どーか誰にも見つかりませんようにブログ

人知れず世相を嘆き、笑い、泣き、怒り、呪い、足の小指を柱のカドにぶつけ、SOSのメッセージを発信し、場合によっては「私は罪のない子羊です。世界はどうでもいいから、どうか私だけは助けて下さい」と嘆願してみる超前衛ブログ。

カテゴリ:オトナの話 > 青鞜マンダラ

大正時代に実際に日本にあったという「貞操論争」が中々、面白いと感じたので備忘録的に。

生田花世という人物が提唱したのは、大雑把には次のような考え方。

「本当に食うものにも困窮している状態であるならば女性は貞操を捨てるのだって厭うべきではない」

とした。これを生田花世説とします。それに対して、安田皐月という人物が反論を展開させた。

「女性の貞操というものは、尊厳そのものであるから、商品のように考えるべきではない。何ものを以ってしても砕く事が出来ないものが貞操である」

とした。

今一つ、この話を要旨を噛み砕いてしまうと、つまり、パンを食べる為であれば女性の貞操を商品のようにしてパンを得る事も許されるという肯定論と否定論であるという。つまり、否定論の方は「操というものを商品のようにして扱うべきではない」と、肯定論と闘わせているワケですね。

更に、そこに伊藤野江という人物が参戦した。

「処女を犠牲にしてパンを得ると仮定するならば、私は未練なく自分から処女性を追い出してしまう。そして、もっと他の方向へ自分を育てようと考える。それは恥ずべき行為ではない事を私は知っている」

ああ、これは興味深い論争かも知れませんね。

如何なる状況下に置かれても貞操を商品のように考えるべきではないだろうという一つの正論として安田皐月説がある。それに対して生田花世説は「食べる為に操を放逐する事は有り得る=権利がある」という思考をしている。伊藤野江はエゴイスト的な性格が強烈な興味深い人物ですが、生田花世説を擁護するカタチで、私であれば処女性なんてものは自分から放逐してしまうだろうと述べている。

貞操観念論争だなぁ…と思う。常識に適った価値観で思考をしているのは安田皐月説でしょう。貞操とは尊厳であるという価値観で古い価値観でありながら、それでいて人権思想をも踏襲しているように見える。他方、伊藤野江の場合は、昔ながらの価値観は打破すべきであるという思考の急先鋒の人である。


で、その伊藤野江は、その後に廃娼論争を展開させる。先ず、最初にキリスト教系の婦人矯風会が、公娼制度の廃止を訴えかけていたという下地がある。政府公認の売春が存在している事はおかしいので、公娼制度を廃止すべきであるという論旨が婦人矯風会の主張であったと思われる。それに対して、伊藤野江は思わぬ角度から批判を展開させる。伊藤野江の横槍の論旨は、苦しんでいる娼婦を救済するというのは分かる、公娼制度を公認している政府批判も分かるとした上で、批判したのだ。どういう事かというと、矯風会は娼婦の事を�瑕誘班忰瓩噺討鵑任い燭�、その言葉の中に傲慢を発見したのだ。つまり、「その賤ましい仕事をやめろ」とか「汚らわしい事業は廃止せよ」という物言いに噛み付いたのだという。また、伊藤野江は、売春は無くなることはないものであるという事にまで言及した。

すると次には野江の身辺でもあった青山菊枝という人物から、伊藤野江への反論が起こる。売春が将来的になくならないとしても、女性が性を商品化することは好ましい事とは言えず、無くしていかねばならない。公娼制度を廃止したところで私娼になるだけの者が多いとして、それは社会改造が到らないからそうなるのであり、先ずは公娼制度を廃止することが始めるという主旨に反対するものではない――と。

おお、混乱しそうですが、これは中々の討論のようにも思える。既に平成に生きる現代人は或る程度の基礎知識を持っていて、その知的体系に基づいて思考している。だから、誰の意見がどう正しいと時代によって判断されるのかという意味での正解らしい正解も、実は念頭に置けてしまう。しかし、よくよく考えてみると、やはり、伊藤野江の思考は興味深いとしか言えないんですよね。。。人物として好きになれる類いの人物ではないのですが、その固定観念に捉われない発想は、やはり、気になる。

実際問題として、現代人の世俗的価値観というのは、この大正時代初期の貞操論争と大して進歩していないと思う。なんだかんだいってタテ糸としての伝統的価値観としての貞操観念があり、また、ヨコの糸として「どこそこの国では常識である」という具合の、横からヒョイと拝借してきたような正論に染まる事で理論武装した価値観でしょう。そんな中で、伊藤野江の凶暴な発想というのは、眼前の事実を直接的に見据え、そんな事を言うのは傲慢であるとケンカを売っているのだ。

ダダイズム的な、既成の価値観をゼロと捉え、そのゼロの視点から積み上げ、思い、その思いの丈を言語にして吐き出している、それに気付かされる。

今そこに売春で生計を立てている者がいるのに、それに対して社会通念上、好ましくないから売春を禁止すべきであるという、社会正義の掲げ方というのは、ホントに歓迎されるべきなのかどうか。

因みに、この青山菊枝と伊藤野江とが散らした火花は、伊藤野江が感情的になってしまい投げ出してしまうが、それに対して青山菊枝は、追い打ちをかけて、その論争の勝者となったとみられているという。青山菊枝は論理を最後まで貫徹させたのに対して、伊藤野江は論理的な説明を投げてしまった、という事のよう。


再び、今の時代の思考回路に戻ってきたとして、ヒトを、女性を縛り付けているものは何であろうかと考えてしまいますかねぇ。実は、河合隼雄などを経過しても、ヒトを縛り付けているものというのは「だれだれはこうあるべきものですよ」という、それなんですよね。日本の場合は「母親」というものに対して、「母親とはこうあるべきである」という固定観念が強くあるのは事実であろうと河合隼雄は述べていたと思う。その抑圧が強いが故に、その正しい母親像という世俗的価値観が世の母親たちを締め付け、苦しめているように見える、と。諸外国の母親と比較して、そう感じると。

そうした河合隼雄に代表されるような文脈を経て、眺めてみると、社会通念上の正義というのは、意外と正しくない可能性があるんですよね。母親や女性をテーマに論を進めていますが、これは男性にも勿論、当て嵌まりますよね。「こうあるべきである」という世俗的価値観があるから、それに苦しむ事になるという話だから。

正解を当てに行かれたり、正答を当てに行かれてしまうと、意外と、議論は盛り上がらない。教科書に書かれた通り、学習指導要綱に沿った通りの結論しか導けない。実は、議論が深まらないんですよね…。

売春というのは実際問題として社会から完全に消失するという事は無いというのは真理のような気もするし、それ以上に、貞操観念論争になると、処女か非処女かという問題以外にも、何故、固定観念に縛られたセックス観に縛られなければならないのかという怖ろしい問題を惹き起こしてしまう。伊藤野江の場合は、結婚制度こそが不純であり、自由恋愛型のフリーセックスの方が純粋であるという論旨に到達する。

いや、ここで終わってくれればいいんですが、この伊藤野江の思考回路は更に更に既成の価値観を破壊し、心のままに超越できるとするエゴイストの思考回路なので、性欲に従って何が悪いのかというところまで、その秩序破壊、道徳破壊を展開してしまう。「ヤリタいときにヤリたい相手とヤッて、何が悪いのか」的な挑発的なところまで到達する。


何故、有名人の不倫騒動が起こるとワイドショウは騒ぐのか、何故、当事者は謝罪会見を要求されて、ネット炎上してしまうのか――という問題を考える場合の、ベースにもなり得る話だと思う。

伊藤野江のセックス観は「好きな相手とヤリタイときにヤッて何が悪の? 制度に縛られたり、固定観念に縛られているのはオンドレの方じゃろがい」と噛み付く、秩序破壊の凶暴な思考回路。そういえば、この一夫一婦制の話としてジャレド・ダイアモンドは文化人類学的にヒトは一夫一婦制で正しいと思うぐらいの見解を述べていたと思う。一方で竹内久美子になると生態学的にヒトは乱婚形式の動物であり、一夫一婦制なんてものは虚妄に過ぎないと述べる。一夫一婦制というのは、「正しいと思われているシステム」に過ぎず、実際に一夫一婦制以外の婚姻形式も実在するワケですよね。しかも他の哺乳類と比較してみれば実際にヒトは不義密通もそこそこの割合で発生しながら発展してきた何かである。

性の商品化というのは、ホントはAKB商法なんてのも、結構、当て嵌まりますよね。握手券を売って握手をさせている。パンチラなんてものもある。それを擁護するのに性サービス産業を賤視したりするケースがあるのは何故か。賤視は兎も角、「売春はケシカラン」と一刀両断されるのは何故か。同一人物によって、ですよ。はて、これは程度の問題として思考しているという事なんでしょうかねぇ。法律で禁止されている事のみが根拠であるとしたら中々の法治主義盲信者である事の証拠となる。当然、法律が禁止しているからいけないという事だけの理由なのかと突き返されてしまう。では、公序良俗に対しての加減の差異? しかし、テレビのような公器の中でパンツをチラリと見せる性の商品化は許されるが、密室的な空間で淫靡な事を金銭と引き換えにする性の商品化は許さないという基準の境界線や論拠は示せるんだろうか。どちらも合意を前提にした場合で考えたとして、実は一定レベルの秩序を肯定しないと語る事は不可能な気もしますけどねぇ。
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貞操観念の余禄としての、堕胎論も。

貞操なんてものは捨てる事も許されるという意見で一致したのが、安田皐月と伊藤野江でした。とはいえ、安田皐月はスタンダードで「パンを食う為であれば貞操を犠牲にする事も許される」という論旨であるのに対して、伊藤野江の場合は、より超越論的に「恥じる事もなく、貞操を放逐する」という論旨でした。

次には、安田皐月が婚姻して原田皐月となり、その小説の中で、当時は犯罪であった堕胎を肯定するような主張を始めたという。論旨としては、「貧乏だから子供を産んでも子供に辛い思いをさせてしまう/まだ人格も命も感じていないのだから堕胎も許される/自分の腕を切り落としたからといって罪に問われた者は居ません」と。

それに対して伊藤野江は、堕胎を否定した。伊藤野江の主張は「避妊する事は許されるが、一度妊娠した以上は如何なる理由があろうと堕胎すべきではない。堕胎する事は自然に対しての冒涜である。自分たちの都合で生命を殺して許される筈がない」、と。

うわぁ、これまた凄い論争だ。伊藤野江は確かに鋭い批判を浴びせている気がしますかねぇ。貞操観念及びセックス観からすれば、そこにあるのは無秩序な解放論になるのかと予想しましたが、堕胎は認めないという。自然の摂理からすればそうかも知れないし、�犲�分たちの都合で�瓩箸いΕ▲織蠅慮斥佞�確かに強く響く。こういう問題は、そこに引っ掛かるんでしょうからね。

その堕胎論争には、更に平塚雷鳥(らいちょう・らいてう)が伊藤野江への批判を展開する。平野らいてふは、単刀直入に、「堕胎するか否かという問題は、それぞれの事情があるのだから、各自、つまり、自分で決めることなのです」と展開させる。

なるほど。

この問題は実はマイケル・サンデルの著書で、最先端の倫理らしいものを目にしたばかりですが、そちらの理屈かすると、平野らいてふが現在の倫理の観点からすると正答者という事になる。つまり、「決定は母親に委ねてはどうか?」なのだ。宗教学者の山折哲雄氏は、判断を母親だけに押し付けるのは問題だから父親も、そこに加えるのですが、マイケル・サンデルの場合は「母親に委ねる」の一点張り。日本文化とアメリカ文化との差異にも感じる事柄ですが、個人的には実はサンデル支持ですかねぇ。日本文化は、「押し付けるのは可哀想だから」として問題に介入し、口出しをしてしまうワケですが、そうすると実は余計に母親の決定に重圧がかかってしまう。或る意味では無責任な介入になりがちで、それだったら潔く「母親に一任する」の方が救われるのではないか。ヤノマミの精霊返しの話までもを考えましたが、やはり、あの精霊返しは女性だけが見ている中で決定が為され、実際に母親が赤子を精霊として返すが人間として育てるかを決定している。実は、この問題に男性が介入するのは間違いなのではないかという気がしているんですね。

