どーか誰にも見つかりませんようにブログ

人知れず世相を嘆き、笑い、泣き、怒り、足の小指を柱のカドにぶつけ、金星人にSOSのメッセージを発信し、「私は罪のない子羊です。世界はどうでもいいから、どうか私だけは助けて下さい」と嘆願してみるブログ。

カテゴリ: 事件・事故関連

さほど、ニュースとして大きく取り上げられぬまま、騒動が拡大している鶏卵大手アキタフーズ問題というのがありますね。大きくマスメディアが取り上げないような対応をしているのか、今月2日頃にアキタフーズから、吉川貴盛(70歳・北海道2区)元農水大臣に500万円の寄付が行われていたが、それについての政治資金収支報告書に記載がないというのが、最初に上がった煙であった。

しかし、思いの外、その報道への反応は素早く、吉川貴盛元農水相は報道のあった今月2日に体調不良を理由に自民党の選挙対策委員長代理の役職や、所属する二階派の事務総長の職を辞任を発表。この報道と同時に、実は東京地検特捜部による捜査が行われている事も報じられた。

そして今月8日、今度は西川公也(こうや)内閣官房参与にもアキタフーズから数百万円の金銭が渡っていたという報道が出ると、今度は、この西川公也内閣官房参与も同日中に「一身上の都合により」と発表して内閣官房参与を辞任するという事態に陥っている。この西川公也議員(74歳)も元農水大臣であり、このアキタフーズ社絡みの政治とカネの問題のように考えれば、確かにニュースヴァリューとしては、大きくも感じない。

しかし、これ、大きな騒動に発展していく可能性がありそうですね。実は、菅義偉総理と繋がっている事が、週刊文春最新号に掲載されており、驚きました。「人柄」や「誠実さ」を評価されてスタートから異常な高支持率だったという世論調査があるようですが、早々、何やら怪しい話が浮上してしまっている事に気付かされる。

この二人の元農水大臣と、アキタフーズとの関係性は、より良い環境で飼育を目指すという「アニマルウェルフェア」、その国際基準を巡って、国内の養鶏業者に有利な内容になるように働きかけをしていたものであるので、政治資金収支報告書への不記載は、不記載として問題視されるべきですが、点と点、点と線とで、面白い繋がり方をする事を、週刊文春12月17日号が提示しているのだ。

以下が、週刊文春最新号の本旨になりますが――。

このアキタフーズ問題が浮上したのは、実は河井克行・杏里夫妻に対しての通称「河井捜査」の中で発覚したものだという。つまり、河井捜査の関係先を家宅捜索している中で発見してしまったのが、このアキタフーズ問題であったらしい。何故、関係先なのかというと、河井夫妻の選挙区に当のアキタフーズ(広島県福山市)がある為だという。

アキタフーズ社には本年7月に河井捜査の一貫として家宅捜査が入った。この家宅捜査が入った際に同社は代表(代表取締役社長に該当か?)を交代しており、つまり、それまでの代表は秋田善祺氏であった事を意味している。秋田善祺(よしき?)前代表となる。

この秋田前代表がアキタフーズを全国規模の大手鶏卵会社に成長させた人物であるが、この一連の河井捜査の中で、2013年から2019年までの6年間で、河井氏に対して総額1900万円もの献金をしていたという。また、広島の自民党分裂選挙となった案里氏の参院選出馬時には、このアキタフーズ社が約500名の社員を動員したという。つまり、政治に熱心、自民党の支援に経営者であったらしい様子がうかがえる。(アキタフーズ関係者の話として、文春は、それを掲載している。)

そして、意外な人間関係図が浮かび上がって来る。河井克行氏(広島)と吉川貴盛氏(北海道)とは、家族ぐるみの付き合いであったという。先の自民党分裂選挙時にはJAは、河井案里氏の対抗馬であった溝手顕正氏を支持していたが、そんな中で北海道選出の農政族議員の吉川貴盛氏はJA関係者に案里氏支援の電話をするなどしていたという。また、河井氏が有権者に「じゃがいも」を配っていたという問題があるが、その「じゃがいも」は北海道を地盤とする吉川貴盛氏から贈られたものであったという。(文春は自民党広島県連関係者の話として、それを掲載している。)

また、河井事務所の元秘書(女性)がアキタフーズに再就職し、その後に退職していた。特捜部は、河井捜査をしていた中で、アキタフーズを関係先と見当をつけたのは、これであったと思われる。その後、アキタフーズへの家宅捜査で、「裏帳簿」及び「裏手帳」が発見され、アキタフーズの政界工作を裏付ける重要証拠が上がった。

今月2日に共同通信がアキタフーズと吉川貴盛元農水省との間の猊垉載瓩鯤鵑犬襪函△修瞭のうちに吉川氏は、要職を辞した。つまり、自民党の二階派に於ける事務総長職を辞し、自民党の選挙対策委員長代理を辞した。

そして8日、これも異常に素早い対応である事を確認できますが、西川公也氏はアキタフーズの秋田前代表から豪華クルーザーで接待を受けた事が報じられた。これも第一報は共同通信であった。(事実関係は現時点では判然としないが、数百万円がアキタフーズから西川公也元農水相にも渡ったという疑念も既に報じられている。)

そしてそして、既に検察も週刊文春も入手しているという裏手帳には、件の吉川元農水相、西川元農水相を支えていた人物の名前として当時の菅官房長官、つまり、現在の菅総理の名前が記しされているという。どうもアキタフーズの秋田元代表と菅首相は、点と点とで繋がっていたらしい。秋田元代表が取り仕切っている日本養鶏政治同盟は、2012年と2014年に菅氏に、それぞれ20万円の献金を行なっている事は微々たるものであるが、当時の菅官房長官と当時のアキタフーズ代表とが広島の自民分裂選挙では、熱心に河井案里候補を応援していたのは、覆しようのない事実であるという。(ああ、確か、この選挙では、現職の溝手候補に対して自由民主党は1千万円を、そして河井案里候補の方には1億円とも1億5千万円とも言われる選挙資金を送っていたんでしたっけ。)

つまり、このアキタルートは、官房長官時代の菅義偉総理の影がうっすらと浮かんでいるのだ。

また、吉川貴盛氏は北海道議から衆院議員になったという経歴を持ち、その衆院デビュー年度は1996年であるという。これは政治家・菅義偉の同期という事であり、しかも地方議員から衆議院議員に転身したという経緯まで似ているという。そんな菅氏と吉川氏とが近くならない訳がなく、勿論、両者は親密であるという。

ついでに河井克行氏も1996年当選組の1996年組らしい。菅義偉、河井克行、吉川貴盛の各氏は実際にコネクションがあり、そうであるが故に分裂選挙で河井案里氏支援に回っていた。そして河井氏は裁判中、吉川氏の方も既に地検にマークされているのが現況。

今年9月の自民党総裁選では、いち早く、吉川氏は菅氏支持を表明。推薦人として名を連らね、総裁選の菅陣営として選対事務局長を務めていた――と。

あー、色々と、見えてしまっているんですけどねぇ。この分だと広島の自民党員あたりになると、相当、情報は出回っている筈で、もう、殆んど、このコネクションは解明できてしまっている気もしますけどねぇ。

週刊文春が報じている内容の中には、安倍前総理と特捜部との間では既に落としどころとして見い出されたのが、秘書の略式起訴であるという筋書きを掲載している。ここは正確に引用しなきゃダメですね。

「〜略〜安倍氏には元高検検事長のヤメ検弁護士がついていますが、安倍氏側と特捜部の狠鵡膈瓩侶覯漫秘書の略式起訴が落としどころになったでしょう〜略〜」

という安倍氏側近の言葉も掲載している。しかし、これは安倍氏側近の言葉であるから、仮に「アキタルート」が破裂すると思いも拠らぬ大きな展開へ向かったりする可能性も現時点では捨てきれない訳ですナ。思いの外、吉川氏と西川氏の辞任するという対応が迅速なのは、世間の関心がそちらへ向かわないようにする為の、火消しのようにも思える。

こうなると政府は次から次へと新聞紙面やニュース枠を占める大きなネタを提供してくる可能性がある。読売新聞を7日付のものまで遡ってチェックしたのですが、実は西川公也元農水相とアキタフーズの記事は、9日付の社会面で一回掲載されているだけなんですよねぇ。かなり読売紙面も厳しくなってきてはいますが、紙面を他のニュースに占有されている印象ですかね。

要チェックなのは、アキタフーズがらみの吉川・西川両氏の辞任劇が異常なまでにスピーディーに行われている事ですかねぇ。それが逆に問題の大きさ、背景を覆い隠す為の偽装に見えてしまう。野党は吉川・西川の両氏に説明を求めるようですナ。その前に検察が動いてしまったりして?!
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或る時期から「和歌山毒入りカレー事件」についての冤罪説のようなものを目にするようになり、その都度、どこか鼻白むような思いを抱くようになった。というのは、この和歌山毒入りカレー事件については、リアルタイムでワイドショウやスポーツ新聞、それと週刊誌なども併せて事件を認識しており、率直な感想からすれば、「幾ら何でも、あれが冤罪という事は有り得ないのでは?」という心象が強固にあるんですね。

当時の私の記憶だと、ワイドショウは連日ように、和歌山毒入りカレー事件を報じていた。隣組で開催しているお祭り、問題となったカレーの鍋は、そのお祭りで振る舞うよう共同で管理しており、そのカレーを食べた者が倒れた。テレビが報道する前段階では食中毒であると思われていたが、後にカレーから青酸反応が起こって毒物混入事件である事が明らかになった。ここからワイドショウなども、そのセンセーショナルな事件を連日のように報道し始めたのだった。一般紙もスポーツ紙も同じだったと思う。やがて、混入されていた毒物は「ヒ素」である事が判明した。「これは、一体全体、どういう事件なのだ?」という中で、「何者かがカレーの鍋にヒ素を混入した事件だ」という具合に事件の認識が組み立てられていった。この和歌山毒入りカレー事件は1998年7月に発生した事件であった。

過熱報道が続く中で、「実は、この人物が怪しいのでは?」と目される人物についての情報を、私はスポーツ新聞か週刊誌の記事の中で、読み取った。その時点ではワイドショウ、つまり、テレビ媒体は全く容疑者らしい容疑者には言及していなかったのですが、ある活字記事からは、毒入りカレー事件が発生した区画の中に、怪しむべき人物があると報じていた。捜査関係者から洩れた情報が記事になっていたものだと思いますが、つまり、過去に保険金詐欺事件を起こしているX夫婦がある事であり、その保険金詐欺事件にも「ヒ素」が使用されていた事、また、夫婦の夫の方は元シロアリ駆除の仕事をしており、ヒ素を所有している事などであったと思う。なので、当時の友人やら家族やらが不思議がっている中で、私は「この事件はこれこれこう報道されているから、間もなく、容疑者が逮捕されるのだろう」という具合に得意になって話していた記憶がある。

そして、私の予告は当たったかのような経緯を辿った。Xデーが訪れたのだ。畠山静香事件と、この和歌山毒入りカレー事件は、実は極めてテレビ的にショウアップされた事件で、とうとう、そのX夫婦が逮捕されるという日がやって来て、各テレビ局は一斉に、報道を自粛していた林眞須美死刑囚(当時は容疑者)へ対して行っていたインタビュー映像などを解禁した。つまり、これは日本中の6〜7割ぐらいの人が潜在的には「毒入りカレー事件の犯人はX夫婦らしい」と暗に認識している中で、とうとう、逮捕のXデーが訪れ、テレビ局にしても晴れて事前に貯めておいた林眞須美死刑囚(以下、敬称略)の映像を流したのでした。

林眞須美逮捕は1998年10月だったらしい。記憶では早朝の逮捕劇でしたかね。朝だった記憶がある。そこから既にストックされていた林夫妻の映像がテレビで流された。有名なのは、林眞須美がテレビカメラにホースを向けて水をかける映像で、この映像は多くの者が記憶に留めていると思う。その後も、この和歌山毒入りカレー事件は、記憶違いの可能性もありますが、おそらく報道特別番組のようなものさえあったような気がする。テレビメディアは活字メディアに取材過程で遅れていた訳ではなく実際にはX夫婦へのインタビューなども沢山、事前に行なっていたので、その映像は、かなりの量であった。また、実際に林夫妻は過去に保険金詐欺事件を起こしており、その際にヒ素が使用されていた事、それと、第三者の保険金事件への関与していた過去など、結構、衝撃的な事件であったのだ。

林眞須美の夫はテレビカメラの前で公然と、競輪だか競馬だかの公営ギャンブルに2千万円だか3千万円だかのカネを投じている事を自慢そうに話したり、確かに林夫妻は、一般的感覚からすれば激しく逸脱した何かであり、しかも過去にヒ素を使用した保険金詐欺事件を起こしていた。常識的にはかなりエキセントリックな人物であった。だから、或る意味では、その逮捕劇は人々を納得させ、逮捕されたが故に安心をすると同時に、そういう感覚の犯罪者が隣人として生息しているかも知れないのか…という恐怖を喚起させた。

その後、林眞須美は否認をしていたが、スプリングエイトなる装置によって林夫妻宅から出てきたヒ素と、実際にカレー鍋にヒ素を混入した際に使用されたとされる紙コップに付着していたヒ素とが一致し、2002年12月に林眞須美に死刑判決が出て、2009年4月には上告棄却によって死刑が確定した。このスプリングエイトについては、私の記憶だとSPA誌あたりで目にしたのかな。この頃までには林眞須美冤罪説も目の端には入ってきていたが、スプリングエイトによる科学的な証明によって、林眞須美被告の有罪は覆りようのないものになったのだなと理解した。変な話、これで私が認識するところの「和歌山毒入りカレー事件」は完結していたと思う。もう、何も事件そのものを回想する事もなく、解決済みの事件じゃないか…という認識になった。

私と同年代であれば、8割方はそのように「和歌山毒入りカレー事件」を認識していると思う。最終的にはスプリングエイトによってヒ素の成分分析が為され、それが刑事裁判の決定的証拠となって、然るべくして死刑判決に落ち着いたのだ――と。

なので、毒入りカレー事件冤罪説についても、基本的にはスルーしてきたのかな。むしろ、鼻白む思いさえした。北関東を舞台にして発生した「足利事件」を筆頭にして、過去の「帝銀事件」、或いは日本映画専門チャンネルが放送していた東海テレビ制作のドキュメントシリーズで「名張毒ブドウ酒事件」や「袴田事件」なんてのは視聴してきたつもり。ですが、それでも「和歌山毒入りカレー事件」については殆んど冤罪を検証する余地を残していない事件だよなと考えてきた。。。

