ブルーハーツの映像を視ていて、いつもコーフンが収まらなくなる。これは何だろうと、しばしば考える事があって、最近、偶々、視聴したブルーハーツの活動全般を追ったドキュメンタリー映画「ブルーハーツが聴こえない」を視聴後にブルーハーツのCDを意図的に聴くようにしていたのですが、そうなると歌詞が気になって気になって仕方がない。どうして、こんな凄い詩が書けるのだろう? これは殆んど理屈抜きの次元で「凄い」と感じたのかな。
この度、2020年10月刊行の陣野俊史著『ザ・ブルーハーツ〜ドブネズミの伝説』(河出書房新社)に目を通したのですが、想像以上に「ブルーハーツがヤバすぎる」と気付く事となりました。これは年甲斐もなく「凄い」とか「ヤバい」と言っているのではありませんで、実は、そうした抽象的な言葉でしか、その真相について語りようがないという事に気付かされてしまったの意でもある。
「ブルーハーツなんて、そんな凄かったっけ? 或る種、バブル症候群とか中高年の懐古趣味なのでは?」という手合いも多いと思うし、そもそもブルーハーツと全く接点がないという人も2021年の現在ともなると、決して少なくないハズなんですが、実はブルーハーツだけは何か別次元の境地に達する何かであったのは間違いない。
或るテレビ番組で、あの「ビートたけし」が憧れた有名人の名として「甲本ヒロト」の名前を挙げたという。その番組を視聴していないものの、その実、その一連を聴いて「有り得るかな」と合点することができてしまった。ホンモノの頂点みたいなものを究めた何かである。映画「ブルーハーツが聴こえない」の中では、俳優の萩原聖人さんがナレーションを担当し、随処に「一度だけ出したファンレター」というものが読み上げられる。ブルーハーツにファンレターを書いていた人物として「ダンプ松本」や「大森うたえもん」なんて名前が浮かび上がり、ファンレターが読み上げられる。或る種、ブルーハーツが人々を熱狂させた現象、これを仮に「ブルハ現象」と呼ぶとすれば、ブルハ現象は単なる熱狂という現象だけだったとは言い切れそうもないのだ。そこには、その奇跡的な何かが秘められている。
数多の虚像が何かしら像(イメージ)を創り出す。そうした像は、言ってしまえば偶像であるが、ブルハーツ現象の場合、それら偶像と信者という、その関係を越えていた事に気付かされる。
♪
終らない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終らない歌を歌おう すべてのクズどもの為に
終らない歌を歌おう 僕や君や彼等の為
終らない歌を歌おう 明日には笑えるように
世の中に冷たくされて 一人ぼっちで泣いた夜
もうダメだと思う事は これまで何度でもあった
ホントの瞬間はいつも 死ぬほど怖いものだから
逃げ出したくなった事は 今まで何度でもあった
終らない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終らない歌を歌おう すべてのクズどもの為に
終らない歌を歌おう 僕や君は彼等の為
終らない歌を歌おう 明日には笑えるように
とは「終わらない歌を歌おう」という楽曲の一節である。そんな歌詞に眉を顰める者だって少なくはないのが世の中であるが、ブルハーツの世界は一貫して、挑発的な文言を唄っておりながら、それでいて全く以って、やさしい、なんで、こんなにやさしい歌なんだろうってなってしまう、不思議な魅力がある。
『ドブネズミの伝説』では、現在は歌人・穂村弘さんとブルーハーツとの出会いについても、それが引用されていました。穂村さんが、当時のガールフレンドが住んでいるアパートを訪ねてみると、そのガールフレンドが一言も発することなく、穂村さんの腕を掴んで部屋に通したという。そこにはビデオテープがセットされたテレビがあり、そこで視る事になったのはブルーハーツの日比谷野音で行なわれたコンサート映像、いわゆるライヴ映像のビデオであったという。穂村さんは、そのビデオを視聴していたらなんだか理由も分からないままに涙が止まらくなり、そのまま、5〜6回も繰り返し繰り返しライヴ映像を再生したという。これ、先日、私が視聴した感慨にも近い。よく理由は分からない。しかし、凄いのだ。そしてなんだか感動してしまうのだ。やはり、私だけではないのだなと確認できてしまった。しばしば、こういう話は、或る種の信者が信者という立ち位置でもって大袈裟に誇張したりする事も少なくないのですが、どうも違うんですね。ガチ中のガチ。何がどう凄いのか分からないのでモヤモヤし、よく分からないのだが、そのライヴ映像などは圧倒的に凄い何かを帯びている。
