どーか誰にも見つかりませんようにブログ

人知れず世相を嘆き、笑い、泣き、怒り、足の小指を柱のカドにぶつけ、金星人にSOSのメッセージを発信し、「私は罪のない子羊です。世界はどうでもいいから、どうか私だけは助けて下さい」と嘆願するブログ。リンクなど御自由にどうぞ。

カテゴリ:世迷い言 > 黒色=右+左

クロポトキンの「相互扶助論」が面白かった上に非常によく考察されているなと感心したのでバクーニン、プルードンといったアナーキズムの初期の思想というものに着目してみたのですが、それぞれ、よく出来ているなという感慨を持ちました。ここが見えてくると、マルクス主義とは完全に異質な何かであるという部分が浮かび上がって来るし、何故、「働かざる者、食うべからず」を掲げる社会主義思想であったのかという謎にも迫れてしまう。

もう少し読み進めてからまとめる予定ですが、結構、情報量も膨大なので、以下、備忘録&敲き台として――。

現代人は自由主義&民主主義という体系の中、イギリスで福祉が開始され、その後、この福祉という概念が広まっていますね。つまり、福祉という概念はアングロサクソン的な何かから誕生している。その本質とは、帝国主義であり、覇権主義である。もう、ここの解説はいいか。で、現在ともなると、殆んど盲目的に福祉の必要性を政治家も有権者も口にしている。しかも、共産主義を徹底的に否定する人たちなのに福祉は必要に決まってるじゃないですか的な態度をとるんですね。必要でしょう。ですが、どう考えても核に据えるべき比重じゃない。最低限度の福祉がいい筈なのは自由主義で行けば当たり前なのに、昨今のカタカナ表記をした「自由主義=リベラル」は、完全に社会主義の精神を超えた次元で、福祉の重要性を強調するまでになっていて、そこに疑問を感じるんですね。

「自業自得だ!」というのは自由主義の大原則だ。それは自由を渇望するのであれば、欠かす事のできない原理でもある。しかし、今現在、日本で起こっている現象は、リベラルや保守という看板を掲げた人たちによる分配論なのだ。しかも、中央集権を正しい事だと思考している。アナーキズムの観点からすると、愈々、そういうのは共産主義的であり、より正確に述べればボルシェビキ的な方向性に見えてしまう。

また、ここまでの文脈で気付かれたかと思いますが、現在で言うところのリバタリアンや新自由主義の文脈と、古典的アナーキズムとの間に共通点が見い出せてしまうという問題がある。福祉を好ましく思わないイデオロギーであり、共に政府という統治機能を小さくする事こそが、理想であるとする。なので、そこで語られている文節によっては似てしまっている。しかし、両者には決定的な相違点がある。新自由主義の果てに登場した強欲資本主義には、アングロサクソン的な発想があり、弱肉強食を地で行くような優勝劣敗型の選民思想であるのに対して、アナーキズムの方は社会主義思想であり、自由の中で平等を実現してゆくべきだという考え方なのだ。

「自由の中で平等を実現してゆく」という思想は自由主義に酷似するものでもある。一方で、マルクス主義の体系というのは「平等の中で自由を実現する」という風に思考されている思想である。

アナーキズムは基本的には諦念の塊であり、それでいて根本となっている源泉というのは「不服従」や「反抗心」に置かれている。国家は悪であり、権力は悪であるという風に考えるのが、プルードンに始まるアナーキズム思想なのだ。ここで決定的なリバタリアニズムとの差異を提示できますかねぇ。リバタリアンたちが、小さな政府にすべきだと主張し、福祉など不要であると主張しているのは、どこまで行っても個人の強欲なんですね。しかし、アナーキズムというのは道徳や秩序が先立つので、ここで平等や平和的分配が説かれる事になる。強者が弱者から搾取するのも否定するが、弱者が弱者であることを武器にして強者からカネを毟り取る事も否定する。だからこそ、「働かざる者、食うべからず」は、或る意味では社会主義を神話にしない為の重要なカギなのだ。

したがって、

「政府には大きくなってもらいましょう。そして大きな政府に平等に分配してもらえばいいのです」

という考え方こそが天敵なのだ。それはホントに共産主義的な性格の思考なんです。先にも述べたように自由の中に平等があるのに、国家を盲信し、国家によって平等に分配してもらおうなどというのは愚の愚じゃないの。しかし、今の日本は何故だか、この方向へ舵を切ってしまいましたよね。

助けられるものは助けるが、助けることを強制化したり、ルール化するのはおかしいのでは? 教育に投資すべきという文脈から、幼児教育の問題点が沸き上がり、更には高校無償化や大学無償化なんていう事を現代人は言い出してしまっている。カネはどうすんの? 政府が一元的に税金で調達して分配すればいいの? いや、もう、そっちに傾斜しているから危険だと思うんですね。この話というのは、年収300万円の者からも税金を徴収して、何万倍にも希釈されての話となりますが、年収1000万円の者に対して金銭を再配分する事がある事を含んでいる。なんですか、このイビツな分配論は。有り得ないだろっていう分配論だと思いますよ。

「なんでオレが、他所のチの家計に工面せにゃならんの? こっちが貰いたいぐらいなのに…」

ですよね。ここ、非常に重要だと思いますよ。今の日本では洗脳的知識としての正論が出回ってしまっているから、ごくごく当たり前の人間的感情を排除されてしまう。こんなの当たり前ですやね。一律的に管理しようとしている事、また、そういう再配分システムが正しいという風に認識されているから、そうなってしまっているのであって。


小泉政権の頃には五百ウン十ウン兆円だったという赤字国債が現在ともなると、あっさり一千兆円を突破している。民主党政権による3年間があったとはいえ、基本的には歳出削減はされておらず、尚も自公政権は新たな増税を掲げており、しかも、その増税で福祉・福利厚生に使用するのですという。喫緊の課題だと言いながら、ちっとも喫緊の課題ではなく、ずぶずぶ。仮に民間企業の財務に置き換えたなら、この間の経営というのは返済もできないのに、経費を使用しまくって、更に借金を倍増させたという事を意味している。しかも、新たに支出する分野を拡大させていますやね。文化庁の下にスポーツ振興ではダメらしく、スポーツ庁というものをスタートさせたし、消費者庁というものを新たにスタートさせたし、どんどん、政府は肥大化しようとしていますやね。それぞれの公官庁は自己増殖して自分たちを拡大させていってしまうという事でしょう。

たとえば「トクホ」という事業が開始されましたが早速、消費者庁の事業ですワな。おそらくは自分たちの予算の獲得と、権威の増大という目的を以っている事業であり、別にトクホという事業が必要であろうが必要ではなかろうが強引に「必要なのです!」と言って、始める事が出来る事業でもある。おそらくは、こういう事業によって存在意義を新たに創出し、また、その権威を足場固めをし、予算も増大させてゆくのだと思う。実際にトクホなるものの、効能は検証されない。検証されたとしても都合のいいデータを出して、都合よく説明すればいいのだ。たとえば、メタボリックシンドロームは腹囲85センチ以上の者に当て嵌まるという風にアナウンスされていますが、実体なんて分かりしないのがホントですやね。しかし、そういう事業をすることに公官庁は自分たちの存在意義を見つけ、自己肥大しようとするワケです。

ゆるゆるですやなぁ。必要に迫られての支出ではないと思う。少なくとも私には、そう思えない。弛みきった中で起こった浪費に思える。地方の疲弊なんてのを後回しにしてシコシコと都市部への一極集中を進めてきたのに、「えっへん! 僕たち勝ち組なんです!」と居座っている犧い辰真佑燭銑瓩世版Ъ韻任ますが、これも既に19世紀頃には指摘されているのが確認できる。

改めてリベラル及びリバタリアニズムとの差異としてですが、アナーキズム思想には「政府や国家なんてものを信用できると思うな!」という強烈なニヒリズムが貫徹されている。個が個として自由を追求するには、余計な権力や権威は妨げになるだけなのだ――とする。資本の独占状態であるとか、権力の独占状態を悪とする。必要悪は認めないでもないとするのが「アナーキズムの父」プルードンの見解になりますが、もう、今日的なミーイズム的な権利主張や、あれも実現せよ、これも実現すべきだという世論というのはホントは末期的状態ですやね。

保育所が足りないので政策として改善すべきだという考え方がある。そういう個別の陳情にがいちいち政治家が介入しようとするのは少し違和感がある。それは自由経済としての社会、社会が包摂して解決すべき問題で、それを無視して

「ハイ、陳情でございますね。では、我々、政治家と役人とが直ぐに予算を手配しまして、みなさんの不便を解決するであります!」

と応じることになってしまっている。しかし、依存が過ぎるんじゃないスかね。たとえば隣県には保育所が余っていたとすれば、その隣県に対して「住みやすいところだよね」といって人口が分散していく可能性がある。それが自然な流れといえば自然の流れでもあるし、そうであれば都市の集中現象は緩和されるのであろうに、「ハイ、陳情でございますね!」という風に応じてしまうと、際限なく予算を消化してしまうだろうし、また、余計な権限を与えて公官庁に自己増殖させる「言い訳」を与えてしまっている。或る程度は社会が持つ自浄作用、自律的能力に期待したいところなのですが、今のリベラルや社民・共産の考え方だと即時に公金を使って対応する事を狎飢鬮瓩箸垢觧蠅譴蠖圓せり消費者至上主義に飲み込まれており、直ぐに最重要課題として政治的案件となってしまう。社会保障費は増大の一途になってしまうだろうし。

♪揺り籠から墓場まで バカ野郎がついてまわる

1000のバイオリンが響く

道なき道をぶっとばす


ちゃらららら、ちゃららららら、ら、

ちゃらららら、ちゃら、らららら、

ちゃ、ら、らら〜 ちゃらららららら ら〜、ら〜


ブルーハーツの「1000のバイオリン」の歌詞とは、これではないのかなって思うよ。「揺り籠から墓場まで」というフレーズはイギリス発の思想に係っているから、ホントは確信犯的な歌詞に思えてならない。

変則的ながら、一元的な権利の集中と、それが管理することによる世界統治が可能だという考え方というのはマルクスらが想像した完全一極集中下の独裁体制としてのインターナショナル構想であり、実は語られているグローバリズムの正体というのも、カネと武力という実弾によって裏付けられる完全一元化した世界を夢みているという意味では似ている。似ているというか酷似しているとしか思えないんですよね。。。この部分、アナーキズムの方は連合主義であり、一極に権威や権力を集中させる事を徹底して否定するという事になっている。

現在のような状況というのは既に末期的な状況にも思えなくもないのですが、アナーキズムは急進派はテロに走って武力によって既成権力を破壊しようとする。権威を破壊することで平等を実現しようとする。バクーニンは急進派として、急進派ではない方はというと、非常に面白いのですが、野坂昭如の歌った「マリリン・モンロー・ノー・リターン」の歌詞のような終末思想に到達することになる。

♪この世は もうじき 御仕舞いだ

桜ちるちる 菊も散る

欲張りババアは 長生きで

やさしい娘は 早死にだ


「もう何をやってもムダだ!」という強烈なニヒリズムに到達してしまうので、全体的な破壊願望、つまり、リセット願望が表出してくるという事なのだろうなって想像できてしまう。もう、ダメだという境地、絶望しかないという境地が「この腐り切った世界というのは、一度、リセットすべきなんじゃないの?」というに傾斜するのでしょう。実際、現在の日本人の中には漠然とした老害批判がありますが、ああしたものとて、根底には、一度は経済破綻するなどのリセットが行なわれない限り、希望を見い出すことが出来ないじゃないかという怨念が源泉となっているよう。

マクラとして時事問題を。

「小池百合子」という政治家が解散総選挙という選択の前に仕掛けた大胆な策略を評価している論者が少ないので驚いていると同時に、色々なマスコミが【リベラル】をきちんと説明できぬまま、報道していることにも驚いている。別に優越感うんぬんじゃなくて、ホントに間違っているでしょ? 【リベラル】というカタカナ表記が最も似合うのは、先のバラク・オバマのようなアメリカ民主党的な自由主義陣営を指していたものなのに、多くのシーンでは、護憲勢力のことをリベラルと称してしまっている。今朝ほど、ようやくフジテレビだかTBSだかで「リベラル」という表記の下に「護憲」という風に表記してあるものを確認しましたが、昨日の「ひるおび」という番組だったかな、やはり、政治評論家の伊藤敦夫さんが一瞬だけ「リベラルではないんですが…」と言いかけて、諦めたシーンがありましたが、もう、グダグダですやね。

つまらぬ事に頓着していると感じるかも知れませんが、もし仮に、ここら辺の事情がすっきりと片付いたら、何を思索したり、語るにしても、スムーズになるのになって思う。

枝野幸男さんが新党を立ち上げるという。政党名は「立憲民主党」という線で決定したと報じられている。その政党名から何を推し測る事が可能なのかというと、立憲主義+民主主義という部分に重きを置きたいという意向が反映されていると予測できる。アテにならないけどね。しかし、順番も関係していると推理することが許される。何故なら「民主立憲党」にしてもよかったワケだから。なので、枝野幸男さんが立ち上げた立憲民主党、その政策理念の構成を推理する基本線は、先ず最初に立憲主義とか法治主義というものを最も重視しており、その次に民主主義を並べていると捉える事ができる。

