どーか誰にも見つかりませんようにブログ

人知れず世相を嘆き、笑い、泣き、怒り、呪い、足の小指を柱のカドにぶつけ、SOSのメッセージを発信し、場合によっては「私は罪のない子羊です。世界はどうでもいいから、どうか私だけは助けて下さい」と嘆願してみる超前衛ブログ。

カテゴリ:書籍・音楽 > 山田太一を語る

山田太一脚本のフジテレビ50周年記念ドラマ「ありふれた奇跡」を視聴している。第1話と第2話はヤバいぐらいに低調であったが第3話から徐々にエンジンがかかってきた。この題材は重々しく、仲間由紀恵&加瀬亮+陣内孝則という組み合わせ。冒頭で、駅のホームから自殺をしようとする中年男(陣内孝則)を加瀬亮演じる男と仲間由紀恵演じる女とが身を挺して止めて、警察にしょっぴかれるところからスタートする。

その3人は奇縁だとして、事後になってから「会ってみないか?」となり、3人は会合をしようという事になる。ストーリーが動き出すのは、そうした席で陣内孝則演じる男が「オレの直感なんだけど、あんたたちも自殺を考えた事があるんじゃねぇの?」と話を振ってはじまる。仲間由紀恵演じる中城加奈も、そして加瀬亮演じる田崎翔太も押し黙る。予感は的中してしまったのだ。中城加奈も田崎翔太も、「あの人、自殺するんじゃないの?」と神経が鋭敏になっていたのは、自分たちも自殺を考えた経験があったので、いち早く、気づき、そして制止したのであった。

とはいえ、中城加奈も田崎翔太も自分が自殺しようとした理由については中々、語ろうとしない。勿論、劇中でも「語りたくなければいいんだ」という了承が採れている世界である。が、第3話で翔太(加瀬亮)が自らが自殺を図った理由を告白する。ここからイッキにドラマにエンジンがかかった。現在で言うところのパワハラであった。

事務用品の営業マンをしていたが営業成績が悪く、田崎は同期の中でも成績はビリ。事業所内の営業マン同士で競争原理が機能するし、同期が居れば同期同士でも競争原理がかかる。そんな事は分かっているが田崎は営業成績を上げることができなかった。なんとかしないと田崎は自ら2百万円の借金をして自分の営業成績を上げようと、現在でいう「自爆営業」までしていたが、それでもダメだった。上司からは厳しく叱責される毎日で、顔を至近距離まで寄せてきて、「クズ」や「カス」、「給料泥棒だ」と罵られるような日々を送っていた。ある日、田崎は首つり自殺を図ったが幸いにも家族に発見され、救急搬送された結果、一命を取りとめたという過去を持っていた。

加奈(仲間由紀恵)に打ち明けたが、打ち明けると同時に翔太(加瀬亮)は、その場にへたり込んでしまう。情けない自分を晒した事で、腰砕けになるのだ。その上で、次のように言い放つ。「あんなにバカにされたのに、何も抵抗できなかった自分が情けなくて(自殺しようと思った)」と。このシーンなんてのが、非常に山田太一だよなと感じた。最も翔太を追い込んだのは〈上司の言葉そのもの〉ではなく、そんな上司の言葉に対しても何も言い返すことも出来なかった自分、理不尽だと思いながらも実際にペコペコと謝る事しか出来なかった自分が情けなくなって自殺を図った――と表現しているのだ。

翔太は自らが自殺を考えた理由を加奈に打ち明けた。加奈の方はというと、まだ、心の準備が出来ていないからと留保するが、ストーリーが進行していく中で加奈が自殺を考えた理由も明らかにされてゆく。実は以前に妊娠してしまった事があり、相手の男の事情もあって人工妊娠中絶を考えた。東南アジアでは数日間の旅行ついでに人工妊娠中絶をして帰ってくる日本人女性がいるという噂を耳にし、それとなくツテのある友人に相談してみたら、確かにあるというので加奈も海外で中絶手術を行なった。中絶そのものは成功したものの、妊娠できない身体になっていた。医療機関で2度ほど検査を受けてみたが、2度とも「子どもを産む事は難しい」と言われてしまった。こちらの加奈も自分自身で、その境遇を招いた事を激しく悔いている。加奈の年齢設定は29歳であるが、実は子供を産むことができないとなれば結婚は難しいのは必至となるので、内心では結婚は諦めている。(そんな中、やさしそうな翔太と出会い、気に入られているらしいと気づき、当惑している。)



カフカ 頭木弘樹編『決定版カフカ短編集』(新潮文庫)には『独身者の不幸』という僅か12行しかない一篇がある。実際に生涯独身であったカフカが、若かりし頃に書いたものであり、その書き出しは「いつまでも独身者でいるのはつらいことらしい、」で始まる。さらに「わたしには子供がおりませんと繰り返してばかり」というのは「つらいことらしい」のように綴っている。カフカは若い時分から「結婚はしたいけど、結婚には耐えられないだろう」のような不安を抱いていた。頭木弘樹氏の解説も踏まえて述べると、カフカは今風の表現でいうなら「ひきこもり型」の性格の持ち主で、小説は書き溜めていたが生前に発表したものはなく、そればかりか、親友に「僕が書き溜めてしまった小説はすべて燃やしてくれ」とまで言ってしまっていたスーパーネガティブ思考の人だったらしいのだ。流行とか売れ筋とは殆んど無縁の小説を書き溜めていたが、死後になって発表されたところ、あれよあれよと高評価され、最終的には「20世紀で最も偉大な作家」なんてところまでいってしまった人物だという。

繊細であるが故に押し潰されそうになってしまう自己であったり、或いは結果を知ることが怖いから、自分が傷つくのが怖いから、そもそも挑戦しないという風に考えてしまうタイプだったと思われる。実は、この性向は現代人の7割に見られると頭木弘樹氏が解説している。カフカは、そんな臆病者であるにもかかわらず、女性に何度か熱を上げており、婚約を申し込んで承諾を得るが、やっぱりボクには無理だと婚約破棄し、更に、もう一度、婚約を申し込んで承諾を得るが「やっぱ、無理だわ。ごめん」と婚約破棄をしているという具合の一生だったという。家は金持ちだったし、裁判所の助手のような仕事もしていたので考え方次第では結婚もできたであろうし、子供を持ったとしてもおかしくはない。しかし、そういう人で、そういう一生を送ったという。ついでに触れておくと、代表作でもある『変身』はじめ、他の作品からも事業を成功させた父親に対してのコンプレックスが強烈にあったように思われる。『変身』は、ある朝、目が覚めてみたら主人公は虫になっていたというストーリーであるが、その物語の最後は父親が投げつけたリンゴに殺されて終わる。人は傍目からすると世間体のようなものに囚われて、苦しみ、自分を傷つけてしまったりするものなのだ。



文藝別冊『山田太一〜テレビから聴こえたアフォリズム』(河出書房新社)には、『人生は誰も教えられないけれど』という山田太一のエッセイが収録されていた。思わず、笑いながら唸ってしまった部分があった。引用します。

「かつては笑いがあった。いまの夫妻にあるのは沈黙と冷淡である」というような文章を目にすると「夫婦なんてそんなもんよ」となんだか嬉しい。

「一世一代の世紀の恋」をして、半年で別れてしまった夫婦のことを中村紘子さんが書いている(『アルゼンチンまでもぐりたい』)。結婚してから夫の大好物が鮭の焼けこげた皮だと分ったのだそうである。妻は「まるでヘビの抜け殻みたいで箸で触るのもイヤ」なのに、夫は御飯粒の残った茶碗に入れてお茶を注いでクチャクチャにかき廻し「正視するのも耐え難いほど汚らしくなった」それを「それを満足気にすすったりしゃぶったりする。彼女は自分でも予期しなかったほどの激しい嫌悪感に、思わず身震いしてしまった」そうである。

結婚相手が、実は思ってもいなかった存在だと分るのは怖い。ところがどんな結婚だって、ほとんど必ずそういう意外性はあるのだろうからおそろしい。多くのはのぼせているうちに知り、ひそかに嘆きながらも、若さや性欲に助けられてなんとかやって行くのだけれど、それで配偶者の実体が分ったつもりでいると、そうはいかない。中年になって、それまで隠していたおぞましいものが急に浮上したりするのである。死ぬまで隠していた秘密などというものもある。そんなことはうちみたいな平凡な夫婦にはない、と思っていると、とんでもない。人間は分らない。誰がなにを秘めているか知れやしない。そういう分らない他人と一緒に暮そうというのは、ほとんど無謀というか無神経というか怖いもの知らずなことで、他者のエゴ、性向、不潔に多少の想像力があれば、結婚などめったにデキるものではないはずなのである。
(『山田太一 テレビから聴こえたアフォリズム』181頁)

焼き鮭の皮が大好物だという人は確かに居そうだし、それが他人であった場合、その鮭の皮を茶漬けのようにしてクチャクチャとやられた場合、確かにドン引きしてしまう可能性がある。いわゆる「クチャラー」の話というのは今日的には言葉として語る事も可能になったものの、実際に相手と面と向かっている場合、中々に指摘しにくい事でもあるだろうから、ドン引きしてしまう感覚というのも分かる。人というのはそれぞれだ。

