心できそうもない。

本当は深刻な事態になってきたからこそ、色々な手をつかって数字を見えないような細工をしているのであり、稲田元防衛大臣が辞任に追い込まれた日誌問題や、大紛糾した森友加計問題での資料の黒塗りや改竄文書の配布、基幹統計の偽装、更にはさくらを見る会でも不可解な証拠を巡る検証の拒否がありましたが、どうも永田町や霞ヶ関では深刻であるが故に隠蔽・改竄体質になっていたという事ではないのか。



ここまでが、凡その「兵器を買わされる日本」の表層的な話であろうと思うですが、実は、更に暗澹となる事実が、その先に転がっている。単に米国親分に対しての忖度や遠慮、トランプ米大統領の露骨なディールによる問題だけでは済んでいない。

出来る事なら国内企業から軍事装備品を調達したいと考えるものの、ミサイル技術の進展によって見合うミサイル防衛システムで国防を考えるとなったときに技術的な問題で米国から買わざるを得ないという問題が大きな一つであり、それに加えて既に多くの国内企業には防衛省の天下り先になってしまっており、同じ兵器を調達するにも国内企業がライセンス契約によって製造し、納入するものはコストが高くなってしまっているという問題も付随しているのだという。

ベルギーの銃器メーカー・FNハースタル社が開発した軽機関銃MINIMI(ミニミ)は、全長1040ミリで重量は約7キログラム。1分間に750〜1000発を発射できる優れた軽機関銃であるという。このミニミを購入するにあたり、日本は住友重機工業社がライセンス生産する方法で導入したという。ライセンス生産というのは、この場合、住友重機工業社がFNハースタル社からミニミの設計図を購入して、部品製造から組み立てまでもを行なう。ミニミは、1993年から自衛隊に導入されており、陸海空併せて5000丁を保有しているのだという。毎年のように200丁前後で購入していた時代、ミニミの一丁あたりの単価は100万円程度であったが、2017年になると47丁と購入数も減少した為に単価が327万円の高コストになっているという。

因みに、このミニミ、アメリカもライセンス生産しているが1丁の単価は46万円、同じくオーストラリアでも49万円だという。この単価算出というのは、製造台数(発注数)が多ければ多いほど安くなるのが実際には避けられない面もある訳ですね。10枚だけチラシを印刷しようが1000枚印刷しようが実はかかる手間は同じなのでバカの一つ覚えのように単価を横並びにされても歪んでしまう。ホントはロットという単位で考えないとフェアじゃない。しかし、それにしても約7倍の調達コストになってしまっているとなると、コスト的な見直しを迫られてしまう訳ですね。(これを以て、住友重機を責めるのは私は酷だと思うかな。実際にライセンス料を購入し、部品一つ一つを製造し、組み立てる製造コストは、大量生産体制と比較するのは酷だ。47丁の為にその生産ラインを動かすとなれば割高になるのは必然でもある。「そしてにしてもコストとして見合わない」という風にみるべき話かな。)

それと最後に、イージスアショアのレーダーについて。イージスアショアは陸のイージス艦であり、巡航ミサイルを迎撃する最新鋭の防衛システムである訳ですが、最新鋭であるが故にその価格も不明瞭である。基地のようなものだから導入するには土木工事や建設工事もかかり、更には高度なレーダーの技術を維持する為には技術者に滞在してもらいメンテナンス(保守点検)も欠かせなくなるが、それらの経費は未定であるという。しかも、日本政府はイージスアショアのレーダーをレイセオン社のSPY−6とロッキード・マーチン社のSPY−7とで検討し、SPY−7を選択、購入を決定した。このレーダーの購入はFMSを通しておらず、ロッキード・マーチン社からの直接購入であり、同社の輸入代理店となっている三菱商事を介して購入したものだという。何ら問題はないように思えるのですが、規格の問題が出て来てしまい、米海軍は今後はレーダーをSPY−6に変更してゆくことになったという。にもかかわらず、日本はSPY−7を選択してしまったという事になる。おそらく仲介に入った三菱商事が頑張ってセールスを展開し、極秘事項の多いレーダーであるが機能を説明した結果、防衛省はSPY−7の購入を決定したものと思われる。しかし、SPY−7はSPY−6とは異なり、実は性能の検証が終わっていないのだという。従がって、SPY−7(SSR方式)のレーダーの導入に当たっては、今後も性能検証にかかるコストが見込まれるが、そのコストを日本政府が払うのか米国政府が払うのか、ロッキード・マーチン社が払うのか決まっていないのという。米国の専門家は口を揃えて「米国政府が負担する事は考えにくい」と説明しているという。つまりは、そーゆー事、日本が払わざるを得なくなると思われる。

また、付随して米軍と日本の自衛隊とが異なる様式のレーダーになってしまった事で、情報共有能力に対しての疑問の声も上がっているという。三菱商事に風当たりが向かいそうですが、そうとも言えず、防衛省からすれば、レイセオン社のSPY−6は軍事機密が多過ぎて説明も消極的だったのでSPY−7の購入を決めたに過ぎないが、どうやっても兵器購入コストは下がりそうもない。

実は、こうすべきだろうという正解らしい正解もなさそう。そうであるが故に、尚更に絶望的な気分になってくる。



不安をかきたてられるばかりの、かなり厳しい内容ですが、述べられている話は至極重大な内容のような気がします。これ、ホントだろうなぁ…と。既に終わってるじゃないか的な。

元々は東京新聞の「税を追う」という連載の中で、この防衛費に係る「兵器を買わされる日本」の問題が浮上し、加筆訂正して書籍として昨年末に発刊されている。同紙の連載「税を追う」は昨年の日本ジャーナリスト会議大賞にも選ばれたという。また、その中でも特に安全保障、確かに現在の日本の安全保障を考える場合、必読の一冊のような気もする。

読んで楽しい本ではないのですが、現状の「ヤバさ」が分かる。【FMS】なんて言葉はハードルが高く感じますが、一般的には知らないのが当たり前で、実は東京新聞の記者たちも「なんじゃ、そりゃ」ってところから取材を始めたのだそうな。昨今の安倍ちゃんシンパのようなものが形成されており、何を言っても政権擁護であったので、この内容にビビるものと思いますが現状を正確に認識しない事には始まらず、どうしようもない。本当は2018年に自衛隊員のトイレットペーパーを使用する長さまでアレコレと口を出して節約を説いてのに、上層部では、とんでもないことが起きているって事でしょうからね。
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この問題はジワリと真綿で首を絞められてくる感じ…。以下、東京新聞社会部編『兵器を買わされる日本』(文春新書)に沿って。

2018年11月下旬、東京新聞に一通の手紙が届き、そこには防衛産業に従事する者からの告発が記されていたのが発端であったなそうな。内容的には、近年、F35A戦闘機をはじめとする対外有償軍事援助(FMS)調達が急増し、防衛予算を圧迫しており、防衛省は国内企業への納入代金が不足し、代金支払いを遅らせる旨の受け入れの打診があったというものであったそうな。

これ、国会などでも取り上げられたらしいのですが、とんと記憶がない。内容を追うと、その告発文の内容は事実であった。

FMSとは対外有償軍事援助と翻訳されているが、意味は米国政府を通して日本の防衛省が軍事装備品の売買を行なっているものであり、ロッキード・マーチン社ならロッキード・マーチン社のような製造メーカーから直接から防衛省が購入しているのではなく、その中間に米国政府を仲介させるものであるという。軍事兵器の売買には技術的な問題もあるので米国政府を仲介させているとも考えられるし、かつてのロッキード事件のように変なところでセールス合戦が起こって不透明なかたちでのセールスを避ける目的があるようにも思える。実際に、このFMSを通しての軍事装備品の売買は日本だけではなく、多くの国が利用しているという。

しかし、近年、日本政府はFMS調達が急増、つまり、米国政府を介しての米国製軍事装備品の調達が激増しており、国内企業に対しての支払いにも窮する状態になっているという告発であった。国会でも取り上げられるなどの問題に発展する中で、最終的には国内企業に対しての支払いを遅らせる事態は避けられたが、そこから「兵器を買わされる日本」という頭の痛い問題が露見することになったという。巷間でも、言われているところですが、F35の大量購入、イージスアショアの購入などが防衛省の予算を圧迫しているという報道へと繋がっている。

つまり、「日米同盟の深化」という建前、それと同時に「その為にかかるコスト」の話となっている訳ですね。

しかし、それによって防衛費問題は解決してない。それは米国からの軍事装備品(兵器)の購入代金は後年度に先送りする「後年度負担」になっているという。その額、2019年度では実に5兆3千億円。通常、国家予算は単年度決算として処理されるので、後々の年度には支払いは残らないのですが軍事装備品に限っては高額なものも含まれるので「後年度負担」という制度があり、これを東京新聞が一般人にも分かり易いように「兵器ローン」という言葉を造語して報じるという経緯を辿った。国会では東京新聞に倣って「兵器ローン」という造語が使用されたという。厳格には「ローン」とは異なる云々のやりとりがあった、というが、凡その内容は、FMSからの兵器の購入額が急増しているという事実を反映している事は間違いない。

数字でも証明できてしまい、2012年度、2013年度の後年度負担は共に約3兆2千億円であったが、2018年度には5兆円を超え、2019年度には5兆3千億円を超えた。

因みに第二次安倍政権は2012年スタートであり、ドナルド・トランプが大統領就任は2017年からとなっているので、この数字からは何かが急に売り込まれるようになったという感じではない。しかし、冒頭の告発文の指摘は確認できてしまうという。第二次安倍政権になって以降、実は防衛装備品の調達相手の内訳が変わってきているのだ。2012年度当時の防衛省の軍事装備品の契約額ランキングでは第1位が三菱重工、第二位がNEC、第三位が川崎重工で、第四位が米国政府(FMS)であった。しかし、これが2015年度、2016年度、2017年度と第一位は米国政府(FMS)に変わっており、この傾向は、その後も続いていると思われる。つまり、2012年頃までは軍事装備品は国内企業から広く購入していたが、第二次安倍政権になって以降は、実は米国政府依存の軍事装備品に切り替わっているのは確かなのだ。

だから、告発文の意味が問われる訳ですね。平たく言ってしまうと、米国への支払いが高額になってきてしまったので、国内企業に対して「支払いを先に延ばして欲しい」と防衛省が要請を出していた、その事態を異常事態だとして告発が為されていた。日米同盟の深化と言えば聞こえはいいのですが、軍事装備品の調達先として米国政府が伸長しているという問題があり、この問題は本来であれば広く議論されるべきテーマかも知れませんやね。

