どーか誰にも見つかりませんようにブログ

人知れず世相を嘆き、笑い、泣き、怒り、呪い、足の小指を柱のカドにぶつけ、SOSのメッセージを発信し、場合によっては「私は罪のない子羊です。世界はどうでもいいから、どうか私だけは助けて下さい」と嘆願してみる超前衛ブログ。

カテゴリ:雑記 > 入院記

生まれて初めて手術というものと入院というものを体験することとなり、詳しい状況の分からぬまま、動脈を切除して、その部分を人工血管に置き換えるという開腹手術を受けてきたのでした。病名と言われてしまうと困ってしまうのですが、動脈硬化であり、動脈プラークによる血管詰まりへの対応であり、また、その血管詰まりとは瘤状になるという意味では動脈瘤の問題でもありました。

堅苦しく病名として説明するなら「腹部大動脈瘤」と「閉塞性動脈硬化症」であり、その治療の為に人工血管に置き換えるという手術をしてきたのでした。

3〜4週間ほど前の『バロンズ・ダイジェスト』では、AI銘柄の過熱から避難するにはどうすべきかというレポートがあり、その中で医療銘柄が取り上げられていて、そこには【動脈プラーク】というワードがありましたが、まさしく、その問題でした。多くの中高年が血圧、血圧と騒いでいる訳ですが、何故に高血圧が問題なのかと言えば、この「血管詰まり」の問題がある訳です。これは、おそらく、多くの方が引っ掛かりそうな問題でもある訳です。確かに、現代人のライフスタイル中にある食生活を考えたとき、どう考えても、この血管の老化の問題は避けられないように感じました。あの食品や、あの食材を摂取すると血圧が急上昇し、血圧が上昇すると血管への負荷が高くなって血管の老化を招く。

『バロンズ・ダイジェスト』によれば、既に米国では「肥満に効果がある」という薬が登場していて話題をさらっているといい、その話も現代人がフツウにファストフードやインスタント食品を食べるライフスタイルを日常とするならば、当然に、この動脈プラークの問題は避けられなくなる。推奨されていた銘柄は、その肥満薬に期待のかかる「イーライ・リリー」が筆頭で、心疾患に伴うカテーテル手術に強味のある「エドワード・ライフサイエンス」、それと数年前から有名な手術システム「ダ・ヴィンチ」を提供している「インテュイティブ・サージカル」あたり。なるほど、よくよく考えてみると、技術革新が進行するとして、最後に残る現代人の健康問題は「肥満」や「血管の老化」に行き着くものと強く推測できてしまう。しかも、既に世界のお金持ちは、そういう情報を持っているので、相応に割高になっている。ああ、「インテュイティブ・サージカル」(ISGR)は、私が思うに割安になっている。(3株ほど持っているのに赤字だ。)

さて、私が受けた回復手術というのは、お腹をミゾオチの辺りから臍下数センチのところまで、ざっくりと切って開腹し、内臓を傷つけないように気をつけながら動脈を18〜20cmほど切除して、人工血管に置き換えるというものでした。手術時間は5時間程度だったものと推測されます。

事前に複数の全身麻酔経験者らに

「全身麻酔ってどんな感じだった?」

と尋ねていたのですが、多くの人の答えは共通していましたかね。

「数字を1〜5まで数えるように言われている内に、意識がなくなって、目が覚めたときには、すっかり手術は終わっていた」

と。基本的には私も同じでした。手術室に入って、麻酔医からマスクを口に当てられて

「深呼吸を3回ほどして下さい」

そう言われたので深呼吸を3回したのだと思いますが、そこから記憶が無くなった。

そして麻酔から覚める訳ですが、私が麻酔から覚めたときは、結構な痛みと苦しみとが伴なっていた。目を覚ました空間は、いわゆるICUであった。ここからは私本人の記憶であり、この私自身の経験を「内的経験」とバタイユのワードに掛けて述べています。つまり、「私の記憶」とは、私の内的経験の記憶なのである――という事なのです。で、究極的には、その者にとっての真実とは、内的経験でしかないという話に繋がっていきます。

ICUは私の記憶だと、少し薄暗く狭い空間のように感じた。麻酔から覚めてみると、結構な痛みと苦しみがあり、自分の腹部については、ブラジルから輸入した冷凍鶏肉であるかのような「硬さ」を感じていた。なんというべきかミゾオチ付近に息苦しさがあって、少し縫合した箇所が25cmぐらいはあり、しっかりと縫合したので、その縫い合わされた箇所は自分の身体でありながら、なんだか硬さを感じた。ICUでの記憶は、病衣の着せ替えられたところであったかな。魚河岸に揚げられたマグロ状態の私の身体を、看護師さんたちが「せーのっ!」のような掛け声を出して私の身体を横臥状態に転がし、袖を通させ、着替えさせている。

下半身は紙オムツに履き替えさせられていたのだと思いますが、なんだか洗浄されている様子からすると、単にオシッコまみれになっているだけではなく、糞尿まみれの血液であったかも知れない。ああ、手術日の前日には断食をして下剤を飲まされており、手術前日には11回もの便通がありましたが、なんだか結構な黒っぽいゴミ状のものが尿に混じっているように見えた。

いつの間にやら、ボクちゃんのチンコ、略称「ボクチン」には透明の立方体の箱が取り付けられていて、その箱の連結部分からは管が伸びていた。これが尿道カテーテルであった。勝手に溜まった尿は排尿される仕組みらしい。オムツ交換の際にぼんやりと自分の下半身を目にした際、ボクチンが見えた。ボクチンは弱々しいアマガエルのように見えた。アマガエルでは小さすぎるのだけれども、実際に看護師さんたちに洗い流されているボクチンの姿というのは、随分と、か弱い生きもののように感じられ、パンダの赤ん坊のようにも見えた。勿論、スケベな気持ちなんて微塵も湧きません。痛みと苦しみは全てに優先する。「お願いだから痛くしないでね」と、縋るように目で懇願するばかりであった。

ICU(集中治療室)に少しだけ世話になって、次にはHCU(高度治療室)に回された。なにやら、ICUとHCUの違いについての説明をされて、ICUに隣接するHCUへ。このHCUで明かしたのが手術2日目という事になったのですが、ここで私の内的経験としては、実は「死」というものを非常に生々しく体感する事となった。