しかし、先日、ETV特集「小津安二郎は生きている」が放送されていたが、クチャクチャと音を立てて、おいしそうにお茶を飲むシーンが紹介されていた。クチャ音に注目したものではないにしても完璧主義者の小津安二郎でさえ、そんな事を気にしていないのだから、現代人の側が他人のマナーに対して厳しくなったのだろうなと思う。そういう事までもを含めて、山田太一は「(結婚とは)ほとんど無謀というか無神経というか怖いもの知らずなことで」と表現していたりするのだ。

山田太一作品としては今一つ不発気味にも思えた「ありふれた奇跡」であったが、テーマは山田太一が練りに練ったものであったのだろうなぁ…と感じた。残酷な現実を突きつけてしまっているドラマなので視聴率は予想通り苦戦し、作品評にしても必ずしも高くなかったのも頷ける。しかし、それでも深味は凄いなと感じた。「ありふれた奇跡」でも、中城家の加奈(仲間由紀恵)の両親は岸部一徳と戸田恵子で、祖母は八千草薫が演じているが、両親や祖母は「何故、結婚しないの?」や「子供が欲しくないなんて言うの?」とやってしまい、加奈を苦しめてしまう。そんな加奈を庇おうとして田崎翔太(加瀬亮)は「子供が嫌いなんです」と言ってしまうが、すると中城家の人達は「きっと田崎さんは無精子症なのよ。断じて加奈との交際は認められません!」なんてやってしまう。

一個の人間を掘り下げていった場合、その人から「何が出てくるか分からない」という問題があり、実際に一個人は傍目からすると思いもよらぬ秘密を持っていたりする。加奈の母親役(戸田恵子)は比較的冷静に取り乱すことなく対応してみせるが、田崎翔太に自爆営業の末に借金を抱えて自殺未遂をした事があるという過去を知らされると、内輪の会話としてであるが「あの子、次から次へと、一体、何が出てくるかわかりゃしないわ」というセリフを吐く。世間の反応とは、そういう冷淡なものなのだ。

重苦しいドラマでコメディ風の味付けで活きる仲間由紀恵さん主演なのに軽妙な笑いがない。救いは田崎翔太の父親(風間杜夫)と祖父(井川比佐志)の漫才風の演技に掛かっている。因みに、回数を重ねていくと、風間杜夫と岸部一徳が実は同じ女装クラブに通っているという設定が出てくる。漫才風の演技では風間杜夫が行き着いた落語の模写で鍛えた笑わせる演技、その技量が発揮されている。
    このエントリーをはてなブックマークに追加

テレビ朝日で先に放送された令和版「終わりに見た街」は、「嘘だろ?」と思うほど実は落胆してしまった。番組開始から60〜70分したところで、これは私の基準で評価するならかなり厳しくなるなぁ…と感じていた。空気感が異なるのは仕方のない事だけど、まぁ、及第点という事で65点ぐらいかな、なんてことを思っていた。

そう感じた理由は、やはり、小ネタが多過ぎるかなと感じたから。こればっかりはクドカンさんの個性や、大泉洋さんと堤真一さんの個性でもあるから仕方がないといえば仕方がない。しかし、序盤からそれをやってしまうと、きっと、肝心のオチに失敗するだろうなぁ…という予感があった。ドラマの終盤の展開を考えると、序盤は仕込みであり、小ネタを挟みすぎると仕込みが甘くなる。小ネタを挟みたくなるのは「間がもたない」と思ってしまうからじゃないのかなと勘ぐってしまった。

しかし、時間が経過するごとに「そんなバカな」という思いがつのっていくことになった。後半はCMが大量に入り、35分ぐらいの間に5回もCMが入るというブツ切り編集であった。地上波のテレビ局では、もう二時間ドラマをつくらせても、こんなクオリティになってしまうのだなぁ…。これじゃ、ドラマに没入できないし。結構、致命的な気もしましたかねぇ。

2005年版のシナリオに目を通しただけなのですが、私には2つの山場があった。1つ目の山場は、大きな空襲が起こる事を人々に知らせようとしてビラを配ろうとしていたところで、子供たちからの思いもよらぬ反乱を浴びせられるというシーンであった。ここは、大人たちの意見が正しいのか子供たちの意見が正しいのか、そのシロクロをつける必要性がないシーンで、だからこそ、視聴している側が〈思いもよらぬ反乱に驚く〉という風に解釈していた。ここで私の思惑は裏切られた。盛り上がりに欠けるどころか、セリフでどちらの考えが正しいのか説明してしまっていたのだ。それをやってしまうと、山田太一の世界からは少し離れてしまう気がする。結果として、その解釈が正しいものであったとしても、それは視聴者に考えさせるように持って行くべきではなかったのか、という思いがあった。

2つ目の山場は、山場というのもおかしいのですがラストシーンであった。もう、このラストシーンについては視ている者の予想を大きく裏切る〈大裏切り〉こそが面白味であろうと考えていた。戦後の昭和でも、平成でも、令和でも、その平和な時代に生活している者が、戦争の真っただ中の昭和19年にタイムスリップしたらしいというのが、このドラマの始まり方であった。これは、その通りで「どうやら我々は戦争の真っ最中である昭和19年にタイムスリップしてしまったようだぞ」という始まり方なのだ。この〈タイムスリップしてしまったようだぞ〉の〈ようだぞ〉がキモなのだ。なので、劇中でも「タイムスリップしたとして、我々が行動を起こして未来を変えてしまっていいものなのかどうか」についても話し合うシーンが挿入されている。

そしてそして、大オチとしての〈大裏切り〉になる。自分たちは歴史を知っているから、その日、3月10日の空襲で甚大な被害が出るものとばかり思っている。いつの間にか〈我々はタイムスリップしたのである〉という確信に基づいている物事を認識し、行動している。そこにSFという分野の根本を引っくり返すような裏切りのラストシーンになる事を期待していた。実際、山田太一の書いた平成版のシナリオでは、そうなっている。

そのタイムスリップしたと思しき登場人物に降りかかって来る衝撃のラストとは、東京に核爆弾が投下されるというオチであった。ピカっというまばゆい閃光が光って、何が何だか分からないシーンになって主人公は自分の片腕がなくなっている事に気付く。あたり一面は瓦礫の山、黒焦げになった死体の山。察するに原子爆弾が予定よりも早く東京に投下されたらしい事を想起させるようなものであった。実際に山田太一版のシナリオの方には主人公による「関東全域がやられてしまっているようだ」というセリフもあるし、その主人公が倒れ込んだ後に画面はニュース映像のモンタージュとなって次のように展開して終わる。

順番に、ディズニーランドの賑わい、小泉政権の劇場政治の様子、渋谷あたりの情景、中国で発生している反日デモの様子、新宿駅の通勤ラッシュの後継など映し出された後に、音声が切られて激しい爆発、そして原爆実験のフィルムが流れて静寂となって〈終〉である。

この〈大オチ〉は〈大裏切り〉であり、それは謂わば〈ちゃぶ台返し〉になっている。「タイムスリップしたんだから、そのタイムスリップしていった先の過去は、自分たちが認識している時間の流れが、その通りに流れるのだと思っているでしょう? でも、そんな都合よくないかもしれませんよ。原爆が投下されるのは8月で広島と長崎だと思っている。でも、その通りになる保証はないでしょ? そもそもタイムスリップした場合を想定しているのであって、そんなものは誰にも分からない」という具合の、如何にも山田太一らしい発想が隠れている。タイムスリップとかタイムリープと呼ばれるSFの概念を無視しに行ったのだと思う。既に昭和19年にタイムスリップしている時点で理不尽なのであり、その理不尽の中で、何故、頼る事が可能な過去の歴史なんてものあるのかという捻り方なのだ。理不尽は理不尽なのだから、その日に東京に襲い掛かったのは焼夷弾ではなく、核爆弾、おそらく原子爆弾であった――と。関東一体が全滅したかのようだ、となる。全滅、全滅、全滅。

その上で重ねられてる映像が、ディズニーランドの賑わい、小泉劇場という不真面目な政治スタンス、渋谷駅付近、いつものように通勤ラッシュに突進していく新宿駅の混雑、それらをモンタージュするというかコラージュして、静寂を挟んで、ジ・エンドとして描いてある。

それに対して、令和版は時勢に対応させすぎており、昭和19年にタイムスリップしたがオチは令和6年現在に戻ってきて終わる。戻ってきてしまったことによって、タイムスリップという既成概念の裏切りはなっておらず、正直なオチ、平凡なオチになってしまっていると感じた。令和6年の東京に再び戻ってきて、東京にウクライナのキーウあたりに打ち込まれている規模のミサイル攻撃による被害の映像があって、ジ・エンドであった。捉えようによっては、夢オチであり、「あー、昭和19年にタイムスリップしていたつもりだったけど、それは錯覚で令和6年現在だった」というオチだ。こういうオチに感心する人も一定の割合でいるものとは思いますが、私が思うに、これはダメなアレンジかな。常識的な因果律の範疇から飛び出せていない。説明できてしまったり、説明してしまうなんてのは蛇足も蛇足だ。