そして、この陣野俊史著『ドブネズミの伝説』にしても、さすがに、これは過大解釈なのではないかと疑いながら目を通していくことになりましたが、読み終えてみると、複雑な感慨が沸き起こる。大雑把には7割に賛成、1割に反対、残り2割は「私のブルハも残しておいてくれよ」という感慨。
先ず、甲本ヒロトさんですが、ブルーハーツ結成前の一時期、法政大学中退後と思われますが、どうもホントにテキヤ稼業のような事していたらしい事が記されている。これは「渥美清」と同じような経歴という事になるのかも知れませんが、これが何を意味しているのかというと、あのヒロトのキャラは、演じられた何かではなく、実際に世の中で「ドブネズミ」と呼ばれるような人たちや、クズ呼ばわりされている人たちを身近なところで目撃してきた人物であるという。しかも、この逸話にしてもファッションではないし、プロモーションでもなく、プロパガンダでもない。渥美清のケースと同じで、成功してしまった以上は、あまり取り上げるべきではない事柄という事になる。
そうなると、
♪
ドブネズミみたいに 美しくなりたい
写真には写らない 美しさがあるから
といったブルハ現象と深く関係している、あの謎の世界と深く関係している事が分かる。何かしらの比喩ではなく、ヒロトは本気も本気で「ドブネズミは美しい」と考えている可能性が高い。
戦後日本の思想史のようなものを紡いでいこうとすると、「どこかの時点でイデオロギーはサブカルチャーに吸収されて消えてなくなった」という説明に直面する事になる。その辺りついても、モヤモヤする事がある。或る時代から識者は古典ではなく、アニメーションを引用して物事の説明をするようになり、そうした論者が何故か御意見番のような地位までを占めるようになり、あちらこちらで持て囃せ始める。そういうサブカル評論家が増殖し、主導権を握り、業界然として構え、若者論や政治や時事問題の主導権も握ってしまったという不可解がある。単なるアニメオタクにも思えるし、単なる洋画マニアにも思えるし、単なる音楽オタクな人たちであるが、どうしようもなく、泥臭いイデオロギーで物事を語ろうとする事は古くさくなってしまい、雨後のタケノコのように生まれては消えてゆくかのような時代の落とし子たちが、諸々の世論をリードするカリスマに祀り上げられるようになってゆく。確かに、今、「思想家」という肩書きで物事をテレビで論じている人物って、きっと見当たりませんね。反面、大学教授などの肩書きを有するテレビ的な御用学者というものがつくられるようになった。最早、誰も危険な真実には言及しない時代になってしまった。
シマッタと感じたのは、そこでした。ブルーハーツが、戦後思想史に於ける「イデオロギーを吸収したサブカルチャー」の大きな何かであった事に、今更ながらに気付かされてしまった。思想性はないと述べるべきなのですが、そうではない。しかも、どうも実際には濃密すぎるほどにブルーハーツはメッセージ性を有し、しかも圧倒的な共感力を喚起させる秘密を有していた。穂村さんのように涙が溢れて止まらなくなってしまったというタイプの人は、おそらく、ブルーハーツのライヴから何かを感じ取れてしまった人たちの反応なのだ。歌詞としては「常識的には汚い言葉」を使用しながらも、実は圧倒的な理想世界を唄っている。その奥底にある本質を感覚という次元で触れ、触れてしまったが故に、言葉にならない感動が溢れて来てしまうのだ。これはホンモノだ。ホントの理想を唄えてしまっている人たちがいるじゃないか…という衝撃。
誰かが線をひきやがる
騒ぎのドサクサにまぎれ
誰かがオレをみはってる
遠い空の彼方から