つまり、「自由民主党」に対して「立憲民主党」という政党を、ぶつけているのだ。純粋に政治理念を政党名にしているあたりは、シンプルで、模索してゆく方向性は、おそらくはリベラルに分類できると思う。枝野幸男さんは労組関連団体を通じて、一部、中核派OBなどとも繋がっていると過去に報道されていた事を考慮すると、中道よりも左の路線で行くという風に推理するのが妥当であろうと思う。

で、「希望の党」はリベラルのなのか保守なのか? もう、これも今朝のテレビで「保守」と表記して「改憲」と記してあったので、明白ですやね。別に保守思想や自由主義思想は関係なく、実はただただ愚かにも改憲勢力の事を、保守と呼んでしまっているのだ。ホントは改憲勢力と護憲勢力とう風に表記したり、呼べば済む問題なのに、マスコミは、わざわざ、猜歇薛瓩鉢爛螢戰薀覘瓩箸いν儻譴鮖藩僂垢襪海箸農賁臈に語っているように装っている状態であろうと思う。或る種のレッテル貼りですかねぇ。ホントは民進党内に於ける分裂騒動が起こった瞬間から、改憲VS護憲の構図である事は見抜けた筈なんですよね。それをわざわざ。。。

つまり、大衆レベルに合わせたのか、何なのか分かりませんが、ネトウヨ的なものに乗っかるには【保守】というレッテルが有利になるワケですね。昨今の風潮として。そして【リベラル】というワードがどうも悪玉の代名詞になっているという事なのでしょう。どう考えても共産党的イデオロギー批判の文脈で、リベラルという呼称を使用してしまっていると思しき論者が目に付くワケで。もし仮に、そこの分別がついているなら私と同じように、福祉政策に前のめりである自由主義陣営を批判する筈だし、伝統的なリベラルではなく、ネオリベラルとしてのネオリベと呼ぶことだってできる筈なのに、すっとぼけているのだ。いちいちズレてしまうので、やりにくくて仕方がないんですよねぇ。

自由民主党をリベラルやネオリベのように呼称されてしまうとイメージが悪くなるって事なんだろうね。しかし、子ども保険だのなんだのって言い出してる政党のことを、保守政党と呼ぶのは自殺行為でしょ? 高速道路無料化だの、ガソリン値下げ隊だのと、旧民主党のバラマキ政策に近くなっていることに気づくべきだと思いますよ。いちいち矛盾している。TPP推進を掲げて保守政党? グローバル化は世界的潮流なのですという風に話しているのに保守政党? もう、混乱の元だから辞めるべきだと思いますけどね。政党名の通りで、現在の自公体制というのはリベラル体系で、しかも保守的言説を武器にして国家資本主義的な色彩が強いというのが、中立的な分類だと思う。

で、マクラはおしまい。以下が本題となりますが、無政府主義から国家社会主義まで。

先ず、無政府主義というものがある。これは、ごくごく、日常的にありふれた物事に当たる場合の態度とも関係していて「権力に対しての反抗心」であるとか、「オレがあいつの為に犠牲になる謂われはないよな」という具合の態度と関係している。「ふざけんじゃねえ!」とか「やってらんねー!」という具合の叛逆精神なんてものが源泉になっている。

基本的には、誰かの命令に従わない事が犲由瓩任△觧の証明である――とする。

払いたくないカネを払わされているのだとしたら、その人は不自由だし、誰かの命令で自分の為でもないのに用事を言いつけられているのであれば、それも不自由である。その人が自由であろうとし、また、自由である為には不服従である事が求められる。

働きたくないのに働かねばならないのであれば、それは不自由である。しかし、働いて生活資金を稼ぐ中でカネを貯めれば、そのカネをどのように使用しようが自由である。自由の余地が増やせる。

で、その思索を続けていったときに、自由を制限しているものは何かという問題に突き当たるワケですね。政治思想としてのアナーキズム、或いはアナルコ・サンジカリズムは、権威を嫌う。権威があるから権威が威張り出し、それがあれこれと命令をするのだ。実際に歴史を眺めてもそうだし、必ず権威は腐敗するというのが歴史なのだ。

なので、初期の段階では相互に助け合う互助会的な共同体をつくって、その共同体そのものが政治主体と一体化すればいいと発想する中で、国家というものは悪であるという結論を導き出した。国家を神のように崇拝しているが、神を殺した後には国家が神になってしまうだろう、と。ここで、晴れて、無政府主義という字義と合致する政治思想が誕生するワケですね。

当時は、西ヨーロッパにはアングロサクソン的な帝国主義があって、植民地経営をしていた。ロシアの場合はというと、ツァーリズムの時代で、つまり、皇帝を頂点としていた統治機構が残っていながら、一方では社会への不満が高まっており、農民や工場労働人といった階層の人々が蜂起などをしている状況にあった。混乱状態ですが、その混乱状態で「どういう政治体制がいいのか?」を模索する余地があった。或いは迫られたのでしょうかねぇ。当時、ヨーロッパも揺さぶられていたし、ロシアもまた揺れていたという時期があり、その中で「帝国主義ではないもの」が模索され、そこで産み落とされた政治思想が「無政府主義」と「マルクス主義」の二大体系であった。その二つの体系は、大まかに言えば、どちらも社会主義思想と括る事ができる。

社会主義思想というのは別に思想・言論なので、それらの理念を掲げることは間違いでもないし、忌むべき何かでもないし、エンガチョすべき何かでもない。帝国主義に懐疑的な立場であれば、「ほほぅ」と接してみるべき価値だってある人類の知的財産の一ページだったりする。まぁ、ホントの事を言えば、「実現が可能なのであれば最も理想的な社会モデルは社会主義だろうね」と、半世紀以上も昔から囁かれ続けてきた体系であることも事実ですやね。

後にカール・マルクスは、プロレタリアート独裁を掲げた。最終的には「労働者階級による独裁体制でいいのだ」とし、それが成れば自動的に「国家」という悪は死滅するだろうと考えた。アナーキズムやアナルコ・サンジカリズムというアナーキズムの体系は、ボルシェビキとの主導権抗争に破れて歴史に消えていったのですが、理念としては「国家」というものを、やはり悪であると捉えており、国家を滅ぼす事が目的化している。故に字義通りの無政府主義ですね。

テロを厭わない急進的なアナーキズム思想では、国家こそが最も人々の自由を奪っている権威そのものであるという風に考えられ、故に国家の解体や破壊行為が奨励されていた。

このアナーキズムというのは単に無秩序状態を奨励したフーリガン的な暴動を起こす人たちの事ではない。かなり重厚な思想体系であるのが真実で、先日、100年以上も昔の筈のクロポトキンの「相互扶助論」に少し触れましたが紛れもなく叡智と評するべきレベル。スゲエなと思っていたら、やはり、クロポトキンに感銘を受けた人物の一人にトルストイがあり、そのトルストイはマハトマ・ガンジーに影響を与えていたとされる、そういう次元のレベルなのだそうな。

その解説で気付いてしまいましたが、非マルクス主義的な社会主義思想というのは、つまり、アナーキズムの事である。そのアナーキズムの基礎理念こそが「自由とは制約をされないこと」であり、「誰の命令にも従わないこと」なのだ。つまり、意外にもマハトマ・ガンジーの猊塢従畊概蝶萋阿亡愀犬靴討い覯椎柔が高そうなんですよねぇ。背後関係を考察しても「非暴力不服従」というヘンテコな戦い方というのは、アングロサクソン的な思想でもなく、マルクス主義でもなかったワケで。また、「従がうべきではない権威には従がわない事、それが自由の基礎理念である」という思考方法は、このアナーキズムの学術体型である。特にクロポトキンの上品な思想哲学はトルストイによって影響力を広げて、ガンジーにまで影響を及ぼしていた旨、多くの辞典類の引用元となっている『世界の名著42』(中央公論社)で解説されている。

アナルコ・サンジカリズムかボルシェビキかという争いの中、勝者となったのはレーニンのボルシェビキであった。そしてレーニン以降が実務として共産主義段階に入るワケですが、統治にあたっては一元集中型権威主義の共産主義体制をとった。一元的に集中して管理する、それも一元的な権威に基づいた統治機構を目指し、最終的にはスターリンがレーニンの後継となって、一元に権威を集中させるべきという理論が粛正を正当化させた。この一元管理体制というものの、ヤバさにも現代人は疎いですやね。国家に権力を持たせるべきという風に自称リベラルや、自称保守の人たちが靡いてしまっている。原理からすると、この原理に非常に近いことをサヨク批判をしている連中に限って没入しようとしている、大きな矛盾があるワケです。アカかアカじゃないのか、そういうホントに色分けでしか物事が語られていない可能性がある。愛国心の重要性を訴え、国家という神を盲信し、国家という一元的集中管理システムに管理されようとしている自分の不利には気付かない。

(コンビニで電子マネーを使用しない人は頭が悪いと現役の社会学者が平然という。しかし、ホントにヤバいのは電子マネーの利便性に気付かぬことではなくて、その電子マネーがビッグデータに繋がっている事で、消費動向と個人情報とを献上してしまっている愚には気付かないという、平成時代のマヌケさにあるワケですよね。)

話を、国家、統治機構をどうするのかに戻しますが、そうした思想闘争の中で、産み落とされたのが国家社会主義であった。これは、国家というものをしっかりと肯定する考え方に立脚している。資本主義に任せてばかりいてはダメだから、国家が資本主義に介入して逐次、是正すればいいという国家による経済統制型の政治形態であった。しかし、これが「ナチスドイツ」の政治体制である事に気づかされる。これをやるには強烈な愛国心が必要となり、また、それが国家主義(ナショナリズム)が必要なワケですね。

惜しいと思うでしょ? 資本主義では不満が募るから国家という統治機構を絶対的な土台とし、社会主義を実現するという政治思想。しかし、これが評判の悪いファシズムの原理なのだ。ナチスが典型ですが、最初はイタリアのファッショですやね。植民地を有する列強に、持たざる新興国のドイツやイタリアが対抗するにはどうすべきか、その中で産み落とされた。既に社会主義思想は隣国のロシアで大暴れしている中、ドイツで、この国家社会主義を掲げたのがナチスであった。そして、このナチスは民主主義が生んだ。大衆に政権を選択させることが正しいという理念の下、確かにナチスが登場した。民衆による国家に対しての忠誠を武器にして、既成の政治力を一掃した。そして千年王国を掲げ、実際に当時の覇権国家イギリスと対峙してみせるまでの隆盛を誇った。

ですが、これもロシアのアナーキズムの文脈から眺める事ができる。アナーキズムでも特にバクーニンは反ユダヤであり、反ドイツ色が強いんです。カネ儲けばかりしている野郎どもへの壮絶な憎悪、そういう憎悪を源泉として強烈な破壊願望を隠さない。おそらく、当時の社会情勢としてドイツやロシアでは、確かに資本主義的な何かに不満を抱えており、その恨まれ役として「ユダヤ人」が置かれていた事をイメージさせてくれます。勿論、重要なのは「国家」というものの扱い方ですね。簡単に愛国主義というのだけれども、それは国家という統治機構を盲目的に権威を与えよというのが、国家社会主義の基本理念であるワケです。

国家+社会主義がナチスの政治体制。愛国主義という意味では右翼に分類されますが、政治理念は中道ですかね。で、そのナチスは国家を神とする強烈なナショナリズムに支えられていた。総統に一極集中の権威を与え、独裁国家体制をとった。しかし、その末路というものを我々は知っている。帝国主義国家と衝突して戦争となり、敗れた。悲惨な遺産を残して。

日常的には、これまた何故かカタカナ語としてのナショナリズム、愛国主義が戦後日本でも厳正なフィルターを通過させられることなく、郷土愛とロクに分別されることもなく、愛国心とか愛国主義というものが右翼思想や保守思想の核に据えられてきたワケですが、そうなのであれば、国家というものを、どう捉えているのかという部分が、物凄く希薄なんですね。国家を愛するのは当たり前でしょ的な言辞で溢れかえっている。しかし、国家とは即ち統治機構を意味しているという事に考えが及ばないようなつくりになっているのだ。当然、郷土は愛しているが国家を無条件で愛する訳にはいかないという立場があるし、そもそも国家というものが、色々と、この国民の自由を制限する統治主体であるという考え方をしていないんですね。

このことは逆説的には、天皇機関説に対して「けしからん!」という風に反応して、「われわれニッポン国民は神武天皇にはじまる…」という風に強引にして蒙昧な国家論でしかなかった。天皇と国家との関係を説明する為に、「機関」と表現したら、その表現に怒り出してしまい、「天皇とは即ち国家である。我が国は皇国であり、神の国なのである!」という精神論で押し切ってしまったというのが我が国の歴史であったりする。ちゃんとした政治学で定義づけすることを許さない、蒙昧で粗暴な処理のままに進んでしまい、戦争に突入し、そこで敗北を喫し、そこから更に戦後日本がある。

【自由主義】という言葉も【リベラリズム】という言葉も、確かに多くの日本人は意味そのものは知識という次元で述べれば、おそらくは知っているのだと思うんですね。しかし、そうした用語の背後に広がっている部分に到るまでの解釈には疎いという事なのでしょう。これは【ナショナリズム】&【愛国主義】についても同じような事が言えそう。統治体制を疑うという態度が充分ではないので、国家というものについても疑うことがない。国家という統治機構の欺瞞には目を向けない。懐疑的な態度を貫徹すれば自ずと、その思考をやる筈なのですが、どういうワケがしないんですね。