最後に訪れる〈破局〉のスケールが違い過ぎる。核爆弾と思しきものが投下されて関東一体がやられたというラストシーンと、都内の一区画にミサイルが撃ち込まれて東京の一区画が瓦礫の山になってウクライナ情勢や中東情勢とオーバーラップさせるのとでは、そのインパクトの差異が大き過ぎる。

「ディズニーランドの賑わい」や「新宿駅の通勤ラッシュ」といった映像のモンタージュに込められている真意とは、最高レベルの強烈な皮肉って事だと思う。無関心に生きてるようだが、人生なんてものは突如として大暗転が起こる事だってあり得る筈なのだ的な。でも、そういう皮肉が令和になると通じなくなってしまっているんだろうなぁ。
    このエントリーをはてなブックマークに追加

21日の21時からテレビ朝日で宮藤官九郎脚本によるドラマ「終わりに見た街」が放送されるという。主なキャストは大泉洋、吉田羊、堤真一という事になるらしいと知る。となると、これは2005年にドラマ化された際と比較すると、中井貴一から大泉洋に、木村多江から吉田羊に、柳沢慎吾から堤真一にキャストが置き換わる事を意味している。

こうは言っているけど、実際には私はドラマは視聴しておらず、2005年版のシナリオを読んだだけなんですが、配役が頭に入った状態でシナリオを読むと、あらあら不思議、勝手に映像として再現されてしまったりするものなのだ。そんなバカなと思うけれど、山田太一自身も主要な配役が決まらないとシナリオは書けないと明かしていた。この俳優が、この役柄だと決まると、その俳優のイメージでセリフの言い回し等が膨らんでいくからだという。有名な例だと「岸辺のアルバム」に於ける八千草薫のケースで〈八千草さんだったら、きっと、こういう言い回しをするだろうな〉と想像する中で、実際にシナリオの中のセリフが生み出されていくのだという。

「終わりに見た街」は、冒頭で主人公(大泉洋)が幼馴染(堤真一)と再会するところから始まる。かつては幼馴染だったのにすっかり疎遠になってしまい、そんな中で偶然に浅草で鉢合わせる。幼馴染は結婚式場のマネージャーをしているという近況を把握する。が、その後、「ちょっと会おうじゃないの。ゆっくりと話したい」という電話が入り、お互いに家族持ちになっている中、時間をつくって居酒屋で旧交を温めるという部分から物語の複線になっている。(まだ、ストーリーそのものは本当の意味ではスタートしていない。)

この設定部分についての秘密が先の終戦記念日に発刊になった『山田太一戦争シナリオ集』(国書刊行会)に記してあった。この『終わりに見た街』では、主人公と幼馴染とが、互いに家族を連れたまま、タイムスリップしてしまうというSFである。この設定に於ける主人公と幼馴染という関係は山田太一自身の原体験と関係しているのだそうな。

1982年に宮崎県の宮崎市民会館で山田太一は講演をしており、その講演は日本放送出版によって翌1983年に書籍化もされていたという。そこで語られたのが飢餓体験であったが、その飢餓体験を味わった自分と幼馴染こそが『終わりに見た街』で描かれている登場人物のモチーフだと明かされている。

住んでいたのは東京・浅草であったが、戦況が悪化してくると強制疎開になった。山田太一が終戦を迎えたのは小学5年生の時であったという。強制疎開の際に中華料理店を営んでいた山田家は取り壊しになってしまい、浅草に住んでいた頃の友人たちとは別れ別れとなり、そのまま終戦を迎えたという。終戦後も手紙のやり取りをしていた友達があり、その手紙のやりとりはしばらく継続していて中学一年生になったとき、一人で旅行できるような自信もでてきて、その池袋に住んでいるという友達の元を訪れることになったのだという。その友人こそ、いわゆる幼馴染であり、その浅草時代の幼馴染は現在は池袋の郊外に住んでいるという。電車を乗り継いで行けばなんとかなると思った。

友達を訪ねてみたい太一少年は父に「日帰りでもいいから行ってはいけませんか?」と許可を得ようとしたところ、父は「おみやげがないぞ」と返答した。この部分は補足が必要かも知れませんが、この終戦直後の時代には、食べるものが極端に少なく、仮に子供が友達の家を訪ねるにしても最低限度の食べ物を持たせて遊びに行かせるという暗黙のルールがあったらしい。客人が訪ねてきても、その客に出す食い物さえなかったから――という事になる。

先日、やはり戦争体験者の自叙伝に目を通していた。その方は現在の埼玉県蓮田市周辺に住んでいた方でしたが、「都内から野菜を買いに来る人が沢山いたので私の祖母が丁寧に応対していた」旨の記述があった。都市部では完全に食べ物がなくなり、分けてもらえるかどうかも分からないのに埼玉まで遠征してくる人たちが多くあったらしい。その自叙伝を著わした方の家は駅からかなり離れている場所だったにもかかわらず、そういう状況であった事が分かる。

太一少年の父は「友達のところへ行きたいって言うけど、お前に持たせるような気の利いた食べ物なんてないぞ」という事を言ったのだ。しかし、太一少年が熱心に訴えたところ、中華鍋を風呂敷に包んでもらせてもらった。山田太一の実家は元々は浅草で大衆食堂を経営していた事もあり、ちょっとした古鍋を持っていた。その鍋を丁寧に洗って、〈昼食代ぐらいの金目のもの〉という事にして、太一少年に持たせる事にした。斯くして太一少年は中華鍋を風呂敷に包み、それを背負って電車に乗り込んだ。

電車に乗ったところ、電車は非常に混雑しており、おそろしく口の臭いおじさんが太一少年に話し掛けてきた。「どこへ行くんだ?」とか「一人なのか?」とか「何を持っているんだ?」とか。イヤだなとは感じていたが、当時の中学一年生であった太一少年は、そのおじさんから上手く逃れることができずにいた。横浜駅で電車が停車とき、そのおじさんが「ちょっと、その風呂敷を貸してみな」と言って、その風呂敷で包んだ中華鍋を奪い取り、そのまま、横浜駅のホームへ降りて走り出してしまった。慌てて、太一少年もホームへ降りたが、そのおじさんの姿は見えなくなってしまっていた。つまり、かっぱらいにあったのだ。

動揺はした。動揺はしたが、だからといって友達の家に行くのを諦めることは考えなかったという。そのまま、池袋駅まで行き、地図を見ながら文通している友達の家を探した。中々、友達の家は見つからなかった。もしかしたら…と思って、周囲を見渡したら、畑の中にみすぼらしいバラックが建っていた。そのバラックこそが友達の家であった。こんなバラックに人が住めるものなのかという気がしたが、確かに表札がかかっていた。

「こんにちは」と声をかけると、一瞬シーンとしたような、息をひそめるような感じがあって、その後に友達のお母さんの声で「ほら、きちゃったじゃないか」と聞こえた。その声が聞き取れたので、なんだか、来てはいけなかったらしいと気づく。その後もバラックの中から、小声でひそひそと話しているのが聞こえていた。少し待っていると、友達が迎えに出て来た。友達のお母さんが「ああよくきたね」と大声で言った。本心を隠すときに、人は大きな声を出す。本音は「ほら、きちゃったじゃないか」であるが、建前としては「ああ、よくきたね」と愛想よく迎えるものだ。バラックの奥にはおばあさんと妹が布団で寝ていた。一見して病気だとわかったという。

太一少年はバラックに迎え入れられた。おばさんは「ちょっと待ってね」と太一少年に言い聞かせた後、友達をバラックの外へ連れ出した。バラックの中で突っ立ったままで、待っていると、外から声が聞こえた。外では、おばさんが友達に向かって「やっぱり手ぶらじゃないか」とか「もうじお昼だから、お昼を出さない訳にはいかない」とか、そういう話をしているのが筒抜けになっていた。友達は友達で「僕の分のごはんを太ちゃんにあげてくれ」のような事を言っている。非常に居たたまれぬ空気になっていった。

おばさんの声はどんどん大きくなった。友達はというと「でかい声だすなよ」と母親をたしなめている。友達がバラックの中にいるのだから、大きな声を出せば、なにもかも筒抜けになる事は自明であった。すると、おばさんが友達をぴしんぴしんと打つ音が聞こえてきた。「親に向かってなんてことを言うんだい!」。

太一少年は、バラックの中で突っ立っていたが、やむなく外で出た。そして「ぼく帰りますから」と言った。もしかしたら、おばさんが「いいのよ」と言ってくれるかも知れないと期待したが、おばさんは黙ったままだった。仕方がないので太一少年は、「ほかにも用事がありますから。じゃ、さようなら」と言って、はるばる神奈川から訪ねて来たのであったが帰ることにした。

しばらく歩いていると、友達が走って追い掛けてくる足音がした。友達は太一少年と並ぶようにして歩き始めると、鼻をすすって泣き出した。太一少年も悲しい気持ちになってぼたぼたと涙をこぼした。すると、友達はワーワーと声を上げながら泣きだした。太一少年もつられてしまい、ワーワーと声を出して泣き出した。