肯定する理由もある。尖閣問題の浮上などから安全保障に係る状況が変わったので、当然、必要とされる軍事装備品の種類が変わって来ている。近年、ミサイル兵器へのシフトが進んでおり、対応するにはミサイル防衛システムになり、その技術はアメリカから購入せざるを得ない。レーダーに係る技術、或いはステルスに係る技術が必要になってきている。

しかし、意外や意外、それらは官邸主導で行われているようで、自衛隊の元幹部らから異論が出ているし、会計検査院からもFMSの問題は以前から指摘されて続けているのだという。それが差し示している事実とは、結局のところ、日本政府は米国政府から兵器を買わされているだけではないのか――と。

【FMS】とは「Foreign Mititary Sale」の頭文字であるが、日本語だと【対外有償軍事援助】や【有償援助調達】と翻訳されているという。正式名称として【Sale】とあるのに、何故か邦訳は、これを【援助】と訳している事となり、実は既に国会でも1977年に「この邦訳はおかしい、アメリカ依存が過ぎるのじゃないか」と批判があり、しかも、その際、政府側答弁も「一応、援助の態を取っている」と答弁したものの、付け加えて「御指摘は、ごもっともだと思っている」と返答したのだそうな。つまり、【有償の援助】ではなく、当たり前に【販売】と邦訳すべきなんですね。しかし、戦勝国・米国への遠慮なのか忖度なのか奴隷根性なのか伝統的に「有償援助」と呼んできた何かなのだ。

会計検査院はFMS絡みの兵器売買では納品書と清算書の記載内容に総意が有る事を、随分と前から把握しているという。2014〜2015年度の場合、64契約、総額671億円分が納品書と清算書とに食い違いがあったという。検査院が書類の不備を防衛装備庁に指摘しても、防衛装備庁の動きは鈍いのが実相だという。精算書を送ってくるのは米国国務省であり、納品書を送って来るのはメーカーなのだ。米国側に何か問題があると思われるが、日本側に遠慮・忖度があるので躊躇があるらしいという。

同著には、さまざまな元自衛隊幹部の談話なども紹介されていますが、かの田母神俊雄元航空幕僚長のコメントも掲載されている。FMSの取引は理不尽だとしている。田母神氏に拠れば、約20年前、「リンク16」と呼ばれる米軍の情報共有システムを導入した途端、米側は価格を1億3千万円としていたものを2億5千万円に引き上げてきた事があったといい、米軍幹部に直接抗議したところ、元の値に戻ったという。その体験がある田母神氏は「なぜ価格が上がったのか、なぜ元に戻ったのかの説明もない。FMSって常に米国の勝手なんですよ」と語っているという。

2018年8月に公表されたFMS調達費は、以下の通り。

F35Aステルス機は42機で5965億円

垂直離着陸輸送機(オスプレイ)は17機で1681億円

無人偵察機(グローバルホーク)は3機で574億円

早期警戒機E2Dは6機で1471億円

地上配備ミサイル迎撃装置(イージスアショア)2基はレーダー本体のみで2404億円

それぞれ維持費がかかり、20〜30年の試算で2兆7千億円かかるという。しかし、維持費の負担などもFMSは不明瞭であるという。


深層部分で何が起こっていると考えられるのか? ドナルド・トランプによるシンゾー・アベへのディールという風に考えるのがフツウでしょう。

2018年12月、旧型のF15戦闘機を、今後はF35に順次切り替えていく防衛大綱が閣議決定された。しかし、どうも日本政府は「トランプに何等かの手土産を持たせないと、何を言ってくるか分からない」というトップセールス上の都合で、F35の100機購入を示したものだという。匿名の防衛省幹部の弁が記されている。

「〜前略〜官邸も防衛省も取引的にみせられる道を探していた。アメリカの圧力をどううまくかわしていくか。それを考えたとき、F35を100機購入しようとなった」

続けて

「F35Bは総理もほしいという感じじゃなかった。ただ、アメリカから貿易格差で相当なプレッシャーをかけられている流れの中で、F35を100機買うならA型だけではなく、違うタイプの攻撃力もあった方がいいという流れになった。機動的に展開できるB型は艦船に載せないと意味がない。それで立ち消えになっていた空母化の話が出てきた」

と話した。


この証言は、いずもを空母化することになった経緯とは、F35Bを購入することになってしまったので、辻褄合わせの為に「いずも」を空母化する事になったという具合にも聞こえる。奇妙な転がり方をしているのかもね。

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とある映像作品のレビューで「全共闘世代の老害」や「革命なんて起こせると思っていたのか」といった書き込みを見つけて、複雑な事を思いました。単刀直入に言ってしまうと、全共闘は全学共闘会議の略であり、学生運動上の全共闘運動を指しており、実は直接的には革命思想と結び付いていない。革命を志向していたのは、また、別の新左翼思想の思想背景を持っていた人たちで。ただ、これは正直、分かり難い。私なんて入門書を一冊読み終えても理解できなかったぐらい。それもそのはずで、60年代中盤からの左翼思想は分派に次ぐ分派で、どんどん新左翼用語のようなものも生み出されていったから、非常に分かり難いのだ。赤軍派、連合赤軍、日本赤軍の話にしても用語の注釈が付いていないと、とてもとても読めないと途中で気付いたほどで。

翻って週刊文春に目を通すと、町山智弘さんの連載で二度目の登場となる【ベビーブーマー】なる言葉について語られていました。要は、これも「ベビーブーマー世代の連中に何が分かるんだ!」という挑発的な暗喩があって、政治家等に対して「ベビーブーマーは黙っていやがれ!」的な、頭ごなしの否定で使用されているという。町山さんも「分断」に言及されていましたが、冒頭で挙げた【老害】にしてもアメリカで使用頻度が高まっているという【ベビーブーマー】にしても、実質的には世代で区分したカテゴライズであり、その世代を頭ごなしに否定してしまうという用法で使用されている。日本に限らず、アメリカあたりでも、この現象が確認できるという事でしょう。

しかし、こうした風潮は分断に拍車をかけるだけだろうと思う。そう思う気持ちは内に秘めているべきで、それを口外してしまえば、大衆間の分断・断絶はどんどん進行していく事にしかならないんでしょうからね。

というのも、例えば近代シオニズムの発祥とイスラエルの建国などの一連は、完全に複雑系の話であり、混乱に混乱が重なる中で、ユダヤ人による国民国家が当時のイギリスやアメリカの後ろ盾の元にパレスチナ地方に成立したという経緯などは、まさしく盲目の時計職人が介在しているような、どこをどういじったら、そんな風に転がるんだという複雑怪奇さがある。ちょっとした力の均衡があって、その均衡が変な方向へ崩れて変な方向性というのが出来上がる。「盲目の時計職人」というのは誰の言葉であったか、この歴史の複雑怪奇さを説明する場合には便利かもしれない。意図せずして、結果として奇妙な方向へ転がる。第一次世界大戦もしかりであり、当初は皇太子暗殺事件に始まったものが世界中を巻き込む世界大戦となったものだったし、一昨年頃、大ベストセラーとなった「応仁の乱」あたりになると、何故、これがそうなるのか、一筋縄の説明は不可能になってくる。思いもよらぬ方向へ世の中は転がってしまう。何かの拍子に方向性が出来て、そちらに転がる。(タオイズムの説く、道にも似ている。道は本来はない。通った後に道ができる。細い道も太い道もね。「この道を行けばどうなるものか…」と引退時に一休和尚の言葉をアレンジして語ったアントニオ猪木は、確かに道士であったかも知れない。)

裏返せば、歴史は意外な出来事が起これば、思いもよらぬ方向へ転がる事も有り得るという話かも知れませんやね。善であったものが時代の変遷を経ると、一転して悪と認識されるようになったりする。しかし、時代、時代というのは、その区分の中にあり、そのなる。これは時間軸で話していますが、時間軸とは地理軸というか空間軸でもあるから、A地方では善である事がB地方では悪であるという事も有り得る。地球を包み込んで普遍的な善というのを見い出すのは、本当は不可能なのでしょう。マルクス主義的な正義も、或いはリベラル思想の正義やグローバリズムといったものも、結局は幻想だったという方向へ向かっていると本心では思う。

ポリコレとは日本語にすれば「政治的正しさ」に翻訳できそうですが、そんなものが有る筈はない。なのに、これが盲信されている。言葉狩りあたりになると、殆んど原理主義者と一緒でポリコレを唯一神と崇め奉る未開な人たちの思考と似ていると言い換える事も出来てしまう。神の言葉は一字一句、変更してはらないのであるというのが原理主義者ですが、ポリコレも同じでしょう? しかも論敵や政敵を攻撃する為に、言葉狩りを行なっているのだから、最早、それは自由主義の原理からも逸脱している。ただただ自分たちの既得権を守る為にポリコレが発せられ、それが正しい事と思われているだけで…。なので、言葉狩りをする人たちに対して「言論マフィア」という陰口が昔から存在していったのであって。このテの正義は、本当はポリコレ原理主義者なのでしょう。本人に自覚はなくとも、その思考回路や言論は、既にポリコレ原理主義で形成されてしまっている。

権利を声高に主張する人がいて、その言辞に従って、その人に気を遣わねばならないとか、配慮しなければならないという現象が起こる。これを「めんどくさくない」と言えば嘘になる。なんでもかんでも敵対的に構えられては困るのだ。例えば、これは理不尽な差別なのかどうなのかという問題が発生したとする。すると、現行のマスメディアは、その問題の専門家にコメントを求めに行くんですね。その差別問題の専門家がどういう発言をするのかは、実は予想がつく。おそらく、その専門家は「それは深刻な差別問題ですね」という方向性のコメントを出す。何故って、それが、その専門家なり、その団体の存在意義に直結し、利益に繋がっているから。

仮に私がとある社会問題の権威ある研究家であったとして、その問題が発生し、それについての見解を求められたら、「それは由々しき問題です!」と云うに決まっている。それがレゾンデートルだから。職業政治家というのも、少し似たニュアンスがあって政治家が不要になってしまうような事は言わない。職業としての政治家なのであり、生業なのだ。何をどうやっても予算が足りない予算が足りない、人員が足りないと云うに決まっている。そうして実は自己増殖をしていくものなのでしょう。

なので、

「この問題は喫緊の課題なのです。こんなに大変な問題はありません。世界が滅びます。健康に害毒しからありません。この意見に反対している人には罰則付きの法律をつくるべきです」

と言った「お手盛り」になる。予算をぶん捕って、実は、そこで小さな皇帝、小さな独裁者になれる。
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◆国体は護持されたのか?