また、原田皐月の主張というのは、つい十年前も、そしておそらくは現在も水面下では正統にあるであろうバースコントールの話と関係している。「育てるのが難しい場合は産むべきではない」という方向性は必然なのだ。渡辺昇一の「神聖なる義務」が30年ぐらい前に提示してみせた問題だったんですよね。それなのに少子化問題が実際には解決方法は存在しないのに殊更に過大に取り上げられており、世俗社会の中では珍妙な空気を形成している。誰が何の権限で「女性は、もっと子供を産むべきだ」と言えるのかという話なのに、ドサクサ紛れに平気のヘイサで、それを言い出し、また、その虚妄的な言辞に振り回されていると思う。授かりたくとも授かれないという人も在れば、育てる自信なんてないという人もあるのが現実であり、しかも、それらの責任は各人にかかっているのだ。外部の誰に命令したり、強制したりする権利があるのかというのが本来ですやね。一見すると「社会で子育てをしましょう」というスローガンは心地よく響くものだと思うんですが、ホントは危険な方向に傾いていると思う。社会に奉仕する構成員が不足しているから産めよという話だし、先に述べたように、一見すると親切そうな提案であるが、実際にその人の人生を背負うのは、その人個人であるという大原則を見えにくくしている。山折哲雄とマイケル・サンデルを比較した通りであり、歯の浮くような理想を語られても、実際に個人の人生は個人に帰属するのが大原則だと考えるべきだから。

際どい判断になるのは確かだと思うんですが、ショウペンハウアーの幸福論に以下のような箇所がある。

愚者は人生の享楽を追い掛かけては瞞(だま)される。賢者は災厄を避ける。万一不幸にして災厄が避けられなくても、それは運命のせいであって、愚かさのせいではない。しかし幸いにして避けられれば、こうしてのがれた災厄は極めて現実的なものなのだから、それだけ瞞されずに済んだわけである。よしんば万一災厄を極端に避け過ぎたために、不必要なまでに享楽を犠牲にしたとしても、もともと何の損もないわけだ。

これ、実は�爛螢好�管理�瓩力辰如△靴�も、これは運命について語っていますよね。つまり、悪い結果に転んだとしてもそれは運命のせいという事も有り得るのであって、そういう場合は「こうあるべき」とか「こうすべき」という具合の言辞に惑わされ、強引に運命に抗ってみたところで、それで絶対に幸福になれるという性質のものではないんですよね。「私なりに一生懸命に生きているつもりなのに報われないなぁ」と感じたり、「あの人は報われない人だなぁ」と感じた場合、そんなアンラッキーもまた、その人の運命であると考えていいのだ。それが理解できずに周囲に振り回され、要らぬ混乱を自分の意志で引き寄せ、その挙げ句に破綻することこそが愚という事だと、意外にもショウペンハウアーのような人物も導いていた事になる。
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以前に、「大正時代の堕胎論」について触れたことがありました。その堕胎論は伊藤野江vs安田皐月(原田皐月)という構図であった。

安田皐月が小説の中で、

「貧乏だから子供を産んでも子供に辛い思いをさせてしまう/まだ人格も命も感じていないのだから堕胎も許される/自分の腕を切り落としたからといって罪に問われた者は居ません」

という論旨を発信した。

それに対して、伊藤野江が噛み付き、

「避妊する事は許されるが、一度妊娠した以上は如何なる理由があろうと堕胎すべきではない。堕胎する事は自然に対しての冒涜である。自分たちの都合で生命を殺して許される筈がない」

という批判を掲げた。

その論争に、平塚雷鳥も登場して、

「堕胎するか否かという問題は、それぞれの事情があるのだから、各自、つまり、自分で決めることなのです」

という意見を述べた。

三者三様で、どれが間違っていて、どれが正解とも判断しがたい意見であろうと感じました。ただ、堕胎のような各々の事情がある事柄の場合、その物の考え方としては一律的に善悪を決定するよりも柔軟であるべきだろうなと感じたので、一つだけ共感するものを選べと言われたなら、平塚雷鳥の意見を選ぶかな、と。

堕胎したいケースに於いて「堕胎はなりません」というのも変だし、その逆で、「これこれこういうケースに於いては堕胎すべきなのです」という論を立てるのも変だ。最も、優れた回答は「各自が決めること」であり、これについてはマイケル・サンデルの意見をも引っ張って、「母親が決めるのは一番いい」という見解を紹介した。また、日本の山折哲雄になると、母親だけに決めさせるのは酷だから父親も責任を負うとしている。サンデルと山折を並べると、ひょっとしたら今の日本では山折の意見に多数派が集まるかも知れない。しかし、そうなると倫理問題の場合には「父親が産めと言ったら、産まねばならないのか?」という副次的な問題も発生してしまう。究極的に優先されるべきは、やはり、実際に産むという責任、その責任を負うことが出来るのは、酷に聞こえても、やはり、母親であり、基本的には母親に一任するという風に考えた方が実は融通が利くのかも知れない。(その決断を尊重し、責めないとするのが基本線とすべきか。)

確かにヤノマミ族の「精霊送り」と呼ばれる産み落とした赤ん坊を育てて人間とするのか、それとも神に返すかを決定する儀式でも、赤ん坊の背中を踏みつけて、その決定を下すのは、母親自身の役割になっているという。


さて、その平塚雷鳥には「原始、女性はじつに太陽であった」という名文があるという。自伝のタイトルが「元始、女性は太陽であった」なのですが、そちらの自伝ではなく、「青鞜」という雑誌の立ち上げの際、「『青鞜』発刊に際して」で最初に放ったフレーズが、それだったというんですね。これが、確かに、凄いインパクトのある文章なのだ。

例によって、着色文字は引用です。上田篤『平塚雷鳥 なぜ「女性」が太陽か?』を参考にして以下へ。

原始、女性はじつに太陽であった。真正の人であった。
いま女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く病人のように蒼白い顔の月である。


これが書き出しだと思うと、今、呼んでもゾクっとしますかね。月である以下は、花村萬月原作の映画「皆月」の記憶がありますが、要は、「みんな、自ら輝けない月なのよっ! 誰かに照らしてもらわないと輝けない月で、自ら輝ける太陽じゃないのっ! 太陽がないと見えなくなってしまうような存在なのっ!」の意味ですね。

つまり、冒頭で、平塚雷鳥は、それを断言してみせたのだ。「原始、女性は太陽であった。真正の人であった」と――。

しかし、この文章が発表されたのは1911年の事であり、まだ、日本には比較歴史学だの、人類学だのという分野は流入しておらず、勿論、グレートマザーだの、イシスが女神で太陽神であった等の情報も無かったし、そもそも、この平塚雷鳥は古事記なども読んでいた形跡がないのだという。つまり、知識によって書いたのではなく、坐禅をした後に原稿用紙に向かって筆を走らせ、一晩のうちに約一万字からなる「創刊の辞」として「原始、女性は太陽であった」を書き上げたものなのだという。

これを神懸かり的な何かと捉えると間違いのように感じるかも知れませんが、実際、この平塚雷鳥、実は坐禅によって神を体得するような境地になっていたと自らも回想しているのだという。原稿用紙を睨んでいる瞬間、頭の中にでてきたことばが、そのフレーズであったらしく、まさしく直観で書いたものなのだという。

以下、ぶつ切りに並べてみますが、凄い迫力なんですよねぇ。

原始、女性はじつに太陽であった。真正の人であった。
いま女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く病人のように蒼白い顔の月である。


みずからのあふれる光輝と温熱によって全世界を照覧し万物を生育する太陽は天才なるかな。真正の人なるかな。

かくれたるわが太陽を、潜める天才を発現せよ。(中略)わたくしども女性は一人残らず潜める天才だ。

熱誠! 熱誠! わたくしどもはただこれによるのだ。
熱誠とは祈祷力である。意志の力である。禅定力である。神通力である。いいかえれば精神集中力である。神秘に通じる唯一の門を精神集中という。

私は精神集中のただなかに天才をもとめようとおもう。
天才とは神秘そのものである。真正の人である。

日本アルプスの上に灼熱にもえてくるくると回転する日没まえの太陽よ。狐峰頂上に独りたつわたしの静けき慟哭よ。
弱い、そして疲れた、なにものとも正体のしれぬ、把捉しがたき恐怖と不安にたえず戦慄する魂。
頭脳の底の動揺。銀線をへしおるようなその響き、寝覚め時におそってくる黒い翅の死の強迫観念。けれど、けれど、いちど自奮するとき、潜める天才はまだわたしを指導してくれる。まだわたしをまったく見棄てはしない。そしてどこからくるともなしわたしの総身に力がみなぎってくる、わたしはただただ強きものとなるのだ。わたしの心は大きくなり、深くなり、平らになり、明るくなり、視野はその範囲をまし、個々のものを別々に見ることなしに全世界が一目に映じてくる。あの重かった魂は軽く、わたしの肉体からぬけだして空にかかっているのだろうか。否、わたしの肉体は目方なきものとなって気散してしまったのだろうか。わたしはもうまったく身も心もわすれはてて、いうべからざる統一と調和の感に酔ってしまうのだ。
生もしらない。死もしらない。
あえていえば、そこには久遠の「生」がある。熱鉄の意志がある。


これが「青鞜」の創刊の挨拶文という事らしいんですが、これ、確かに神懸かってるような迫力なんですね。しかも、まさしく魂の言葉であるように見える。

また、この言わんとしている内容は、すべての女性の中には天才が潜んでいて、(世の女性たちに向けて)、その天才を覚醒させよという強烈な呼び掛けなのだ。

しかも、それでいて、最初の「原始、女性はじつに太陽であった。真正の人であった」を直観で書いたというのだから、震えたくなるような、文章だ。一気通貫、天から降って来たインスピレーションを書き留めたかのようでもある。

どんな人物であったのか?

少女期は頭脳明晰であったが食が細く病弱な少女であったという。満12歳で東京女子高等師範学校附属お茶の水高等女学校なる賢そうな学校へ進学するが、当時、華族や新華族という家柄の少女たちと、学者や下級官吏の娘たちとが混在しており、それが貴族階級的な少女たちと庶民派の少女たちとに分かれていたという。そんな中、雷鳥は貴族階級の娘たちを嫌い、庶民派の友達をつくって「海賊組」と自称し、遊び歩いたという。この「海賊組」では、将来は自立し、結婚しないことを誓い合い、授業をボイコットするなどする学生時代を送ったという。家政科に進んだものの、そちらの勉強はせず、図書館に通い、「人間とは何か?」「真理とは何か?」「神とは何か?」を考える哲学少女になったという。また、キリスト教会にも通い、歎異抄講義にも足を運び、そして特に坐禅に励んだという。しかし、それでいて現実主義者であったという。

何やら神懸かり的なものを感じるというのは、面白おかしくミステリアスにしようとしているのではなく、確かに、そのバックボーンがありそうな人物なんですよね。知識で物事を見ているのではなく、心で見る術を身に着けていたかのような怪しい経歴の持ち主でもある。また、「自己を完成させること」に重点を置き、そういう道を歩んだという。


うーむ。カトリーヌ・ドヌーブらがルモンド紙に掲載した♯MeToo運動への批判文を思い出す。

「レイプは殺人のように重大な犯罪である。しかし、執拗だったり不器用なナンパは犯罪ではないし、誘惑の作法を痴漢と見做すのは違う。まるで魔女狩りのように、女性たちの保護や解放を口実に、彼女たちを永遠の被害者で、男尊女卑に支配された可哀想でちっぽけな存在にしている。この熱狂状態は、女性が自立していくことを手助けするには程遠い」

の後半部分、「女性たちの保護や開放を口実に、彼女たちを永遠の被害者で、男尊女卑に支配された可哀想でちっぽけな存在にしている」という批判、この批判を素直に受け入れることが出来ずに、謝罪を要求してしまう所に当代のフェミニズム論陣の狂奔を感じないでもない。「不愉快です。傷つきました。謝罪してください」と、一方的に糾弾する事が許されてしまっている状態で、テレビ的言論人も、それを正義だと誤認識してしまっているって事だと思う。これは自立に役立っていると言えるのだろうか? ここに気付かない事には、ちょっと埒が明かないんじゃないのって改めて思う。
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1977年刊の平塚雷鳥著『むしろ女人の性を礼拝せよ』(人文書院)に目を通してみました。刊行は1977年、そこに掲載された文章の発表年は1918年をメインに1914〜1937年のもので、主に大正時代と昭和初期にかけてのものでした。