そんな体験をしたという。しかし、後に山田太一の未公開シナリオの発掘をしている編集者・頭木弘樹さんが山田太一本人に確かめたところによると、その逸話の幼馴染とは或る時期に再会し、機会があれば会うような交流を続けているのだという。「ひょっとしたら、その幼馴染の話とは、『終わりに見た街』の主人公と幼馴染のモデルなのですか?」と尋ねたところ、あっさり、山田太一は認めたらしい。
    このエントリーをはてなブックマークに追加

結局は映像化されることのなかった山田太一の脚本『唐津湾夕景』は、中国残留孤児をテーマとして取り上げたものであった。中国残留孤児を取り上げた原作といえば山崎豊子の『大地の子』が最も有名である訳ですが小説『大地の子』の連載が始まったのが1987年であったのに対して、この脚本が掛かれたのは1975年だという。中国残留孤児団の来日は1981年で、その頃には大々的にテレビがニュースで取り上げていたのを記憶している。その後、中国残留孤児の日本帰国事業のようなものが始まって、「中国残留孤児」なる用語の記憶も薄れた頃に、思いもよらぬ形で、それを思い出す事になったのであった。これは、いつ頃であったかなぁ…、きっと90年代後半とか2000年代初頭頃だったのでしょうか、中国残留孤児、その子息たちが日本社会に溶け込めぬまま、反グレ集団、アウトロー集団となり、そちらの界隈で脅威になっていたという話であった。その話についてはテレビメディアなどは殆んど取り上げていないような気がする。2010年代頃になって、一橋文哉の犯罪ノンフィクションで詳細を知る事になり、愕然とした。

先述したように、実際に中国残留孤児団の訪日があったのが1981年であったのに対して、この「唐津湾夕景」は、それよりも6年も前に書かれていたという映画用のシナリオであるという事が、先ず、欠かせない前提条件となる。

結構、入り組んでいるストーリーなので、さらっと粗筋に触れると、以下のような粗筋である。

堀川大吾と静江の夫婦は、終戦時には満州に在った。その夫婦の間には亮介という3歳の男児があった。しかし、その亮介を子供を中国(満州)に置き去りにして帰国した。

少しだけ状況説明が必要になる。終戦のどさくさにソ連軍が南下を開始し、また、この頃の満州には当時の日本人が匪賊のように呼んでいた集団もあった。細かい事まで述べると、戦時下では日本国内から満州への移民政策も行なっており、軍隊だけではなく、一般的な日本人も満州に居住していた。しかし、終戦のどさくさになると、その民間人たちを置き去りにする形で軍隊は撤退してしまい、取り残された日本人の中には引き揚げようにも引き揚げようがないという問題に直面していた。ソ連軍や匪賊、更には日本人に不満を抱いていた人たちは日本人を襲撃、その際には虐殺や強姦の被害に遭った日本人も多かったらしいと考えられている。そんな状況だったので、我が子を置き去りにして日本へと帰国した人たちも相応に存在していた。そのような経緯で日本人が親であるが、そのまま、中国に置き去りされてしまった子供たちを「中国残留孤児」と呼んだ。

堀川大吾と静江の夫婦は、我が子を中国に置き去りにしてきたという過去を持っていたが、1970年代半ばまでには、千人規模の従業員を持つ工作機械の会社の社長と社長夫人になっていた。頑張って働いた事もあり、それなりに裕福な地位を築き、屋敷には住み込みの家政婦を雇い、出勤は運転手付きの生活をしている。子宝にも恵まれ、28歳の長男、26歳の長女、20歳の次男、15歳の次女がある。しかし、28歳の長男は「父親の会社なんて継ぎたくない」とばかりに家を出て飛行機のパイロットの仕事をしている。長女も結婚して家を出ていて、子育てに奮闘中。なので、次男の大学生と次女の中学生とが堀川邸に両親+家政婦という形で住んでいる。

大吾と静江には、子供たちに打ち明けていない秘密があった。それは真の長男で亮介の事についてであった。大吾と静江は、4人の子供たちには「お前たちには、本当はお兄さんがいた。しかし、不幸にも終戦のどさくさの頃に病気になり、死んでしまった」と伝えていた。しかし、本当は3歳の子を子供を欲しがっていた満州人に預ける事とし、帰国したというのが真実であった。

おそらく、1970年代半ば頃までには、ポツポツと「中国で育った日本人孤児」という問題が新聞やテレビで取り上げられるようになっていた。それが後に要約されて「中国残留孤児」という言葉が生まれた。大吾と静江は動揺していた。真の長男である亮介については、既に死んだ事として戦後をスタートさせてきた。そして現在の経済階層に辿り着いていた。「もしや、亮介が生きていて、日本に来たい、私たちに会いたいと思っていたら、どう応じるべきだろうか」と動揺していた。

そんな動揺を抱えていたところ、新聞に108名の中国残留孤児の顔写真と中国名、それと生年月日が掲載されていた。中国名にも【亮】という漢字が使用されていて、年齢も亮介と同一、置き去りにされた場所も夫妻の記憶と一致していた。間違いなく、自分たちが置き去りにしてきた亮介らしき人物のプロフィールが載っていた。夫の大吾は、連絡を取る事に慎重であったが、妻の静江は新聞社や関係省庁に連絡をとり、手紙のやり取りを始める。3歳の時に満州に置き去りにしてきた亮介は、もう、35歳になっていたが、それでも両親に会いたいという希望を持っていた。既に中国で国籍を取得しているので日本に帰化する意向はなく、近々、中国で中国人として結婚もする予定であるという。

夫婦は決断する。我が子たちに説明する。

「お前たちには、お兄さんがいたが死んでしまったと言ってきた。亮介だ。しかし、本当はやむにやまれぬ理由があって置き去りにしてきた。その亮介が日本に来たいと言っているので、この邸宅で歓待してやりたいと思っている。既に亮介は中国の国籍を取得しており、中国人として生きていく意向で、来年には結婚する事も決まっているという。日本に滞在するに当たっては当屋敷に滞在する予定である」

子供たちの反応は意外であった。15歳の女子中学生、20歳の大学生は、なんの屈託もなく、その中国で育ったという兄・亮介の訪日を喜んだ。二人して、亮介が滞在できるように空き部屋を片付け、掃除までしている。中国からやってくる、35歳だという兄を歓迎する気満々である。既にマンションで子育て奮闘中の長女や、家を飛び出して商業パイロットになっている長男は、下の子たちほどではないが拒絶反応はない。

斯くして、大吾・静江夫妻が中国に置き去りにしてきた亮介が、堀川家にやってくる。亮介は片言の日本語が話せるが、習って身に着けた日本語なので話す言葉は丁寧語である。礼儀正しい。しかし、家族なのだから、もっと打ち解けた日本語を使って欲しいと思っている。

次女は中学生である。受験前であるがロック(グループサウンズ)のコンサートに出掛け、勉強は後回しというタイプである。部屋にはアラン・ドロンのポスターを貼っているという設定である。大学生の兄が妹の部屋へ入ってくる。本棚には明星、平凡といった芸能雑誌が並んでいる。大学生の兄は明星や平凡をパラパラと捲りながら、言い放つ。

「亮介兄さんを見て思ったんだけど、ちゃんとしているよなぁ…。ホントに、ちゃんとしている。白いごはんを食べられないような厳しい経済環境の中で幼い頃から農作業を手伝ってコウリャンなんてものを食べてきたといっている。滅多に、白いごはんなんて食べられないって。それに比べたら、僕たちの生活は怠惰がすぎんじゃないか? こうして一人に一人に部屋もあてがわれている。こんなところにはアラン・ドロンのポスターなんて貼ってある。亮介兄さんが見たら何て思うか…。剥がせ、剥がせっ」

「そうよね」といって、次女は自らベッドの脇に貼ってあるアラン・ドロンのポスターを剥がしにかかる。【グループサウンズ】に【アラン・ドロン】、【プレスリー】といったワードに年代を感じるが、そういう時代に書かれたシナリオなのだ。

この兄妹は、35歳になっているという中国育ちの兄に遭って、自分たちがちゃんとしてない事に気付く。そういう設定なのだ。

次男「中国だぞ、人民公社から来たんだぞ。一粒の食糧は一滴の汗ってよ。真面目に働いて、米一粒だって大事にしている国から来て、このバカバカしい贅沢をみたら、どう思うと思うんだ」

当時の日本人の中国人観のようなものも読み取れそうだ。

次男「びっくりしたでしょ? 中国の娘さんに比べて、贅沢で、怠け者で」

次女「そんなに言わないで」

亮介「(苦笑して)いい部屋じゃありませんか。はがすことなかったのに」

次男「ハハ、そういうとこが泣かせんだよな、な」

亮介がしっかりしている事に堀川家の人たちは安堵し、歓待する。次男と次女は、すっかり亮介になついてしまい、東京案内をしたり、富士五湖の方まで案内したり、サービス満点の接待をしてみせる。しかし、大吾はというと経営している会社が経営危機に瀕している事もあり、あまり、家に居られない。そして静江の方はというと、子供たちのように亮介との距離を縮められないでいる。