いわゆる「御聖断」によって終戦(敗戦)を迎える。間違いなく、ここで大日本帝国憲法の時代の国体は終わっているように思えるが、玉音放送では「茲ニ國體を護持シ得テ」(ここに国体を護持し得て)とあり、実際問題として国体が終わったのか終わっていないのかが分かり難い。【国体】の意味そのものが曖昧さを残しているから、判然としない問題なのだ。

少なくとも戦前の狢寮瓩牢袷瓦暴結したと言える。政体は変更した。天皇制は存続した。差し引いたものが国体であろうか。その解釈に沿えば、おそらくは国体は不変であるとなる。孟子が流入しなかった事、天皇に姓が無いことをして、つまりは、日本では易姓革命は起こらないし、起こりようがないという話にも通じる話となってくる。

なんとなく、国体が護持されたという認識になっているが、この問題は1940年代から実は論争があったという。

吉田茂は「国体は毫も変更セラレズ」と発言したという。「毫(ごう)も」は「いささかも」と同義と解釈してよく、つまり、吉田茂は「国体はいささかも変更されていない」と発言していたの意となる。また、憲法担当の大臣であった井金森徳次郎は「天皇ヲ基本トシツツ国民ガ統合ヲシテ居ルト云フ所二根底ガアル」と定義し、「水ハ流レテモ川ハ流レナイ」ものと国体に問われて答弁したという。

それに対して、美濃部達吉、宮沢俊義らは新憲法によって主権者が明白に変更されたことを以って、国体は変更されたという論陣を張ったという。勿論、この新憲法とは日本国憲法の事であり、そこでは国民主権が謳われている事になる。主権者が変更されているのに国体が護持されたというのも、奇妙な話になるが、これが日本の国体の煩わしさであり、こうした批判に対しては旧憲法も新憲法も、つまり、「今も昔も君民共治」と強弁する事も可能だし、「そもそも我が国の国体とは水は流れても川は流れない」と説明する事で、実は、なんとなく、国体は護持されたのだと考えられる。

しかし、「では、ホントに主権者は国民になったのか?」という問題が残ってしまう。これに疑念を抱かない事が、安寧に生活するコツでもあるのですが、同時に、ここに気付いてしまった人たちが後述する三島由紀夫、或いは東アジア反日武装戦線を生み出してしまったのではないかと、『国体論〜菊と星条旗』は紡いでいる。或る意味では、正真正銘、日本の保守思想を掘り下げた話でもある。


その前に、改めて、その主権者問答の曖昧さを切り込んでおく必要がある。戦時下に弾圧された大本教の二代目教祖であった出口王仁三郎は、「マッカーサーはへそだ。朕の上にある」というジョークを飛ばしていたという。これは見事なジョークであり、【朕】(ちん)とは皇帝が使用する「自称」であるが、俗世間でいう「チン」とは男根を指している。「マッカーサーはヘソだ。朕の上にある」とは、実は全てを言い得てしまっていた可能性があるのだ。勿論、「男根の上に臍がある」という話を「天皇の上にマッカーサーがある」をダブらせたジョークなのだ。

マッカーサーの元には日本人から50万通以上の手紙が寄せられたという。どのような内容の手紙がマッカーサーに寄せられていのかというと、次のような内容のものが多かったらしい。

「昔は私たちは、朝な夕なに天皇陛下の御真影を神様のようにあがめ奉ったものですが、今はマッカーサー元帥のお姿に向かってそう致して居ります」

複雑な感慨を抱くかも知れませんが、これ、実は、そんなに飛躍がある話ではないんですよね。先の戦争というのは、殆んど集団狂気みたいな側面もあり、非常に抑圧的な空気の中で行われた。だから多くの者が敗戦を終戦と解し、勿論、敗戦は屈辱的でもあるが、終戦によって解放されたという気分が大きかったのが実相でもある。そこに現れて、国体を護持し、旧体制を壊して新体制にしたマッカサーは「青い目の大君」のように感じた日本人は、少なくなかった事を意味している。ホントは多くの戦後の日本人は「あの戦争に負けてよかった」と感じていたのが実相だし、『昭和天皇伝』にも昭和天皇自身が、同様の発言を内々にしていた事が記されていたと思う。

と、ここで終われば、話は簡単なのですが、そうではない。「マッカーサーはヘソだ。朕の上にある」という問題が出て来てしまうのだ。大日本帝国憲法の時から、既に天皇を含めた国体論には曖昧さがあった。そして戦後になったら、マッカーサーも天皇を道具として利用する事が賢明であると気付いてしまったから、そのまま、国体が「菊」から「星条旗」に中心を変えて存続しているだけなのではないかと見る事が出来てしまうというのが同著の主旨である。

1951年にマッカサーが最高司令官を解任され、本国に帰還される際、マッカーサー神社の建立計画が浮上したという。その発起人には秩父宮夫妻、田中耕太郎(最高裁判官)、金森徳次郎(国立国会図書館館長)、本田親男(毎日新聞社社長)、長谷部忠(朝日新聞社社長)らが名前を連ねたが実現されなかった。しかし、マッカーサーを戦後の日本が或る種の神として崇めていた心情は、この一件からも見透けてしまう。これが戦後日本の正体?


◆擬制デモクラシー?

ポツダム宣言を受諾し、マッカーサーから突き付けられた要求に応える為に日本国憲法はマッカーサー三原則に従って作られたものである。これは、NHKあたりもドキュメント番組を制作していたし、巷間でも相応に広く知られている通りであり、「日本国憲法は押し付けられた憲法である」といった改憲論がある訳ですね。マッカーサー三原則とは「天皇を元首とする」、「戦争放棄」、「封建制度の廃止」であった。これが日本国憲法の真実でもある。天皇が引き続き国家元首なのだから、これは国体は護持されたとも言えるが、主権者は国民であるとされた。で、後々まで問題視されることになったのは戦争放棄であり、この日本国憲法によって戦後日本は交戦権を持たない国となった。

NHK製作の「映像の世紀」第11集でも、丁度、映像を確認できましたが、1951年にサンフランシスコ講和条約(対日講和条約)の動静があった訳ですね。敗戦日本が、どのような講和でスタートするかの大きな分岐点であり、確かにソ連、中国を含めた全面講和を訴えるデモ行進の映像を確認できる。自由守自陣営との単独講和か、或いは全面講和かで論争が起こったが、日本政府はアメリカが提案した案を受け入れた。1951年9月8日、吉田茂が署名に応じている映像が「映像の世紀」にありましたが、このサンフランシスコ講和条約と同時に日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約)にサインをしている。それが旧条約であり、1960年1月19日に旧条約を改定して新条約としての日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)とがあった。

交戦権を持たない事、交戦権を持つなと言われても、それでは現実的ではない。だからアメリカ軍が引き続き、日本に駐留する事としますというのが、この一連であり、つまり、外交としてはサンフランシスコ講和条約と日米安保とはワンセットとしてスタートしている。1960年、いわゆる60年安保を前にして、この問題が再び再燃した。

石橋湛山は岸信介の前の首相であるが

「アメリカのいうことをハイハイきいていることは、日米両国のためによくない」、「米国と提携するが、向米一辺倒になることはできない」

と1956年12月の記者会見で述べ、後任となる岸信介政権、それを継承した池田隼人政権を批判していた。また、安保反対運動は群衆にも広がった。岸信介は

「占領の延長であるような不平等条約を私は対等なものとしようとしているのに、彼らはそれを理解しようともしない」

と嘆いた。

戦前の天皇主権が、戦後は国民主権へと移ったのはホントだろうかという問題が、ここで展開される。そうなのであれば救われる事にもなりますが、実相からすると、そうとも考えにくいという意見が登場してしまった。少なくとも、進駐軍による実質的な統治を受けていた期間があり、その期間の実質的な主権者は進駐軍であった事になる。しかも、進駐軍の意向に沿って戦後日本が外交と安全保障を預ける形でスタートを切っている。吉田茂は「国体は毫も変更されていない」といい、岸信介以降の親米保守派の政治家はアングロサクソン追従論を正しい選択であったと既定してしまう事で、スタートを切ったのが戦後日本の真の姿である事が確認できる。

引用します。

六〇年安保は言論界の世代交代を引き起こした。象徴的な名前を挙げるならば、それは丸山眞男から吉本隆明へとうかたちでの交代であった。この交代は、戦後啓蒙を担ってきた世代、すなわち戦前期にすでに十分に精神的知的成熟を果たしていた世代に挑戦するかたちで、戦中期を精神形成期として過ごさざるを得なかった世代が論壇の中心的な役割を果たすようになってきたことを意味した。

前者の世代にとっては、戦後民主主義は、それが「与えられた」性格を持つものだとしても、戦後日本の基盤として機能させるべき何者かであった。〜略〜それに対して、後者の世代にとって、青少年時代の日本は軍国主義一色に染あげられていたために、およそ実感しがたいものであった。

丸山眞男によって、戦後民主主義はたとえ「虚妄」であっても「賭ける」に値する対象であったのに対し、吉本隆明によって、それは唾棄すべき「擬制」に過ぎなかった。


吉本隆明を目安にして擬制デモクラシー論が展開される事になりますが、吉本隆明の発言をスクラップブックのように提示すると、実は分かり易いかも。

「疑似市民が安保闘争のなかにつき動かされて出てくることに、必ずしもいい徴候を感じないんですよ。そういう団地族やアパート族が家族の幸福を絶対的に追求する。天下がどうひっくり返ってもいい。おれに関係なければいいというところで追求するというほうがいいとうのがぼくの考え方なんです。」

「安保闘争というものに参加しないで、家庭の幸福を追求していて、しかし全学連主流派のラジカルな行動を直接的に支持するという声なき声があったと思うんですよ。」(上記の二件の吉本隆明の言葉は『藤田省三対話集成機戮ら引用されている。)

この吉本隆明の思想を分析して著者・白井聡は次のように述べている。

天下がどうひっくり返ってもいい。おれに関係なければいい」と考える人々が安保闘争において取り得る行動があるとすれば、それが全学連主流派のそれであるはずだ、と吉本は主張している。

ああ、吉本隆明は難解だと感じた事がありますが、この部分は分かり易いかも。「天下がどう引っくり返ってもいい。オレに関係なければいい」という考え方は、まさに、戦後日本を覆いつくしてしまった価値観そのものでもある。政治的無関心、断絶、公なるものに対してのニヒリズム。(現在ともなると、これではなく、若年層に保守化が起こっており、おそらく洗脳的な次元に突入していると思う。)