2020年7月に刊行された『暴走する検察』(光文社)は、「マル劇トーク・オンデマンド」なる動画放送を活字化したもので、ジャーナリストの神保哲生氏と社会学者の宮台真司氏が行っているインターネット番組を活字化したものらしい。よく知らないままに、この書籍に逮捕後のカルロス・ゴーンと、10時間以上の面談をしていたという郷原信郎氏の見解を読む目的で購入したもので、その一説に「和歌山毒入りカレー殺人事件」が取り上げられていたのでした。どうも宮台氏あたりは、以前から和歌山毒入りカレー事件冤罪説を訴えていたらしく、そこにはゲストとして安田好弘弁護士を迎えて、その冤罪説を掘り下げいました。

変な話ですが色々と冤罪事件などのノンフィクション番組は視てきた方なので「安田好弘」という文字配列だけで、その顔や髪の色、服装は脳裡に浮かんでしまい、「ああ、あの過度なまでに死刑廃止論の弁護士さんかぁ…」というのが私の認識でした。多くの人も、そうだと思いますが、内容を理解すると、色々と認識が引っくり返されてしまった。

以下、安田弁護士の説明に沿います。

さて、実際に有罪(死刑)、つまり、「林眞須美はクロである」と検察側が論点にしきたのは、以下の4点であるという。

.卅任鯑れられたのは林眞須美のみ

見張りのときの動きが不自然だった

スプリングエイトによって亜ヒ酸が合致した

ぅ卅任鮖藩僂靴道人を画策した前歴がある

の上記4点だそうな。

 屮卅任鯑れる事が出来たのは林眞須美のみであった」というのは、状況証拠ですが掘り下げていったときに確証には到らないだろうなという事は、直観できますよね。さほど重要ではない。△痢峺張りのときの様子がおかしかった」というのは目撃者による心象に頼ったものでしかない。しかも疑義があるらしく、その目撃証言は最初は一階からカレー鍋があった民家のガレージを目撃したと証言していたが途中から二階から目撃したに変更されているという。実は、一階からは垣根が邪魔になり、実際に実地検分してみるとカレー鍋のあるガレージは見えなかったので、「目撃したのは自宅の一階ではなく二階でした」と言い直しているという。率直に目撃証言を警察にしているものとしても、証言が一定以上、心象に左右されている感は否めず、この△眄簑佚な根拠とは認めがたい。そしてい砲弔い討眤腓く心象を作用するものであるが、い鮑拠に有罪か無罪を判定する事は難しい。それを言い出してしまうと、常に前科者は犯罪を繰り返しているだけという憶測に頼ることになってしまう。(い砲弔い討蓮⊃真榿さんのカネを夫が勝手に持ち出して競輪で使ってしまい、その穴埋めをどうするのかと激しく詰め寄られて夫婦喧嘩になり、夫が「保険金で稼いでやるわい!」と自らのコーヒーにヒ素を混入したもの。過去に、この手法で保険金詐欺に成功している。)

やはり、問題はの「亜ヒ酸の合致」というスプリングエイトによる科学的物証にある事は、現在、検証してみても明らかなのだ。ここが覆れば、容疑者(被告・死刑囚)をクロとする論拠は非常に脆弱であると認めねばならない。

このスプリングエイトという装置は、その大きさは東京ドームほどの大きなものであり、世界に三基しか現存しないという装置であり、最早、「装置」という言葉では収まらず、「施設」であるという。兵庫県の播磨科学公園都市に存在し、世界最高性能の放射光を生み出す加速器を、スプリングエイトと呼んでいる。

対象物に高エネルギーのX線を照射し、それによって出て来るX線を解析し、どういう元素で出来ているのか分析する装置であるという。このスプリングエイトを使用して行われた「中井鑑定」なる鑑定が、同事件の有罪無罪の雌雄を決する事になったという。

犯行現場に捨てられていた紙コップに、ヒ素が付着していました。紙コップにヒ素を入れて持ってきて、それをカレーの中に入れたと認められた。紙コップに付着していたヒ素が、眞須美さんのお兄さんの家に保管されていたヒ素、そして彼女が前に住んでいた家に放置されていたヒ素、さらに、彼女の自宅にあったプラスチック容器に付着していたヒ素のすべてと一致したというわけです。プラスチック容器は、眞須美さんの自宅を家宅捜索した際に、捜索関係者から四日目に、台所のシンクの下から発見されたというんですね。もっとも眞須美さんは、見たこともないし、置いたこともないと言っています。

このプラスチック容器、私はイメージできるからテレビのニュース番組で視たのでしょう。しかし、安田弁護士に拠れば、和歌山県のあの地域というのはシロアリが多く、元農家も多い地方なのでヒ素を殺虫剤目的で保管していた家は林家のみではなかったという。また、その事を示す資料を検察は持っている筈だという。安田弁護士に拠れば、同地区では一般家庭のトイレの殺虫剤にヒ素が使用されてきた歴史があるので、ヒ素を家に保管していた事が際立って珍しい事ではなかったらしい。

「亜ヒ酸」というのは、凡そ次のような意味らしい。ヒ素とはヒ素でしかないので、Aというヒ素とBというヒ素とが同一であると判断するには、そのヒ素に含まれている不純物を比較して判断せざるを得なくなる。そして、その中で中井鑑定ではスズ、アンチモン、ビスマス、モリブデンといった4つの元素の含有量(含有濃度)を分析した結果、同じような含有濃度の曲線が描けた事を以て、ヒ素の同一性の鑑定結果としていた。

しかし、それは凄い次元で引っくり返されてしまったという。そもそも中井鑑定は2週間程度の期間で分析した簡易鑑定であり、実は、さほど精度も高くなかった事が後に判明してしまったのだ。それを証明してしまったのは「エックス線分析の進歩」なる分厚い専門誌に掲載された論文であった。蛍光X線分析という手法によって、中井鑑定の精度の低さを指摘してしまったものを「河合判定」と呼ぶらしい。(ああ、このクダリも私は、どこまで読んだ記憶があるような…)

そして、その河合判定に拠れば、逆に「ヒ素の同一性」を否定してしまった。中井鑑定はスズ、アンチモン、ビスマス、モリブデンの4元素で比較して同一性を証明したとしていたが、河合判定では、そこにはない鉄などの軽元素について非同一性を証明。更に、中井鑑定では同一の根拠にされていた「モリブデンの含有濃度」については紙コップに付着していたものと、その比較対象との間には「大きな差異」を発見し、非同一性を証明。平たくいえば、「林眞須美の関係各所から発見されたヒ素と、現場に残されていた紙コップに付着していたヒ素とは別物である」と証明してしまったのだ。

(河合鑑定は、河合潤・京都大学教授による分厚い技術系の専門誌『X線分析の進歩』43号に掲載された論文に端を発するものであった。他方、中井鑑定とは中井泉・東京理科大学教授によるものを指している。)

再び安田弁護士の弁を引用します。

蛍光X線分析は、対象物に放射光を照射して励起されるX線の光子の数をカウントして含まれる元素の種別と量を分析する方法だそうです。ですから、出てくるデータは整数値なんですね。これを生のデータ、ローデータというのだそうですが、河合教授は、中井教授が計測したローデータを入手してそれをもとに分析しています。他方、中井教授は、ローデータをエクセルで折れ線グラフにして、それを目に見て似ているかどうかを判断して、異同の判断をしているんですね。具体的には、「スズとアンチモンを示すデータがほぼ同じ高さ、ピスマスはほぼ数倍の高さ、そしてモリブデンが含まれている」という共通点があるから、同一物だというわけです。しかし、それでは視覚的に似ているかどうかということだけですから、主観的であって客観性がないわけですし、しかもわずか四元素だけのファジーな比較ですから、およそ化学的分析とはいえないわけです。

また、それとは別に中井鑑定を取り扱った和歌山県警に所属している科学捜査研究所(科捜研)にて怖ろしい事が起こっているという。

その和歌山県警の科捜研の技官の1名が鑑定資料の書き換え、偽造をしていた為に近2年以内に、起訴されていたという。この人物はカレー事件に関与していたかどうかは不明ですが、安田弁護士に拠れば、カレー事件の鑑定や証拠物の保管に関わっていた人物であるという。和歌山県警では記者会見をして技官による資料の書き換えや鑑定書の偽造をしていたという事実を公表したが、その記者会見の席で「カレー事件についてはそのようなことはやっていません」とわざわざコメントをしたのだという。そして、その起訴された技官という人物は、後に自殺をしている――と。


再審を請求しているが再審になる見込みは、現況としては低いという。検察、法曹界というのは先輩が裁いた案件を引っくり返すと、凄まじい圧力が発生する世界なので、軽々には動こうとしないものだという。一たび、過ちを認めてしまえば、威厳や威信が落ちる事を気にしている世界だという。なので、グウの音も出ないようなレベルで再審を巡る世論が動きでもしない限りは、重い腰を上げることは望めないらしい。

余談として推理ドラマのように「仮に真犯人が見つかれば…」という問題にも言及されている。安田好弘弁護士に拠れば、和歌山毒入り事件の真相を「いたずら事件」と見立てているという。例えば、子供、勿論、子供に限定する必要性はありませんが、事件当日には例のガレージには4つの鍋が置かれていた。カレーの鍋が2つに、おでんの鍋が2つ。そのうち、犯人はカレーの鍋の1つにヒ素を入れていた。その状況から、そもそも殺人事件が成立するようなものではないと結論づけたという。仮に誰かを殺意を持って殺害しようとしていたのであれば、事件当日にあったすべての鍋にヒ素を混入する必要性があったが、そうなっていなかった。無差別殺人の画策とするには余りにもスケールが小さすぎる。ご近所さんとの確執があったと組み立てるにしても、一緒に食事をするほど仲の良かったご近所もあったようで、誰がどの鍋のカレーを食べるかなど、そもそも計画性というものが成り立たないらしい。従がって、そもそも殺意とか動機があった犯行とは思えないので、「いたずら事件」と推測しているらしい。

また、ヒ素は耳かき一杯程度でも何人も殺せる強い毒であったが、そのヒ素を問題のカレー鍋には160〜170グラムを混入していた。この事から、犯人はヒ素については無知な人物である想定できる。ヒ素について知識のない者が、4つ置かれていた鍋、その内の1つのカレー鍋にヒ素を混入した、つまり、いたずら感覚でヒ素を混入した。何故なら殺意自体も碌になかったから。誰を殺害するとか、この町内会の人たちを殺害するという意図があったとは考えにくい。だからカレー鍋の中にヒ素を入れたのは、その本人からすれば、ちょっとしたイタズラ程度のつもりであったが、実際には死者が出る大事件になってしまい、名乗り出ることも難しくなり、そうこうしている内に林真須美犯行説がどんどん有力になっていったのではないかという説を採っている。

憶測の範囲の話となりますが、ひょっとしたら単なる子供のイタズラが惹き起こしたというのが事件の真相であり、現況、こうなっていると考えられているあたり、これまた怖い話ですが、可能性としては、まぁ、有り得そうですかねぇ。考えられなくもない。

名張毒ブドウ酒事件なども小さな集落を発生した事件であり、仮に冤罪事件であるというのであれば、真犯人は間違いなく集落の中に別に居るのであろうという事件であった。だから、一たび、判決が出てしまえば、諸々の理由から人々は「他に犯人が居る訳がない!」という態度をとる事になる。冤罪、冤罪と騒がれれば、その集落の人たちは「そんなワケはない!」と強硬な態度をとることになる。そうしないと安心できないし、自分の身内が疑われているような気分を味わうことになってしまうという力学があるのだそうな。

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津久井やまゆり園事件とは、如何なる事件であったのか――その再確認から。

◆事件の概要

2016年年初頃から、植松聖被告は「心失者」(これは植松被告のオリジナルの造語であり、意思疎通の取れない障害者を指している。)については本人の同意などなくても安楽死させるべきであるという妄想とも思想(優生思想)ともつかぬ考えを同僚らに話し始める。

2016年2月13日、14日、15日の3日間ほど衆議院議長公邸に「心失者は安楽死させるべき」という主旨を書いた手紙を持参する。実は当初は総理大臣宛ての手紙を書いて持参していたが総理官邸は警備が厳重で近づく事も難しかった為、14日から衆院議長公邸へ行き、この日は日曜日であった為に翌15日に衆院議長公邸に手紙を届けたものであった。宛名も、総理大臣宛てであったものを、衆議院議長宛てに書き直したものであったという。

2016年2月19日、衆院議長公邸に届けられた異様な内容の手紙が問題視された為に警察が動き、植松被告は津久井やまゆり園を退職。退職と同時に警察に保護される形で、そのまま、精神病院に措置入院という措置が取られた。措置入院を決定したのは相模原市の判断であり、この措置入院時の検査で植松被告から大麻が検出されていた。しかし、この大麻の検出及び麻薬類の検出があった場合でも医療機関は警察への通報義務は曖昧であり、通常、通報されないのだという。麻薬取締法では通報義務があるが、精神科医が麻薬を検出する度に警察に通報すると、そもそも麻薬中毒患者と医療者との間にある守秘義務違反に問われる可能性があるので、当時、そこはグレイゾーンであったという。

ち蔀崙院中、植松被告は歯ブラシの使用を巡って大声を上げるなどの粗暴行為があったので、その精神病院の隔離施設に一時的に入っていたという。しかし、粗暴行為が収まったので同年2月29日に隔離は解除された。

2016年3月2日、措置入院の解除が決定し、退院。退院後も外来受診として植松被告は通院の意志を示しての退院であった。退院後は八王子の実家で両親と一緒に暮らすと話していたが、実際に相模原市で暮らしていた為、相模原市のサポートは追いつかなったという。

ζ映3月24日、外来受診。同年3月31日、外来受診。

同年4月4日、生活保護の支給が決定する。イ料衞聾胸圓離汽檗璽箸追いつかなくなった部分と若干の矛盾を生じるが、3月30日に相模原市役所の生活保護担当が相模原市内の植松被告宅を訪問し面談、その面談を経て、この4月4日に生活保護支給が決定したという経緯となっている。

┝_鵑亮診予約として5月24日の予約をするが、後に植松被告自らが連絡してきて予約日を6月28日に変更。しかし、6月28日、植松被告は予約をすっぽかした。

2016日7月26日未明、植松被告は犯行を決行。勤務先であった津久井やまゆり園に侵入、同僚らを拘束し、実に19名もの施設の入所者を殺害するという空前の事件を起こす。

➉犯行後に予め用意していた正装した自撮り写真を添えて

「世界が平和になりますように。beautiful Japan!!!!!!」

とツイートをした後、自ら警察に出頭した。植松被告に拠れば、正装した自撮り写真は事件を起こす直前に撮影したものであり、ツイートをした後に犯行に及ぶつもりであったが、それを忘れていたので犯行後のツイートになったという。



◆特異な人格と特異な主張

2016年2月頃の事を尋ねられて、植松被告が書いた手紙の一部。

《やまゆり園で勤務している時に、ニュースでISISの活動と、トランプ大統領候補の演説が放送されていました。

私はネットでISISの拷問を観たことがあります。手足を縛り戦車で踏み潰し、檻に閉じこめてプールに沈め、首に爆弾を巻きつけて殺す動画です。彼らの表情が脳裡にやきついています。

