生まれて初めて手術というものと入院というものを体験することとなり、詳しい状況の分からぬまま、動脈を切除して、その部分を人工血管に置き換えるという開腹手術を受けてきたのでした。病名と言われてしまうと困ってしまうのですが、動脈硬化であり、動脈プラークによる血管詰まりへの対応であり、また、その血管詰まりとは瘤状になるという意味では動脈瘤の問題でもありました。
堅苦しく病名として説明するなら「腹部大動脈瘤」と「閉塞性動脈硬化症」であり、その治療の為に人工血管に置き換えるという手術をしてきたのでした。
3〜4週間ほど前の『バロンズ・ダイジェスト』では、AI銘柄の過熱から避難するにはどうすべきかというレポートがあり、その中で医療銘柄が取り上げられていて、そこには【動脈プラーク】というワードがありましたが、まさしく、その問題でした。多くの中高年が血圧、血圧と騒いでいる訳ですが、何故に高血圧が問題なのかと言えば、この「血管詰まり」の問題がある訳です。これは、おそらく、多くの方が引っ掛かりそうな問題でもある訳です。確かに、現代人のライフスタイル中にある食生活を考えたとき、どう考えても、この血管の老化の問題は避けられないように感じました。あの食品や、あの食材を摂取すると血圧が急上昇し、血圧が上昇すると血管への負荷が高くなって血管の老化を招く。
『バロンズ・ダイジェスト』によれば、既に米国では「肥満に効果がある」という薬が登場していて話題をさらっているといい、その話も現代人がフツウにファストフードやインスタント食品を食べるライフスタイルを日常とするならば、当然に、この動脈プラークの問題は避けられなくなる。推奨されていた銘柄は、その肥満薬に期待のかかる「イーライ・リリー」が筆頭で、心疾患に伴うカテーテル手術に強味のある「エドワード・ライフサイエンス」、それと数年前から有名な手術システム「ダ・ヴィンチ」を提供している「インテュイティブ・サージカル」あたり。なるほど、よくよく考えてみると、技術革新が進行するとして、最後に残る現代人の健康問題は「肥満」や「血管の老化」に行き着くものと強く推測できてしまう。しかも、既に世界のお金持ちは、そういう情報を持っているので、相応に割高になっている。ああ、「インテュイティブ・サージカル」(ISGR)は、私が思うに割安になっている。(3株ほど持っているのに赤字だ。)
さて、私が受けた回復手術というのは、お腹をミゾオチの辺りから臍下数センチのところまで、ざっくりと切って開腹し、内臓を傷つけないように気をつけながら動脈を18〜20cmほど切除して、人工血管に置き換えるというものでした。手術時間は5時間程度だったものと推測されます。
事前に複数の全身麻酔経験者らに
「全身麻酔ってどんな感じだった?」
と尋ねていたのですが、多くの人の答えは共通していましたかね。
「数字を1〜5まで数えるように言われている内に、意識がなくなって、目が覚めたときには、すっかり手術は終わっていた」
と。基本的には私も同じでした。手術室に入って、麻酔医からマスクを口に当てられて
「深呼吸を3回ほどして下さい」
そう言われたので深呼吸を3回したのだと思いますが、そこから記憶が無くなった。
そして麻酔から覚める訳ですが、私が麻酔から覚めたときは、結構な痛みと苦しみとが伴なっていた。目を覚ました空間は、いわゆるICUであった。ここからは私本人の記憶であり、この私自身の経験を「内的経験」とバタイユのワードに掛けて述べています。つまり、「私の記憶」とは、私の内的経験の記憶なのである――という事なのです。で、究極的には、その者にとっての真実とは、内的経験でしかないという話に繋がっていきます。