或る意味では、それしか選択肢が無かったというのが本意であるが、これが米国追従を既定してしまった始まりであったという観点ですね。或る意味では、日本は米国の衛星国のような役割を1990年代まで果たし、東西冷戦が終結すると安全保障条約に限らず、地政学的な自由主義陣営という括りの意義も薄れてしまい、その挙げ句に今日の日米関係がある。
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白井聡著『国体論〜菊と星条旗』(集英社新書)は「国体とは何か?」という問題を、かなりクリアに説明できてしまっている。おそらく、これ以上のレベルで、この問題を語れる事はないと思う。

総ざらい的な内容にも触れながらになりますが、先ず、【国家】とは何かといえば、必ず引用されるのはマックス・ウェーバーの定義であり、それは「一定の領土を前提にし、その領土を武力を有して排他的な対応することができる共同体」といった具合に説明される訳ですね。重要なのは、実質的な武力、暴力を行使して排他的な対応が可能であるという事で、或る意味では、それは軍事権や警察権と関係している。実は、軍事権にしても警察権にしても、何故、成立するのかというと、それが実質的な暴力装置として機能するから成立している訳です。

◆暴力の独占

しかし、何が決定的に違うのかというと、明治以降になると「暴力の独占」に成功している。

戊辰戦争とは、幕府軍と諸藩軍との戦争であった。戊辰戦争に先駆けて諸藩からなる成る倒幕派は「王政復古」という掛け声の元、朝廷を担ぎ出して天皇制再編もしくは朝廷の大幅な改革を行なった。これは謂わばクーデターであり、幕府、摂政、関白を廃した。これによって新政府が樹立した。幕府が配されたのだから、幕府は旧幕府という名称になってしまうのの、それは、明治新政府軍を正規軍とする歴史観であり、確かに1867年12月9日の出来事は、そういう事なのだ。幕府を廃されてしまった形の幕府軍は京都へ進撃し、年明けて1868年1月3日に鳥羽・伏見の戦いとなる。ここからが、戊辰戦争ですね。以降、官軍と賊軍のような呼称が定着してゆき、明治新政府が起こる。

その後に起こった事は何かと猖塾呂瞭叛雖瓩起こった。廃藩置県と廃刀令、秩禄処分、更には暴力を独占する為に、武士階級を廃止した。何故、そんな事をしたのかといえば、暴力を独占する為である。そうすれば、そのまま、租税として中央集権体制をつくってゆけるという事に気付いてしまったのが近代なのだ。いやいや、時代が進むと国民皆兵、つまり徴兵制という非常に便利な権限も明治政府は手に入れている。まさしく、ここで起こった事は「暴力の独占」だったと言える。士族らが反乱を起こすが、それらの鎮圧には徴兵した兵士を当てることができた。最後の最後に最大の士族反乱である1877年の西南戦争をも制して、明治新政府は暴力の独占を完成させる。

1881年に明治政府は10年後の国会開設と憲法制定を打ち出す。これは自由民権運動に応じたものであった。

1889年2月11日、大日本帝国憲法が発布される。

1890年11月29日、大日本帝国憲法が施行され、それに伴って同日、帝国議会が開設される。

このプロセスが何を意味しているのかというと、つまり、大日本帝国憲法とは欽定憲法であり、この欽定憲法とは民定憲法ではない性格の憲法、つまり、民主的な手続きでつくられた憲法ではなく、君主の意志によって国民に与えられた憲法であるという意味合いで始まっている。しかし、実状を考慮して欲しい。この場合の君主は天皇という事になるが、おそらくは、天皇の名の下にある新政府が憲法をつくったのが実際であり、伊藤博文、井上毅(いのうえ・こわし)らがプロイセン憲法を参考にして起草したものである。

この憲法が終戦、もしくは現在の日本憲法が制定される昭和22年まで続く訳です。


◆神聖皇帝か立憲君主か

ここまでの流れでも、既に犢饌劉瓩箸い説明の難しいもののは薄っすらと浮かび上がっている事に気付かされるでしょう。既に、この段階までに明治新政府は、王政復古の天皇親政は取り下げ、近代国家となるべく、憲法と議会による政治体制をスタートさせている。しかし、もう、ここで、大きな問題が発生している。この憲法では、大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(第1章第1条)、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」(第1章第4条)とも記しており、つまり、堂々と天皇主権とした。

既に、間違いはスタートしており、立憲君主制を模しながらも、統帥権を始めとして多くの天皇大権を与えていた。つまり、天皇の権力を憲法で制限できなず、その一方では官僚機構が天皇の裁可を得て、色々な決まり事をつくれるという奇妙な体制をつくり上げてしまった。(後に天皇機関説と天皇主権説の対立の火種が既にある。)

何故、このような事態が起こったのかといえば、自明であり、つまり、顕教と密教、玉の論理であり、天皇の側に在るパワーエリートたちは天皇の意向を自在に操る一方で、そうではない人々に対しては「万世一系」や「天皇の赤子」といった絶対的存在としての天皇観を喧伝した為である。

この問題が、まさしく、天皇は神聖皇帝か、立憲君主かという問題になる。天皇機関説が斥けられてしまったように、時代は天皇主権説、つまり、神聖皇帝としての現人神・天皇という選択をしてしまうという誤謬を招く。更には暴走に暴走を重ね、それでいて「御聖断」によって終戦を決するという優柔不断を許してしまった――、と。

この部分、少しだけ引用しておきます。

齟齬が生じる両義性は、明治憲法それ自体に含まれていた。戦後に、鶴見俊輔と久野収は、明治憲法レジームは、エリート向けには立憲君主制として現れ、大衆向けには神権政治体制として現れたのであり、前者は明治憲法の密教的側面、後者は顕教的側面として機能した、と論じた。そして、昭和の軍国主義ファシズム体制の出現とは、神権政治体制の側面が立憲君主制の側面を呑み込んでしまった事態であった。


こりゃ、ぐうの音も出ない。しかもダメを押す。

伊藤博文が大日本帝国憲法の起草に携わっていた張本人である訳ですが、その張本人たる伊藤博文は『憲法義解』という憲法の意義を解き明かした文章を残しており、そこには、

憲法を親裁して以て君民倶(とも)に守るの大典とし、

と記されているという。つまり、「君と民、共に守る大典」と解説しているのだ。しかし、実際に何が起こったのかというと、どっぷりと現人神化した神聖視する天皇像が国家を覆いつくし、エリートたちも天皇大権や統帥権という非現実的な解釈に都合よく縛られてみせるという、とんでもない無責任体制を、生み出したという事になる。

『憲法義解』の一節には続けて、

憲法の条規に依り之を行ふは主権の用なり。体有りて用無ければ之を専制に失ふ。用有りて体なければ之を散漫に失ふ。

と記されているという。【体】は本体の「体」、【用】は作用の「用」と読むのでしょうか、つまり、本体があって作用がなければ専制となり、作用があって本体がなければ散漫となってしまうと、大日本帝国憲法の解説をしていた。私の理解が間違っている可能性もあるので、第4条、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」に対しての同著の解説を引用します。

「統治権の総攬」という概念は、素人目には「天皇自らが絶対的統治権を行使する」ことを指すかのように映るが、法学的常識によれば、その意味するところは正反対である。すなわち、「統治する」のではなく「統治権を総攬をする」が含意するのは、統治する行為を具体的な次元で決定し担うのは天皇の輔弼者であり、元首たる天皇はこれを裁可するという形式的な行為をするにすぎない、ということだ。

この第4条では「統治する」のではなく「統治権を総攬する」と、実は書いている。また、その一方で、第1条では「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」と掲げているのだから、最初から両義性を持った曖昧なもので、それがバランスしなければならなかったが、立憲君主制は機能せず、現人神を頂く神国日本、そうした前近代的な解釈で暴走していったとも言える。

また、【天皇制】という言葉そのものが戦後の共産主義陣営が作り出した言葉だと批判し、断固として拒絶する保守ぶりっこ陣営が現在も大手を振っている中、既に、この話は「天皇制ファシズム」を堂々と規定し、しかも、その原因にも迫る分析が為されてしまっている。つまり、立憲君主制であっても、本来であれば憲法が天皇専制を縛らなければ意味を為さないが、いつの間にか立憲君主制と言いながらも神聖皇帝(いやいや、ホントは現人神にしてしまっていたかもしれない)にしてしまっていた可能性が高い。高いというか、おそらく、コレだ。国体明徴運動の不自然さなどを考慮しても、これでしょう。

テレビの解説では中国や北朝鮮の政治体制の説明として「政府の上に党がある」のように池上彰さんあたりも説明している。しかし、事情は似ていて、この欽定憲法、大日本帝国憲法の場合、憲法はあるが憲法の上に天皇があるという天皇主権説になってしまった。本来、立憲君主制とするなら天皇大権に対しても何かしらの制約を定めるべきだったのに、天皇大権によって憲法をも超えて天皇を置いてしまっていた状態であったという。しかし、実状としては天皇が独裁できる筈もなく、天皇の周辺にある権力者が天皇の威光を語って物事を決定していた――と。


この過程で出来上がってしまったのが説明の難しい国体であり、ここまでは戦前の国体、それも初期段階ですが、この国体の話は戦後にも影響を与え続けたと著者は述べている。
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凡そ、【国体】の問題には言及したつもりだったのですが、政治学者にして石橋湛山賞の受賞歴を持つ白井聡著『国体論〜菊と星条旗』(集英社新書)を読み進めていて、色々と考えさせられてしまった箇所がありました。似たような事を考えてきたつもりなのですが、細部ではきっと異なるだろうし、ベースにしているものが少し違うのかな。しかし、それが言わんとしている事は、重大な問題すぎて語るのが大変な内容でもある。

先ず、国体は護持された。先の大戦の敗戦によって国体はなくなったじゃないか、つまり、戦後の日本には国体はないという考え方が一般的であったが、いつの間にやら国体護持勢力が息を吹き返して権勢を握っているという考え方ですね。いやいや、そればかりか、国体は戦前には天皇を、そして戦後になるとアメリカへとスライドしているという話を徹底的に展開させている。


