ある種の異常気象によって世界各地で山火事が猛威を奮っていると報じられている。ハワイはマウイ島で発生した大火事は死者が百名を超えたといい、高温と乾燥とによって発生した大規模な山火事は他にも米テキサス州、カナダ、フランス、スペイン、ポルトガル等で発生し、また、これら大規模な山火事が発生した事に拠って炭素が大気中に放出され、また、森林が減少し、地球環境は負のスパイラル入りをしたのではないかという話にまでなってしまっている。そして実感するところ、日本も連日の猛暑が継続し、地域によって台風や線状降水帯が規模の大きな災害を起こしたと報じている。
戦争に疫病に自然災害が揃ってしまっている訳ですが、これらの前に「偽りの救世主」の登場を置けば、いわゆる黙示録と呼ばれてきたものと完全に一致してしまっている事に気づかされる。荒唐無稽な事を言いたい訳でもないのだけれも、「こんな風にして終末が訪れるのですよ」と考えられてきた話であったものであったが、現在に及んでは「偶然なのだろうけど、確かに現実と重なっているじゃないか」と感じなくもない。「そんな事はないさ」と言えば、それに感づいて居ながら、まるで虚勢を張っている事にもなってしまう。
メシア論を展開したいのですが、最も広く知られているメシアであろうイエス・キリストについて、あまり詳しく知らない。また、このテの伝承は諸説が入り乱れている可能性がある中で、信用の置けそうな若松英輔著『イエス伝』(中公文庫)を参考にして、イエス・キリストについて――。
先ず、受胎告知ですがイエスは、知られている通り、イエスはマリアの子として誕生したとされている。その他にも馬小屋で生まれたとされるのが通例である。しかし、前掲『イエス伝』では「馬小屋で誕生した」というのは、イエス誕生からしばらく時間が経過した後の解釈であり、もし仮にイエスが実在した人物であるとし、それが「ナザレのイエス」という一個人に帰するのであれば、イエスとは中東のナザレ、古くは古代パレスチナ北部、それでありがら現在のイスラエル北部地方に該当するナザレの町で誕生した中東人であると認識する必要性がある。イエスは現代人がイメージする西洋人というよりも、中東人であり、言語的にもセム語に属するアラム語を話していたと考えらえるので少なくともヨーロッパ系に分類される人物ではなかったという。
そして父ヨセフと母マリアの子として誕生した。「イエス」という名前は、ヘブライ語では「イェホーシェア」や「ヨシュア」であり、イエスの英語の綴りになると【jesus】であり、これは人によっては「ジーザス」と発音する事になるのでしょう。また、「イエス=キリスト」という場合の「キリスト」の部分は直接的には「香油を注がれた者」のギリシャ語であり、意味合いとしては「救世主」の意味であるという。
かなり、通説として語られている部分との差異があるように思う。マリアは処女のまま、イエスを授かって誕生したという通説は、どうも新約聖書や4つの福音書(マルコ伝、マタイ伝、ルカ伝、ヨハネ伝)、及び、聖書学の系統で語れば、そうなってしまうらしい。ナザレのイエスとは大工であった人物であり、基本的にはヨセフとマリアとの間に産まれた子である。そして、その父のヨセフがどうもダビデ家の家系であったという。また、ヨセフとマリアとは婚姻しておらず、マリアはヨセフの許嫁(いいなづけ)であり、その段階でイエスを身籠ったというのが、それらの事から類推される「ナザレのイエス」ついての現実的なアプローチという事になる。
