2006年08月
2006年08月28日
No.28 ガッチャまん
父に聞いてみた
『俺の小さい頃に、家族で会話した
録音テープ
ってあったりするん?』
父曰く
『あるよ〜 確かガッチャマン?うたってたん
ちゃうかな!?』
うーん。
聞きたい衝動にかられたが、
もう少し、気持ちが高まり 
その時期がくるまで待ってみよう
ただ、そういうものを残しておいて
もらえた事自体が素直に嬉しかったよぉ。
さてっ いつ聞くことになるかなぁ。
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〜海外生活支援業までの道のり〜 (第7回)
(前回はこちら ⇒ 第6回)
剣道仲間への告白 Part 1
辞めるかもしれないな・・という気持ちが頭をかすめながら、
1週間ほどたっていました。
その頃は、通常に練習に参加できるモチベーションでは
到底なかったのです。
そんな時に剣道部の同期の仲間で集まる飲み会が
ありました・・・。
・
・
・
『これが、伝える機会かもしれない・・・』
・
・
・
声がかかった時、とっさにそう思いました。
と同時に、こんな状況でも(仲間には、私の状況は分から
なかった事ですが、、) 誘われる事にありがたみを
感じていました。
モチベーションがあがらず、ずる休みしていた事、
海外研修の説明会に参加していた事
それだけは必ず伝えよう、そして何を言われても素直に
受け止めよう』
と覚悟し参加しました。
正直、責められることも、とがめられる事も覚悟の上
でした。 どのような結果になるかは、想像もできない
事でした・・・。
そして、当日 同期のメンバーが集まり、福井県出身の
ノムさんの家で、ドンちゃん騒ぎが始まりました。
当然、吐く仲間もいましたが、ノムさんのワンルームは
かなりの盛り上がりをみせていました。
そんな中、私は内心、ドキドキしながら、言うタイミング
を図っていました。
しかし、中々 言えず時間だけが過ぎていきました。
そんな中、ついに 後の剣道部の主将になる通称クマハチ
が、聞いてきました・・・・
『おまえ、今までどうしててん?』
(続く)
第 8回は こちら から
2006年08月26日
No.27 ホームステイから自分を考える
明日から、とある事情もあり、
オーストラリア人の友人が3日 程、ホームステイしに来ます
←(大学生の頃、ホームステイ風景)
今年は、これで、外国人の受け入れ4回目なのですが、
そういう訪問してくれるという声を聞くたび、本当に
なんとも嬉しい気持ちになります。
そして、どうしてこんな気持ちになるのだろう・・と思い、
改めて意識して考え直してみました。
すると、人にお世話したり(されたり)するのが好きな
自分が浮かんできました。
単純に言えば、人と人との関わり合いが好きなんですね。
もっともっと、突き詰めてみると、その事を始めて、
実感させてくれたのは、やはり、大学2年の時の
初めての海外生活体験だったのかなぁと思います。
その時は、何もかも始めての中で、すべてが新鮮
でした。
大学の研修という形でいったのですが、その仲間とは
今でも年に2,3度会っています。
その時にお世話になったメルボルンに在住の
大学の講師とは現在、ビジネスパートナーとしても
お付き合いがあります。
実感はないのですが、もともと、そのような気持ちを
抱くようになった原点は幼い頃にあるのかもしれません。
私の家系は、父が8人兄弟の一番末っ子、母が7人
兄弟の一番年上(長女)なので、従兄弟、親戚が
ものすごく多いのです。
ですので、小さい頃から特に従兄弟や、 おじさん・おばさん
たちなど大人の人に囲まれて育ちました。
父が意識的にそうした集まりに連れていってくれたようにも
思います。
自然と人との関わりあう楽しさ・術を覚えたのかも
しれません。
その頃、父は仕事の真っ只中で遊ぶ時間がどうしても少なく
なりがちだったようですが、そんな時は、親戚や従兄弟に頼み、
私の遊び相手をお願いしていたという事を思い出しました。
おかげで、今では、10歳以上離れた、従兄弟達とも、
とても仲がよいです。
毎年、お正月には50人以上の親戚・従兄弟が集まる
のですが、改めて幹事をしている父や、祖母の人望が
思いだされます。
何故、今日 このようなお題にしたかと言うと、
今、改めて、自分の過去を振り返っているからなのです。
(これが、結構時間がかかるものなのですが・・)
思い出せること、忘れていること等、様々ですが、
出来事・経験がただ、通り過ぎていったのではなくて、
その時には、その時にしか味わえなかった感情が確か
に存在していた事に気づきます。
意識的にしろ、無意識的にしろ、それがつながって
今があるんだなぁと思います。
ありのままの自分でいるというのは、難しい事では
ありますが、もっともっと自分を知って(時に辛くも
ありますが、それを乗り越えて)ありのままの自分を
好きに、そして受け入れられるようになりたいと
思います。
2006年08月13日
No.26 0 対102
〜 これが(ツッパリ生徒達
が)、もし俺の息子
だったら!!!