ICUは私の記憶だと、少し薄暗く狭い空間のように感じた。麻酔から覚めてみると、結構な痛みと苦しみがあり、自分の腹部については、ブラジルから輸入した冷凍鶏肉であるかのような「硬さ」を感じていた。なんというべきかミゾオチ付近に息苦しさがあって、少し縫合した箇所が25cmぐらいはあり、しっかりと縫合したので、その縫い合わされた箇所は自分の身体でありながら、なんだか硬さを感じた。ICUでの記憶は、病衣の着せ替えられたところであったかな。魚河岸に揚げられたマグロ状態の私の身体を、看護師さんたちが「せーのっ!」のような掛け声を出して私の身体を横臥状態に転がし、袖を通させ、着替えさせている。
下半身は紙オムツに履き替えさせられていたのだと思いますが、なんだか洗浄されている様子からすると、単にオシッコまみれになっているだけではなく、糞尿まみれの血液であったかも知れない。ああ、手術日の前日には断食をして下剤を飲まされており、手術前日には11回もの便通がありましたが、なんだか結構な黒っぽいゴミ状のものが尿に混じっているように見えた。
いつの間にやら、ボクちゃんのチンコ、略称「ボクチン」には透明の立方体の箱が取り付けられていて、その箱の連結部分からは管が伸びていた。これが尿道カテーテルであった。勝手に溜まった尿は排尿される仕組みらしい。オムツ交換の際にぼんやりと自分の下半身を目にした際、ボクチンが見えた。ボクチンは弱々しいアマガエルのように見えた。アマガエルでは小さすぎるのだけれども、実際に看護師さんたちに洗い流されているボクチンの姿というのは、随分と、か弱い生きもののように感じられ、パンダの赤ん坊のようにも見えた。勿論、スケベな気持ちなんて微塵も湧きません。痛みと苦しみは全てに優先する。「お願いだから痛くしないでね」と、縋るように目で懇願するばかりであった。
ICU(集中治療室)に少しだけ世話になって、次にはHCU(高度治療室)に回された。なにやら、ICUとHCUの違いについての説明をされて、ICUに隣接するHCUへ。このHCUで明かしたのが手術2日目という事になったのですが、ここで私の内的経験としては、実は「死」というものを非常に生々しく体感する事となった。
痛みという感覚が最大限付近になってしまうと、ヒトは「痛み」を感じるのではなく、「猛烈な苦しみ」を感じる事になる。「痛いですか?」とか「10段階で例えて、どれぐらいの痛みですか?」と問われても、私の場合は擦れ声で
「痛みというよりも苦しみなんですけど、限界に近いです」
のように答えていたと記憶している。部位として、どこが痛いのかも分からない。とにかく、苦しい。何とかならないものか。そういう状況になってしまっていた。このHCUから更に別の場所にあるHCUに転床することことになるのですが、その私が「苦しい」とか「苦しいです」を連発していた理由についても看護師さんから説明を受けた。血圧を120前後でキープ視する事を条件にしていたが、どうも痛みが強いらしく、痛みが強い為に血圧が上がってしまい、更に横隔膜をも引っ張ってしまっているので呼吸が浅くなってしまっていたのだという。勿論、鎮痛剤も使用していた訳ですが、鎮痛剤が切れてしまうと、痛みが発生して、血圧が上がり、更には呼吸も浅くなってしまい、苦しみはじめるというサイクルで、それなりに私は大変な患者だったらしい。
〈これは、ホントに生きて帰れないかも知れないゾ〉
と感じたのも、この時でした。何故って、それは苦しさの限界みたいなものを感じてしまっていたから。
その「痛み」や「息苦しさ」についてなのですが、ぼんやりと見えている掛け時計があって、目を凝らすようにして確認してみると深夜1時過ぎであった。物凄く苦しい。
「この状態に自分は時間にしてどれぐらい耐えられるだろうかと考えてみたら、どんなに頑張っても3時間が限界で、この苦しい状態のまま、朝方の6時や7時まで継続するのであれば、生きることよりも死んでしまった方がいいだろう」と実は冷静に感じ取れてしまった瞬間があった。