「何故、国家という統治機構にオレが忠節を誓わされ、尚且つ、上納金を巻き上げられたり、あれこれと命じられてんの?」

「そういえばさ、神風特攻隊の人たちに体当たり攻撃を命令した主体とは何なの?」

という立場で、物事を思考してこなかったのでしょう。直情的に

「きさま、根性がなっちょらん!」

で対応してきてしまったので、きちんと思想や哲学の整理が為されぬまま、経済的繁栄を見てしまったのだ。米英、独露と比較してしまうと社会学の分野などは日本の浅薄さ、貧弱さは否めませんかねぇ。

空からリベラリズムが降って来た。アメリカさんに自由を与えてもらった。だから、この感覚に疎いという事なんでしょうねぇ。現代の日本人もカタカナ語に直ぐに飛びついて、訳知り顔で披瀝することに躍起になっていますが、おそらくは自らの利益との擦り合わせなどはしておらず、自分に不利になる政治思想などについても、パッと見のカッコよさで飛びついてしまっているんだと思う。現在のようなスマホが使用できる情報化時代でも、ですよ。

現時点でのトレンドは「反リベラル」なので、「保守」というレッテルを勝ち取った方が有利。それだけ。それだけだから、カタルーニャの独立のニュースに接しても、今の世界情勢が「グローバリズムと反グローバリズム」との二項対立構図であることに気づかないのでしょう。

◆ホッブスの社会契約論

トマス・ホッブス(生年1588〜1679年)は、公的な権力が存在しない状態、つまり、自然状態とは「万人の万人に対する戦い」と考え、その上で社会契約論を提唱した。万人の万人に対する戦いでは、いつどういう形で殺されるか分からない「死の恐怖」をはじめとする不安があり、且つ、自分の欲求を満たす為には何よりも生きねばならず、それ故に、人々は【自然権】を「一人の人間、または合議体に与え」ているとして、社会契約の上に国家が成立していると主張した。

この【自然権】というのは自然状態から生じた権利としての自然権であり、つまり、権限を一人の王ないし、合議体に与え、国家が形成されているとする。民衆と為政者との間には社会契約があるとする。

人と人との間は、それぞれ契約が結ばれている。また、人々の上には「絶対的な権力」を有するリヴァイアサン(怪獣の意)があり、そのリヴァイアサンに対して人々は絶対服従が必要となる。人と人との間には契約があるが、その契約を守らなかった者は、リヴァイアサンによって処罰される。

ここで掲げられているリヴァイアサンは怖ろしい海獣とされており、仮に、それが絶対王であれ、合議体であれ、当て嵌まる。いずれの政治形態であっても社会契約、その違反者に対して処罰を行使する「絶対的な権力」が存在し、統治しているものとし、これを犢餡鉢瓩了伝箸澆任△襪箸垢襦

この社会契約論はピューリタン革命後の1651年にホッブスの『リヴァイアサン』の中で主張された。



◆ロックの社会契約論

ホッブスの社会契約論に対して、イギリス経験哲学の祖であるジョン・ロック(生年1632〜1704年)は少し異なる見解を示した。ロックは、自然状態とは「万人の万人に対する戦い」ではなく、自然状態とは「人間は自由で平等である」とした。公的な権力が存在していない自然状態の中でも、仲間を殺したり、ケガを負わせたり、財産を盗んだりはせず、そうした自然法に従って生きているものとして自然状態を述べる。

ホッブスの社会契約論上の国家は、国民から自然権を委譲される絶対的権力としてリヴァイアサンを提示した。ホッブスは、リヴァイアサンを絶対的権力に位置付けていたが、ロックは『統治二論』の中で国民には絶対的権力である国家に対しての抵抗権があると主張した。

また、ロックは、人々が為政者たる合議体(国家)に対して自然権を委譲するが、委譲する自然権は一部に過ぎないとした。つまり、一部の自然権を為政者たる国家に委ね、国家は処罰を含めて国民を統治しているとする。

時として権力は乱用されるので、国民には抵抗する権利があり、即ち、それは抵抗権・革命権があるとする。また、この事は合議制の統治機構である国家を前提に、その主権者は国民の側であるという国民主権が明確になってくる。

また、ロックは間接民主主義を主張した。



◆ジャン=ジャック・ルソーの社会契約論

ルソーになると自然状態とは、人々は互いに助け合う【一般意志】を持っているとし、むしろ、リヴァイアサンのような絶対的権力による統治ではなく、自然状態に近いものが最も理想的であると説いた。拠って、ルソーは「自然に帰れ」をキーワードとした。

(クロポトキンの「相互扶助論」等で既に触れた通り、実は未開人(蒙昧人)の生活を観察すると確かに平和に暮らしていると観察できるのが真理なのだ。素朴な生活をしているが余計な争いもない。ホントは文明こそが人々の間に競争を激化させ、エゴイズムの無限の追求を是としてしまっている可能性がある。)

また、ルソーの場合は【一般意志】が協調的な意志であり、それに対して自分の利益を最優先するようなエゴイズム(自己中心主義)を【特殊意志】と呼んだ。個人の利益を追及する意志を「特殊意志」とし、社会全体の利益と幸福を追求する意志を「一般意志」と呼んだ。

ルソーは「自然に帰れ」をスローガンにしているが文明を否定しているのではなく、倒錯している文明社会を変革し、新しい政治体をつくり、人々はモラルを回復すべきである――とした。

このルソーの場合は、ロックに対応するような直接民主主義を主張した。つまり、政治に個々人が積極的に関与すべきであるとした。実は、ルソーの社会契約論はスイスの小さな村を念頭に構想されたものなので、直接民主主義になったとされている。



そして、このルソーの『社会契約論』の理念を活かし、フランスではフランス革命が起こった。それは革命的大衆と呼ばれた第三階級の人々が蜂起したもので、いわゆるブルジョア革命、市民革命であった。当時、貴族階級と聖職者階級があり、それに次ぐ三番目の階級として浮上してきた平民たち(ブルジョア)であった。彼等は自らも勤労する平民(小工業者、被雇用者、小土地所有農民、小借地農民)らであった。しかし、フランス革命の後も、フランスの混乱は続いた。

そうした混乱の中で台頭してきた体系がマルキシズムと、近代アナーキズムであり、プロシアとオートストリアの連合軍がフランスと戦争した普仏戦争の合間に、フランスの首都パリでは民衆の蜂起が起こり、僅かな期間だけパリ・コミューンという体制が実現した。パリ・コミューン成立に参加した者たちの間では、御存知、あのマルクスを支持する人々と、アナーキズム急進派のバクーニンを支持する人々とが半々ぐらいであったという。

さて、そのバクーニンは元々はマルクスとプルードンを師としていた。近代アナーキズムの父と呼ばれるのは、プルードンであり、プルードンは、ルソーの社会契約論を厳しく批判した。ルソーの社会契約論は、理想的が過ぎるというニヒリズム的な見地からの批判であった。



◆近代アナーキズム登場

フランスに登場したピエール・ジョセフ・プルードン(生年1809〜1865年)は近代アナーキズムの父となった。1840年に初めて出版した『財産とは何か』で、プルードンは

「私有財産は窃盗品である」

と、記してあったので大変な騒ぎとなり、法務大臣は著者のプルードンを起訴する事を検討した。法務大臣が相談した相手は道徳・政治アカデミーのメンバーであった一揆主義や暴力革命論を唱えたブランキ(生年1805〜1881年)で、ブランキが意見を求められた。ブランキはプルードンの「私有財産は窃盗品である」という見解には反対したが学術的功績を評価したので、プルードンは起訴を免れた。

以後も降もプルードンは独自の政治思想や社会哲学を展開させてゆく。また、既存の権力を恐れぬプルードンは、1849年、あのルイ・ナポレオン、これはナポレオン1世ですが公然と批判するという筆禍事件を起こして、1万フランの罰金に3年の禁固刑を食らうなどしたが、プルードンの掲げた思想は支持され続け、後発者としてバクーニン、クロポトキンに影響を与える。



◆プルードンの社会契約批判

以下、プルードンの『19世紀における革命の一般理論』の摘まみ食い的な引用です。

実際、社会契約とは何なのか? 市民と政府との協定であろうか? いな。それは、同一の理念においてつねに堂々めぐりをすることになろう。社会契約とは、人と人との協定、そこからわれわれが社会と呼ぶものが結果しなければならない協定である。社会契約においては、交換という原始的な事実によって提示され、ローマ法によって定義された交換的正義の観念が、共和主義的批判によって最終的に駆逐された配分的正義の観念に代位している。

〜略〜

交換的正義、契約の支配、換言すれば、経済的ないし産業的体制――これらは、それの到来によって配分的正義、法律の支配、より具体的に表現すれば、封建的、統治的ないし軍事的体制といった旧諸制度を必然的に廃止することになる理念のさまざまな同義語である。人類の将来は、まさにこの代位において存在するのだ。

〜略〜

契約当事者間には、各人にとって必然的に、真の個人的な利害関係が存在する。人間が、可能な補償なしに自己の自由と収入とを減少させる目的で契約するというのは、矛盾である。反対に、支配者と被治者とのあいだには、どのような仕方で、代表、委任または統治機能が構築されようとも、必ず市民の自由及び財産の一部譲渡が存在する。それはどのような利益の報いとしてであろうか?

〜略〜

さて、契約は双務的である。契約はどのような外的権威の支配をも受けない。それはただそれだけで当事者たちの共通の規範を形成する。それは契約者当事者たちの発意からのみ、その実施を期待する。

もし契約というものが、そのもっとも一般的な意味において、また、その日々の作用において、そのようなものであるならば、社会契約とは――一国のすべての構成員を同一の利益において結合すると見なされるこの社会契約とは、いったいどのようなものであろうか?

社会契約とは、それによって、各市民が彼の同胞たちの愛情、思想、労働、生産物、役務および財産と交換に、彼自身の愛情、知性、労働、役務、生産物、財産を社会に託するところの至上最高の行為である。この場合、各人にとっての権利の範囲は、つねに彼の寄与の重要性によって決定され、また請求されうる債権は提供高に応じて決定される。

かくして社会契約は、市民の総体、彼らの諸利益および諸関係の全体を包含しなければならない。――もし一人の人間でも契約から排除されるならば、また、聡明かつ勤勉で敏感な国家公務員たちが、それについて折衝するよう要求されている諸利益のただ一つでも省略されるならば、契約は多少とも相対的で特殊なものとなろう。それは、もはや社会的なものではないであろう。

社会契約は、各市民の福祉と自由とを増大させなければならない。――もし一方的な条件がしのびこむならば、もし市民の一部が、契約のゆえに市民の他の部分によって従属させられ、搾取されるならば、それはもはや契約ではないであろう。それは一つの詐欺行為であり、これに対しては、解除権が、いつでも完全な権利に基づいて援用されることができるだろう。

社会契約はまた、自由に討議され、すべての契約参加者たちによって個人的に同意され、さらにみずからの手で署名されなければならない。――もし討議が妨げられ、中断され、ごまかされるならば、もし同意がまんまと詐取されるならば〜略〜社会契約はもっとも無知で弱小な最多数の個人の自由と福祉とに対する陰謀、組織的な略奪以外の何ものでもないであろう。

〜略〜

人民だけが主権者であり、人民は自分自身によってのみ代表されることができ、また法は全体の意志の表現でなければならないということをはじめ、すべての煽動的雄弁家たちが利用する、その他のすばらしいきまり文句を原則的に確立したのちに、ルソーはひそかに彼の命題を放棄して、わきに逃げてしまう。まず彼は、集団的で不可分な一般意志のかわりに、多数派の意志を代位させる。それから国民全部が朝から晩まで公共的事件に専念することは不可能であるという口実のもとに、彼は道を通って、代表者ないし受託者の指名に復帰する。〜略〜自分自身の諸利益に関する直接的・個人的取引のかわりに、市民は、最大多数の票によって彼の裁定者たちを選択する機能しか持たなくなる」との批判に、ルソーは、いったい何と抗弁できるだろうか。

――引用、ここまで。

社会契約というものがルソーの言うところの一般意志、これはエゴイズムを離れて公共の利益や幸福を考えることとルソー自らが定めた概念ですが、その一般意志とは猝閏膽腟糎桐の多数決原理によって選ばれる多数派の意見瓩鮖悗靴討い董⊆匆餬戚鵑鯀完に課しているのに矛盾ではないのかと、その欺瞞を突いている。急進的なバクーニンになると、より明確になりますが、ルソーの一般意志と特殊意志は一定の性善説によって構築されているので、その理想的なものは現実的ではないと退けている。ルソーは個人が個人の利益を最優先とする事を特殊意志としているが、そもそも個人の意向というのはエゴイズムと分離させる方が難しいのが現実で、今日的には、一般論としてヒトは、個人が個人の利益を最優先してしまう事、を認めていますやね。実質的には解約したくとも解約できない契約でしょうし。

また、プルードンも勿論、革命権を認めている。しかし、過激ではない。要旨としては、変革は避けがたいものであり、常に「革命と反動」(革新と保守)とは一対の関係にあるとする。よって、革命は避ける事ができないが緩慢に行われる事が望ましいとする。


余談ながら確か10年ぐらい前、日本の政治評論家の大半がホッブスの「リヴァイアサン」を信奉しているという分布図が目にした記憶があったんですが、見つからず。とはいえ、おそらく、日本人の場合は、国家というものを盲信しているから国家に絶大な権力を与えるべきだという風に考えている政治評論家が多いという証拠ではなかったかな。

また、日本の場合は、革命権なんていう思考はおそらくはなく、欧米のように国家という権力と、それに対峙し監視し、抵抗権もあるという対立構図が弱いのは確かでしょうねぇ。何かしらの革命を勝ち取った文化と、そうではない文化との差異なのかも。