我が国に於ける婦人運動の先駆け的な存在として扱われることがある平塚雷鳥ですが、その元々の婦人運動が気にならなくもない。但し、基本的には、その大正時代の御婦人方に向けての提言として書かれた文章なので年代的に古く、その辺りの読みにくさは確かにありましたかねぇ。

また、過去に処女論争、堕胎論争、更には「元始、女性は太陽であった」でも触れてきた人物である。

感想からすると、5〜6割には意味を見い出せた気もするのですが、それでいて、先見性に驚かされた箇所もありました。いや、そこは、現在でも通用するし、よく、そういう境地で物事を見ることができたなぁ…と。

大正14年以前に発表されていたという『生命から見はなされつつある現代の女性』という論文があったのですが、これに感心しました。以下、着色文字は引用です。

現代女性の典型はなんといっても職業婦人(ないし労働婦人)でなければらなない。彼女たちは非人情な資本主義制度の下で、宇宙の大生命と直接通じているその母性を日に日に失いつつある新しい一つの社会奴隷だ。しかも職業婦人の数はなんといっても増えるばかりだ。どうすることも出来ない。

男性の大部分が彼女たちの生活を支持するだけの経済力を失った以上、彼女たちはなにより先に自ら生きて行かねばならない。またたとえ彼女の父であり、夫である男子にその力があったとしても、現代の女性は自らの収入によって生活することを彼女の自由と独立とのためにその誇りのために望んでいる。こうして彼女たちは皆職業へ職業へと走ってゆく。


先ず、これが大正時代の話であるというところに驚かされました。【職業婦人】という呼称が時代がかっているものの、女性が職業へ職業へと走って行くことを予見している。そして、その先にあるものが、経済的自立であり、それによって職業婦人らが「自由」と「独立」の為に、そうするであろうことを指摘しているんですね。

外へ外へとばかり向けられた彼女たちの眼は、もう内へ転ぜられることを久しく忘れてしまった。彼女たちはどんな時も自分を反省することをしない。脚下を見ようとしない。だから彼女の生活が外的に立派そうに拡げられれば拡げられるほど、内的には貧弱になり、空虚にならざるを得ない。

この箇所などは、まさしく、平成31年現在、本当は転がっているのに誰も取り上げようとしない、その部分を指摘しているようにも思える。

旧時代の女性が愛するものの中に彼女の自我を没入することを願い、彼女自身の姿を、その価値を愛するものの上に見い出そうとしたのに反し、現代の女性は彼女の知的、職業的能力を、社会的地位を、名声を、多額な収入を求め、そこに自己を見い出そうとしている。旧時代の女性の生活は家庭という小宇宙に限られながらも彼女たちの心霊は、恋愛と母性を通じて大宇宙の生命である底知れぬ泉に達していた。だから彼女たちの世界は間口こそいかにも狭そうに見えても、内部へはいればはいるほど広大で、豊富で透明で、純粋で、温情があふれ、いつも沈静で無限の潜在力がある。何故ならそこで彼女はもう個人的存在を超越しているから、彼女は種族であり、神であるから。

ここで、背筋に震えがきましたかね。職業婦人を礼賛するのかと思いきや、旧時代の女性の生活について語り出し、それは一見すると小宇宙であるが、内部に入ってゆくと、現在で言うところの母性という大宇宙、生命の泉に達していると展開させるのだ。

今日の職業婦人は男性からの借りものの知識や、外的多忙のために、その女性としての本来の叡智と心霊とを濁され、曇らされ、生命の泉から見放されようとしている。彼女たちの落着かない眼を、粗野な、空虚な、わるはしゃぎした表情を、さもなければいやに固いこわばった、とげとげしい態度を見よ。

「これは何だろう?」と戸惑う部分もあるかと思いますが、職業へ職業へと女性が向かい、そこで自由や独立を目指してゆくだろうが、そうする中で、本来的な女性性、母性が濁らされているという主張らしいのだ。

このジレンマは、思うに三浦展さんらの指摘と合致しているような気がする。既に7〜8年前の話になってしまうのかも知れませんが、世の若い女性の市場調査をしてみると、実はそんなにキャリア志向は高くなく、意外にも「専業主義になりたい」なんて意見も多かったという指摘があったんですね。また、近年、女性活躍が政治的プロパガンダによって推進され、社会もその気になってしまっているので、傾向は変わったかも知れませんが、この指摘は、非常に鋭いと思う。

今のままで進むならが我国においても、今後母性は資本主義の発展と共にますます無視され、蹂躙されて行くより外あるまい。現代の若い女性の一部に見る母性蔑視または嫌悪の思想は、家庭に対する破壊的思想は、婦人に対する資本家の利己的要求と合致するものだ。こうして彼女たちは知らずして、否得意になって資本家に利用され、その犠牲とされることだろう

色々と鋭い。書かれた年代を考慮すると、凄い先見性だなって思う。察するに本旨は、職業婦人が増えてゆくだろうし、職業婦人を批判もできないが、結局、そこで失われる母性に係る何かがあるだろうというものだと思う。

「母性蔑視の嫌悪の思想」と「家庭に対する破壊的思想」は、現在と照らし合わせて、どの程度、合致するのか微妙かも知れませんが、1980年代以降には、そういうキャリア志向が強く見られたのは事実だし、アメリカでは【DINKs】(double income, no kids/ディンクス)の問題があり、ノーキッズかどうかは分かりませんが、日本でも共稼ぎが定着してゆくんですね。ホントは男性の賃金が上がらないから、そうせざるを得ないという状況であった可能性が高い気もしますが、まぁ、女性を解放せよという掛け声の元に、その方向性が模索され、キャリア志向が持て囃された時期も確かにあった。既に女子中学生や女子高校生にしても「お嫁さん=専業主婦になりたいです」とは言えない社会環境に変質していると思う。

ここからは、少しだけ発展的になりますが、母性の問題が出て来てしまうのだ。産むことができるのは女性だけであり、また、母性を母性として生かせるのも基本的には女性なんですね。つまり、平塚雷鳥は、自由開放路線を唱えた婦人運動とは異なり、それに批判を浴びせるようにして、一概に職業婦人になって経済的自立を遂げよという婦人運動家たちがあるが、そうすると、命の泉にも繋がっているそれを喪失することになると提言しているんですね。

経済的な自立が成れば、家族は要らないのではないかという考え方も出て来るだろうし、これ、下重暁子著『家族という病』(幻冬舎)が大ヒットした事は記憶に新しい。母性を蔑視する思想は現在はないと思いますが、裏返すと、ここには先日の麻生太郎副大臣のような「産まない方が悪い」発言に見られたような二重三重の、無理解や断絶があると思う。「産もうが産むまいが、その者の人生に帰属しているのだから原則的には各人の自由に委ねられている」という本義が、少子化問題に託けて理解されなくなっている可能性が高いように感じますかねぇ。

これは堕胎論でも触れた通りで、究極的には母性に委ねた方がいいだろうと考えられている問題なのだ。変に「社会の為に産みなさい」のように語る事が、ホントは余計な軋轢やストレスを起こす。

戦前に、こう考えていたというのが凄い事だと思うんですね。働く女性に対しては、その母性保護の観点を大正時代に論じている。これに対応する為に、かなり前から実際に産前産後休暇や乳児に対しての配慮などが制度として取られていますやね。或る意味では、おおよそは、この平塚雷鳥はじめ、「青鞜」の頃で、おおよそのテーマは出来ってしまっていたような気がしないでもない。まだ、職業婦人とか労働婦人なんて呼んでいた時代なのに。しかも、幼児死亡率とか、そういう統計データまで持ち出している。

(与謝野晶子は「妊娠・分娩」の時期に国家に経済的な保護を求めるのは誤まりであるという意見であった為、平塚雷鳥と与謝野晶子が3回か4回ほど論戦していたらしい。近年の「子ども手当問題」、或いは「高校教育無償化」の流れを知っていると色々と考える部分もありますが、元々は、母性保護の問題からスタートしている。)

別の論文では、ナンタラという三姉妹のフランスの戯曲の話に触れられていました。長女は売春婦になって、次女は職業婦人になって、三女は結婚していて家庭婦人である。末っ子である三女が離婚をしようかしまいかと悩んでいるタイミングで、長女と次女、つまり、三姉妹が久しぶりに席を一緒にする。三女が「離婚しようと思っている」と切り出す。三女は、長女や次女が背中を押してくれることを期待して、そう言ったが、長女は売春婦という侮蔑的な視線を受けながら生活することの辛さや苦しさを吐露し、次女は男性社会の職場で職業婦人として働くことの困難さと独立生活の大変さを語った。結果、長女と次女は、どんなに嫌な夫でも機嫌さえとっていれば妻の座でいられる家庭婦人を羨む。結局、三女は「そんなものか」と思い、離婚を思いとどまるのだという。

で、上記の物語を雷鳥は、男性の経済力に頼った婚姻制度の問題とする。どこが鋭いのかといと「男性の経済力に頼った」の部分が鋭い。そのまんまなのだ。結局は資本主義制度下の話であり、その経済原理と密接に関係していて、「経済力さえあれば」がすべての事柄を引っくり返す事ができる。しかし、資本主義制度は大多数の者は敗者になるという考え方をしている。(男性も女性も大多数は資本主義制度下では敗者になると述べている。これは資本主義体制下では組織や社会が優先され、個は後回しにされる事を看破していた節がある。)

つまり、経済力こそが、力そのものであるという捉え方を、大正時代にできている。何故、婦人運動が社会主義的イデオロギーに似ていたのかは「家庭の経済的基盤」なる文章で、次のように触れられている。

力の強いものが、力の弱いものを征服し、支配し、奴隷としていた腕力万能の時代には、女もまた力の弱いものとして力の強いものである男に征服され、支配され、奴隷とされていました。

ところが社会が次第に進化し、複雑となった今日では腕力はいつかその支配権を失って経済力――すなわち富の力というものがこれに代わりました。


だから、経済的な自立を果たす事が希求された。また、その後の婦人運動は女性の社会進出と経済的な自立という目標を高々と掲げた。しかし、そこに対しても、平塚雷鳥の場合は苦言を呈している。複雑ですが、家庭であるとか、母性(女性性)であるとか、そういうものを見失う方向でいいのかという、シブい立ち位置なんですね。先に「母性蔑視の嫌悪の思想」と「家庭に対する破壊的思想」を批判した箇所を引用しましたが、そういう立ち位置のよう。

また、婚姻制度というものに対して批判的であるという意味では、伊藤野江とも同じなのですが、一方で伊藤野江のような自由恋愛主義とは激しく対峙している。単純化してしまうと、おそらく「貞操を大事にすべき」という良識派が平塚雷鳥であり、「貞操なんてどうでもいい。自由恋愛じゃ、フリーセックスじゃ」という即物的な性解放論が伊藤野江という対置になりそう。平塚雷鳥の方は、良識派であろうというのは、次の部分ですかね。

相互の愛さえあれば、同時に何人もの異性と性関係にはいることを是認し、また、どちらかの愛が消滅すれば、子供の有無にかかわらず、いつでも勝手に別れるというような無責任な、共同生活への願望も、その永続の意志も、努力もともなわないような、そんな非人格的な両性関係でありましょうか。これは恋愛の自由ではなく、そのはなはだしい乱用でなくてなんでありましょう。

だって。
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映画監督の吉田喜重の訃報を新聞記事に見つけて、小さな偶然に驚く事となりました。その訃報記事には代表作として「エロス+虐殺」が挙げられており、その作品は、いわゆる「日蔭茶屋事件」を題材にしたものであった。偶然だなというのは、丁度、読み終えた文庫本が瀬戸内寂聴著『美は乱調にあり』(岩波現代文庫)であり、実は同じ「日蔭茶屋事件」がクライマックスに描かれている。