静江には、まだ秘密があったのだ。子供たちには、大吾の決断によって子供を欲しがっていた満州人に亮介を預けたと説明している。しかし、違うのだ。その頃の大吾は兵役についていた。亮介を置き去りにするという決断をしたのは夫婦でもなく大吾でもなく、静江の決断だったのだ。しかし、その事を静江は言い出せないでいる。言い出せないでいるから、亮介との距離も縮められないのだ。本当の事を言って、謝罪したい。わがかまりを抱えている限り、どうしても32年前に置き去りにしてきた亮介と向き合えないでいる。

亮介の滞在期間は約1ヶ月間であり、亮介が堀川家に居られる時間もどんどん減ってきている。残り日数は一週間と迫って来くると、すっかり亮介になついている次男と次女は「亮介兄さんが帰ってしまう前に、もっともっと旅行をしようよ」等と、はしゃいでいる。しかし、それを亮介の方がやんわりと拒否する。「中国に戻ってしまったら、当分は日本には来られません。結婚して子供が生まれて、少し生活が安定したら家族を連れて来られるかも知れませんが、それだって、いつの事になるか分かりません。だから旅行ではなく、この家にゆっくり滞在させてもらい、家族と一緒に過ごす時間を大切にしたいです」。

亮介の帰国予定日がどんどん迫ってくる。その中で、静江が決断する。本当の事を言うのだ。本当の事を言って、謝るのだという自分の気持ちと向き合う。今、打ち明けなかったら、一生、打ち明ける機会を失ってしまう――と。

本当は、病気になってしまった事もあり、苦しくて苦しくて、とても我が子を連れて逃げられる事は無理だと感じた。だから3歳だった亮介を置き去りにして逃げるという決断をした。とある農道で、3歳の我が子が、満州人の老夫婦に預け、立ち去ろうとした。立ち去ろうとしたとき、3歳であった亮介は「お母さん、お母さん」と叫びながら静江を追い掛けて来た。その亮介を振り切るようにして日本に帰って来たのだ――そう、打ち明けた。

その話を聞いて亮介も受け止めた。亮介は亮介の方で、実は置きざれた瞬間についての記憶があったのだ。「お母さん、お母さん」と泣き叫びながら農道を追い掛けていった、その記憶を持っていた。なので、「打ち明けられて、私の方もすっきりました。私も、その部分が、わだかまりになっていた」――と。

大吾が補足する。実は日本に帰国した後、静江は自殺未遂を図っていた。幸い一命をとりとめたが、自殺未遂を図った理由は、亮介を置き去りにしてきたという罪悪感と結び付いていた。引き揚げてきた母親の中には、しっかりと三人の子供を抱っこにおんぶしてきた者もあった。それと比べると、静江は自分を責めずにいられず、静江は53歳となった今まで、ずっと苦しんできたのだという。

静江が自殺未遂を図ったのは唐津湾であった。中国から日本へと帰国したのが唐津湾であり、唐津湾は中国と繋がっているような気がしたのだという。

その話が明らかになると、商業パイロットをしている長男の出番となった。飛行機で唐津湾上空まで、大吾・静江と亮介とを搭乗させ、飛行できると言い出す。その飛行機が美しい唐津湾夕景の中を飛行して終幕となる。

結構、夢中になって読んでしまった。
    このエントリーをはてなブックマークに追加

カフカ著『決定版カフカ短編集』(新潮文庫)には『独身者の不幸』という僅か1頁分ほどの短文が収録されている。フランツ・カフカはユダヤ系でオーストリア=ハンガリー帝国のプラハ生まれ。40歳で没し、生涯独身で子供もなかった。そんなカフカは若い時分から「結婚したくないという訳ではないが、きっと自分は結婚に耐えられないだろう」という思いを抱えていたという。

カフカの代表作でもある『変身』は、「朝、目を醒めたらゲオルグ(自分)は虫になっていた」という設定で始まる。虫になっていたというけど、具体的にどういう虫になっていのかも記されておらず、読む方は「こりゃ、一体全体、どういう小説なんだい?」と頭をひねりながら読み進める事になる。「朝、目が醒めたら虫になっていた」という設定を読み手が疑わないのはおかしい。それは夢だ。家族たちも「あら、ゲオルグったら、どうも虫になってしまったみたいだわ。どうにか御近所にバレないようにしなきゃ」という反応をする。なので、読み手は〈だーかーらー、朝起きたら、虫になっていたって事は有り得ないだろっ!〉と思うが、その疑問は最後の最後まで踏み倒されたままである――というキテレツな小説だ。しかし、このカフカが20世紀を代表する文豪だとされているのは、厳然たる事実なのだ。


『山田太一戦争シナリオ集 終りに見た街 男たちの旅路スペシャル〈戦場は遥かにて〉』(国書刊行会)には、『砂の上のダンス』の未発表シナリオが収録されていた。舞台化されていたものを、マキノ雅彦(俳優の津川雅彦)監督で映画化する予定があったらしく、シナリオが発見されたのだという。目を通してみても、その辺りは読み取れた。如何にもセリフ回しが、舞台っぽい。裏返すと、山田太一の書くシナリオは、セリフとセリフとの掛け合わせで、あれこれと観覧者、視聴者を振り回すようにつくられていたのだな、という事にも気付いた。

この「砂の上のダンス」のシナリオもよくってねぇ。

先ず、20代の若い男女がある。柴田誠は「田舎の秀才」と呼ばれながら防衛大学を卒業して一流商社に入社した。おそらく、素晴らしいイケメンではないが、相応にイケメンである。その柴田誠には、一度だけ肉体関係を持ってしまった草間葉子という女がある。草間葉子は、どうしても、その柴田誠と結婚したいと考えている。柴田誠と結婚すれば、自分は階層をステップアップでき、一流商社夫人になれるから――というのが草間葉子が柴田誠と結婚したい理由である。柴田誠の方は、そんな打算でしか物事を考えていない草間葉子に対して別れを切り出した。少なくとも柴田誠は別れたつもりである。そして中東にある架空の国の支社へと赴任してきた。そこは一面が砂漠で猛烈な砂嵐にも見舞われる過酷な土地である。しかも、その国は政情不安定であり、今まさにクーデターが発生している。

そんな過酷な場所へ、何故か別れた筈の草間葉子が現われる。草間葉子は支社の上司らに「柴田のフィアンセの草間葉子と言います」等と自己紹介している。これに柴田誠はキレる。「フィアンセなんかじゃない! もう別れた筈だ!」と。しかし、「おいおいおい、こんな若いお嬢さんが単身で、こんな遠くて危険ば場所まで君を単身で追っ掛けてきたんだぞ。今、まさにクーデターが起こっている真っ最中だ。追い返す訳にもいくまい」となり、現地支社の3組の中高年夫婦が、その若い男女の話を聞いてやることになる。

草間葉子は手ごわい。その場にいた中高年たちが口々に「こんなところまで柴田君を追い掛けて来たんだから、それだけ情熱的だって事だ。きっと柴田君を愛しているんだよ」のように仲裁する。すると、草間葉子は「いいえ、私には愛も恋もありません。ただ、この人と結婚して一流商社マンの妻になって、そこにいる奥さん方のような階層に這い上がりたいのです」と平然と言う。なので、柴田誠が「こいつは、そういう女なんですよ。愛も恋もなく、ただただ打算だけで結婚すべきだってしつこくて…」と諸先輩方に助けを求める。その展開に中高年の夫婦たちが一様に驚かされる。

草間葉子という若い娘は、東北出身で父親は、のんだくれの鈑金工だとぃう。その父親は、出入りしていた焼き鳥店の店員と結婚したが、それが母親で、その両親の間に生まれたのが自分(葉子)なのだという。その葉子も高校を中退。その後、住み込みの美容院に勤めているのが現況だという。その上で葉子は言う。

「もし結婚相手を自分の周りから選んだら、私は一生その世界から抜け出せん」

更には、草間葉子は

「みなさんには、鈑金工の知り合いが居ますか?」

とも展開させる。誰も鈑金工の知人なんて居ない事が判明する。確かに商社マン夫妻たちが住んでいる世界とは、草間葉子が住んでいる世界とは違うらしい事もチラと確認される。

そんな世界から這い上がるべく、東京へ出て来た。その東京で、防衛大卒で一流商社勤務の柴田誠と出会い、一度だけ柴田のアパートへ行ってみた際、その柴田と肉体関係にまで到った。その柴田を逃がしたら自分は一生、その世界から逃げ出せないという。だから別に愛してはいないけど、柴田と結婚したいのだという。(この柴田は先述した通り、「田舎の秀才」であり、都会のエリート家系出身ではないので、田舎出身という部分では、葉子と共通しているので、今は愛していないけど、結婚してしまえば、きっと、なんとかなる筈だという。また、防衛大学は確かカネをもらえる文科省管轄外の特殊な大学なので「田舎の秀才」だという柴田も、そうした理由で防衛大学卒で商社に入社したという設定になっていると読める。)

商社マン夫人たちが口を揃えて草間葉子に反論する。「あなたはズレズレにズレているわ。商社マン夫人なんて亭主の手助けだけで、つまらない人生よ」等と、言い始める。「あなたは美容師さんなんでしょう? 自分で手に職を持って働いているなんて立派じゃない。それで不満なの?」等とも浴びせかける。すると、葉子は平然と「私は人の髪の毛ばっかりいじって自分の一生を終わりたくない」等と更に反論を展開する。