とは「チェルノブイリ」の歌詞である。出だしの「誰かが線を引きやがる」なんてフレーズは、現在進行形の所得制限うんぬん、この線から上の人にはこうするが、この線の下の人にはこうするという今風の「線引き」の問題である。「勝手に線を引くな!」という怒りは、ホントは普遍性のある怒りでしょう。そして「ラインを越えて」という歌もある。
色んな事をあきらめて 言い訳ばっかりうまくなり
責任逃れで笑ってりゃ 自由はどんどん遠ざかる
カネがモノをいう世の中で 爆弾抱えたジェット機が
僕のこの胸を突き抜けて あぶない角度で飛んで行く
満員電車の中 くたびれた顔をして
夕刊フジを読みながら 老いぼれていくのはゴメンだ
これらは、ざっと35年以上も昔につくられ、唄われていた曲であるが、「色んな事を諦めて、言い訳ばっかり巧くなり、責任逃れで笑っているので、どんどん自由は遠くなる」と意味をきちんと追ってしまうと、令和3年の最先端の現代批判である事に気付かされてしまう。この「ラインを越えて」という楽曲の歌詞は、よくよく時代考証をしてしまうと、その当時の自衛隊派遣を巡る批判であったり、或いは原発問題を巡る批判を忍び込ませた歌詞であったが、その実、普遍性のある歌詞にしてあるので時代を経ても尚も通用してしまうのだ。
ヒロト(甲本ヒロト)については余りにも複雑であるが、マーシーこと真島昌利の書いた歌詞がキレキレなのは、種明かしもされている。マーシーは、どうも文学青年の一面を有しており、実際に中原中也の詩をモジった歌詞を書いたり、その詩の一節がプリントされたTシャツでステージに立ったこともあるなど文学的素養から組み立てられているという。なにも中原中也に限らった次元ではなく、どうもマーシーの思想的なバックボーンは文学分野に限ったものではなく、想像以上に、かなり重厚であるらしいことも想像できてしまう。
イデオロギーについては細かくは触れないものとするも、「チェルノブイリ」は80年代に実際に起こっていた日本の世論と関係しており、「ラインを越えて」についても自衛隊の中東派遣問題と関係している事が実は年譜と比較してしまえば、歴然である。しかし、ブルーハーツの面々は頑なに「俺たちを社会派と呼ぶな!」と釘を刺し続けた。確かにブルーハーツは「社会派のパンクロック」という括りで済むような何かではなく、もっともっと照準は大きいところにあったという。マーシーは、ブルーハーツを発足させ、その2年後はローリングストーンズの前座にまでのし上がってみせると考えていたという。照準は、そもそも日本の頂点になることではなく、世界の頂点になろうとしていたという、そういう次元の人たちだったのだ。
抽象的な詩だからこそ、時代を越えても尚も現代批判としてブレない。これはおかしな事ではないと思う。批判精神というのは一つの事象への批判でありながら、おそらく時代を越えていく部分がある。裏返せば、巧妙に切り取っているという事の証拠でもある。しかも、歌(歌詞)にしても詩にしても、どちらかとえいば、読み手の解釈に委ねられる余地がある分野なのだ。いつの時代にも、どこの世界にも孤独があり、怒りがあり、悲しみがあり、気落ちしている人たちがあり、ささやかな幸せを祈る人たちがいる。それらを、ごっそりと射程に収めている世界観である――という事なのだ。(長くなってはいけないので、細かい話は後に譲りますが…)
どこか朴訥としたところがありながらも破格のボーカリストであるヒロトの世界と、ロックを体現したようなマーシーの世界がある。ブルーハーツとは、ヒロトにマーシー、それと「梶くん」と「河ちゃん」の4名から構成された四人組のロックバンドであり、総じてパンクロックと呼ばれるバンドである。しかし、中核になっているのはマーシーとヒロト、もしくはヒロトとマーシーである。
ドブネズミ伝説の始まりは、マーシーがヒロトに一緒にバンドをやろうと誘いかけた事から始まったと考えらえる。
ヒロトは岡山県のクリーニング店の子として育って、東京で音楽をやりたいと欲する。進学する口実の為に法政大学に入学、上京を果たす。しかし、本気で大学を出る気はなかったらしく、2年時に中退し、その後はバンド活動をしてライヴハウスには出ていた。ブルハ結成以前の時代、別のバンドの時代に既に「NO NO NO NO」や「少年の詩」を唄っていたという。この2曲はブルハとしてデビュー後にも、会場を沸かせた名曲である。なんとも手短には形容しがたい楽曲であるが名曲である事には変わりはない。
