どーか誰にも見つかりませんようにブログ

人知れず世相を嘆き、笑い、泣き、怒り、足の小指を柱のカドにぶつけ、金星人にSOSのメッセージを発信し、「私は罪のない子羊です。世界はどうでもいいから、どうか私だけは助けて下さい」と嘆願してみるブログ。

カテゴリ: 世迷い言

江上波夫ほか著『論集 騎馬民族征服王朝説』(大和書房)は、1948〜1974年までの間に発表された対談記事を含む論集なのですが、色々と読み応えがありました。本旨となる騎馬民族征服説については、内容が多岐にわたってしまい、膨大になってしまう可能性があるので、そこから切り離して、収録されていた内田芳明氏が『歴史変革と現代』(1973年12月号)に発表した『古代日本の辺境性とその文化史的意義』なる論考文について――。

これは、色々と目からウロコと感じました。先ず、指摘している事が既に日本辺境論なんですね。この「日本辺境論」という言葉がクローズアップされたのは内田樹さんが『日本辺境論』をベストセラーにした際でしたが、確かに目新しいものではなかった。しかし、そこにスポットを当てた。で、ここで語られている辺境論は、かなり生々しい日本文明論としての辺境論になっている。「中心と周縁」とか「中心と周辺」、或いは「中心と辺境」のように、文明や文化の中心地に対して、その周辺、辺境という分類を、先ず、している。

思わず、【周辺】と【辺境】という単語に私の気付いていない意味の差異がありそうだなと思い、辞書を引くなどしましたが、基本的には気にしなくて良さそう。域内と域外と境界線上、それらの精密な差異によって単語を使い分けているのかと思ったものの、そういう訳でもなさそうでした。まぁ、文明文化という名の円の中心があって円の内側であれば円内であり、大雑把には周辺となる。周縁、辺境となると境界線の意味になる。その程度の差異。

そして、古代及び中世の日本とは、文化地理的状況では東アジアの辺境的地位にあったという仮定に言及している。平たく言ってしまえば、華夷秩序(中華文化圏)の中で、つまり、その辺境にあったという訳です。これは東アジアと言い換えても同じで、中心地は中華思想のそれによって実際にそういう歴史的、地理的な状況として否定しようもない。で、ここまでは、凡そ、内田樹著『日本辺境論』とも差異はないかもしれない。

しかし、この『古代日本の辺境性とその文化史的意義』では、古代から中世にかけての日本列島とは、辺境性を有して「吹き溜まり」という特異な環境に置かれていたと考察している。しかも、ただただ、そう述べているのではなく、オリエント先進文明に対してのローマという辺境、ローマ帝国を先進とする場合の北ゲルマンという辺境などを挙げている。辺境は辺境で、独自の発展をみせる――と。北ゲルマンからは、後に現在のヨーロッパ人を構成しているゲルマン民族が独自に辺境的な発展を遂げ、実は、辺境の地が数百年単位を歴史を経過して別の脅威として立ち上がり、一つの文明文化の交代までしてしまう。

そして、この辺境性についてですが、エーゲ海や地中海、或いはベンガル湾などは開放的なものだったので、その海域の辺境的な周辺国は中心地と同じような発展を遂げる。しかし、日本列島の場合の日本海と東シナ海は閉鎖的な環境にあったので、日本の辺境性は他の例をみない、閉ざされた辺境性であり、謂わば、日本列島は文明文化の「吹き溜まり」として発展した――と展開させている。

日本海も東シナ海も、エーゲ海や地中海と比べれば、確かに活発な船の行き来があったとは言い難いかも知れませんやね。「弥生人は何処から来たのか?」という問題を解いてゆけば、自ずと山東半島と朝鮮半島と日本の九州北部などには、相応に往来もあり、交流もなされていたが、実は、そこに文明の中心地は存在していない。辺境と辺境、そこに仙郷が含まれているぐらい。元寇を持ち出すまでもなく、日本列島の場合は日本海という海を防波堤として有していたので、実は世界史的にも例外的に城壁都市という文化は殆んど持たずに発達した訳ですね。

日本海について言えば、これも皆無だった訳ではなく、この騎馬民族征服論をやってゆくと、朝鮮半島を経由して日本の出雲の地へとやって来たスサノオであるという話にはガンガン触れられている。また、長部日出雄著『天皇はどこから来たのか』(新潮文庫)あたりでは、巨木文明の痕跡への言及が為されており、東北地方と能登半島、それと朝鮮半島、出雲地方との海洋民族の痕跡への言及がある。

とはいえ、一先ず、この「日本吹き溜まり論」を続けます。

文化は中央から周辺を経て辺境へ。辺境に達したらどうなるのか? 通常、辺境地でも辺境地との間で交流があるので、吹き溜まりにはならない。しかし、日本列島というのは、その地理からして、日本列島へ到達してしまうと、以東へは伝播しようがなく、実は吹き溜まりになっている。

これは面白いですね。シルクロードとは、即ち、絹の交易ルートであったが、その終着駅は日本でしたね。仏教の話こそが、究極でしょうか、インドに発した仏教はチベットや西域を経由して、シルクロード、ステップロードを経由し、最終的には日本に到る。

そして、この仏教については、日本こそが、仏教の最終形・究極形であると言われている。つまり、ゴータマ・ブッダが説いた仏の教えが、ぐるぐるとユーラシア大陸、西域を通って中華圏を経由して、漢訳仏教が日本に入る。公式に日本に仏教が伝来したのは朝鮮半島の百済国を経由して日本に入ったとされていますが、この百済国とは、扶余(扶余・高句麗系)と呼ばれる、つまり、元々はツングース系の騎馬民族が出自であったと思しき征服王朝の国である。そこら辺は、後に譲りますが、日本列島では仏教で国を鎮護しようとした奈良仏教の時代を経て、その後、鎌倉仏教の時代となり、とうとう法然と親鸞になると、「南無阿弥陀仏と唱えさえすれば、誰でも成仏できる」となり、付け加えて「いわんや悪人おや」と、そこまで言ってしまったので、もう、(大乗)仏教そのものの発展の余地はなくなってしまっている。究極形、最終形なんですね。で、これは言い方を変えれば、日本が吹き溜まりの辺境であったからこそ、こういう発展の仕方をしただろうと、考えることできる。その意味で、そこに記されている「日本の辺境性は単なる辺境性ではなく、閉ざされた辺境性であり、謂わば、吹き溜まりである」という指摘に、驚愕する事になりました。きっと、これは言い得ていると思う。

勿論、この「仏教の最終形」については『古代日本の辺境性とその文化史的意義』で語られていないものの、語られている内容は同じ。日本に於いては、閉ざされた辺境性という立地条件であったが故に、古代から中世にかけての日本人は等質性を獲得した旨、述べられている。中心から周縁へと向かって放たれる文明文化、その文明文化にしても、日本は終点の終着駅であるが故に、吹き溜まりであり、日本に於いては日本の中で発展するしかない。要らない外来文化だったら取り入れないでいいし、取り入れるべき外来文化であれば、取り入れればいい、それだけ。(この海外文化の取捨の話などは日本文化論や皇室論などでも出て来ますね。取捨していればいい。)なにしろ、ここは地の果てナイジェリアならぬ、倭人国であり、中華文明からすれば、当時の倭人の国は東の果てであり、もう、これ以上、東へ行ったって太平洋しかない。各種の古伝にしても倭人国の更に東ともなると、毛人国、歯黒国とか、そんなものしかない。

『古代日本の辺境性とその文化史的意義』では、文化伝播の吹き溜まりの日本では、自ずと文化様式は停滞化・伝統主義化した、と言えるであろうと考察している。ここも見事なのですが、別に革命とか変革とか、そうした変化には消極的になり、これを停滞化と表現しているのだと思いますが、そうなれば頼るべきは伝統であり、つまりは伝統主義となる。勿論、天皇を倒そうと考える者など登場する由もなかったと紡ぐことができる。

天皇制には言及されていますが、これは次のようにも考えられると思う。つまり、本場の中国では易姓革命があるが日本には易姓革命がない。何故なら、誰も、そうした抜本的な変革を望んでいないから。つまり、伝統主義であり、思考として保守であり、これこそが儒教の奥義でもある。(儒教は秩序を重んじるようにつくられており、下剋上は最後の手段とする。)そこで発展したのは上も下もない住民の等質性であり、この等質性が尊ばれたが故に、日本社会は「恥の文化」を形成し、令和の現代に置き換えても、やたらと同調圧力が強い社会である。長いものには巻かれろ、取り敢えず巻かれておけやの精神。

また、『古代日本の辺境性とその文化史的意義』は、騎馬民族征服説の中で、江上が提唱した、〔鐇源代に中国南部から非シナ稲作民族が日本列島に到来して水稲稲作文化を根付かせたに賛同している。これは倭族論と全く同じですが、楚、呉、越、閩、斉などが中国本土で相争った春秋戦国時代、その戦乱によって行き場を失った棄民が日本列島に流入し、弥生文化形成に寄与したとする。しかも、ここで「吹き溜まり論」が意味を為す。弥生時代に流入したのは、この棄民たちによる流入だけで、永続的な後続部隊を持たなかった。(私は鳥越健三郎の倭族論で、なるほどなと知見を得ていましたが、どうも発想の起源は、この時代の騎馬民族征服論に依拠していたらしい。仮説ではあるが、そうとしか思えないのだ。)

棄民たちは、先住の倭人たちと争うことなく、その新天地で生活をしてゆくしか、他に方法はない。これが仮に侵略とか征服であったなら、次から次へと後続部隊が乗り込んできたり、或いは移民の流入が継続するが、そうならなかったのは、日本が吹き溜まりであったからに他ならない。

この、棄民の流入により、弥生時代の日本では、西日本で弥生文化が隆盛となる。

それが、そのまま、弥生人となり、倭国となり、日本国になったのであれば、騎馬民族征服説ではなくなってしまいますが、そこへ更に、江上波夫が言うところの扶余・高句麗系の騎馬民族の一氏族、これは江上は「天皇氏」という珍しい呼称を用いていますが、これが到来する。大雑把に説明すれば、旧満州東部の騎馬民族は、朝鮮半島北部→朝鮮半島南部→北九州→近畿というコースを渡って大和朝廷を建設したとする。これが◆日本列島に渡来人が来た二波目としている。これが弥生時代の後半であり、以降は古墳時代に入る。ここからは倭は、卑弥呼の時代の弥生時代のそれではなく、大和朝廷的な何かへの変節期でもある。

百済とは、扶余による支配王朝であり、高句麗も元々は扶余と呼ばれた民族集団が形成した国であり、この百済と高句麗とは、つまり、今日的にはツングース系と分類される騎馬民族、その征服王朝なのだ。そして、この一連の中では、朝鮮半島の南端部は加羅であり、人によっては、そこに任那(みなま)日本府があったと認識している訳ですね。江上の騎馬民族王朝征服説とは、つまり、百済が征服された王朝である事を踏まえて、何故、倭国が征服されなかったと言えるだろうかという話にも繋がっている。

古くから朝鮮半島にあったとされる小国に「貊済」があり、これを「ひゃくせい」と読んだ。それが後に扶余に征服され、「百済」と表記して「ひゃくせい」という国となった。実は【百済】と表記して「くだら」と発音するのは日本人だけらしい。そう考えると、確かに不思議なんですね。日本の場合は古くから「百済」を「クダラ」と発音してきていたらしく、そう記紀などにもフリガナまでふってあるので、これを修正する必要性はないという。

では、この【くだら】とは、如何なる言葉なのかとなる。これは古朝鮮語で「大きな国」を意味するのだという説が紹介されている。奈良、「ナラ」は「国」の意であるというのは、テレビでも二度ぐらい視聴した経験がある。古代、日本語と朝鮮語は一緒であったとかなんとか。で、もう一つ、「カラ」という音についても、江上波夫は言及している。やはり、江上に賛同して征服説を提唱した岡正雄はツングース語族では「xa la」という発音だそうで、これをカタカナにすると「ハラ」であるが、日本語にはウカラ、ヤカラ、トモガラ、ハラカラ、タカラといった言葉があり、おそらくは漢字で表記した場合の【加羅】と【韓】にも「xa la」と関係しているだろうと発言していたという。「ウカラ」は親族の意味で、現在は殆んど使用しないが古代日本では使用していた。【同胞】は「はらから」と読む場合があり、【輩】は「トモガラ」とも「ヤカラ」とも読む。

次いでに触れておくと、ミマナとは、何故、漢字表記で「任那」なのか悩むところですね。「ニンナ」か、せいぜい「マナ」と発音するべきではないのか? 漢字の【那】が国とか土地、地域を表わしているのは、なんとなく想像がつくけど…。しかし、騎馬民族征服論者たちに拠れば、これは「nim na」という古朝鮮語ではないのかとしている。その意味は「王の土地」の意であると江上波夫は『騎馬民族国家』という論文中で言及している。(つまり、任那は日本府なのではなく、そこは崇神天皇が拠点とした直轄地であり、すなわち、「王の土地」の意味であった――と。)