死ぬのは怖いことだし、今生への未練らしい未練もあるのだけれども、「耐え難い苦しみ」は、「死への恐怖」や「今生への未練」よりも優先順として上位にくることを、非常に生々しく体感した。「色々と思い残すこともあるが、どうだっていい。それよりも今現在の耐え難い苦しみから早く楽になりたい」という反応になるのだ。
ヒトは、必死に自分なりのストーリーをつくりあげて物事を認識しようとする。「こんなところで死んでたまるか」のような認識さえもが自分なりの時間軸で編まれたヒストリーと関係している。激しい痛みと苦しみの真っ只中にあっては、実は、物事を筋道立てて考えることが不可能になることにも気が付いた。「これこれこうだから、このように考えよう」のような事をしていると、脳なのか脳じゃないのか、兎に角、拒絶反応が起こってしまい、吐き気を催してしまうのだ。(この【吐き気】と【嘔吐】については後に触れることとして、一先ず、先を続ける。)
あまりナースコールを押す方ではなかったと思いますが、その問題を考えている中で、ナースコールを押した。「苦しいのですけど…」と訴えても、まぁ、看護師にしても医師にしても、どうすることもできない状況でありながら、わざわざ「苦しいのですけど…」と訴えるのも意地悪なような気もした。しかし、殆んど選択肢らしい選択肢もないのだ。記憶が曖昧になってしまっていますが、もしかしたら私はナースコールを押して一回ぐらいは「楽になる方法はありませんか?」ぐらいの事も訴えていた可能性がある。
そんな苦悶する深夜1時から2時までの間、どこかで記憶が飛んで、目を覚ますと朝方になっていた。痛みは3〜4割ぐらい軽減されていて、「ああ、助かった。これなら生きて帰れそうだゾ」という感覚になった。私が私なりに死を覚悟した瞬間というのは、鎮痛剤の効果が一時的に切れてしまったポイントだったらしく、「苦しいのですけど…」と呼んだ後に渡された、結構、大きな鎮痛剤が、その後に利いてくれたので、痛みが沈静化し、血圧もコントールしやくすくなり、横隔膜が引っ張られて吐き気まで引き起こすといった最悪の状況を抜け出せたのだと、ナースコールで呼んで意地悪にも「苦しいのですけど…」と訴えた看護師が説明してくれた。
HCUでの激闘の痕跡はすべてが私の主観になってしまう訳ですが、私としては客観的な数字も記憶している。実は手術前よりも、この2日目の朝の方が実は体重が6キロも増えていた事を、別の看護師から告げられた。勿論、手術日も翌日も食事は摂っていないのだから基本的には体重は減ってもよさそうなものですが、私の場合は先述したような状況になってしまった為、大量に点滴をすることになり、まさかまさかの6キロ増で手術から2後の朝を迎えたという事であった。
そのHCUから別の棟への転棟が決まると、HCUの看護師さんたちが「この人は転棟させないで、ここに残した方がいいのでは?」、「向こうに、そういう設備があったっけ?」、「なんだか転棟させるの不安だよね」、「私もちょっと心配」のような会話を私の頭上で交わしている事に気づき、〈ああ、看護師さんたちは本気で心配してくれているんだな。できる事なら私たちで面倒を見たいと思ってくれているんだ。やさしい人たちなんだな〉と感じて、思わず目頭が熱くなった。
そんな中、転棟の準備が進められ、私も移動用のベッドに移し替えられた。そしてHCUから運び出される際、HCU内で、私の目に入ったスタッフの全てが私を見送ってくれたのには驚いた。人数にして、ざっと16人ぐらいだったかな。皆が皆、その場で立ち上がったり、中にはベッドの上に寝かされている私の顔を覗き込むなどして、ベッドに乗せられて運ばれていく私のお見送りをしてくれたのでしたが、その対応に私は思わず大号泣してしまった。
かすれ声しか出ないので、お礼を言いたくとも声が声がとして届かない。気を抜いて嗚咽すると横隔膜が刺激されて大変なことになるので嗚咽はできない。中には、ニコニコしながら私に声を掛けてくれている看護師さんがあったので、こちらも移動用ベッドに寝かされたまま、その手すりの隙間から手を振りながらHCUを退出。病院内の冷たい回廊を通過してエレベーターで運ばれ、病院内の別棟へ――。