そんなヒロトであったが、或る時期からスランプになり、曲を書けなくなり、自堕落な生活を送り始める。それでも、このスランプ期間中に後に大ヒット曲となる「人にやさしく」を書いている。
♪
気ーがー狂いそう やさしい歌が好きで
ああ、あなたにも聞かせたい
このままボクは 汗をかいて生きよう
ああ、いつまでもこのままさ
ボクはいつでも 歌を歌うときは
マイクフォンの中から ガンバレって言っている
聞こえて欲しい あなたにも
ヒロトの自堕落は本格的なもので、スキンヘッドでは済まずに眉毛をも剃り落とし、テキヤの一団でたこ焼きを売るなどして糊口をしのいでいたが、万年、金欠状態という生活をしていたという。ヒロトという人物のキャラクターを想像できれば、理解できるかも知れないが、この頃のヒロトは、あの岡山訛りの口調で「洞穴があれば、そこで暮らしたい」と発言していたらしく、実際、そういう状態だったという。
甲本ヒロトというボーカリストには異様な雰囲気がつきまとっており、そして、信じられないほどに真っ直ぐに、朴訥な歌詞を歌い上げる。巧拙という次元を超えてしまっている、あの迫力と、あの、何か分からない異様なやさしさは、当の甲本ヒロト自身がホントの意味での「どん底」を知っている人物であるからなのかも知れないと今更ながらに気付かされる。
1984年のクリスマスイヴの夜に、音楽仲間が集まって飲み会をしていると、マーシーが、それまで、やはり、別のバンドでギターを担当していたが、バンドを辞めると切り出したという。既に、マーシーの所属していたバンドはプロデビュー確実と言われていたらしく、そのバンドを辞めるというマーシーをヒロトは訝しく思ったが、マーシーは本気らしかった。そのバンドを辞めると言い出したマーシーは、次にはヒロトに声を掛けた。
「やろうよ、いっしょに」
「やってもいいけど。まあ、いいよぉ…」
という簡単なやり取りであった。ヒロトはかなり酔っていたらしい。
ヒロトは、この頃、東京は笹塚の殺風景な工場跡地に一人で住んでいた。イタズラされては困るから誰か、こんなところでも住んでくれるのであればという防犯になるという理由の、冗談のような物件であったらしい。クリスマスイヴに一緒に音楽をやろうといった約束をしたが、ヒロトの方は、いぜんとぶらぶらとした生活を続け、年が明けて1985年となり、2月になった頃、家財道具を売り払ったマーシーが、その工場跡地に押し掛けてきたという。
マーシーは、その工場跡地でヒロトと同居して音楽活動をする決心をしてきた。実際にマーシーは、この際、既に楽曲をつくってきたという。しかし、一方のヒロトは殻のような生活をしており、生活はお菓子を食べながらテレビを視るという怠惰な生活から抜け出せておらず、寝そべったまま、立ち上がろうとしなかったそうな。真正の、そういう人だったらしい。
或る時、マーシーは「今日の午後4時からミーティングをしよう」と告げると、ヒロトは「ばってんロボ丸がはじまるから」とゴロリと寝転がったまま、言った。マーシーは、ついに怒りを爆発させ、「こんなもんがあるからいけないんだ!」と言って、テレビのスイッチを切り、コンセントを抜き、更にそのテレビを担ぎ上げると、隣の部屋に運び出してしまったという。そのマーシーの態度で、ヒロトは覚醒した。
「そのときですよね。ああ、友だちをこんなに悲しい気持ちにさせちゃいけないとおもって。それからすぐに曲をふたつつくったの。できましたァって、マーシーにもってった」
そう、友だち(マーシー)を怒らせてしまった事とは、ヒロトからすれば《いい友達なのに怒るという事は悲しまてしまった事と同義である》という受け止め方になる。この出来事で、ようやく覚醒したヒロトは、これではいかんと慌てて、曲を書いた。そして、この時に書き上げて、ヒロトがマーシーの元に持っていった、その曲は「ブルーハーツのテーマ」と「リンダリンダ」であった――。
♪
ドーブーネーズミ みたいに 美しくなりーたいー
シャシンーにはー 写らない 美しさ・が・あ・る・か・らー
リンダ、リンダ、リンダ、リンダ、リンダ