いやいや、王朝征服説の征服があったのか否かの箇所については兎も角として、1970年代に、これだけ日本文化論、起源論が論じられているのは感心してしまう。

また、先に私は、「百済が征服王朝なのに、何故、日本人は自分たちは征服されなかったと言い切れるのか?」というイヤらしい文言を記しました。というのは、百済を、我々は小国だと思い込み過ぎている可能性が高い。おそらく、日本史で登場する百済は滅亡寸前の百済なんですね。倭・百済連合軍と、新羅・唐連合軍がによる「白村江の戦い」に頼ってしまう。しかし、百済にしても宋書あたりでは、中国本土に攻め込んで現在の天津付近を占領したという記録があるなど、高句麗ともども中華帝国を脅かす、かなりの軍事強国だったのだ。この意味が解ければ、倭国が何故、白村江の戦いに破格の大船団を出せたのか、或いは、高句麗の好太王と戦えるほど、朝鮮半島奥深くまで倭が軍隊を出していたのか、その謎にも思いが到るかも知れない。ちょっとヒントとしては遠すぎるので、少しだけ触れておくと、百済にしても倭にしても、現代人が思っている以上に、実は軍事強国だったのではないのか? 百済とは騎馬民族に征服された国であった。それを踏まえて、何故、日本にはそのようなことはないだろうと言えるだろうか、とね。

軍事強国というべきか、兎に角、活発というか好戦的というか、そういうフットワークの軽さ、ダイナミズム、そういうものは、吹き溜まり文化の日本人論からすると、確かに一時的に何か劇的に変わったような気がしないでもない。

それらが少し理解できてくると、アメノヒボコやタケミカヅチ、日本神話や朝鮮神話というのは、かなり、ヤバくなってくる。どうも上層部はツングース系の出自と考えると符合する事が確かに多い事は認めざるを得なくなってくるかも知れない。まぁ、騎馬民族征服説そのものについては、膨大すぎるので、折を見てになってしまいそうですけどね。
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或る時期から急激に【リベラル】という用語が使用されるようになり、このカタカナ語を旧来型との「自由主義」と翻訳して文章を読み進めると、色々とニュアンスにズレが生じるようになりましたね。当ブログの場合は、カタカナ語の「リベラル」と漢字の「自由主義」とを別個に記してきたりもしたのでした。やはり、基本線としては産業革命、フランス革命を経て登場したものが自由主義の本流であり、その自由主義は、アメリカ型の自由主義、それと、やはり、イギリス発の功利主義を擁して福祉政策の実現を重視する社会民主型の自由主義を、ニュアンスとしては【リベラル】と呼んでいたのだと思う。「揺り籠から墓場まで」というけれど、それは自由主義なのか? そもそも、「政治が何をしてくれるかではなく、あなたが何をしてくれるかである」的なJFKのような、自立の上に自由主義があるじゃないかというアメリカ60年代の自由主義がある。ジョン・ロックは「揺り籠から墓場まで」なんて、言っていたのか? ――と。

なので、当ブログでは、福祉や社会保障を標榜して再分配論に傾斜してしまっている自由主義の分派をリベラルとカタカナで表記し、他方で、一定以上の自立、これは自己責任にも通じてしまいますが、その上で自由を標榜するものは伝統的な自由主義であろうとして、漢字で表記しているし、してきたんですね。しかし、今日ともなると、非常にややこしくなってきてしまっている。「自助<共助<公助」は伝統的な自由主義体系であるが、それを掲げている自公政権は完全な大衆迎合型再分配論に舵を切ってた。どこか切り込んでくれる政治家は居ないのかなって思っていたら、枝野幸男さんが「自助・共助・公助」という言葉に対して「そんな自己責任論は許せない!」と激しく抗議してしまった。まぁ、枝野幸男さんが標榜しているのがリベラルであるのは分かるのですが、それに対置している自公政権も実は社会保障ではリベラルなんですね。


で、これが紛らわしいのは定義らしい定義も実際に存在しておらず、かなりアバウトに使用されているのが実際なのだそうな。11月2日付の読売新聞11面(文化面)では、「リベラリズム 未来はあるのか」という特集記事が掲載されており、興味深く目を通しました。冒頭から「そもそも、リベラル/リベラリズムという用語の定義はあいまいで、米国では大きな政府を志向する考え方を指すが、奥州では自由主義的で改革志向的な考え方を指す。」という一文から始まっている。

これは、まぁ、本当に使用している言葉が違ってしまっている事を表していますね。リベラルだの、リベラリズムだのって言うけど、みんなが違う意味で、そうした【リベラル】を使用し、また、使用するようになって久しい。しかも、どう考えても曖昧なんですね。池上彰さんの「悪魔辞典」で話題になりましたが、単に左翼がリベラルに名前を変えただけなのではないかという皮肉、この皮肉も勿論、成立してしまう。毎日新聞や朝日新聞的な言説は、ひょっとしたらそれかも知れないし、いやいや、そうじゃない、日経新聞的なイデオロギーなき経済至上主義こそがリベラルなのではないかとも感じる事がある。田原総一朗さんが自らをリベラルと自称しているし、三浦瑠麗さんあたりも「私はリベラルです」と明言しているが、前者の田原総一朗さんは70年代頃の左翼の残影を残しているように見えるし、後者の三浦さんにしてもリベラルというよりも、保守的な主張が目立つのでリベラリズムの論客というよりも、自由主義的な論客に見える。

巷間、使用されている「右翼と左翼」、「リベラルと保守」、その区分は非常に曖昧で、そもそも定義もないのだから、言ったもん勝ちのところがある。保守と名乗る事にメリットが認められれば、自由民主党あたりも、「我々は保守政党である」という。しかし、どう考えても政策的なものはリベラルであり、政党名は素晴らしいが中身が全然違っている。そして、困った事に野党も共産党は現在も左翼を踏襲していますが、それ以外は総じてリベラルですね。

で、その読売新聞文化面の特集記事では、読売文化部の小林佑基記者が、吉田徹氏や三牧聖子氏、倉持麟太郎氏らに取材し、現在を考える場合の良記事に仕上がっていて感心しました。(北大教授の古田徹さんの著書は数冊、読んだ記憶がありますが、「比較政治」で語られているので、実は、非常に差異が分かり易く記されており、且つ、この混迷時代の政治を語るにあたって基本的な事柄を上手に解説されている。)

以下、その記事の要約となります。

元々、リベラルは、古代ローマ時代以降、市民としての道徳や義務、寛容、公共善の促進を追求するもので、それは中世以降も継承され、英米だけではなく独仏でも発展してきたものであるという。

大きな転機は第二次大戦後であり、共産主義への対立思想として「リベラル」という概念が変質したという。ここでどう変質したのかというと、個人の権利の用語を中心に置くようになり、公共善への献身のような道徳的価値は放棄された。

(私自身の見解とは少し異なるんですが、まぁ、先を続けます。)

高崎経済大学の三牧聖子教授、北海道大学の吉田徹教授は、リベラルという言葉が独り歩きをはじめたが、\治リベラリズム、経済リベラリズム、社会リベラリズムなど、階層に分けられるとしている。

政治リベラリズム⇒三権分立をはじめ、権力分立を是とするリベラリズム

経済リベラリズム⇒商業や貿易の自由を唱えるリベラリズム

社会リベラリズム⇒福祉、社会保障などを標榜するリベラリズム

などで、それらは、実は足並みは揃っておらず、リベラルは動揺し易いと指摘している。

(いやいや、政治的リベラルってのは、三権分立や立憲主義などはどう考えても遵守されるべき価値観であった訳ですが、ここのところ、とんでもないことになっていますね。収拾不能。経済にしても、「これは最早、市場の自由とか関係ないよね?」になっていますね。直ぐに財政出動してしまうようになって久しく、しかも誰も責任を取らず、どんどん次世代の借金を膨らませてばかりいる。社会リベラルは、なるほど、私が危険視しているのは、これです。社会保障制度は欠かせないというけれども労働人口の変化を考えれば支えられる限界を突破しており、高齢化社会なのではなく、既に超高齢化社会なんですね、で、そう実際に厚労省の白書にも記してあるのに、新聞やテレビの論調では社会保障政策の拡充の必要性を唱える「いい人」ばっかりなので、結局、弱者のところに負担がのしかかってきていますね、と展開するが、大体、意見は通じていない(笑 「社会福祉・社会保障の充実こそが、正義である」と考えている人たちが、思いの外、多く、言説的な主導権を握ってしまっている。依存だらけ。)

冷戦終結後、新自由主義(サッチャーのサッチャリズム、レーガンのレーガノミクス)の隆興で、経済リベラルが過度に強くなったという。経済至上主義となり、社会リベラルが後退した。そして格差拡大が起こったが、この格差拡大への怒りは、何故か政治リベラルへと向けられた。あゝ、これが現状ですね。憲法解釈を軽視する風潮や、議会制を軽視する風潮など、民主主義制度以前の立憲主義さえ否定するような人たちが登場している。

これは、奇妙なことなんですが、「自由を制限するリベラリズム」の登場であり、かつてのファシズムや、共産主義政権で起こった事と似た事が起こっている。(言論狩りの肯定、言論統制の肯定などですね。しかも、国家主義や民族主義で、それを起されている。)

また、倉持麟太郎弁護士は、「リベラルの敵はリベラル」という主張をされている。少し本論とズレてしまうので省きますが、自称リベラルの人たちは自身の絶対化、つまり、相対化されるべきなのに自己を絶対化してしまっている人たちが多いの意でしょう。レッテル貼りにこそ、気を付けるべし的な。

最後に引用しようかな。

三牧聖子氏の弁

思想の内実をろくに見ず、政敵や論敵を批判するための党派的な言葉として『リベラル』が独り歩きしている

〜略〜

リベラルは道徳や公共善についても様々な思想を発展させてきた。その内実を見ることで、リベラル/保守の対立を相対化し、接点を探れるはずだ


吉田徹氏の弁

「個人の解放や自由を求める近代をつくったのはリベラリズムで、こうした人間中心の思想は最も持続的で訴求力を持つ。だから捨てるべきではない。

〜略〜

自己批判できる思想はリベラリズムしかない。リベラルが今なぜ忌避され、言葉が届かないのか、考え直すことが必要だ」


だって。こういうのが建設的で、生産的なのですが、現状、酷いですやね。前段の「保守と儒教」と併せて読んで頂ければわかりますが…。
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政治思想に限らず、【保守】が、どういう意味合いなのかというと、

\犠錣幣態を維持する事

伝統・慣習を重んじ、それを保存していく事。

上記の2点のうち、△砲弔い討蓮嵎歇蘂粒弯掘廚箸いβ亠糎豐愀犬成立する。

次に性向・主義としての保守、これは【保守主義】になりますが、これは英語で【conservatism】であり、これは現状維持を目的とし、伝統、慣習、歴史、社会組織を固守しようとする性向・主義という感じでしょうか。これが、そのまま、政治思想的な意味合いでの【保守】、【保守主義】にも流用されている。ブリタニカ国際大百科から引くと――

既存の価値、制度、信条を根本的に覆そうとする理論体系が現れたときにこれに対する対抗イデオロギーとして形成される。「保守主義の宣言」ともいわれる『フランス革命に関する省察』を著したE.バークは、人間のあらゆる制度の基礎は歴史であり、具体的な文脈のなかで長い時間をかけて培われてきたものだけが永続性をもつため、抽象的な哲学原理に基づく革命は挫折を運命づけられているとしている。バークは決して変化を拒絶しないが、それは既存のものの漸次的改良として果たされなければならないと考える。歴史的・有機的な社会秩序への人為的介入の排除とその漸進的改革が保守主義の思想的特徴であるが、これは現代のF.ハイエクやM.オークショットにもみられる考え方である。

――となる。これに少し補足するとすれば、これは新しい力が登場した時に発現しやすく、つまり、革新に対しての対抗として顕われる。現状を維持しようとするので、反動主義に近くなる。保守反動ですね。

日本に於ける保守思想体系の場合、「柳田邦男」と「津田左右吉」、この両名の名前を挙げることが出来て、庶民への素朴な共感、生活基盤の上に生成した有機体としての国家への信頼と、天皇への敬愛といった具合に語られる。

右翼思想も、この保守主義・保守思想と共通して、実は対立概念なので、思いの外、中身は空疎であり、説明が難しいとされる。左翼への対立概念として右翼が出来上がったというのは有名な話でもありますが、つまり、その順番は逆転しない。ところが、元をただせば、そもそも保守とは歴史や伝統に根ざしているのだから、現状を変革するべきではないというものですね。これは、いわば守旧的な態度になる。非冒険的。しかし、それでは何の進展もない事になってしまうので、前述したような漸進主義を是としながら保守主義・保守思想となるのでしょう。この漸進主義の対立概念は急進主義であり、つまり、「漸進主義⇔急進主義」でしかない。

これらの説明から、急進主義的な保守思想は成立しないという事は言えそうですかねぇ…。歴史、伝統、慣習を破壊しておきながら「保守」と名乗るのは無理がある。

また、西部邁などの言説で少し補足すると、そもそも物事の価値観の基準となるのは歴史しか有り得ない訳ですね。過去の歴史からは学び取る事が可能であるが、未来や今からは実は学び取りようがないという重たい現実がある。学べるものがあるとすれば、過去であり、歴史になる。これまで滅びないでやって来れた事を考慮すれば、現状を維持さえしていれば、おそらくは滅びる可能性は最小限に防げるであろうと仮定できる。変革に迫られ、そこで大博打を打って自らの変革に舵を切るか否かという場合、賭けに勝利する事も有り得るが、賭けに失敗する事も有り得る。