堅苦しく病名として説明するなら「腹部大動脈瘤」と「閉塞性動脈硬化症」であり、その治療の為に人工血管に置き換えるという手術をしてきたのでした。
3〜4週間ほど前の『バロンズ・ダイジェスト』では、AI銘柄の過熱から避難するにはどうすべきかというレポートがあり、その中で医療銘柄が取り上げられていて、そこには【動脈プラーク】というワードがありましたが、まさしく、その問題でした。多くの中高年が血圧、血圧と騒いでいる訳ですが、何故に高血圧が問題なのかと言えば、この「血管詰まり」の問題がある訳です。これは、おそらく、多くの方が引っ掛かりそうな問題でもある訳です。確かに、現代人のライフスタイル中にある食生活を考えたとき、どう考えても、この血管の老化の問題は避けられないように感じました。あの食品や、あの食材を摂取すると血圧が急上昇し、血圧が上昇すると血管への負荷が高くなって血管の老化を招く。
『バロンズ・ダイジェスト』によれば、既に米国では「肥満に効果がある」という薬が登場していて話題をさらっているといい、その話も現代人がフツウにファストフードやインスタント食品を食べるライフスタイルを日常とするならば、当然に、この動脈プラークの問題は避けられなくなる。推奨されていた銘柄は、その肥満薬に期待のかかる「イーライ・リリー」が筆頭で、心疾患に伴うカテーテル手術に強味のある「エドワード・ライフサイエンス」、それと数年前から有名な手術システム「ダ・ヴィンチ」を提供している「インテュイティブ・サージカル」あたり。なるほど、よくよく考えてみると、技術革新が進行するとして、最後に残る現代人の健康問題は「肥満」や「血管の老化」に行き着くものと強く推測できてしまう。しかも、既に世界のお金持ちは、そういう情報を持っているので、相応に割高になっている。ああ、「インテュイティブ・サージカル」(ISGR)は、私が思うに割安になっている。(3株ほど持っているのに赤字だ。)
さて、私が受けた回復手術というのは、お腹をミゾオチの辺りから臍下数センチのところまで、ざっくりと切って開腹し、内臓を傷つけないように気をつけながら動脈を18〜20cmほど切除して、人工血管に置き換えるというものでした。手術時間は5時間程度だったものと推測されます。
事前に複数の全身麻酔経験者らに
「全身麻酔ってどんな感じだった?」
と尋ねていたのですが、多くの人の答えは共通していましたかね。
「数字を1〜5まで数えるように言われている内に、意識がなくなって、目が覚めたときには、すっかり手術は終わっていた」
と。基本的には私も同じでした。手術室に入って、麻酔医からマスクを口に当てられて
「深呼吸を3回ほどして下さい」
そう言われたので深呼吸を3回したのだと思いますが、そこから記憶が無くなった。
そして麻酔から覚める訳ですが、私が麻酔から覚めたときは、結構な痛みと苦しみとが伴なっていた。目を覚ました空間は、いわゆるICUであった。ここからは私本人の記憶であり、この私自身の経験を「内的経験」とバタイユのワードに掛けて述べています。つまり、「私の記憶」とは、私の内的経験の記憶なのである――という事なのです。で、究極的には、その者にとっての真実とは、内的経験でしかないという話に繋がっていきます。
ICUは私の記憶だと、少し薄暗く狭い空間のように感じた。麻酔から覚めてみると、結構な痛みと苦しみがあり、自分の腹部については、ブラジルから輸入した冷凍鶏肉であるかのような「硬さ」を感じていた。なんというべきかミゾオチ付近に息苦しさがあって、少し縫合した箇所が25cmぐらいはあり、しっかりと縫合したので、その縫い合わされた箇所は自分の身体でありながら、なんだか硬さを感じた。ICUでの記憶は、病衣の着せ替えられたところであったかな。魚河岸に揚げられたマグロ状態の私の身体を、看護師さんたちが「せーのっ!」のような掛け声を出して私の身体を横臥状態に転がし、袖を通させ、着替えさせている。