柴田誠が、隣にいる草間葉子に冷ややかな視線を送りながら、「こういう調子なんですよ。愛がないって真正面から言われて、ボクも困ってしまって…」と漏らす。

すると、すかさず草間葉子が柴田誠を攻撃する。

「私と一緒になっても出世の足しにならない、いいところのお嬢さんを狙いたいのよ。そうすれば、あなたも上の階層の別の世界へ行ける。コネもできる。こんな女につかまってたまるかって逃げ回ってるのよ。計算づくという意味では、あなたも私と一緒だわ」

すると、柴田誠は、そこで押し込まれてしまう。

「たしかに、そういう気持ちがないとはいえないけど――」

まぁ、そんなものかもしれない。

一同は紛糾する。「柴田君の言う通りだ。確かに打算だけの結婚なんて味気ないものは駄目だ」という意見も出れば、反対に「いやいや、違うさ。打算のない結婚なんてものはないだろう。みんな誰しもが少しは打算で結婚という選択をしているものだ。胸に手を当てて考えてみろ」という意見も出てくる。その内に所長(私の脳内イメージだと断然「杉浦直樹」で再生されました)が、みんなで話し合う機会を持とうじゃないかと言い出す。

各自が己の人生を具体的に語り出す。御世話になっていた人物の妻を奪って、絵にかいたような恋愛の末に夫婦になった者もあれば、夫婦でありながら子供が出来ない事に起因して冷戦状態を続けているという夫婦もある。この辺りは実は見事で、ありとあらゆる可能性を拾い上げている。気の強い妻から、ドジだ、ドジだと詰られている道化色のある江崎という人物が、そんな中、語り出す。

江崎「この頃は、なにをしようとなにをすまいと、たいした違いはないんです」

江崎妻「分かったようなこといわないで」

所長「いいじゃないの。伺いましょう。続けて」

江崎「この頃はみんな長生きします。だから大抵のことに失望してしまう。失望してから死ぬんです。子供に期待をして育てる。その子供が自分に冷たくなっていくのを見なきゃならない。会社のために働く。その会社が定年後自分の働きをあっという間に忘れていくのを見なくちゃならない。課長になった、部長になった、そんなことがなんだったんだろう、とむなしくふりかえるまで生きていなくちゃならない。憧れた美少女がばあさんになった姿を見なくちゃならない」

江崎妻「悪かったわね」

所長「いやいや、一般論」

江崎「最後には失望だけが、たっぷり残る。現実が分っていようといまいと、見合いを選ぼうと恋愛を選ぼうと、独身を選ぼうと、最後には、たいしてちがいはなかったと一人で溜息をつくんです」

所長「だからといって、ずっとじっとしているわけにもいかないだろう」

江崎「それはそうです。しかし、なんにせよ、しゃかりきになるのは、つまらない。大体、いまの世の中、しゃかりきになるほどのもの、なにがありますか?」

〜略〜

江崎「いえ、これはね、たいしたもんです。プラトンの昔から、えらい人は恋だの愛だので結婚するなといっています」

所長「プラトンが?」

江崎「そうです。ところが、大半の男女はのぼせたまんま結婚しちまいます」

所長「御自分もね」

〜略〜

江崎「身も蓋もないことをいえばですね」

江崎妻「変なこといわないで」

江崎「日本人は、ずっとごまかしながら生きてきたともいえます」

所長「そうなの?」

江崎「ごまかして、まぎらしてなきゃ、たまったもんじゃない。いつか地震が来るぞ。アメリカはこの上なにを求めてくるんだ。アジアも力を振るいだした。原子力発電所で大事故があれば、一発で日本は全滅だ。それでも平和で豊かで、まあまあなんとかやっていけるだろうなんて思っている。こいつはかなりひそかに、私たちは本気で切実にごまかしているかもしれません。〜略〜」


この辺りのセリフ回しに表出している虚無感は現代人特有のものでもある。愛も恋もない結婚でいいのか? もしかしたら、それでもいいのかも知れない。自分なりに情熱をかけて生きてきたつもりであったが振り返ると…という展開になる。

その商社マンたちが勤めている一流商社、その東京本店は、その劇の舞台になっている某X国政府と契約してプロジェクト進めていたが、クーデターの影響で工事代金の支払いが滞っている。そんな事情もあり、指令部たる東京本店は現場部隊の一行に内緒で、某X国からの完全撤退を決断したと連絡が入る。10年がかりで、その地に赴任して仕事をしてきた3組の夫婦は呆然自失となる。自分たちの10年間は何だったのだろうかという空虚感に襲われる。

4組の男女は何にもすることがないから、みんなで踊ってみようとなる。「砂の上のダンス」というタイトルはこの部分である。しかし、みんな乗り気ではない。殊に男性陣は乗り気ではない。そんな中、道化の江崎が人知れず練習していたというパントマイムを交えたダンスを披露する。それによって少しだけ空気がほぐれる。一行は美しい夕陽だけが唯一の取柄であるという、その砂漠で思い思いのダンスに興じる――。

シナリオを読んでいるので、この「砂の上のダンス」のイメージは案外、難しい。このシーン、私の場合は甲斐バンドが思い浮かんだ。


生きるって事は 一夜限りの ワンナイトショウ

矢のように走る 時の狭間で踊ることさ


もう、ダンスなんてイヤだけど、踊るしかないのであれば、踊ってみるよ。踊るアホウに、見るアホウ。人生なんて、そんなものだろうからね。

夕陽を背景にしてダンスする男女のシルエットが見えて、美しくジ・エンドかと思いきや、追い打ちがかかる。クーデターが激化し、日本人が巻き込まれることはないだろうと信じていたが、その日本人居留地にもクーデター軍が押し寄せる。そして一行が集まっているハウスはクーデター軍によって包囲されてしまっている。兵隊たちが銃を構える音。万事休ス。そして終幕――。怖ろしいまでに救いのない物語だ。

何故、冒頭で簡単にカフカに触れたのかというと、実は編集者が同じで頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)氏であり、この編集者は〈絶望〉をテーマにしている。「現代社会には救いなんてものはホントにないよね」という部分で、確かに似ているかも知れない。

頭木氏の意見とは異なるのかも知れませんが、頭木氏によればカフカは、問題を考え出してゆき、どんどん訳が分からなくなるという思考回路だという。自分で考え込み、挙げ句、何もかも分からなくなってしまうという思考回路だそうな。山田太一もそれに似ているのかというと、少し違うような気がする。山田太一が持っているパターンは「どうせ、こうなってしまうだろうから、嘘でもいいから、虚構だと分かっていてもいいから愉しむべきなのでは? あっ、でも違ったかも!」という具合に進行していく。
    このエントリーをはてなブックマークに追加

山田太一の原作を大森寿美男の脚本によって映像作品化して2002年に放送されたという「君を見上げて」(全4話)を視聴。背の低い男性と背の高い女性との恋愛模様を題材としたドラマであった。主人公は森田剛さん演じるロックされてしまったカギを開ける仕事を生業とする鍵師。ヒロインには未希さんという長身の女優さんが起用されていた。顔立ちは、青山倫子さん風の和風テイストの美人女優。

恋愛ドラマの要素も多かったのだと思いますが、やはり、興味深いのは、その身長差をテーマにしている事であった。女性の方が男性よりも19cm(劇中では20cm)ほど高いという設定だ。あまりにも逆身長差がある事が幸いして、この両者は出会いの瞬間から意気投合する。男女の関係に発展することを意識する必要性がなかったので、容易に意気投合できたという意味である。タイはバンコクで知り合い、折角だからとバンコクの屋台などを一緒に巡って遊び歩くものの、「傍目からして私たちは身長的に釣り合いが取れていないので余計な恋愛感情を持ち込まないで済むよね」という感慨を持っている。男性は自分よりも身長の低い女性と歩くことを以って、バランスが取れていると認識するし、女性の方も必ずしも背の低い男性と肩を並べて歩く事をバランスが取れているとは認識していない。或る意味では、固定観念化しているジェンダーギャップ問題にも通じるような固定観念をテーマとして置いたドラマであった。(過去記事で取り上げましたが山田太一の小説『空也上人がいた』では19歳年上の女性と結ばれる男性を題材としていた。)謂わば、これは〈逆ギャップ〉とでも呼ぶべき題材というになるのでしょう。

出演者は森田剛、未希、角野卓造、大谷直子、石井正則(アリとキリギリス)、北村一輝、加藤雅也ら。

主人公・高野章二(森田剛)は、開閉不能になってしまった金庫を開けることができるという能力を有している。ドラマの冒頭では、タイのバンコクで古い古いタイプの大型金庫を開錠する。金庫が開くと、その場に集まっていた高齢者たちが一様に涙を流しているが、主人公は金庫の中には関心を抱かない。開錠に成功した金庫の中身などには興味を抱かない事がビジネスだと割り切っている。それが、そのビジネスのコツなのだという。しかし、帰り際にタイの老人から声を掛けられる。