◆プルードンの思想について

プルードン(1809〜1865)は、ピエール・ジョセフ・プルードンといい、フランスの社会主義思想家。後に近代アナーキズムの祖と呼ばれる人物で、幾つか触れておくべき事柄がありそう。

先ず、革命というものについてプルードンは、大局的に眺めれば革命は不可避なのものであると捉えている。しかし、革命には必ず反動としての守旧派が一対として登場するものであり、いわば「革命⇔反動」という対立が常にあるもの、その均衡を現実として認識する。それでも革命されてゆくという考え方であり、理想的であるのは緩慢に革命が為されることであるとしている。

次に、プルードンは自由主義と無政府主義との差異に言及している。これが中々に明確なので、驚きましたが、プルードンは「豊かな社会」よりも「公正な社会」を理想としている。こう述べるとマルクス主義的なものとの差異を誤解されるかも知れませんが、実はアナーキズムはマルキシズムと対立した思想であり、平等を自由よりも優先させている思想ではない。自由の中で平等を実現するには公正さが必要であるという解釈であり、実は自由主義に近い。混乱も有り得るので繰り返しますが、「平等の中で自由を希求する社会」としているのではなく、「自由の中で平等を実現する為の公正な社会」なのだ。

なので、部分的には現在のリバタリアニズムにも似ている。政府なんて小さくて充分なのだと考える。しかし、現在、問題視されているリバタリアニズムが非倫理であるのに対して、プルードンに代表されるアナーキズムは公正さを、その為には倫理を要求するのだ。この倫理を明確に社会の最上位の価値として掲げるのはプルードンの後発となるピョートル・クロポトキンになり、そこまで余裕があれば触れたいと思いますが、一先ずはプルードンの基本思想として話を進めます。

豊かな社会を求めるのか、それとも公正さな社会を求めるのか? ――このテーマは、生前の鶴見俊輔が語った一言と似ているなと感じました。鶴見俊輔・関川夏央著『日本人は何を捨ててきたのか』(ちくま学芸文庫)は、対談集ですが、次のような一節があって、やはり、新鮮な驚きを感じましたかね。。。

鶴見:40年前はよかったんですよ、よかった。

関川:そうですか、ほんとですか。ずいぶん貧乏だったという気もありますけれど。

鶴見:駆け回る場所があったでしょう。

関川:はい。空は青かった記憶があります。貧乏であっても、どこの家も貧乏でしたから、いわば協和的に貧乏でしたね。

鶴見:それそれ、「協和的に」という以外に人間に何の理想があり得ますか。


これです。確かにこれなんです。

協和的にという以外に、何の理想が有り得ますぅ?

物質的な豊かな社会の方が理想である、優先されるべきだと考えますぅ?

まぁ、豊かな社会こそが理想であるという価値観の方も在るとは思いますが、意外と我々日本人にとっての理想とは、鶴見がさりげなく放ったその言葉の中に見い出せそうな気がしないでもない。協和的に貧乏であったとして、それで何の不満が起こるだろうかという問題がある。確かに、私の場合は、「協和的であることに以外に、何の理想がありますか?」と言われて、返答は出来そうもないなって思う。つまり、希求している理想像とは、そっちなのだ。物資的な豊かさを希求しているのではなく、安寧に暮らせたらそれ以上、何を希求するのだって。

この鶴見俊輔は小学校しか卒業していないがハーバード大学を卒業し、その後「ベトナムに平和を!市民連合」いわゆる「べ平連」ですが、その中核メンバーとして活躍した思想家・鶴見俊輔なども紛れもなくアナーキズムの系統に位置するものであるのが確認できると思う。

べ平連というのは、ベトナム戦争を終わらせる事のみを目的として組織された市民運動体。1974年解散。鶴見のほかに開高健、小田実らが中心となり、緩やかな市民運動として行動し、反戦広告を打つ一方で脱走した米兵の援助活動などをしたという。今、こういう活動をしている団体はあるかな。あるにはあるのか。

しかし、ここに於いて実は特徴的であり、そこにある犂砲笋な瓩箸いι分がポイントですかね。アナーキズム思想の系譜は権威という権威を否定したがる思想なので、自ずと権力の一元化を避けることになる。だから基本的には「緩やかな運動体」のようなカタチにしかならない。しかし、理想というのは、こういうものではないのか? 誰かをリーダーに選出して効率的に相手を駆逐して繁栄し続けるという争いには向かない組織論ですが、このイデオロギーの話というのは、そもそもからすると、どういう社会形態が理想であるかを探っている話なのだ。

学校へ行きたきゃ行けばいい。行きたくなければ行かなければいい。働きたければ働けばいい。働きたくなければ働かねばいい。寄付したい者は寄付すればいいし、寄付したくない者は寄付しなければいい。これが実は究極の自由ではないのか? これを実現するには個人が尊重されねばならず、そして束縛を最小限に収める為には緩やかな連合となる。中央集権体制で生まれる権威、或いは権力そのようなものは極力、無い方が好ましい。そういう社会が実現するのであれば、贅沢品であるとか趣味であるとか豪華な家や家具、便利な家電製品なんてものも二の次でいいのではないか? ああ、極論で発想しないでもいいワケです。基本的には自由主義であり、自由の次に公正さを配置している思想体系だから。重要なのは、中央集権を打破して、権力を分散して、より人間的な社会環境を求めるべきか否かという問題かも知れない。

これは時局的な意味では東京一極集中や都市一極集中の現状というのがありますが、そこに一石を投じるにあたり、考えてみる価値がある純粋な人間主義の立場に立った思想であろうと思う。


そして今日的には無政府主義と命名されてしまったので、無秩序状態を肯定する破壊思想のような印象で語られてしまうのですが、それは誤まりなのだ。仮に黒色思想と命名したとして、その思想の原点的な部分ですが、プルードンは『十九世紀における革命の一般理念』の中で、

「政治的秩序というものは権威と自由との対立的な二つの原理の上に成り立つ」

と導いた。無政府主義と命名とされているものの、実はプルードンの段階で、次のようにも述べられている。

「たとえ自由がいかほど魅惑的なものであるにしても、文字どおり完全な民主主義やアナーキズムはどこにも存しないのである」

とも展開させており、実は空想的な思想ではなく、現実的な思想であり、しかも、その大元は自由主義とも腹違いの兄弟のような関係にある。プルードンの場合は私有財産を認めないとする代わりに、そこで理想に掲げているのは「自由・平等・友愛」であり、その思想は紛れもなく自由主義思想の腹違いの子として産み落とされている事に気付かされる。

因みにクロポトキンの『近代科学とアナーキズム』の解説になると、そもそも近代革命というものは社会主義思想から誕生しているとも考えられ、端緒となったイギリスのピューリタン革命に起こるのであり、そもそもからすれば大元は「社会を良くしたい」という大枠で括れば社会主義思想であり、その社会主義思想から自由主義思想が生まれたかのように解説している。

先に鶴見俊輔に触れた箇所で「緩やかな運動体」と説明しましたが、それは【連合】という概念と関係しており、それもプルードンの思想の影響であるように見える。権威という権威、それは中央集権体制をとるという特性があるが、その権威を極力分散させようと思考すると、それは【連合】にという概念になるワケです。連合の中でも基本的には個々は対等である。

嘘か誠かボルシェビキの系譜を踏襲している日本共産党では現在でも宴席では書記長に出される食事と、書記長以外の者に出される食事に差をつけているという。他の政党では見られない特殊な現象であるという。確かに書記長クラスになると贅沢な生活をしているのは薄々は知られている。何故、そうなのかというとボルシェビキ系の共産主義イデオロギーというのは中央集権体制としての権威を確立させて、平等としているのが既成の共産主義イデオロギーであり、黒色系と呼ばれる左翼思想とは、かなり趣を異にするイデオロギーなのだ。

それでも、通常、左翼思想と言った場合には、この左翼思想を念頭に置いてしまうワケですけどね。しかし、前述したようにプルードンに始まる近代思想は、平等を第一に掲げて、その次に自由を掲げているのではない。その事からしてもマルクス主義にありがちな天賦論的な平等第一主義とは実は根本理念からして異なる。

また、この左翼思想の系譜と言うのはセクト争い、つまり、これは主導権争いなのですが、結局は、そちらに終始してしまうケースが多く観察できるのは、自明でしょう。そのセクト争いの激しい中で勝ち残る為に、粛正のようなものが断行される。翻って、仮に、そこに黒色系サヨクの緩やかな連合、緩やかな連携という理念からなる集団があったなら、強靭な指揮系統を発揮するセクト争いには勝利できないでしょう。それはアナボル論争の結果そのものでもある。しかし、その思想の純粋性という意味に於いては黒色思想は名前もないままに現在も生きていますやね。到るところで権力批判が転がっているし、そもそも日本人は権力が嫌いなのではないかという考察もある。つまり、どんなに時代が変わっても、ずっと生き残り続けてきた批判精神というのがあって、その批判精神をイデオロギーの源泉にしたものが、本来的な黒色思想であり、つまり、アナーキズムの本義なのでしょう。

◆バクーニンの思想

バクーニン(1814〜1876)は、ミハエル・アレクサンドロビッチ・バクーニンといい、マルクスとプルードンとも接していた人物。1864年から第一インターナショナルに参加するが、カール・マルクスと激しく対立し、1872年に除名される。しかし、バクーニンは、その後もロシアに於けるナロードニキ運動(人民主義=自由な農村共同体をベースとする革命思想)に大きな影響を与えたとされる。(そのナロードニキ運動が発展してゆき、後のロシア革命へと繋がっている。)

バクーニンの特徴は徹底した無神論が貫徹されている事で、また、個人の自由を追求した思想となる。神を殺し、国家をも殺そうとする圧倒的なニヒリズムであるが、その圧倒的なニヒリズムの中で、自由を見い出そうとする。自由に始まり、自由に終わる。この意外性と、過激。

バクーニンは、聖書に描かれている「アダムとイヴ」が禁断の果実をかじったという物語を、文明のはじまり、自由のはじまり、そしてアナーキズムのはじまりであるかのように語る。人類の祖先であるというアダムとイヴは、豊かな楽園で生活していたのに神から禁止されていた禁断の果実「知恵の実」を食した為に、その掟を破った罰として楽園を追放されたというのが粗筋である。まさしく、それは神によって統治されていた楽園、そこで掟を破った男女二人が追放されたというところから人類は始まったという風に語られているのだ。

バクーニンは『鞭のドイツ帝国と社会革命――または「神と国家」』で次のように述べている。

われわれの最初の祖先であったアダムとイヴとは、たとえゴリラではないとしても、少なくともゴリラの近親者であり、利口で残忍な雑食動物であったが、ただその他の動物よりも二つの貴重な能力をずっと多く授けられていたのだ。その能力とは、思考の能力と反逆の能力およびその必要とがこれだ。

人類の祖先は人類以外の動物よりも、貴重な能力を授けられていた。一つは思考する能力であり、二つ目は反逆する能力であり、三つ目は、思考して反逆する能力である――と。

確かにアダムのイヴの物語は、バクーニンの解釈で説明できてしまう。アダムとイヴは、法律を破って楽園を追放された無法者のカップルなのだ。しかも、神の禁令を破ったのは、なんとなく禁断の実を食べてみたいからという動機であり、その純粋な動機に逆らえず、法を犯して食べてしまった二人なのである。しかし、バクーニンの解釈に従うと、その反逆的行動と、思考する能力によって、神の楽園から飛び出したのが人類の始祖であるとなる。更には、人類の文明とは、神に対しての不服従から始まったという解釈の仕方をする。

原罪なんて事は考えません。神なんて居ないし、ヒトは不死の魂を持っていない。無神論が貫徹されるニヒリズム(虚無主義)。ただただ、そこにあるは、自由と、自由を制限する何者かとのせめぎ合いでしかないと思考する。禁断の果実に手を伸ばす行為を悪魔的であるとすれば、その悪魔的行為を称賛する。そもそも神の楽園で神に反逆したというところから我々は文明をつくったのではないのか――と。


◆体現者としてのバクーニン

さて、バクーニンの場合は、その思想以上に活動っぷりの方に目が向きます。何を理想として掲げていたのかという段階とは別に、その理想を、どのようにして現実のものにすべきかという行動力を伴った牾萋芦鉢瓩箸いΥ蕕あると思うのですが、バクーニンは、やはり、後者のように見えます。生き様そのものが戦闘的アナーキストであり、その体現者。

以下、バクーニンの略歴の羅列です。

1842年、バクーニンは28歳の時にペンネーム「エリザール」を使用して『ドイツにおける反動』を発表し、同論文はヨーロッパに一大センセーションを巻き起こす形で、バクーニンは世に出たという。

『ドイツにおける反動』の結文は、

「破壊の情熱は同時に創造的情熱である。」

であった。

バクーニン自身も24歳頃から熱心にヘーゲルの哲学書を研究・没頭しており、また、当時の社会情勢はヘーゲル的な論陣が進歩的知識人の主流であったが、それに一石を投じたという事のよう。

1844年、パリにてプルードンと出会う。バクーニンはプルードンにヘーゲル哲学を伝授し、一方でプルードンからアナーキズムの手解きを受け、大きな影響を受けたとされる。