リンダ、リンダ、リンダ、リンダ、リンダ
もしも僕がいつか君と 出会い、話し合うなら
そんな時は、どうか愛の 意味を 知ってください
愛じゃなくても 恋じゃなくても 君を離しはしない
決して負けない 強い力を 僕を一つだけ持つ
この度、2020年10月刊行の陣野俊史著『ザ・ブルーハーツ〜ドブネズミの伝説』(河出書房新社)に目を通したのですが、想像以上に「ブルーハーツがヤバすぎる」と気付く事となりました。これは年甲斐もなく「凄い」とか「ヤバい」と言っているのではありませんで、実は、そうした抽象的な言葉でしか、その真相について語りようがないという事に気付かされてしまったの意でもある。
「ブルーハーツなんて、そんな凄かったっけ? 或る種、バブル症候群とか中高年の懐古趣味なのでは?」という手合いも多いと思うし、そもそもブルーハーツと全く接点がないという人も2021年の現在ともなると、決して少なくないハズなんですが、実はブルーハーツだけは何か別次元の境地に達する何かであったのは間違いない。
或るテレビ番組で、あの「ビートたけし」が憧れた有名人の名として「甲本ヒロト」の名前を挙げたという。その番組を視聴していないものの、その実、その一連を聴いて「有り得るかな」と合点することができてしまった。ホンモノの頂点みたいなものを究めた何かである。映画「ブルーハーツが聴こえない」の中では、俳優の萩原聖人さんがナレーションを担当し、随処に「一度だけ出したファンレター」というものが読み上げられる。ブルーハーツにファンレターを書いていた人物として「ダンプ松本」や「大森うたえもん」なんて名前が浮かび上がり、ファンレターが読み上げられる。或る種、ブルーハーツが人々を熱狂させた現象、これを仮に「ブルハ現象」と呼ぶとすれば、ブルハ現象は単なる熱狂という現象だけだったとは言い切れそうもないのだ。そこには、その奇跡的な何かが秘められている。
数多の虚像が何かしら像(イメージ)を創り出す。そうした像は、言ってしまえば偶像であるが、ブルハーツ現象の場合、それら偶像と信者という、その関係を越えていた事に気付かされる。
♪
終らない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終らない歌を歌おう すべてのクズどもの為に
終らない歌を歌おう 僕や君や彼等の為
終らない歌を歌おう 明日には笑えるように
世の中に冷たくされて 一人ぼっちで泣いた夜
もうダメだと思う事は これまで何度でもあった
ホントの瞬間はいつも 死ぬほど怖いものだから
逃げ出したくなった事は 今まで何度でもあった
終らない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終らない歌を歌おう すべてのクズどもの為に
終らない歌を歌おう 僕や君は彼等の為
終らない歌を歌おう 明日には笑えるように
とは「終わらない歌を歌おう」という楽曲の一節である。そんな歌詞に眉を顰める者だって少なくはないのが世の中であるが、ブルハーツの世界は一貫して、挑発的な文言を唄っておりながら、それでいて全く以って、やさしい、なんで、こんなにやさしい歌なんだろうってなってしまう、不思議な魅力がある。
『ドブネズミの伝説』では、現在は歌人・穂村弘さんとブルーハーツとの出会いについても、それが引用されていました。穂村さんが、当時のガールフレンドが住んでいるアパートを訪ねてみると、そのガールフレンドが一言も発することなく、穂村さんの腕を掴んで部屋に通したという。そこにはビデオテープがセットされたテレビがあり、そこで視る事になったのはブルーハーツの日比谷野音で行なわれたコンサート映像、いわゆるライヴ映像のビデオであったという。穂村さんは、そのビデオを視聴していたらなんだか理由も分からないままに涙が止まらくなり、そのまま、5〜6回も繰り返し繰り返しライヴ映像を再生したという。これ、先日、私が視聴した感慨にも近い。よく理由は分からない。しかし、凄いのだ。そしてなんだか感動してしまうのだ。やはり、私だけではないのだなと確認できてしまった。しばしば、こういう話は、或る種の信者が信者という立ち位置でもって大袈裟に誇張したりする事も少なくないのですが、どうも違うんですね。ガチ中のガチ。何がどう凄いのか分からないのでモヤモヤし、よく分からないのだが、そのライヴ映像などは圧倒的に凄い何かを帯びている。