下半身は紙オムツに履き替えさせられていたのだと思いますが、なんだか洗浄されている様子からすると、単にオシッコまみれになっているだけではなく、糞尿まみれの血液であったかも知れない。ああ、手術日の前日には断食をして下剤を飲まされており、手術前日には11回もの便通がありましたが、なんだか結構な黒っぽいゴミ状のものが尿に混じっているように見えた。
いつの間にやら、ボクちゃんのチンコ、略称「ボクチン」には透明の立方体の箱が取り付けられていて、その箱の連結部分からは管が伸びていた。これが尿道カテーテルであった。勝手に溜まった尿は排尿される仕組みらしい。オムツ交換の際にぼんやりと自分の下半身を目にした際、ボクチンが見えた。ボクチンは弱々しいアマガエルのように見えた。アマガエルでは小さすぎるのだけれども、実際に看護師さんたちに洗い流されているボクチンの姿というのは、随分と、か弱い生きもののように感じられ、パンダの赤ん坊のようにも見えた。勿論、スケベな気持ちなんて微塵も湧きません。痛みと苦しみは全てに優先する。「お願いだから痛くしないでね」と、縋るように目で懇願するばかりであった。
ICU(集中治療室)に少しだけ世話になって、次にはHCU(高度治療室)に回された。なにやら、ICUとHCUの違いについての説明をされて、ICUに隣接するHCUへ。このHCUで明かしたのが手術2日目という事になったのですが、ここで私の内的経験としては、実は「死」というものを非常に生々しく体感する事となった。
痛みという感覚が最大限付近になってしまうと、ヒトは「痛み」を感じるのではなく、「猛烈な苦しみ」を感じる事になる。「痛いですか?」とか「10段階で例えて、どれぐらいの痛みですか?」と問われても、私の場合は擦れ声で
「痛みというよりも苦しみなんですけど、限界に近いです」
のように答えていたと記憶している。部位として、どこが痛いのかも分からない。とにかく、苦しい。何とかならないものか。そういう状況になってしまっていた。このHCUから更に別の場所にあるHCUに転床することことになるのですが、その私が「苦しい」とか「苦しいです」を連発していた理由についても看護師さんから説明を受けた。血圧を120前後でキープ視する事を条件にしていたが、どうも痛みが強いらしく、痛みが強い為に血圧が上がってしまい、更に横隔膜をも引っ張ってしまっているので呼吸が浅くなってしまっていたのだという。勿論、鎮痛剤も使用していた訳ですが、鎮痛剤が切れてしまうと、痛みが発生して、血圧が上がり、更には呼吸も浅くなってしまい、苦しみはじめるというサイクルで、それなりに私は大変な患者だったらしい。
〈これは、ホントに生きて帰れないかも知れないゾ〉
と感じたのも、この時でした。何故って、それは苦しさの限界みたいなものを感じてしまっていたから。
その「痛み」や「息苦しさ」についてなのですが、ぼんやりと見えている掛け時計があって、目を凝らすようにして確認してみると深夜1時過ぎであった。物凄く苦しい。
「この状態に自分は時間にしてどれぐらい耐えられるだろうかと考えてみたら、どんなに頑張っても3時間が限界で、この苦しい状態のまま、朝方の6時や7時まで継続するのであれば、生きることよりも死んでしまった方がいいだろう」と実は冷静に感じ取れてしまった瞬間があった。
死ぬのは怖いことだし、今生への未練らしい未練もあるのだけれども、「耐え難い苦しみ」は、「死への恐怖」や「今生への未練」よりも優先順として上位にくることを、非常に生々しく体感した。「色々と思い残すこともあるが、どうだっていい。それよりも今現在の耐え難い苦しみから早く楽になりたい」という反応になるのだ。