1847年11月29日のワルシャワ反乱記念パリ集会でバクーニンは大演説を行ない、それが駐仏ロシア大使の不興を買うような内容であった為に問題となる。

(この「ワルシャワ反乱」は1830年に起こったロシアの支配にあったポーランドの士族階級が起こした反乱。事情は複雑で、この1830年、フランスは七月革命を迎えていた。その七月革命鎮圧の為にロシア皇帝兼ポーランド王であったニコライ1世がポーランド軍の動員を行なおうとした。それに対してポーランドの士族階級が反乱を起こした。士官が口火を切って反乱を起こしたが、後に市民も反乱に加わって武器庫を占拠し、皇帝の兄であるコンスタンチン大公らロシア駐屯軍を撤退させた。その1830年のワルシャワ反乱を記念する式典で、バクーニンが過激な演説をしたの意。)

この頃から、バクーニンをスパイとする説がパリで流布し始める。

1847年12月、バクーニンはフランスから退去勧告を出され、ベルギーへ逃れる。

1848年2月22〜24日、フランスのパリにて、二月革命が勃発。バクーニンはベルギーからフランス入りを果たして、労働者らの先頭に立って「破壊への情熱」を体現。この二月革命によって、自由主義革命運動が各地に飛び火することになる。(ウィーンやベルリンでは三月革命となる。)

1848年3月、二月革命に参加したバクーニンは革命によって誕生した臨時政府から2千フランの資金を受けて、フランスを脱出。

その後はスラブ諸民族の解放を旗印に上げて、プラハに向かい、プラハのスラブ大会に参加。

1848年6月12日、プラハ暴動が発生。バクーニンが関与。

1848年7月、扇動者バクーニンの悪名はヨーロッパ中に轟くまでになる。一方で、バクーニンは、スラブ民族の解放と連合とを主張し続ける。

1849年5月、ドレスデン暴動に参加していたところ、ザクセン政府によって逮捕される。

1850年、1月にザクセン政府はバクーニンに死刑判決を下すも、6月にオーストリア政府に身柄を引き渡す。

1851年、オーストリア軍法会議はバクーニンに絞首刑を宣告する。後に終身刑に減刑されとなり、ロシア政府に引き渡されると、そのまま1857年まで要塞と監獄との投獄となる。

1857年、シベリア流刑が決定。バクーニン、44歳。

1858年、東シベリア総督の庇護下でイルクーツクに移住する。

1861年3月、ロシア皇帝アレクサンドル2世が農奴解放令を出す。

1861年6月、バクーニン、シベリア脱出を画策してイルクーツクを発つ。

7月、バクーニンはアムール川河口になるニコライエフスク(尼港)からアメリカ船に乗船し、8月4日に函館へ入港。更に8月24日には横浜に入港。横浜からサンフランシスコへ、更にはニューヨークに脱出する。バクーニンのシベリア脱出が報じられた後、バクーニンはニューヨークを出航してリバプールに向かい、更にロンドンへ。

1863年、ポーランド反乱が勃発する。バクーニンは亡命ポーランド人に合流して反乱参加を画策するが失敗する。

1864年、バクーニン、50歳。イタリアのフィレンツェに居を構える。この頃、完全な無神論者になったとされる。

1864年9月28日、ロンドンで第一インターナショナル(国際的な労働者組織)が創立される。起草者はカール・マルクス。

1864年11月3日、バクーニンはマルクスと会見する。両者が顔を合わせるのは16年ぶり。

マルクスはバクーニンに好感を抱いたらしく、エンゲルスに宛てた手紙の中で「私は彼がきわめて――これまで以上に好きになった」と記していた。しかし、バクーニンの方はというと、第一インターナショナル構想に熱心ではなかったらしく、フィレンツェで「同胞団」、ナポリで「国際同胞団」といういずれも秘密結社の組織化に着手した。

この第一インターナショナルは、中心になっていたのはドイツ勢のマルクス派で、それ以外はフランスからはプルードン派、ブランキ派、イギリス急進派、イタリアのマッツィーニ派、それらに加えて無国籍的なバクーニン派という組織構成であったという。この陣容で内部対立のタネを見い出せるが、後に展開されるのは、マルクス派とバクーニン派とが激しい対立を起こすことになる。

1867年、スイスに移住。9月9日、「平和と自由の連盟」の第一回大会でバクーニンは速記が不可能なほどの早口でフランス語の演説を行ない、聴衆に異常な感銘を与える。(どう異常なのかは不明。)

1869年、この頃までにバクーニン派は大きな勢力となってマルクス派と火花を散らすようになっている。「バクーニンはロシア政府のスパイである」というスパイ説が流布する。バクーニンは自らの思想の中にニヒリズム的な傾向を強めてゆく。また、この年、スイスとフランスの国境にあるジュラ山一帯(スイス)がバクーニン派の拠点となる。これがバクーニン派の「ジュラ連合」となる。

1870年、普仏戦争勃発。バクーニンは『フランス人への手紙』を発表し、

(フランスを救いうるのは)「全土にわたる人民大衆の強力、情熱的なアナーキスト的破壊的な蜂起のみ

と説いた。

また、一方では『鞭のドイツ帝国と社会革命』を執筆。内容は『神と国家』と重複するものであったが、フランスで出回ったのは『鞭のドイツ帝国と社会革命』であった。中身は無神論であること、そしてドイツに対しての強烈な敵意が読み取れる過激なものだった。(またユダヤ人に対しての敵意にも言及されている。)

1871年3月、パリ・コミューン蜂起。普仏戦争では第二帝政フランスがプロシア、オーストリア連合軍に敗れたが、その混乱に乗じてパリで小市民や労働者が蜂起して、3月18日から5月28日までの72日間のみ革命的自治政権を打ち立てる。その自治政府は【コミューン】と呼ばれる民主的な共同体によってなされる自治体制。一部では理想形とされる統治形態でたったが短い短い実現期間であった。

パリ・コミューン蜂起はパリ・コミューン革命となり、コミューン自治政府をつくったが、それは短命であった。5月21日より、第二帝政崩壊後に生まれた国防政府軍とコミューン自治政府との戦争が発生する。一週間後の28日にコミューン自治政府は完全崩壊。この国防政府軍と民衆からなるコミューン軍との戦闘は「血の一週間」と呼ばれる。

1871年、『神と国家』が出版される。カール・マルクスはバクーニンに対しての対応に苦慮し、バクーニン派に対して内部撹乱などの戦術を行使する。

1872年、バクーニンが反撃に出る。マルクスとエンゲルスの狷蛤枦傾向瓩鯣稟修靴拭するとバクーニン派のみならず、イギリス、ベルギー、オランダの第一インターナショナル代表らもバクーニンに賛同。マルクスは第一インターナショナルの本部をロンドンからニューヨークに移転させる事を提案し、僅差で可決に持ち込んだ。この本部を移転させるという展開によって第一インターナショナルは活力そのものを削ぐこととなったが、一方で、対立相手のバクーニン派を第一インターナショナルから排除する事に成功。

1876年、バクーニン没。



◆余禄的「国家は神か? 主権者は国家か?」

イギリスで起こったピューリタン革命は、謹厳な清教徒らによって起こされた革命であるという。で、フランスで起こったフランス革命というのは別名はブルジョア革命であり、これはブルジョア層と呼ばれる市民らが中核となって起こした革命であるという。で、ロシア革命の場合はというと人民が主体となって革命を起こした側面があるので、やはり、人民革命だと考えられる。マルクスの言うところのプロレタリアートなのかどうかは知りませんが…。

【市民】と【人民】と【民衆】&【大衆】あたりに区別をつけているかというと非常に曖昧であると思う。サヨク思想では、市民は市民階級の者であり、ブルジョアであり第三階級を意味している。では【人民】と【民衆&大衆】の区別はどうか? 【人民】とは【大衆】と区別されていて主体的な態度で統治されている被統治民の意が強いという。それに比較して【大衆】というのは日本語でも感じ取れるニュアンスがありますが消極的な被統治民ですやね。

ナロードニキ運動などは、宗教的権威とも関係なく、また、有力な被統治民であった市民階級というものでもなく、基本的には農民を主体化したもの。運動の中で農民に加えて労働者らも加わる人民勢力を形成し、その人民を率いたレーニンらの煽動家たちによって革命闘争していたもの。革命の主人公になっていたのは「人民主義」的な何か。

その狄楊鵜瓩魍仞辰気擦茲Δ箸垢襪里革命的煽動であり、革命的プロパガンダですね。「大衆・民衆」と「人民」との境界線は曖昧さを残しますが、その層を動かさない事には帝政を終わらせる事は難しいと考えられた。それは煽動といば煽動であって、勿論、それはポピュリズム的な何かでもある。

そして、民主的である事という意味合いが違ってきますよね。単なる大衆層を相手にするポピュリズムと、幾らかでも主権者意識を喚起させ自治的精神としての人民を相手とするポピュリズムとの二つがある。ホントは後者であるべきはないの? 大衆に対して為政者自ら擦り寄って人気稼ぎをする愚のポピュリズムと、大衆に覚醒を促す啓蒙主義のポピュリズムとでは、少し差異がある。いや、この差は雲泥の差ですよね。飼いならされてしまった動物と、自生して主体的に生きている動物との差異でもある。

また、人々はイデオロギーを語ろうとして、よく自由主義、自由主義という。だけれども、実は、自由を実現するには義務が付き纏う。それはホントは大原則である。

国家を盲信して国家を神的権威に代わる神として崇めるものは、バクーニンが示したところで顕著になるのですが、それは国家主義というものだ。宗教的権威としての神を殺した後に、それに代わるものとして国家という神の概念を創り上げてしまったのだ。で、バクーニンの場合は、その国家という統治機構、すなわち近代的な中央集権体制という権威を破壊しようとしたのだ。

翻って、近年起こっている現代のテレビ政治やインターネットを使用してのポピュリズムとは、明確に大衆層を相手にしており、お手軽ぽん、ぺこ&りゅうちぇるさんらの若者に人気のあるテレビタレントを起用するなどして、かなり、無理矢理に「投票へ行きましょう!」とやってしまっている。ポピュリズムはポピュリズムでも、驚くほどのレベルで敷居を下げてしまっている大衆迎合ポピュリズムなのだ。

「国民主権って何だろうね? 自由って何よ? そう。自由を手に入れる為に我々自身が主体とならねばならず、戦わねばならないのだ!」

という当事者意識からは完全に乖離しているんですよね。これを、ヘーゲル左派の哲学者ユルゲン・ハーバーマスは「顧客型の民主主義である」と批判し、その傾向が強まってゆくと警鐘を鳴らしていた。民主主義というのだけれども、有権者なんてのは主権者ではなく、いつの間にか単なる「お客さん」になる。オモテナシされているだけ。これ、特に日本に顕著であるよなって思う。だから、どんどん福祉政策を提案して赤字財政を膨らませ、知らず知らずの間に官民格差が拡大してゆく。民主主義の緩慢なる毒まんじゅうを食わされている状態。

社会主義の精神として実は自由主義的な「働かざる者、食うべからず」というスローガンがあったのですが、現在ともなると、自由主義者を名乗る人たち、すなわちカタカナのリベラリストによって「差別だ! 福祉の否定です! 許しません!」と攻撃に晒されてしまう。どこかで社会主義思想以上にリベラル陣営が福祉、福祉と言い出しているという「思想的な転倒」の現実を見せつけられてしまう。

主権は官にあるのではなく民にあり、自由を標榜するが故に各自に義務が課されている。その大前提を現代人は完全に見失っている事に気付かされる。自治の精神からの逸脱と言いますが、皮肉を混ぜれば、有権者の北京ダック化した民主主義というか…。選挙にしても人気者に群がって、また彼等が集票するだけでしょう。実際には緩慢な毒によって被統治民が被統治民としての地位を固めているのに自ら搾取されることを喜んでいるかのような選択をしてしまっているようにも見える。

後日で触れる予定のクロポトキンで、より明確に示せるかと思いますが「カネで幸福(福祉)を配分する」というシステムというのは、そこに相互扶助の精神が無いのだ。支え合うという魂がないのに、そこに、どっかりと犢餡鉢瓩箸いΕ轡好謄爐鯀看修凌世箸靴瞳任押顔も素姓も分からぬ、理解し合っていない隣人の面倒をみているという、この矛盾が放置されてしまっている。誰かを助けたり助けるのであれば、そこに心が直接的に向き合うべきなのではないか、それが人間の本質であろうと考えるワケですが、そうではなく、その人間関係には目をつむり、装置として分配、分配というばかりなのだ。国家という親元を盲信した配分装置を論じている状態。そこにはエートス(魂)もパトス(情熱)もロゴス(言葉)があるかどうかだって怪しい。

つまり、ホントにバクーニンが攻撃していたような【国家】という名の非人間的分配装置を全能の神と信じて、信仰しているような不気味さがある。

因みにナチスドイツが掲げた犢餡伴匆饉腟銑瓩箸蓮▲丱ーニンの思想を経れば明確に、その位置づけを理解できるようになる。それは国家というものを全能の神と崇めた国家体制なのだ。だから確信犯的に「国家社会主義」を名乗っていたのだ。しかし、国家という名前の統治機構が神ではないのはホントは明白でもある。

現在もグローバリズムと反グローバリズムとの対立とがあり、反乱する人々を「ナショナリスト」という名称で報じている。おそらくは文化によって民族を分類している民族主義者のこともメディアは「ナショナリスト=国家主義者」と区別していない事が多いですやね。また、なんでもかんでも【レイシズム】というカタカナ語を多用したがり、一律的な批判対象に仕立て上げているところがある。別に「人種」を差別をしていなくとも「人種差別主義者だ!」と糾弾し、自由な言論を封殺しにくる皮肉がありますが、単なるレッテル貼りだ。自由主義者と言いながら思想や言論の自由に介入してしまっている。当代のリベラルの正体とは、こういうものですやね。