『美は乱調にあり』は、実に生涯の著書が400冊を超えたとも言われる瀬戸内寂聴にして、仮に自分の作品を一作を挙げろと言われたなら、先ずいの一番に『美は乱調にあり』というタイトルを挙げるという。つまり、寂聴の代表作なのだ。この『美は乱調にあり』は、大杉栄と伊藤野江の関係を描いた評伝小説という体裁であり、ドキュメンタリーの要素が強い。取っつきにくく、また、非常に入り組んだ人物相関図からなる大正時代のアナキストの話であるが、読み終えてみると、なるほど、物凄い濃密な作品になっている。しかも、実話がベースなのだ。また、数週間前にはNHK-BSのドラマの宣伝で伊藤野江を女優の吉高由里子さんが演じるとの事だったので、改めて注目されているのかなって思う。

主要な人物相関図は次のようなものとなる。

辻潤♂(つじ・じゅん) 1884年生まれ ダダイスト 高等遊民 小柄

大杉栄♂(おおすぎ・さかえ) 1885年生まれ 大逆事件を免れたアナキストの巨魁

堺利彦♂(さかいとしひこ) 堺枯川。1870年生まれ 妻は為子で、為子の実妹が堀安子

堀安子♀(ほり・やすこ) 大杉の妻で結婚して8年目。おとなしい性格で病弱

神近市子♀(かみちか・いちこ) 1888年生まれ 津田出の才女。元新聞社の記者

伊藤野江♀(いとう・のえ) 1895年生まれ 女性誌「青鞜」の二代目編集者 小柄

平塚雷鳥♀(ひらつか・らいてう)1886年生まれ 女性誌「青鞜」の初代編集者 美形の才女

奥村博史♂(おくむら・ひろし)1891年生まれ 菜食主義者 弱々しいが美男の画家

上記の内、辻潤と大杉栄と伊藤野江、平塚雷鳥については過去記事でも何度か取り上げている。しかし、『美は乱調にあり』に沿うと、男女7人夏物語的な、いやいや、もっと、くんずほぐれつ、人間世界の恋愛模様は、どうなっているのかと、その問題に気付かせるような内容になっている。浮気する男たち。そして溺れる女たち。案外、エロスという言葉に隠された人の深部、その実相を生々しく
描いているかも知れない。

以下、概要を――。

先ず、辻潤は女学校の教師として登場、ルンペン風の身なりなので最初は女学生たちから薄気味悪がれるが実際に授業になると、話が面白く、ピアノを弾いて歌を学生たちに唄わせるなどの自由の息吹を持ち込んで、たちまち人気教師になってしまう。その辻に恋心を抱く女学生が伊藤野江である。

当初、辻は野江を教え子の一人としか思っておらず、より美人の酒屋の娘の「おきんちゃん」の方に気が向いている。野江については、その向学心の高さしか評価していない。東京生まれ東京育ちの辻潤は、九州出身の野江の事を内心では「熊襲の血筋の娘」だと思っており、とてもではないが恋愛対象としては捉えていない。折角、女学校の教師という定職にありついたのに、つまらぬことで教師を辞すような羽目にならなければいいとさえ思っており、かなり、野江の積極的なアプローチに対して警戒感が強い。しかし、いつしか辻は野江に魅入られてしまい、男女関係になってしまう。教師と生徒との恋ですな。しかも肉体関係を持ってしまった訳だ。その辻と野江と関係はたちまち噂になり、辻は教師を辞めることになる。以降、辻潤は洋書の翻訳をして、それを出版社に持ち込むまでは常に金欠病となる。

辻は野江の向学心の高さを気に入っており、結婚をして実家に住まわせたが、野江には家事をさせないという方針を採る。辻の家には母親や叔母も一緒に住んでいるが、誰もが辻の指摘に従い、野江は当時としては異例の特別待遇で辻家の嫁になる。野江はというと学校を卒業した後は勉強をしながら女性解放を掲げて活動している「青鞜」(せいとう)のグループと出会う。

「青鞜」は平塚雷鳥が立ち上げた日本初の女性誌であり、この青鞜の創刊号に雷鳥が記した「元始、女性は太陽であった」の一文で始まる格調高い文章として知られる。(これを瀬戸内寂聴は作家ですな、終始ソプラノ調の文章と表現している。)

平塚雷鳥とは平塚明(ひらつか・はる)であり、この平塚明は青鞜創刊の2年前に世の中を騒がせた心中未遂事件を起こしている。美女であり、高い教養を誇っていた平塚明は、夏目漱石の門下生で妻子持ちの男、森田草平との間で心中未遂事件を起こし、しかも、その後に森田草平が、その心中騒動を自分の視点から描いた小説『煤煙』を発表。その『煤煙』の内容は平塚明からすると理不尽なものであったが、世間は、その心中未遂事件を煤煙で理解する事になったので、その心中事件を「煤煙事件」と呼ぶ。これは雷鳥にとっては事実を反映していないという意味で不本意であり、しかも才媛であった明の名誉を著しく貶めるものであった。その屈辱から僅か2年後に、日本初の女性誌「青鞜」の発刊に漕ぎつけたのが平塚雷鳥であった。「雷鳥」と名乗っているが、多くの者は2年前に心中未遂事件を起こした平塚明であると半ば分かっている状態であったとされる。

女に何ができるものか、才媛として知られた平塚明とて結局は妻子持ちの男と心中未遂を起こしたではないか。そうした屈辱を一気に引っくり返したのが「青鞜」であった。当時のインテリであった辻潤も、そして大杉栄も「青鞜」の行方に注目していた。

また、青鞜に集まって来る女たちは、どこか雷鳥に憧れを持っていた者が多かったという。集まって来る女たちは志が高く、教養水準も高かったが、雷鳥は別格で容姿も端麗なら服の着こなしや仕種なども洗練されていたので、青鞜に集まっている女たちは、雷鳥に憧れの念を抱く者が少なくなかったという。やがて、雷鳥は女性スタッフの一人とレズビアンラブに陥る事になる。更に、そのレズビアンラブの後には、年下のハンサムな画家、奥村博史と出会ってしまう。雷鳥は、出会った瞬間から奥村の美しさに惹かれてしまう。色々な男を見てきたが奥村は女と見まがうような美しい青年で、繊細で、弱々しさを持っていたが、どうしようもなく惹かれてしまうという境地となる。奥村が画家として行き詰まっていると知ると、雷鳥は自分が奥村の面倒を見ると言い出して、そのまま、年下の美男子の奥村にハマってしまう。女性が持つ年下の愛人の事を「若い燕」と表現するが、その表現は、この平塚雷鳥と奥村博史との関係を指して生まれた言葉なのだそうな。奥村が雷鳥の元へ足繁く通っているが、雷鳥は奥村を寵愛している。この起源になる雷鳥の文章も『美は乱調にあり』で紹介されていましたが、本来であれば男女の中は鴛鴦(えんおう/おしどり)で例えるが、五歳年下の美男子との関係を「若い燕」に喩えた。そこから「若い燕」とは、女が有する年下の愛人の意になった――と。

雷鳥は、女性の自立、職業婦人になって自立する事を世の女性たちに呼び掛け、そこで大きな役割を果たした「青鞜」の売上も順調に伸びていたが、身辺事情、つまり、奥村博史との愛の生活が始まってしまうと、その愛に溺れていってしまう。そこで青鞜を引き受ける事になったのが、弱冠二十歳の小娘に過ぎなかった伊藤野江になった。野江は実力的には色々と足りず、実際には夫である辻潤が翻訳を手伝い、文章についても助言をしてやっていたが、行動力だけは人一倍の野江は、自分が「青鞜」を引き受けるとして、二代目の編集長となる。辻は、そんな野江を誇らしく感じており、野江には家事なんてしないでいい、青鞜に打ち込んで、どんどん成長してくれという面持ちで、野江をアシストしていた。

野江は、辻からすると最初は異性を意識させる何かではなかった。熊襲の血筋の娘はインテリゲンチャである自分には合わないと思っていた。この伊藤野江についての評は種々あるが、基本的には生活臭を丸出しにしている「襟の汚れた女」と評されている事が多い。髪も構わないし、服にも無頓着で、その辺りは洗練された都会風とは全く異なる。野江はワイルド、野性的な魅力の持ち主なのだ。しかし、辻は野江と体を重ねるようになってから、性交が死と直結していると感じるようなった。その快楽の中で死にたいというタナトスを実感するようになっていった――と。

大杉栄は、獄中にいた事が幸いして、アナキストらが大量に死刑台に送られることになった大逆事件を免れることができた。大逆事件には幸徳秋水らも連座してクーデター計画に関与していたとして死刑にしてしまった弾圧事件で、大杉栄は大逆事件に関与できず、死に損なってしまった事を

春三月 縊り残され 花に舞う

と歌に詠んだ。この歌は「エロス+虐殺」の中でも用いられている。また、寂聴の最高傑作とされる『美は乱調にあり』というタイトルも大杉栄の文章の引用であり、正確には「美はただ乱調にある。諧調は偽りである。」が出典だという。

死に損なった男、大杉栄は「平民新聞」と「近代思想」の発刊を継続しようとしていたが、たちまちのうちに発禁処分になってしまっている状態であった。そんな大杉栄は、婦人解放を掲げている青鞜にも注目し、批評をしている内に、伊藤野江から手紙が届く。切欠は、足尾銅山鉱毒事件に端を発して谷中村が水没の危機に瀕しており、抵抗運動をしている人たちを助けたいという義憤が綴られていた。大杉は野江に興味を持ち始める。まだ、二十歳前後の小娘らしいが、その情熱の強さに魅力を感じた。

やがて大杉は野江に会うために辻の家を訪れる。野江には辻潤という夫がいて、その辻が中々の人物である事も小耳に挟んでいた。辻も大杉も共にスチルネルを翻訳しており、大杉は自分よりも辻の方がスチルネルを詳しく理解しているようだと驚いた。大杉は辻とも面識を持つ事になり、特に悪感情も持っていなかった。

一先ず概要を区切りますが、この人間関係が、凄い事に発展していく事になる。ここまででも、あれれ、なんで平塚雷鳥のような才媛と呼ばれた人物が愛に溺れるてしまうものなのかと考えさせられる羽目になる。或る意味では実力を認められた人であり、容姿端麗で振る舞いも服装も弁えていた人物と思われますが、どうしようもなく色欲に弱い一面があったらしい事が分かる。まぁ、イメージとしてですが、女子バスケ部とか女子バレー部などでは、誰が見てもカッコいいよねというタイプの女子があって、後輩から慕われるタイプがありますが、同性から憧れられてしまうタイプだったのか、レズビアンラブにもハマり、最終的には年下の美男子にハマってしまっている。また、青鞜の旗揚げ前にも妻子持ちの男と心中未遂を起こしている。

寂聴の筆致では、平塚雷鳥自身が「エロスの支配力」を持っている側として描かれているが、その分、誘惑が多かったのかも知れない。また、男性からも女性からもモテてしまうが故に、その誘惑を理性によって抑える事、その者が持つ性衝動を制御する事は難しいという一例かも知れない。


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日蔭茶屋事件に入る前に、そもそも「大杉栄は何故、モテたのか?」という問題がある。目が大きく顔を相応に整っていた好男子であった事は間違いない。その辺りの事情は瀬戸内寂聴著『美は乱調にあり』でも語られている。辻潤は小柄でひ弱な感じ、目の細く、ナイーブな雰囲気のする優男であったのに対して、大杉栄は非常に目が大きく、体格も立派で、しかも端正な顔で鼻の下に蓄えた髭も男前であったという具合に語っている。

他方、中央公論社の『世界の名著』第42巻付録には、生前の大杉栄と知己のあった荒畑寒村が大杉栄がモテた理由について語っている箇所がある。

荒畑 彼は目の大きい好男子で、女性を牽引する力はありましたよ。いい男でおしゃれ、それにどもりなんです。ある人が、大杉にころり参るのは、どもりのせいじゃないかと言ってましたがね。大杉といえば警察も震え上がるほど恐ろしい男だと思っていたのに、いい男でやさしくどもりながら話しかけるんですからね(笑)。彼の強烈な個性には、男性でも惹かれました。そうかと思うと、着ている自分の浴衣に火をつけて口説いたり……。

実はどもり、吃音の強い人物であった事、それと大杉栄が自分が着ている浴衣に火をつけて女性を口説いたという逸話は、よく紹介されている。それを「焼身自殺的求愛」と周囲は冷やかしていたらしい。

