ヒストリーチャンネルにてドキュメンタリー「天皇ヒロヒト〜ラスト・バンザイ」を視聴。番組の最後に流れたテロップでは「THE LAST BANZAI」でした。英語圏で製作されたドキュメンタリー番組という事になりそうですが、意外な内容だったので面食らった。どう面食らったのかというと、おそらく日本で製作する歴史ドキュメンタリー番組よりも、昭和天皇を一個人の人物として捉えている。しかも、どういう事なのか、非常に親日的な内容になっているなぁ…と感じた。
英国へ留学して、25歳で即位する。貴重な映像だなと感じたのはローマを視察している皇太子時代の映像、それと大正天皇が崩御して新たに昭和天皇として即位する行列の映像もあった。
【昭和】とは「平和を願うの意である」とか、日本が軍国主義化する中で昭和天皇が詠んだ「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ」を紹介し、これも昭和天皇が戦争を回避しようとしていた和歌であると紹介し、天皇を欺く形で起こされた満州某重大事件(満州事変)になると昭和天皇が「激怒」したという風にナレーションしていた。中国で戦火が拡大していくのを停戦させたのも昭和天皇の意向であった、と。
国際連盟の脱退、そして真珠湾攻撃で大日本帝国は太平洋戦争に突入していく訳ですが、古い古い映像で当時の日本人大使が「戦力的に勝ち目のない戦争を始めてしまった」旨の回想をしている。話を字幕で追っていた訳ですが、結構、重要な話もしており、その大使は「ミッドウェー海戦後に和平へ向けて動くべきだったが動けず、また、小笠原で敗れた際にも和平に向けて動くべきタイミングであったが動けなかった」旨、語っていた。冷静に戦力比較をすれば、確かに勝ち目のない戦争であり、何故に、あのような無謀な戦争をしたのかに思いが到る。
しかし、ここで皮肉なことに、熱狂してしまっている当時の日本人たちの映像に目が留まる。バンザーイ、バンザーイと、全体主義になっている古い日本人の姿を目にする事になる。思うに、あれは、やはり、天皇ファシズムと呼ぶべき何かだったような気がする。全体主義であり、軍国主義であり、その中心に天皇と皇国史観が置かれていた訳ですが、日本の場合は天皇及び皇国史観は当時の政治家や軍国主義者らによって国民を束ねる為の道具として使用されていた節がある。傍から見れば、エンペラー・ヒロヒトによる独裁国家にも見えたかも知れませんが、当時の大日本帝国の場合の実相というのは「天皇」も「皇国史観」も或る種の道具であり、意思決定の中核にあったものは、恐れを知らぬ権威主義的な軍国主義であったように思う。
また、興味深い事に米国人か英国人かが、当時の日本を語って「甘やかされて育った子供のようなもので、いつか暴走する」と指摘していた。これは、15〜25年前に中国に対して、その「甘やかされて育てられた子供」という表現が実際に使用されていた記憶がある。
原爆が投下され、日本は敗北する。戦争を終わらせる事を決意したのは昭和天皇であった。いわゆる御聖断については深くは掘り下げていませんでしたが、戦争を終わらせる決断をしたのは昭和天皇であったというのは間違いではない。そのように紡いでいるので、この「ラスト・バンザイ」だと昭和天皇は、ずっと平和主義者であったという描き方になる。そして、どん底に落ちた日本の復活を見届けたのも昭和天皇であった――と。
あの映像は何処でしょうねぇ…、御巡幸の映像だと思うけど、昭和天皇が民衆の前に帽子をとって、笑顔で手を振っている穏やかな表情の映像があった。いい映像でしたね。この番組でも実際の昭和天皇は学究肌の人物であった事は強調されていた。
随分、この番組は親日的というか昭和天皇を好意的に描いてくれているなぁ…という気分になった。番組のはじまりは、アマテラスの命を受けて天皇制が始まったのが日本の起源であるみたいな半分神話から始まり、そして戦後の日本の経済復興にチラと触れる中で日本国および日本民族を総括するようなナレーションがあった。
そのナレーションでは「日本という国は、美しさと強い意志を持つ国である」といった具合のナレーションで、いやいや、もう、そんな令和の現在ともなると片鱗さえ怪しくなってます、と謙遜したくなってしまった。「いえいえ、そんなに褒められましても」的な。