◆永続敗戦レジーム

【永続敗戦レジーム】とは著者が造った言葉であると思われるが、つまりは、これが日本の戦後レジームであるとする。

想起されるべきは、象徴天皇制を含む戦後レジームの総体が、そもそもアメリカの戦後対日抗争によってその基礎が設計された、という歴史的事実である。

天皇制の存続とともに戦力保持の否定を規定する戦後憲法が、アメリカの構想した対日政策においてワンセットであったことは数々の歴史研究が示しているが、象徴天皇もまた、戦争が終結するはるか前にアメリカ政府内で構想され始めたものだった。

後に知日派の大物として駐日米大使も務めることとなるエドウィン・ライシャワーが、「われわれの目的に最も適った、(日本人に対し)大変な権威を持つ傀儡」として天皇を戦後日本の復興と西側陣営への組み入れに役立つものと名指ししたのは一九四二年九月のことであったが、実際にこうした指針に沿って戦後日本の設計はなされてゆく。

ダグラス・マッカーサーが強く自覚していたように、アメリカの構想した戦後日本の民主化とは、天皇制という器から軍国主義を抜き去り、それに代えて「平和と民主主義」という中身を注入することであった。


これは色々と検証されていますかね…。終戦前の段階で、米国は先を読んで戦略をしていたのであり、天皇制の護持、国体護持は戦後処理に有利だったからそうしただけだという言説は聞き飽きるほど示されてきた。元より、天皇制というシステムは、そういう性質を内包している。ここを、よりドライに表現すると「対米従属構造下の天皇の権威」という問題になる。対米従属構造下に国体が護持され、そこで平和、民主主義、繁栄というものがセットにされていた。

日本人は【終戦】という表現を使用しますが、それが意味しているところは【敗戦】である。しかし、それは世界秩序にとっては何であったかというと、日本の敗戦とほぼ同時に米ソ対立構造が始まり、東西冷戦構造に突入してゆく。ホントは日本の降伏以前にヤルタ会談(ヤルタ秘密協定)があり、既に第二次大戦後の国際秩序は「ヤルタ体制」とも呼ばれている通りなのだ。アメリカが日本に期待した役割は東西冷戦の防波堤とか軍事拠点であり、その後の朝鮮戦争を眺めれば、ヤルタ秘密協定から原子爆弾投下、ソ連参戦までもがセットであった事に気付く筈で、その後、米ソ対立が朝鮮戦争であるという箇所は検証するまでもない。これが戦後日本であり、平和、民主主義、繁栄などは、大きな枠組みで眺めてしまうと、まさしく束の間の幸福だった訳ですね。

打倒ヤルタ体制は、一部では展開されてきた話であろうと思いますが、多くの日本人はそんな事には無関心であり、戦後日本の歩みを体験してきた訳ですね。アメリカの庇護の下で平和を実現し、更には朝鮮戦争などの特需にも浴し、戦後の日本は経済大国への道を歩んだ。しかし、東西冷戦が終わってみると、地政学的なバランスが崩れる。それまでは西側諸国の一員として、それこそアングロサクソン追従をしてさえいれば、それで万事巧くいっていたが、G20前に騒動になったように日米安保そのものが片務性を疑われるような、それになってしまった。しかし、思えば、その憲法を押し付けたのもアメリカであったのだ。どのように足掻いても、米国に追従せざるを得ない状況ですが、これを【永続敗戦レジーム】と呼んでいるらしい。

多くの日本人には、その自覚は無いでしょう。しかし、バブル崩壊、東西冷戦が終結した丁度、昭和の終わりから平成の始まりに係る頃から、日本は「失われた30年」という時代に突入している。これを偶々、バブルに躓いたと考えたり、語られたりしているのですが、日米構造協議が開始されたのも昭和天皇が崩御した1989年(昭和64年にして平成元年)であるという不可解な一致がある。この日米構造協議は後に、日米包括経済協議、更には年次改革要望書、或いはアーミテージ=ナイ・レポート等と姿や名称を変えながら、日本の構造の変革を主導してきている事実がある訳ですね。その多くは新自由主義的な政策の採用を強いるようなものであり、どういう訳か日本の政府は、その要望通りに動いているという残念な事実がある。

これを同著は、アメリカの対日姿勢が「庇護」から「収奪」へと展開したという事であると解説している。これは分かり易い物言い過ぎて、ドキリとしますが、よぉぉく考えてみれば、戦後の昭和期の日本は、アメリカの世界戦略上、欠かす事のできない極東の軍事拠点であったが、それは当時が東西冷戦状態であったからであり、東西冷戦構造が崩壊したら、アメリカにとっての対日スタンスは当たり前に変化するものであったのだ。

もう一度、確認すると、昭和天皇崩御、ベルリンの壁崩壊は1989年であり、日米構造協議が始まった時期とダブっている。1991年にソ連が崩壊し、日本でもバブル崩壊、そして湾岸戦争が起こっている。

よくよく捉え直してみると、この著書が指摘している事柄は奇をてらっているのではなく、当たり前の事を指摘している可能性が高い。アメリカによる日本の収奪について、私になりに補足すると、以下のような感じ。

1988年に包括通商・競争力法が成立。それに1989年5月にスーパー301条を日本に適用した事に始まっている。このスーパー301条、合意できなかった場合には報復措置を発動できるという現在のトランプ政権にも似た恫喝的な貿易交渉であった。

1989年、二国間協議の場として「日米構造協議」が始まり、逆進性の消費税導入、同時に物品税が廃止された。ここからアメリカは日本に「年次改革要望書」を出すようになり、当初は貿易に関してのアメリカ有利な要求であったが、やがて日本政府はというと殆んど拒むこともなく、アメリカに有利になるように規制緩和や構造改革を行なってきている。

1997年には独禁法改正をして持ち株会社を解禁。企業間の持ち合いが悪弊と見なされる事態へ。

1998年には大店法廃止。これによって大規模店舗の出店が自由化され、商店街壊滅へ。

1999年には人材派遣業自由化、郵政民営化、司法制度改革。司法制度改革は兎も角として人材派遣に係る問題が噴出する以降へ。働いている人よりも、株主や資本家が有利な社会構造に作り替えられてしまったという考え方ができてしまう訳ですね。これを「収奪」と見ることが出来るのかも知れない。

ただただ、そういう流れになったが、我々、一般的な日本人が「年次改革要望書」の実在を知ったのは2004年以降の事であり、この要望書が廃止になったのは2009年である。しかし、その後も、先述したようにアーミテージ=ナイ・レポートの通りに日本の政治が動いているという不都合な事実がある。

これを「永続敗戦レジーム」と呼んでいるよう。しかも厄介なことに、親米保守の中にはこれを敏感に読み取って、まるで日本を叩き売るかのような政策をチョイスし出しているかのように見えたりする。

しかも、これ、政官財マといった勝ち組は、暗黙裡に理解できているのではないか。例えば「年金二千万円問題」にしても「日米安保にトランプが不満」にしても、どちらも官邸は「そのような事実はない」と打ち消したが、そんな見え透いた打ち消しは馬鹿馬鹿しい話なのだ。事実を事実として直視しないよう、有権者の目を逸らす政権運営になってしまっている。



◆動的象徴論

こちらの【動的象徴論】は初耳でしたが、現在の上皇が体現し、到達した天皇観の解説だとすると、なるほどなぁ…と思う話でした。

先述すると昭和天皇の戦後は、私は松本健一を踏襲して無為自然という象徴天皇像を築いたと思う。「あ、そう」という、あの口癖にも表れており、あまり、物事に深く突っ込まない態度を貫徹されていたし、政治的発言は極力控えていたものと思う。

さて、平成になってからの天皇はというと、昭和天皇を踏襲した部分もあったのでしょうけど、少し違いを感じ取っていたのが正直なところでしょうか。そう、平成時代の天皇は、一口で言ってしまうと「動く象徴天皇」だったのだ。雲仙普賢岳の噴火に伴う被災者の御見舞いに出向いたのを皮切りにして、大規模災害があれば御見舞いをし、また、先の大戦の戦没者の慰霊にも熱心であった。果たして天皇が膝を折って御見舞いする必要性があるのだろうかと思ったりもしたものでしたが、おそらく40歳以下の人たちにとっての象徴天皇像とは、この平成スタイルであり、実際にあれこれと各地に動く、動的象徴天皇だったのでしょう。

(現在の安倍総理も世界各地へ飛び回る事で評価を得ていますが、それこそヨハネ・パウロ2世あたりにしても、その活動を総括したとき「動くこと」が特徴づけて語られた訳ですよね。)

で、退位・譲位の話の説明がつく。高齢になったとしても皇室典範上では摂政を置くという事もできるのだから何も、高齢を理由に退位・譲位する事は無いのではないかと考えた。私もその一翼であったと思うし、文藝春秋の記事を参考にしても、実際に退位・譲位の話が持ち出された当初、美智子様も何も退位することはないという論旨で実に5〜6時間もかけて説得に当たられたらしい記事を記憶している。つまり、誰もが退位・譲位を思いとどまらせようとした。しかし、それを現在の上皇は押し切ってまで退位・譲位を決意したのだ。それが意味するものこそ、名づけるところの【動的象徴】論であったとなる。摂政を置いてまで天皇で在り続ければいいというが、そうした意見に対して「それは違う」と上皇(平成天皇)が主張していたの意であり、その考えがよく表出していたと考えられる。つまりは、上皇が導いた象徴天皇像とは、ただただ存在しているだけの象徴ではなく、実際に動く象徴としての天皇であるべきだというものではなかったのか――と。それが高齢によって困難になってきたから、退位・譲位に強くこだわられたのだと解釈している。

しかし、ここでも、我々は不可解な光景を目にした訳ですね。思いの外、退位、譲位に反対したのは、安倍政権の支持層である日本会議的な保守イデオロギーの人たちであった、という不可解を。

同著を読んでいて思い出しましたが、退位の意向を語る例のビデオメッセージが出た後、首相官邸は宮内庁に報復人事を行なっている。自分でブログに記していたのですが、風岡宮内庁長官、また、実際にNHKとの橋渡し役をしていた西ヶ廣(にしがひろ)宮内主管も通常の任期を切り上げての役職交代になった。そして、官邸が宮内庁に送り込んだのは、総理の側近とも言われた警察官僚出身の西村康彦氏を宮内庁次長にしていた、と。
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【国体】とは何であるかというと、おそらくは国家体制の意で使用されているケースが多い事が確認できる。「国の体裁」とか「国の体面」を表しており、共和制なのか、君主制なのか、或いは立憲君主制なのか等々の解説を明鏡国語辞典で見つける事ができる。