「あなたは我々の金庫を開けたが金庫の中には興味を抱かなかった。何が入っていたのか気にならなかったのか?」

「気にはなりましたが、金庫を開けるのが仕事なので、そうした事柄には立ち入らないようにしているんです」

「そうですか。私は、あなたのそういうところが好きだ。しかし、もう少し私たちに関心を持ってくれてもよかったような気がする。日本人はビジネスライクになっているので、余計な事に立ち入らなくなっている。しかし、そうした態度は私には少し寂しくも感じる…」

その余計なことには立ち入らないスタイルというプロットは、直接的にはメインのプロットである逆ギャップの男女関係とは繋がっておらず、複線的に並行するようにドラマは進行してゆく。

とはいえ、メインプロットは飽くまで身長逆ギャップ問題にある。周囲から見て釣り合いの採れていない二人の恋愛は成就するものなのかどうかという問題である。厳しかったシーンは、主人公の母親(大谷直子)が、その身長差ギャップを知って、「息子と別れて下さい、あなたはフツウじゃないもの」と言ってしまったシーンでしょうねぇ。「あなたのように背の高い女性は滅多にいないわ。何故、よりによって、うちの章二なんですか? 世間というのは色々な偏見があるものなの。悪い事は言わないから別れてください」と直言し、未希演じる小坂瑛子を泣かせてしまう。

生まれつき長身の家系に生まれたという設定の小坂瑛子(未希)が、長身であるが故に傷ついた事柄を語るシーンもあった。

「私の小学6年生の頃のニックネームはね、ガリバー夫人だったの。そんな年頃の女の子が、そんな事を言われて、どんな気持ちになるか分かる?」

となる。また、付き合い始めるようになってから、瑛子は章二におぶってもらおうとするとシーンがある。背の高い女が背の居低い男の背中に覆いかぶさるような恰好になっている。すると、章二が怒るというシーンもあった。ほろ酔い気分で夜の遊歩道を歩いているという、トレンディドラマ風のノリでもあったが、おぶさられた章二(森田剛)の方がキレる。

「オレのこと、バカにしてんだろう? オレが背が低い事をバカにしているんだっ!」

とマジ切れさせてしまう。結構な熱量で、そう言われてしまった瑛子の方は激しく動揺しながら言う。

「バカになんてしていないっ! 男性におぶってもらいたいって、昔から思っていただけなの。そんなに怒られるような事かなぁ?!」

身長差の逆ギャップを持つ二人は、結局のところ、その逆ギャップに起因する問題で度々、そのような衝突を起こす。そうなってくると、所詮、この逆ギャップの問題は乗り越えることなんて出来ない、章二の母親が言っていたように、お互いの為にも二人は別れた方がいいじゃないのか等と考え始める。

瑛子の弟も、これまた長身であり、この姉思いの弟は章二に対して「あんたじゃ、姉ちゃんを幸せにできない」などと忠告してくる。更に弟は、自分の知っている長身の知人(北村一輝)の方が、長身の姉ちゃんとは釣り合う筈だ、姉ちゃんを幸せにできる筈だと考えて、勝手に両者のセッティングを進め、章二に対しては

「頼むから姉ちゃんと別れてください。あんたじゃ、姉ちゃんを幸せにできない。オレは俺なりに姉ちゃんに可愛がってもらって生きてきたから、姉ちゃんの性格もよく知っているつもりだ。オレは、どうしても姉ちゃんには幸せになってもらいたいんだ」

とまで言われてしまう。

終盤になると、金庫屋稼業を巡るプロットの方から大事件が発生し、ドタバタな展開の中でなんとなく、逆ギャップカップルは仲を修復してゆく。(この訳の分からないドタバタによって物語が引っ掻き回されるというのも山田太一にありがちな展開である。)

もう、別れた方がいいんじゃないのかというぐらいまで、このカップルの仲はこじれる。瑛子の方が当初は諦め切れないという様子であったが、終盤になると章二の方が瑛子に縋るように関係性の継続を切望する。半ば口論のようになる。

瑛子「一体、こんな私の、どこがそんなにいいっていうの?」

そう持ち掛けられた章二は、表題通り、瑛子を見上げながら

「カラダ」

と、一言、短く答える。一瞬の間があって、

章二「抱き締めるというのも心地いいけど、抱き締められるというのも心地いいって事に気付いたんだ。ものすごく安心できるんだ」

一見というか一聞する限りでは、歯の浮くような展開だなと思うものの、おそらく、山田太一なりには、この辺りをこそ、逆ギャップ問題の着地点に置いていたのだろうなぁ…と思いながらの視聴となった。

この身長逆ギャップカップルの問題になってくると〈包容力〉という問題は実は避けられなくなってくる。「つまらない世間の偏見を超越して…」のような説明では、説明が不可能になってくるという次元がある。直接的に「好きか嫌いか」の問題になってしまう。では、具体的にどこが好きなのか、愛しているのか、という問題に触れざるを得なくなってくる。そうなってきてしまうと、とどのつまりは、「どこがそんなにいいっていうの?」になってしまい、それに正直に答えるしかなくなってしまうのではないだろうか。言辞的なタテマエとして「ギャップを乗り越えろ」というのは容易い。そいう教条的な次元ではなくて、積極的・能動的な次元で人と人とは結び付くものである。好意であるとか愛情といった分野は、教条的な「差別はよくないと思います」のようなタテマエでは済まず、そうした人間の深部からの希求に因るものなのである――、そういう理解であろうと思った。なので、突き詰めてゆくと、「こんなアンバランスまでに長身である私のどこがいいっていうの?」という問いには、「あなたがウィークポイントだと思い込んでいるその大きなカラダ、そのカラダが好きなのだ」と答える事になるという風に組み立てたのであろうなぁ…。

思えば、中学や高校時代、女子バレー部とか女子バスケ部の人たちというのは、基本的にはモテる人たちであったような記憶がある。諸々、均整がとれている人が多いのだ。しかし、東大女子の問題と似ていて男子生徒の側にしても「しかし、オレよりも背が高いと思うと、オレがショボイ男に見えてしまうかもしれんなぁ…。そもそも相手にしてもらえるかどうか…」と考えるので敬遠する事になる。結局のところ、「釣り合いが取れているかどうか」という世間体バイアスというものは目に見えないものでありながら、実際に、それは存在しているのでしょう。
    このエントリーをはてなブックマークに追加

『山田太一戦争シナリオ集 終りに見た街 男たちの旅路スペシャル〈戦場は遥かにて〉』(国書刊行会)が、先の終戦記念日に発刊となって、お盆休み中に目を通した。いずれも未視聴のドラマなので未視聴のまま、そのシナリオに目を通した事になりますが、どちらも軽い衝撃を受けた。『終りに見た街』の中盤にも、中井貴一&柳沢慎吾の親世代コンビが、その子世代の成海璃子さんから強烈なセリフを浴びせられるシーンがあり、ギョッとした。しかし、『男たちの旅路スペシャル〜戦場は遥かになりて』は、その問題を更に深掘りしてあった。

以下は引用であり、それは鶴田浩二演じる吉岡司令補のセリフという事になる。鶴田浩二自身も、また、警備会社の吉岡司令補という役柄も、神風特攻隊に在籍していた人物であり、謂わば、生き残りであるという設定になっている。

「戦時中、私が所属していた特攻隊の仲間は、少くともその半分ぐらいは、内心、ああいう作戦は無駄ではないかと思っていた。飛行機もろとも敵の船につっこむ。勿論、つっこめばいい。つっこんで相手に打撃をあたえられるなら、命は惜しくない。しかし、つっこめるのは、十機に一機もなかった。多くは目標につく前に、敵の砲撃で撃ち落とされた。性能が悪くなっていて、故障して海へ落ちるものも少なくなかった。しかし、無駄なことをしたくないなどとはいえなかった。いえば、臆病者だと思われるだけだ。みんな、心を励まして乗って行った。無駄でもいい、いさぎよく死のう。無駄でもやっつけに行きたいのが人情じゃないか。そんな風に納得してね」(『山田太一戦争シナリオ集』173頁)

この『男たちの旅路スペシャル〜戦場は遥かになりて』は視たいと思いながらも視れないでいる作品だったのですが、是が非でも視たくなった。きっと視聴したら、心理的にはのけぞるような感覚があったと思う。最も語る事が難しい問題に挑んでいるなと感じた。

戦後世代の感覚からすれば、特攻隊にしても、或いはバンザイ突撃にしいても、所謂、玉砕したという具合に解釈されているものについては、言葉には出さないが事情を知ると心の中で「それじゃ、無駄死にしたという事なのか?」のような事を考える。しかし、それを言葉にする事は殆んどない。何故なら、その死んだ人の魂を冒涜する発言になりかねないから。そういう構造がある。「無駄死にした」とか「まるで犬死にしたようなものだ」という風に片付けるのは抵抗がある。しかし、そうであるが故に正真正銘のホンネの部分が見えなくなるという問題がある。ましてや、昨今のような言論環境になってしまうと「あなたの、その言葉で私は深く傷つきました。謝罪して下さい、賠償して下さい」のようにクレームを言い出すような言論環境になってしまっているので、尚更、こうした問題の深部には触れにくくなってしまっている。辛うじてフィクション世界だから、登場人物に言わせる事ができたかのようなセリフでもある。そこに迫っているのは、水木しげるの『総員!玉砕せよ』ぐらいかも知れない。