◆カタカナとしての【モラリスト】

【モラリスト】というのは日本語だと【道徳家】になってしまうのですが、いつも、この使用方法に戸惑わされる。確かに「モラル」は「道徳」に相当する言葉なんですが、どこかにズレがあるような、そういう違和感。「モラル=道徳」も微妙なんですが、それは「モラリスト=道徳家」という風に並べてみたときに明らかになりそうだなって思う。というのは、実際に辞書で【モラリスト】を引くと、モンテーニュを筆頭にした、いわば道徳至上主義という具合の思想・哲学について記されている。西洋の思想史に登場する「モラリスト」、それに付随しての「モラル」というのは、そのニュアンスがある。

そのモラリスト思想は16世紀から17世紀、研究論文に拠るものではなく、随筆や詩など表現形式を選ばずに、それを展開させ、それがモラル至上主義のようなものをつくり上げていた。『哲学用語図鑑』(プレジデント社)では、16世紀から17世紀と説明されているのですが、他の辞典類では、やや幅を持たせて説明されている。この【モラル】を重んじるという思想・哲学は、古代ギリシャでもテオフラストス、古代ローマでもキケロ、セネカなどを挙げる事が出来、また、幸福論で有名なアランなども20世紀の人物ですが、モラリストと称される。そればかりか、イギリスではエッセイストと同義でモラリストという言葉が使用されるケースもあるという。

で、何故、特にモンテーニュら16〜17世紀もしくは18世紀あたりに、この「モラリスト」が台頭したのかというと、

犢佑方や文化の違う人間に対して、偏見、独断、おごりを捨て、謙虚に相手の考えや文化を学ぶ姿勢が大切である

という指針を明確に示した一群の思想・哲学であるという。モンテーニュは、スペイン軍が新大陸で行なった略奪、虐殺、文化の押し付けに悲しみを覚え、そこからモラルを重んじるようになったという。モンテーニュは「インディアンには野蛮なところは一つもないが、もし、西洋人と習慣が違うことを猝酥抬瓩箸いΔ里覆蚣辰亙未澄廚箸いξ爐い離┘奪札ぁ平鑄)を書いた。エッセイという形式にも意味があり、論文調の「〜するべきだ」という言い方を避ける必要性があり、自らの体験と照応させる形式のエッセイにしたのだという。

この、文明人が未開人を見て抱く優越感という錯覚の話というのは、近年であればジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』上下巻(草思社文庫)が異例のヒットになったので、或いは20代ぐらいの方でも馴染みのあるかも知れませんが、アレですね。アボリジニと一緒に生活してみると、アボリジニの人たちが如何に自分たちの生活に適応している形で優れているのかが分かる。文明人と未開人という風に並べたときに、文明人は文明人の優位を疑わない。しかし、それは事実として誤まりなのだ。それは、文明度という尺度で計測しているから文明人が優れていると思うのであり、一個人、或いは人種・民族としての優劣ではない。尺度によって優劣があっても、それらは個性として考える事ができる筈なんですが、それを理解できない。これは何世紀も何世紀も幾ら繰り返されてきても、文明の中にある文明人は中々、理解できないのだ。

再び、『哲学用語図鑑』(プレジデント社)を参考にしますが、レヴィ・ストロースの『野生の思考』は未開人を研究する事から、野生の思考という哲学を提唱した。前掲書の解説によれば、それは「人間が理想に向かって歴史を前進させよう」というサルトルへの提言に対しての批判であり、「サルトルは西洋的な発想から一歩も抜け出せていない」というレヴィ・ストロースの意志が隠されているという。その上で、「文明の思考」と「野生の思考」は相互に補完し合うべきだとした。因みに、このレヴィ・ストロースもボロロ族やカリエラ族と共同生活を実施した上に、一連の著書がある。

この野生の思考というのはサルトルへの批判だというのだから、「人智によって理想を打ち立てて、その理想に向かって前進しましょう!」という思考に対して、自然界の智を舐めていかんぜよってぶちあてたって話ですよ。たとえば、ハニカム構造なんてのはハチの巣が持っていた構造ですが、ホントに現代の建設業などでも利用できるものであったりするのが現実で、自然界が有する知恵というものは人智よりも上ではないのかと思わされる事がありますよね。また、この「野生の思考」に拠れば、やはり、文明の進歩というものを拒絶しようとする野生の思考を肯定的に語る事に意味がある。文明を進歩させること、前進することが正しいとしばしば考えがちであるが、ホントは、前進にしても進歩にしても、目標、目的にしても、ホントは、そんなに意義があるのではないのだ。(あ。そうそう。粘菌は迷路を解きますな。脳味噌なんて持ってないのに。ホントは侮れないのが自然界であり、神秘の世界なのだ。)

冒頭の【モラリスト】、【モラル】は、【道徳家】や【道徳】という日本語とは少しニュアンスが違っているという話に戻ります。このカタカナ語としての【モラル】は「習俗」を意味する言葉に由来するものであり、本来は【道徳】という意味ではなく、「人の日常的な在り方」を意味するものであるという。

また、これは【道徳】という漢字にも言えることだと思う。【道】とは【道】で、さほど問題はないのですが、【徳】という漢字、【徳】を説明するのは、意外と難しいのだ。というのも、日本人はしばしば【徳】という言葉を使用する。「あの人は(人)徳がある」であるとか、「私の不徳といたすところだ」とか、実際に使用しているのですが、では、【徳】を説明しようとすると苦慮するんですね。思い切って、ここで説明してしまうと、現代人の言うところの「品性」であるとか「品格」であるとか、あの抽象性が、そのまま、【徳】の意味である。「彼には◆◆の徳がある」というように使用され、「人としての徳がある」という場合が「人徳がある」になる。

となると、この【道徳】という言葉、それが道徳経に始まるにしても、それは「道の徳」の意であり、これは幾分かは模範としての振る舞い方、模範としての考え方、その指針を示しているとはいえ、その字義そのものは「道の徳」であり、意味合いからすると、「品のある道の歩み方」とか「品のある生き方・処し方」という程度の意味でしかないでしょう。

その一方で、ほぼ同義で使用されている【倫理】というのは分かりやすくて、【倫】の字、その成り立ちから、それが意味しているものが「仲間内の掟」の意であるのが分かる。すなわち「仲間内の理」が倫理であるのが分かる。マフィアでもヤクザでも、仲間を裏切る行為というのは即ち倫理違反であり、倫理違反とは許されざる悪業、忌み嫌われる。それは原則的に如何なる組織内に於いても同じで、仲間として結束する以上は仲間内の掟が必要であり、その掟が倫理であり、掟を破る事は倫理違反に対応しているのが分かる。これは子供同士の小さな友情であっても、男女間の仲であっても、そうした倫理は成立する。

その仲間内というのは相互性原理で結び付いており、「仲間内の掟」こそが倫理なのだ。したがって、【モラル】や【道徳】よりも、より焦点を絞って【倫理】という言葉が成立している。

故に、特に、このモラリスト思想に係る内容というのは、相対主義に耐えられるのかという問題を抱えている。それを普遍的な正義だとは認められないという事も出来てしまう。或る時期まで西洋文明というのはアフリカの地で捉えた黒人を奴隷にして奴隷船に乗せて奴隷貿易をしていたという厳然たる事実がある。奴隷貿易というのは捉えてた黒人を商品として売り買いしていたという事であり、場合によっては奴隷と奴隷とを交配させて得た奴隷の子、その奴隷の子を商品として売買して儲けるなどという、そういう時代があったのだ。モンテーニュらのモラリスト思想というものは、それら現実を直視する中で、悲しみの感情を喚起させ、これは間違っている、モラル(人としての処し方)として誤まりであると訴えたのだ。

仏教でも「精神の覚醒」という風に説明されるものがありますが、それにも似ている。それは憐れみの感情を喚起し、加害者性を感じることが「精神の覚醒」であると、鈴木大拙は説いている。鎌倉時代の武士である熊谷直実は立派な甲冑を身に着けた敵方の武将を見つけて、一騎打ちを申し込んだ。組み伏せてみれば、その敵方武将は我が息子と同じぐらいの年齢の源敦盛(みなもとのあつもり)であった。そんな若者を首級を獲ることに憐憫の情を抱いた。これは「ものの憐れ」に気付いたの意です。更に武士、熊谷直実の場合は出家までしてしまう。そして、人の世の虚しさ、果敢なさまでもを悟るに到った。

人間五十年

下天のうちを比ぶれば

ゆめまぼろしの如くなり


時代劇の中で織田信長が舞う「敦盛」、アレです。鈴木大拙はアレを日本人が精神を覚醒させた最初であると述べている。そう、モラルとは、そのように文明化の過程で、人々が精神の覚醒をすることよって生じる何かなのだ。

モラルなんてものはないのだよとニヒリズムを貫徹し、膨張する植民地主義を肯定してみたり、或いは帝国主義による征服や支配を好ましいと言う事もできるし、傍観者ぶる事も可能だ。しかし、モラルなき文明を支持するのか、支持しないのかは大きな問題であると思う。

実際の歴史を回想すれば、その後に、各種の被抑圧民に対しての解放運動が様々な方向で起こる。この解放というのは、自由主義思想でもある。「解放されて自由になること」であるからで、時代は、それを是としたのだ。

そして、ここまでは長い前フリであり、本題というのはクロポトキンである。

ピョートル・アレクセイヴィチ・クロポトキン(1842〜1921)はモスクワ生まれ、公爵。以下、クロポトキンとしますが、クロポトキンは元々はロシアの高名な地理学者であったが、1870年代にナロードニキ運動に参加して逮捕されるも脱走して亡命、バクーニン派の総本山、フランスとスイスとの間にあるジュラ山を拠点とする「ジュラ連合」に加わって社会主義思想家となる。

過激なイメージの強いバクーニン派であるが、クロポトキンの思想になるとモラリスト思潮に則っての倫理至上主義的な社会主義思想を生み出している。つまり、モラル・倫理を重視するのだ。バクーニンから紡ぐのであれば、神も要らぬ、国家も要らぬ、そういう権力は不要なのであり、やはり、究極的には倫理によって統治される社会が理想なのではないか――と。

クロポトキンは、地理学者としてシベリアや中国北部を自身が足を運んで住み込み、調査をしたという経歴があるので、単純な地理学者ではなく、その地の人々の習俗であるとか、棲息する昆虫や動物の生態などにも精通した人物であり、それら広範な知識を総動員して主著『相互互助論』などを著わした人物である。また、日本の社会主義思想への影響が大きく、幸徳秋水、大杉栄らが影響を与えた人物でもある。

◆科学的哲学的思潮とユートピア

クロポトキンは『近代科学とアナーキズム』の中で、19世紀に起こった思潮を、牴奮愿哲学的思潮瓩叛睫世靴討い襦

引用すると、

19世紀の知的運動は、18世紀の中ごろから終わりにかけての、イギリスとフランスの哲学者たちの著作に起源を持っている。その当時始まった思想の高揚は、あらゆる人間知識を一つの全般的体系――自然の体系のうちに包含しようとする願望をおって、これらの思想家たちを鼓舞していた。

であり、確かにクロポトキンは、そのように説明している。少し入り組んでいるので整理すると、18世紀中盤のイギリスとフランスによって諸々の考察による思潮が形成され、19世紀になると、それらを土台として、科学的哲学的思潮の段階に入ったと説明している。

そこで、倫理やモラルの問題もあった。イマニュエル・カントは道徳的感情を証明しようとし、善の観念を「普遍的に適応しうる法則として――」と展開させたがフランス人たちには受け入れられなかった。また、アダム・スミスも道徳的感情が、苦しんでいる者に対して感じる憐れみと同情に、その起源を発していると『道徳的感情の起原』の中で説明していたと指摘する。

原始仏典「スッタニパータ」の中で、ゴータマ・ブッタの指摘も似ている。

殺そうと争闘する人々を見よ。

……わたくしが、ぞっとして、それを厭い離れた、その衝撃を述べよう。

水の少ないところにいる魚のように人々が慄(ふる)えているのを見て、

また人々が相互に構造しているのを見て、私に恐怖が起こった。


これはゴータマが、争闘(相互の殺し合い=戦争)を目撃し、その衝撃を述べている。人々は互いに争い、そして彼等は干上がった場所でバタバタと悶絶している魚の如く、もがき苦しんでいるのを見て、ゴータマの中に恐怖が起こったというのだ。「恐怖が起こった」としているが、その恐怖が「慈悲」や「憐れみ」を生じさせるという風に展開させ、ゴータマ・ブッタの仏教は形成されてゆく。

クロポトキンは、この頃に成立したフランスの『百科全書』を代弁した。

「人間がこの地上に出現して以来、常に人間のうち、憐れみ、同情の感情があり、それは同胞を観察することで確認され、しだいしだいに社会生活の経験によって完全なものとなった感情である。われわれの道徳観念は、この感情から発生していた」

と。

完全ではない乍らも、これらの流れは天上界の霊感に頼る事なく、事象を事象として、世界を世界として思弁する科学的哲学的思潮を生み出しており、社会の統治体制に疑問を抱く者たち、また、圧政にさらされていた者たちにしても、或る種の啓蒙が及び、自由を求めての改革=解放運動の気運が高まったとする。