トランプ大統領は事実を勇敢に話しており、これからは真実を伝える時代が来ると直感致しました。

漠然と時代の変化を感じる中で職員と雑談をしている時に、深い考えもなく「この人達を殺したらいいんじゃないですか?」と声にしました。

何気なく出た言葉でしたが、心失者の実態を考えれば彼等を肯定することはできませんでしたし、考えを深める程、全ての不幸の源と分かりました。

4人の職員に考えを打ち明けましたが、1人は「ダメだよ」と言うだけで理由は挙げられず、もう1人は「ヒトラーと同じだ」と反論しますが、心を尊重する私の考えとはまるで違います。

2人は「法律が許さない」と言われましたが、それならば法律が間違っているだけです。》


この騒動から1週間後に植松被告は、衆議院議長公邸へ「手紙」を届けるという行動をとった。この衆議院議長に対して、「自分は障害者を殺すことができる」旨の手紙を出して間もなく、植松被告は警察の取り調べを受けるという経緯を経て、そのまま、措置入院した。その措置入院中を回想して植松被告自身が綴ったものの文章には、次のような一節がある。

日本では「弱者は守られるべきだっ!」とタカリ屋のような偽善者と詐欺師ばかりで、とにかく甘やかすことを優しさと強調しますが、それは無責任な判断です。

これは「イジメ問題」も同様で、私の知る限り爛ぅ献甅瓩砲鷲ず「イジメられている方」も理由があり、その根本を改善しなくてはイジメを解説することはできません。

その為には身なりを清潔にし、周囲と調和する努力が求められますが、それらを無視して「イジメる方が悪いんだ」と考えては、あまりに幼稚な思考ではないでしょうか。

しかし、相手の欠点を指摘することは勇気がいりますし、どうしても摩擦を恐れてしまいます。

自分だけの幸せだけを考え「人それぞれ」とほっておけば楽ですが、その怠慢が日本を滅ぼす原因と思います。優しさと厳しさは表裏一体で、厳しくすることも優しさです。


因みに、犯行を決意したのは措置入院中であると言っている。しかし、退院後も2回ほど通院しており、3度目の予約日の変更も植松被告自らが電話で予約日の変更をしており、医療関係者は何をしていたのかという批判も起こったが、当該医療関係者からすれば状態は落ち着いていると感じていたので「まさか!」の犯行決行であったらしい。

父親は小学校教師であり、植松被告自身も教師を目指していた。母親はホラー漫画家。植松被告が書いたイラストや漫画は、「創」誌を始め、幾つかの週刊誌に掲載されたが、絵の上手さは光る。色がつけられた鯉と桜のイラストに関して言えば、「この人はプロのイラストレーターとか芸術家になれた人なんだろうなぁ」って率直に思う。漫画はやや難解な漫画であるが、ごくごく平たく言えば「漫画も上手」という評になりそう。友人らは、或る時期から急激に人格が変わったとしている。人格が変わったかのようにタトゥーを入れたり、大麻を吸うようになっていた。やまゆり園の入所者の殺害を口にするようになった植松被告を心配した友人は、植松被告が尊敬していたという彫師の男性に相談。彫師の男性から説教を受けた植松被告は「分かりました」と素直に応じたが、後に友人に対しては「チクった」として喧嘩を起こしていた。


◆率直な感想として

月刊「創」編集部編『開けられたパンドラの箱』(創出版)を読み終えたのですが、こりゃ、どえらい事件でしたねぇ。確かに事件が人々の記憶から風化しようとしているのも、なんだか気味が悪い。なので前掲著を読んでみたのですが、結局、読んでも「植松聖」という人物についての定見は得られない。自己愛性パーソナリティー障害と診断されたものの、それは精神病に分類されるものではなく、且つ、前掲著に登場している複数名の精神科医にしても、なにやら疑義らしいものを呈している。しかも、植松被告自身も「自己愛性パーソナリティー障害」という診断を受けた事に対して、冷静に「そういうところもあるかも知れないが、障害ではない」と述べてしまっているのだ。

ヒトの精神を分析するという事の難度が、改めて高い事を窺がわせる。精神鑑定のようなものは、いつもつきまとう問題でもありますが、「コレだ」という確信的な診断ができる訳ではないという現実を読み取るべきか。そして、また、この植松被告は「現代の精神科医はゴミクズで、精神薬という毒をばら撒いている」という具合に精神科医を批判している。一見、こうした植松被告の態度は荒唐無稽、狂人であるかのような印象を与えるが、厄介な問題が背景に控えている。前掲著、斉藤環さんに拠れば、日本の精神医療の問題として病床数が多過ぎる事という指摘があり、日本には30万床以上の病床があり、ダントツで世界一、全世界の精神科ベッドの約19%が日本に集中しているという統計もある――という。

まさしく、書籍のタイトルでもある「パンドラの箱」かも知れませんやね。

また、幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤の事件の頃から精神鑑定のようなものには、「おや?」という疑問があったと思うんです。仮に精神鑑定の結果として責任能力は問えませんでしたと精神鑑定して、それで済まされるのかという問題ですね。実際は、ある程度の大きな殺人を含む凶悪事件の場合、「責任能力を問う事は不可能」という精神鑑定は下せない状況にあったような気がする。だって、そんなことをしたら世論が収まらないでしょうからね。酒鬼薔薇事件や綾瀬コンクリ殺人事件の場合は未成年者だからと、ああなってしまったものの、行なった残酷な罪からすれば、「責任は問えませーん」では済まないレベルの犯罪だったよなって感慨がある。実際に少年法の改正の契機にもなったぐらいで。で、少年ではなく、精神異常なのかそうではないのかグレイゾーンな重大事件の犯人、その責任能力の問題が、コレですね。「そうは言うけれど、精神異常だから責任能力は問えませんでした」で、済む問題なのか――と。もしかしたら精神鑑定で「責任能力を問えない」となって、それで、納得できるかどうか…。

しかも、厄介な事に、それに対応してしまっていたのが、この植松聖なのだ。しかも、この植松が書いた手紙については、その直球の差別主義的な内容があることによって報道規制のようなものかかってしまい、報じられることもなかったというのが実相であった。『パンドラの箱』にしても植松聖の書いた手紙を掲載した書籍を刊行していいのかと、ひと悶着、起こったという。これはややこしい問題ですね。差別主義者の主張は、確かにテレビのような、ダダ洩れするメディアでは扱えない。新聞では扱えたかも知れないのですが、やはり、近年の傾向として、クレームが殺到しそうな内容になると切り込めるジャーナリズムは弱くなってしまっているという。ポリコレが変なカタチで作用し、真実を報道する事を阻止してしまうという、この問題らしい。

これはヘイトスピーチの問題とも通底しているかも知れない。ヘイトスピーチの問題は、どういう具合のヘイトがあったのか報じることは出来ない訳ですね。しかし、どういうヘイトが為されていたのか知らない事には伝えようもないし、論じようもない、そういう厄介な問題なのだ。読んでいても、それを感じる事は多かったですかねぇ。参加しているのは、香山リカさんはじめ、おそらくは多少なりとも人権派の自称する人々であり、そこで論じられているヒューマニズムの箇所が浮いて見えてしまう。その一方で、編集者として交通整理をしている篠田博之さんの文章から、その問題点を見つけることは容易い。

論点も多岐にわたっている。一つには、植松は優生思想の持ち主なのかどうかという問題がある。おそらく、心失者は同意なしで安楽死させるべしのような理屈は優生思想に当て嵌まると思う。しかも、今一度、確認しておくと本人の同意がなければ安楽死にはならないのだから、植松が使用している【安楽死】とは厳密には少しズレている。また、【心失者】という単語は植松のオリジナルの造語であり、障害者そのものを指していないが、何故か、著書の中では「植松は障害者は不要と考える思想」のように述べている論者が2〜3名ある。確かに、そうした論旨であるが、植松の発している心失者とは、正確に説明すれば心を喪失しており、凡そ、人間と認識できない者だと説明している。だから、それを一足飛びに「障害者は安楽死させるべきと言っている植松」という具合に解釈してしまうと、これまた小さなズレになってしまっている。本人が「そうではない」と言っているが、論じられる中で「そう言った」という認識になっている。交通整理みたいなものがないと、おそらく、そうした混乱が積み重なりそうなテーマなのだ。しかも、原則的にはマスメディアはシャットアウト、クサい物にフタをしてしまった現在進行形の事件でもあった。

おそらく、この扱いの難しさは、ひょっとしたらBLM問題にも似ているような印象を受けました。「言ってはいけない」とか「踏み込んではいけない」という、或る種のポリコレ的な一元的な正義論が世論の介入を拒み、それ故に世論を無関心に誘導してしまっている可能性がある。重層的なんですね。なので、これは重層的、複合的に起こっている差別の問題であるぞよ、と、一度、肩の力を抜いて捉え直す必要性がある。(平たく言えば、感情的に反応すべきではないの意です。)

どの時代から狂ってしまったのか? 思うに、平成でしょうねぇ。何故か論じる事を拒絶するような態度を採るリベラリズムが起こってしまった。「世論に委ねれば、絶対に死刑にしろ!」となってしまうに決まっていると、そういう人権派の矜持がポリコレに頼った。しかし、そのポリコレに我慢ならない世論が狂暴化し、どんどん、過激化し、もしかしたら、それがトランプ現象や、ヘイトスピーチ問題、更には、この植松聖のような不思議な人物を登場させたような気がしないでもない。

人権派は、或る意味では尊敬に値する見識に立って物事をみている。しかし、思い出すのは酒鬼薔薇聖斗の顔写真が掲載された当時の週刊誌ですかねぇ。私の場合はキャバクラで、その席にキャバ嬢が紙を一枚ほど持ってきて、「これが犯人の写真だってー。向こうのお客さんからコピーもらっちゃったぁ」という具合に見せられた。2件目に行っても、同じように「これが犯人の子だって」という按配。おそらく、日本中で、そういう事で起こっていたのではないだろか。ホント、或る種、国民的関心事でもあったし、あれだけ大騒ぎした事件で、犯人は中学生、14歳って、どんなヤツだよって、殆んど市井の人は、そういう反応だったんですよね。

一部の売店や書店では、少年法の精神に反するとか何とか言って、その雑誌の販売を拒否したり、大いに社会問題になったのだけれども、人権派は、この部分で頑固になっているのでしょう。しかし、実名報道であるとか、顔写真掲載であるとか、高度な人権思想で押し切るという発想も強引だし、傲慢だった気がする。残虐極まる事件だったし、犯行声明文や挑戦状まで出していた愉快犯であり、それでも「少年だった」というだけで少年法に守られるのかよっていう気持ちは、少年から高齢者まで似たり寄ったりだったような気がする。刑罰には割と否定的な態度を採ってきたつもりですが、まぁ、業は業、行為は行為として裁かないとおかしくなってしまう。過度な人権意識によって実際の極悪人を裁けないのであれば、また、それも変ですやね。法治主義を掲げる法治国家であるみたいに居直られても、ヒトの感情は

「おいおい、何を言ってんだよ、おめえらの匙加減一つじゃねぇか。あんた、そいつがやった残虐行為を、あんたの身内が被害者だったとして許せるのかよっ!」

ぐらいにホンネをぶつけたとき、世俗主義の価値観から懸け離れた法治主義、それも人権擁護の立場や少年保護の理念なんていう匙加減一つの法が、そんなに重要だろうか…という話にもなってしまう。罪は罪だし、犯した罪は償いようもない。「反省されても困るし、更生されても困る」という次元の凶悪犯罪だったり、残虐行為が、或る時期から実際に起こるようなってしまったとも解釈できる訳で。「法で裁けないのであれば私の手で裁く!」という暴走だって招きかねない。光市事件などは当初は、それだった訳ですよね。それぐらい被害者や被害者遺族の応報感情、恨み骨髄は大きなものなのだ。その復讐を法律で禁止するのであれば、やはり、法律は適正に、世間が納得いくような形で罪を裁いてくれないのであれば、当然、そうなってしまう。出来心で何かやらしてしまいましたとか、魔が差してしまいましたという次元の更生可能なレベルであれば兎も角、残虐非道にして凶悪犯罪は、正直、加害者の更生がどうのこうのなんてどうでもいい。罪を犯した者が立ち直れるかどうかという問題は副次的な問題なでしかない。主たる問題は「断罪そのもの」であり、犯した罪に見合う量刑の問題のような気がする。「冷酷にして凶悪、極悪非道な犯罪でしたが彼には責任能力がないので罰には問えません」というのでは、納得できないのが人間のような気がする。その犯した行為と向き合わせるべきなのだ。とはいえ、常識的に償える次元の罪ではない。積極的死刑論者ではなくとも、「こりゃ、酷い犯罪で、まさしく鬼畜の所業だ。それなりに冷静に第三者として眺めてきた我々にしても、彼のような人物には死んでもらった方が気が楽だよね」という凶悪犯罪が有り得るじゃないかという気がする。


◆優生思想なのかどうか?