・・・という気持ちで生徒に向き合う〜
その生徒(伏見工業高校)達は、先生に水をかけたり、
服に火をつけたりしていたそうです
学校中の窓ガラスは割られ、教室ではタバコ、マージャン
はあたりまえの世界。
先生たちも、みな怖がって、生徒と向き合おうとしない。
上記は、そんな中で発せられた山口良治先生の言葉です。
胸にしまって忘れたくない言葉です。
山口先生率いるラグビーは、1年目、102対0で
大敗しました。(そこにも又ドラマがあります)
その伏見工業高校ラグビー部、、1年後には、京都一に
なります。
その間何があったのか??
プロジェクトXの 『ツッパリ生徒と泣き虫先生 』
で、事実を垣間見る事ができます。
私は、モチベーションを高めるためにしばしば、
こうした類のビデオをみます。
今週は、同じシーンを10回以上みました
下記、大好きなシーンです。
『子どもを、嬉しい気持ちにさせてやろう・・という先生
がようけ(沢山)、おったら生徒はみな変わっていく。
なぁ シンゴ そう思えへんか?』
みなさん、、
あのシンゴがですよ!! あのシンゴが、、
八坂のシンゴが (※山本 しんごは、当時、京都中
の不良の中で頂点を極めたといわれてました。ちなみに、
八坂は京都の地名)
伏高を受けるって・・・ 伏高どないなんね〜ん!!
(※それほど、学校側は、 山本シンゴが入学してくること
を恐れていました)
その、シンゴが、 (大泣きしながら、、、シンゴに
よりかかる) 今、教師をしてくれてる・・・(号泣)
このシーンを見ると、いつも涙腺がゆるみます。
理想の先生です。
P.s 友人に伝えたら、6年前も、お前に薦められて
オフィスで、見せられてビデオもお前からかりたよっ
あいかわらずやなぁ、、とのこと。
う〜ん。変わってない (笑)
2006年08月09日
No.25 セネガルの友人のこと
アフリカのセネガル出身で友人でファヤという
友人がいます。
彼にまつわるちょっとしたエピソード
当時通っていた、龍谷大学2回生(2年生)の冬のこと
いつものように、国際交流会館に入り浸り、
各国の仲間と『ここが変だよ日本人』をみていました。
すると・・・
突然、雪が降り始めました。
あたりの深遠な、その暗闇の中に、かすかに光る
白いコントラストをみつけ、
『雪だ〜!!』
と叫ぶや否や、友人達に声をかけ皆で外にでました。
外にでて、みなではしゃぎ、口をあけて、上を向いたり,,,
はしゃいでいました。
そんな中、一人不思議なリアクションをしている人物が・・・
龍谷大学の招待(つまり学費留学)で留学していた
セネガルの友人、ファヤでした。
彼は、みなが騒ぐ中、涙ぐみ静かに立ち尽くし
そして両手の小指と小指を重ね雪を手にかざして
いました・・・。
・・・・
雪がふる、、、その光景に感動し、震えていたのです
セネガル出身の彼は、母国では勿論、日本においても、
その時が、雪をみるのが始めてでした。
それが彼にとっての普通なんだ、
私にとってもカルチャーショックを受けた出来事で、
当たり前の事を当たり前だと思ってはいけないと
感じた瞬間でした。
日本では当たり前のことでも、彼(彼女)達、異国から
日本に来た留学生にとっては、珍しいことや、母国に
いた時では考えられない出来事がマダマダ沢山
あるに違いない・・・そんな事を思いました。
逆に私も体験できるのかもしれない・・・
その可能性もあるんだ・・
違いを知る・ 違うという事の素晴らしさ、、
それを肌で実感できた出来事でした
〜海外生活支援業までの道のり〜 (第6回)
(前回からの続き・・・)
前回はこちらから⇒第5回
オリエンテーションでは、無我夢中でした。
当時の内容自体は全く覚えていません。
このオリエンテーションは、その後、数回に渡り、
(英語のレッスンなども含めて)続くということを
聞かされました。
最初のオリエンテーションに参加したことで、
次回(2週間後)も参加したい欲求が沸き起こりました。
このまま、この道を歩けば海外にいけるのだろうか
・・・と思うと、
不思議な感覚に陥りました。
剣道のことがみえなくなってきていたのも確かでした。
こんな気持ちのまま剣道を続けていいのだろうか?