フランス大革命は大失敗し、その混乱に終止符を打ったのは、ナポレオン・ボナパルトであり、これによって帝政となった。しかし、革命の根本原理は19世紀初頭を生き抜いた。半奴隷状態に沈淪していた農民や都市労働者の解放(自由)の火は消えることなく、その解放と、法の前の平等、代議政治の三つの原理は、全ヨーロッパに波及していたとする。

クロポトキンいわく、「自由・平等・博愛」は大原則であり、「農民や労働者の解放・法の前の平等・代議制」を三つの原理と称している。「自由・平等・博愛」は、フランス革命時の1789〜1793年までの間にフランス革命によって宣言された一般化された大原則であり、それが日常生活に適用されるようになり、社会発展の一般法則として「解放・法の前の平等・代議制」と説明している。

さて、解放の波は唸りとなって、拡散した。


少しだけ引用です。(『近代科学とアナーキズム』より)

社会、国家、および科学さえもが、「自由・国家・友愛」という、自己の叫びを革命が書きとめた旗を脚下に踏みにじったとしても、また、よしんば、現存する秩序への適合が、当時においては、哲学においてさえ一般的なスローガンとなったとしても、自由の大原則は、それにもかかわらず、生活のなかへと浸透していった。

確かに、そう述べている。更に、

解放の波は、まず最初、西部ドイツに達し、ついでプロイセンとオーストリアへと打ち寄せ、スペイン、イタリア、ギリシャの半島へ広がった。さらに東方へ流れて、1861年にはロシアに達し、1878年にはバルカン諸国に流れ着いた。北アメリカでは、1863年に奴隷制度が姿を消した。同時に、法の前の平等と代議政治の理念もまた、西方から東方へと拡大し、19世紀の末には、ロシアとトルコだけが専制の軛(くびき)のもとに残されることになった――もっとも、それとても、きわめて脆弱化した専制でしかなかったが。

という具合で、その頃の情勢を語っている。また、このアナーキズムというものは、自由主義思想を元に発達したものである事も読み取れる。

また、この頃、イギリスでもアナーキズム系の社会主義思想家が多く登場している傍証もある。ウィリアム・ゴドウィン(1756〜1836)、ロバート・オーウェン(1771〜1858)は共にイギリス人である。ゴドウィンは個人の自由を阻害する教会や国家を批判。オーウェンは紡績工場の経営者として成功した後に米インディアナ州に「ニュー・ハーモニー」という共産社会のユートピアを実現する為の村を設立するが失敗。実はイギリスでも、そうしたアナーキズム的なものが模索されていたという。

オーウェンは多分にユートピア的、空想的社会主義者と呼ばれたが、進化論で有名なアルフレッド・ラッセル・ウォーレス(1823〜1932)はオーウェンの熱烈な帰依者であったという。また、経済学者のリカード(デヴィッド・リカード/1772〜1823)もオーウェン主義者であったし、法哲学者のベンサム(ジェレミイ・ベンサム/1748〜1831)もオーウェン主義者であったという。この19世紀初頭の段階では、空想的、ユートピアを夢みた学者は実際に多かったのだ。

また、クロポトキンは言う。【ユートピア】とは現在では「実現不可能なもの」の意味が付け加えられてしまっているが、その時代には、実現が可能なものだとホントに考えられていたものだと付け加えている。

アナーキズムの社会理念をユートピアと称するのは、誤りであろう。なぜならば、今日の用語報では、「ユートピア」という語には、実現されえないもの、という意味が付着しているからだ。本質的に、「ユートピア」という語は、著述家が理論的に望ましいと観念するものにだけ基礎をおく社会観にのみ適応されるべきであって、社会のうちに成就している事物の観察に基づいた観念に適用されてはならないのである。

更には、意外にも次のような事も述べている。

むろん人々はこう言うであろう――理想が実現されるのは、はるかかなたのことだ、と。だが、これに対して、われわれは十八世紀末のことを想起しよう。北アメリカ合衆国が建国されたこの時代のこと、君主制以外の仕方で相当広範な領土にまたがる社会を築こうとする希求は、愚かな考えだと見なされたものであった。だが、今や南北両アメリカの共和国、次いでフランス共和制が厳存していることは、共和主義者ではなくして君主主義者こそが「ユートピアン」であることを証明したのである。

「ユートピアン」とは、自分の個人的願望に支配されて、すでに姿を現している新しい傾向を中止しない人であり、すでに過去のものとなった事物に過度の安定性を付与し、それが過渡的、一時的な歴史的条件の所産にすぎないことを考えてもみない人のことをいうのである。


意外にもアメリカを一つのユートピアの体現であるかのように扱っている事に気づかされる。ユナイテッド・ステイツというのも一つ形で、少なくとも欧州のような君主制ではない。しかし、当時の人々は君主制しか信じていなかったので、アメリカやフランスは一つのユートピアを体現であるという風に捉えてるようにも見えますかね。

また、分かり難い部分で「すでに姿を現している新しい傾向」とは、解放の気運を指している。当たり前に自由を希求するように社会が変化し、その傾向は日常の中にも見て取れるまでになっているのに、それを認めず、現状が一時的な歴史的所産に過ぎないという風には考えない人たちの方こそ、ユートピアンであるとしている。

◆ダーウィニズム批判

1859年、チャールズ・ダーウィンの『種の起原』が、ヒトもまた緩慢な生理学的進化の道を辿って発達した何かであり、類人猿から進化したものである事を示した。クロポトキンは、この辺りの事情にも深く踏み込んでいる。ダーウィン以前の、18世紀に『博物誌』を表したジョルジュ・ルイ・ビュフォンは近い構想を持って『博物誌』を書こうとしていたが当時の教会裁判所の圧力によって撤回を強制されたとし、また、1807年にはラマルク(シュバリエ・ラマクル/1744〜1829)が『動物哲学』を発表しており、いわゆるダーウィンの進化論以前に、既に、その兆候があった事をも指摘している。

また、『種の起原』が示した自然淘汰論の概要はダーウィンによる単独のものではなく、ウォレス(アルフレッド・ラッセル・ウォレス)の理論とを一つの論文にまとめたて発表された経緯があった事にも言及している。

『種の起原』発表後、ダーウィン主義(ダーウィニズム)は、教会裁判所等の対決に勝利したが、ダーウィン主義そのものは、誤まった自然淘汰論の解釈をしたと指摘する。クロポトキンはダーウィンの理解していた事柄の中には、既に相互扶助本能の進化が動物社会を形成しているという事柄も含まれていたのに、オーギュスト・コントは、それを理解せぬまま、ダーウィン主義を科学的見地として切り取り、そのまま「実証哲学」としたと批判する。

また、ハーバート・スペンサーの「総合哲学」はコントよりも一歩前進を示したが、スペンサーもコントと同様に、人間の諸制度の研究に当たって欺瞞から生じた先入観を払拭し切れずに、失敗したと批判する。

少し引用です。

スペンサーは、未開人の原始的制度を研究する為に、もっとも不適当な人物であったことも付言する必要がある。この点で彼は、大半のイギリス人に共通の欠陥――つまり、他国民の習俗や慣習についての無理解をば、さらに一段と拡大しているのだ。ジェームズ・ノールズのように、きわめて聡明かつ慧眼なイギリス人も、かつて私にこう語ったことがある。「われわれはローマ法的人間であるのに、アイルランド人は慣習法の人間である。だからこそ、われわれは、相互理解を阻まれている」と。だが、異質の文明を理解しえないというこの特性は、ひとたびイギリス人が「劣等人種」と呼んでいる人たちに関する段になると、さらにいっそう明白なものになる。スペンサーの場合も、まさにそうであった。アイスランドの神話の英雄たちが義務とみなした「血讐」を、彼は全く理解できなかったし、また、中世都市における闘争にいろどられた、そして、それだけに進歩的な波瀾万丈の生活をも、彼は理解する能力を持たなかった。〜略〜彼は、そらのうちに野蛮、未開、残酷性を見いだしたにすぎなかった。

更に、最も重大な誤謬として狎限原チ茘瓩琉嫐のスペンサーら、多くのダーウィン主義者は取り違えていると指摘する。

スペンサーは、他の多くの人たちと軸を一にして、「生存競争」という意味を全く不当な仕方でとらえていた。つまり、彼は、異種の動物間における闘い〔狼が兎を捕まえて食い、多くの鳥類が昆虫を食って生きている、など〕のみならず、おのおのの種の内部で、同一の種に属する各個体のあいだにおける生存手段をめぐる激しい闘いとして、「生存競争」を解していたのである。

〜略〜

『種の起原』が現れてから十二年を経て、ダーウィンが『人類の起原』を書いたとき、彼は生存競争という概念をおのおのの種の内部における激烈な闘争というよりも、はるかに広範で、より比喩的な意味で解していたこと、これである。例えば、彼は、この第二番目の著作のなかで、こうていた。「相互的同情と社会性の感情がもっともよく発達している動物の種は、自己の生存を保持し、かつ多数の子孫を残す、より多くの機会を持つ」と。そして彼は、おのおのの個体が持つ社会的本能が、自己保存の本能よりも、より強力かつ恒常的で、しかも、より活発であるという理念を展開さえしたのである。このような見解は、若干の「ダーウィン主義者たち」が語っているのとは全く逆なのだ。

これらを下地として1890年にクロポトキンは『相互扶助論』を著した。クロポトキンに拠れば、18世紀中頃、博物学が成立しかけていた頃は正確に科学が機能し、それが認識され、一般化されつつあったが、フランス革命の失敗の後には反動の気運が上がり、その反動気運の中で、一般化するには値しない仮説が一般化され、そのまま、それが社会科学として定着してしまったと指摘する。物理学の分野は徹底した帰納法によって原理を抽出し、その原理が完全であると認められるなら一般化するという手法が貫徹されるが、社会学や哲学、或いは自然科学といった分野では、その徹底が崩れ、そのまま社会学や政治学が組み立てられてしまっていると指摘しているのだ。

また、このクロポトキンが指摘している箇所は、利己的遺伝子論が発達した現在にあっても、「利己的遺伝子とミーム(文化を保存しようとする何か)」との関係に似たものと我々は眺めることが出来る。リチャード・ドーキンスも自らが提唱した利己的遺伝子論によって、全ては利己的に振る舞おうとする原理を提唱し、それは精子レベルでも「万人による万人の戦い」である一例を証明できるようになっている。しかし、それでも、ドーキンスはミーム(meme)の重要性を認めている。ドーキンスは、ヒトの行動原理は総じて遺伝子のコピーであるとしながらも、この【ミーム】という言葉を使用して、「社会的意義・意味のある行動をとるような何かがある」というように説明しており、ミームは事と次第によっては、単純な遺伝子コピーよりも大きな意味合いを持つかも知れないぐらいに述べられている。

この「生存競争」や「自然淘汰論」というのは、しばしば巷間では、鍛錬に鍛錬、決闘に決闘を繰り返して生き残った者が生き残るべきであるという弱肉強食論に書き換えられているシーンを我々は目にしていると思う。百獣の王ライオンがシマウマのような獲物を追い掛けて、そして食らうといった映像を好み、ライオンのように強くなるべきだと夢想する。淘汰論といった場合、その者の弱さ故に淘汰されるのは必然なのだの意味で淘汰論を使用しているケースが多い。しかし、社会秩序、自然界の秩序というものは、実は、それのみを指し示して居ないんですよね。そもそも自然淘汰論にしても、自然災害のようなものに見舞われたらライオンのような強者とて絶滅する可能性があるというのが自然の摂理である。偶々、生き残った者が自然淘汰論の中で生き残っているだけであるという事実を認めようとしない。ヒトとは、自分が優れているから生き残ったのだと考えたがってしまう生き物なのだ。

一面的な自然淘汰論の切り取りで、しばしば、弱い者は強い者に食われるべきだという具合に曲解して語られてしまっているのが今でも現実なのだ。自然界の調和、森の中の調和なんていう事を考えない。確かに利己的遺伝子論は有力であり、各個の遺伝子は「自らを複製すること」を目的とした利己的な設計を持っている可能性は高いのですが、では、それよりも鳥瞰して犲然界瓩筬狎こΝ瓩鯆めた場合の犲然界は調和されている瓩箸い実相には気付かない。「産めよ、増やせよ、地を従えよ」という迷信から脱却せぬままなのだ。だから、現在でも「経済は成長・膨張を続けるしかないのです。人口も増やすべきなのです」という神話から抜け出せないままに、哲学も政治も動かされてしまっているという事に気付かされる。丁度、いいバランスを模索することを否定しまっているのだ。

◆リヴァイアサン批判

クロポトキンの場合、一部のダーウィン主義者を批判し、次に、その批判の矛先はイギリス人の哲学者トマス・ホッブスの「万人による万人の戦い」(万人による各人の戦い)に向けられる。ダーウィンを曲解してしまった一部の主義者らによって「万人の各人による戦い」が一般化し、それこそが自然原理であると誤解されてしまった、と。

つまり、ホッブスが提唱した原始的自然状態では「万人による万人の戦い」という前提で、政治哲学なり社会哲学が為され、そこで海獣リヴァイアサンを必要とする社会契約論、そちらの系譜の自由主義が成立すると説明している。

リヴァイアサン主義者らは、言う。

「強大な権力を有するリヴァイアサンが自由を実現する為には必要である」

――と。

これはダーウィニズム批判と連続してのリヴァイアサン批判になっています。ダーウィニズム批判で展開した通りで、自然界の中で弱肉強食の法則は自然界の一法則であるが、自然界の総体は調和である、と。なのに、ホッブスは進化論を誤まって解釈し、その弱肉強食の原理を発見すると早合点して、その原理を一般化してしまい、そのまま、無批判のままスペンサーやコントといった哲学に応用され、リヴァイアサンを肯定する哲学が確立され、その挙げ句にルソーに拠って社会契約論が展開されてしまったと説明している。