これは妄想なのか思想なのかと論じられている。まぁ、妄想なのでしょうけど、ここで「思想ではなく妄想だ」と退けてしまえば、植松被告の思想が優生思想なのかどうかという問題にも影響してしまう。直結してしまう。私自身は頓着しませんが、『開けられたパンドラの箱』の中には、その問答もある。優生思想なのかどうかも、よく分からないところがある。それは重複になってしまいますが、そもそも植松被告が【心失者】というオリジナルの言葉を使用しているので少し面倒臭いのだ。どうも植松被告の主張は「障害者を殺すべきではなく、心を失ってしまっている状態の心失者を殺すべき」という部分が、或る意味では、植松被告の主張の特徴でもある。ここには、ひょっとしたら、既存の福祉制度等にかかるパンドラの箱が見え隠れてしている事は、認めた方がいいのかも知れない。というのは、この事件の嫌らしさでもあるのですが、インターネット空間上では一定の割合で植松に賛同するかのような、強度な「排除の論理」を支持する不特定多数が実在している訳ですね。杉田水脈議員の「生産性発言」等に顕著ですが、つまり、お荷物な人間は殺処分すべし的なアレ、排除の論理です。(その思想背景と対峙し、常に攻撃されてしまっているからこそ、香山リカさんは、その思想で対峙してしまい、冷静さを欠いてしまっているような印象も受けましたかねぇ。物凄く嫌悪を惹起する問題、ドロドロとした問題である事は、少し考えれば分かるでしょう。)

【優生思想】というキーワードへ引き込むか否かの問題になってしまうので、やたらと「ヒトラー」や「ナチス」、「アウシュビッツ」といった文言で語られている。しかし、これは迷走にも思えましたかねぇ。というのは、植松被告自身は別にヒトラーの礼賛者という感じではない。また、関係者が事件後に植松被告に読ませようとして差し入れたのが「アンネの日記」と「夜と霧」だから、植松被告は、それらホロコーストに関しての発言をしている(させられている)のが実相に思える。つまり、その意味では明確に植松被告には体系化された優生思想の思想背景はないのでしょう。そんな仰々しいものではなくて、アメリカで発生している白人至上主義やBLM問題、あるいは日本も例外ではない、世界同時で発生している「排除の論理」と呼んだ方が適当な印象を受けました。広く共通している。そこは香山リカさんが指摘しているヘイトスピーチの「◇◇を浄化しろ!」等の言説に表出しているものだと思う。しかし、植松被告自身がホロコーストや優生思想に犯行前から関心を寄せていた訳ではなさそうなのだ。

植松被告自身の発言では、「安楽死させるべき」という考えに取り付かれたのは、この事件の裏の核心になるかも知れませんが、そうした施設で働いていた者が、そういう考えに到ってしまったという現実でしょう。多くの者は、そうならない。しかし、植松被告はなった。また、この事件でも、やたらと報道自粛が多く、報じられない現場の声があるらしいのだ。植松被告は、次のように語っている。多少、毒気が強い箇所ではありますが、一部、引用します。

何もできない者、歩きながら排尿・排便を漏す者(ママ)、穴に指をつっこみ糞で遊ぶ者。奇声をあげて走りまわる者、いきなり暴れ壊す者、自分を殴り続けて両目をつぶしてしまった者。ごはんが気に入らないとひっくり返す者、食べ続けてとてつもなく身体のでかい者、水を飲み続けて吐いてしまう者、大半は水虫はたむし等の皮膚病をもっております。

我が子を否定することは親である人の立場からすれば、まるで自分自身を否定されたかのように錯覚されることもあると思いますが、それは完全な誤解であり、どんなに優れた人間でも重度・重複障害者を生む可能性はあります。


それを見つめ続ける中で、ー己認識ができる、∧9膣蕎陲理解できる、B梢佑閥νすることができる、等の条件が満たされて初めて人間ではないのか――と、これまた植松被告のオリジナルの判断基準なのだ。だから優生思想といえば優生思想でもある。しかも、この問題、深入りすれば深入りするほど、世の中に、これらの価値観は溶け込んでいるであろう現実にも気付くでしょう。


◆感想として

どうもNHKあたりでも、「それは放送できないので」等と拒むことがあるらしいのですが、つまり、弄便(ろうべん)の話なんてのも触れられている。上記の引用で「糞で遊ぶ者」とは、その事らしく、重度の患者の場合は大便を弄(いじく)るなどして遊んだりもする。ここで言えば何となく合点がいくところもあって、仮に我が身の事に置き換えたとして、どうでしょう? 「そんな状態で生かされても…」という感覚を訴えているようにも思える。勿論、植松被告の主張全体には稚拙さを感じていますが、仮に、この事件から見い出せる最大の問題といえば、そこなんですね。パンドラの箱って。

そうであれば、当ブログで体系的に取り扱ってきた「西部邁の自裁死」、「神聖なる義務」、「高瀬舟」、「楢山節考」、「精霊送り」とも、地続きでもある。上記の内、「神聖なる義務」は週刊文春と朝日新聞との衝突であったが、どうも強い人権論者は過剰反応してしまい、その騒動を起こしていたように思える。優生思想と隣合わせだから、そうなってしまう訳ですが、それでいて、実は避けられない問題なのだ。この『開けらえたパンドラの箱』でも指摘されていますが、実はフタをしてしまうというのが非常に問題があるのだ。そのようなフタをしてしまう正義論によって、その歪みが全部が全部、現場に押し付けられてしまっているという皮肉な現実を抉れる可能性がある。

朝日新聞が、この津久井やまゆり園事件の見出しで「障害者はいなくなればいい」という見出しで報じたが、当の植松被告は「そんな事は言っていない」「バカ丸出し」と反論している。これ、分かりますよね、勝手に拡大解釈で意訳してしまっており、「障害者はいなくなればいい」と植松被告が優生思想を主張しているという具合の報道になってしまっている。意訳が過ぎるのと、そうなってしまうだけなのか、或いは何か恣意的誘導なのか、或いは、そもそも問題と本気で向き合う態度がないから、そうなってしまうのでしょう。

既存のフタをしてしまう正義論は、先に私が述べた「そんな状態で生かされても…」に向き合おうとしないんですね。「生かされて然るべきだ」という原理主義的教条主義、それを強引に押し付けて、押し切ろうとしている。精神疾患の中には食糞なんてものもあるんじゃなかったでしたっけ。そういう次元でも、我が身に置き換えて、それでも生きたいのだと思うものだろうか?

しかも、この問題、マイケル・サンデルも堕胎に関しての倫理で取り扱っており、アメリカでも同じ問題があったらしい。ついつい、障害者を可哀想な存在だと認識し、その認識の上でアメリカを二分するような論争が起こったが、当の障害者は「みなさんは私を可哀想な存在だと思っているのかも知れませんが、私自身には、そのような認識はないのです」という主旨の発言をし、やはり、周囲を驚かせた騒動があった事を紹介されていたかな。

それと同じ指摘が、この『開けられたパンドラの箱』でも紹介されている。やはり、圧倒的なのは、人工呼吸器ユーザーであり、映画の製作にも挑戦したという海老原宏美さんの意見でした。これは実際に書籍を手にして読むのがベストですが、まぁ、摘まみ食い的に引用します。

私は、重度障害者として生きてきた中で、ずっと差別をされてきました。差別というとすごく強い言葉ですが、排除・区別ですね。障害を持っていると常に社会から分けられながら生きていくことになるんです。

生れてすぐ、普通は赤ちゃんが生まれたら周りの人たちから良かったね、おめでとうと言われます。だけど、障害を持った子が生まれてきたとなると、周りから絶対におめでとうって言われないんです。〜略〜

生まれた瞬間から障害者って歓迎されていないんですよ。そういう中で生きていく過程で、保育園や幼稚園にも、事故を起こすと困るから入れてもらえない。〜略〜地域の学校に入れてもらえない。卒業して、地域で暮らそうと思っても今度は、火事でもあったらどうするんですかと、アパートを貸してもらえない。〜略〜

そういう境遇の中でずっと、「でも私は地域にいたいんです」ということで生きてきました。でもやはり障害者が身近にいると面倒くさいし、コミュニケーションも取れないし、どうしたらよいかわからない。いないほうがよいと思っている人が実はたくさんいるんですね。

あの事件を受けて、可哀想だね、価値のない命なんてないのに、なんであんなことをするんだろうねって、みんなは口々にいうけれども、じゃあ、「なんで重度障害者の命に価値があるんですか」と逆に聞くと、ちゃんと答えられる人はいないんですよ。


これ、サンデル教授が紹介していた例に似ている。あっと驚く障害者のホンネという意味でも似ているし、「皆さんは私を不幸な人間と決めつけているようですが、実はそうではないんです」という主張の方向性も似ている。確かに周囲が勝手にあるべき正義を醸造し、勝手に論争をしてしまっている部分がある。それでいて、ごくごく当たり前の事実をスルーしてしまっているのだ。

続けて引用します。

私が当事者として感じることは、良かれと思ってやってくれることがだいたい差別なんです。特別支援学校とかもそうですよね。送迎をつけて、保護者の負担を減らして、人手も増やして、学校の中で手厚く見てもらえる。あたかもその子のためになっている感じがしますが、学校の中ではそれでよいかもしれないけど、社会に一歩出たら障害を持った人のペースで社会は動いていないんです。あっという間に取り残されていくわけで、それをフォローする仕組みは社会にはないんです。

〜略〜

そういうふうに良かれと思ってやってくれることが大概差別だという思いが私の中にあって、行政っていつもそういうところを勘違いしているなと思います。私が一番大切だと思っているのはインクルーシブ教育で〜略〜

私も街を歩いてて「偉いわねえ」って泣かれることがあります。でも、おかしいでしょう? ただ普通にバスに乗っただけなのに、感動してお金をくれる人がいるんですよ。もらいますけど(笑)。

そういうのはちょっと違うんじゃないかなと思っていて、偉いわねっていう言われ方はすごく他人事な感じがします。

〜略〜

当事者として生きていて思うのは、周りが思っているほど私は大変じゃないんですよ。大変なことも多いですけど、結構面白いんですね。目の前に障害が治る薬があったら飲みますかと言われたら、私は多分飲まないと思うんです。障害と生きるって大変なことがありすぎて面白いんです。別に強がりではなくて、障害があることで、健常者にはない喜びを得られる機会がも凄くたくさんあって、色んな人に出会えたり、指が動く、手が動くことをすごく幸せに感じられたりだとか、世の中の一個一個の現象に対してすごく敏感になるんです。


必ずしも、全ての障害者が、この方と同じではないとも釘を指している。実際には個別具体的だとしか言いようがない。しかし、当然、こういうケースも考えられる訳ですね。また、途中でカットしてしまった「インクルーシブ教育」とは障害者も包摂して差異を差異として共同生活することの意。説明すると、膨大になってしまうのが端折りましたが、裏返せば、如何に行政のやっている事、やろうとしている事って、意外とピンボケが多いなと感じる。

そういえば山田太一のドラマ「男たちの旅路」の最終話である「車輪の一歩」に、ちょっと通じるものがあるな。京本政樹さんや清水健太郎さんらが出演したドラマですが、これは傑作中の傑作です。それと原一男監督の映画「CP」(脳性マヒ)も通底しているのかな。ホントは「分かってたまるかっ!」という問題なのに、あたかもヒューマニスト気取りや正義ぶりっ子な人たちが、自分の思い通りであると信じている似非ヒューマニズムみたいなものに気付けるかも知れない。

そこまで面倒みろっていうけれど、それによって現場がどれだけ疲弊するのかが分かってない。そのくせ、直ぐにOECDの順位がどうのこうのと言い出して、余計な法律ばかりをつかり、どんどん行政機関だけが焼け太りし、組織も拡大し、権益も増やし、それでいて現場の仕事は低賃金労働者に丸投げして、実際にトラブルが起これば「こいつがなっていないです!」と責任回避する訳ですからねぇ。低賃金労働者に仕事を任せた癖に、その責任を取らないで済むというオイシいところだけ、しゃぶっている。実際、障害者の雇用、公官庁は数字を誤魔化していましたな。花粉症の職員を障害者にカウントしていたりして。自分たちが出来ない事、いやズルして達成していた事にしていたような崇高な目標なんですが、それを罰金付きの法律で民間企業に課している。あんまりワイドショウが取り上げないだけですが、デタラメだらけですワなぁ。

また、同著では「被害者の実名報道が無かった事」についても複数ヵ所で指摘していました。通常、被害者の実名は公表されるのに、何故か津久井やまゆり園事件では匿名報道となった。報道機関に問題があるのだろうと思っていたのですが、問題があるのは報道機関ではなく、警察発表が匿名だったので、以降、ずーっと匿名報道になってしまったのだそうな。重度障害者の家族にして遺族で、仮に被害者の実名が報道された場合に、何某かの差別を受けることを考慮して、警察が異例の被害者名を匿名にしたとの事ですが、まぁ、私は毎日新聞と週刊新潮とTBSでも、これについては報じられていたのを知っているので触れませんが、まぁ、現状として、凄い混乱があって、その中にあって言論が背伸びをしたポリコレとか、いい人ぶった人たちの正義によって押し殺されていて、それを敢えて打破しているあたり、やはり、読み応えがありましたかね。

最後に植松被告についてですが、体系的に何かを身に着けたものではなさそうという印象を持ちました。差別主義者といえば差別主義者であり、優生思想の持ち主といえば優生思想の持ち主なんでしょうねぇ。しかし、世の中が既に差別主義や優生思想を否定しながらも実際に機能しているのもホントであろうなって考えますかねぇ。ホントは限界がある。「限界はない」と信じ込んで人権天賦説を採ってしまっても、どのみち破綻してしまう。だから、そこはしっかりと現実を直視すべきだよなって考える。無視してしまうと色々と捩じれてしまい、歪みが生じてしまうしね。で、その歪みの中で、植松被告のような暴発を起こす者が出て来てしまう。真実の一端に辿り着いてしまう。その一端については間違っていないので、植松被告の中のジレンマ、一部は真実である妄想はどんどん強大に膨れ上がってしまう。

大麻の影響についてもアレコレと論じられていましたが、それよりも、やはり、他罰化とか「排除の論理」の蔓延、トランプ現象やフェイクニュース、そういった物の影響を感じましたかねぇ。この植松聖被告は、自分の中で先鋭化させてしまい、「もう、俺は絶対に正しい!」と思い込んでしまったタイプなのかな。事件前に筋トレ等をしていた事、更には正装して写真を撮影していたり、整形手術していたり、タトゥーを入れていたり、芯があるタイプではなく、執着的であるが体系化された何かではない――ですかねぇ。

物凄く単純に、浅薄なままに世界や社会を理解してしまっているような気がする。そうであるが故に、簡単に物事が解決できると思い込んでしまった。但し、死ぬ覚悟があったのか死刑になる覚悟があったのかという話は、リベラル系諸氏とは私は違う印象を受けました。こういう狂気ってのは、瞬発力が勝負みたいな狂気だろうなぁ…と。裁判でも指を噛み切ったとの週刊誌報道がありましたが、もう、強固な思い込みがあり、その思い込みと心中する覚悟というのは、出来てしまっているタイプの狂気のように感じました。何を言っても無駄なタイプ。




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今春に入ってからであったか、テレビに映っている宮崎学さんが、

「今にして思えば、あのキツネ目の男の似顔絵というのは私を陥れる為につくられたんじゃないのかと思うようになった」

と発言しているのを視て、少し違和感を感じました。鋭いなと思ったのではなくて、あの宮崎学さんが、そんな安っぽいシナリオを語っているなんてという違和感でした。これには理由もあって、NHK総合が放送した「未解決事件」シリーズなどを回想しても、あそこに登場していた刑事らは、確かにキツネ目を男に迫りながらも取り逃し、その後悔が生々しく語られていたような記憶があったから。キツネ目の男と捜査員との間にはギリギリの攻防があり、あれで取り押さえられなかったのであれば何十年も後悔が残ってしまう感覚というのは生々しい。それをNHK総合「未解決事件」では描いていたので、その「キツネ目の男の似顔絵は、そもそも私を陥れる為につくられたのではないか?」という宮崎学さんの言葉は何か拍子抜けしてしまうように感じたの意です。


しかし、この宮崎学さんに係る「最重要参考人M」或いは、キツネ=FOXとして捜査員らが符牒としていたF関与説というのは、思えば長い疑惑だよなって思う。

改めて『突破者』(上下巻)に目を通してみると、京都の老舗ヤクザの「ぼん」として育ち、その後に左翼運動に傾斜、早稲田大学に入学して上京していた時代は日本共産党系の地下組織的な学生ゲバルト部隊「あかつき行動隊」を率いて全共闘に日共系組織の暴力装置として参加、その後は週刊現代で記者をしたり、実家の解体業の為に奔走したり、企業恐喝事件を起こしたり、地上げビジネスに首を突っ込んでみたり、挙げ句の果てには立ち退き交渉に介入していたところ、銃撃事件に巻き込まれ脇腹に銃弾まで実際に受けた経験さえ持っている。こうした経歴の持ち主は、さすがに稀有でしょう。或る意味では、あのバブル期前後の日本社会の裏面史を知り過ぎている人物であり、他に、こうした人物が何人も何人も存在していたとは、推測とはいえ、結構、難しい。極めて稀有なレベルで日本の裏面史を体現していた人物でもある。