痛みという感覚が最大限付近になってしまうと、ヒトは「痛み」を感じるのではなく、「猛烈な苦しみ」を感じる事になる。「痛いですか?」とか「10段階で例えて、どれぐらいの痛みですか?」と問われても、私の場合は擦れ声で

「痛みというよりも苦しみなんですけど、限界に近いです」

のように答えていたと記憶している。部位として、どこが痛いのかも分からない。とにかく、苦しい。何とかならないものか。そういう状況になってしまっていた。このHCUから更に別の場所にあるHCUに転床することことになるのですが、その私が「苦しい」とか「苦しいです」を連発していた理由についても看護師さんから説明を受けた。血圧を120前後でキープ視する事を条件にしていたが、どうも痛みが強いらしく、痛みが強い為に血圧が上がってしまい、更に横隔膜をも引っ張ってしまっているので呼吸が浅くなってしまっていたのだという。勿論、鎮痛剤も使用していた訳ですが、鎮痛剤が切れてしまうと、痛みが発生して、血圧が上がり、更には呼吸も浅くなってしまい、苦しみはじめるというサイクルで、それなりに私は大変な患者だったらしい。

〈これは、ホントに生きて帰れないかも知れないゾ〉

と感じたのも、この時でした。何故って、それは苦しさの限界みたいなものを感じてしまっていたから。

その「痛み」や「息苦しさ」についてなのですが、ぼんやりと見えている掛け時計があって、目を凝らすようにして確認してみると深夜1時過ぎであった。物凄く苦しい。

「この状態に自分は時間にしてどれぐらい耐えられるだろうかと考えてみたら、どんなに頑張っても3時間が限界で、この苦しい状態のまま、朝方の6時や7時まで継続するのであれば、生きることよりも死んでしまった方がいいだろう」と実は冷静に感じ取れてしまった瞬間があった。

死ぬのは怖いことだし、今生への未練らしい未練もあるのだけれども、「耐え難い苦しみ」は、「死への恐怖」や「今生への未練」よりも優先順として上位にくることを、非常に生々しく体感した。「色々と思い残すこともあるが、どうだっていい。それよりも今現在の耐え難い苦しみから早く楽になりたい」という反応になるのだ。

ヒトは、必死に自分なりのストーリーをつくりあげて物事を認識しようとする。「こんなところで死んでたまるか」のような認識さえもが自分なりの時間軸で編まれたヒストリーと関係している。激しい痛みと苦しみの真っ只中にあっては、実は、物事を筋道立てて考えることが不可能になることにも気が付いた。「これこれこうだから、このように考えよう」のような事をしていると、脳なのか脳じゃないのか、兎に角、拒絶反応が起こってしまい、吐き気を催してしまうのだ。(この【吐き気】と【嘔吐】については後に触れることとして、一先ず、先を続ける。)

あまりナースコールを押す方ではなかったと思いますが、その問題を考えている中で、ナースコールを押した。「苦しいのですけど…」と訴えても、まぁ、看護師にしても医師にしても、どうすることもできない状況でありながら、わざわざ「苦しいのですけど…」と訴えるのも意地悪なような気もした。しかし、殆んど選択肢らしい選択肢もないのだ。記憶が曖昧になってしまっていますが、もしかしたら私はナースコールを押して一回ぐらいは「楽になる方法はありませんか?」ぐらいの事も訴えていた可能性がある。

そんな苦悶する深夜1時から2時までの間、どこかで記憶が飛んで、目を覚ますと朝方になっていた。痛みは3〜4割ぐらい軽減されていて、「ああ、助かった。これなら生きて帰れそうだゾ」という感覚になった。私が私なりに死を覚悟した瞬間というのは、鎮痛剤の効果が一時的に切れてしまったポイントだったらしく、「苦しいのですけど…」と呼んだ後に渡された、結構、大きな鎮痛剤が、その後に利いてくれたので、痛みが沈静化し、血圧もコントールしやくすくなり、横隔膜が引っ張られて吐き気まで引き起こすといった最悪の状況を抜け出せたのだと、ナースコールで呼んで意地悪にも「苦しいのですけど…」と訴えた看護師が説明してくれた。

HCUでの激闘の痕跡はすべてが私の主観になってしまう訳ですが、私としては客観的な数字も記憶している。実は手術前よりも、この2日目の朝の方が実は体重が6キロも増えていた事を、別の看護師から告げられた。勿論、手術日も翌日も食事は摂っていないのだから基本的には体重は減ってもよさそうなものですが、私の場合は先述したような状況になってしまった為、大量に点滴をすることになり、まさかまさかの6キロ増で手術から2後の朝を迎えたという事であった。

そのHCUから別の棟への転棟が決まると、HCUの看護師さんたちが「この人は転棟させないで、ここに残した方がいいのでは?」、「向こうに、そういう設備があったっけ?」、「なんだか転棟させるの不安だよね」、「私もちょっと心配」のような会話を私の頭上で交わしている事に気づき、〈ああ、看護師さんたちは本気で心配してくれているんだな。できる事なら私たちで面倒を見たいと思ってくれているんだ。やさしい人たちなんだな〉と感じて、思わず目頭が熱くなった。

そんな中、転棟の準備が進められ、私も移動用のベッドに移し替えられた。そしてHCUから運び出される際、HCU内で、私の目に入ったスタッフの全てが私を見送ってくれたのには驚いた。人数にして、ざっと16人ぐらいだったかな。皆が皆、その場で立ち上がったり、中にはベッドの上に寝かされている私の顔を覗き込むなどして、ベッドに乗せられて運ばれていく私のお見送りをしてくれたのでしたが、その対応に私は思わず大号泣してしまった。