西部邁は「テクノマネー・マニアックス」という造語をつくってまで、近年の電子マネー狂騒曲を晩年に批判していましたが、そもそもデジタル化社会なんてのものは、どう考えたって急進主義であり、革新的な物言いですやね。保守の変革は漸進主義と言いますが、こちらは一歩一歩、進めていくという穏当な変革であり、税金を大量にブッ込んで、あーだこーだとやってしまっている現状、これは実は日本に限らずでしょうけど、異常事態といえば異常事態でしょう。伝統も保守もヘチマもない。まるで、取り憑かれてしまっているかのような状況として、西部は敢えて【マニアックス】という言葉をチョイスしたと自ら語っていた。

過去からしか実は確かなものは学び取れない。なので、この保守思想は、しばしば文明論を用いる。当ブログとしては清水幾太郎、松本健一、経済学者ながら文明論に言及しているのは浜矩子氏、水野和夫氏その他にも諸々引用している可能性がありますが、少なくとも、いきなり横からポンっと当代流行している哲学や思想を取り入れて、言論や政治思想を展開しているのではない。

そもそも、現状を変革する必要性があるのか、また、変革に迫られているのであれば変革しなければならない訳ですが、尚も、「急進的なものは成功しない」とされている。この辺りが保守思想のアキレス腱なのでしょうけど、昨今はグダグダですね。「これまで、このシステムでやってきたのだから…」という一見すると守旧派の、後ろ向きな視点というのは案外、重要なのだ。基準、標準にできるものは過去か現在にかない。未知の、大丈夫であろう新しい何かに飛びついて、システムを一気に変えてしまった場合、取り返しがつかない失敗が起こり得る。「時代遅れだ!」とか「海外では常識だ!」のような言葉を誰かが叫べば、大きく動揺するような社会土壌になっている。

また、保守は改革に対しての対立概念であるが故に、伝統的・歴史的、そして有機的である。ここでもデジタル化は引っ掛かりますね、デジタル化とは完全に機械化を意味しているのは歴然だから。有機的ではないという事は無機的という事ですが、この言い回しは、通じにくい。より平たく述べれば、人間的か非人間的かの問題でしょう。


ここに、東アジアが19世紀に西洋文明の列強に、どう併呑されていったのかという問題を、つぶさに見る事で、より、保守思想が鮮明になってゆく。

アフリカでも南アジアでもなく、何故、東アジアなのかというと、やはり、これは明らかに高度にして歴史の長い文明を有していたから。中国では4千年とか2千5百年の歴史があり、しかも、どう考えても文明なんですね。どういう文明の特徴があったのかというと、文治文明であった。皇帝が文によって、あの膨大な版図を統治するというシステムであり、その骨格は【文明】の「文」、つまり、文律によって統治されていた。これは、覆しようがないでしょう。

「開国せよ」と、清王朝も江戸幕府も圧力を受けた。しかし、どちらも開国要求なんて有難く感じていない。当時の中国も日本も農本主義的な自立国家であり、「基本的にはウチは間に合ってます」という状態だから、これも当たり前の反応ですね。当時、中国は広州のみを開港しており、日本は長崎のみを開港していた。不足なく自立的に国家は回っていたのだから、海外と貿易をしてもメリットは望めない訳ですね。

また、儒教とも関係していて、儒教的価値観は強烈な保守主義・保守思想であり、秩序が乱れない事に重きを置いている。「開国せよ!」と押し掛けられても、開国することによって起こる混乱を避けたいと考える守旧的な思考なのだ。強硬に迫られる中で、中国も日本も共に「攘夷」を選択した。保守が変革に対して対抗して芽生える訳ですね。攘夷とは夷狄を追い払う事で、自分たちの生活を守る為に考えれば、まぁ、順当な態度ですワなぁ…。

清朝の場合はアヘンの密売によって苦慮しており、林則徐を全権大使的な権限を与えた欽差大臣に任命してアヘンの没収、そして処理して廃棄するという措置を行なった。そもそもアヘンは東インド会社で製造したものを中国に密貿易していたのだから、そのような措置とて、さほど異常ではないけどアヘン戦争に持ち込まれ、没収したアヘンの代金をも賠償請求された。また、このアヘン戦争で清朝は元金だけで国家予算の五ヵ年分の賠償と、上海を含む5港の開港、そして香港割譲などが決定した――と。このアヘン戦争にあたって林則徐は魏源に海外を調べさせており、その魏源が著した「海国図志」は幕末の日本でも広く読まれていた。勿論、黒船来航にあたっては大きく影響を与えていたものと考えられるって事か…。

陳舜臣著『実録・アヘン戦争』(中公文庫)では、東洋文明とは儒教文化圏であり、儒教文化圏が当たり前と考えていたのは、自国の事は自国で賄う事が自立であり、西洋との貿易の必要性を感じていなかった事が指摘してある。なので、当然に攘夷になった訳ですね。やはり、ただただ西洋の帝国主義国家、列強の武力に捩じ伏せられてしまったという見解が成立する。現在は、このアヘン戦争が教科書にどのように記載されているのか分かりませんが、やはり、問題を指摘してある。

たとえば日本の高校の世界史教科書にも、アヘン戦争について、

――清国の変則的貿易形式を打破するために、イギリス商人のアヘンが焼きすてられたのを口実に、イギリスが宣戦を布告した。

といった記述がみられる。


とした上で、

真相はその正反対である。アヘン貿易を認めさせるのが戦争の主目的であって、変則的貿易形式打破のほうが、たんなる口実にすぎなかった。

貿易形式はその国の都合できめることであって、外国が武力をもって干渉すべき性質のものではない。それを敢えてするのも不義の戦いであろうが、アヘンのための戦いにくらべると、まだしも不義の程度は浅い。そう考えたイギリスの「愛国的」史家が、主目的をねじまげたのである。日本の教科書の編者も、知らずにその説を採りいれたのであろうが、これははっきりさせなければならない重要なポイントである。


と指摘している。この箇所、重複となりますが、つまり、イギリスは開港させる為にアヘンが没収された事を口実にして宣戦布告したのではなく、アヘン貿易を認めさせる為に宣戦布告したのが真相であり、開港の方こそ、副次的なものであったという。

少し煩雑なので省きましたが、アヘン戦争前にも公行(コンホン)と呼ばれる、日本の場合の出島のような、そうした部分的に認められていた貿易窓口は存在していた。しかも欽差大臣・林則徐は明確に「アヘンはお断りだが、他の商品は自由に交易してよい」と呼び掛けていたとしている。「変則的貿易形式を変更させる為の宣戦布告」にしても、「アヘン貿易を認めさせる為の宣戦布告」にしても、いずれも不義の戦いであるが、イギリスの愛国的史家は「アヘン貿易の為の宣戦布告」よりも「変則的貿易形式を打破する為の宣戦布告」の方が、幾分かは罪が軽かろうと、そちらを選択に過ぎず、それが、そのまま、歴史となり、教科書にも記載されている(た)――と。

で、ここのところ、陳舜臣の引用ばかりになってしまいましたが、その指摘は大いに首肯できる。この西洋文明と東洋文明との出会いは悲劇であった、と。武力を頼りにして貪欲な西洋列強、それに対して清王朝は最盛期から斜陽に入っていたが、文治帝国であるが故に防衛力は拙かった。ただし、経緯を丁寧に追えば、林則徐は19世紀初頭にも関わらず、実は国際法を調べるなどしてイギリスに当たっている。また、没収したアヘンにしてもアメリカ人などを招待して焼却、焼却だけではアヘンは残ってしまうので更に工夫をして廃棄し、且つ、没収したアヘンの代わりにイギリス側へ贈る必要のない茶葉をも贈っている等、必ずしも恥じるような外交をしていないように見える。本来、どこの国だって他国から強引に価値観を押し付けたら困るし、反発が起こるのは必然である訳ですが、その辺り、文明は現在でも無理解なままかも知れない。

その上で1970年代に、陳舜臣は国家と国家の結び付きというのは、相互利益関係だけではダメで、友誼が必要であると説いている。唯物的なカネとモノの移動ではなく、友誼を必要とする人間中心主義に基づくべきではないのか――と。また、この『実録アヘン戦争』では、儒教文化圏では保守が必然であり、しかも自立を是としているのだから、当然に、当時の日本も中国も農本主義が思想の中核であった事にも言及している。

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夏目漱石は晩年、「則天去私」(そくてんきょし)という心境になったという。五木寛之は『大河の一滴』の中で、おそらく、夏目漱石の「則天去私」は、親鸞の「自然法爾」(じねんほうに)のようなものであろうと言及している。

則天去私というのは、察するに「天に則って、私(心)が去る」のような意味合いなのでしょう。自然法爾は、広辞苑で引いてしまうと「人為を加えず、一切の存在はおのずから真理にかなっていること。親鸞はこれを念仏信仰にあてはめ、人為をすてて仏に任せきることとした。」という解説になっている。

私自身はどうかというと、率直なところ、あんまり親鸞は好きになれない気がしている。「人為を加えず、一切の存在はおのずから真理にかなっている」という捉え方には大いに共感できるのですが、それが念仏、しかも阿弥陀如来になるというのが、どうも自分の考えと合致しないんですね。その話をするのであれば、荘子の「万物斉同」、或いは天道思想と呼ぶべき「則天」の考え方で足りてしまい、つまり、念仏だ、阿弥陀仏だというのは「蛇足だよな」と感じてしまう。まぁ、それでも近いのは確かなのだけれども。

自分と向き合った場合、やはり、深く関心するのは荘子だなぁ…と思う。ただ、荘子には「真に係る哲学」と「遊に係る哲学」があり、それは素朴を是とし、相対主義が説かれているし、凡そ、足りてしまっている。

五木寛之の『大河の一滴』を手掛かりとして、真宗(浄土真宗)を捉えると、阿弥陀仏とは無量寿信仰であり、即ち、無限の時空、おそらくは宇宙を信仰していると思われますが、それを「仏」という形にしてしまっているところが、実は分かり難い。だったら、潔く、宇宙(天)を信仰しているのですと言った方が余計なものを省ける。分かり易くしたつもりなのかも知れませんが、逆に分かり難いように思う。

陳舜臣は、西洋と東洋とを比較して、西洋人は神としての創造神を持っているが、中国人や日本人は創造神に該当する神を有しておらず、儒教にしても仏教にしても、つまり、最初から創造神を持たないと述べている。これは当たり前の事なんですが、それを指摘している事が鋭い。仏教にしてもゴータマは世界を創造していない。実際に大きく東アジアに影響したのは孔子、儒教であり、それは東洋的なプラグマティズムで、つまり、「秩序を維持するにはどうすべきか?」が最優先されている教義信仰の宗教なんですね。仏教も儒教も、或いは道教も宗教に分類されてしまうものの、いわゆる創造神はないし、エホバに該当する神を持っていない。孔子や釈迦の「教え」を崇めてきたのだ。漠然と宇宙を神と崇拝している宗教と、具体的に主を崇拝している宗教との差異。

日本神話にも取ってつけたような、この世の始まりの物語が道教あたりから流用されているので、強引に当て嵌めれば、アメノミナカヌシノカミ(天御中主神)を元始神に比定できますが、そんな事を信じている日本人なんて皆無に近い。後から採ってつけたような話だし、実際に信仰の中心ではありませんやね。という事は、そもそも日本人は本気でキリスト教に該当するような、神を本気で崇めるような宗教は持っていないって事のような気がする。そう言ってしまった方が、ずっとスッキリする。

では、何が我々にとって神なのかというと、これは天でしょう。この場合の「天」は、空を指していう天でも、宇宙を指しての天でも、太陽を指しての天でも、天皇を指しての天でもなく、漠然と「天」という一文字に「自然法爾」を重ねている。夏目漱石が、晩年に「則天去私」という境地になったというのは、「何事も天に則ればいいのであって、私(し)は卑小なものだ」という或る種の諦念を経ての達観ではなかったか。

「天に則って」というのは大いに共感できる。これは機を見て動けばいいのであって、基本的には動かない。基本的には静観でOKである。但し、天の巡り合わせによって機が来たなら、動に転じればいい。したがって、基本的には受動的であり静的となる。これは、水の中に伏せている伏龍が機に乗じて飛龍になるという東洋思想とも通底していて、常に慌ただしく動く事には、そんなに益は無いという東洋の叡智のような気がする。

で、上記の受動的であるという事は、受け身であるの意であり、積極性に欠ける。しかし、そもそも自己主張は最低限度に慎むのが美徳だし、それによって協調性(和)を標榜しているのだから、この儒教体系の価値観というのは、謂わばプラグマティズムでさえある。儒教は礼にうるさい訳ですが、礼とて、要らぬ衝突を避ける為の知恵だと言えば、それまでですやね。実際に西洋文明のように支配者になるか被支配者になるかという、その二極対立構図を、丸く収めようとするものであった。


数ヵ月前から「何故、日本は負け続けるのか?」という問題を漠然と考えていたんですね。しかし、中々、考えはまとまらなかった。ですが、この問題は日本人そのものが自分たちの特性を見失い、西洋ルールでリングに上がっているからではないのかなって気がする。余りにも、自分たちの長所を否定し、短所で勝負しようとばかりしている。

「何故、日本は負け続けるのか?」は、ひょっとしたら日本人は悲劇的結末に吸い寄せられていくような、そうした自虐的な性向があるだろうかと漠然と疑っていたんですが、どうも違うんですね。心中というのがありますね。心中を語って、現在の論客の9割方は「けしからん」と一刀両断してしまう。違うんだな。完全に、それは西洋思考になってる。