何かしら政治的な意図があって製作された親日的なドキュメンタリー番組だったのかも知れませんけど、実は『昭和天皇伝』や『昭和天皇独白録』などの内容とも矛盾はなかった。おそらく、天皇は孤独だったのだ。シェークスピア劇のセリフとして「きみは私を王と呼ぶが、私が欲しているのは友人だ。それでもきみは私を王と呼ぶかね?」みたいな一節を紹介していた。それが天皇ヒロヒトの実相であったとまとめていた――。
英国へ留学して、25歳で即位する。貴重な映像だなと感じたのはローマを視察している皇太子時代の映像、それと大正天皇が崩御して新たに昭和天皇として即位する行列の映像もあった。
【昭和】とは「平和を願うの意である」とか、日本が軍国主義化する中で昭和天皇が詠んだ「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ」を紹介し、これも昭和天皇が戦争を回避しようとしていた和歌であると紹介し、天皇を欺く形で起こされた満州某重大事件(満州事変)になると昭和天皇が「激怒」したという風にナレーションしていた。中国で戦火が拡大していくのを停戦させたのも昭和天皇の意向であった、と。
国際連盟の脱退、そして真珠湾攻撃で大日本帝国は太平洋戦争に突入していく訳ですが、古い古い映像で当時の日本人大使が「戦力的に勝ち目のない戦争を始めてしまった」旨の回想をしている。話を字幕で追っていた訳ですが、結構、重要な話もしており、その大使は「ミッドウェー海戦後に和平へ向けて動くべきだったが動けず、また、小笠原で敗れた際にも和平に向けて動くべきタイミングであったが動けなかった」旨、語っていた。冷静に戦力比較をすれば、確かに勝ち目のない戦争であり、何故に、あのような無謀な戦争をしたのかに思いが到る。
しかし、ここで皮肉なことに、熱狂してしまっている当時の日本人たちの映像に目が留まる。バンザーイ、バンザーイと、全体主義になっている古い日本人の姿を目にする事になる。思うに、あれは、やはり、天皇ファシズムと呼ぶべき何かだったような気がする。全体主義であり、軍国主義であり、その中心に天皇と皇国史観が置かれていた訳ですが、日本の場合は天皇及び皇国史観は当時の政治家や軍国主義者らによって国民を束ねる為の道具として使用されていた節がある。傍から見れば、エンペラー・ヒロヒトによる独裁国家にも見えたかも知れませんが、当時の大日本帝国の場合の実相というのは「天皇」も「皇国史観」も或る種の道具であり、意思決定の中核にあったものは、恐れを知らぬ権威主義的な軍国主義であったように思う。
また、興味深い事に米国人か英国人かが、当時の日本を語って「甘やかされて育った子供のようなもので、いつか暴走する」と指摘していた。これは、15〜25年前に中国に対して、その「甘やかされて育てられた子供」という表現が実際に使用されていた記憶がある。
原爆が投下され、日本は敗北する。戦争を終わらせる事を決意したのは昭和天皇であった。いわゆる御聖断については深くは掘り下げていませんでしたが、戦争を終わらせる決断をしたのは昭和天皇であったというのは間違いではない。そのように紡いでいるので、この「ラスト・バンザイ」だと昭和天皇は、ずっと平和主義者であったという描き方になる。そして、どん底に落ちた日本の復活を見届けたのも昭和天皇であった――と。
あの映像は何処でしょうねぇ…、御巡幸の映像だと思うけど、昭和天皇が民衆の前に帽子をとって、笑顔で手を振っている穏やかな表情の映像があった。いい映像でしたね。この番組でも実際の昭和天皇は学究肌の人物であった事は強調されていた。
随分、この番組は親日的というか昭和天皇を好意的に描いてくれているなぁ…という気分になった。番組のはじまりは、アマテラスの命を受けて天皇制が始まったのが日本の起源であるみたいな半分神話から始まり、そして戦後の日本の経済復興にチラと触れる中で日本国および日本民族を総括するようなナレーションがあった。
そのナレーションでは「日本という国は、美しさと強い意志を持つ国である」といった具合のナレーションで、いやいや、もう、そんな令和の現在ともなると片鱗さえ怪しくなってます、と謙遜したくなってしまった。「いえいえ、そんなに褒められましても」的な。
何かしら政治的な意図があって製作された親日的なドキュメンタリー番組だったのかも知れませんけど、実は『昭和天皇伝』や『昭和天皇独白録』などの内容とも矛盾はなかった。おそらく、天皇は孤独だったのだ。シェークスピア劇のセリフとして「きみは私を王と呼ぶが、私が欲しているのは友人だ。それでもきみは私を王と呼ぶかね?」みたいな一節を紹介していた。それが天皇ヒロヒトの実相であったとまとめていた――。