かすれ声しか出ないので、お礼を言いたくとも声が声がとして届かない。気を抜いて嗚咽すると横隔膜が刺激されて大変なことになるので嗚咽はできない。中には、ニコニコしながら私に声を掛けてくれている看護師さんがあったので、こちらも移動用ベッドに寝かされたまま、その手すりの隙間から手を振りながらHCUを退出。病院内の冷たい回廊を通過してエレベーターで運ばれ、病院内の別棟へ――。
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ナースステーション裏にあるHCUは、実は天井はナースステーションと繋がっていて、カーテンで仕切られているだけという場所でした。ナースステーションというのも正確ではなくて、実際には事務の仕事をしている職員もある空間があり、そこからカーテンで仕切られただけの場所に4つほどのベッドが置かれていて、その内の一つが私の使用するベッドとなりました。名称が紛らわしいのですが、ICUに隣接しているHCUとは異なり、これはナースステーション裏のHCUと呼ばれる一角でありました。比較的、手のかかりそうな患者を、このナースステーション裏のHCUに寝かせており、容態が安定してくれば大部屋へ移床となる。

私の場合は、このナーステ裏のHCUで手術後4日目ぐらいに、ようやく尿道カテーテルを外してもらうことができた。看護師さんの合図に従って、フゥっと息を吸って、フゥっと息を吐く。で、「フゥっと息を吐く」というタイミングで尿道に差し込まれているカテーテルを看護師さんが引き抜くのだという。なに、それ、コワい。痛そうじゃないの。そんな事されたら失神するかも。

果たして、息を吐くタイミングに合わせて引き抜いてもらうと、激痛という程でもなかったのだと思いますが、その瞬間については明白に記憶している。結構、奥深くまでカテーテルは差し込まれており、10から12cmぐらいはあったであろうカテーテルが引き抜かれると同時に、そのカテーテル内に残っていた生温かいオシッコも私の太腿の上に飛んできた。ああ、よかった。ボクチン、どうにか無事だった。

このナーステ裏のHCUでは、すぐ隣のベッドに80代後半の御婦人が入院されていた。その御隣さんは、歩くのは危険な為、トイレに立つ際にはナースコールを押すようにと伝えているが、何度、伝えても自力でベッドから降りようとする。一晩のうちに4回も5回も同じ事が繰り返される。軽い認知症のようにも思えるが、聴こえてくる会話からすると少し複雑な気分がした。御隣さんの言い分としては「皆さん忙しそうだから、悪いと思ってナースコールを押さなかった」とか「真夜中なんで悪いと思ってナースコールを押さなかった」とか「ホントにトイレに行きたいのか行きたくないのか分からないので呼べなかった」のような言い訳が、いつもセットになっているのだ。看護師側からすれば、余計な気遣いであり、転倒されてしまったり、点滴の管などが抜けてしまう方が遥かにリスクがあるので、「お願いですからトイレに行きたいときは絶対にナースコールを押してください!」のような言い聞かせが何度も何度も継続している。ついつい、語気に力の入ってしまっている看護師さんもいたように思う。ただ、カーテン一枚を隔ててているだけなので色々と分かってしまう事もあった。その御隣さんは、若い看護師さんに話相手になって欲しいという気持ちがあって、どうも意図的に問題を起こしているようにも感じた。殊に親切な男性看護師があって、その方が相手にしているときは、自分の孫とでも接している祖母であるかのように、色々と余計な世間話をしたがっている節が窺えた。


その後、ナーステ裏のHCUから4人が共同で使用する大部屋へと移動になった。その大部屋は手術前にも使用していた同じ号室であった。要領は心得ているので、寛げそうだと感じていた。

この大部屋に戻った初日に、驚くべき事態に遭遇した。隣のベッドには、先ほどまで心不全で倒れていたという80代の男性が私に遅れて入ってきて、向かいのベッドにも、先ほど心筋梗塞で倒れていたという60代の男性が入ってきて、夕食の時間頃までには「今晩からは、寛げるだろう」というのは私の楽観かも知れないゾ、という認識に変わっていた。

9時過ぎに消灯となったのですが、それは消灯と同時に始まりました。

ぐぉぉぉぉぉ、すぴぃぃぃぃ。

ぐぉぉぉぉぉ、すぴぃぃぃぃぃ。

ぐぉぉぉぉぉ、すぴぃぃぃぃ。

ぐぉぉぉぉぉ、すぴぃぃぃぃぃ。


ひっく、ひっく、ぐがぁぁぁぁ。

ひっく、ひっく、ぐがぁぁぁぁぁ。

ひっく、ひっく、ぐがぁぁぁぁ。

ひっく、ひっく、ぐがぁぁぁぁぁ。


えっ、みんな寝つき、早っ! マジか? この人たちのイビキ、ホントに大き過ぎ。特に隣の心不全オジサン、ヤバすぎだって。拷問されてるみたいなイビキじゃねぇーか。どれだけ残忍な拷問されてんだよっ! しかも、次から次へとイビキのバリエーションが代わるので、こっちは眠れねぇぞっ!

「ぐが、ぐが。ぐがっ。ぐがっ。明日は頼みましたよ、おかあさん(この「おかあさん」は母親ではなく、数時間前まで面会にきていた奥さんのことを指していると思われる。)

とか、信じられないレベルで言語化する寝言まで言っていた。

心不全おじさんの方は、血圧が低すぎて心不全状態に陥るらしい。眠ったら1分もかからずに拷問されているかのようなイビキをかいていた。心筋梗塞おじさんのイビキも、稀有なレベルのうるささなのだけれども、心不全おじさんのイビキが凄すぎて、問題にならない。「ぐぉぉぉ」とか「ぴぃぃぃぃ」とか「ひゅうぅぅぅ」とか「ぷす、ぷす」とか「くちゃくちゃ」といった音を発するイビキのユニゾンが鳴り響く事となった。

私もイビキは大きい方だと自覚しており、寝られる前に寝るべきだったと反省するも、既に時遅し。ティッシュペーパーで耳栓をこさえて、耳の穴に入れるも殆んど効果なし。3〜4時間、もしかしたらそれ以上を眠れずに過ごすという羽目になる。

しかも、このイビキ攻撃には驚かされましたが、実はオチまであった。消灯は午後9時だったのですが、それが午前3時になってみると、なんと心不全おじさん、ベッドの上で胡坐をかいて新聞を広げて老眼鏡をかけて、丹念に読み耽っていた。これが午前3時ジャスト頃だったのですが、向かいの心筋梗塞おじさんの方もイビキが止んでいた。