陳舜臣の著作などを目にしていると、やたらと「皆殺し」が多い事に気付く。皆殺しが為されるのは合理的な理由からである。或る意味ではナチスのホロコーストにも似ている。他方で、中国の刑罰には清王朝時代まで「支解」があり、これは特に重罪の場合、斬首した後に手足をも切断する。斬首で終わりではない、絶命したからといって、それで終わりにならない。勿論、これには見せしめの要素が多いものと思われますが、罪の重さを測っており、死罪だから絞首刑だ電気椅子だというのではなく、この者には、この刑が相応しいと考えて、そうしている。現在もアメリカの例などで懲役150年みたいな量刑を耳にして、「そんなの死刑と一緒じゃん、刑務所で死んじゃうでしょ?」と我々が感じるものですが、より厳正に罪を裁こうとすれば、我々の感覚の方こそ、おかしくて、「死罪は死罪、これ以上の量刑はありませーん!」と言っているようなものでもある。3人殺しても絞首刑、20人殺しても同じ絞首刑でいいと考えている日本人がおかしいのかも知れない。

これは日本人が、どんな死に方でも死は死だと考えているからかも。しかし、冷静に捉えると、死に方にもピンからキリまであり、惨たらしく殺されるよりも、きれいに死んだ方がいいという状況が有り得ることを意味していないだろうか? 陳舜臣に拠れば、阿片戦争時には、やたらと清王朝の官吏の自殺が多かったと指摘している。やはり、殺される前に自殺、清王朝によって処刑される前に自殺という選択をしているんですね。生きて辱めを受け、蹂躙される中の死よりも、まだ自殺してしまった方がマシだと、そう考えての行動でしょう。

これを語って陳舜臣は、西洋人はキリスト教だから、その命とて神から授かっていると考えるから自殺は大罪であるが、東洋人は自らの命を神から与えられたとは考えておらず、自分の生命は自分のものだと考える人間中心主義であると述べている。確かに、自殺が禁忌であるというのは、そういう事かも知れませんやね。

他方、日本ともなると、切腹なんて風習もあった訳です。その上で、心中を考えれば、実は、それも人間中心主義の日本人が行き着いた必然かも知れませんやね。悲劇的な結末であるが無理心中は別として男女の心中なんてのは現世で叶わぬ恋をあの世で成就させるという発想であり、神なき人間中心主義の終着駅みたいなものかも知れない。『遊女の文化史』でも同じ事が述べられており、実際にそう考えてきたのが、少し前までの日本人だったのだ。愛する男を殺して男根を切り取った阿部定に、何故、当時の日本人は拍手喝采を送ったのか――という問題にも関係している。これが理解できないというのは日本人としてマズいですやね。物事にはタテ糸とヨコ糸があって、時間軸がタテ糸、空間軸がヨコ糸、現在ともなると海外ではどうのこうのとか、時代遅れなどの言説が全て一蹴してしまえるようなったから、歴史的経緯が無視されまくり、全方位的に優れている訳ではないであろう西洋思想ばかりが称賛されている。

神に背くことになるから自殺しないとか、法律で禁止されているから自殺しないといった問題ではなく、飽くまで人間中心主義で、主体的に死ぬ事を選択せずに生きている。こうした死生観こそが本来は強味であった気がするんですね。神を持たないが故に、多くの事柄には自らを律し、その上で受動的、静的である。だから自分の身の振り方については全て自己が背負っている。庇護してくれている神様は居ませんね。困ったときに縋りつきたくなる都合のいい神様は持っているけど、心底から庇護してくれている神様なんて居ないと思っているし、そもそも居る筈がない。ホントは、そんな事まで気付いている。

【静】という漢字のつくりは「青」と「争」から成っている。「青」は問題ないとして、何故に「争」なのかと思っていたら、「争って澄む=真になる」という意味かららしい。一先ず置いておいた「青」については直球で「真」の意味があるという。ははーん、思うに、これは濁っている水ではならず、水の流れが止んで澄んだ水となり、そこで真を映す鏡になるという明鏡止水の哲学が反映されている気がしますかねぇ。「淮南子」と「荘子」が明鏡止水の出典に挙げられていますが、完全に、この心の有り様を説くのは、まさしく東洋思想だよなぁ…と。

動的と静的、これは「動⇔静」なので、西洋的価値観だと、とかく静的である事を消極的と評価し、常に劣った何かと判断されてしまいますが、ホントはガチャガチャと動いてばかりいる者には、いつになっても【真】は見えず、邪念を払い、心を静かにして初めて、それが分かるって事のような気がしますけどねぇ。また、この「静」は心を止めて鎮(静)めるであり、思考を停止しているのではない。沈思黙考し、誤まらないように見極めているのだ、天に則って巡ってくる数少ない機を、きちんと見極められるように。

邪な何かに惑わされてしまうのがヒトだけれどもね。

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なんでもかんでも規則とし、それも罰則付きの規則を作ってしまう事に違和感がある。これは、世代的なものも関係しているのかも知れませんが、尾崎豊が登場した背景には当時の雁字搦めの校則なんてものが影響していたような気がしないでもない。あれもこれも校則で禁止されているという状態であり、しかも校則違反となると罰則付きであったので、いわゆる停学処分であるとか謹慎処分であるといった懲罰もあったし、それ以外にも日常的な体罰は現在よりもずっとずっと許容されていた時代背景があるんですね。で、その都度、「校則に違反したからオマエが悪いんだ」という論法を目にしていた。つまり、当時の校内統治は、校則至上主義に則り、ルール至上主義に則り、或る意味では法治主義の徹底であった。

しかし、そういう環境下だと「こんなバカらしい校則にも従わなきゃならんのか?」という、そういう問題にも直面する事になる。当時は、結構、バカみたいな校則が多かったんですね。笑ってしまうのが男女交際の禁止であり、会話も禁止、華美な服装も禁止であり、休日にも制服を着用すべしとか、もう、無茶苦茶だったのだ。それらの校則は、おそらくは非行を防ぐという目的でつくられ、男女交際なんてのは不純異性交遊の元凶だ、高校生の分際でオシャレだなんて生意気だ、休日であろうが服装は制服を着用しなさいぐらいの、そういう勢いで作られていたのだと思う。そんな校則を守っている者はさすがに居ませんでしたが、或る種の狂気みたいなものなんですね。大袈裟? いやいや、私の高校時代なんて上履きではなくてスリッパを履くように決められていて、なんでスリッパなのかというと廊下を走らせない為であった。もう、殆んど囚人扱いですよ。まぁ、囚人扱いされても仕方のない生徒も多かったのかも知れませんけど(笑

何故、正義はそうまでして暴走するのか?

ルールによって善と悪とを区別してしまうのが法治主義であり、一たび、ルールがつくられてしまうと、その人為的に定められたルールに沿って善と悪とが裁かれることになる。そうは言うけれど、こうしたルールの掲げる正義というのは、しばしば暴走する。そういうルールに沿った思考というのは、教条主義であるワケですね。校則に違反している行為は懲罰されて然るべきである――という、その教条に準じている。言い換えれば、それは教条主義的な正義。しかし、その教条主義的な正義を盲目的に信じ、その人の正義を行使されてしまう。

「法治主義がベターなのですよ」という場合でも、当然、こうした硬直的な教条主義になられては困る訳で、金科玉条のように法律とか校則を掲げて正義を振りかざすという態度は、或る意味では非常にバカげている。裏返せば、なんでもかんでも法制化し、「はい、あんた、法律に違反しましたね」と言って、どんどん、その頼りない正義が膨張していってしまう。


実は、そこまでは従来も考えていたんですが、改めて、「法制化する事によって人間が傲慢になる」という事については、あんまり意識が及んでいなかったなと気付く。

ルールを定める、つまり、法制化しますよね? すると、どういう事が起こるか?

きっちりと線を引いてしまった瞬間から、法律に反していないという正義と、法律に反している悪とに分離されてしまう。正義に区分された者は、途端に自分を正義と認識し、自分とは異なって法律に反している者を悪と認識し、その悪を攻撃し始める。

何故、悪を攻撃し始めるのかというと、総じて正義は傲慢に陥るものだから。法律によって「正しいです」という御墨付きを与えられた事により、傲慢に陥りやすい心理になると考えられる。

この事を閃かせてくれたのは、陳舜臣著『太平天国』の文章でした。アヘン戦争以前、列強諸国は清王朝の好意によって、つまり、(東洋的な)恩顧主義的な対応によって、清朝が統治している清国内での活動をしていた。その頃の列強各国の人々は、清朝に対して強硬な態度を取れなかったという。何故なら、彼等は清朝によって恩恵的な特権を与えられているという自覚があったからだという。

しかし、この清朝と列強との関係性はアヘン戦争後の南京条約によって激変したという。条約とは、契約であり、いわば「法」ですが、そうなると領事にしても町場にしても、列強諸国の人々の意識は、「我々は特別に許可してもらっている」という意識から「我々には権利がある」という意識へと変化する、変化した――という。

つまり、「我々にはこれこれこういう権利がある」という権利主義が頭をもたげ、それが列強諸国の人心を傲慢にするという事らしい。この権利意識というのは、まさしく、それですよね。

「私には、これこれ、こういう権利があるんです!」

という態度となり、勿論、その主張がマトモな主張である事も少なくはないのだけれども、同時にヒトが傲慢・驕慢に陥り易いのも、そこですね。

ここで組み立て直して欲しいのですが、その権利意識というものは、法的根拠に根差している。しかし、そもそもから言えば、それら法的根拠の正義とて人為的なものである。人定法か自然法か。

法治主義が、そこまで出しゃばらなければ、そもそも、「へいへい、あっしは特別に、ここで仕事をする事を許してもらってますねん」という或る種の謙虚さが(西洋人であっても)維持されていた事を示している。また、一たび、条約(契約)という法的根拠を与えてしまうと、それに付随して人間の心理の中に権利意識を獲得させてしまう。そうなった瞬間から、その者は自制心を失い易い状態になる。「私には法的根拠(契約・条約)に基づいて、これこれこういう権利があるのだっ!」という心理状態になる訳ですね。そこには、もう恩顧主義的な「へいへい、特別に許可してもらっており、感謝しております」という謙虚さは失われている。

勿論、法的根拠に基づいての権利意識を有していても、猶も人としては謙虚であり続ける事が望ましい訳ですが、基本的に法治主義の裏には、このヒトを傲慢にしてしまう事の効能が大きいというのはホントであろうと思う。

日本では、昔からといえば昔からですが、近年、物凄く「お客様意識」というもののが凄まじく、各種のモンスタークレーマー現象の底に在る訳ですよね。あれらの多くは「私には何々する権利がある」という権利意識に根差して、そう強い主張を為さしめている。ごくごく冷徹な客観からすれば、「おどれに権利なんて無いんじゃあっっ!」と感じる事が多いのも実際であろうと思う。

最近は、どこのスーパーマーケットでも、「お客様の声」と題した目安箱が設置されていますね。クレームの増加が認識された頃に、「お客様のクレームは、企業にとってはお宝なのです。そのクレームを無視していはもったいない」みたいな言説が流行し、そうなった。しかし、実際にスーパーマーケットの店舗内に張り出されている「お客様の声」と題した用紙には、単なる罵詈雑言が記されているケースが多い。提案ではなく、罵詈雑言、クレーム箱のようにも感じてしまう。

「✕月✕日、6番レジのババアの接客態度が悪かった!」

といった具合に、ホントに、そうした店員を特定可能な状態のまま、罵詈雑言が記されており、且つ、それは、そのババアと呼ばれたレジ係が辞めてしまったか継続勤務しているかは分からないが、平然と店舗内に貼りだされているのだ。そのテのメモを目にしたのは一度や二度ではなく、大抵、どこのスーパーでも似たような状況になっていますね。「雪国まいたけの特売を組んでください!」&「担当の山田です。雪国まいたけの特売の件、承知致しました。営為努力して、お客様の声を本部バイヤーに届けたいと思います」といった微笑ましい顧客からの要望を店員が拾い上げていくというものが半数以上であるが、3分の1ぐらいは、傍目にも眉をしかめたくなるような罵詈雑言ですね。なので、「よく、これを貼りだしているなぁ…。ここで名指しされた従業員の気持ちなんて店長は考えていないのかな?」と感じたりする。

きっと、「お客様の声をお寄せください」という文があるから、その文言を根拠にして「ババア」と書きなぐる事が正義化され、また、これを掲示してしまう事をスーパー側が正当化される事で、結局はババア呼ばわりされた従業員が人一倍、悔しい思いをしているんじゃないのって思う。「クレームは企業にとっての宝なんです」っていうけど、そりゃ経営者目線であり、労働者目線じゃありませんな。また、実際を考えればケースバイケースなのは歴然じゃないですか? クソな客をのさばらせて、どれだけクソな連中を増長させりゃ、ニッポンの、お客様至上主義は気が済むんだろうっていう、そっちの公共道徳の話になる得ると思う。

どんどん、ヒトは謙虚さを失い、その箍を緩めて行ってしまう。これは現代人の権利意識、その無差別的な称揚にあると思う。そして、それを可能にしているのが、法治主義への盲目的信仰であり、なんでもかんでも法制化、それも罰則を付けて法制化しないとダメだという今日的な言論人の思潮と関係していると思う。