日本に於ける国体問題は非常に曖昧であり、国体明徴運動あたりから奇妙な暴走のようなものを確認できると思う。つまり、万世一系の天皇が当地する神の国であり、国民はすべからく臣民にして、天皇の赤子であるかのように国内的に説明する、その国家の体裁で貫徹してしまったかのように見える。昭和天皇自身も一個人の認識としては「天皇機関説なのではないか?」と洩らしていたが、何故か当時の大日本帝国では天皇機関説を斥けてしまったのだ。改めて、天皇機関説に対置する形で、その国体を定義していたのかというと「一大家族国家」という規定であり、国民は臣民であり、天皇の赤子であるという、その定義をホントにやってしまっていたの戦前である。この国体明徴運動は満州事変を契機にして沸き起こっており、1935〜1937年頃にやってしまった。

「天皇は機関という事になります」という学説に対して、「怖れ多くも天皇陛下を機関に例えるとは何事か」となってしまい、結果として当時の日本、大日本帝国という事になりますが、そこでは「万世一系の皇国史観に託けて、国民は天皇の赤子である」という自国の国体もしくは国家体制についての定義をしてしまった。おそらく、これをやってしまっている時点で、狂信的な総力戦体制(国家総動員法)の布石になっていたようにも思える。

この【総力戦】という概念は意外と見落とされている気もする。これは第一次大戦の頃に浮上した近代戦争に独特のものであり、つまり、国家と国家とが戦争するのだから、国民は老人から婦女子まで戦争に動員する事を可能にしており、その為であれば経済、文化、思想、宣伝も為政者層が自在に操る事を正当化してしまった分岐点なんですね。領主と領民とがあって、その領民が御領主様の為に戦うというのではなく、強大なリヴァイアサンを生み出してしまい、このリヴァイアサンは自ずと国家に絶大な権限と強制力(おそらく、警察権と軍事権)を与えてしまった事で、済し崩し的に総力戦が許容される事になり、世界各国が戦争に邁進していってしまった大きな分岐点であったりする。

この辺り、実は特高警察の問題を考えている際、気付いてしまった部分でもある。どのように、やり逃げした人たちが振る舞っていたのかというと、「国体護持が最優先であり、社会秩序は二の次」という具合に考えているのが嫌が応にも目についてしまうのだ。社会秩序よりも国体が大事であるという指揮系統で動いていた警察機構とは、即ち、国民にとっての治安維持装置なのではなく、国体護持勢力にとっての治安維持装置なのだ。警察国家という言葉がありますが、日本の場合は、何やら前近代的なものを引き摺ったままに、警察国家になってしまったと考えるべきなのかも知れない。

(【警察国家】とは、国家が後見的監護として国民の個人生活に過度に干渉し、結局は官憲的権威を振りかざすようになった国家を現代は指す。元々は絶対君主制の時代に登場したもので、やはり、福祉を実現する為にという名目で登場した国家論である。明らかに現在の「働かせ方改革」&執拗なマイナンバー制猛プッシュ、電子マネー奨励に動いている政府を見る限り、絶賛、復活中だと思う。)

戦後の極左勢力が、どこまで見通していたのかは分からない。おそらく「顕教と密教」の話について保阪正康氏や田原総一朗氏が「中々、理解できなかった」と吐露している通りで、皇統派の観念的右翼思想と、本丸に存在していて命令系統を牛耳っていた国体護持思想との区別がついていなかった事が想像できる。だから、おそらく見通せていたようではないなと思う。おそらく戦後の左翼思想は眼前の敵である右翼勢力を敵視し、また右翼勢力は相変わらず左翼勢力を敵視する事で、その本分とした。国体が護持された事で、戦前も戦後も、さほど支配者層の入れ替えが起こっていないのは、この為だと考えられる。

しかし、この国体としての皇国史観は戦後、どうなったであろう。人間宣言をしたのだから、或る意味では、その天皇制は終わったと考える吉本隆明のような考え方も成立するだろうし、同時に、いやいやいや、ホントは戦後の日本でも結局は国体護持勢力が、担ぐ御輿をアメリカや資本主義といったものに変えて居残っているじゃないかという考え方も成立すると思う。


未だに皇国史観に基づいての或る種の幻想が日本人の中に残っている可能性は犧澆覘瓩隼廚Αしかも、これ、中々に、奇妙な形で沸き起こっている。現在、週刊新潮あたりになると、妙に秋篠宮家に対しての批判的な記事が多く掲載されるようになっている。真子様の婚約問題、それに係っての発言が批判され、私が思うに「この人が批判されるなんて事が有り得るのか?」と考える紀子様に対しての批判的な記事も増えたと感じている。正直、何が起こっているのか分からないんですが、何か平成から令和への改元に係る、つまり、天皇の代替わりによって何かがシフトしたように直感的に感じている。

いや、ホントに変なんです。「紀子様の実父がパチンコに興じてばかりいる」というレベルの、殆んどネガキャンだろうという記事までもが掲載されるようになっており、実は違和感が凄い。想像するに、それら記事は、或る種の筋からのリークによって記事が形成されているのだと思いますが、こういうのも国体護持勢力による囲い込みが健在である証拠なんだろうかと勘繰らざるを得ない。思えば秋篠宮が「大嘗祭は内廷費で」という御発言にしても、内閣官房と対立しており、実際に秋篠宮に対しての風当たりが強くなっているようにも思える。やはり、天皇を利用したい勢力というのが、この国には実在しているとしか言いようがない。仮に天皇を崇敬している人があるなら、天皇を政治的に利用する得たいの知れぬものに警戒心を向けるべきではないのかなって思う。

スマホを向けて皇族方を迎える国民、そして熱狂。「これでいいのだろうか?」と思う人は、良識を有していると思う。しかし、杞憂を抱くこともなく、ただただ、天皇と天皇に熱狂する国民の図を微笑ましい光景として報じるマスコミがある。いやぁ、スマホで歓待する風景などって、ベッカム様、レオ様、ペ・ヨンジュン様などと靡いてきたミーハーな人気と、どこか違いを指摘できるのかと考えると、不安になる。勿論、「天皇の赤子」を信じている者は殆んど居ないと思いますが、結局は国体護持思想の人たちの宣伝道具にされていやしないだろか。

察するに上皇の時代、或いは秋篠宮は政治と距離を取る天皇像を模索していたと思われるのに、どうも天皇を政治的に利用したいという国体護持勢力が、令和という今の御時世にうごめいてしまっているように見える。

正義というものを絶対的に立脚させる事は難しい訳ですね。他者にも正義があるから。しかし、国体護持を最優先とする法治主義者の人たちは、「国家的正義を第一義とし、社会的正義は之に従属するものとする」という考え方をしている。これが、日本の暗部でしょうねぇ。ズルをしても「自分は国家的正義の為に汚れ役としてズルをしているだけなのだからズルをしても許される」という体質をつくってしまっている可能性がある。時折、びっくりするぐらいの無責任が露見するのは、これが原因ではないのか。

思えば保守思想とは、「郷土を守る」、「自分たちが帰属している帰属集団を守る」という思想からスタートしている。しかし、いつの間にやら、天皇に託けて、その既得権益層の、既得権の護持の問題にすり替えられてしまうのが現実的な政治なのでしょう。
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既に、世の中、カオスじゃないのかって気がしている人は、ホントは潜在的には多いんじゃないのかなって気がしてきている。積極的にはではなく、消極的にですよ。

しかし、なんというべきかな、例えば深夜2時とか3時に戸外で物音がしていたとして、その物音がする理由を自分で確認しているかという問題があると思う。空き巣かも知れないし、不審者かも知れない。何やら戸外が物音がしていて、人の気配がする。まさか、これだけで110番通報する訳にも行かないのでしょうから、一応は物音の正体を確認しなきゃならない。

これ、現代人はどう対応しているんだろうって思うんですね。どこかの窓を開けて、こっそりと様子を見るのか、それとも懐中電灯を持ち出して寝間着の上に外套を羽織って実際に物音のした現場を見に行くのか? 

私の場合、確認しない方が怖いじゃないかと考える型の人間なんですね。怖いのは、不審人物、つまり、人間なんですよね。古典的なところから言えば、空き巣かも知れないし、放火魔かも知れないし、単なる酔っ払いかも知れないし、精神を病んだ何者かも知れないし、無道徳な若者が何かしらイタズラをしているのかも知れないし、或いは認知症の老人が迷い込んでしまっているのかも知れないし、何やら凶暴な犯罪集団一味が何かを盗もうとしているのかも知れない。確認しないで、また、寝てしまう事の方が怖いような気がする。

では、確認しようと思うが、これがホントに怖い。相手は正体不明なのだ。鉢合わせてしまったが最後、そのまんま襲い掛かられて殺されてしまう可能性だってある。気合を入れて、ゴルフクラブやら金属バット、木刀、或いは最悪の場合、抵抗するに充分なだけの工具などを懐に忍ばせ、万が一に備えないと、怖くて戸外へ出れない。足がすくむんですね。実際、何度か、そういう経験をしている。

自販機を置いていた関係で、昔は自販機荒らしが多かったんですね。凶暴か凶暴じゃないのか少年グループなんてのは自販機荒らしをしたりするし、一時期は韓国製の偽五百円玉なんてのが出回ったこともあったし、やはり、外国人グループが自販機をドリルなどで物理破壊して、その売上金を盗んでいったなんて時代がホントに、あったんですね。見回らざるを得ないが、それでいて鉢合わせるのも怖いというのは、ホントは生々しい話でもあったんですね。

「警察に通報すべき」というのがセオリーですが、確認しない事には通報もできない。警察への通報歴が2回ぐらいあるんですが、まぁ、意外と穴があるのね。テレビ番組みたいに直ぐにサイレンを鳴らして駆け付けてくれる頼もしい存在なのだろうと思っていると大間違いな場合もある。私の場合は一回、揉めました。自販機荒らしなんて、そんなに熱心に動いちゃくれないものだったりもするのが現実でしたかね。翌日、地元の派出所のお巡りさんが「これからは巡回を強化します」と挨拶にきたから、ホントは私が憤慨した事は先方にも伝わっていて、様子をうかがいにきたのだと思う。

私の父親の時代だと、留守中に何者かが倉庫へ侵入。その室内で擦った後のマッチ棒が何本も落ちていた事があった。放火目的なのか、何か物色する為にマッチを擦ったのか謎でしたが、実際に、そういう訳の分からない事が起こったりもするのが実社会なんですね。(このときも、鍵の掛け忘れを注意をされるのが主眼で、捜査なんて真剣にしてくれなかったと思う。)

これ、ホントは一般的な一戸建ての人には起こり得る危機だと思う。何者かが真夜中に敷地内に入ってきてしまったのではないかとか、二階には誰も居ない筈なのに物音がするので見に行かねばならないとかって、怖いですよね。世田谷一家殺人事件なんてのは、それだったみたいだし、或る意味では生々しいほどに怖い話なんですね。



さて、宇宙猿人ゴリは惑星を追放された宇宙科学者である。配下にはラーがいる。

この宇宙猿人ゴリは、宇宙を旅する中で目についた地球を必ず支配すると心に決めた。それにあたって宇宙猿人ゴリは、どのような戦略を立て得るだろうか?