ヒトは、必死に自分なりのストーリーをつくりあげて物事を認識しようとする。「こんなところで死んでたまるか」のような認識さえもが自分なりの時間軸で編まれたヒストリーと関係している。激しい痛みと苦しみの真っ只中にあっては、実は、物事を筋道立てて考えることが不可能になることにも気が付いた。「これこれこうだから、このように考えよう」のような事をしていると、脳なのか脳じゃないのか、兎に角、拒絶反応が起こってしまい、吐き気を催してしまうのだ。(この【吐き気】と【嘔吐】については後に触れることとして、一先ず、先を続ける。)
あまりナースコールを押す方ではなかったと思いますが、その問題を考えている中で、ナースコールを押した。「苦しいのですけど…」と訴えても、まぁ、看護師にしても医師にしても、どうすることもできない状況でありながら、わざわざ「苦しいのですけど…」と訴えるのも意地悪なような気もした。しかし、殆んど選択肢らしい選択肢もないのだ。記憶が曖昧になってしまっていますが、もしかしたら私はナースコールを押して一回ぐらいは「楽になる方法はありませんか?」ぐらいの事も訴えていた可能性がある。
そんな苦悶する深夜1時から2時までの間、どこかで記憶が飛んで、目を覚ますと朝方になっていた。痛みは3〜4割ぐらい軽減されていて、「ああ、助かった。これなら生きて帰れそうだゾ」という感覚になった。私が私なりに死を覚悟した瞬間というのは、鎮痛剤の効果が一時的に切れてしまったポイントだったらしく、「苦しいのですけど…」と呼んだ後に渡された、結構、大きな鎮痛剤が、その後に利いてくれたので、痛みが沈静化し、血圧もコントールしやくすくなり、横隔膜が引っ張られて吐き気まで引き起こすといった最悪の状況を抜け出せたのだと、ナースコールで呼んで意地悪にも「苦しいのですけど…」と訴えた看護師が説明してくれた。
HCUでの激闘の痕跡はすべてが私の主観になってしまう訳ですが、私としては客観的な数字も記憶している。実は手術前よりも、この2日目の朝の方が実は体重が6キロも増えていた事を、別の看護師から告げられた。勿論、手術日も翌日も食事は摂っていないのだから基本的には体重は減ってもよさそうなものですが、私の場合は先述したような状況になってしまった為、大量に点滴をすることになり、まさかまさかの6キロ増で手術から2後の朝を迎えたという事であった。
そのHCUから別の棟への転棟が決まると、HCUの看護師さんたちが「この人は転棟させないで、ここに残した方がいいのでは?」、「向こうに、そういう設備があったっけ?」、「なんだか転棟させるの不安だよね」、「私もちょっと心配」のような会話を私の頭上で交わしている事に気づき、〈ああ、看護師さんたちは本気で心配してくれているんだな。できる事なら私たちで面倒を見たいと思ってくれているんだ。やさしい人たちなんだな〉と感じて、思わず目頭が熱くなった。
そんな中、転棟の準備が進められ、私も移動用のベッドに移し替えられた。そしてHCUから運び出される際、HCU内で、私の目に入ったスタッフの全てが私を見送ってくれたのには驚いた。人数にして、ざっと16人ぐらいだったかな。皆が皆、その場で立ち上がったり、中にはベッドの上に寝かされている私の顔を覗き込むなどして、ベッドに乗せられて運ばれていく私のお見送りをしてくれたのでしたが、その対応に私は思わず大号泣してしまった。
かすれ声しか出ないので、お礼を言いたくとも声が声がとして届かない。気を抜いて嗚咽すると横隔膜が刺激されて大変なことになるので嗚咽はできない。中には、ニコニコしながら私に声を掛けてくれている看護師さんがあったので、こちらも移動用ベッドに寝かされたまま、その手すりの隙間から手を振りながらHCUを退出。病院内の冷たい回廊を通過してエレベーターで運ばれ、病院内の別棟へ――。