大杉栄は妻帯者であった。妻は堀安子といい、この堀安子の姉の為子は堺利彦の先妻の妹にあたると『美は乱調にあり』では語られている。大杉栄と堀安子との馴れ初めは、或る時、堺の家に転がり込んできたのが大杉栄であった。その頃、大杉は既に年上の未亡人とデキていたにも関わらず、堀安子に入れあげてしまい、焼身自殺的求愛、つまり、自分の浴衣に火をつけて、おそらくは、どもりながら求愛をした。その焼身自殺的求愛に絆されて大杉の(内縁の)妻となったのが堀安子であった。堀安子は、大杉栄とデキていた未亡人との間で話をつけたとされる。因みに、この堀安子は大杉栄よりも2歳ほど年上であった。

幸徳秋水らが明治天皇の暗殺を画策していたとして大逆罪に問われる大逆事件が起こったのが1910年で、そのまま、一人の証人も出廷させない密室裁判で主義者らを裁いた。翌1911年1月には幸徳秋水、管野須賀子ら12名が絞首刑が断行された。(本来であれば、ここで大杉栄は連座して絞首刑に遭っていた筈だが、別の事件に投獄されていた為、生き残ってしまったので、「春三月 縊り残され 花に舞う」と詠んだ。)

これから展開される恋愛多角関係は、その幸徳秋水の処刑から5年後となる1916年の話となる。

野江と大杉とは互いに手紙のやりとりをする仲になっていた。野江は辻潤の妻であり、大杉が野江に会うには辻の家にやってきた。大杉は辻とも面識ができて、大杉と辻との関係も相応の仲になっていた。野江は手紙のやりとりをしている内に、どんどん大杉に惹かれていった。大杉の方も筋金入りの女好きなので、若い若い野江には何かを感じていた。こういうケースで野江の夫である辻潤の気持ちはどういうものであろうかと、傍目にも思う。そのあたりも『美は乱調にあり』では描いている。寂聴は、東京育ちの辻には照れ屋であり、同時にプライドが高いので、大杉と野江との関係を察知して嫉妬をしても、その嫉妬を表に出すことは出来なかったという具合に描いている。

この辻潤、大杉栄、伊藤野江の三角関係を整理してみる。元々は上野女学院の教師としてやってきた辻潤があり、その辻潤に猛アタックをして男女関係になってしまったのが伊藤野江である。辻は14〜15歳の頃から苦労人であったとされ、翻訳をしては出版社に持ち込んでなんとか金銭を得るというルンペン的な生活をしていたとされる。ようやくありついたのが女学校の教師という職業であった。辻は尺八の演奏はプロ級で、ピアノも引けて、瞬く間に女学生らから人気を博す教師になった。その信任教師の辻にぐいぐいと猛アタックを仕掛けたのが野江であった。教師と生徒とが男女の仲になるのは道徳的にも世間体的にも色々とマズいし、そもそも野江は熊襲の血筋の田舎娘だし、自分には自分に相応しい都会的なもっと可愛い子はいるさと思っていたにもかからず、篭絡されてしまったのが辻であった。それから5年が経過すると、立場は入れ替わっており、辻が野江に対して嫉妬をする羽目になっている。しかも辻にもプライドがある。自負心もあれば、同じ男同士として大杉栄に対して張り合わねばならぬという、その自負心があった訳です。そうであったが故に、辻は嫉妬心を押し殺して、野江が大杉に惹かれていく様子を見守っていた。

このように読んでいくと、この『美は乱調にあり』の面白味、寂聴先生らしさが伝わるかも知れない。

そして、野江は辻の元を去って大杉と関係を結ぶことになった。とはいっても、大杉には先に述べたように糟糠の妻の安子がある。現に安子は、何度も何度も大杉を支えてきた女である。大杉は度々、示威活動をしたために投獄に在ったが、その都度、大杉を支えたのは安子であった。安子は大杉よりも2歳年上。野江は大杉からすると10歳年下という事になる。

この頃、安子は体調を崩し気味で病床に伏す機会が多かったという。大杉は、せっせと布団の上げ下げ、洗濯といった家事をするタイプで、これは時代背景を考慮すると珍しく、いわゆるフェミニストであった。なので、安子からすれば、若い娘に大杉が手を出しているのも、いつもの事と、当初は高を括っていた。しかし、大杉の野江に対しての肩入れは尋常ではないと感じるようになっていく。若い娘に、尽くしてきた男を奪われるのは癪に障らない訳がない。

また、この堀安子の容姿についての言及は特に記されていない事、それに対して平塚雷鳥、神近市子についての容姿については触れられている事からすると、おそらく、そういう目で眺めるべきではないが、分かり易くする為に蛇足的に一般論としてのA〜Cの評価してしまうと、

平塚雷鳥…A

神近市子…B

堀安子…C

伊藤野江…C

といった具合であったと思われる。勿論、こういう評価が実際には通用しない事も後段では見えてくる。野生的な魅力と若さでは野江が突出しており、現に支えてきた糟糠の妻は安子であり、もう一人の市子が、大杉栄の前に現われる。

神近市子についての『美は乱調にあり』の記述になりますが、新聞社の記者をしていたという。女性記者そのものが珍しかった時代に神近市子は、男社会の中に入っても高く仕事を評価されていた人物であった。容姿も立ち振る舞いも優れていたが、この神近市子の場合は少女期に自分は性的な魅力はないと思い込んで勉学に打ち込んだタイプとしている。いわゆる奥手という事になる。

一連の話は「青鞜」の話なので、まだまだ、婦人解放運動の黎明期であり、その「青鞜」が打ち上げた「新しい女」というキャッチフレーズは男社会や、それが一般的であった世間の価値観からすると、冷やかしの対象でもあった。婦人解放運動を展開するには「新しい女」である事が望ましい。しかし、最初に、その「新しい女」という旗印を高々と掲げてみせた平塚雷鳥は、自身が若い燕に夢中になってしまうという状態になった。これは色々な眺め方ができるかと思いますが、要は、実際に優秀で容姿端麗な女性が経済力や社会的名声をも持ってしまったら、結局のところ、年下のイケメンとの愛欲に溺れてしまうという事を示唆していた、そういう風にも考えらえる訳です。

「新しい女」に反発を抱いて「女なんてちょろいものさ」と敢えて「青鞜」のメンバーにちょっかいを出して篭絡させる、いわゆる「落とす」という男のノリが当時の東京にも在ったという。これは、なんというのかな、クラブでもディスコでも、そういった盛り場で、「あの女を落とせるか?」といった男遊びである。つまり、「口説き落として性交渉にまで持ち込めるか?」を男同士で競い合うという悪趣味なゲームであるが、明治末期頃にもあったらしい。詳細が分からないので省略しましたが、実は伊藤野江はインテリ男からの一日に4通も届くラブレター攻撃で、半落ちさせられたというクダリがある。(瀬戸内寂聴著『美は乱調にあり』と栗原康著『村に火をつけ、白痴になれ〜伊藤野江伝』は共に、そのクダリについても言及しているが微妙にニュアンスが異なっている。)

さて、神近市子は新聞社を辞めて次なるキャリアを考えいたタイミングで、これまた大杉栄と出会ってしまう。既に大杉には内縁の妻の安子があり、新しい愛人候補として野江があり、更に、この神近市子が大杉栄に絆される。そもそも神近市子は自分の容姿に自信がなく、そうであるが故に勉強で身を立てた人物で、寂聴の表現では「頭でっかちの、性的経験は無知に近い」とも表現されている。しかし、そんな神近も、どもりながら話すくせに熱情家であったという大杉の不思議な魅力に引き込まれていった。

大杉は諸々の研究会に出席している神近市子に目を止め、自らが発行に携わっていた『近代思想』のスタッフに勧誘した。神近からしても大杉栄の事は以前から見知っており、その大杉から声を掛けられた事を誇らしく感じていた。この神近市子の大杉に対しての恋慕の情は、徐々にではあったが燃え上がってゆき、大杉と男女の関係にまで行き着いてしまう。

大杉から口説いたのではなく、堪えきれなくなった神近が切り出した。

神近「こういう、モヤモヤとした関係はよくないと思います。愛し合うか、別れるか、どっちかにしたいんです」

大杉「わかってる」

神近「では、どうしたらいいんでしょう?」

大杉「あんたを好きだ。あんたのような頭のいい、男と対等につきあえる女こそ、ぼくの長い間の理想の女性だった。あんたのような女ははじめてだ」

新聞記者時代の神近は本人が理解できていないだけで、実際に神近に声をかけたい男たちはゴマンといて引く手あまたでありながら、それらの男に引っ掛かることもなく人生を歩んできたが、神近からすると理想とも思える男に出会ってしまい、しかも、その目の前の男も自分を理想の女だと語っている。そういう状況で、おそらくは、当事者は劇的にも劇的すぎる幻想の中で恋に溺れていく――。

この神近の場合はキリスト教を信仰していた関係で性交渉にも警戒感が強かったが、大杉の妻の安子が病気で伏せていた事もあり、大杉が性欲を持て余しているのだろうから自分が、それを受け止めるという思考であったと思われる。

斯くして、大杉栄という男を中心にして、堀安子、伊藤野江、神近市子という恋愛四角関係が出来上がってしまう。大杉栄の無節操さにムカつき、嫉妬心を滾らせるものかと思いますが、この恋愛多角関係がどのような結末に到るのか? それは素朴な興味をかき立てる訳です。その結末は「日蔭茶屋事件」と呼ばれる事件に発展してゆく。


大杉栄は、堀安子、伊藤野江、神近市子といった女たちに、それぞれ肉体関係がある事を打ち明け、そして、今後も、この恋愛多角関係を継続していくつもりである――と言い出す。大杉のフリイラヴ理論は、妻も愛人も満足させられる筈だという理屈であった。これは面白い話だと思う。明石家さんまさんが「同時に好きになったら、あかんの?」とか「どっちかを選べって迫るけど、選ばなきゃ、あかんの? 両立させたらあかんの?」みたいな発言をしてトーク番組を盛り上げる事がありましたが、その問題でもある。

大杉は、女たちにフリイラヴ理論を語る。

1.お互いに経済上独立すること

2.同棲しないで別居の生活を送ること

3.お互いの自由(性的のすらも)を尊重すること

という三条件を掲げた。一つ目の経済上独立する事とは、要は「自立した男」と「自立した女」による対等の関係性である事が強調されている。経済的依存関係があると、揉め事になるのは必至だ。二つ目の同棲しない事は、誰とも同棲しない事で相互間の平等を維持するという意味合いだ。第一夫人、第二夫人、第三夫人といったような序列はつけないという宣言だ。三つ目は完全自立を意味しており、仮に誰かが浮気をしても、それも相互の自由であるとして責めたり、腹を立てぬ事という意味だ。

実際に恋愛四角関係が始まると、糟糠の妻、安子が取り乱した。安子は、野江についてはそんなに嫉妬心は湧かなかった。しかし、神近に対しては強い嫉妬心を抱いた。年齢とすると、大杉よりも2歳年上が安子、大杉よりも3つ年下が神近、大杉よりも10歳年下が野江。野江は若さだけで、どうせ飽きるだろうが、神近は怖い。しかも才女であり、中々の美貌の持ち主である。

神近は、大杉のフリイラヴ理論の三か条に賛成した。これは、どういう心理が微妙ながら、ひょっとしたら神近には勝算があったとも考えられるし、或いは大杉のフリイラヴ理論に本気で賛成していた可能性も否定できない。

野江は、大杉の提案に賛意を示している神近の態度を見て、負けず嫌いの血が沸き立った。「神近に負けてたまるか!」という持前の闘志が先に出たであろうというのが寂聴の解釈だ。そして、おそらく神近も野江も、病気がちになっている安子には勝てるであろうという風に受け止めていた公算が高い事にも触れられている。そもそも大杉は野江に目をかけてくれている。野江には神近と対峙しても大杉の愛を勝ち取れる自信もあった、とする。