なんで、心不全おじさんと心筋梗塞おじさんは、消灯と同時に大イビキをかいたのか? それも電灯が落ちるとほぼ同時に、あれだけの大音量のイビキをかき、そのバリエーションも豊富だというのは、謂わば、プロフェッショナルなイビキ師は実在するのだなぁ…。

翌朝、看護師さんから目覚めの挨拶で「よく眠れましたか?」と質問されたのでしたが、「いやぁ、昨夜はちょっと色々とあって、寝不足気味です」と正直に答えさせてもらった。


記しておきたい事柄があった。それはバタイユの『内的体験』などに沿う体験であったかも知れないと感じたものであった。断言こそ出来ないものの、確かに不可解な感覚が手術の1週間前頃から感じるようになっていた。一つは、お線香を焚いていないのに深夜1時とか2時にお線香の匂いがして目を覚ました事であった。この出来事を不吉な出来事と受け止めるべきなのか、それとも「墓参りを済ませておけ」という或る種のメッセージと受け止めるべきなのかは迷うところがあった。また、並行して、めまいを感じたりするときに見える銀色の粒、しばしば沢山の銀色の粒が見える訳ですが、今回は午後に一度だけ銀色の粒状の一粒の光が視界に現われるという奇妙がありました。何かしら通常の状態では視認したとは感じられないものを、内的体験としては感じ取れていたという意味で、どこかバタイユの『内的体験』の指摘に似ているような気がしていた。

また、「この状態に耐えられるのは時間的な限界がある。この状態が仮に、あと3時間継続するとか、或いは6時間継続することを考えると、明らかに死んだ方がマシだ。これについては異論を挟む余地はない。耐え難い苦しみとは、文字通りに耐え難い苦しみであった」と感じ取っていた瞬間があった。

痛みと苦しみに煩悶しながら、あれこれと思考を巡らせている。「ああ、死とは、こういうものであったか。その予兆のようなものを感じ取れていたのであれば、ブログに書き残しておけばよかったな」なんて事も考えたし、こういう状況になる以前は、残した家族や仕事のことなどにも思いを巡らせるものだと思っていたが、実はそうならなかった。そのような問題よりも、遥かに、その瞬間に自分に襲い掛かってきている痛みと苦しみの方が大きいのだ。天秤にかけられるような問題でもなかった。「痛み」や「苦しみ」といったものは、単に物理的な痛みと苦しみであるばかりでなく、自分自身の存在、その存亡と、殆んど同じものであるかのように感じた。

それは【吐き気】や【嘔吐】で感じ取ることとなった。小難しい事柄を考えようとすると、たちまち、吐き気を催してしまうという事に気づいた。例えば、少年漫画の世界であれば、

「あの野郎、気持ち悪くって反吐(ヘド)が出るぜ!」

のようなセリフがあったりする。それが非常に生々しく、実は感覚器官的な反応として「吐き気」や「嘔吐」という反応が起こる事に気づいたの意だ。耐え難い痛みに耐えている最中、あまり痛みや苦しみを無視した事を考えている余裕はなく、そんな事を考えようものなら、吐き気を催してしまうの意だ。そして呼吸も浅くなっているタイミング、しかもベッドの上で仰向けで寝ている状態なのだから、嘔吐の仕方によっては死んでしまうであろうし、死なずとも身体と首を横に捻って吐瀉物を受ける為に用意した皿に嘔吐するのは苦しいに決まっている。つまり、痛みや苦しみを無視しようとして、絵空事的な理想を考えるなんてことは不可能で、実は感覚器官が勝手に反応してしまって反吐が出そうになる――のだ。

酒井健著『バタイユとアナーキズム』(法政大学出版局)の内容を思い起こしていた。ボードレールやカフカについても取り上げられていたのでしたが、そこで確かキルケゴール、それとボードレールの名前を挙げて「吐き気」について記されていた。この【吐き気】は文章表現法でもないし、それっぽい修辞法としての「反吐が出る」という意味合いではなく、感覚器官が拒絶反応を起こしてしまうので「吐き気がする」であり、「嘔吐する」の意であったかも知れないな、と気づいた。勿論、食あたりであるとか、食べ過ぎであるとか、飲み過ぎの類いではない。飽くまで感覚器官による拒絶反応として、実際に吐き気を催し、嘔吐してしまいそうになる――の意だ。

さて、以下は本年8月10日に発刊になったばかりのジョルジュ・バタイユ著・酒井健訳『至高性』(ちくま学芸文庫)より引用します。

私は、こうして思いがけないさまざまな関係を、時間をかけて、少しずつ開示して、自分の思索の歩みを提示したかった。そうした関係や私の取った方法に関する無味乾燥な論述よりもこうしたやり方を欲したのだ。こうして開示された関係の内実、つまり奇跡的なものを最終的に、人が最も予期しえぬところに、つまり涙の対象のなかに見出したのだが、この奇跡的なものこそは、何よりも人類の期待の一環をなすように思えたのである。だからこそ私は確信をもってこう自分につぶやくことができたのだ。「人間はただ単にパンだけを必要にしているのではない。人間はパンに劣らず奇跡を渇望している」、と。(『至高性』25〜26頁)

この文章の前後で、バタイユは実際に我々の身体的反応として発生する「うれし泣き」をテーマにしている。確かに、我々は「うれし泣き」という現象がある事を知っている。しかし、何故、嬉しいときに泣くのかについて、我々は詳しく知らないでいる。おそらく、これも、感覚器官的な反応として、うれしい事、滅多に起こり得ない奇跡的な事柄に触れると、我々は感覚器官的な反応(≒官能的な反応)として、温かい気持ちが沸き起こって、自然に涙が流れてくるのである。

そして、「私」が「私」という自意識を抱くことも、「あなた」が「あなた」という自意識を抱くことも、何やら当然のことであるかのように感じている。しかし、ホントは、それらの自意識は今現在のほんの一瞬のタイミングの自意識に過ぎない。我々の意識は、その一瞬一瞬に対応している意識なのである。

再び引用します。

我々が瞬間から逃げず、瞬間のなかに存在するのは、ひとえに我々の内部で認識のいかなる操作をも無化する、少なくともニュートラルにする、つまりどの操作とも一時期手に関わりを持たなくなることによってなのである。これは強烈な情動によって可能になる。〜略〜