だからこそ、グリコ森永事件の犯人にデッチアゲられてもおかしくないとも言えるが、一方で、本当に、その「警察はワシに腹を立てていたから、ワシを犯人にする為に意図的に、あの似顔絵をバラまいたのではないか?」という陰謀論の信憑性は成立するのかどうかというのは、非常に悩ましくもある。どうしても引っ掛かるのは、グリコ森永事件の場合は警察庁広域重用指定事件(114号)であり、仮に最重要参考人Mをホンボシと捜査陣が思っていながら、そうした似顔絵の使用をするという事は考えられるのか…と。仮に、これが公安であれば、左翼活動歴があり、且つ、ヤクザとも密接な関係にあった人物に、そうしたカマを掛けるような陽動的な捜査戦術も行なう気もしますが、警察庁が威信を掛けて取り組むべき事件の捜査で、カマを掛けるような陽動捜査をするかどうかを考慮すると、どうしても抵抗がある。

また、本人も『突破者』の中で指摘しているように、列挙されている情報からすれば、宮崎学さんに擬せられても半ば仕方のないような、状況証拠がある。最重要人参考人M説というのは、確かに際どいとしかいいようがない。土地鑑を含めての地理要件その他、どうしようもなく、疑われてしまうであろう不可解な一致がある。

箇条書きにしてみると、以下のような感じでしょうか。

〆能斗彁温与唯諭淵ぅ縫轡礇襭董砲亮揃擦六村土建を営んでいたが、一連のグリコ森永事件に係る「ハウス事件」で現金輸送車が走ったコース沿いに寺村土建があった。

▲哀螢蛙恒併件の一連の過程で、栗東インター近くで滋賀県県警のパトカーが不審な車を発見、カーチェイスをして取り逃がした、また、その不審者は警察無線を傍受していた事が明らかになった。それに対し、寺村土建では警察無線を傍受できる無線機はダンプカーなどで使用していた。

グリコ森永事件では多数の犯行声明文などが出た訳ですが、それらに使用されていたパンライターを寺村土建の会社の関係者が持っていた。

ね兒罎脇端譴瞥兒罎使用されており、それは京都府伏見の「園城」という文具店のみが独自に取り扱っている極めて珍しい用紙であったが、この「園城」は伏見であるが故に最重要参考人Mは勿論、同Mが設立した寺村建産は園城をよく利用していた。

ス昇螢哀螢骸卍垢監禁され、脱出した水防倉庫の近くには寺村土建が懇意にしていた取引先があり、且つ、最重要参考人Mが卒業した高校も近くにある。

Ε哀螢鎧渦爾離哀螢咳浜椰品伏見工場ではパートの解雇を巡って、ちょっとした労働争議めいたものが起こり、その際、最重要参考人Mは労働組合側について、組合を応援していたという経緯が実際にあった。

Д魯Ε校件では、犯人は現金輸送車に最初の待機場所としてファミリーレストラン「さと伏見店」を指定した。このレストラン「さと伏見店」はMの実兄が建築に関わった店であった。

┌咤里箸隆愀犬砲弔い董この最重要参考人M説(F犯人説)は、Mの単独犯行ではなく、複数の関係者が関与していたのだろうと考えられており、Mの周囲にはイニシャルにして「SN」氏があった。一橋文哉著『闇に消えた怪人』では「SN」とされているが、N元S一郎氏という事らしい事が『突破者』では明かされている。このSNは、Mが「人間行動科学研究所」なる団体を結成した際、その京都の責任者をしていた人物であるという。また、このSNには韓国人女性と同棲関係にあったが、警察はグリコ森永事件で登場した子供の声で朗読されている「脅迫テープ」の声の主を、その韓国人女性の連れ子ではないのかと疑っていたらしい。(これについては、最近も、音声解析によって少し年齢条件が変わっていたかも知れない)。また、このSNは学生時代に自動車部に在籍し、実際にB級ライセンス保持者であった為、(△脳匆陲靴芯未蝓縫ーチェイスでパトカーを振り切るぐらいの運転技術を持っていた。(当時の新聞でも犯人は相当な運転技術を持った者と報道されていた。)

つまり、MとSNとが中心になって、一連のグリコ森永事件を起こしたのではないかと、当時の警察は勘繰っていたと思われる。しかし、当のMには完全なアリバイがあり、そのアリバイが崩れることはなかった。これが最重要参考人Mに係った一連の疑惑であった。SNは事件当時は京都市伏見区に在住しMと親しかった事から、このキツネ目の男Mと、それに協力したSNらによる犯行グループ説のようなものを警察は疑っていたという事らしい。

脅迫状や挑戦状、あの文章やら文体を、どう捉えるかという問題がある。警察をおちょくるかのような、もしくは揶揄するかのような、物凄く警察の内部事情にも通じているかのような、あの文章ですね。劇場型犯罪と呼ばれ、愉快犯であるかのようにも指摘されたのが、グリコ森永事件であった訳ですが、ああした文章を発信しそうな人物となると、これは主観頼りになるものの、或る意味では最重要参考人Mは、やってもおかしくない人物なのではないかと推測されていた事が考えられる。実際に、宮崎学さんはメディアを通じて過激ともいえる挑発的な態度をしたこともあり、「私は犯人ではありません」と真面目に答える一方で、雑誌『噂の真相』では「迷宮入り確実といわれるかい人21面相グループのキツネ目の男といわれた宮崎学サンが初めて衝撃告白!」と銘打ち、対談記事の冒頭では「私がキツネ目の男だった」と煽ったりもしているので、本当に虚実が入り乱れてしまう。(「私がキツネ目の男だった」は「私が犯人である」とは同一ではないが、それが挑発的なのは言うまでもない訳です。)

実は、余計に混乱してしまったかな。最重要参考人M説及び「キツネ目の男の似顔絵は見越し捜査でMをホンボシにする為の謀略であった」についても余計に混乱してしまったような気もするし。


時効の日、「筑紫哲也のニュース23」に出演していましたよね。今でもよく覚えている。父親が風呂上りにコップにビールを持ったステテコで姿で、

「大変だ、グリコ森永事件の犯人が筑紫哲也のテレビへ出てるぞ! なんで逮捕しないんだろうな! アレが犯人なんだろ? な? な?」

といった具合に興奮していたのだった。確かに「キツネ目の男」らしき人物が筑紫哲也さんの横に並んでいたのだから、衝撃的な画だったと思う。

番組の最後に筑紫さんから、

「ズバリお聞きします、あなたが犯人ですか?」

「いいえ、私は犯人ではありません」

と返答して、その日の「ニュース23」は終わったのであった。





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28日付の朝日新聞社会面には「老老介護 妻を手にかけ」という記事が掲載されており、おいおい、これは…という内容なのでスクラップ記事として――。

東京都杉並区の自宅で妻(81)を刺殺したとして今月、無職の◆◆◆◆容疑者(82)が殺人容疑で逮捕された。「死ぬときも一緒だよ」。冗談交じりに交わした「約束」を胸に、衰弱していく妻の世話を続けていたという。◆◆容疑者は警視庁の調べに「疲れ果てて、将来を悲観した」と供述。「自分は死ねなかった」と話しているという。

さて、この老夫婦ですが実際に仲が良かったらしく、二人で食事に出掛けたり、手をつないで散歩したりする姿が近所の人によく見掛けられていたという。また、刺殺された妻(81)は、おしゃれ好きで、いつもきれいに髪を整え、フラダンス教室にも通っていたという。

2〜3年ほど前に妻が認知症を発症し、デイサービスの施設に通い始め、昨秋頃から夫にしがみつくようにして歩行するようになり、車椅子を手放せなくなっていたという。体は痩せ細り、施設の職員に話し掛けれられも一言、二言返すだけ。毎回楽しみにしていたカラオケ大会にも参加しなくなった。要介護度は「3」まで進み、食事やトイレ、入浴に介助が必要な状態になっていたという。

加害者となった夫(82)は、妻の車椅子を押し、近所のスーパーマーケットまで買い物に出掛けていた。離れて暮らす2人の子供たちが月に数回、様子の見に来ており、介護施設に入所させる事を勧めていたが、夫(82)は「迷惑をかけたくない」と断った。費用面を考えていた部分もあり、親として残せるものは少しでも子供たちに残してやりたいという思いがあったという。

今月6日朝、施設に妻を送り出した夫に、近所の70代女性が「日中は少しは楽でしょう」と声を掛けた。夫は「いなくたって疲れるよ」と漏らした。

その翌7日、夫は自宅にある包丁を手に取り、事件に及んだ。逮捕後の取調で、夫は「魔が差した」、「疲れて将来を悲観した」、「自分は死ねなかった」、「思い返せば、なぜこんなことをしてしまったのか」等と供述しているという。

朝日新聞では、その記事の下に老老介護の問題を四角で囲んで専門家のコメントを掲載している。新型コロナウイルスの感染が広がるにつれ、介護疲れを訴える声も相次いでいるとしている。高まる不安によって悲観が広がっており、「周囲は『献身的に介護している』と褒めるのではなく、弱音を吐けないのかもと考え、積極的に声をかけて欲しい」というコメントを掲載している。

このコメントは身につまされますかねぇ。実は今月、出席しないまま、終わった葬儀がありました。現況、葬儀もコロナ禍の影響なので、丁寧な葬儀は出来なくなっている。葬儀だからと湿っぽい空気をイメージする人も半々ぐらいだとは思いますが、湿っぽくし過ぎても近親の遺族は心労につながってしまいかねないなと思ったものでした。切羽詰まっている人に対しては、その不安を吐き出させるように振る舞って、気を楽にするのが実は大切であろうなって思う。何もしてあげられないものでもあるから、尚更にね。
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週刊文春の最新号となる4月2日号は盛り沢山な内容でしたが、地味に驚いたのは、やまゆり園事件の植松聖被告を巡って実に14回も対話してきたノンフィクションライターである渡辺一史さんの記事でした。

単刀直入に言えば、植松は右手小指を第二関節から噛み切ってしまったらしい。本年1月8日の初公判で植松が自分の小指に噛みついて大騒動になったのは誰しもが記憶にあるところですが、その翌朝、拘置所で再び小指を噛み切ったものという。植松は「その後、指の具合はどうですか?」と尋ねられると、キャップ状になった包帯をスポンと外し、右手小指を渡辺一史さんに見せたが、その右手小指は第二関節から上がなく、赤黒いかさぶた状になっていたのだそうだ。

まるでヤクザが小指を断指する「エンコ詰め」のようなもの、或る種の禊ぎ行為としての断指にも思えるが、植松は

「許してもらうつもりはない。恨まれるのは仕方ないから」

と答えたという。

さて、この植松被告には現時点で一審で死刑判決が下っており、しかも植松被告は控訴する気がないという。これについては既報の通りでもあるのですが、この「やまゆり園事件」及び「植松聖」の問題が集約されているようにも思う。「死刑でいいです」と主張して控訴を諦め、死刑を受け入れ、そのまま早期に死刑が執行された「山地悠紀夫」を思い浮かべるが、それでいて、この植松は山地とも異なる。

山地悠紀夫(やまぢ・ゆきお)の場合は「(おそらくは脳の器質的な障害による共感能力の欠如なので)更生なんて不可能だから、死刑でいいです」であった。それに対して、今回の植松聖(うえまつ・さとし)の場合は「一審、二審、三審のような制度は非効率である/控訴をしない事が潔い態度と言えるから/私は間違っていない」という思考回路の持ち主なのだ。

被告人質問で、植松被告は、その不思議な世界観を語ったという。それは植松の言うところの「より多くの人が幸せになるための七つの秩序」らしい。

安楽死、大麻、カジノ、軍隊、セックス、美容、環境――この7項目が、「より多くの人を幸せにするための7項目」らしい。

或る種の狂気の話なので語弊もありますが、これは、考えようによっては、まさしく哲学的な功利主義の問題、そして現在進行形で世界中で実際に起こっていて人々を分断させている「デジタル・ポピュリズム」の話ともリンクしている。つまりは、ヒトの価値を推し量る、幸福なるものを推し量るにあたって、合理主義、生産性の高い低い、それに基づくデジタルカーストでも言うべきスコアリングの肯定と、実は水面下でダブっているようにも思えるんですね。なんと表現すればいいのか、迷うところですが、つまりは、固定的価値観に基づく杓子定規で貴賤や優劣を計測し、それらの阻害要因については排除・排撃する事が正義であるという偏狭な正義論と実は通じている。また、この話は過剰な自己責任論、あるいは過剰な他罰意識とも底では通じている。

(杉田水脈議員の「生産性」の発言などとも実は底で通じているし、現在進行形の、どうしても家計に金銭を与える人とそうしない人とを区別したい心理、いつぞやの生命の存亡に関わる未曾有の大豪雨の中でも或る避難施設がホームレスの受け入れを拒否したという騒動がありましたが、あの問題と底で通じている。命の選択を積極的に肯定し、その奥底には選民思想があると思う。)

昨日付けの朝日新聞の読者からの投書欄にも「植松被告の死刑判決は、ホントに死刑判決でいいのか当惑する」という旨の投書を目にしたかな。おそらく、自分の身内が被害者であったなら自分も植松に対して死刑判決を望むと思うし、その死刑判決そのものの妥当性は問わないが、不要分子の排除や排撃を心の底から肯定している植松聖を、その植松聖の望み通りに死刑に処するというのは、どうやってもモヤモヤが残る話であり、それを訴えていたのだと思う。昨今ともなると、少しばかり齧った程度の知識で「朝日新聞だから」のように反応する態度が台頭してしまっていますが、そういう問題もひっくるめて、物凄い大きな問題がある。

福田直子著『デジタル・ポピュリズム』(集英社新書)でも確認できてしまいましたが、その次元でニュースを処理できている者は少数であり、スマホやインターネット上で、自分の好きなトピックスにアクセスしているだけの情報収集スタイルだと完全に偏った情報しかアクセスしておらず、そもそもファクトチェックのような事にも疎い人たちが、とんでもなく増えているらしい事がデータで示されている。新聞なんてクソだというのだけれども、まがりなりにも新聞社を含めて出版社は、自社の信用に関わる部分で率先して誤報は打てないというシバリがかかり、校閲が為されている事を無視している。新聞も書籍も読まない人たちが、インターネット上の情報の大海原の中でニュースをキャッチして処理する事は難しい筈であるが、その問題に気付いていないという大問題がある。