(社会契約論については既に文字数を割いた通りですが、その辺りから自由主義思想はアナーキズムという双子を産み落とす。自由を希求するのであればリヴァイアサンという絶対的権威、それも暴力を伴う処罰装置に監視されての自由という事になってしまう。)

リヴァイアサン批判になりますが、これは黒色思想、アナーキズムの最大の特徴でしょう。権威なんてものはロクなものではなく、自然と上手に共生してゆく事を理想としている。クロポトキンにしても、この思想の起源を語って、老子の老聃(ろうたん)、キュレネ派の始祖アリスティポス(ソクラテスの弟子の快楽主義。リビア沿岸を拠点)、キニク学派(犬儒派。こちらもソクラテスの弟子の快楽主義。ギリシャを拠点)、ストア学派の始祖ゼノンのなどを挙げている。権力機構が成立して、殆んど期間を置くことなく、この反権力思想は一貫して、この世に存在し、そこら中に浸透し、敷衍している、とする。

(福沢諭吉あたりでさえ、「究極的には国家なんてない方がいい」と洩らしていたといい、また反権力思想は、ロックンロール全般がそういう感じだし、民衆の怨みや憂鬱をも含めればブルースと呼ばれる音楽ジャンル全般も、反権力的な何かであったりする。)

近代アナーキズムの中では「強大な権力を持たせて、そのリヴァイアサンの暴力支配による統治論」に牙を剥いたのが、近代アナーキズムであるという風に説明されている。(反権力こそが、この思想の源泉であるとした場合、実は膨大な人たちが実はアナーキズムを秘めていることになる。)何故、強大なリヴァイアサンの暴力装置の下に統治される事を、今日の人類は幸福論としてしまったのかという、大きなテーマでもある。

昨今、「福祉こそが政治の役割である」とか「国家は福祉の為にある」という言説が溢れていますが、この福祉という概念は、よくよく調べてみると色々な問題がある。クロポトキンあたりが非常に緻密・精密に指摘している気がしますが、福祉国家というものは、国家が国家として小さな幸福を国民に分配するというシステムであり、もう、どうしようもなくリヴァイアサン容認の思考回路なのだ。どう考えても、主権をリヴァイアサンに預けてしまう事を前提にした自由主義思想で、しかも、それに配分してもらおうというのが今日的な福祉の意でしょう。

しかし、それはリヴァイアサンという強大な海獣の下の分配論としての幸福論(幸福=福祉)なのだ。完全に草の民、民主主義国家の国民は、自らの自由をリヴァイアサンに委ねてしまおうとしている。これは自由主義は自由主義でもアメリカの建国精神のジョン・ロックの政治哲学とは異なる、トマス・ホッブスのリヴァイアサンへの擦り寄りだ。

この分配論は、ホッブスの系譜、つまり、リヴァイアサンの政治哲学でしか成立しない。もう、これをやってしまうと「小さな政府」を標榜する展開が難しくなってしまうでしょう。リベラルを旗印にしているものの、これの何が自由主義なのだろうかという話になってしまう。

米国の銃規制が緩い話にも実は通じていて、古き良きアメリカというのは開拓者の国であり、アメリカ移民は自らの手によって開拓を果たしたという自負があり、それはアイデンティティーにもなっている。実は反逆する権利までもをジョン・ロックが認めていたのだ。それが自由主義というものの本質でもある。個人が銃を所持し、州は州兵を持っている。現在のリベラル主義の観点からすれば、理解に苦しむテーマでもあるのですが、多分に伝統文化が反映されてしまっているのは事実であり、そういう自分の身は自分で守るというエートスが無いと、実は自由主義思想は成立しない可能性がある。勿論、これは思想的背景としてであり、「現状を考慮して何とかしてくれ!」が主流でしょうけど、その話ではなく、自由主義というものの思想の原理が、よく表れている事例でしょう。

クロポトキンの解説に沿って述べると、元々は革命思想という革命思想は「社会をよりよいものにしましょう」というところからスタートしている。何故、そうなったのかというと、各種の封建制に対しての不満が高まる中で、そういう政治体制や社会制度が望まれたからなのだ。これを政治思想という段階に下ろしたときに、社会主義思想と自由主義とが生まれたとする。クロポトキンは社会主義思想が先であったかのように読める指摘をしていたと思いますが、まぁ、言わんとしていることは理解できますやね。スタートは「社会をよりよいものに」というものであった。

で、それは多くのケースでは、圧政からの解放を意味していたので、それは自由主義的な傾向があったのだ。「解放=自由」だ。なので多くの革命とは自由を勝ち取る為、好ましい社会体制を構築する為に為されているのが人類規模で眺めた場合の真実なのだ。対立する概念、対決する為の概念ではない。なので、実際に社会主義思想家は結構、イギリス人の中にも多い。

問題はホッブスにある。ホッブスは自然状態で人間社会は「万人の万人による戦い」と前提してしまった。前章のダーウィニスト批判と重複することになりますが、つまりは、ダーウィンの進化論を読み間違え、ロクに検証せずに、それが一般化された自然科学であると解釈してしまったのだ。ホントは、万人の万人による戦いは誤まりなのだとするのがクロポトキンの主張である。何故なら、生物や未開人を観察してみても、殺し合いを絶えず繰り返してる訳がないのは自明だから。また、弱い生物は弱い生物なり進化しているので、生物界にも共生関係が確認できるし、社会性を有している動物なんてもの実在するというのが自然科学の真実なのだ。また、未開人らは部族を形成している。

隣人同士で殺し合いなんて事はしていないばかりか、原始共産主義という言葉があるように、実は一つの共同体として、(私有することなく)、助け合いながら生活しているという習俗こそが、自然な姿なのだ。

原始共産主義とは「非所有」を指す。原始社会では原則的に私的所有の習慣や、概念そのものがない為、その土地は誰の土地でもない。いわゆるマルクス主義的な共産主義イデオロギーの「共産主義」も、これが源義ですやね。ただし、「国家のものとする」と「誰のものでもない」とでは違いがある。プルードン、バクーニン、クロポトンは後者。「あみん」が歌った「あーおーく、広い、このそ〜ら〜 誰のものでもないわ〜」ですね。

しかし、ホッブスはそれらの誤謬に気付かず、自然界とは「万人の万人による戦い」という法則性によって編成されているという稚拙な過ちを犯し、それに基づいて社会制度の設計をし、その上でのリヴァイアサンなのだ。

強大な海獣リヴァイアサンに人々は権限を委譲しなければならない、従わない者は大海獣リヴァイアサンによって罰せられるという、そうした強大な権力を国家に持たせる事を前提にした政治体制を提唱した。で、そのまま、ルソーの社会契約論と混ぜてしまっているから、システム設計の中から、ごっそりと共生原理が抜け落ちてしまっている。

勿論、その怪獣リヴァイアサンの正体とは、犢餡鉢瓩筬狎府瓩箸い辰薪治機構の事なのだとする。

アナーキズム思想、特にクロポトキンの思想は「奇麗すぎる!」という批判もあるようなんですが、よぉぉぉく考えてみると、世界大戦のようなものを起こしたもの、その主体は何であったかと考えると、その正体ってのは確かに――。

◆クロポトキンの歩み

ピョートル・アレクセイヴィチ・クロポトキンは1842年、モスクワ生まれている。家系はロシア屈指の名門であり、その先祖はリューリック王朝の一門、スモレンスク大公に遡る名門貴族であったという。また、ピョートルの父のアレクセイは、1828年の露土戦争、1861年のポーランド反乱鎮圧に参加した軍人であり、最終的な位階は将軍である。



1850年、ピョートル・クロポトキンは8歳のときに、皇帝ニコライ一世の目に留まり、皇帝じきじきの命令で近侍学校への入学が決定した。その学校は特権的な宮廷学校であり、当時のロシアに於いては最上のエリートコースであるという。

1857年、15歳時に近侍学校に入学。クロポトキンは数学、物理学、天文学の研究に没頭。また、自然淘汰論(進化論)のチャールズ・ダーウィンに影響され、元々、宗教嫌いであったところに進化論の影響を受けて思想に変化があったと推測されるという。

1861年、19歳。まだ、近侍学校に在学の状態で、成績が首席であった為に曹長に任命される。この頃のロシアは各地の大学では自由主義を模索する学生運動が発生していたので、政府は弾圧を強化していた。

1862年、20歳。近侍学校を首席で卒業する。クロポトキンは将来を嘱望されるエリート中のエリートであったが、意表を突いてシベリア連隊のコサック騎兵隊付き士官を希望。以降、1866年までの間、クロポトキンはシベリアで軍隊に勤務する傍ら、各地で地理的調査に従事する。

1867年、25歳時に退役。退役後にペテルブルク大学の物理・数学科へ入学すると同時に、ロシア地理学会の地勢科幹事となる。探検報告書を発表し、地理学者としての名声が確立する。

1871年、29歳。フィンランドの調査旅行中に地理学会幹事への任命電報が届いたが、この頃、クロポトキンは一片のパンをも得ることができない困窮民たちの生活を知り、安楽な椅子、地位と名声を蹴飛ばして、革命家になる決断をする。

1872年、30歳。クロポトキンはスイスのチューリッヒを訪れ、そこで留学生らとの交流の中から、バクーニンやラブロフの革命理論を知る。ジュネーヴではマルクス派のウティンとも交流を持ったが、クロポトキンはバクーニン派の献身的な生活態度と革命理論に惹かれ、そのまま、スイスのジュラ山地の労働者たちと共に生活をするようになる。

1874年、32歳。クロポトキンは革命運動によって逮捕、禁固される。しかし、ロシア科学界がクロポトキン解放の嘆願運動が起こる。皇帝によって特例として獄中で紙とペンが与えられ、クロポトキンは獄中でロシア地理学会の研究報告書を書く。

1876年、34歳。壊血病を患い、裁判所付の病院へ移される。その病院から同志たちの助力を経て、脱走に成功する。フィンランド経由でスウェーデンに亡命する。

1877年、35歳。ロンドンへ渡って、大英博物館でフランス革命の研究を行なう。

1878年、36歳。スイスへ戻る。このころ、ドイツ皇帝、スペイン王、イタリア王に対しての暗殺未遂事件が次々と起こる。スイスはバクーニン派の拠点になっていた為にスイスは各国から圧力をかけられた為、バクーニンの直弟子たちがスイスを追われる。その結果、クロポトキンがアナーキスト運動の指導者に祀り上げられてしまう。

1879年、37歳。クロポトキン自らが半分のページを執筆した雑誌「反逆者」を発行、大成功を収める。そこに収められた論文、『反逆者の言葉』、『青年に訴う』は世界各国に翻訳された。(日本では大杉栄が『青年に訴う』を翻訳。)イタリア、フランス、スイス、スペインなどでアナーキスト運動の再編が起こる。

1881年、39歳。ロシア皇帝、アレクサンドル二世が、ナロードニキ(農民主体の改革運動)の一派である「人民の意志」党の手によって暗殺されるという大事件が発生する。このアレクサンドル二世は、ニコライ一世の次のロシア皇帝である。ロシア政府はスイス政府に強い圧力をかけて、これによってクロポトキンもスイスを追放処分となる。その後はロンドンで宣伝活動を行なうが手ごたえなし。

1882年、40歳。フランスのリヨンに移住。しかし、リヨンで労働者らに不穏な動きがあったとしてフランス当局は治安維持の必要性の為、アナーキスト60名を逮捕。クロポトキンも検挙される。

1883年、41歳。クロポトキンに5年の禁固刑判決が下り、リヨンの監獄に投獄される。しかし、不当な判決であるという抗議の声が世界各地から上がり、スペンサー、ユゴー、クレマンソーらの世界的名士までもが抗議活動に加わり、フランス政府に対してクロポトキンの釈放を要求する。フランス政府は釈放をしない代わりに、特別待遇をする事で措置とした。クロポトキンには書斎を与え、更にフランス科学アカデミーもクロポトキンの為に図書館を開放した。また、食事には葡萄酒がつけられ、喫煙も認められる優遇措置を勝ち取った。

1886年、44歳。三年間の禁固の後、フランス政府は抗議の声にうんざりしたのかクロポトキンを釈放する。釈放されたクロポトキンは「監獄とは国家によって支持された犯罪の大学である」と結論する書籍を著す。

この後は、イギリスで執筆活動に専念する。『パンの略取』を1892年に、『田園・工場・仕事場』を1898年に、『相互互助論』を1902年に、『近代科学とアナーキズム』を1912年に、それぞれ出版。

1917年、75歳のとき、祖国ロシアに於いて、二月革命(ロシア革命)が起こり、40年ぶりにロシアに帰国を果たす。十月革命後に革命家を引退。

1918年、モスクワ近郊のドミトロフ村の寓居にて『倫理学』を執筆。

1921年2月8日、79歳にて逝去。クロポトキンの逝去が知れると時のボルシェビキ政権は国葬を申し出たが、クロポトキンの側近らが国葬を拒絶。葬送は一般市民の参列のもと行われたが、これが熱狂的な政治デモへと発展してしまい、ボルシェビキ政権(ソビエト)にアナーキスト弾圧の口実を与えてしまう。以降、アナーキスト系の社会主義者は大々的な弾圧に晒され、その灯が消える。

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