それはたとえば我々が泣きじゃくったり、嗚咽したり、息が切れるほど笑ったりするときのことである。が、笑いや涙の動き自体が思考を停止させるわけではない。じっさいに笑いの対象や涙の対象が思考を停止させ、我々からあらゆる知を取り除くのだ。まず笑いや涙の対象が精神のなかで思考の空虚を作り、次いでこの空虚のなかで笑いや涙が荒れ狂いだすのである。
(同20〜21頁)

うれし泣きに限らず、我々は反応として、泣きじゃくったり、嗚咽したり、息が切れるほど笑ったりする。それは情動に根差した反応であり、おそらくは感覚器官による反応でそうなっている。そして、その場合の、我々の意識の流れは、どうなっているのかというと、おそらく、意識は官能に引きずられて反応している。快不快に感覚器官が反応するのが先であり、後づけとして意識が言語的な反応をしているように思える。だから、「悲しくて泣いているんじゃなくて、実は、嬉しくってオレは泣いているのだ。でも、いちいち、そんなことは言語化して説明していられない」という部分までもを持っているのが、我々の意識(自意識)の正体だよなぁ…と納得させられた。

ホントに耐えがたい痛み、耐え難い苦しみに直面している場合、あまり悠長なことは言っていられないし、考えるだけの余裕さえもない――というのが、生きとし生けるものの真理のような気がする。
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入院するにあたっては、何冊かの本を持っていった。一冊は瀬戸内寂聴著『遠い声 管野須賀子』(岩波現代文庫)であり、もう一冊は酒井信著『松本清張の昭和』(講談社現代新書)であった。

『遠い声』は購入したまま、読みかけになってしまっていた小説であった。題材になっているのは管野須賀子(かんの・すがこ)で、この管野須賀子とは大逆事件で死刑になった女性であり、日本で初めて死刑になった女性という事になる。瀬戸内寂聴作品は『美は乱調にあり』、『諧調は偽りなり』、『余白の春』、『遠い声』と、瀬戸内寂聴の小説によって伊藤野江、大杉栄、辻潤、金子文子、管野須賀子伝に目を通した事になりましたが、瀬戸内寂聴の作家としての評価はもしかしたら過小評価されてきたのかも知れないと感じるに到った。題材にしたメンツが現在ともなると濃厚すぎて、彼らが実際に何者であったのか、8〜9割方は伝わりそうもない。

また、今日、この瀬戸内寂聴が描いた女の情念が正当な評価を得られるのかどうかも気になった。管野須賀子の場合は、27歳の時に21歳の荒畑寒村と結婚したが、後に荒畑寒村を捨てて、当時の日本に於ける社会主義思想の第一人者であった幸徳秋水の元へ走ったという強烈な逸話があった。この辺りの事情は、さらりと評伝などでも触れられていたりしますが、瀬戸内寂聴の手にかかると、よりセンセーショナルに描かれている。須賀子は、年下の荒畑寒村を童貞であろうと思いながら接近し、そのまま、美青年の荒畑寒村と婚姻した。しかし、後に荒畑寒村を捨てて、幸徳秋水と男女関係になるという道を選択した。荒畑寒村は表向きは、幸徳秋水と須賀子との仲を祝福するかのような態度を見せたが、真相は別にあり、荒畑寒村はピストルを胸元に忍ばせて、密かに幸徳秋水と須賀子への復讐をうかがっていた旨の手紙があった事などを綴っている。表の顔とは別に存在する、裏の顔の話である訳ですが、この情念の世界は令和には通用するのだろうか――。

(女性でありながら)性交によって幸福感を得ることの問題、そこら辺の描写は既に今日ともなるとジェンダー論のバイアスに抵触してしまう可能性がありそうですが、それでいて鋭いものがあった。愛される歓びという感覚は、確かにあるだろうし、それを須賀子を通して語るならば、美しい妾として死んでしまいたい、つまり、美しい花のような女であったと思われて死にたい――という、そういう鮮烈な死生観にも触れられていた。

――只一種の動物として、碌々たる生涯を送るよりは、妾はむしろ死を望む。〜略〜

妾は、グズグズとした病死が一番厭なり、思いきった死様をして見たく思うなり、平常成しつつある事物に就いても、成る可く困難なる、人の二の足踏む如き難事を進んでやって見たき一種の癖あり。然して己れを試むる事を愉快とする、厄介な女なり。妾は純粋なる、侠(きょう)の一字を有たぬ人間は、仮令(たとえ)如何ばかり尊敬すべき人物なりとも、大嫌いなり。侠の必要なき世とならば兎に角、今日の社会に於て是れ無き者は、木偶坊と何の択ぶ所なき亡者共なり。
(『遠い声』158〜159頁)

この引用箇所だけでは少し足りず、瀬戸内寂聴が管野須賀子の中に見つけ出した、その心性とは、何か死ねる機会があれば、それで死んでしまい、そのように振る舞うことが「妾はむしろ死を望む」という具合の屈折を起こさせると述べている。確かに、そのような状況に存在しているとするながら、そのような存在価値の在り方、また、そういう半分ヤケクソながら、そのような死に対して美意識を抱いたとしても、実は、おかしくない。

もう、一冊は『松本清張の昭和』だったのですが、意外なことに、『松本清張の昭和』の中にも複数個所で瀬戸内寂聴が引用されていた。考えてみると、1960年代頃の日本では、松本清張が登場、文壇はそれまでには存在していなかった国民的作家を得てしまったのだ。松本清張の功績は簡単には語ることは困難ですが、実はとんでもない怪物であった事に気づかされる。実際には、小説という分野を変革させてしまった人物であった事に気づかされる。

1963年の文壇オールスターチームのラインナップは、以下のようなものだったそうだ。

1番 遊撃 石原慎太郎
2番 右翼 司馬遼太郎
3番 一塁 源氏鶏太
4番 三塁 松本清張
5番 中堅 柴田錬三郎
6番 左翼 水上勉
7番 投手 有馬頼義
8番 捕手 黒岩重吾
9番 二塁 山口瞳