この後に展開される日蔭茶屋(ひかげのぢゃや)事件とは、安子、神近、野江の3名の内の一人が大杉栄の首に短刀を突き刺した事件を意味している。誰が大杉の首に刃物を突き刺すことになるのかを考えれば、推理小説の要素も出てくる。浴衣に火をつけるという熱烈な求愛をされ、以降、ずっと妻として支え続けたのに裏切られた堀安子の怨みが炸裂する可能性もある。神近市子は性的に奥手であった関係で、ようやく出会った理想の男であり、その執着は強いかも知れず、それは激しい嫉妬に繋がりかねない。伊藤野江は激情しやすい性格であり、「炎の女」とも表現される過激なところがある人物だ。


さて、この恋愛四角関係のフリイラヴ三か条は、あっさりと破綻した。野江は経済力がなく、大杉が金銭的な工面をした。病弱の安子についても大杉が金銭的な面倒をみなければ話にならない。その為に経済的自立を実現できたのは神近だけであった。しかも厄介な事に大杉も金策に苦労しており、神近からカネを借りるという按配で、その神近から借りたカネを野江に渡すというイビツな恋愛四角関係になった。大杉は有力な政治家を通じて名士から金銭的援助を受ける或る種の裏技をも持っていたが、神近から借りたカネを野江に渡していたのは確からしく、それに神近が憤慨した。「三か条のルールを設けたのに実際にルールを守れているのは私だけじゃありませんか!」という怒りであった。大杉は平謝りをして、神近を宥める羽目になる。神近も大杉に宥めなれると、なんとなく納得させられてしまう。

三か条の二つ目、確かに大杉は誰とも同居(同棲)しなかった。同棲をしない事で安子、神近、野江の女たちの愛の平等を維持するという事であったが、野江が抜け駆けをした。葉山へ行く用事のあった大杉に野江は同行した。野江を同行させる事は、安子や神近から不公平だという不満の声が上がる可能性もあったが、大杉は野江と一緒に葉山行きを敢行した。おそらく、大杉は野江に少しだけ贔屓をしていたか、もしくは野江の積極性によるものかは定かではない。神近には内緒にして、大杉は野江を同行して葉山へ行った。(この葉山には平塚雷鳥が別荘を構えていた。)

日蔭茶屋で大杉と野江とが休息を取っていると、そこに来訪者があった。葉山へ行くと聞いていた神近が、大杉が常宿にしていた日蔭茶屋を訪ねにきたものであった。大杉の傍らに野江がいる。その事は神近を驚かせた。神近は声を荒らげることはなかったが、その場の空気は凍り付いた。その場に野江が居るという事は、野江の抜け駆けが行なわれていたという事であり、また、それを許してしまっている大杉がいるという事であった。

バツの悪い大杉と野江に対して、明らかに怒りを噛み殺している神近という構図――。野江は、不意に席を立って「ホテルに帰る」と言い出し、部屋を出て行った。室内には大杉と神近だけという状況になる。しかし、間もなく女中が大杉に電話だと告げにくる。神近だけを部屋に残して大杉も部屋を出ていく。部屋に戻って来た大杉は、かかってきた電話が野江からだった事、そして野江がホテルの鍵を忘れてしまったので駅まで届けに来て欲しいと言っている事を告げて、いそいそと部屋を出て行った。

神近は想像した。野江は機転を利かせて外に出て、また、外から電話で大杉を呼び出して、何か内緒で話の辻褄合わせをしているに違いない、と。ホテルの鍵を忘れたから駅まで届けてくれといったって、意図的にホテルの鍵を置き忘れて行ったのだろう、そもそもホテルのフロントに説明すれば鍵を忘れたという話はどうにでもなる筈である。

大杉が日蔭茶屋に戻って来ると、その一室は修羅場と化して、神近から大杉に対しての猛抗議が展開された。神近は大杉が野江の抜け駆けを容認している事、経済的自立のルールを守っているのが自分だけである事、そして野江が駆使した機転という名の小賢しい悪知恵についても言及した。猛抗議を受けた大杉は、野江に心が傾いていたのか、或いは神近のような聡明な女が取り乱して悪罵をしている事への反射的な嫌悪感だったのか不明だが、声を荒らげた。大杉は神近に対して「野江の悪口を云うのは辞めろ!」と一喝し、その上で「そんなにカネを返して欲しいのなら返してやる!」といって、鞄の中から調達してきたばかりの札束を取り出して神近に投げつけた。

神近の表情は強張ったままで口数も少ない。大杉は、いつもであれば色々と懐柔するが、この時は、どうにもならぬと布団の上に寝てしまう。神近は思いもよらぬ大杉の態度に頭の中が真っ白になってしまった。何もかもを犠牲にして、ようやく手に入れた恋の筈であったが、この有り様だ。まさか札束で清算可能なものだとまで侮辱されるとは思いもしなかった。

神近は隠し持っていた短刀を抜くと、迷うことなく大杉の首に突き刺し、大杉は重傷を負った。


元東京日日新聞の記者であった神近市子が恋愛多角関係の末に起こしたスキャンダラスな事件は日蔭茶屋事件として世間を賑わせた。神近市子は2年の実刑判決を受けて入獄。出獄後は別の男性と婚姻して三児を出産した後に離婚。性問題や恋愛問題をテーマにした身の上相談で活躍し、『婦人文藝』誌の創刊にも漕ぎつけた。更に第二次世界大戦後は日本社会党から出馬して衆議院議員となり、5期13年の議員生活を送った。

また、大杉栄を刺した女、神近市子は戦後に大杉栄と伊藤野江に言及した事があるという。関東大震災後に大杉栄と伊藤野江は甘粕正彦の率いる憲兵隊によって惨殺され、大杉の6歳の甥っ子を含めて3名の遺体が井戸に投げ捨てられるという甘粕事件が起こった。その甘粕事件の首謀者である甘粕正彦の最期について、神近は「甘粕は日本の敗戦後、細切れにされて殺されたらしい」という主旨の読者からの投稿を事実確認もせずに発表した事がある。神近は大杉と野江に対しての何某かの思いがあったのか大杉と野江を惨殺した甘粕正彦への怒りがあったのか、「甘粕が自殺しようとしていた部屋に押し入って甘粕をメッタ斬りにした」という読者投稿を、そのまま、発表した。甘粕の最期が一寸刻みに刻まれて死んだというのは事実ではないと否定されている。

神近市子に、きっと甘粕正彦はブザマに死んだに違いないと、そう信じさせたものは、如何なる感慨によるものであったか――。


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瀬戸内寂聴著『諧調は偽りなり』上巻に目を通していると、大杉栄が伊藤野江に宛てた文章の中で、堀安子の評価しているものがある。日蔭茶屋事件後のものであり、日蔭茶屋事件を知っていれば、誰が誰宛てに何を言っているのか、「オマエが言うな」という文章にもなるのですが、中々に鋭い指摘が為されているなと感心しました。

くれぐれも「オマエが言うな」の話なのですが、大杉栄は伊藤野江に対して、

「君や神近は、自分等の考えの進みかたのえらさに余程の割引をして反省しなければならないと共に、猶安子の態度に就いて物を云う時は余程の遠慮がなくてはらない」

と諭すような文章を残しているらしい。無粋を覚悟で要約すると、伊藤野江と神近市子に対して、自分たちの先進性を偉いと思うなと戒めようとしている。裏返すと、野江と神近は、自分たちよりも利巧ではなく、年長でもある安子を軽んじて語っているが、君たちの先進性を偉い等と誤解してはいけないと窘(たしな)めている箇所である。

続けて、

「諸君の如き反省や思索のトレエニングのない、無教育な女だ。しかし彼女は、生じっか学問のある女よりは、余程よく物事の分かる女だ。むずかしい理屈を云う事にはとても諸君に及びもつかないが、世俗の事についてならば、諸君なぞはとても彼女の足もとに及び得るものでない」

と続けている。くれぐれも「大杉さん、あんたが言える言葉なのか?」となってしまうものの、その実、問題の本質を射抜いていると思う。

この日蔭茶屋事件を巡る恋愛多角関係は、おそらく現在でも、自由に意見を述べる事を絶対的前提条件として討論するともオモシロい話になると思う。どういう人が、誰に加担するのか、意見が割れるテーマなのだ。元々の妻であった堀安子に対して同情的な立場をとる者も少なくなく、どうも瀬戸内寂聴の筆致で再現された小説を読むと、裁判官は堀安子に同情的であったと思われる。裏返すと、新しい女を標榜して、本妻の安子から男を奪う事に罪悪感を持っていなかったと言い張った原告の神近市子の態度に怪訝な表情を浮かべたらしい。他方、世人の多くは最終的には短刀で大杉栄を刺してしまった神近市子に同情が集まったという。刺してはしまったが、あんまりにも憐れだ。そして、徹底的に悪役になってしまったのが若さだけを武器にして結果的に大杉栄を独占する事に成功した伊藤野江という事になった。

現在であれば「大杉栄こそが元凶である」と、直ぐに元凶を嗅ぎつけるものと思いますが、当時はそうではないところが面白い。最終的に大杉栄を自分のものにしてしまったのは伊藤野江であるという純粋な恋愛バトルの要素で語られている。最終的に大杉を刺してしまった神近市子までもが留置場の中で「伊藤野江に敗れたかと思うと悔しい…」と語る世界なのだ。

また、書き手でもある瀬戸内寂聴は大杉栄の女癖の悪さについて語って、幼児期の体験なのかなんなのか女に母性を求めるところがあるとし、また、気がやさしい人物なので、別れるべきタイミングが来ても、その女と別れる現実的な判断が出来ない人物であったのではないかと述べている。これは直ぐに思い当たる事がある。大杉栄の逸話は、そんなものばっかりなのだ。年上の未亡人と交際していながら堀安子に求愛した。堀安子は当時は交際相手がいたが、大杉栄が自分の着物に火をつけて求愛をした。それでいて大杉は未亡人との交際が終わっていなかった。なので、情熱的な求愛を受け入れる事にした堀安子が大杉の交際相手の年上の未亡人とやらに会いに行き、話をつけて大杉と安子との内縁関係に入った――とある。その逸話からすると、大杉は別れ話を切り出せないタイプであった可能性は高い。その割には、次から次へと女を口説ているだから非常にタチが悪い訳ですが。

また、そういう人物だから、伊藤野江や神近市子が堀安子に対して抱いている優越感を看破し、堀安子には世俗の事であれば、諸君なぞは足元にも及ばないのだぞと、戒めている。くれぐれも「オマエが言うな」という問題ではあるのですが…。


これは、或る種の回路だよなって思う。「老婆心」と表現されたり、「父性」と表現されたり、呼称は色々とあるのですが、おそらくは「世俗社会の処し方」に属する実践的な知恵だ。それは学問とは全く別次元であり、世俗社会には世俗社会の渡り歩き方がある。それは厳格に言語化されたルールではなく、暗黙の了承、常識、あるいは暗規(あんき)などと呼ばれてきた回路だ。

『ケーキの切れない少年たちのカルテ』の中には、少年院の中の矯正プログラムの話が紹介されている。276頁だ。

「深夜の道で、ミニスカートをはいていた女性が性被害に遭いました。その女性は悪いでしょうか。悪くないでしょうか。完全に悪いと思ったら100パーセント、全く悪くないと思ったら0%で答えてください」

という質問を院生たちに投げ掛ける。パーセントで答えさせているのは、程度を判断させている。病院に担ぎ込まれて、「痛さについてお尋ねします。1から10までだったら、どれぐらいの痛さでしょうか?」と問診されるのと同じ。

上記の質問は性犯罪更生プログラムらしく、当然、問題のある者は「ミニスカートを履いていた女の人が悪い」という傾向が強まり、女性に非はないだろう、瑕疵割合は0パーセントであろうという意見は少なくなる。紹介されている例でも6名の受講生があって

90パーセント女性が悪い⇒1名

80パーセント女性が悪い⇒2名

という結果を、そのドキュメント小説の中で紹介されている。(6名中の3名が、「犯罪に遭った事の80%以上は深夜にミニスカートで出歩いていた女性の責任だ」と考えているらしい。凄い歪みですが現実らしい。)

その矯正プログラムとは少し離れた問題の取り上げ方になりますが、我々は、そういう問題を老婆心や父性、もしくは親心、教育的観点、或いは常識といった大雑把な尺度で捉えてきた訳です。設問の文章では揚げ足取りの餌食になってしまうので改めて言い直しますが、要は、世俗社会の処し方として「危険な夜道に華美な服装、露出の多い服装で出掛けるべきではない」という巷間の知である常識によって物事を判断している。しかも、それは本来的には、その者の身を案じての何かである。別に、その女性の自由を不当に制限しようとする意図があるものでもない。