話が膨大になりかねないので、ここら辺で文春記事に戻ります。14回も植松被告と接見したというフリーライター・渡辺一史さんの分析を引用します。

植松の世界観は、インターネットやテレビ、マンガ、ゲーム、そして「自己責任」や「生産性」に代表されるような爛優肇Ε菘言説瓩覆匹之塑遒蕕譴討い襦世の中に流布する断片情報を寄せ集め、世界を理解した気になっている。それもまた、今の社会を映し出す鏡には違いなのだが。

と。

少し追記します。

あまり、植松聖被告の人物像については報じられてきませんでしたが、渡辺一史さんに拠れば、この植松聖は、秋葉原通り魔事件の加藤某や、京都アニメーション放火事件の某といった近年の無差別殺人犯にありがちな、社会から孤立していた人物ではないと記されている。「リア充」という表現が正鵠を射ているのかどうか微妙ながら、男女ともに交友関係は広く、大学時代にはフットサルサークルで活動しており、カノジョなんてのは中学時代に2人、高校時代に2人、大学以降も交際相手を欠かした事がなく、出会い系サイトやナンパなどもする方だったので、不特定多数の女性と関係を持っていた人物だという。

また、父親は小学校教諭、母親は漫画家で、その辺りの家庭環境が何かしら影響したという見立てもなされていたが、渡辺さんの見立てでは、家庭環境は特段、変わった様子はないのだという。第6回公判では高校時代の植松被告と交際していた女性の供述調書が読み上げられたという。それは植松家に遊びにいった事のある元カノジョによる証言があったワケですが、植松被告の母も父も到ってノーマル、むしろ、なんでもオープンにしている理想的な家庭だったらしく、植松の父親はパスタをつくって、息子と息子のカノジョにお昼ごはんを用意してくれるような、そうしたフランクさを感じさせる家庭環境だったらしい。

友人の多かったので証言は多い訳ですが、どうも植松は或る時期から誰にも分からぬまま豹変したという。インターネットの影響は非常に疑わしく、ヤフーニュースなどのコメント欄に差別的な書き込みをしていたといい、また、動画配信サイトに犯行予告めいた動画を投稿していたという。交友関係が広かったが、それら友人たちも、そうした植松の異常に気付かなったらしい。

また、植松被告に拠れば、首都直下地震で日本は滅び、横浜には原子爆弾が落ちるのだという。イルミナティカードによって世界が形成されていると信じているらしいので、その予言もイルミナティカードによる予言なのかと、そう思うのかと問われると、

「いえ、それは『闇金ウシジマくん』というマンガに描かれています」

と、語ったという。

闇金ウシジマくんに描かれてましたと言われても…。

植松被告の弁護側は、これらの植松聖の支離滅裂な認識を被告人質問で語らせる事によって、心身喪失者であるように印象付け、裁判を進めていたが、植松被告本人は弁護士サイドの責任能力の有無によって戦う裁判戦術を批判していた。飽くまで「自分は正しい/障害者はいらない」という主張を貫徹したままなのだ。このまま、死刑執行してしまうとなると、結局、やまゆり園事件は植松の主張している「不要者は排除すべし」の法のまま、当該植松を「不要者とみなして死刑に処す」ことになってしまうので、なんだか後味の悪さが残る…。
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今から、ざっと2年前の2018年3月7日、国会が森友学園問題で紛糾、安倍昭恵夫人が関与していた小学校に対しての国有地払い下げ問題は、野党やマスコミによって疑惑を突き付けられていた。国会で証言に立っていた佐川宣寿元理財局長(その後に国税庁長官)は、文書は存在していないと答弁していた。そんな中、近畿財務局局員が自殺をしたという報道があった。

最新号の週刊文春3月26日号では、この森友問題をスクープした事を切欠にしてNHKに政権から圧力がかかり、その為にNHK退社した元NHK記者の相澤冬樹大阪日日新聞記者がスクープしている。自殺をした近畿財務局局員の遺した「手書きメモ」とA4用紙7枚分に残された「手記」が週刊文春に掲載され、ほぼ、文書改竄については完全解明となっている。

しかも、想像以上に自殺が起こった経緯は深刻と感じました。揉み消し工作を指示したのは佐川宣寿氏であったと明確に記されていおり、且つ、本省と近畿財務局との絶対的上下関係によって度重なる改竄が起こったが誰も、その空気を打ち破る気配はなく、実際に改竄を行なった近畿財務局局員の赤木俊夫さんが心身共に体調を崩し、自殺に追い込まれていたのが真相であった。

また、何故、今頃になって手記やメモが公に出てくる事になったのか、その経緯も深刻さが伺える。この度、手記とメモとが公開されるに到ったのは、自殺された赤木俊夫さんの遺族(妻)が佐川氏と国とを提訴に踏み切ったからなのですが、この提訴、マスコミ公開に到るまでの犒舒洵瓩盥鵑ぁ財務省及び近畿財務局は、赤木さんの遺族(妻、以降、「妻」とします。)に対して尚も、この手記やメモを公開しないよう働きかけていた節があり、非常に悪質な経過を辿っている。

相澤冬樹記者は、当時はNHK記者だったのかも知れませんが、2018年9月頃であったと思われ、その際に、手記とメモとを妻から見せられていたが、最愛の夫を自殺に追い込まれた妻にしても情緒不安定で手記とメモとを見せてはくれたが、記事にする事にはためらいがあり、「相澤さんに裏切られたら私は死にます」と発言していた為であるという。また、そのように振る舞っていた当該妻の本音、本心は、更に複雑であり、相澤記者に手記を託し、そのまま夫の後追い自殺をするつもりであったという。この為、手記とメモとの公開は控えられていたのだそうな。


また、明らかになった近畿財務局や財務省の対応も酷く、人として憤りを感じる。

赤木俊夫さんが自殺で亡くなった翌日、俊夫さんの近畿財務局の直属の上司が、

「遺書があるなら見せてほしい」

と要求してきたのだという。文書改竄に関与した事を気に病んで自殺したのは自明であるのに、尚も真実が明らかになる事を怖れて、近畿財務局及び財務省は裏で画策していた節がある。そう感じた為に妻は、手記とメモを見せる事を拒否した。近畿財務局の対応は酷かったらしく、

「赤木を殺したのは朝日新聞や!」

と叫んだ(恫喝的に叫んだの意か?)職員さえ居たらしい。当然、妻からすれば夫を殺したのは「財務省でしょ」と冷ややかに感じていたという。何しろ、手記には

〇刑事罰、懲戒処分を受けるべき者

佐川理財局長、当時の財務次長、中村総務課長、企画課長、田村国有財産審理室長ほか幹部
担当窓口の杉田補佐(悪い事をぬけぬけとやるができる役人失格の職員)


と書き残されているのだ。これは、本当は自殺された赤木俊夫さんは最後に、この断罪をして自らの命を絶ったという意味では、重たい指摘だと思う。これに反応しない日本人でいいのだろうか?

更に財務省は、妻を取り込もうとしたのか

「財務局で働きませんか?」


と打診するなどもしていたという。

更には生前の俊夫さんと親しかった財務省の同僚職員から妻へ電話が入り

「麻生大臣が墓参に来たいと言っているがどうか?」

と尋ねてきたので、妻は「来てほしい」と返答した。しかし、何故か、その後、その夫の同僚職員は妻の兄の元へ何の了解もないまま、電話を入れ、

「妹さんは大臣に来て欲しいと言っていますが、マスコミ対応が大変だから断りますよ」

と一方的に告げたのだという。その後、近畿財務局の局長がお歴々を引き連れて、妻の元を訪れ、

「大臣の墓参を断ってくれてありがとう」

と述べられたという。どうも、なにもかも、事実がつくられてしまっているらしいのだ。この麻生大臣の墓参のやりとり、些細な事といえば些細な事なのですが、つまりは意向を確認して断れたというアリバイをつくる為の何かであり、自殺した職員の遺族(妻)の意向を捏造している。平たくいえば、「麻生大臣は墓参に行くと誠意をみせようとしたら、当の遺族の方からマスコミ対応が大変ですので墓参はお断りしますという申し出があった。だから墓参には行かないことになった」という架空のストーリーを、赤木さんの自殺後も延々と財務省がデッチ上げて、発信し続けていたという事を意味している。

2019年2月には、財務省の事務次官が赤木さん宅に弔問にきたという。その際、事務次官に同行していた近畿財務局の職員は、当該妻に、その事務次官を紹介するに当たり、

「一番偉い人ですよ。わかってます?」

と発言したという。

絶望的な上から目線、絶望的な上級国民による情報操作が蔓延してしまっているのが伝わって来る。彼等エリートはエリートが形成する巨塔の中に住んでいるので「恥」という概念がおそらくは無いのでしょう。「日本で一番偉いのは総理大臣、その次に偉いのは財務省事務次官、一般人の皆さんからすれば有難がって当たり前の、最高に偉い人なんですよ」という、そーゆー価値観の人たちなのだ。考えようによっちゃ、もう、どうしょうもない。

似たような事例に傍観者として立ち会った経験がある。30年位前なのだと思いますが、その場所に駐車されては迷惑であるという場所に、自動車が駐車していた。30代の主婦さんが「このクルマ、こんなところに駐車されて迷惑ですよね」という具合に隣組内でドブさらい中に発言したところ、60代の男性が「あのクルマは偉い議員さんのクルマだから余計な事は言わない方がいいよ」と返した。すると当然、30代主婦は「そーゆー問題ですか? 議員さんのクルマだったら尚更、迷惑駐車なんて許すべきではないんじゃないですか?」となった。60代の御隠居さんにしても悪意があった発言ではなかったと思われるが、要は、「長い物には巻かれてりゃいいのだ、ごちゃごちゃ言うべきではない」という60代の御隠居男性の価値観と、30代主婦の「迷惑行為に対して、偉いとか偉くないとか関係ないですよね!」という価値観との衝突なのだ。些細な口論であったが、ドブさらいは非常に気まずい空気となった。

おそらく、その際に放たれた「一番偉い人ですよ。わかってます?」は、「偉いことこそが至上であり、その偉い者は真実を捏造できて当たり前だ」というアタマなのでしょう。「ダンナを殺したのは我々ではありません! 旦那を殺したのは朝日新聞なのです! 朝日新聞さえ報じさえなければダンナは死にませんでした!」と、そのように責任転嫁をする事ができる人たちなのでしょう。


驚いた事に「手記」には詳細が記されている。

平成30年1月28日から始まった通常国会では、太田(現)理財局長が、前任の佐川理財局長の答弁を踏襲することに終始し、国民の誰もが納得できないような詭弁を通り越した虚偽答弁が続けられているのです。(蛍光マーカー部分は文春誌では太字に傍線になっている。)

認識も明確であり、且つ、

〇刑事罰、懲戒処分を受けるべき者

佐川理財局長、当時の財務次長、中村総務課長、企画課長、田村国有財産審理室長ほか幹部
担当窓口の杉田補佐(悪い事をぬけぬけとやるができる役人失格の職員)


とまで書き残している。

自殺に到ったまでの経緯も記されていますが、自殺した赤木俊夫さんは身心不調となっていますが、その精神的重圧、壊れていった要因として、何を重圧と感じ、何に怯えることになったのかも、実はちゃんと書いてある。赤木さんは平成29年7月から強度のストレスが蓄積し、心身に支障をきたして休職状態になっていた。赤木さん自身がストレス、その最大の要因にも率直に言及している。

財務省が国会等で真実に反する虚偽の答弁を貫いていることが最大の要因でありますし、この対応に心身ともに痛み苦しんでいます。

改竄(修正)に直接携わっただけではなく、例の虚偽答弁が虚偽答弁である事を承知していながら近畿財務局内で反論する者がいない事に違和感を持ち、更に会計検査院に対してもある筈の資料を無いと説明するなどの態度も苦しめたものという。修正作業の指示が複数回あったが、この赤木さんは「相当抵抗があった」と述べている。しかし、周囲は誰も彼も本来的な規範意識を失い、隠蔽や改竄に抗う態度がなかったのでしょうから、そこで、孤立を深めていったのでしょう。

また、赤木さんは妻に

「ぼくは職場に復帰したら検察に呼ばれる。検察は怖ろしいとこや。何を言っても思い通りの供述を取る。検察はもう近畿財務局が主導して改ざんしたという絵を描いている。そのストーリーから逃げられない。ぼくが何を言っても無理や。本省の指示なのに最終的には自分のせいにされる。ぼくは犯罪者や」

と、検察を介して行われるであろう、トカゲの尻尾切りに怯えていたのが分かる。つまり、「財務省本省の与り知らぬところで近畿財務局のノンキャリアの職員が勝手に忖度して、隠蔽したり、改竄してしまったようです、検察が掴まえるのは、この人です」という筋書きによって赤木さん自身が生贄にされる幕引きの図が見えてしまっていたという事のよう。

だから、手書きのメモの文字は、あんなにも歪んでいるのだ。パワハラで発熱したり、寝込んだりした経験のある者は、こうした今日的な恐怖、思い当たるのでは? 