この時代の「4番サード」というのは、堂々たる主役の意である。作家としての納税者ランキングでは後に司馬遼太郎に首位を明け渡したりもするが、それでも多くの時期に於いて松本清張は不動の作家部門の首位であった。

何故、松本清張は次から次へと小説を書けたのかという問題で、瀬戸内寂聴が一緒に松本清張と講演を回っていた経験から、松本清張はテープに音声を録音し、それを書き起こせば文章になっているという口述筆記ができた人であると証言している。

そして、この松本清張については、実は凄まじいコンプレックスを跳ねのけて大成した人物であるという部分であった。最終学歴は高等小学校卒であった松本清張は、朝日新聞社の社員になって働いていた時期があったが、随分と不当な扱いをされていたのだという。

元同僚の吉田満によると、デビュー前の四〇歳ぐらいの時、清張は社内で横行する差別に怒りを露わにし、朝日新聞の「社員バッヂ」を池に放り投げたという。(『松本清張の昭和』170頁)

野村芳太郎監督作品の映画『砂の器』をなんとなく視ていて、そこに昨今、世間の注目を集めているという「ヌーボー・グループ」という表現があった。「ヌーボー」とは、「ニューウェーブ」の事であり、そこで台頭してきたのが、この『砂の器』に欠かせない和賀英良(わが・えいりょう/加藤剛)である。この和賀英良は、自らの出自を隠して、新進の天才音楽家としてニューヨークを拠点にして活躍しているという設定である。しかし、その世界的音楽家となっている和賀英良に成りすましている男の物語こそが、この『砂の器』の重みである。

で、『砂の器』の作品中に描かれている「ヌーボー・グループ」とは、実は「石原慎太郎」や「江藤淳」らの苦労知らずのままに、地位を手に入れた都会派の高学歴エリートたちの暗喩であったらしい。

まぁ、思えば、松本清張や瀬戸内寂聴が作家として実力を発揮していた時代のニッポンというのが、確かにニッポンらしいニッポンであったような気がするよ。
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退院してから後、嗅覚に変化があったように感じている。ふとしたタイミングで病院に入院していたときの匂いが感じ取ってしまってしまうような感じ。ポリエチレン袋なんてものを引っ張り出す際、「あれ? この匂いは病院のベッドでさんざん嗅いでいた匂いだな」のように感じる。この匂いを思い出すと、何やら気分が悪くなる。

そして、その匂い以上に強く感じているのが、排便後に、何故か、病院食として食べたカレイの唐揚げの匂いがする事で、これは2週間以上も続いている。手術後は「オナラは出たか?」や「お通じはありましたか?」、「下剤を飲みますか?」のような状況となって、色々と神経を使うことになったのですが、「オナラが出ない」とか「便通がない」等と、そちらに苦慮していた頃から始まったものであった。おそらく何かしら心理的な影響として、カレイの唐揚げの匂いを感じ取ってしまっているかのよう。一応、胃腸を動かす為に漢方を服用しているので、そちらの匂いが腸内ガスや便の匂いに影響している可能性はあるにはあるのですが、ポリエチレン袋のケースと併せて考えると、どうも嗅覚の方に変化が起こっていると考えた方が整合性がありそう。

それと、入院中に一時的には「あれ、もしかしたら帰れないかも…」と苦しんでいた際、ある事を思い浮かべていた事を思い出した。それは最後の食事について、でした。

久米宏が「ニュースステーション」の晩期に「最後の晩餐」という企画をやっていて、「もし、その食事が最後の食事だったとしたら何を食べたいか?」とゲストと話すというものがあった。あの企画を自分にダブらせていた。もしかしたら最後の食事になるかも知れない、そう考えた場合、自分は何を食べたいのか? 実際に何を食べたのか?

入院前日、安全カミソリは持ち込めないと気づき、急遽、電気シェーバーを用意する必要性があったので買い物へ出掛け、帰りにスーパーマーケットに立ち寄った。その際、その日の夕食と、入院当日の朝食も調達することにした。何を選ぼう、もしかしたら最後の晩餐に、最後の晩餐とは言わずとも、しばらくは病院食しか食べられないのだから、食べたい物を食べておこうと思い立った。

そんな状況で、「はて、最後の晩餐になるかも知れないという状況で、私は何を食べたいのだろうか?」という問題に突き当たった。あれこれと悩んだ末、私が選んだのは「バラエティのり弁当」という商品で、399円であった。安っ。でも、価格で選んだワケではないのだ。ちくわの磯辺揚げ、鶏から一カケラ、白身魚のフライが、なんだか妙に美味しそうに思えた。これで満足なのかと自問自答すると、なんだか惜しいような気がして、そこで思い浮かんだのが特売として並べられていたモンテールの「牛乳と卵のエクレア」であった。88円。安っ。結局、入院当日の朝食としても食べようとなって、2個購入。

最後だから、これが食べたいというこだわりはあんまりありませんな。むしろ、「おっ。今の気分にぴったりなのは、これだ!」という感覚で選んでいると思う。で、もし、バラエティのり弁とエクレアとが最後の晩餐であったとしても、そんなに後悔しないような気がした。
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今回は昨日の「清浄と汚濁こそ、生命だということだ」の補足的な内容となります。

私の場合は、私になりにウンザリするような病院での入院を体験した。痛みや苦しみ、そして入浴できないなどの日常的な不自由、好きなものを飲食する訳にもいかないという不自由は当然に伴なうものであった。そのような生活を10日もしていると、味覚も感覚も変わってしまうものだよなと感じた。手術前から繰り返し説明されていたのは「せん妄」についてであった。全身麻酔をして行なう
開腹手術なので、「せん妄」のリスクがあった。しかし、術後2日目あたりにHCU(高度治療室)で、看護師らから幾つかの質問を受けたのを記憶している。

「ここが何処だか分かりますか?」

「今日は何日だか分かりますか?」

「手術前の御自身の体重を覚えていますか?」

などであった。それらについては、私はパーフェクトに回答できたらしく、

「せん妄は、まったくないようです」

と応じてもらえた。

ずっと、そのつもりだったし、基本的には「それでヨカッタな」で済む話だったのですが、手術から1ヶ月が経過して退院してから2週間が経過した今現在、回想してみると、色々な感覚器官に狂いが生じている事に気づいた。美味しいと感じていたものが美味しいと感じられなくなっている。このあたりはうつ病などとの関係性も疑われる訳ですが、私の中ではそうではなくて、飽くまで感覚器官が変わってしまったと感じている。