この問題をややこしくするのは法治主義であり、法治主義を絶対視する論陣の中から、常識を否定する論陣が登場する。これを法治主義至上主義者と仮に呼ぶとしよう。その法治主義至上主義者は一切の価値観の拠り所を法規(人定法)に足がかりにして展開させるので、自分たちの知的優位を確実なものにする為に法治主義的思考から極論にしがちなのだ。つまり、「危険な夜道に露出の激しい服装で歩こうが何ら法律には抵触していない。なので、その者が刺激な服装で外出していた事を理由にして事件に遭遇した場合、一切の責任は加害者にあり、被害者には瑕疵はない」と展開させる。いつのまにやら単純二元論に持ち込まれてしまうのだ。法治主義至上主義者の手にかかると法に抵触するか否かが彼等が立脚している知的体系の基本になるので、意識的か無意識的かは一先ず置いておいて、そうなる。で、そうした意見に対して派手な服装、華美な服装、露出の激しい服装で繁華街に出掛けたい夜遊びしたい少女たちは「イエーイ、やっぱ、あたしっちの勝ちっしょ☆ 理解のある大人ってスキスキ☆」と便乗する。また、ワイドショウの論客も若者の味方を演じる事で理解のあるオトナである事をアピールするので良識的な善導は否定されてしまう。キーワードとしては「ともだち親子」、「友達みたいな先生」だ。結果として本来的な良識派は敗北を続けた。常識の底が抜けて、社会の底が抜けた。これが現代の大衆迎合の問題だ。ホントは大衆に迎合してしまうと、どんどん民度やモラルは欧米並みに落ちていくと予測できるが、もう、迎合をホントに30〜40年以上は続けてきたのが現在のネオ・トーキョーの価値観であろうなって思う。

しかし、この問題、最近はベストセラー連発で儲けまくっている和田秀樹さんが過去に『テレビの大罪』という著書の中でも言及していた通りの問題だ。福田康夫元総理が官房長官時代に

「女性にもいかにも『してくれ』っていうの、いるじゃない。そこらへん歩けば、挑発的な恰好をしているのがいっぱいいるでしょ。世の中に男が半分いるっていうこと知らないんじゃないかなあ。ボクだって誘惑されちゃうよ」

それに続けて

「男は黒豹なんだから」

と、オフレコで発言した。いわゆる「黒豹発言」と呼ばれる問題だ。先ず、確認しておくと、その発言はオフレコでの発言だ。しかし、何故か、それがスッパ抜かれて世間を騒がせ、政局に利用される騒動となった。しかし、発言の真意は、おそらくは良識的な部分にあったのも自明だ。

拙ブログ:肥大化する性意識〜その5

しかし、或る時期から、大衆を利用して政局に利用する巧妙なプロパガンダが起こるようになり、真意らしい真意を捉えることなく、ポピュリズムの勢いを利用し、政局や時事問題を力で圧し切ってしまうようになってしまい、「世俗社会の処し方」が属する世俗の知恵は、殆んど顧慮されなくなってしまった。世のおじさんやおばさん、おじいさんやおばあさんたちの中には俗世間を生きる知恵として「そんな事をするもんじゃないよ」といった具合の良識を学問とは関係なく持っていたが、それら巷間にあった知恵の回路を、おそらくは小泉政権前後の頃、西暦2000年頃なのかな、その頃から、そうした回路を寸断してしまったんですよね。

昔は「お婆ちゃんの知恵」のようなものが重宝された時代もあった。しかし、現在だとアカラサマに老害として扱う風潮になってしまった訳でしょう?! 一時期の専業主婦に対しての蔑みみたいなものはホントは酷いものがあったと思う。発せられる言葉の陰にそれが見透けてしまっているが、何故か許容されてきたのが実相でしょう。それらは過剰な(ネオ)リベラル論陣がメディア占有をしてやって来た事で、中身としては、そんなに某議員による生産性うんぬんの問題発言と五十歩百歩の関係にも見えてしまったりする。

結局のところ、その者の肩書き等に強く依存して物事や人物の優劣を判断しているから、中島みゆきさんが歌ったところの「地上の星」が見えないのだ。ホントは、輝いている星は其処此処に存在しているのに、みんな空ばかり見てる――。

世のオジサンやオバサン、ジジイやババアは、若者を理解しない邪悪な存在ぐらいにしか思っていないのではないのかなって思う事が、しばしばある。テレビ的な言説がそれだ。すべての古くさい知識は劣った何かであり、それらを排撃する舶来の、分かり易く、華やかな肩書きを持った専門家と称する人たちだけが知性であり、物事の善悪を語る資格があるかのように洗脳されてしまっているのではないかなって思う。

それを思うと、大杉栄が伊藤野江をたしなめて、学問、先進性、理屈で優っている事に自惚れているがホントは君たちが思うほど堀安子はアタマの悪い人間なのではなく、世俗の処し方については君たちが足元にも及ばない賢さを持っているのだよ、と諭している。これは中々の発見であった。(大杉栄については手短に説明する事は不可能ですが寂聴も好意的に書いていると思う。優柔不断な人物で問題の多い人物であるが傑出した人物であった事もまた否定しようがない。)

過去記事で「知能」や「IQ」といった問題を取り上げてきた話とも関係していて、こういう観点が失われてしまっているのは確かでしょうからね。

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青鞜マンダラ番外編として、以下に有島武郎と波多野秋子の心中事件について。いやいや、そういう死に方もあるのかとか、そういう生き方もあるのかとか、まさしく、そういう問題になってくると思う。

先ず、有島武郎(ありしま・たけお)といえば、武者小路実篤、志賀直哉、高村光太郎らと共に「白樺派」と呼ばれた『白樺』を活動母体にしていた作家グループの代表的な人物であった。専門的にはあれやこれやあるようですが、一般的に白樺派の特徴を手短に表現すれば人道主義的傾向が強いという事でしょう。大正時代中期に全盛期を迎えたが、大正末の関東大震災と共に『白樺』も廃刊となった。当の有島武郎はというと、高級官吏の子として生まれ、学習院を経て札幌農学校を卒業、更に米ハーバード大学大学院に学んだとなる。史学と社会学の研究をしたとも。そして代表作は『或る女』、『カインの末裔』、『惜しみなく愛は奪ふ』といったあたりが挙げられている。竹内労[著]&かわぐちかいじ[画]『黒旗水滸伝』(皓星社)の第三巻に拠れば、有島武郎は特に若い女性の熟読を得て大作家になったとある。

そして特筆すべきは、この有島武郎の晩年であり、北海道の広大な農園(四百五十町歩)を約70名の小作人に無償で解放した。更に全私有財産の放棄を宣言していた。当時の新聞は有島武郎による農園を小作人に無償解放したという話は、五段抜き、六段抜きの記事として大々的に報じられたという。それから約一年後に、有島武郎は心中を完遂した。

有島武郎については、なんとなく、そういう人なのだろうなという雑知識はあっても、一方の波多野秋子については、あまり、語られる事も珍しいと思う。しかし、これが瀬戸内寂聴著『諧調は偽りなり』下巻(岩波現代文庫)には、相応に文字数を割いて取り上げられており、なるほど、これも考えさせられる心中事件であるなという感慨に到る。

『諧調は偽りなり』に拠れば、この「波多野秋子」という女は生い立ちから容姿から、そして死に方まで色々と興味深い人物であった事になる。この秋子の実父は実業家・林謙吉郎が新橋の美しい芸妓に産ませた妾の子であった。秋子は実践女学校から青山学院専門科へ進み、英語を体得しようと英語塾に通っていた。その英語塾の教師が波多野春房(はたの・しゅんぼう)であり、派手なハイカラの服を着た美男子で、そうした風貌であったが故か女たらしの人物であった。秋子と春房は、この英語塾の教師と教え子という関係の中で恋仲になった。春房は30代半ば、秋子は19歳の時に、秋子は春房の元へと走った。春房は既に既婚者であったが、その古女房を追い出して秋子と同棲を始めた。

波多野秋子は妖艶な美女として有名であったらしい。婦人公論の記者であったといい、瀬戸内寂聴が描いた伊藤野江の波多野秋子の印象は、「美貌を武器にして仕事をしている感じが許せなかった」と表現している。伊藤野江にしても2〜3度は波多野秋子に逢った事があるという。神近市子についても三白眼であったという表現があるが、この波多野秋子は神近市子よりも鮮明な三白眼の持ち主であり、「妖艶」という表現は、つまり、コケティッシュなのだ。秋子とて、望んで生まれてきた訳ではないのでしょうが、そもそも大金持ちの実業家が新橋の美妓に産ませた庶子なのだ。

有島武郎は既に白樺派を代表する大物作家であった。先述した通り、自分が相続した広大な農園を無償で小作人らに分け与えてしまう等、犠牲奉仕の観念が強い人物でもあった。その上、先妻に病気で先立たれた後は二児を現在でいうところのシングルファーザー状態で育てており、その清廉なイメージも有島武郎にはあったという。

しかし、有島武郎のような人物にも色欲があったのかも知れない。というのは、有島武郎は同じ三白眼の神近市子に対して恋文らしきものを出した事があるのだという。しかも、その時期は神近市子が大杉栄を刺した日蔭茶屋事件後であったという。奇しくも神近市子も津田卒の婦人記者であり、妖艶さでは波多野秋子に及ばぬものの、共に当時の婦人記者という職業であり、尚且つ、寂聴が補正すれば、共に三白眼の持ち主であった事になる。いわゆる「インテリの美女」であった訳です。また、その中でも目立つレベルの美女であった波多野秋子については「くず折れる牡丹のように妖艶な美女」と呼ばれていたらしい。

この【三白眼】については字引を引いてもダメですね。辞書類を引いても、「黒目が上に寄って左右と下に白目のある目/他人を信じない人の目」という解説になってしまっている。そうではありませんね。実際にキャバクラなどの水商売の店へ行けば、なるほど三白眼のホステスは男性客から「愛らしい目つき」と捉えられている。つまり、三白眼とは先天的な上目遣いであり、それは意図的な媚びではないのかも知れないが、甘えられているように感じて異性から好かれるのだ。場合によっては、その三白眼であるが故に「この娘はオレに気があるに違いない」という具合に相手に勘違いを生みやすいかも知れない。結局のところ、「上目遣い」に見えることで相手からは或る種の媚態として捉えられてしまうのでしょう。

有島武郎が神近市子に恋文らしきものを渡した。しかし、神近市子は大杉栄を刺して懲役2年の実刑に服するタイミングでもあり、大御所・有島武郎からの「もう一度、逢いたい」という主旨の手紙を遠回しに断ったという。実は、神近市子は一緒に散歩をしながら有島武郎に接吻をされたという。年齢的なものを考慮すると、両者の年齢は有島武郎は40歳過ぎ、波多野秋子と神近市子は凡そは同じぐらいの年齢で30歳前後。

有島武郎と波多野秋子との間の不倫関係は、どのように成立したのかは判然とはしていない。但し、有島武郎の方が生前に親しい友人に対して「或る婦人記者にボクはいま誘因されている、逢うのが恐ろしい」と語っていたと、これについては竹中労も瀬戸内寂聴も揃って指摘しているので、判然としないがならも人妻である筈の波多野秋子の方から積極的に有島武郎に迫ったという可能性の方が有力となる。寂聴の筆致では、こうなる。

秋子は仕事で武郎に近づいて以来、積極的に迫ったものと思われる。最初の頃、武郎は美貌の秋子が自分を誘惑しにかかっているなどと、冗談半分に友人に報せていたくらいであったが、秋子の捨身の情熱に次第に溺れて行った(『諧調は偽りなり』下巻174頁)

秋子の夫である波多野春房は、当時は実業家として成り上がっており、日本海上火災保険会の書記長なる役職を持っていた。この春房は妻・秋子の異変に気付いた。そして春房は秋子と有島武郎との貫通の現場を押さえた。一説に、春房によって秋子は催眠術をかけられて、姦通の事実を自白したといい、また、別には、春房が罠を仕組んだ為に波多野家で秋子と有島武郎とが密会し、その密会現場を押さえたという。