そしてパソコン内に残されていた手記の結文は、以下であった。

家族(もっとも大切な家内)を泣かせ、彼女の人生を破壊させたのは、本省理財局です。
私の大好きな義母さん、謝っても、気が狂うほどの怖さと、辛さ、こんな人生って何?
兄、甥っ子、そして実父、みんなに迷惑をおかけしました。

さようなら


だって。いや、冷静に読んでも、これ、凄い悲しい文章に読めますけど。。。

変な世の中になってしまったなぁ。同僚や上司の態度というのも酷いし、最後は孤立や孤独の中で最愛の奥さんを残して先立ったって事ですよ。無念な最期だったのでしょうし、やはり、これは奥さんを支える方に回るのが同僚や上司の役割だったんじゃないの? それなのに政権政党やら佐川さんら個人の名誉やメンツを守ろうと動いていたって訳でしょう? 美しい庇い合いの図ではなく、恐ろしいまでに醜悪にして腐敗の進行した組織図だと思うけどねぇ。

確か私の記憶だと佐川元国税庁長官は、6千万円近い退職金を手にしたと週刊新潮で目にした事があるけど…

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週刊文春1月23日号ではノンフィクションライターの渡辺一史さんによる「植松聖との360分」というルポが掲載されていて、やまゆり園事件の容疑者である植松聖と面会した内容から、植松聖の「考え」を読むことが出来ました。

先日、突如として法廷で暴れ、指を噛み切ろうとしたあたり、どんな事情で、そうなったのかテレビなどでも解説されていなかったのですが、記事に目を通すと、なんとなく、それが分かる。

独特な、植松聖の思想らしきものがあるらしい。

植松聖は「頭がおかしければ無罪という理屈は間違っています。心神喪失者こそ死刑にすべきです」と語っていたという。この植松の考え方が、植松に指を噛み切らせようとした、と。植松が指を噛み切ろうとした場面は、弁護人が「被告には精神障害があり、その影響により心神喪失、または心神耗弱者であった」と主張したのだという。その弁護は、植松聖の主義や主張と著しく相反する訳ですね。何故なら植松本人が考えでは「頭がおかしいから無罪だという理屈は間違っている」のだから。弁護人は「被告は頭がおかしいので責任能力が…」と弁護したかったのでしょうけど、それは植松本人の考え方からすると、矛盾になってしまうらしい。

どうも酒鬼薔薇聖斗の独我論にも似た独自の思想らしきものがあるっぽい。ああ、考えてみると、ちょっと似ている可能性があるのか…。彼には生きる価値がないという風に勝手に結論してしまうあたりでは、酒鬼薔薇と、この植松聖は似ている。どこか勝手な価値観で線引きをし、殺害する事を正義にしてしまう感じというのが、読み取れる。

植松はオリジナルの【心失者】という単語を使用し、その植松の思想らしきもの、自論が分かって来る。植松に拠れば「意思疎通のとれない障害者は安楽死させるべきだ」、「重度・重複障害者を養うには莫大なお金と時間が奪われる」等から形成されている。昨今、経済合理性偏重のコスパ重視の価値観が台頭しているし、或る女性政治家が産む産まないの文脈で「生産性うんぬん」と発言したり、確かに一部には似たような風潮が出てきているような気もするし、そもそも、この問題は潜在的には優生学などの分野でも出て来てしまった話でもある訳ですね。一昨年から昨年にかけて毎日新聞社のみが必死に旧優生保護法の問題に食い下がっていた記憶がありますが、他紙はさほど紙面を割く事もなく、世の中全体的には低調なテーマになってしまったような記憶がある。

で、植松に拠れば、事前に会話が可能かどうか、つまり、言語を介したコミュニケーションが可能かどうかで標的を線引きして事件を起こしたという。植松は、それが分岐点だと考えていたっぽい。その話で取材者と意見を交わしている。

「言葉だけが意思疎通のすべてではないでしょう」

「そりゃあ言葉を話せない人とも意思疎通できることはありますけど」

「ありえますよね。それはどう考えたらいいんでしょう」

「でもそれは犬猫でもありますよ。それだけでは人間と認められない」

「たとえ犬猫であっても、自分と心が通いあった犬猫は、自分にとって特別な存在になりませんか?」

「そういうのは屁理屈。ホント勘弁してほしい」

「やまゆり園時代に植松さんは、意思疎通のとれない人と気持ちが通い合うような瞬間はありませんでしたか?」

「だから、ごはんだよっていえば、ごはんだなとわかりますし」

「ごはん以外にもいろんなことがわかっているかもしれない。そこには意味はないのでしょうか?」

「意味がないというより、迷惑」

「でも今、ぼくと植松さんがこうやって言葉で話していますけど、本当に意思疎通できているかどうかわからないじゃないですか」

「そんなことをいい出すと、もう話がかみ合わない。そういう問題はなしにしたい。というか、安楽死に賛成反対っていうのは、海外ではもう終わった議論ですよ。いつまでその話をしているのかなと思う」


ああ、なるほど、この植松容疑者というのはガチで、その信念の下に、事件を起こしたのだろうなというのが、ヒシヒシと伝わってくる気がする。公共的な正義、その行使者として、その心失者を殺害したというのが、この事件の最大の暗部である訳ですね。勿論、ルポでも言及されていますが、植松の安楽死は社会的抹殺という意味での処刑であるが、安楽死は当たり前ながら本人の意志があって初めて安楽死なのだから、中々、問題が大きい。旧優生保護法の問題とも似て「本人の意志確認なんて要らんやろうが。当たり前の事なのだから公権力によって強制的に行使する事が社会正義」という考え方であるのが分かる。これ、結構、微妙かも知れませんね。確かに昨今、ワイドショウなどを視聴していると「強制して対処すべし」という正義論の方向性で物事を思考している番組やコメンテーターが多いし、そもそも、税と社会保障の一体改革等、全般的な世の中の流れも実は、少し似ている気がする。公権力に絶大な力を与え、一個人の権限を狭めていってしまう方向性で、当事者の意志はどうでもいいじゃないか的な。

まぁ、確かに認知症になってしまうと意志を確認しようにも確認のしようもなく、ホントは家族の労力も財力も、また、社会の負担も大きいのは事実のような気がする。

実際、次のようにも発言している。

「認知症の老人などを放っておくから、車が暴走して子どもが死んだりするんですよ。ああいうのがホント問題」

と。おそらく、この問題、多くのワイドショウは、そのスタンスで報じていますよね。で、植松の場合は、もう、頭のおかしいのは、みんな安楽死(誤用)という事にして死んでもらうのが社会正義というものだと、結構、頑なに主張しているのが分かる。

また、知的障害者支援施設である津久井やまゆり園の話としては、昨年6月、「見守りが難しい」という理由で、車椅子に長時間拘束されていたという元利用者の親族による告発がNHKで報道されたという。更に、昨年10月、愛名やまゆり園で元園長が小学6年生の女児に対しての強制性交の疑いが逮捕されているという。

この問題、複雑そうですねぇ。おそらく、現在のポリコレ的な正義論だと、園の運営やスタッフの問題ばかりが列挙される事になるような気がする。実際、やまゆり園の場合は居室が「非常にオシッコ臭い」や、オムツを頻繁に変えてもらっていなかったのでパンツにうんちがべっとりついていた等の声が紹介されている。つまり、施設による入所者への対応の不行き届きを責めるものが多い。しかし、この問題、どうだろ…。仕事だからきちんとやるべき、労働の対価として報酬を受けているからとはいっても、そもそも聖人でもない限り、簡単にできる仕事ではないような気もするんですね。そもそも制度として無理があるような…。

介護の問題とは肉親であっても疲弊し、確か元欽ちゃんファミリーであった清水由紀子さんあたりは墓地で焼身自殺しちゃったんじゃなかったっけ。「お元気ですか」という曲をカーステレオで聴いていて思い出してしまう事がありましたが、欽ちゃんファミリー内で「ゆっこ」、「ゆっこ」と呼ばれて、明るい笑顔を売りにしていた方だったので、「うわぁ…」というどんよりとした気分になったのを記憶している。また、ニュースであったかノンフィクション番組であったか、或るフリーライターの男性が認知症の実母の介護をしてオムツ交換をする話などに言及していましたが、その精神的負担、経済的負担、肉体的負担などが甚大そうだなという事も感じ取れました。いつも、施設側の不祥事や不行き届きを責め立てる方向性ばかりで大丈夫なのかなって思う。そんな大変な事を、他人任せにできるという制度設計は、ホントに疑念の余地はないのかな、と。簡単に「助け合い」とは言いますが、実際問題、そんなに我々の社会は相互に濃密に助け合っている社会と言えるんだろうか、と。

巷間の正義論は「社会で弱者を助けるのだ」というのだけれども、まぁ、便所掃除をする人と、させる人とがあり、実際には便所掃除を他人にさせる事が可能な経済力のある人たちによる御都合主義的なニュアンスによって成立しているのは本当であろうなって気がする。プチブル的な偽善であるがリベラル思想の中で、これが巧妙に隠され、正当化されている気がする。

経済的な余裕のある層は、その甚大な労力を金銭によって他人に任せる事が可能になっているのが、現行の社会制度、その設計の匙加減であり、これは本当に大丈夫なのかなって思わなかったら嘘になる。

実際、各自、どうなんでしょう。知的障害者や認知症は仕方ないにしても、現役世代による「他人に迷惑をかけてまで長生きしたくないよね」という者も結構あって、本人の意志を確認できたケースでの安楽死やら自裁死というのはホントは制度があった方がいいような気がしますけどねぇ。実際、そういう文章も目にした事があるのですが、利己的遺伝子論のリチャード・ドーキンスを批判的に語る人たちがある。ドーキンスの「自然界に福祉は存在しない」という言辞を攻撃している訳ですが、思えば、それは老荘思想も同じだと思う。自然界の一つの部品として生きているのであり、やはり、他者によって生かされているという状態は自然に反しているよなって思う。助けられるものが助けたいと欲し、助けるのは自由だけれども、それを制度として固定するのって変な気もする。

近所のお寺、そこの先代の住職さんも、まぁ、普通の人といえば普通の人であり、オーバー100歳の親を抱えているのですが、どうも入退院を繰り返しているらしく、やはり、

「あんまり長生きというのも喜べないもんですよ。(息子の)私の事だって、もう分からない状態なんだから…」

と、洩らしていましたが、これが巷間の人々の、偽らざるホンネだと思いますよ。むしろ、真摯に向き合ったり、真剣に向き合い過ぎてしまったら、看ている側の方が精神的な健康を害してしまい、身心に変調をきたしてしまうのが実際でしょう。あと経済的にも。実は、この先代の住職さんと話した時も、この後、ちょっとした談笑までしてきたぐらいで。ホントにねぇ。

それと植松が犬猫を殺してもいい事になるという部分で、取材者に苛立って「屁理屈だ」と言っている箇所がありますが、私は植松の限界をみた気がしました。話の筋からすれば屁理屈ではないのは歴然で、前段の「言葉でコミュニケーションを取れないものには生きる価値がない」という話をしていて、そこで言語コミュニケーションなのか非言語コミュニケーションなのかという話になり、それを突き付けられたのに「屁理屈だ」と言い出してしまっている。勿論、意思疎通とは言語を介したコミュニケーションに拠るものが全てではない。

仮に植松の弁を紡ぐなら、ペットと労働材であるヒトとは異なると言いたかったのでしょう。ヒトたる者は社会参画し、その社会で有益な存在であるべきである、と。優秀な者には存在価値があるが劣る者には存在価値がないと考えているのだと思う。生産性が低い人間は抹殺した方が有益であり、社会発展の目的に適っており、つまり正義である、と。だから植松の場合は衆院議長にも手紙を書いていた訳だ。そういう考え方の人も実際に植松に限らず、案外、登場してしまっているのが現実のような気もする。

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神戸市立東須磨小学校の事件は暴行事件とか傷害事件なのではないかと先にも感想を述べたのですが、こちらの想像を上回ってくる悪辣三昧状態であった事が分かってきてしまった…。週刊文春10月24日号を参考に要点を整理すると、もう、これ、一般常識は到底、通用しようもない狂気の職員室だったかのような印象になってくる…。


先ず、現状として既に記者会見をした仁王(におう)校長があって、その仁王校長の前校長が、問題の40歳女性教諭を東須磨小学校へ招いたという風に報じられており、未だ名前などは報じられていない前校長にも色々な疑義を感じるところがあるかと思うのですが、やはり、事情を整理すると前校長から、この東須磨小学校の狂気の職員室問題は始まっていたかのような印象になる。

この前校長は東須磨小で二年間の教頭を務めた後、2018年度に東須磨小の校長に昇格。これが前校長であるという。この前校長には、東須磨小の女性教諭と不倫しているのという噂が立ち、その女性教諭をクルマで迎えに行っているところや、その二人が機械室なる教室から出てくるところを見たという複数の目撃談があったという。

通常、校長の人気は三年であるが、何故か、この前校長は一年ほどで異動。学校関係者の証言によれば、市教委によって行われた前校長へのヒアリングでは、この不倫問題についてもヒアリングが行われたものと考えらえるという。


激辛カレーを目や口の周辺に塗りたくられている動画が出回った事で、本騒動が尋常ではない騒動、むしろセンセーショナルな事件性のある事件ではないのかという見方が定着してきましたが、あの動画で激辛カレーを塗りたくられている被害者を仮に「X」先生とする。(実は被害者が複数あり、紛らわしくなる。)

2017年4月、X先生は東須磨小で教師人生のスタートを切った。教師となって初めて赴任したのが、この東須磨小学校であった。と、この年、今件の加害者で唯一の女性として報じられている女性教諭の「C」も東須磨小に赴任してきた。

この2017年4月の時点で、ボーダー柄のシャツを着てX先生のクルマの上に立っている写真が出回っている30代男性が「A」であり、激辛カレー動画の中で羽交い絞めにする役を演じているのが「A」であり、途中で一瞬だけ見切れている人物が「B」であり、カレーを無理矢理に被害者のX先生の口へ運んでいるのが、唯一の女性にして主犯と目されている40代の女性教諭の「C」である。

2017年4月以前から、30代男性だと報じられている「A」と「B」は既に東須磨小に勤めていたという。そこへ「C」が赴任し、また、この際に被害者になった「X」先生も赴任したというのが経緯である。

翌2018年4月、30代後半だという「D」教諭が東須磨小へ赴任。これで加害者の「A」、「B」、「C」、「D」が揃う。このDは東須磨小へ赴任して間もなく、知人に「うちの職員室、メチャクチャやで」と打ち明け、また、赴任してから間もない時期は、X先生にもやさしく接していたが、いつの頃よりかティーチャーカーストが影響してか、Aらと一緒になって「イジメ」に加担するようになったという。

因みに、例の激辛カレー動画を撮影しているのは加害者一味の「D」ではなく、X教諭とは別の被害者である男性教諭であるという。その撮影した男性教諭が無理矢理に激辛カレーを食べさせられ、嘔吐。嘔吐した男性教諭の背中をさすっていたのがX先生であったが、加害者一味は「次はお前の番や」と指名され、あの動画が撮影されたという。つまり、嘔吐した被害教諭が次には、X先生が餌食とされる動画を、加害者一味に命じられて撮影していたのが、あの動画が撮影された実状であるという。静止画として目元や口元にカレーが塗られているのは、別の日の出来事であるという。つまり、東須磨小では、年がら年中、あんな事が起こっていたっぽい。(週刊文春は、被害者たるX先生の代理人弁護士に取材したらしく、ソースは、そこそこ信用できそうだと推測できる。)

X先生に対しての加害行為が突出して多いのはボーダーシャツを着てクルマの上に乗っている写真が出回っている「A」だという。週刊文春では主犯を「A」と報じている。車内にタバコの吸殻が入った水を故意にこぼすなどの行為をしていたのも、このAであり、クルマで送迎させていた、また、クルマの送風口に異物を詰め込む、出入りの際には窓から出ようとしたり、或いはドアを閉める際に足蹴にするようにしてドアを閉めていたのも、このAによる加害行為となる。

このAは妻帯者であるが、酷いあだ名をつけたり、女性教諭に胸のサイズを執拗に聞いたり、何人もの女性教諭に「ムラムラするからエッチしようや」といったセクハラLINEを送っていたという。そのようなイタズラをしておきながら、他の被害男性教諭の仕業であるかのように振る舞っていたのが、このAであるという。

このAについては、週刊文春いわく「虫唾が走る低俗な行為のオンパレードである。」とし、Aの高校時代の同級生にまでインタビューを敢行している。Aは体格が良く、高校時代はサッカー部に所属していたという。中高一貫校へ通っていたらしく、本人は「東大を目指す」と言っていたが、中学入試組の中では、いわゆる「おちこぼれ」であったという。二浪して大坂教育大学へ。同級生は、Aに対して、