法制化といっても、基本的には契約社会ですね。細かな契約によって双方を縛る。しかし、契約というのは総じて、一方が有利な立場で、一方が不利な立場で、実際には行われる。双方は対等な立場であると補足してあっても、実際の契約シーンでは、強い者が有利な契約をし、弱い者は不利な契約をさせられる。そして契約によって、その正義が生まれ、謙虚ではない人、我利我利亡者、傲慢に陥る人ほど、その恩恵を享受する。相手の気持ちを考えないサイコパスな人が、思いの外、社会で成功者になっているのは、これと関係しているのであるまいか。

法治主義というのは、ある程度は認めざるを得ない。そうしないと回らないから。しかし、過剰な法治主義というのは人々の権利意識を拗らせる。総じて人心の腐敗を招き、社会から円滑な人間関係を消去してしまっていると思う。法律、法律で雁字搦めにする事で、実際に社会の中の自由を退潮させ、息苦しい世の中にしていると思う。

「法律だから正しい!」という考え方は誤まりの元、錯覚の元でしょう。正しい法哲学に基づいて、各種の法律がつくられるべきで、そうしないと単なる教条主義になってしまう。「悪法もまた法なり」とは明確に退けられるべきで、法哲学に反して為政者によってつくられた法律、その法律にも従うべきだという主張になってしまう。「悪法もまた法なり」は、そもそも盲目的な隷属民への洗脳文句でしかない。「法哲学」と大袈裟に言いましたが、これはつまりは、巷間の慣習であり、道徳であり、倫理であり、客観的に、或いは常識として妥当と思われる価値観に依拠している。

また、極端に謙虚である必要性はない。謙虚な態度をとして、譲歩、譲歩を繰り返していても、既に世の中は、我利我利亡者が跳梁跋扈しているのが現実社会であり、譲歩をしても、殆んど得することはない。厚かましい事に、権利主義者というのは自己主張が強いから、譲歩すれば譲歩するほど、自らの権利を主張してくるのが実際だから。

これへの対応策は基本的はありませんが、ある程度の知識による武装は必要になってきていると思う。本来、それを道徳意識や倫理意識、或いは宗教や思想哲学であったと思う。とはいえ、近年、どんどん西洋的な法治主義が強まって、あれもこれも契約社会となり、義理と人情も消えて、真っ暗闇の世の中になってしまった。対立と分断は、日毎、進んでいるように見えますが、気付く気配もない。
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陳舜臣の歴史大河小説『太平天国』を読んでいるのですが、色々と面白くてショックを受ける。近年ともなると、教養といった分野は低く見られるようになってしまっていますが、本来は、ヒトは未知の事柄を知る事(新知)に快楽を感じる生き物であり、洪秀全ら一行の動きを描きながら、あれやこれやと兵法の論理が解説され、中国の故事の解説も為されており、それでいて実話ベースであるから、その新知の欲求を満たしてくれるワケですが、それでいながら、雄大・壮大な人間による歴史ドラマの流れを味わえる。

丁度、この「太平天国の乱」というのは、黒船来航の頃の清朝末期の中国の話であり、「ああ、実は東洋は、このようにして西洋近代に飲み込まれていったのだな」という凄い部分が記されている。

何故、中国の広西地方に洪秀全を教祖とするキリスト教団が誕生したのか? そのキリスト教団が如何にして勢力を拡大し、挙げ句の果てには清朝を滅ぼしかねない勢力にまで発展し、実際に南京を占領して太平天国という国家になっている。また、この【国家】という概念がどのように成立しているのか等も、あれこれと思案する材料になる。

例えば、オウム真理教のハルマゲドン思想というのは、全人類を滅ぼしてグルに従っていた者たちによる理想世界の創造を志向していたと解釈されていますね。そんなバカな話があるかというのだけれども、実際にオウム教団はサリンを生成し、実験などには成功していたと見られ、且つ、疑似国家体制をつくっていたワケですね。比較して、この洪秀全らの上拝帝会という宗教集団はエホバに拠る予言を受けたとし、その命に基づいて太平天国の建国を決意し、実際に武装蜂起。幾つも幾つもの城郭都市を実際に攻略し、国際承認こそされなかったものの、国家らしいものをつくる事に成功までしていた稀有な出来事であった。

国をつくるとは、一体、どういう事なのか? その問題をゼロから考えていた連中なのだ。同じ清朝末でも孫文あたりになると、ハワイ育ちの客家であり、国家というものの考え方としても西洋的な定義に基づいて思考し、国家観を形成できる。しかし、この太平天国の場合は、キリスト教の聖典などは読んでいたが、兵法や政治術は、中国伝来の、それも素人素人したところから積み上げて行われている。南京攻略に当たっては、長江に1万隻を超える舟で押し寄せ、清朝軍に圧勝している。しかも太平天国軍は、老人や子供まで、ごっそりと引き連れて移動する国家であった。つまりは、「移動する国家」、「移動する王朝」であった――その斬新さ。

上拝帝会では、男女を厳しく分け距てていたらしい。男営と女営。例え、夫婦であってもその男営と女営との境界を行き来する事は厳格に決められており、仮に、その規律に違反した事実が露見した場合は死罪が適用されたという。アヘンを吸っている者も死罪。そして、興味深い事に、やはり、この上拝帝会でも、私有財産の所持は厳禁であり、信者という信者はすべての財産を、同教団の聖庫と呼ばれた、倉庫へ一括して保管し、それを信者へと配分していたらしい。この私有財産所持の禁止というのは、原始共産制をモデルとし、共産主義や無政府共産主義でも、それを採っていたワケですが、その私有財産所持の禁止を厳格にやっていた「移動する王朝」が、この太平天国の真の姿であったろう事が浮かび上がって来る。

いわゆる左翼思想の中で、「これは無理だろうし、賛成はできない」と感じる大きな点は、この私有財産に係るものでしょう。現在の習近平政権とて表向きの看板として掲げられているのは共産主義であるが、実状を言ってしまえば、経済活動に関しては非常に自由主義的であり、私有財産所持に関しても「不動産を所有する事はできない」としながらも、実際はどうかというと、ああなっているワケですね。ごくごく純粋な意味での共産主義国家というのは成立しないという言辞を裏付けている。

では、何故、19世紀中頃の、中国では上拝帝会が信者を獲得して巨大化し、太平天国なる不思議な国家が出現したのか? これは中々の大問題ですやね。察するに、それ以前の清朝の専制政治よりも、キリスト教的な宗教に依拠しながら、私有財産など持たず、厳正に分配される完全分配論システムの方が、まだマシだと感じる者が、そこそこ存在していたからでしょう。結構な、衝撃なんですよねぇ。思うに、私はクロポトキンの「麺麭の略取」あたりでも「私有財産を所持を認めない」というあたりは、かなり苦しい政治理論のように読んだ記憶がある。これはモラールの問題であり、働かなくても働いても、同じように分配されるのであれば勤労意欲(モラール)は沸かず、サボタージュを蔓延させてしまうだろう、と。適度に差をつけない事には組織そのものも人心も丸く収まらない。つまり、その制度設計そのものが難しい。昔もそう考えただろうし、現在でも、そう考えられる。では、何故に太平天国は短期的であったとしても、それが成立したのかと考えると、やはり、「宗教による人心支配」でしょうねぇ。

あまり、この太平天国の問題って、歴史の授業などでも掘り下げないテーマであったと思う。まぁ、なんとなく、「洪秀全」という名前の人物によって「太平天国の乱」というのが起こされたんですよって、教科書に蛍光ペンを引くような、そういう認識だと思うんですね。しかし、陳舜臣が現地取材までして書き上げた『太平天国』に拠れば、洪秀全という人物は、基本的には読物を漁ってばかりの学究肌の者であり、且つ、科挙制度では芽が出ないタイプの人物であったとしている。人格的には高潔であり、実務の人ではないし、軍事・兵法に関しては殆んどノータッチな人物であったという。洪秀全を「天王」という教祖に祀り上げ、実務、実権を組み立てたのは樵(きこり)の棟梁にして、エホバを降臨させる依代であった楊秀清(ようしゅうせい)という人物であった。

元々は、洪秀全(こうしゅうぜん)を憑雲山(ひょううんざん)が補佐して教団らしいものを立ち上げたが、この教団が拡大していく過程で、諸々の組織を動かす実権者が必要となり、そこで実権を膨らませて行ったのが、楊秀清という構図。これも、諸々の新興宗教や新宗教でも語れる構図と似ている。宗教組織というのは教祖は何某かの神懸かりなどの症状を実際に有し、ひょんなことから注目を集めるが、そうして誕生した宗教組織の多くは、やがて、その浄財を信者に吐き出させるという上納金システムを利用し、幹部たちの都合のいい利権組織と化してゆく。別に宗教団体に限らず、この法則性がある。ショーペンハウアーが言うところの、「少人数で面白い事を発見して楽しんでいると、後から大挙して妙味を理解しない人たちが乗り込んできて、バタバタと権力闘争を始めて、純粋な面白味を排除して面白くないものにしてしまうものさ」と皮肉を吐いていましたが、その構図そのまんま。

そして陳舜臣の文章で、唸ってしまったのが「苦しい時には協力し合い、共存できるが、富を得て贅沢ができるようになると共存できなくなる」という故事の解説でした。紀元前472年というとんでもなく古い故事、「越」王の勾践が宿敵の「呉」王の夫差を倒した後、勾践の元から腹心の范蠡(はんれい)という人物が去っていったという。ようやく呉に勝利し、越はハレて天下泰平を獲得した。王と一緒に腹心も贅沢な生活が出来るようになるという状況で、何故に、この范蠡は逃げ出してしまったのか? その答えが「苦しい時には共存できるが、贅沢ができる状態になると共存できない」の答えであるという。つまり、自由にできる富が生まれると、人はいがみ合い、嫉妬し合い、結局は主導権争いとなり、内部分裂する事、それが世の中の道理だと分かっているから、その范蠡は王の元から逃げ出す事にしたのだという。あゝ、まさしく文明の核心かも知れませんね。
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向っている方向性の先に、理想があればいいんでしょうけど、そもそも、そちらの方向には理想は見い出せそうもない、なのに、目的へ向かって進んでいるというのは、やはり、気持ちの悪いものです。裏返して、少しは理想へと近づいていくのだろうという展望が在れば気は楽ですが、国際情勢も日本国内のデジタル化大合唱も、まるでディストピアへ向かっているようにしか見えない。

ヒト・カネ・モノによって物事が動くというのだけれども、この考え方って傲慢な気がするんですね。物事をするにあたって、パソコン上で何もかもが終わるという幻想を見ていやしないだろか。もう、コピー機でコピーを取って冊子をつくって台車に乗せて、それを各部署に運ぶ仕事は無駄だから要らないという。もっともなのだけれども、それらを省いてしまうと、ヒトが行為に介在している意義がなくなってしまう気がするんですね。

私が想起したのは、映画「踊る大捜査線」シリーズのワンシーンでしたが、アレコレと言い合って誰かが妙案を出して、「そうだ、そうだ、そうしよう」と事態が転がって、人々が一つの目的に向かって動き出す。誰は何をやって誰は何をやってと自在に役割分担が為され、速やかに仕事が片付く。

また、それらの作業をする中で、「これ、ホントは、こうなんじゃないの?」のようなヒトの心が動く訳ですよね。帳合いなんてめんどくせーなー、クソ上司、死ねやと思いながら単純作業をこなし、その厄介な帳合いが済んだら、今度は冊子を台車に積む訳ですが、これは明らかに力仕事、労力のかかる仕事だから、出来れば人手が欲しいのだけれども、クソ上司とか、むかつく同僚は手伝おうという気配さえない。おいおい、向こうで人手が足りねぇみたいだぞ、力のありそうなヤツ、ちょっと、向こうの積み込み作業を手伝ってやったらどうだいって気持ちがない。新入社員は指示待ち型人間だから、命令されたら命令されるまでは動かず「それは僕の仕事ではありませんので」と知らぬ顔。あー、ウチの会社、クソだわ、クソ過ぎるわと思いながら、汗をかきかき、なんとか少人数で台車に積み込んで所定の倉庫へ冊子を運ぶことになり、台車を押しながらエレベーターの前に来て、何かが閃いたりする。これがヒトの介在している仕事であろうなって思う。

デジタル化推進論というのは、話を聞いていると、自分たちはそれらの作業の一切をしないデスクワークのヒトの発想であり、仕事といえばパソコンに向かっている事であるという。しかし、ホントにパソコンだけで仕事って成り立ってんですかね? そりゃ、パソコン作業が専門の者はパソコンに四六時中向かいあっているのが仕事なんでしょうけど、実際の職場、オフィスって、そこまで徹底されてるんだろか? 

よくテレビドラマなどでは

「明日、大事なプレゼンがあるので、その資料づくりが忙しくて、まだ仕事が終わらないのよ!」

的な描写を、物凄くよく見掛けるのだけれども、そもそも、世の中、そういう仕事ばっかりって事はないんじゃないの? そういう仕事の人たちもいるでしょうけど。宅配便の配達とか、自販機がガシャンガシャンと缶ジュースを詰め込んでいる自販機業者であるとか、ホントは、そうしたワーカーの人口の方が遥かに多いんじゃないの?