これは確かに微妙な問題を含んでいる。取り敢えず【蛮勇】という言葉を使用しているが、現場や当事者レベルになってくると、それは蛮勇ではないという可能性がある。先述した親世代(中井貴一&柳沢慎吾)に対して、子世代(成海璃子)が浴びせるのは、以下のようなセリフである。こちらは引用ではなく適度にアレンジして表記しますが、次のようになる。

「みんな、一所懸命、国のために戦っているのに、(お父さんたちったら)コソコソと、つまらない戦争、バカな戦争なんて言って! 米軍は、どんどん空襲をして日本人を殺しているのよ! 立ち向かって戦おうとしないなんて、おかしいわよ!」

中井貴一&柳沢慎吾という組み合わせは、山田太一の代表作でもある「ふぞろいの林檎たち」の仲手川&西寺のコンビでもある。そのコンビが親世代になっていて、中井貴一の娘に成海璃子が配役されていて、そのシーンがある。まぁ、あまり詳しくストーリーを説明する訳にもいかないのだけれども。

子世代から、そういう言葉を浴びせられて親世代は、どういう感慨が沸くだろうか? 別に親子ではなくても、ジェネレーションギャップを認識しているとして、どうだろうか? こうしたニュアンスは非常に複雑で、少なくともタジタジになる、たじろぐことになるのは確かでしょう。

まぁ、戦争そのものを直視してしまうと、本当にその問題がある。尺数が4時間45分もある映画「東京裁判」も視聴したばかりですが、大日本帝国による先の戦争の場合、検証する限り、一部に暴走が起こり、その暴走を止められなくなったという側面が非常に強い。戦後にマッカーサーや米国が、昭和天皇を占領統治の為に都合よく利用しようとしていたのも史実なら、実際に昭和天皇が「よもの海、みなハラカラと…」という和歌を詠んだのも事実だし、満州事変に到っては実情を知った昭和天皇が激怒して田中義一首相を厳しく追及して退陣に追い込んでしまった事も明らかになっている。

まぁ、どこかに蛮勇を競ってしまうという心理があるのでしょう。これは男性特有の心理なのか、或いは女性にもあるのか微妙な問題ですが、確かに臆病者と誹られたくない心理が作用するので、結局は、蛮勇を競う事になるという構造がホントにある。〈戦争〉という舞台は、その最たるもので弱気な事を言えば、忽ちのうちに臆病者や卑怯者というレッテルを貼られてしまう。それを怖れて、蛮勇であろうとするという心理が現に存在する。

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主人公は、「チキン」と挑発されると我を失ってしまうという性格の持ち主で、それをマイケル・J・フォックスが好演していた。この「チキン」とは「臆病者」のスラングであり、そのようになじられてしまうと、我々は冷静では居られなくなる。「チキンとなじられても、毅然としていればいいのさ」という者もいるかも知れない。しかし、そういう人物はどこか真摯に向き合っていないものだよなと思うのだ。

格闘技興業「PRIDE」などで活躍した格闘家の五味隆典さんは多くの格闘技ファンの心を奪うような真正面から戦うスタイルで人気を博した。とんでもなく凶暴にして強敵との対戦前の様子を撮影した映像がDVDか何かに収録されていて合点がいった事があった。仲間を相手に深い溜息をつきながら、「負けたら顔面をグシャッって踏まれて負けるのかぁ…。こえぇぇぇ」と本音を洩らしているのを視て、ああ、なるほどと思った。勇ましい気持ちを振り絞るようにして、あの〈火の玉ボーイ〉と呼ばれた格闘家は壮絶な試合を演じ、伝説になっていったのであった。負ける場合のイメージを持っている者の勇気と、負ける場合のイメージを持たない者の勇気とでは、実際には違ってくるだろうなと思う。

いやいや、国分拓著『ガリンペイロ』(新潮社)の世界もそれに似ている。法律の外で金鉱を掘る男たちが南米に居て、彼らをガリンペイロと呼ぶわけですが、そこは法律の外にある世界である。もし殺人をすれば、ボスがなにかしらの処分を下すことなる。そこには警察のようなものの介入がない。ガリンペイロたちは喧嘩をするし、その喧嘩がエスカレートして、年に何度かは刃物を使用したり、銃を使用したりする喧嘩も起こる。登場している人物の一人は、何度も殺されてかけた経験があり、実際に深い刀傷を腹部に持ち、本人が言うには腸がちぢれてしまっているという。からかうものは徹底的にからかう。相手が侮辱に耐え切れなくなっていても、そこで手加減する事を知らず、更に侮辱を重ねるので、追い込んでしまい、結局、刃物や銃を抜く者が出てくるという世界だという。そういう殺伐とした空間、それが極限にまで達すると、物事の道理を説くような老人が出てきたり、或いは若者でも聖書を声に出して読むような者も出てくる。神とか道理とか、そういったものは、結局、必要になるものなのではないか。ただ、そういう空間を実際に支配しているものは蛮勇であり、臆病者は徹底的になじられ、蛮勇を誇る者が尊敬を集める。その世界は法律の外の世界なので、思い余って憎い奴を銃で撃ち殺し、そのままジャングルへ逃亡してしまうなんていう者も出てくる。そうしてジャングルへ逃亡したところで、結局、生きては帰れない場所だという。

さて、問題は山田太一の『戦場は遥かになりて』であった。この『男たちの旅路』は警備会社が舞台であるが、おかしな若者の愚連隊たちが出現し、警備員たちをゴルフクラブで襲撃するという事件が連続発生する。ゴルフクラブの警備をしていた警備員が10人程度の愚連隊に襲撃されたり、深夜の学校を警備していたところ、同一犯か模倣犯と思われる愚連隊に再び警備員らが襲撃に遭う。主人公たちの警備会社は東洋警備という会社名ですが、東洋警備では愚連隊を確保したり、抵抗したりせずに警察に通報するという方策を立てている。しかし、東洋警備の信用がガタ落ちする。警備会社の警備員なのに、何故、愚連隊を逮捕、逮捕は無理だとしても抵抗さえしないのは、臆病ではないか――という訳です。

で、このスペシャル版では、本間優二演じる「森本直人」という役柄の若手警備員が登場している。この森本直人という人物は、花を育てたり、鳩を飼育する事を好む性向の持ち主であったが、育った環境の中で「女々しいことをするな」という教育を受けている。その父親の教育方針もあって空手を習わされ、空手の腕も相応に自信を持つまでになり、その上で新入りとして警備会社に入ってきたという設定である。この森本直人という青年は、何をするにも反抗的で、警備会社でも手を焼いていたが本心が見えてくる。吉岡司令補(鶴田浩二)は、自分たちの時代の男は武骨であり、何をするにも力を行使して生きてきたクセに若者に対しては「ケガをするような事はするな」のように命令してくる。しかし、それが気に入らないという、ひねくれ方をしているのが森本直人(本間優二)という青年である。現に、世間の反応も、同僚の反応も、愚連隊と遭遇したのに逃げて警察に通報するというだけの行動をしても、一向に評価されない。今どきの若い奴はだらしがない。腰抜けである。そのような悪評を実際に受けるし、軽蔑のまなざしを向けられる。しかし、森本直人という青年は、それこそが耐え難い屈辱だと感じているのだ。吉岡司令補に対しても「あんたの事は知っているよ。神風特攻隊の生き残りだろ? 本音を言えよ。本音では、今どきの若いヤツは軟弱だって軽蔑しているクセによっ!」という強烈な怒りを抱えている。

或る意味ではジェンダー問題を先取りしていたかのような問題でもある。森本直人は自らが勤めている警備会社の規則を破ってでも、自分の手で愚連隊どもを捕まえてやろうとか、痛い目に遭わせてやろうと画策し、私服のまま、警備対象の建物のパトロールを始める。そして愚連隊と遭遇する。人数にして10対2。とはいえ、それなりに腕っぷしにも自信があり、自分を見下している上司や世間を見返してやろうという蛮勇を発動させ、凶器を持っている愚連隊を相手に乱闘を演じて後頭部を損傷、意識不明の重体に陥って救急搬送される。森本直人には同棲している相手(真行寺君枝)がいる。お腹には森本直人の子を宿している。しかし、森本直人は息を吹き返さない――。

ストーリーは、そのように流れますが、やはり、肝になっているのは、他者からの評判、世間からの評判に左右されて、結局は、人々は蛮勇を競う事になってしまうものなのだという構造を浮かび上がらせている。

ああ。本間優二さんという俳優は、元々はブラックエンペラーの構成員であったが俳優になった方でもある。暴走族時代の映像が映画「ゴッド・スピード・ユー!」に収録されている。こういうキャスティングで、こういうシナリオなのであったなら視聴したかったなぁ。

拙ブログ:映画「ゴッド・スピード・ユー!」の感想
    このエントリーをはてなブックマークに追加

このページのトップヘ