秋子の美貌に引っ掛かった大物作家。現場を取り押さえた春房は姦通の代償として有島武郎に金銭を要求したという。つまり、現場と取り押さえた夫の春房は「示談にしてやるからカネを支払え」と話を運んだ。額面は当時のレートで金1万円か2万円であるが、現在に換算すると数千万円か数億円かを要求しているようなレートになる。

カネを要求された有島武郎は「愛する女をカネでは買えない!」と、その示談話を蹴とばした。示談話を蹴飛ばしたが故に、そこから有島武郎と波多野秋子は破滅に向かったという。示談を蹴飛ばしたとあるが、物は語り様であり、つまり、カネを支払わねば秋子との姦通を公表してやるという脅迫でもあるのだ。有島家は資産家だったので有島武郎には弟があり、有島生馬は画家兼作家として成功者であり、文化勲章受章作家の里見��(とん)もあった。しかし、波多野春房から脅されている事を相談できず、死ぬしかないという具合に破滅に向かっていったというのが真相であろうと『諧調は偽りなり』には記されている。

有島武郎には古くから親友として足助素一(あすけ・そいち)だけには色々と相談していた。春房による有島武郎への恐喝(示談話)は、春房が役員を務めている海上ビルのオフィスに呼び出して為されたものであったが、引き上げた後も事情を足助には語ったらしい。足助は、有島武郎が自殺しようとしている、もしくは秋子と共に心中する気になっていると気付き、有島武郎と波多野秋子に対して説得を試みた。

足助「死ぬ事だけは辞めてくれ」

有島「忠告は有難いと思うよ。しかしぼくらは外界の圧迫に負けて死ぬんじゃないんだ。はじめからこうなることは既定のことで、われわれは愛が豊満された時、一緒に死のうとずっと考えていたんだ」

有島は秋子に魅入られてしまっているのだと思った足助は、有島にぴったりと寄り添うようにしている秋子にも声を掛けた。

足助「有馬を殺さないでくれ! あなたは愛する男を殺して嬉しいのか?」

秋子は足助ではなく、寄り添うようにしている有島の顔を見つめながら、

秋子「ふたりだけでわかっていればいいのよねえ」

と、甘えかかるように答えた。

有島「どうか秋子を責めないでやってくれ、許してやってくれ」

そう言いながら有島は足助の手をとって落涙した。


有島武郎は軽井沢に別荘を持っていた。和洋折衷の瀟洒な建物がそれで「浄月庵」と呼ばれていた。有島と秋子は6月の雨の降りしきる軽井沢の別荘に向かった。

別荘番は、本来は隣の別荘の確認に行ったが、折角なので、ついでに有島武郎の別荘についても確認しておこうと浄月庵にも足を向けた。浄月庵の方へ向かうと、異様な臭気が鼻をついた。別荘番が窓から応接室を覗き込んでみると、そこには梁からぶら下がっていると思われる何かを発見した。そこにあったのは男女二体のつり下がった怖ろしく腐乱した遺体であった。とんでもない死臭が充満していた。遺体は蛆虫に食い荒らされ、中には羽根が生えて室内を飛び回っている虫もあったという。(この蛆虫の描写については竹中労は天井にも蛆虫が這っていたと描写している。)

心中した二人は数多くの遺書を残していたが、波多野秋子が波多野春房に宛てた遺書もあった。

とうとうかなしいおわかれをする時がまいりました。度々おはなし申上げた通りで秋子の心はよくわかって下さることとぞんじます。私もあなたのお心がよくわかっております。十二年間の間愛しぬいて下さったことをうれしくもったいなくぞんじます。わがままのありたけをした揚句にあなたを殺すようなことになりました。それを思うとたまりません。あなたをたったひとりぼっちにしてゆくのが可哀相で可哀相でたまりません

秋子が春房に宛てて遺した遺書である。寂聴は「納得のいかない気がする」と評し、伊藤野江は非常に腹を立てたという。秋子は心中したのであり、謂わば情死である。しかし、一途に有島武郎を愛して愛に殉じたのでもなく、且つ、波多野春望を愛したのでもないじゃないかとい怒りで語っている。その状況で春房に対しての「みれん」を語っている事を、伊藤野江は「甘い」と評して腹を立てたという。

また、この有島武郎と波多野秋子の心中現場となった「浄月庵」は、その故人の意向に沿って事件後には焼却されたという。

波多野秋子の評判は、大物作家を心中に導いてしまった女といったタッチだったのかも知れませんが、今一度、生い立ちに戻ると、案外、そういうものなのかも知れないと考えたりもする。秋子は、資産家の男が新橋の美妓に産ませた子であり、元より、秋子の武器は、その持ち前の美貌と関係していた節がある。だから先妻を押しやって正妻になり、春房との12年間の夫婦生活についても遺書にある通り、かなり我が儘も許されていた節がある。それなのに波多野秋子は何故か心中を選択したという事になる。有島武郎と心中する気持ちは堅固なものであったと思われるが、実際に遺書には春房への未練らしきものをも読み取れる。

婦人公論の記者であったが月給はすべて着物に変えてしまい、蛇を象る装身具をつけていた等、そういうタイプの美女であり、つまり、伊藤野江の「美貌を武器にして仕事をしている感じが許せなかった」という波多野秋子評についても想像が及ぶかも知れない。まぁ、そういう事を言ってみても、秋子の美貌に対しての嫉妬であろうと受け止められてしまい、その描写も、実際に瀬戸内寂聴は書いていましたが、実は、そういう事だ。波多野秋子にしてみれば、自分の持っている武器を十二分に発揮し、その自らの人生を歩んだというだけの事かも知れない。

秋子の享年は31〜32歳になるので、「くず折れる牡丹のような妖艶な美女」と呼ばれた秋子は、その妖艶な美女のまま、死んだのであろうという事になる。また、有島が秋子を口説いたのではない事には既に触れた。となると、おそらくは秋子の方から積極的に有島を誘惑し、有島と共に滅びるという破滅の道へと突き進んだ事になる。波多野秋子についての比喩表現の「くず折れる牡丹」、その「くずおれる」とは「頽廃」(退廃)を意味しており、つまり、しなびて崩れ落ちるような、それでいて毒々しいまでに派手な牡丹の華の比喩なのでしょう。


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瀬戸内寂聴の作家としての評価は少し低く語られているのではないかと、ふと、そんな事を思ったのが瀬戸内寂聴著『遠い声 管野須賀子』(岩波現代文庫)であった。

前掲著から引用していきます。いきなりショッキングなレイプシーンからの引用となりますが、実は、それが女性としては本邦初の死刑執行された管野須賀子の人生を象徴しているかのようなイヤらしいシーンでもある。(この管野須賀子の場合は、継母との〈確執〉が大きく影響していたと思われる。)

あれは私の十六の冬のことだった。父は東北の鉱山へ出かけていてずっと留守だった。継母は朝から、弟妹たちをつれて、京都の親類の法事に出かけていた。遅くなっても帰ってくるというからといって出て行ったので、私は大阪の家で留守をしていた。木枯らしの凄まじい夜で、雨戸を閉めきっているいるのに、ひゅう、ひゅうと泣くような風の音が耳をさし、ランプのほやの中で、雨戸がゆれる度、炎が心細そうにまばたきしていた。和脚はこたつに入り、本を読みふけっていた。九時になっても、十時になっても継母たちは返って来ない。先に寝てしまうわけにもいかず、本に読みふけっているうちに私は眠りこんでいたらしい。気がついた時は、胸苦しさに無意識に何かを押しのけようとしたとき時だった。最初、私は事の次第がのみこめず、一瞬、ぼうっとしていた。あまりの真近にせまっている赧(あか)い顔、酒臭い息、情欲にぎらついた濁った瞳、吹出物の出た大きな鼻……それらがばらばら目に入ってきた時、私は夢中で、男の顎に噛みついていた。家に出入りしている鉱夫の一人だった。抗えば抗うほど、男は狂暴になり、私はちぎられた自分の着物の袖で猿ぐつわをつかまされ、自分の腰紐で手をしばりあげられていた。もっと屈辱だったのは、血にまみれた下半身をむきだしにしたまま、気を失っていた私を継母の目にさらし、それを父はもとより、出入りの誰彼にまで面白おかしく継母の口で吹聴されたことだった。男は継母にそそのかされ、継母の指図のまま、私を犯したのだということが後になってわかった。継母を殺してやりたいほどの憎悪を抱いたのはその時からだ。(『遠い声』81〜82頁)

酷い話であるなぁ…と驚かされると同時に、人間の底意地の悪さというものが見事に再現されているような気がしないでもない。「もっと屈辱だったのは…」以降の行為が、須賀子に継母への殺意にも似た強烈な憎悪を募らせたというが、確かに、納得のいくような話かも知れない。

その後、この管野須賀子(かんの・すがこ)は少しばかり文章を書けるという事で、幸徳秋水や荒畑寒村らの社会主義者らの間で重宝される存在となる。編集のような作業に須賀子は慣れていたのだ。27歳の時に21歳だった美青年・荒畑寒村に接近すると、須賀子は荒畑寒村を「女性の経験がないのだろう」のように見抜き、そのまま荒畑寒村を篭絡させ、結婚に到る。しかし、その後、あろうことか須賀子は荒畑寒村を裏切って、当時の日本の社会主義者グループのリーダー的な存在であった幸徳秋水の愛人となる。荒畑寒村は表向きは、幸徳秋水を立ててはいたが、実は懐にピストルを忍び込ませ、幸徳秋水と管野須賀子への復讐を密かに画策していたという。許せぬ、裏切り行為と感じていたという訳だ。また、周囲にしても管野須賀子の次から次へと男を渡り歩く様を「節操がない」として激しく攻撃されたという。

とはいえ、奇妙なもので、その頃の幸徳秋水は病気が重篤化しており、健康ではない。そんな幸徳秋水に管野須賀子は独特の病気の匂いを感じ取っていたという。まぁ、あまりいい匂いとは思えませんが――。

秋水にめぐりあうまで、私はさまざまな男たちを遍歴していたにもかかわらず、秋水と結ばれてはじめて、私は男に愛されているという深い安らぎを味わった。何も考えず、何も望まず、ただ手足の爪先まで、髪の毛一筋まで、男にゆだねきって、背中をあずけ、うっとりと目をつぶっていたらいいという安心感ほど女にとっては幸福なものはないということも、はじめて識った感懐だった。(同117頁)

この箇所などは、瀬戸内寂聴という作家の生涯についても少し知っていると、「ほほぅ。瀬戸内寂聴は、そのように捉えていたのか」と感慨深くもある。少なくとも管野須賀子は、それに近いかたちで「オンナの幸福」というものを語っていたことが分かる。時代が時代なので、そうなる訳ですが、いつの間にやら現代人にとっての幸福の尺度から、「愛されること」や「愛すること」という喜びが消えてしまったのはホントだったのかも知れない。

最後は、管野須賀子の死生観の話になりますが、それが以下の部分だ。

辛い時、惨めな時、すぐああ、いっそ死んでしまいたいと思うのは、それ以来、私の身にしみついてしまった考えだが、結局、死にきれず、今まで生きのびてしまった。辛い時、惨めな時、死を思ったのが、主義のために生きようとす思想が定まった頃から、自分の運命の惨めさのために死ぬのではなく、主義のために意義ある美しい死を選びとりたいと思うようになっていた。(同158頁)

その後に「妾は、グズグズとした病死が一番厭なり、思いきった死様をして見たく思うなり」と続けられている。簡単に言えば、病気で弱っていって死ぬよりも、美しい花として死にたいという、そういう死生観に触れている。「いっそ死んでしまいたい」という心理の真理。勿論、それは心底から考えぬかれたものなのかどうかは兎も角として、確かに、そんな風にも考えるのが生々しい人間の〈意識〉ではないだろうか。

西田佐知子「アカシアの雨のやむとき」の唄い出しが、そんな歌詞だったっけ…。
♪
アカシアの雨にうたれて

このまま死んでしまいたい


病院で入院している期間に読んだのが瀬戸内寂聴著『遠い声』(岩波現代文庫)と、酒井信著『松本清張の昭和』(講談社現代新書)だったのですが、1960年代頃の方が日本人の思想は自由奔放で力強かったんじゃないのかな、という気がした。
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