その場、その場で、作業をしながら、色々な事を話したり、考えたり、案を出し合ったり、そういうプロセスを省き、また、ヒト・カネ・モノの内の、ヒトに限っては、そういうアバウトにして直観的なものが作用したりするから面白味があるのだけれども、これを完全に唯物的、機械的な作業にしてしまった場合、色々、違ってきてしまう気がする。殆んど、その設計がロボット社会のように思えるんですね。受注者が、ボタンをポチっと押したら、それに応じて機械がガラガラと動いて、その指示が貫徹されるだけ。そういう仕組みをつくりたいとして計画しているのだろうけど、それは無機的な何かであり、有機的ではない。実際というのは、物事がヒトからヒトへと渡っていく過程で、「あ。ここ、間違えてなぁい? ちょっと確認してよ」のようなチェックが入ったり、「あー、これじゃ、クレームもんじゃん。いーよ、いーよ、オレが店長に説明してくるから!」のように、ヒトを介在して物事が動く方が人間味があり、また、そのように人間が関与する事に拠って、その物事が人間に即した物事の転がり方をするんじゃないだろか。

先の例え話では、最後に愚痴をいいながら台車を押している人物がエレベーターの前で「閃く」としましたが、案外、世の中というのは、そうした何気ないものからヒトがインスピレーションを受けて、劇的に物事が動いたりする訳ですよね。そうした人間味を省いて、ただただヒトに機械的作業をさせようとしている科学的管理法のようなものってのは、ホントは大分、前に一度、否定されたものなのに、ここに来て、凄い勢いで称賛されるようになっている。当代隆盛なのは「うるさい、文句を言うな、貴様らは、ただただ、俺の命令に従って決められた作業をしていりゃいいんだ」型であり、カネがロボットのようにヒトを働かせる労働モデルのような気がする。しかし、案外、ちょっとした「遊び」の中にヒトの強味があるんじゃないのかな。まぁ、そんなに上手くはいかないものだけど、本来的な人間同士の組織、その環境ってのは、そんなもののような気がする。

人間の世界の仕事なのであれば、当然、そこに深く介在すべきはヒトであり、また、そこでヒトという個人単位が集合して組織となり、その組織が仕事にあたる。ヒトの世なのだから、何事もヒトの手を経ずして進めても背伸びをした事になるし、ヒトの限界を超えてまで合理性を追求してしまっている事は、或る種の逸脱のような気もする。身の丈を忘れ、効率、効率と言い出し、自分は棚の上に置いて、他者を都合よく低賃金で働く奴隷的なロボットのように考えている気がする。


仮に、向こうに聳え立っている城を攻め落とすのが目的だとして、その目的の為であれば何でもアリになる。目的遂行の為であれば卑怯もへったくれもない。内応も狙うし、火を放つし、裏切りも正当化され、他人に責任を押し付ける事も正当化され、一部大衆に犠牲を強いる事も正当化し、なんだったら大虐殺でも正当化してしまう。兵法の論理では、そうなってしまう。そして、また、この兵法の論理では、恐怖政治になりがちである。「命令は絶対である!」という指示系統となり、「貴様ごときが異論を挟む余地などない!」となり、反対意見を弾圧し始める。非常に唯物的、機械的になる。そして、しばしば人類史としては大惨事を惹き起こし、それでいて彼らは責任も取らず、証拠を隠蔽し、逃げ切ってしまう。これが歴史でしょうねぇ。

そこに従事している者たちは、「将」は手柄を挙げる事が目的となる。一方、「兵」は気の毒なのだけれどもホントは将棋の駒のようなものであり、場合によっては単なる捨て駒にされてしまうが、そんな彼等の多くは洗脳されていたり、恐怖政治で統制されてしまっているから、それに気付かない。理想と目的が合致しない事に悩む事なんてない。

先日、ビートたけしが主演をした「点と線」というドラマでも、それが確認できたかな。ビートたけし演じる主人公の刑事は戦争体験がある。体には4発の銃弾が現在も残っているという設定の刑事でしたが、戦争体験を語って「死にたくない。生きたい。殺されたくない。殺したくもない」と回想するシーンがありましたが、一兵卒というのは、そういう境地があって然るべきなのでしょうけど、そういう心理描写は昨今はありませんね。目的に向かって邁進する、きっと成功する、ネガティブな事を言ってはいけないというポジティブ思考が正しい人間の在り方であるかのように、インチキ臭い心理学をベースにして説明されている。
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あー、毎日のように問題が噴出している筈なのに、日本って、どうなってしまったんだろ…。

日本学術会議の会員人事を巡って内閣が任命拒否をしたという問題、もっともっと大騒動にした方がいいと思う。まぁ、その手口が改めて露見したというのは、好材料なのかな。この手口は小泉改革の頃から始まった有識者会議などって、巧妙な政治的プロパガンダで、「公正に有識者を選んで会議をしてもらっています」というポーズなんですよね。実際には有識者会議の人選をする時点で、多数決になった場合の票読みを官僚はできている訳で、実質的にはヤラセでもある。有識者に話し合いをしてもらったプロセスを経ているんですよと言う為のアリバイづくりでしかない訳で。

(実際に反対する側で会議に出席した人たちはガス抜き要員を演じさせられる事になる。国民を代表して有識者として会議に参加しているという義務を全うするなら、最後に椅子を蹴飛ばして帰るぐらいしか選択肢はないレベルらしいが、そこに召集される人は有識者なのだから、そもそも椅子を蹴飛ばしませんやね。勇気のある人が椅子を蹴飛ばして、「こんなのインチキだ!」と叫んだら話題になるのかも知れませんが。)

次の千葉県知事選には、鈴木大地さんが出馬だという。鈴木大地さんの個人的な資質は分かりませんが、もう、酷すぎるかな…。政治はスポーツ選手の天下り先になりつつある。しかも、スポーツ選手だから芸能人とは異なりますが、有名を武器にしているという事では同じですな。どうも、お手盛りにしか思えないんですよねぇ。どんどん上級国民さんを養う為の政治家ポストや省庁ポストが増殖している。「既得権を壊す」とか言って上級国民さんの天下り先は増える一方という気がする。

そもそもスポーツ振興って、そんなに大事なんでしたっけ? 文化庁の下のスポーツ局で充分じゃないの? こんなに予算を割いているのもバカバカしいのに、元アスリートの人たちによる政治家への転身とかって、そんなに必要? どんどん本来の選挙がアイドルグループの人気投票みたいになっていくんじゃないの? アスリート引退後の彼等を政治家にして税金で生活を保障しているつもりなのかも知れませんが、なんだか亡国って気がしてしまうかなぁ。立派に政治家としての役目を果たすものと期待するしかない訳ですが。

何故、お手盛りだと思うのかというと、もう、スポーツそのものが本当は余暇活動であり、娯楽だった時代を知っているから。スポーツ、結構ですねぇ。しかし、それは余暇活動ですな。まさかソビエトじゃあるまいし、そんなにカネを使うなんてどうかしているって、そう、言っていたのだ、80年代までは。プロ野球のナイターの結果なんて、昔は佐々木信也の「プロ野球ニュース」一択でしたよ。それがバブル期の頃から、各局、スポーツ専門ニュースを横並びでつくっちゃって。JリーグにVリーグ、メジャーリーグに欧州サッカーに世界陸上にフィギュアスケートにって、もう、日本人の生活全体がスポーツ新聞状態になってしまっている気がする。何故、こうなったのか。世界的な傾向でもあるのでしょうけど、日本の場合は、電通さんですね。スポーツってのはカネになる。ボロ儲けできる。コンテンツとして有効だし、それ以外のメディア露出のマネジメントで稼げる。マスメディアによって英雄をつくりだし、その英雄的なアスリートが引退後に政治家に転身する。お手盛りだよなぁ。しかも、スポーツジャーナリストっていう分野も脚光を浴びるようになりましたが、現在はアスリートのプロモーションを兼ねているから、密着取材しながらも、悪い事は書かない。また、ミーハーな風潮が出来上がったので、悪い事も書くタイプのスポーツライターをファンとかサポーターが望まなくなってしまった。夢を壊さないでくれって事なんでしょうけど、それじゃ、ホントに劇場型過ぎません? 別にスポーツが盛んじゃなくても生活できるのに。スポーツが盛んになってくれないと困る人たちが居るって事かもよ。

それと基本的に政治とイベントが近くなったんでしょうねぇ。人気者に権力が近づいて税金を使って懐柔する。目敏いですよね。某有名子役が成長して高校生になってSNSで話題になったら、直ぐに政府広報の仕事が入っちゃう。常に人気者に政府が接近していきますね。「笑っていいとも」では木村拓哉さんから安倍晋三総理にテレフォンショッキングが繋がったけど、ああいうメディア演出をホントにやるようになっている。そして元アスリートも政治家に転身して引退後の腰掛にする。或る意味、彼等の間ではWin×Winなんでしょうけど、随分、税金が還流する世界で、どうしようもない。


で、この問題なんですが「革命は何故、起こらないのか?」にも繋がっているように思う。宮台真司さんに拠れば、この問題、ルカーチがやっているのだという。ルカーチは本当に革命が起こってしまう事を労働者階級は恐れる心理があるとしている。ひどい世の中だ、これは世の中を変えるべきだと考えていても、いざ、ホントに体制を引っくり返してしまう事を想起したときに、「しかし、そんな事をしたらオレ自身が失業してしまうかも知れないな…」という心理状態になる。なので、中々、革命は起こらないと分析したという。「特殊利害と共同利害の矛盾」という日本語で説明している。で、この問題は革命のような大きなテーマにせずとも、総論賛成、各論反対などにも同じ構図が見られるという。

特殊利害とは上級国民の既得権を表わしている。しかし、その労働者の多くは、そうした既得権の末端にぶら下がっているから、共同利害を負っている。ベトナム戦争の時代のアメリカでも、この構図が暴かれて軍産複合体という批判がありましたね。戦争には反対であるが、戦争をしてくれないと失業してしまうという労働者が現実に出て来てしまう。ジーンズとか軍備品の縫製工場などでは、そんな感じだったらしい。

という事は、どうすれば世の中を本当に変えられるのかと堂々巡りになる。やはり、圧倒的な熱量のようなものがないと体制を引っくり返すまではいかない可能性がある。ローザ・ルクセンブルクや、グラムシといった左翼の急進派は、「加速主義」という理屈を持っていたという。これは、どういう事かというと、政治の腐敗に対してアクセルを踏んで腐敗を加速させ、その腐敗した都市で不満を高めて一気に革命を起こすという理屈だったそうな。「農村から」ではなく、「都市から」というあたりに左翼思想なりの検討の痕跡があって、つまり、「腐敗するのは農村ではなく都市である」という事も分かっているから、そういう加速主義のような急進的ものが生まれる訳ですね。都市部ではどうやっても低賃金労働者が割を食わされる。

その解説からすると、ちょっと宮台節も解ける。「天皇を中心にした核武装をする社会主義国家」という国家像を示している事の裏には、このアクセルを踏んで腐敗を加速させるべしという加速主義理論も少しは念頭に入っている可能性がある。実際に宮台節の場合の「徴兵制」は、自分自身でも挑発的に発言したなんて語っていた事もあったから、そういう推測も成り立ちそう。

世の中、失業者だらけにでもならない限り、動きの緩慢な日本ではホンモノの体制批判は起こりそうもない。それが分かっているから、政官財マ学は、かなり、余裕があるんでしょうね。どうせ、カネをバラまけば愚民どもは黙るだろうとか、ユニバーサル・スタジオを誘致すると言えば愚民どもは鎮まるだろうとか、そういう流れになっている。これぐらい腐敗が進行してしまうと、確かに加速主義なんてのも夢想する事は可能かも知れない。(本気度は低いけど。)

で、この急進派は、やはり、鍵を握るのはマスメディアであると考えられていたという。しかし、これ、現在の日本では詰んでますね。東京一極集中の弊害でもありますが、マスメディアは政官財マ学の中にあり、堂々たる上級国民だから、自分たちの居場所を奪うような報道を出来るわけがない。ルカーチの「特殊利害と共同利害の矛盾」は、現在のマスメディアと政権との関係で当て嵌まってしまっているのだ。テレビ局や新聞社はホントに体制転覆が起こってしまうような事態になったら、自分たちも存亡できなくなるかも知れないと思うだろうから、そうした報道に熱は入らない。基本的には手詰まりですな。上級国民さんの横暴に、ただただ耐えるだけ…。

これを突破する方法を論じてしまうと、さすがに差し障りのある内容になってしまいますが、もう、それぐらいマズい状況になって来てしまった気がするんですけどねぇ。
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保守思想の日本に於ける始まりは、攘夷論であるという。つまり、外国人が開港を要求してくるらしいが、そんなものは有難迷惑だし、排撃しようじゃないかというもの。「排撃」という形で表れていますが、これには理由があって、日本は日本で既に足りているので何も今まで通りのままでいいのだという、そういうアイデンティティーがあったものと思われる。この頃、ニッポンとかニホンというアイデンティティーがどれぐらい浸透していたのかは微妙なのかな。ひょっとしたら、ヒノモト(日ノ本)という認識だったかも知れませんやね。

で、ここで日本人は日本人としてのアイデンティティーを固める必要性に迫られ、天皇を担ぎ出した。つまり、古来より、この国は一貫してヒノモトの国として歩んできた歴史と伝統を持っており、その証拠に古代から天皇が在るじゃないかと組み立てて行って、尊王攘夷が完成した。既に江戸時代末期という事になるのかな。