そして実はイエスは「馬小屋で生まれた」というのも誤解であるという。イエスの出生した場所は、ベツレヘム近郊の宿屋であり、キリストの父であるヨセフはダビデ王家の血筋を引く者であり、実際には「宿屋」を意味する言葉や「客間」を意味する単語でイエスの出生は語られているという。それが「馬小屋で生まれた」になってしまったのは、キリスト教がその後にヨーロッパ化した事と関係しており、当時の中東では居間で馬を飼っていたが、それをヨーロッパ人が理解できず、馬小屋で生まれたものだと解釈した為であろうとしている。飼育している動物は盗賊に盗まれたりする事が珍しくなかったのでイエス生誕の時代、おそらく紀元前8〜4年頃のベツレヘム近郊では動物を室内で飼っていたのだ。そして「馬小屋で生まれた」という通説が生じた理由も判明しているという。イエスが出生した場所には飼葉桶が置かれており、室内で動物を飼う習慣の無かったヨーロッパの記者(筆記者)は、飼葉桶のある場所で生まれたという事は馬小屋で出生したという事だろうと連想し、「イエスは馬小屋で誕生した」と記した。それは厳密に言えば勘違いであったが、その記述が広く永く拡散したものだと考えられるという。(しかも、特に訂正も為されていない。)
後述する予定ですが、日本の聖徳太子は「厩戸皇子」(うまやどのみこ)が正式名だとなっており伝承そのものもズバリ、馬小屋で生まれたとされている。当然、この聖徳太子伝説についてもイエス・キリストの誕生譚に影響を受けているという指摘は、実は大昔からあった。偶然の一致として片付けるには、聖徳太子伝説の方こそ謎だらけであり、むしろ、何某かの影響を受けて聖徳太子伝説が生まれたのだろうと考えた方が諸々の辻褄が合ってしまう可能性だって低くない。このテの論法は松本清張あたりがササーン朝ペルシャの影響を日本の飛鳥文化は受けていただろうと発想したものにも通じ、決定的な証拠を示せるものではないが、松本清張のような知性の持ち主であれば、当然に疑うであろう程度の偶然の一致とはいえる――という事になると思う。
イエスの出生はベツレヘム近郊の宿屋であった事は判明している。ダビデ王の血筋を引いていた父ヨセフも、その場にいたのだから、宿屋からすれば歓迎すべき客人であった筈で、ヨセフとマリアとが馬小屋に通される事は考えにくく、中東の歴史や文化といった背景を以ってイエスの出生譚を解釈し直すなら、客間に通そうとしたが客間に通せない事情があり、宿屋の主人は自分たちの居間へとヨセフとマリアを通した。その居間には当然に飼育されていた動物たちがおり、イエスは、そこで生まれた――となる。
戦争に疫病に自然災害が揃ってしまっている訳ですが、これらの前に「偽りの救世主」の登場を置けば、いわゆる黙示録と呼ばれてきたものと完全に一致してしまっている事に気づかされる。荒唐無稽な事を言いたい訳でもないのだけれも、「こんな風にして終末が訪れるのですよ」と考えられてきた話であったものであったが、現在に及んでは「偶然なのだろうけど、確かに現実と重なっているじゃないか」と感じなくもない。「そんな事はないさ」と言えば、それに感づいて居ながら、まるで虚勢を張っている事にもなってしまう。
メシア論を展開したいのですが、最も広く知られているメシアであろうイエス・キリストについて、あまり詳しく知らない。また、このテの伝承は諸説が入り乱れている可能性がある中で、信用の置けそうな若松英輔著『イエス伝』(中公文庫)を参考にして、イエス・キリストについて――。
先ず、受胎告知ですがイエスは、知られている通り、イエスはマリアの子として誕生したとされている。その他にも馬小屋で生まれたとされるのが通例である。しかし、前掲『イエス伝』では「馬小屋で誕生した」というのは、イエス誕生からしばらく時間が経過した後の解釈であり、もし仮にイエスが実在した人物であるとし、それが「ナザレのイエス」という一個人に帰するのであれば、イエスとは中東のナザレ、古くは古代パレスチナ北部、それでありがら現在のイスラエル北部地方に該当するナザレの町で誕生した中東人であると認識する必要性がある。イエスは現代人がイメージする西洋人というよりも、中東人であり、言語的にもセム語に属するアラム語を話していたと考えらえるので少なくともヨーロッパ系に分類される人物ではなかったという。