そして、この陣野俊史著『ドブネズミの伝説』にしても、さすがに、これは過大解釈なのではないかと疑いながら目を通していくことになりましたが、読み終えてみると、複雑な感慨が沸き起こる。大雑把には7割に賛成、1割に反対、残り2割は「私のブルハも残しておいてくれよ」という感慨。
先ず、甲本ヒロトさんですが、ブルーハーツ結成前の一時期、法政大学中退後と思われますが、どうもホントにテキヤ稼業のような事していたらしい事が記されている。これは「渥美清」と同じような経歴という事になるのかも知れませんが、これが何を意味しているのかというと、あのヒロトのキャラは、演じられた何かではなく、実際に世の中で「ドブネズミ」と呼ばれるような人たちや、クズ呼ばわりされている人たちを身近なところで目撃してきた人物であるという。しかも、この逸話にしてもファッションではないし、プロモーションでもなく、プロパガンダでもない。渥美清のケースと同じで、成功してしまった以上は、あまり取り上げるべきではない事柄という事になる。
そうなると、
♪
ドブネズミみたいに 美しくなりたい
写真には写らない 美しさがあるから
といったブルハ現象と深く関係している、あの謎の世界と深く関係している事が分かる。何かしらの比喩ではなく、ヒロトは本気も本気で「ドブネズミは美しい」と考えている可能性が高い。
戦後日本の思想史のようなものを紡いでいこうとすると、「どこかの時点でイデオロギーはサブカルチャーに吸収されて消えてなくなった」という説明に直面する事になる。その辺りついても、モヤモヤする事がある。或る時代から識者は古典ではなく、アニメーションを引用して物事の説明をするようになり、そうした論者が何故か御意見番のような地位までを占めるようになり、あちらこちらで持て囃せ始める。そういうサブカル評論家が増殖し、主導権を握り、業界然として構え、若者論や政治や時事問題の主導権も握ってしまったという不可解がある。単なるアニメオタクにも思えるし、単なる洋画マニアにも思えるし、単なる音楽オタクな人たちであるが、どうしようもなく、泥臭いイデオロギーで物事を語ろうとする事は古くさくなってしまい、雨後のタケノコのように生まれては消えてゆくかのような時代の落とし子たちが、諸々の世論をリードするカリスマに祀り上げられるようになってゆく。確かに、今、「思想家」という肩書きで物事をテレビで論じている人物って、きっと見当たりませんね。反面、大学教授などの肩書きを有するテレビ的な御用学者というものがつくられるようになった。最早、誰も危険な真実には言及しない時代になってしまった。
シマッタと感じたのは、そこでした。ブルーハーツが、戦後思想史に於ける「イデオロギーを吸収したサブカルチャー」の大きな何かであった事に、今更ながらに気付かされてしまった。思想性はないと述べるべきなのですが、そうではない。しかも、どうも実際には濃密すぎるほどにブルーハーツはメッセージ性を有し、しかも圧倒的な共感力を喚起させる秘密を有していた。穂村さんのように涙が溢れて止まらなくなってしまったというタイプの人は、おそらく、ブルーハーツのライヴから何かを感じ取れてしまった人たちの反応なのだ。歌詞としては「常識的には汚い言葉」を使用しながらも、実は圧倒的な理想世界を唄っている。その奥底にある本質を感覚という次元で触れ、触れてしまったが故に、言葉にならない感動が溢れて来てしまうのだ。これはホンモノだ。ホントの理想を唄えてしまっている人たちがいるじゃないか…という衝撃。
誰かが線をひきやがる
騒ぎのドサクサにまぎれ
誰かがオレをみはってる
遠い空の彼方から
とは「チェルノブイリ」の歌詞である。出だしの「誰かが線を引きやがる」なんてフレーズは、現在進行形の所得制限うんぬん、この線から上の人にはこうするが、この線の下の人にはこうするという今風の「線引き」の問題である。「勝手に線を引くな!」という怒りは、ホントは普遍性のある怒りでしょう。そして「ラインを越えて」という歌もある。