攘夷か開国か。攘夷をしたいのは山々であるが、諸々の情勢を考慮すると攘夷は難しい。ペリーとやらは、実際には蒸気で動く軍艦を率いてやってくるのであって、交渉次第によっては武力衝突も有り得る。既に薩摩や長州は、手ひどい目に遭っている。ときの政権であった徳川幕府は開国やむなしと判断したのに対して、尊王攘夷運動の方は、倒幕へと傾斜していった訳ですね。倒幕か佐幕かの倒幕。そして徳川幕府が大政奉還という形で、この国の実権を新政府軍に明け渡した。本当は、別に天皇がこれこれこうしなさいとか、こうあるべきだとか、そういう話ではない。新政府軍は実権を奪うにあたって、天皇を担ぎ出したというのが実相でしょう。つまり、大政奉還とは、徳川家が政を、天皇へ返上(奉還)したという形式をとっているが、実質的には、それは新政府軍に実権が移動した事を意味している。

つまらぬ、おさらいですが、「孫文」(旧題「青山一髪」)には、清王朝の末期の様子が描かれており、旧体制が滅してゆくプロセス、それと王朝の末期というものも描かれている。既にしっちゃかめっちゃかな状態ではあるのですが、徐々に体制派は、革命勢力を警察力とか軍事力で抑え切れなくなっていくんですね。このプロセスは、逆説的にマックス・ウェーバーの説を証明している。すなわち、国家とは領内に存在する異勢力を武力によって排除できる能力を有していて、この威力が及ぶ範囲が領土である的な。また、同時に、警察力と軍事力、これは合わせて武力そのものでもありますが武力によって、その統治権力の「力の源泉そのもの」であることの証明になっている。こうした政治学的な考察の上に、「暴力装置」という用語があり、それは徹頭徹尾、暴力装置であり、なんら誰かに失礼だとか不敬であるとか、そういう話ではない。(なのに、いつぞや日本では、言葉狩りのターゲットになった事があった。学者らは知っている筈なのに見て見ぬふりをした。)

清王朝は、飽くまでも既存の勢力であり、体制派である。体制派に背く者は取り締まる事ができるが、徐々に実質的な取り締まりが効かなくなってゆく。そうなると王朝は外部の勢力と共同して、国内の反乱分子を取り締まろうとする。最早、統治民の事を考えているとか、そういう次元ではなくなってゆく。結局のところ、統治者にしても統治機構にしても利己的原理で動いているのであり、天下万民の為に動いているのではない。善政をしようとか天下万民の為にどうとかという力学ではなくて、ただただ反乱分子との政治闘争をしている状態になってゆくのが分かる。対する、革命や維新を志向している側にとっても実は、これは同じで、大義らしい大義よりも、旧体制を打倒する事が目的化し、同時に革命・維新の中でも主導権争いが起こる。「内ゲバ」に近い論理ですね。

この一連で言えてしまう事とは、「大義」なんてものはないという事でしょうねぇ。歴史小説の大家でもある著者の陳舜臣は、この小説の中で【国体】についての説明もしていましたが、国体とは明文化されていない、その国の最高法規のようなものであるというニュアンスであったと思う。立憲君主制と、共和制との間の差異は、君主を頂く形で憲法を定めて憲法こそを最高規範とするのが立憲君主制であり、一方の共和制の方は君主を持たない。前者が維新であり、後者が革命であると明快に語っている。

明治維新に当て嵌めると、確かにあれは、明治革命ではなく明治維新であると合点すると同時に、その危うさにも気が付くでしょう。本当は、当時のリアルタイム感覚であったならば、明治維新とは武力クーデターであり、クーデター軍が天皇を手に入れて、そのまま、官軍となり、官軍と幕府軍との戦いの構図に持ち込まれていたのだろうなという事に。

思えば、これが昭和の暗黒期にまで影響を及ぼしていた。おそらく、明治維新を果たした勢力は新政府軍になりますが、実権を掌握して実際に政治を行なう事を考えたときに、天皇親政を掲げておく事が、大きな影響力を持つ事に気付いてしまった。天皇の名の下に、実権を行使した方が何かと都合がいいのだ。実権、実権というものの、実際に統治を行なう事は単身の王では不可能に決まっている。スターリンあたりは全ての戦局を全て自分で掌握して、全てに自分が指示を出すぐらいの勢いであったというけれども、そもそも限界があるに決まっている。実権とは常に実際の権力者たる実権者によって掌握されるのが、君主制の宿命でもある。稀に、君臣の奸として、日本史であれば蘇我入鹿のように実権者が強制的に排除される事も起こり得る訳ですが、やはり、少ない。

日本の場合は、天皇家には姓がない。なので、易姓革命は起こらない。一つの天皇が崩御しても、次の天皇が即位するだけなので、王朝の交代は起こらない。起こらないというか、起こりようがないという特殊なシステムである。また、同時に天皇家の出自も謎のままとされる。しかし、明治維新から終戦までの期間というのは、或る種の皇国史観が政治的に利用されたので、神武天皇にはじまる万世一系の民族が日本民族であるという、真面目な検証からすれば、かなり逸脱した見解が事実であるかのように政府によって流布され、また、当時の純朴だった国民の中には、それを事実と信じた者も多かったのでしょう。つまり、天皇とは神である、現人神であり、この国は神州なので、戦争に負ける筈がない、と。

しかし、冷静に考えると、そんなバカなって気付くような気がしません? この辺りが虚実綯い交ぜなんでしょうねぇ。

少なくとも政府の上層部はそれを知っていただろうし、天皇が人間である事も承知していた。その上で、天皇を神格として神輿に担いでいたのだろうから、実際には政治利用していた。これが「国体」というものなんでしょうねぇ。具体的には警察権や軍隊と関係しており、それでいて正真正銘の国家中枢を意味している。これは内閣そのものを意味していないし、警察機構そのものを意味していない。政治権力と警察権と軍事権、それと最高学府によって形成されている。日本の戦後体制でいえば、旧内務省がそれで、彼等こそが日本の保守権力の総本山でしょう。それらは繋がっていないと思いたいところでしょうけど、繋がっていますね。エリート集団による東京大学の学閥であり、何故か頑健なまでに親米保守であり、正真正銘のエスタブリッシュメント。敢えて名称を模索するなら、国体論者でしょうか。

自由民主党の系譜を見ても、党人派(田中角栄)と官僚派(福田赳夫)の角福戦争という対立がありましたが、これは分かりますよね? 一度、田中角栄が金権政治によって自民党内で政権交代に成功したが、その後、金権スキャンダルによって旧田中派は没落の一途をたどった。結局のところ勝利したのは官僚派であった。現在の菅義偉政権も系譜を伸ばせば官僚派という事になる。政治家と官僚とで利害が一致してしまっている事が分かる。どちらも為政者であり、納税者に収めさせた税金によって生計を立てられる特殊性を持っている。官と民と言った場合は官であり、官に近い政治家を日本は選び続けてしまっているのだ。しかも、最近では、ここに本来的には、権力の暴走を監視する役目を担っていた検察&最高裁判所も、人事を官邸に掌握されてしまった為に国体論者に屈服している。

元々は、検察暴走論があり、その中で検察の人事権を政治家が握ってしまったというのが現況でしょう。マスメディアは読売だろうが朝日だろうが、そもそも彼等は現行体制下に於ける上級国民、既得権益を持っている側なので、わざわざ政権と戦ってまで不正を暴こうとはしてくれない。

しかも、これらの誕生は見事なプロレス的な虚像であった。下々の者は皇国史観を真面目に受け入れ、天皇陛下万歳と叫んで自決した者もそれなりにあったのは事実らしいし、いわば、跪拝した訳ですね。ホントは頭の中でクリアに物事を理解している訳ではないが、何やら皇族とか王族といったものは権威の象徴だから、崇め奉り、跪拝した方がいいに違いないと、そういう次元で、おそらくは頭の中で処理している人が多かったのだと思う。「あの人は偉い人なんだよ」、「ああ。そうか。偉い人には、跪かないといけないよね」の精神。

冒頭に戻りますが、元々は保守思想とは、この日本列島に住んでいた徳川幕府統治時代の日本人、その日本の文化や伝統、生活や暮らしを守る為に起こったんですね。しかし、紆余曲折の中で狂信的な皇国史観を用いての統治で失敗し、戦後になると、白井聡さんが言うところのアメリカ国体論になってしまった。天皇国体論からアメリカ国体論へのシフトがあったという強烈な指摘であるが、それは間違っているかと問われたら、まぁ、間違っているとも言い難い。日米同盟とは言いながら、どこかアメリカの衛星国のように振る舞ってしまうのが、戦後日本の原寸大の姿である事は否定できないところがある。NHKの解説員を含めて、元外務官僚らの対談でも、この話になってしまい、紛糾したシーンを覚えていますが、まぁ、どうしようもなく、事実なんですよね。

或る時期から、「民族派」と名乗る新右翼団体が登場した。色々と違うじゃないかと原点に回帰したのでしょう。そもそも尊皇思想から始まっているが、政治家は財界の方ばかり向いている。よく歴史的経緯を掘り下げてみろ、ホントはヤルタ・ポツダム会談で日本割譲計画が米ソ英の間で行なわれていたのが史実であり、これをYP体制(ヤルタ・ポツダム体制)と呼んでいたと思いますが、つまり、打倒YP体制を掲げて、本来的な日本の固有性、独立性、民族主義を掲げた。どうしても過激な行動が目に付いてしまうものではありますが…。

現在の、ネトウヨと呼ばれる人たちは、まるで導かれているかのように左翼を攻撃対象にしてしまっていますね。では、左翼思想の系譜には愛国心はなかったのか、そうしたアイデンティティーはないのかというと、これも違う。マルクス主義と、革命思想とは完全には一致していない。帝国主義を打倒する必要性があるという中で、そこで帝国主義に対抗可能なものはどういうものかという中で、新左翼思想が形成されている。安保反対とは、即ち、米国の傀儡国家になってしまうであろう事への危惧も含まれていた。そこへマルクス主義がのっかって革命思想となり、同時にベトナム戦争の泥沼化などによって、実際に60年代70年代は日本に限らず、世界各地で反戦平和がテーマになっていた。新左翼ブームが終焉に向かう中で、この急進的な勢力が赤軍派や反日アジア武装戦線などのテロリストとして世間を震撼させた。途中から「闘争そのもの」が目的化してしまい、狂気となった。

右派では、中島岳志さんの著書を目にしながら感じましたが、ひょっとしたら最後の右翼は石原慎太郎であったかも知れない。「Noと言える日本」という書籍のタイトルに、諸々のそれが含まれていた。実際に石原慎太郎の場合は、都知事になり、大きな影響力を持つまでにになったが、東西冷戦構造の終焉と、40年前には考えもしなかった中国の台頭により、日本の固有性を確立する日本という方向性が失われた。結局は中国に対処する為には米軍の抑止力が欠かせないという現実に直面し、敗残した。もはや、戦勝国による世界支配打倒、YP体制打倒なんて事も、あまり本気で考えられないようになってきてしまっている。これは、第一次安倍政権の際に「戦後レジームからの脱却」が掲げられていたが、その後の第二次安倍政権を見ても同じですね。結局、アメリカから諸々の要求をつきつけられてしまい、それを飲み続ける事で、その長期政権を実現させたと言える。水面下で進行しているのは日本政府による日本文化の破壊であり、日本の売却みたいなものでもあり、金融はどうなりましたか? 保険はどうなりましたか? 日本企業の株主保有比率はどうなりましたか? 米を食べるという食文化はどうなりましたか? そういう話になってしまう。まぁ、東京を世界の金融センターにするとか、カジノを中核としたIR施設を建設するとか言っているのだから、要は東京や福岡をシンガポールみたいになろうとしていんでしょうねぇ。

ああ、少し補足すると以前は「カジノを含むIR」と呼んでいましたが、最近、読売新聞の紙面をみたら「カジノを中核としたIR」に変更されていました。カジノ付きのリゾート施設ではなく、カジノがメインでリゾート施設はオマケだという事が読み取れてしまう。読売新聞さんの記事でも、その表現が使用されている。カジノでっせ、カジノ。リゾート施設じゃない、カジノをつくりたいってのが段々、露骨に表れてきているんでしょうねぇ。横浜市民が現状では反対しても、きっと無理でしょう、何故なら「偉い人」が決めちゃっている事だから。カジノに係る賄賂を貰っていた政治家が逮捕されていますが、あんまり、テレビは騒ぎませんね? また、自民党を離党した状態で秋元議員は法廷で徹底抗戦するような態度だといいますが、司法が厳正に裁いてくれるだろうなんて言ったって、アテになるかどうか…。

スロットとかバカラ賭博とか、菅総理の御膝元の横浜あたりにドーンと作って、世界中の金融マフィアを集めて、切った張ったで遊ぶ遊興施設、さしずめ賭場を開帳しようじゃないかという方向性にある。ホントにそんな事で生き延びられるんだか…。正真正銘のワールドクラスの選民階級はタックスヘイブンで節税という名の合法的脱税をできてしまっている状態だろうから、ホントは選民階級に国ごと乗っ取られてしまったようなものかも知れない。選民階級以外の者にとっては、さほどメリットがあるとは思えませんけどね。