そして父ヨセフと母マリアの子として誕生した。「イエス」という名前は、ヘブライ語では「イェホーシェア」や「ヨシュア」であり、イエスの英語の綴りになると【jesus】であり、これは人によっては「ジーザス」と発音する事になるのでしょう。また、「イエス=キリスト」という場合の「キリスト」の部分は直接的には「香油を注がれた者」のギリシャ語であり、意味合いとしては「救世主」の意味であるという。
かなり、通説として語られている部分との差異があるように思う。マリアは処女のまま、イエスを授かって誕生したという通説は、どうも新約聖書や4つの福音書(マルコ伝、マタイ伝、ルカ伝、ヨハネ伝)、及び、聖書学の系統で語れば、そうなってしまうらしい。ナザレのイエスとは大工であった人物であり、基本的にはヨセフとマリアとの間に産まれた子である。そして、その父のヨセフがどうもダビデ家の家系であったという。また、ヨセフとマリアとは婚姻しておらず、マリアはヨセフの許嫁(いいなづけ)であり、その段階でイエスを身籠ったというのが、それらの事から類推される「ナザレのイエス」ついての現実的なアプローチという事になる。
そして実はイエスは「馬小屋で生まれた」というのも誤解であるという。イエスの出生した場所は、ベツレヘム近郊の宿屋であり、キリストの父であるヨセフはダビデ王家の血筋を引く者であり、実際には「宿屋」を意味する言葉や「客間」を意味する単語でイエスの出生は語られているという。それが「馬小屋で生まれた」になってしまったのは、キリスト教がその後にヨーロッパ化した事と関係しており、当時の中東では居間で馬を飼っていたが、それをヨーロッパ人が理解できず、馬小屋で生まれたものだと解釈した為であろうとしている。飼育している動物は盗賊に盗まれたりする事が珍しくなかったのでイエス生誕の時代、おそらく紀元前8〜4年頃のベツレヘム近郊では動物を室内で飼っていたのだ。そして「馬小屋で生まれた」という通説が生じた理由も判明しているという。イエスが出生した場所には飼葉桶が置かれており、室内で動物を飼う習慣の無かったヨーロッパの記者(筆記者)は、飼葉桶のある場所で生まれたという事は馬小屋で出生したという事だろうと連想し、「イエスは馬小屋で誕生した」と記した。それは厳密に言えば勘違いであったが、その記述が広く永く拡散したものだと考えられるという。(しかも、特に訂正も為されていない。)
後述する予定ですが、日本の聖徳太子は「厩戸皇子」(うまやどのみこ)が正式名だとなっており伝承そのものもズバリ、馬小屋で生まれたとされている。当然、この聖徳太子伝説についてもイエス・キリストの誕生譚に影響を受けているという指摘は、実は大昔からあった。偶然の一致として片付けるには、聖徳太子伝説の方こそ謎だらけであり、むしろ、何某かの影響を受けて聖徳太子伝説が生まれたのだろうと考えた方が諸々の辻褄が合ってしまう可能性だって低くない。このテの論法は松本清張あたりがササーン朝ペルシャの影響を日本の飛鳥文化は受けていただろうと発想したものにも通じ、決定的な証拠を示せるものではないが、松本清張のような知性の持ち主であれば、当然に疑うであろう程度の偶然の一致とはいえる――という事になると思う。
イエスの出生はベツレヘム近郊の宿屋であった事は判明している。ダビデ王の血筋を引いていた父ヨセフも、その場にいたのだから、宿屋からすれば歓迎すべき客人であった筈で、ヨセフとマリアとが馬小屋に通される事は考えにくく、中東の歴史や文化といった背景を以ってイエスの出生譚を解釈し直すなら、客間に通そうとしたが客間に通せない事情があり、宿屋の主人は自分たちの居間へとヨセフとマリアを通した。その居間には当然に飼育されていた動物たちがおり、イエスは、そこで生まれた――となる。