色んな事をあきらめて 言い訳ばっかりうまくなり
責任逃れで笑ってりゃ 自由はどんどん遠ざかる
カネがモノをいう世の中で 爆弾抱えたジェット機が
僕のこの胸を突き抜けて あぶない角度で飛んで行く
満員電車の中 くたびれた顔をして
夕刊フジを読みながら 老いぼれていくのはゴメンだ
これらは、ざっと35年以上も昔につくられ、唄われていた曲であるが、「色んな事を諦めて、言い訳ばっかり巧くなり、責任逃れで笑っているので、どんどん自由は遠くなる」と意味をきちんと追ってしまうと、令和3年の最先端の現代批判である事に気付かされてしまう。この「ラインを越えて」という楽曲の歌詞は、よくよく時代考証をしてしまうと、その当時の自衛隊派遣を巡る批判であったり、或いは原発問題を巡る批判を忍び込ませた歌詞であったが、その実、普遍性のある歌詞にしてあるので時代を経ても尚も通用してしまうのだ。
ヒロト(甲本ヒロト)については余りにも複雑であるが、マーシーこと真島昌利の書いた歌詞がキレキレなのは、種明かしもされている。マーシーは、どうも文学青年の一面を有しており、実際に中原中也の詩をモジった歌詞を書いたり、その詩の一節がプリントされたTシャツでステージに立ったこともあるなど文学的素養から組み立てられているという。なにも中原中也に限らった次元ではなく、どうもマーシーの思想的なバックボーンは文学分野に限ったものではなく、想像以上に、かなり重厚であるらしいことも想像できてしまう。
イデオロギーについては細かくは触れないものとするも、「チェルノブイリ」は80年代に実際に起こっていた日本の世論と関係しており、「ラインを越えて」についても自衛隊の中東派遣問題と関係している事が実は年譜と比較してしまえば、歴然である。しかし、ブルーハーツの面々は頑なに「俺たちを社会派と呼ぶな!」と釘を刺し続けた。確かにブルーハーツは「社会派のパンクロック」という括りで済むような何かではなく、もっともっと照準は大きいところにあったという。マーシーは、ブルーハーツを発足させ、その2年後はローリングストーンズの前座にまでのし上がってみせると考えていたという。照準は、そもそも日本の頂点になることではなく、世界の頂点になろうとしていたという、そういう次元の人たちだったのだ。
抽象的な詩だからこそ、時代を越えても尚も現代批判としてブレない。これはおかしな事ではないと思う。批判精神というのは一つの事象への批判でありながら、おそらく時代を越えていく部分がある。裏返せば、巧妙に切り取っているという事の証拠でもある。しかも、歌(歌詞)にしても詩にしても、どちらかとえいば、読み手の解釈に委ねられる余地がある分野なのだ。いつの時代にも、どこの世界にも孤独があり、怒りがあり、悲しみがあり、気落ちしている人たちがあり、ささやかな幸せを祈る人たちがいる。それらを、ごっそりと射程に収めている世界観である――という事なのだ。(長くなってはいけないので、細かい話は後に譲りますが…)
どこか朴訥としたところがありながらも破格のボーカリストであるヒロトの世界と、ロックを体現したようなマーシーの世界がある。ブルーハーツとは、ヒロトにマーシー、それと「梶くん」と「河ちゃん」の4名から構成された四人組のロックバンドであり、総じてパンクロックと呼ばれるバンドである。しかし、中核になっているのはマーシーとヒロト、もしくはヒロトとマーシーである。
ドブネズミ伝説の始まりは、マーシーがヒロトに一緒にバンドをやろうと誘いかけた事から始まったと考えらえる。
ヒロトは岡山県のクリーニング店の子として育って、東京で音楽をやりたいと欲する。進学する口実の為に法政大学に入学、上京を果たす。しかし、本気で大学を出る気はなかったらしく、2年時に中退し、その後はバンド活動をしてライヴハウスには出ていた。ブルハ結成以前の時代、別のバンドの時代に既に「NO NO NO NO」や「少年の詩」を唄っていたという。この2曲はブルハとしてデビュー後にも、会場を沸かせた名曲である。なんとも手短には形容しがたい楽曲であるが名曲である事には変わりはない。
そんなヒロトであったが、或る時期からスランプになり、曲を書けなくなり、自堕落な生活を送り始める。それでも、このスランプ期間中に後に大ヒット曲となる「人にやさしく」を書いている。