ナショナルジオグラフィックテレビだか、ヒストリーチャンネルだか忘れてしまいましたが、現在、こういう状況では、映画「インディペンデンス・デイ」のような状況は考えにくいという解説がなされていました。仮に宇宙から地球への攻撃があるにしても、ああした火器類、飛行する何かとかミサイルとか、そのようなものが使用される事は考えにくい。何故なら非効率的だから。高い文明を持っているエイリアンが地球を破壊しようとしたり、征服しようとする場合、そこで用いられるのは、間違いなく生物兵器だというんですね。2名ぐらいの学者が出演して、共に、そういう意見でした。生物兵器を撒き散らして、生物を絶滅させればいい、それだけ。最も経済的にして、且つ、余計な破壊もしないし、エネルギーも使用しないのだから、当然に、そうなると考えられているという。

宇宙猿人ゴリは科学者なのだから、当然、そう考えるでしょう。映画「インディペンデンス・デイ」のような大掛かりな宇宙母船や火器は必要ない。撒き散らしてしまえばいい。また、解毒剤みたいなものを用意しておけば、征服後、地球の利用方法も広がるでしょう。学術的な研究にも使えるかも知れないし、建造物などの施設を破壊することなく、生物だけ殺傷して入手した方が何かと合理的でもある。

アメリカが或る時期から中性子爆弾の開発を続けており、現在も使用可能な核兵器の開発に余念がないという。2017年になりますか、シリアではサリンが使用されたというし、日本では松本サリン事件と地下鉄サリン事件が実際に起こっている。また、無人攻撃機の軍事利用もきっと歯止めは効かないのでしょうから、ひょっとしたら、今後の世界ってのは、何でもアリ、仁義なき戦いに発展するんじゃないだろうなって思いに到る。

たぶん、常識的には「核兵器を使用できる筈がない」とか「化学兵器や生物兵器の使用は禁止されている」という風に発想するのが現代人のセオリーだと思うんですが、その発想だと、仁義なき世界大戦には勝てない、生き残れないんじゃないのかなって気がしないでもない。いや、ホントはしている。既に予兆を感じ取れる部分もあって、正義も人倫もへったくれもないって方向へ世界は傾いていると思う。実際に、広島と長崎には原爆が投下されていると捉えるのが現実であって、その後も、アメリカ国内的には「原爆投下は正義の行使であった」という世論が70年を経過しても半々ぐらいだというのだから、そもそも倫理や協定なんてものを盲信するのは危険なのだ。

いやいや、そんなのは大量破壊兵器に係る倫理の話でしかない。戦争という名の殺し合いの中で起こった悪逆非道な行為は無限に近い意味で、無数に発生していた筈なんですね。嘘、騙し討ち、拷問による事実捏造、当たり前に行なわれたであろう強姦や輪姦や集団暴行死。卑怯もへったくりもあるかいってなると思う。毒ガスや細菌兵器は使用が禁止されているのだから使用してはいけませんと掲げていたって、そんな約束事が守られるかどうかは分からない。破られない保証なんてない。非戦闘員(一般住民)に対しての殺戮や攻撃とて、正当化されていた事を考慮すれば、実際、戦争なんて状況になったら、約束事なんて守られであろうと考えるべきではないだろか。

帝国主義の原理というのは、そういう支配性のそれで、勝った者が全てを獲得するという食うか食われるかの論理によって構築されている。だからこそ、戦争などは避けるべきなんですが、そうはならず、国際情勢なんてものは日一日と軋んでいると思う。仮に、事実として協定などに反した行為があったとしても、勝者は事実を捏造できる。「そのような事実はない」と認めさえしなければ、それで済んでしまう事が、薄々、分かってきてしまったのだ。昨今のフェイクニュースに係る情報の混乱や、その上での支配を考慮すれば、どうも、そういうのも可能だろうなって気がする。

勿論、禁止されている兵器の使用が喧伝されれば、同盟関係上、孤立を招いたり、窮地に立たされる訳ですね、通常であれば。しかし、ドナルド・トランプが主張しているように「世界を支配しているのは恐怖だ」の言葉を苦虫を噛み潰しながらも、法則性は肯定しなければならない気もする。肯定して眺めれば、やはり、禁止兵器を使用する者が出て来るだろうと考えるべきではないのか? そうしないと、このまま、ずるずると脅しですべてが決することなる。いつの間にやら金正恩にしても、国家元首、政治家として認知されるようになったようにも思えるのは何故かといえば、確かに、核兵器という圧倒的な破壊力を持っている兵器が、あの地位を成立させている訳ですね。

「まさかホントに使用することはないだろう」と、まだ、我々は考える。使用したら身の破滅じゃないかと。自分が死んじゃうことになるのだから、それこそ世界が滅ぶことになるのだから核ミサイルを持っていたとしても結局は撃てないものなのさ、と。

しかし、その思考方法って間違ってませんかね? 何故、そんな事が言えるのか? 

人と人との問題に置き換えてみる。相手を殺したら自分も刑に服さねばならないから殺人は行なわない。或る意味、刑罰がある事に拠って、それが殺人の抑止力になっている。しかし、その問題は

「では、殺人したら刑罰があるのに、何故、殺人事件は無くならないのか?」

という問題に変換できてしまう。(おそらく、殺人罪は例外なく死刑にしても、殺人事件そのものはなくなりそうもない。)

殺人というのは元々は突発的な要素、つまり、激情して相手を殺害してしまうというタイプのものが或る時期まで多かったのですが、或る時期からは、そういう人間的な感情の爆発とは異なる計画的な殺人、確信犯的な殺人、或いは冷静な判断能力を喪失した者による無差別殺人、やらもある訳ですね。で、確信犯的な殺人の中には、暗殺も含まれる。

しかし、昨今の殺人事件は、激情して突発的に殺害に及んだという種類ではなく、そこそこ計画的と思われる殺人事件が増えているよなって思う。つまり、あんまり抑止力はアテにならない。刑罰を逃れちまえば、いいんだろって発想の方が強いのでしょう。事実関係について争えばいいし、なんだったら証拠を捏造するなどして抵抗する事だって可能かも知れない。

バレバレであっても、そういう抵抗の手法なども、近1〜2年で確立されてきているような気がしないもでない。プロパガンダ、プロパガンダ、プロパガンダで、押し切れてしまうであろう情報渦が、目の前に現れていますよね。情報工学といってしまうと大袈裟なのかも知れませんが、「そのような事実は確認したが無かった」と公式発表をし、同時に調査委員会を立ち上げて調査させ、時期がきたら調査委員会の報告として「やはり、そのような事実は認められなかった」と重ねて発表すれば、充分に抗える事が出来てしまう。これが分かってきてしまったところがある。

再び核抑止力の話に戻りますが、この「核抑止力」というのは一定以上の理性や倫理・道徳の下で機能する何かであり、それが軋んでいる、或いは綻んでしまえば、たちまちのうちに、何でもアリになるという事を示唆しているのではないのか? 自分が死んでも構わないし、世界なんて滅んだって構わないのであれば、余裕で、その一線を飛び越えることは出来てしまう。

鎌倉幕府の滅亡の様子などにも触れてきましたが、北条家、北条氏の最期って、一族郎党、全員で自刃とかホントにやっているんですね。その価値のあるであろう建造物にも火を放って、幼い我が子も手に掛けて、最期を遂げていたりもする。映画「続・猿の惑星」や「博士の異常な愛情」なんてものにも触れてきましたが、そのボタンを押さないという高い保証はないんですよね。

それでも「いやいや、人類はそんなに愚かではありませんよ。人類には叡智がある。私はそれを信じる」と展開することができる。しかし、現在の社会を眺めて、本気も本気で、人類に叡智や理性がある、善を信じると思えるかというと、それは無いですかねぇ。そう言ってしまったら嘘になる。現行の世界を支配しているものは、欲に目のくらんでいる人たちと、それを支配している強欲な人たちであり、この体制を可能にしているもの、支えてしまっているものは、確かに「恐怖」っぽい気がしてきた。

まさしく、恐怖の大王って事か。

「僕は人類の叡智を信じる」というセリフの方がウケがいいであろうことは、なんとなく予想がつきますが、それが、どれだけ無力で、どれだけアテにならない欺瞞であるかと思うからこそ、敢えて、今の状態に危機感を思う。これまでの歴史を考え、現実を見据えて、そう言えるかといえば、言えませんやね。

「バカは死ななきゃ治らない」と言いましたが、それと同じで、何やら、一度、滅びないと「何が愚かであるのか」にも気付けないのが、人類の正体という事のような気もするしなぁ…。
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先日、NHK特集が「731部隊の真実」を報じました。その後、アメリカ兵捕虜に対して行なわれた生体解剖事件をモチーフにした遠藤周作の「海と毒薬」にも触れました。実際にはNHK特集が既に打ち出していたのが、牴晋痢大学教授らのエリートが、このような事件に関与することになったのか?瓩箸いι分であったと思うんですね。

戦時中の事であり、そもそも拒否するという選択肢は無かったというのも一つの有力な回答ではあるのですが、問題を掘り下げてゆくと、どうも、それ以上に狄祐屬琉猫瓩鮓い出せるテーマのような気がしないでもない。

酷な見解というのを採ってしまうと、731部隊の話の場合、政治的な決着によって戦争犯罪には問われることなく、放免された。戦争裁判そのものの問題もあるので、そちらの意味に於ける「法的に裁かなかった」という問題にはタッチしません。ここでテーマとしては、飽くまで犇鉢瓩覆鵑任垢諭人の業として、どうであったか? 当然、これは誰が誰を裁ける問題ではない。しかし、倫理問題として、あるいは人道的観点というものからすると、実に大きなテーマであると思う。

何故、森村誠一を筆頭に多くの者は、731部隊に係る事柄などを【悪魔的】という風に表現してきたのか? 