中々、他人に話しても仕方のない部分では、トイレに入って少しでも大便の匂いがすると、それを私は、竜田揚げの匂いのように感じているという不思議がある。しかも、その嗅覚と記憶との混乱にも少し思いが及ぶところがある。病院食として、カレイの竜田揚げが夕食のおかずとして出た日があり、「ああ、この竜田揚げ、おいしそうな匂いじゃないか。もし、ここにあるのが、おかゆじゃなかったならば、もっとおいしく食べられるのになぁ…」と思った事があって、その竜田揚げの匂いを、ずっと引きずることとなった。実はトイレに入る都度、少し匂いを感じてしまっており、大便にも何かしら竜田揚げ的なスパイシーな匂いを嗅ぎ取ってしまうような体質に変わってしまった。そして、それは吐き気と紙一重である。トイレの匂いの感じ方が変わり、また、大便の匂いの感じ方が変わってしまった。そして、それは手術から一ヵ月が経過しても基本的には修正されていない。

この「食べ物の匂い」が排泄する場所であるトイレ、便所に感じてしまうという感覚の転倒の仕方は、まさに、「生命とは清浄と汚濁である」という部分を補強してくれているなと感じた。また、バタイユに沿えば、内的体験(内的経験)とは、その者が実際に自分の中で感じる体験(経験)であり、そこに合理的客観的な証拠の提出については、実はカンケーがないらしい。むしろ、証拠なんてものは出しようがないが、何しろ、実際に、その本人が体験・経験しているという部分に、神秘現象と呼ばれるものの核があるというのが、バタイユ理論である。

バタイユは、実は学者ではない。40歳を過ぎるまでは無名の人であり、図書館職員として黙々と自己研鑽をしていた人物であった。それが或る時期から評論で脚光を浴びるようになり、誰かに物事を教えるという教授や教師といった正式な職業的な肩書を有することもないまま、20世紀最強の思想家と呼ばれるまでになってしまった人物であった。なので、実際にバタイユが論じている内容については学術的権威を重視する学術的権威界隈の認識からすると、随分と割り引いて取り上げられている可能性がある。

しかし、私の個人的な経験からしても、生命体とは「清浄と汚辱」の産物だよなと感じる。ICUだったと思いますが、知らぬ間に紙オムツを吐かされていて、その際、黒っぽいゴミが尿にまみれるようにして流されていたような記憶があった。あの黒っぽいゴミは、多分、私の恥毛を切ったか剃ったものであったことに退院後、しばらくしてから気が付いた。「あれ、知らなかったけど、オレ、いつの間にか陰毛を剃られてたんだなぁ…」、と。

そうした社会常識としては、公然と語ることも憚られるような「シモ」(下)という意味での下品な話が、生命維持の根幹などと実は密接に繋がっているものと思われる。我々は社会常識であるかのようにして、上品と下品とを区別しているが、内情という事からすると、それらの「美と醜」や「聖と俗」のような区別は飽くまで便宜上の区別であり、実は生命体の本質からすると、美と醜、聖と俗、清と濁、上品と下品には区別がないと思われる。

ドゥルーズ&ガタリの『アンチ・オイディプス』は、フロイトの抑圧理論を批判しながら、フロイトは家父長制による抑圧を肯定してしまっているという批判に多くの文字数が割かれていましたが、その『アンチ・オイディプス』でも、その問題は触れられていたと思う。一つのモノが、器官の中に取り入れられて、排出されていく。その構造の組み合わせによって動物が生成されている。それぞれの機関はモノを摂取して養分を抽出して次の器官へと排出する。最終的には肛門から排出され、その排泄分は糞と呼ばれている。この一連には法則性がある。モノは摂取される場合には食べ物であり、排泄される場合に糞になっているだけであり、モノが器官に送り込まれて排出するという工程は、内臓単位でも細胞単位でも、実は同じことが繰り返されているだけなのだ。そうでありながら、食べ物の方は好ましいと思い、排泄物については嫌悪感を抱くというのが、ヒトという生物の心理である――と。
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本人的には入院を経験した事で改めて、「もしかして自分が死んでしまうとしたら…」と考え直す機会となった。今まで幸いにも私自身は血圧がどうのこうのという話題は殆んどしなかったのですが、手術&入院をする事となった事で、病気の話をせざるを得なくなったら、結構な割合で会う人会う人からも健康状態について打ち明けられる事となった。

私よりは年上なのか年下なのかビミョウに感じていた会計士さんは、話してみたら年齢にして2歳下で、既に血管詰まりの経験者であり、血圧測定についても10年以上、欠かさずに計測しているのだという。また、その人は今度は大腸にポリープが発見されたので今月中にポリープをとる為に数日間の休暇をとると打ち明けられた。中小企業診断士の資格を持つAさんも「実は私も心臓血管外科にかかっているんですよ。病院紹介しましょうか? セカンドオピニオンとか考えた方がいいですよ」等とアドバイスされたり、幼稚園から高校ぐらいまでは頻繁に遊んでいた友人Bも心筋梗塞経験者であったり、血圧と戦っている中高年が如何に多いのかと思い知らされた。総じて男性の場合、50代になっていると何かしらの持病を持っているよな、とも感じた。

私が感じているのは「血管」の老化という問題であり、殆んどは高血圧の問題であり、そうなってくると現代人の食生活そのものと密接に関係してきてしまう。これ、平均的な現代の日本人の食生活を前提にすると逃れようがないじゃないかと感じている。

19日放送のテレ朝「クレヨンしんちゃん」では、早朝4時に目を覚ましてしまったしんのすけが、アクション仮面のDVD鑑賞をしようと画策し、おなじみの「チョコビ」という菓子と「プスライト」という炭酸飲料を用意し始めていた。つまり、菓子を摘まみながら清涼飲料水を飲み、みさえにもひろしにもバレることなく、アクション仮面を視聴せんとしていた。まぁ、思えば、確かに現代人のライフスタイルというのは、そういうもので、そうした時間の過ごし方を快楽と感じているのでしょう。80年代の末頃であったかな、アメリカで【カウチポテト族】という言葉が登場しているらしいと日本でも紹介され、それはそのまま、日本人のライフスタイルとしても定着した。テレビの前に置かれたカウチに座わり、傍らにはポテトチップスとコーラを用意して心置きなく、テレビを堪能するというライフスタイルだ。スポーツ中継を視るもよし、ドラマ等の映像作品を視るもよし、お気楽な娯楽として定番化してきてではないか。