♪
気ーがー狂いそう やさしい歌が好きで
ああ、あなたにも聞かせたい
このままボクは 汗をかいて生きよう
ああ、いつまでもこのままさ
ボクはいつでも 歌を歌うときは
マイクフォンの中から ガンバレって言っている
聞こえて欲しい あなたにも
ヒロトの自堕落は本格的なもので、スキンヘッドでは済まずに眉毛をも剃り落とし、テキヤの一団でたこ焼きを売るなどして糊口をしのいでいたが、万年、金欠状態という生活をしていたという。ヒロトという人物のキャラクターを想像できれば、理解できるかも知れないが、この頃のヒロトは、あの岡山訛りの口調で「洞穴があれば、そこで暮らしたい」と発言していたらしく、実際、そういう状態だったという。
甲本ヒロトというボーカリストには異様な雰囲気がつきまとっており、そして、信じられないほどに真っ直ぐに、朴訥な歌詞を歌い上げる。巧拙という次元を超えてしまっている、あの迫力と、あの、何か分からない異様なやさしさは、当の甲本ヒロト自身がホントの意味での「どん底」を知っている人物であるからなのかも知れないと今更ながらに気付かされる。
1984年のクリスマスイヴの夜に、音楽仲間が集まって飲み会をしていると、マーシーが、それまで、やはり、別のバンドでギターを担当していたが、バンドを辞めると切り出したという。既に、マーシーの所属していたバンドはプロデビュー確実と言われていたらしく、そのバンドを辞めるというマーシーをヒロトは訝しく思ったが、マーシーは本気らしかった。そのバンドを辞めると言い出したマーシーは、次にはヒロトに声を掛けた。
「やろうよ、いっしょに」
「やってもいいけど。まあ、いいよぉ…」
という簡単なやり取りであった。ヒロトはかなり酔っていたらしい。
ヒロトは、この頃、東京は笹塚の殺風景な工場跡地に一人で住んでいた。イタズラされては困るから誰か、こんなところでも住んでくれるのであればという防犯になるという理由の、冗談のような物件であったらしい。クリスマスイヴに一緒に音楽をやろうといった約束をしたが、ヒロトの方は、いぜんとぶらぶらとした生活を続け、年が明けて1985年となり、2月になった頃、家財道具を売り払ったマーシーが、その工場跡地に押し掛けてきたという。
マーシーは、その工場跡地でヒロトと同居して音楽活動をする決心をしてきた。実際にマーシーは、この際、既に楽曲をつくってきたという。しかし、一方のヒロトは殻のような生活をしており、生活はお菓子を食べながらテレビを視るという怠惰な生活から抜け出せておらず、寝そべったまま、立ち上がろうとしなかったそうな。真正の、そういう人だったらしい。
或る時、マーシーは「今日の午後4時からミーティングをしよう」と告げると、ヒロトは「ばってんロボ丸がはじまるから」とゴロリと寝転がったまま、言った。マーシーは、ついに怒りを爆発させ、「こんなもんがあるからいけないんだ!」と言って、テレビのスイッチを切り、コンセントを抜き、更にそのテレビを担ぎ上げると、隣の部屋に運び出してしまったという。そのマーシーの態度で、ヒロトは覚醒した。
「そのときですよね。ああ、友だちをこんなに悲しい気持ちにさせちゃいけないとおもって。それからすぐに曲をふたつつくったの。できましたァって、マーシーにもってった」
そう、友だち(マーシー)を怒らせてしまった事とは、ヒロトからすれば《いい友達なのに怒るという事は悲しまてしまった事と同義である》という受け止め方になる。この出来事で、ようやく覚醒したヒロトは、これではいかんと慌てて、曲を書いた。そして、この時に書き上げて、ヒロトがマーシーの元に持っていった、その曲は「ブルーハーツのテーマ」と「リンダリンダ」であった――。
♪
ドーブーネーズミ みたいに 美しくなりーたいー
シャシンーにはー 写らない 美しさ・が・あ・る・か・らー
リンダ、リンダ、リンダ、リンダ、リンダ
リンダ、リンダ、リンダ、リンダ、リンダ
もしも僕がいつか君と 出会い、話し合うなら
そんな時は、どうか愛の 意味を 知ってください
愛じゃなくても 恋じゃなくても 君を離しはしない
決して負けない 強い力を 僕を一つだけ持つ