思うに、やはり、その合理的思考を貫徹しているところに牋魔的瓩箸いι集修選択されているような気がするんですね。

つまり、

「ヒトというのは肺をどれぐらい切除したら死んでしまうのか分からないから、この米兵を実験台にして試してみよう。この実験台には気の毒だが、これも学術研究の為だし、御国の為だし、我々自身の為でもあるのだ。誰に我々を批判する資格があるというのだね」

的な、その非情な部分に対してでしょう。その思考方法を無意識に我々は「悪魔的だな」と表現しているのではないだろか。



で、やはり、そういう話であれば、より分かり易いのはナチスのホロコーストでしょうか。アウシュヴィッツ収容所に於ける合理的な大量殺戮システムであったよな、と。

今回はナチスドイツ下で強制収容所の被収容者となりながら生き残った心理学者の体験記、ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』池田香代子訳(みすず書房)を参考に、ナチス施政下の強制収容所の中というものが、どういう環境であったのかを、このブログなりに再現してみる。

移送列車に詰め込まれている。その移送列車が停車したのは「アウシュヴィッツ駅」であった。アウシュヴィッツ収容所というのは大規模強制収容所の名称であり、そこに収容されるのかと思ったが、アウシュヴィッツ収容所の支所とでもいうべき小規模の強制収容所こそが、実際の絶滅収容所であった。

列車が停車すると、横縞模様の囚人服に似た被収容人服を着た男たちが次に次に列車に乗り込んできたという。彼等は被収容人であるのに表情は明るく痩せ細っている訳ではない。このときに乗り込んできた連中はエリート被収容人である。彼等は、次々に到着する移送列車、その移送人たちの所持品を取り上げる係である。しかし、その事情を移送されてきた人々は知らない。乗り込んできた男たちを見て、「ああ、強制労働をさせられているのかも知れないが、明るい連中じゃないか」という楽観を抱くという。しかし、実際に起こっているのは、エリート被収容人による新入り収容人の所持品強奪であった。(牢屋に入れば看守以上に怖い牢名主の存在というのが昔から知られていますが、あの原理で管理されていたの意ですね。)金目のものがあれば、みんな、このときにエリート被収容人に取り上げられてしまう。向こうは慣れたもので、明るく出迎えたような顔をして、次から次へと所持品を奪ってゆく。そして、そうやって取り上げた所持品を収容所施設内での通貨の代わりにしたり、或いは親衛隊などに賄賂として使用していたというのが実情であるという。腐敗した刑務所の構図か。

移送列車を降りて直ぐに男性と女性とに選別させられる。中には夫婦で移送列車に乗っていた者もあったが、その男女の選別が、今生の別れになったものと思われる。以降、夫がどうしているとか妻がどうしているとか、そういう事柄は一切、寸断される。男女の選別が終わった後、整列させられる。ここで、ありとあらゆる所持品を取り上げられる。貴重品は勿論のこと、メガネやベルトなんてものまでも取り上げられ、身分証明書も取り上げられる。これにより、運ばれてきた人たちの名前は失われ、収容者番号という認識コードとなる。(多くの場合は、この収容者番号は入墨として入れられたという。)

アウシュヴィッツ駅に到着した日の夕刻、親衛隊の高級将校の前を歩かされる。その高級将校は、一列に並んで歩いてくる移送者たちを、右と左とに選別している。その選別が何を意味しているのかは分からない。強制収容所内のどこかに振り分けているようにも思える。観察していると、右側に選別されているのは1割ほどで、残りの9割は左に振り分けられている。どちらに振り分けれるのが幸運なのか判然としないが、右に降り分けられた。その晩、その選別の意味を知らされる。左に振り分けられた9割の移送団の人々が送られた先は、巨大な焼却炉のある建物である、と。石鹸を渡されて入浴施設に入るように促された筈だが、しばらくすると焼却炉に放り込まれている筈である、と。

アウシュヴィッツ到着初日、その最初の選別で9割が強制労働不適格と判断され、合理的に処分されていた――と。これが先制パンチ。

それから事態が飲み込めてゆく。強制収容所内では、収容者の中でも犯罪歴があり、サディスト傾向が強そうな者が抜擢され、その「カポー」と呼ばれる者たちが被収容者を管理する低級役人の役目を負っている事を知る。ロクな食事も与えられぬまま、死ぬまで強制労働に従事させられ、病気やケガ、或いは衰弱によって労働ができなくなったら、処分施設へ送られるという、そういう合理的システムによって営まれていることを知る。

この「夜と霧」という体験記の興味深いところは、収容所内の人間模様、そんな悠長な言葉を使用したらいけないかな、つまり、収容施設内で実際に人間が作り出してしまう地獄絵図にも言及しているところでしょうか。現在では強制収容所に収容されたのはユダヤ人に限定されなかったという認識になっていますが、従来のユダヤ人が強制施設に収容されたとする文脈で語るならば、つまり、平均的なユダヤ人が犯罪歴を持つなどのユダヤ人カポーによって管理された側面がある。しかも、そのカポーたちというのは、その収容所内では実際に「エリート気取り」をしていたという。

ああ、なるほど。英領時代のインドでは中国人を管理者と雇ってインド人労働者に当たらせたというけど、あれに似た構図ですかね。いや、仮に自民族同士であったというのであれば、中々の地獄絵図ですね。しかし、或いは、これが人間のありのままの姿、本性というものかも知れませんやね。グロテスクな内容ですが…。

また、体験記の主は心理学者であるワケですが、その被収容者の目線から、どういう心理が起こるのかを冷静に記している。そんな絶望的な状況に置かれながらもヒトの中には「恩赦妄想」というものが生存反応として現れるので、楽観的な気持ちになるというのだ。死刑囚が「きっとオレは恩赦になって助かるに違いない」と思い込んで死の恐怖から逃れる為に恩赦になることを妄想するというのが牴玄鰐兪朖瓩蕕靴い里任垢、強制収容所でも同じような事が起こったという。勿論、絶望して悲観して高圧電流が流れているという鉄条網に自ら触りに行って自殺するという者のあったが、多くの者は、そうせずに、大人しく、その環境に順応しようとするという。人の良さそうな親衛隊員がオレだけには目をかけてくれるのではないか、なんてことを考えてしまったり、つまり、そういう事を妄想するようになるので、目先が絶望であること、或いは死しか待っていないことに中々、気づかないという不思議な心理状態になるという。絶望的な事を自覚するのは衰弱して自らの肉体に気付いたときであり、その頃には、もう遺体と見た目は変わらないレベルになっているので、自分に死が近いうちに訪れる事を否応なく自覚するが、既に色々な気力は奪われてしまっている、と。

強制収容所内の被収容者の精神状態は荒れてくる。思いの外、早い段階で感情の稀薄化や感情の消失が起こるという。抗うことがムダであるという現実を受け入れ始めてしまうのだという。

比較的、自己を保ち続けた者が、不安を紛らわそうと古参の被収容者に不安を打ち明けても帰って来る返事は「クソッタレ!」というものであったという。なんら希望のない状況で死ぬまで強制労働をするという自らの運命に気付けば、そんな風に荒れてくるんでしょうね。

二日目、全裸になることを命令される。親衛隊員は「2分間の猶予を与える。2分間で衣服を全て脱ぎ、その場に置け。靴もベルトも眼鏡も脱腸帯もだ」と、どやしつけらる。そのまま、シャワー室に追い込まれて、そこで全身の毛を剃らされる。これは頭髪のみを意味しておらず、ありとあらゆる毛を剃ることを意味しているという。この措置によって、被収容者は文字通り、ハダカ一つの存在になるという。名前らしい名前もなく認識番号であり、自己というものが丸坊主アタマで丸裸の、一個の無様な人間である事を否応なしに思い知らされる、と。

想像できる通り、施設内では暴力は理不尽に行使されるものであるという。監視兵の中が理由もなく棍棒で殴りつけることは日常茶飯であったが、そのまま殴り殺される被収容者も珍しくなかったという。そういう過酷な状況下で起こるのは、感情の消失であったという。また、暴力の何が痛いかについても触れられていましたが、実は殴られる上に嘲笑を浴びせかけられるのは精神的に堪えるものであったという。抗う体力は残されていないが、辛うじて生きる為に自己を保っている状態であるワケですが、そんな精神状態でもあるにも関わらず、サディストたちは骨と皮だけの状態になっている被収容者を殴り、そして嘲り笑った――と。

また、最終処分場に送られる事を避ける為に、被収容者同士の間でも抗争が発生する事に触れている。誰かが最終処分場送りになれば、自分や自分の仲間が助かる為のゲーム的な要素に捕らわれるので、被収容者間で、最終処分場送りのリストから外してもらおうと親衛隊員への擦り寄りが起こる、と。察するに密告合戦であるとか、そういう状況でしょうかねぇ。

松永太事件であるとか、角田美代子事件なんてのも似たところがあるんだけど、そういう地獄絵図か。実は、相互監視状態となり、そこでも「番頭さん」や「日和見さん」がハッスルして、その収容所の中の小さなピラミッドの中の地位にしがみつきだすという事か。エリートの 正体みたり 腰ぎんちゃく。

で、やはり、宗教なんてものの重要性にも気付かされるという。収容所内でささやかなお祈りをするような、そういう行動様式の者は確かに多く生き残ったという。それに対して「カイジ」ではありませんが、スープに交換してもらえるタバコ、そのタバコを吸い始めてしまったり、或いは苦しみを忘れたいが為に高級品のブランデーを舐めるなんていう行為をした者は、総じて早く死んでしまったという。宗教とは異なりますが、著者の場合はドストエフスキー、ニーチェ、スピノザの言葉などを収容所内で思い出していたと綴られている。これは自己を自己として認識する為に宗教なり、格言のようなものというのは、ヒトが丸裸にされたとき、そういう極限状況でホントに浮かび上がってくるものなのかも知れませんやね。確かに、こうなってくると霊魂・精神・意志といったもの、そういう心の支えの有無の差なんてことになってくるのかも。

――ここまで、「夜と霧」の内容に沿ってでしたが、この話というのは、ヒトはそれぞれなのですが、多くの者は正気を失って、あっさりと環境に順応してしまう生きものである事の、危険さを嗅ぎとれますかね。昨今、炎上騒動などが年がら年中になっているワケですが、そういう人たちが極限的状況で、どのような行動になるのかは、なんとなく想像がついてしまうところがある。

叡智なんてものは期待できない。この世に善も悪もない。或るのは、欲望だけなのだから欲望に素直に従っていることが正義。そもそも勝者が敗者から奪って何が悪いのか云々。もう、そういうところまで現代人の精神は進行してしまっている気もしますが。。。。
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