カウチポテトは、肥満の問題へと繋がっており、しかも肥満解消薬の問題は2026年現在、経済ニュースを賑わせている。何故って、既に先進国諸国、特に米国でも肥満は大問題になっており、その肥満問題にも血管老化問題は深く関係している。ああ、『バロンズ・ダイジェスト』では、専属のインストラクターなどを持たず、器具だけを置いて自由にセルフトレーニングするという主旨の会員制ジムが近年はずっと隆盛であったが、とうとう今年、株価の低迷をみたというレポートがあった。確かに現代人は食物を摂取しながら存在しているが、そんなにカロリーを必要としてはおらず、あれやこれやと食べておきながら健康を維持する為にはカネを払って運動をしなければならないという不可解な消費サイクルに入っているのだ。

考えてみたら、いつまでも健康でいられる保証なんてないし、悪いシナリオを考えてしまえばいつまで生きられるのだって分かりゃしないのが現実である事に気づく事となる。「ああ、そういえば手塚治虫の『火の鳥』なんて読んでなかったなぁ…」、なんてことを私のことだから死ぬ間際になって考えて悔やんだりする可能性がある。金銭的な都合とか、時間的な都合とか、或いは人間関係がないと成立しない娯楽もある中で、現代人にとって漫画を含めて読書であるとか、ビデオ鑑賞なんてのはお手軽に楽しめるもので、やはり、なるべくなら悔いを残したくないよなぁ…なんて事を思う。


で、ふと思い浮かべていたのが、「私は死ぬまでに視聴しておきたいテレビドラマとかってあったかな?」と考えてみた。約20年前にも、実は同じことをやっているのですが、その際には萩原健一&大竹しのぶ、それを倉本聰脚本のテレビドラマ「ガラスの知恵の輪」と、本放送は殆んど視聴できなかった阿久悠原作で沢田研二主演のテレビドラマ「悪魔のようなあいつ」を思い浮かべていた。が、時間が経過してみたら、幸運にもどちらも視聴できた。

ああ、「悪魔のようなあいつ」は現在も日本映画専門チャンネルで放送されている。まぁ、映像がセクシーで驚かされる。沢田研二演じる三億円犯人の青年は余命幾ばくもない重病である。あと少しで三億円事件は時効になろうとしている。若山富三郎演じる刑事は、既に事件の真相を嗅ぎつけつつある。まぁ、しかし映像の方は大変なことになっており、出演していた荒木一郎が自著の中で語っているように、撮影が進行していくうちにプロデューサーの久世光彦が、どんどん沢田研二と藤竜也とのホモセクシャルな雰囲気のドラマにしてしまい、よく訳の分からないドラマになってしまったと語っていましたが、ホントに、その通りであったりする。沢田研二演じる美青年。加門亮は、上半身ハダカにサスペンダー姿で、部屋でダーツをしている。そこへ現れるのは、加門亮の妹(三木聖子)の看病をしている看護婦の篠ひろ子(当時は篠ヒロコ、)であるが、そんなに色気のある美男美女のセクシーな映像をどうしろってんだろうと思う。実際、部屋の中ですれ違う度にキスをさせるなどの演出になってしまっていた。いや、ホント、肌の質感からしてエロスを感じさせる、セクシーすぎる美男美女の組み合わせなのだ。挙げ句、劇中で、「時の過ぎゆくままに」が幾度となく歌唱されるのだから、ドラマの完成度とは別に確認しておきたいドラマであった。

倉本聰の「ガラスの知恵の輪」は、思うに傑作だよなと思う。ワイドショウ批判全開のドラマだ。大竹しのぶ演じるアイドル歌手、そのスキャンダルを追いかけるマスメディアの低俗さを突いてみせるというシブいドラマである。しかもショーケン演じる男は、金欲しさに大竹演じる清純派アイドルのデートの現場を芸能記者に売ってしまうが、後に大竹演じるアイドルと交流を持つことになり、「本当は自分がチクリました」という心苦しさを抱えながらも、その清純派アイドルの逃避行に手を貸す。告発するという行為に係る、道徳観を問うている。そんなに芸能人のスキャンダルを追いかけて、何が楽しいのか――と、屋台のおでん屋で記者同士が会話しているシーンなんてのもある。これは令和の日本では放送できないのかも知れない。あれもチクリ、これもチクリ。そもそもチクる必要性なんてものだってないのでしょうに、マスコミは低俗な大衆趣味と一体化して、芸能人のセックススキャンダルに明け暮れている。このドラマでは、ショーケン演じる男は、つまらぬ告発をしてしまったと気づき、自分なりの「罪滅ぼし」をする。

そして改めて、今、視ておきたいドラマって何かなと考えていたら、思い浮かんだ。小山内美江子脚本の「父母の誤算」だ。確か、露口茂と長山藍子による夫婦が、いわゆる「問題児」の3名を自宅に引き取るという「問題児モノ」というドラマだ。現在は非常にシブい俳優になられた利重剛さんの鮮烈なデビュー作であった。下宿している問題児を演じたのは、村田雄浩、直江喜一、利重剛。村田雄浩、直江喜一が演じる問題児は、所謂、非行少年であり、型としても分かり易い。しかし、利重剛が演じた非行少年は、凄まじく悪知恵がまわるニュータイプの非行少年であり、非行少年に新種が誕生した瞬間でもあった。

そして、ドラマのテーマ曲がラヴェルの「ボレロ」だったのですが、これが非常に印象的であった。クラシック音楽なんてものとは縁のない生活をしてきましたが、ラヴェルの「ボレロ」こそが最も心を揺さぶられるよな、なんて事を、その後も話していた記憶がある。カーステで、思い切り大音量で聴いてみたい楽曲でもある。
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