「思わず人間性を疑ったのは、偏差値の低い私立大学に推薦入試で合格したクラスメイトが教室に入って来た時、ボソッと『負け組が来たぞ』と呟いたことです」

というコメントを紹介している。



本年9月1日は日曜日であった為、翌2日が二学期の始業式であった。この1日の夜、X先生の実家では、X先生の遺書らしき走り書きが発見された。家族に対しての感謝の言葉があり、それに続けて、「ごめんなさい」と記されていた。日付が変わって9月2日未明、X先生の交際相手からX先生の家族にSOSの電話が入った。X先生は実際に自殺を図った訳ではなかったが意識が朦朧となり、呼吸困難を起こした為であったという。X先生は病院に連れて行かれ、病院で医師から自死行為の危険性があると指摘され、入院。これが本件の被害者とされるX先生が療養に到る経緯であるという。

加害者4名も現在は療養中と報じられているものの、加害者が方便として使用する猯斗榁罩瓩函被害者が使用する猯斗榁罩瓩陵邵垢剖辰される。



そして、この東須磨小の件で未だにマスコミが報じていないのが、性行為強要という破廉恥事案の存在となる。被害者は仮名「Y」という20代の女性教諭と、同じく20代の「Z」という男性教諭となる。

昨年暮れ、教師4名は神戸市無いの有名ラーメン店チェーンにクルマ2台に分乗していたという。X先生が運転するクルマには、Aが乗った。Y先生はZ先生を乗せて一行はラーメン店へ向かっていた。

テレビでも報じられている体重計に乗った写真をLINEで送らされていたのは、X先生とZ先生であり、痩せているX先生は体重を60キロ以上にするように、Z先生の方は体重を75キロ以下にするようにAとBに命じられ、彼等に体重管理されていた。

このラーメン屋へ行った日、そのラーメン店の店内で、AがZ先生に

「そういえばお前、体重なんぼまで落ちてん?」

と尋ねた。その後、Z先生の体重を確認したAは、ニヤつきながら

「おっ、痩せてるやん。ご褒美に約束通り、Yとヤろか」

と言った。ここで発せられた「ヤろか」は性行為を含意しており、元より、そのような約束事も存在していないが、Y先生とZ先生を絶句させたという。

ここまでなら軽いセクハラのようにも感じますが、かなり悪辣、精神的に幼いというか幼稚であると分かってしまうのが、次なる展開であり、絶望的に破廉恥なのだ。

Aは、Y先生とZ先生に対して性行為をするよう、しつこく迫ったという。Y先生もZ先生も、勿論、拒否の意向を示したが、厚顔無恥なAは言い放った。

「じゃあ、この後、Zのチンコ握るぐらいはせぇよな」

更に、Aは真性の下劣な人間の本能なのか、更に畳み掛け、Z先生の陰茎をY先生が握っている証拠画像をLINEで送って来るようにと、念押し始めたのだという。

余りにも下劣なので、下手なからかいのようにも理解してしまいそうですが、そうではない。その後、AはY先生の手に黒いペンで目印となるマークをつけたという。Aいわく、「ネットで拾った画像を送ってこないように」であったらしく、つまり、誤魔化すことなく、Y先生にZ先生の陰茎を握らせ、その写真を送信するよう迫ったのだ。この退路を断って若い教諭らを追い込んでゆく手法の下劣さに、ウンザリとさせられる――。ここまで下劣な人間ってのは、探しても、そうはいませんやね。

ラーメン店を出て、解散間際、AはY先生とZ先生に、更に追い討ちをかけた。

「お前ら、(さっき言ったことを)今日やらんかったら知らんぞ」

と言い、続けて

「(証拠画像は)汚いからオレの携帯には送ってくんなよ。Xの携帯に送れ」

と尊大に尊大を重ね、AはX先生のクルマに乗り込んで自宅まで送迎させた。


――後日、Aは20代の教諭らを引き連れてラーメン店へ出掛けてY先生とZ先生にワイセツ画像を送信させた自らの武勇伝をBに話し、AとBとの二人は笑いのタネにしていた。

「Zが射精した」

と。


人間にもクズと呼ばざるを得ない人たちが混じっていて、今になって反省しているとか、謝罪されても困るというケースが、ままあるよなって思う。こうした人たちというのは、自分たちが本物のクズ、正真正銘のクズである事に気付かないものなんですね。ホントは、こういう過去を持っているという事は、生きて行くことだって恥ずかしいだろってレベルのクズっぷりですな…。家族や親戚にしても同じ一族に、こうした破廉恥な人物が存在するというのは耐え難い苦痛ではないんだろか。いっそ、「どう転んだってダメだろ。立ち直ったり、更生されても迷惑なだけだし、被害者の踏みにじられた経験はチャラにならないし、世間様への申し訳も立たない。自殺する事も真剣に検討した方がいいかも知れんぞ」と助言したくなる。

しかし、よくよく考えてみると、このテの品性下劣な、ハラスメント行為って昨今、爆発的に増えてきてません? 自分が偉くて、相手を従順な下僕とか囚人とかと勘違いする人が増えてきた気がする。よくも、まぁ、大した人間じゃないのに自分に自惚れて、他者を見下し、奴隷のように扱えるものだよなぁ…と。

松永太死刑囚が最初に行なった通電という制裁方法も、布団販売業か何かをやっていた頃にノルマを達成できない部下にペナルティとして始めたのが切欠だったのですが、昨今のクソ過ぎる競争奨励の世相に応じて、そういう「ペナルティ&監視」の肯定が行われており、それが勘違いした人たちによる「支配と服従の関係性」をつくりだしているケースってのが増えた気がする。驕れる何かという部分は、そこそこの有名大学のイベントサークルのそれと同根だと思う。合コンで泥酔した女子大生を部屋へ連れ込んでアダルトビデオと見まがうかのような動画を撮影、陰部にヘアドライヤーを当てたり、カップ麺を垂らすなどしていた名門大学生らが起こした事件がなどにも似ている。上級国民のタマゴたる僕らはノコノコとついてきた女子大生を辱めても許されるだけの価値がある人間だと思っている訳だ。

おそらく優越的地位を仮に与えられているだけなのに、彼等は優越的地位を自己の力と勘違いし、挙げ句、濫用してしまう。品性愚劣な人間には情状酌量というのは難しいし、反省されても更生されても迷惑な気がしますけどね。
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共同通信が数ヵ月をかけて暴いたという関西電力役員らへ渡っていた謎の金品に係る問題で、極めて謎めいた人物が炙り出される事になった訳ですね。それが本年3月に逝去したという故・森山栄司氏であった。

昨日、読売新聞の社会面と論説面の8割方は関西電力問題に割かれており、尚且つ、週刊文春10月10日号では『関電犁大閥瓩利用した犖業のドン瓩寮蟻痢戮箸いΦ事があり、目を通すことになりましたが、まぁ、何もかも…という感想しか沸きませんでしたかね…。

読売の紙面は、凡そテレビで報じられている内容と合致している。週刊文春はというと、少し深掘りしてあるように思える。

実は、この一件、国税に怪しまれて事態が明るみになったという語り口の前に、二通の告発文書が各所に出回り、その告発文書あたりから暗部に疑惑の目が向けられたという。

本年3月10日付の告発文で

〈関西電力が第2の日産にならぬよう、岩根社長に忠言いたします〉

というものであった。

そして本年6月の株主総会を前にして

〈「一旦受け取った公金であるが、やばくなったので返す。」の論理が法的にも社会倫理上も通用するのであれば、もはや我が国は法治国家ではありません。国税当局と地検特捜とを巻き込み、隠蔽工作がなされたのは明確な事実であります

という指摘であった。

文春の記事を構成からすると、その告発文書は大阪地検特捜部などにも情報提供する意志が汲み取れるが、2通目の告発文書の《国税当局と地検特捜とを巻き込み、隠蔽工作がなされたのは明確な事実です》という箇所が存在する事が分かる。つまり、告発者は告発をしたものの、地検特捜部は動かなったらしいのだ。なので、2通目の告発文に、その犂き込み瓩箸いι集修使用されている事に気付く。

そして昨日の段階まで、私が把握する限りでは、どのマスメディアも報じていないのですが、週刊文春に拠れば、故・森山栄司氏には孫があり、その孫は京都大学出身の40代であり、東京地検特捜部検事であり、しかも担当しているのは国税局や証券取引等監視委員会の案件等の経済事案を取り扱う、財政経済班に所属しているという。

あー。また、このパターンか…。

つまり、告発文書を出した側の視点からすると、永年に渡る不可解な金品授受を告発しようと試みたが、なかなか動かないので、2通目の告発文書を書いている。おそらく、共同通信等のマスコミにも情報が回ったのも本年3月以降なのでしょう。本年3月に森山氏が亡くなっており、それなのに隠し続けるつもりになっている、その関西電力の体質や、或いは邪推半分なのかも知れませんが、政官財マまでもがグルとなり、当たり前のように物事を隠蔽しようとしている事への怒りが滲んでいるようにも思える。

ここのところ厚労省や文科省、財務省、或いは防衛省に係る事柄で忠実に情報開示が為されず、隠蔽や偽造、或いは改竄などが疑われる事案が相次いでいましたが、当然、これには民間企業としてはカルロス・ゴーンを含めて日産の問題も構造的に似ている。ホントは悪い事をしているんだけども、巨大すぎて暴く訳にはいかないという、巨悪を掘り起こすなの方向性の案件なんですね。タイミングよく、NHKと日本郵政との間で圧力があったなかった、「NHKはヤクザのような」等の発言が飛び交っていますが、もう、巨大権力の腐敗も凄まじい事になっている事が露見している。

NHKと日本郵政の問題でいえば、共に半国営企業であり、ああした企業に限って、圧倒的にコンプライアンスが遅れているの意。日々、経済活動をして細やかな利益の為に自分を犠牲にしている庶民を置き去りにして、巨大な権力で巨額を動かし、大きな報酬を得ている人たちである。関電も含めてですが、公共料金の名目でカネをどうにかできる巨大企業にばかり、こういう問題が起こっているという不都合がある。

さて、令和に報じられる事になった「原発のドン」とは如何なる人物であったのか?

元々は京都府綾部市の職員であったが、福井県高浜町役場に移ったのは1969年の事だそうで、これは高浜原発一号機の設置許可が下りた年であるという。

事情を知る高浜町議のコメントに拠れば、

「原発を誘致した当時の町長が地元対策のために招聘したのが森山氏でした。彼は役所のなかで各課を束ねる総括課を創設し、実権を握った後、七七年から十年間、助役として君臨しました。人権団体を率いて、差別をなくす犁蠱導萋悪瓩量礁椶廼寡歙治を敷き、高浜町民を手懐けていく、まさに暗黒町政の時代でした」

となる。また、別の地元民が当時のそれについて証言している。

「ある時、女性教師が美容室で、美容師と話をしていて、『先生も大変ですね、人権教育の研修やらなんやらで』と言われ、『そうですね、忙しいです』といった会話を交わしたところ、それを聞きつけた森山氏らが『差別や!』と糾弾。学校の先生らを一列に並べ、一人一人に、この発言が『差別である』と声に出して認めさせたのです。件の教師は精神的に参ってしまい、結局、教員を辞めました。当時の高浜町では森山氏の悪口はすぐに本人に伝わるので、みんな『Mさん』と呼んでいました」

文春の記事の構成では、関西電力が高浜町政を牛耳っている森山氏に接近していったのは、森山氏が助役をしていた時期であり、それは高浜原発三号機、四号機の誘致の際であったという。森山氏が反対運動の封じ込めに尽力したという。

また、1978年には関西電力から高浜町へ額面9億円の地域振興事業資金が渡り、その資金の中から地元漁協への対策費を捻出したという。(うーむ。これは対策費と言っているけど、要は、カネを渡したの意でしょうねぇ。やはり、30年ぐらい前の話で、マンション建設にあたっては、日本各地で10万円程度の現金は飛び交っていましたな。いやいや、平成初期頃まで私が目撃したものでもスーパーマーケットのようなところでさえ、開発費の中から出店反対の地域住民を懐柔する為にカネを出していたりしていたのが、この日本の事実ですからねぇ。)

そして、前出の狹時を知る町議瓩麓,里茲Δ淵灰瓮鵐箸發靴討い襦

「私は森山氏らの犁蠱騰瓩鮗けて脳溢血になった当時の町議会議長から『私は森山の手帳を見たんや。あれは二十五億や』との証言を聞いています。その使途を含めて今も謎が残っているのです」

だって。

さて、高浜町の助役を退いた後に、森山氏は教育委員長に転身したという。こういう人事、地元行政を知らない人は「ぽかん」となるものかも知れませんが、これ、現在も同じですな。教育委員長の選出などは、いわゆる地元の名士に水を向けるのが通例であり、元市長の一族や元校長などが居座るポストである。公益なんたら法人とか福祉団体なんても同じで、要は、お偉いさんの老後に名誉職と高収入を保証しているセクションだったりする事があったりしてね。叙勲に預かるタイプの人は、そういうルートの人である。

森山氏は、娘婿を町役場に送り込んだり、或いは共産党系の女性町議の娘を町職員として採用するなどして、高浜町役場をコントロールしていったよう。

この頃までに森山氏は関西電力系列の子会社「関電プラント」の顧問を30年程度、務めていたというから、或る意味では、関西電力側の人でもある事が分かる。しかし、この頃から森山氏は兵庫県高砂市にある原発メンテナンス会社と関係を深めて相談役に就任。関電プラントの事業をライバル関係にある兵庫県の原発メンテナンス会社に移すなどしていたという。関電側からすれば利益相反が疑われる行為であるが、関電は何か弱味を森山氏に握られていたという事かも知れない。

更に、森山氏は1997年に福井県下でトップの警備会社の幹部と組んで、高浜町に警備会社を設立。その警備会社が高浜原発の警備を一手に引き受けているという。しかも、この警備会社、現在ともなると福井県警の天下り先になっているという。

さて、最後に関電関係者のコメントです。

「実は関電の裏面史を語る上で欠かせない人物に、関電トラブル処理を引き受けていた大物右翼、豊田一夫氏がいます。豊田氏は関電の初代社長である太田垣士郎との邂逅を自著にも記していますが、その後も関電の狠羔修料牒瓩噺世錣譴唇恩教曾轍馗垢藉愿鉄管瑤箸量月関係は連綿と続きました。そして豊田氏の一族が関係していた都内の警備会社には関電の関連施設の警備を任せてもいた。関電が影の功労者に報いる一つの手段が、こうした警備業務の発注であり、森山氏もその恩恵にあずかっていた側面があるのです」

だって。

闇は深そうですなぁ…。孫が東京地検特捜部検事であり、その所属は財政経済班であるという。森山氏が設立し、株主でもあるという警備会社は現在ともなると福井県警には欠かせない、大切な天下り先であるという。現在までのところ、関西電力は一方的に森山氏に脅されていた立場であるとアピールしていますが、どうも一蓮托生、同じ穴の狢、如何にも戦後日本の陥ったその構造が絡んでいるように見える。人権屋を思わせる人権活動で恐怖政治を敷いていた等、中々、巧妙だったのかも知れませんやね。
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