苦力(クーリー)のような汚れた顔をした労働者たちと、若さ&色気でカネ持ちに媚びる女性たちが増えるってのがオチだったりして。



ああ、マスコミや大衆世論が沈黙する中、ブログなどでは河野太郎チャンの「法律があるから押印禁止の理由にならない」という発言を問題視している方も、チラホラと居ますね。既存の法律よりも、大臣の強固な意志の方が優先されるって事を意味している。だから国体の話なんですが、誰も権力を監視するものがないというのがマズい。フツウは法治国家であれば、仮に為政者であっても法律にのっとらなきゃならない訳でしょ? そうじゃないと、単なる独裁者になってしまう。既存の法律よりも大臣の一念の方が優先され、それが有権者から「優秀な政治家」と支持され、放置されるようになっているっていうのが大問題。本人たちには自覚はないんだろうけど、ファシズム的になってきちゃった。ホント、日本も酷い国に成り下がったもんだって話じゃないの? また、法律を無視して社会改革を進めるのは正義だというのであれば、相互性原理で、だったらテロでもOKですよねって事になってしまうと思う。
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星新一の『声の網』では、交通事故で片足が不自由になった引き籠もりがちな青年に次のような夢想をさせている。

「そうむずかしいことじゃないから、気楽に聞いてくれ。この宇宙のそもそもの発生。学説によるとこうだ。はじめは無だったんだ。なんにも存在しなかった。そこに数十億年だかむかしに、ひとつの爆発が起こった。爆発という現象は、エネルギーの飛散なんだ。飛散ということによって、空間が意味を持ちはじめる。四方八方ということでね。空間のなかを移動することで距離がうまれ、それは時間という意味を持ちはじめる。時間の作用によってエネルギーは冷却し、物質となる。物質が出現し、物質が意味を持つことになる。そのつぎに、物質の大きな塊、つまり惑星の上にだね、生物が出現する。生物は進化し、人間となる。人間が思考をはじめ、これが文明だ。〜後略〜」

ビッグバン仮説、それも無から宇宙が生じたという仮説を、作品中の登場人物に語らせている。まぁ、広く信じられている宇宙創成の仮説で、それをSF作家の星新一も踏襲していたのだろうなって思う。こんなセリフの中にも「エネルギーの飛散」とか「空間と時間」、更に、それが「意味を持ちはじめる」と論じている。

更に、『声の網』という作品に関して言えば、この宇宙創成から文明の誕生、その逆の順番で「文明は終わるのではないか?」と、その片足の不自由な青年に夢想させ、読み手にも、それを伝えるという手法を使用している。

その片足が不自由な青年は考える。先ず、生物を支配する生物支配期があって、その次に物質を支配する物質支配期が宇宙史であろう…と。生物を支配し、物質を支配した後、エネルギーを知識や技術で支配するエネルギー支配期があったとする。

ピアノをピアニストが演奏して、楽曲を奏でているとする。その楽曲を奏でているのはピアノではなく、ピアノを弾いているピアニストである。何故、このピアノとピアニストの話が挿入されているのかというと、その問題がかかわっているから。支配されたのはエネルギーであるが、そのエネルギーは、情報即ち知識・技術によって支配されたというのが、その青年が展開する論旨なのだ。ウラン鉱石は単なる物質だし、水だって発電に使用するという情報(知識)が無い限りはエネルギーそのものではない。エネルギーとは、その動力を動力とならしめる情報(知識・技術)を有して初めてエネルギーとなる。従がって、物質支配とエネルギー支配とを区分しているのだ。

生物を支配し、物質を支配し、そしてエネルギーを支配した。すると、次には空間の支配が始まった。その物語中の青年が何を言わんとしているのか、読み取れて来るようになる。植民地経営であったり、植民地にせずとも租借地にして間接的に外部を支配してしまう、その空間的支配を意味している。この辺りになると近世の人類史であり、二つの世界大戦後になると殺し合いに凝りて、殺し合いのない支配権を求めて宇宙へ飛び立ち、或いはサイバー空間を作りだし、支配権を求め続けている。

そして最終段階としてエネルギー支配が劇的に進行する。既に動力源としてのエネルギー支配は起こっていたが、この劇的なエネルギー支配とは情報(知識・技術)そのものを意味していると夢想する。情報という情報が膨張し、爆発を起こすだろうと夢想する。そして、そこで何が起こるのかと、考えて、その片足が不自由な青年は「きっと無に支配され、無を支配する」という結論を導き出す。宇宙が生成された順番と逆の順番で、情報の爆発が世界を無に戻すと夢想するのだ。また、その無がもたらせる安穏の中で、人々は神を目撃する――と。


やはり、『声の網』はスケールが壮大だったのだなぁ…と気付く。きっと、子供の時に読んだ際、これらの意味は、さっぱり理解できていなかったのだろうなと確信する。この作品中、「クラインの壺」という単語も使用されていましたが、結構、星新一が考えていたであろう知識を作品中に盛り込んでいたように思える。


「宇宙は無から始まった」というのを信じるだろうか? 私は懐疑的ですかねぇ。この『声の網』を読んだ後に西田幾多郎の解説本を眺めながら、自分なりに確認してみましたが、無からは何も生じないし、生じようがない。それは極めて無に近い状態から宇宙が始まったの意だ。絶対無と相対無という言葉に置き換えれば分かり易い。宇宙は相対的に無に近い状態から始まったであり、絶対無だったら何も生じえないだろうさ、と。相対無とは「相対的に無いに等しい」の意ですが、こりゃ、すなわち「無」ではないと思う。数値でいえば「[0.0000001」や「無に等しい」は「0」と同一ではない。際限なく、その間には差異がある。

この【無】についての話というのは、必ず訳が分からなくなって首を傾げ続けることになる。ここで述べているのは、相応に整理して、分かり易くしているつもり。先ず、確認すると、有という状態に対しての無という状態があり、つまり、対義語としての「有⇔無」ですね。この場合、無というのは完全な無じゃないと成立しないから、無は無でしょう。どこまでいっても無。「相対的な無」は、無じゃない。そりゃ、無じゃなくて有だ。

では、数字の0とは無だろうか? まぁ、無を意味しているのだけれども、飽くまで【無】という概念の基本は「有⇔無」であろうなって考える。1個もないから0個なのだけど、そもそも「0個」という言葉には違和感がある。「1個もありません、0です」のように言葉であったら、そう説明するような気がする。

そして、決まって、この話になると「あーだ、こーだ」と始まり、そして決まって誰もきちんと説明できる者はいない。おそらく西田幾多郎にしても、そうであった節がある。講義の途中で「ワカラン」と呟いて、一人で帰ってしまった事もあったらしいなんて逸話も残しており、ひょっとしたら、分かる筈もない問題に挑戦していた哲学者であった可能性さえある。

西田幾多郎は、「クレタ人は嘘つきであると、クレタ人が言った場合」という問題を解説しているという。この例は「嘘つきのクレタ人問題」というらしく、このテの哲学問答で引用される事が多いのだそうな。例題の場合、クレタ人は嘘つきだろうか、それとも正直だろうか。いやいや、これこそ伝統的なパラドックス論争なのかも知れない。しかし、西田幾多郎は、この問題を解説してみせた。どう説明したのかというと、「クレタ人は嘘つきだ」と発言したクレタ人は、既に超越していると解説してみせた。「評論」とか「論じる」という行為もそうですが、実は既に次元を一つ飛び越えているのだ。「クレタ人は嘘つきだ」と言えるクレタ人は、その嘘つきのクレタ人とは別の空間に存在している、と捉えるべきである――と。平たく言えば、その例題に登場しているクレタ人Aをクレタ人Bは客観視しているのだから、同じ地平には立っていませんやね。

こうした紛らわしい問題を、一応は解決する事が可能なのかも知れない。単なる言葉遊びではなく、確かに真剣に考えているのだ。

しかし、これはヒントになるのかもなぁ。中観とか客観って、既に当事者の地平に立たずに物事を見ようとする態度ですな。「自分で自分を客観視することなんて不可能に決まっています」という批判が必ず起こるのですが、そういう話をしているのではないのは、自明でもある。しかし、それでも、そう付き纏われてしまうのが、現実世界なのだ。

また、星新一が披歴したエネルギーとは情報の事であるというのも興味深く感じました。確かに水があったとしても、その水を水力発電に利用するというアタマがない限りは水は水であり、エネルギーではない。そういう意味では水そのものがエネルギーなのではなく、水は水、つまりモノなのでしょう。そう考えると、或る種の情報(知識とか知恵)というものの影響力は絶大だ。

また、今朝ほどフジテレビ「とくダネ!」に自民党総裁選のカラミで出演されていた岸田文雄氏が、奇しくも「エネルギーに変わって、ビッグデータ」と発言していたので、ギョギョっとしましたが、この圧倒的な情報量を意味するビッグデータとは、既に文明にとって欠かせないものであるかのような、そうした認識が広まっているのでしょう。

それと中沢新一による「縁起」の説明、その認識論からすれば、我々はモノに名前をつける。名前をつけないことには、認識が難しいのだ。仮に「雫」とか「水滴」という言葉が存在していなかったなら、「ぽたりぽたりと水がちょびっとづつ垂れる現象があるだろ、その粒のやつ」と表現しなければならず、面倒臭い事、この上ない。そして認識して、そこに我々は意味を見い出そうとする。縁がないというが、あれは誤まりであり、「縁そのもの」は、どこかに転がっている。しかし、その「縁そのもの」が起こらない限りは、「縁起」にはならない。縁そのものが起動して初めて「縁起」が生じるのだ。確かに細心の注意を払っていなければ、そうした事柄には気付かないものでしょう。

名前をつけるよりも先か後か、おそらく、そのモノの性質などを直感・直観し、意味を見い出す。やや、この河の水は飲めそうだ、うまい、利用価値があるという具合に連動してゆく。そのように我々は物事を認識している。「これはね、鉛筆といって、文字や絵を書く道具、筆記具なんだよ」のように教えられれば、その通りに認識する事になるのでしょう。名前と用途(意味)まで認識して、その認識は完成に近づいてゆく。

仮に、仮に「情報爆発」とでも呼ぶべき事態が発生したなら、どうなるのか。「これは鉛筆だよ」、「いや、それはニボシという名前の筆記具だよォ。知らないのぅ?」、「違う、違う、それは鉛筆という名前だけれども本当は小魚を干した食べ物なんだ。ウチのネコが大好きなんだ」等々、もう、虚実綯い交ぜとなる情報爆発が起こったなら、確かに世界は大混乱に陥るのかも知れない。言語で世界を認識しているところが大きい文明人からすれば、正しくない情報の大洪水が起こったとき、文明は混乱し、ひょっとしたら無に帰してしまうのかも知れない。それを、作品中で星新一は片足が不自由な青年に夢想させている。


先の【絶対無】についての余禄になりますが、私が思うに絶対無とか完全無からは何も生じないと思う。その論争は、西田幾多郎に係る部分では確かにあるそうで西田幾多郎の言うように「絶対無があるのあれば、その対極は絶対有となり、絶対無の空間からありとあらゆるものが取り出せる、出現することになってしまう」という批判があるのだという。この辺りを踏まえてしまうと、「無の哲学」と呼ばれている系譜というのは、あんまり深入りしても意味がないような気がする。この矛盾は本格的な矛盾を意味しており、誰も彼もが「西田幾多郎、よく分からなかった…」という感想になっているのでしょう。セコセコとした感覚からすれば、あんまり深入りしても得るものは少なそうだ、でしょうかねぇ。――なので、「無から有は生じない」と考えますかねぇ。最初から有。何かが生じたように見えるのは変化によって認識できるようになっているだけであり、因子そのものは、最初から、普遍的に存在している。「縁」(えにし・えん)は、そこら中に存在している。しかし、その縁そのものを我々は認識できていない。そこでAとBとが知り合う事に拠って、存在していた縁が起動して初めて「縁起」が立ち上がり、認識可能となる。そのように真言密教などでは説いていたらしいのですが、多分、それでしょうねぇ。

2〜3年前からクリエイティブな仕事をしている者に対して、「0から1をつくる仕事」というフレーズが使用されるのを何度か目にするようになった。コピーライターであるとか、作家であるとか、世でクリエイティブとされる仕事への羨望がそうさせている。しかし、これは烏滸がましい表現のような気がしますかねぇ。先の絶対無と相対無の話を考慮すれば、軽々に「0から1へ」とか「無から有へ」というのは厚かましい。本当は、脈々と継続してきた文明の中にあり、言語一つにしても先人らが積み上げてきたものを流用している、パクっているのだと思う。言語体系も技術体系も。思想もパクってパクってパクりまくっている。

完全なるオリジナルのものなんてものが存在しているとは考えにくく、オリジナルに見えても、それは自然界の何かをモデルにして原理を発見し、それを応用している何かであり、絶対無から何かを生み出せると考えるのは烏滸がましい態度のように思える。斬新とか前衛にしても、既成概念を基準にし、その既成概念に対して斬新であろうとしたり、前衛であろうとしている訳で、純粋にして完全にして絶対的な0からは何を生み出しようもないのではないか。

「完全なる無」なんてものを追求していったら「東大一直線」で言うところの、ぽっぽしゃんの世界、或いはパープリンの世界なんでしょう。


さて、星新一が考えた「無に帰す世界」とは何であったのか? 無を支配し、無に支配される世界として『声の網』の中で描いている。星新一は世界は滅亡しないと物語に描いた。支配されている事を知らずに支配されている状態が「無の支配」である――と。(老子と似た内容ながら星新一には老子の匂いがしない。)『声の網』では世界は「無」にならない。無になっているのに気づかない無の状態の世界が存在し続ける=「有」。

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