という気持ちを払拭できないまま、
日々が過ぎていきました。
どっちつかずの自分がいました。
罪悪感が募る一方で、海外に向けての期待も
膨らんでいきました。
まだ答えがでた訳ではなかったのですが、
そんな煮え切らない自分に嫌悪感さえ抱いていました。
小学校でソフトボール、中学校でソフトボールと
サッカー、高校では剣道 というように、常にスポーツと
共に過ごしてきた私にとって、部活動をずる休みしている
現実でさえ、耐え難く、まして辞める可能性を考える事は
非常に勇気のいるものでした・・・。
続く ⇒ 第7回
2006年08月03日
U-stay's blog No.24 中村 文昭氏 講演会
先日、中村文昭氏の講演会に行ってきました。
私の会いたい人リストに入っていたのですが、そのリストに
入って2週間後位にその方を紹介され、これは、ご縁にしたがって
自然の流れでいくしかないと・・思いました。
中村氏は、まさに、現代版 『豊臣秀吉』とでもいう か、
とんでもなく、人を引き付ける魅力のある人でした。
恥ずかしながら、中村さんの目の前で涙をこぼしてしまい
ました。 自分と置き換えて考えると、もっともっと自分を磨かなけ
ればという思いに駆られました。
中村さんは、講演が終了後 15分後に出発するバスに乗って
新潟にいくという事で、急いでバス停に向かわれたのですが、
すぐに追いかけていき、バス停で お礼を言わずにはいられま
せんでした。。。(実は、2時間の講演のはずが、延長、延長でバス
の時間ギリギリまで語りつくされていたのです)
理論や理屈以上に、何よりも心に訴えかけ、感情を思いっきり
出して話しているのが印象的でした。
また会いたいと心から思う人にお会いできた事に幸せな気持ちで
一杯になりました。
P.s
現在、氏は伊勢でレストランウェディングの代表をしておられます。
また、一方で『耕せニッポン』という熱い企画をプロデュースして
おられます。 ⇒(http://ryo-ma.net/event/)
自給率が低い日本・働くことができない若者がいる日本 …その二つの
問題を庶民レベルで動いてなんとかしようじゃないかと、北は北海道の
大地で中村文昭さんがニート、 ひきこもりと呼ばれるような若者たちを
集め農業を始めています。
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〜海外生活支援業までの道のり〜 (第5回)
私は、昼休み過ぎ、いつものように、学生掲示板を覗き込んでいました。
その時に、私の目に飛び込んできたのは、忘れもしない
『第一回海外企業研修』 と書かれたの文字。
そして、オリエンテーション(説明会)の案内が・・・。
金額も40数万円と書かれています。
その時の私は、金額の事より、自分自身の好奇心、そして未知なる
ものに飛び込む気持ちに抑えられないものを感じました。
通常、海外渡航、ましてや生活体験をしようというのであれば、
よく起こりうるであろう、金額に対する不信感や、不安、その内容を
疑う気持ち等は不思議と一切ありませんでした。
金額自体は、当時の私には圧倒的に高いものでしたが、半年先だし、
貯めればなんとかなるだろうと思っていました。
(もし、それが仮に怪しいものであったのであったとしても、その頃の
私は、確実に騙されていただろうと思います。)
とにかく、説明だけでも聞いてみたい、海外って・・・?なんだ!
もう好奇心の塊でした。
・
・
・
しかし
問題が一つ
私には、1回生の頃から一度も休んだ事のない、剣道部の練習
がありました。
皆勤賞というものが存在するわけではないのですが、
休み=さぼり、悪、よくないこと、堕落、、、 みたいな完璧にマイナス
の構図が当時の私の中には存在していました。
全国3位、日本のトップレベルまで行った大学です。
いい加減な気持ちで練習した事は一切ありませんでしたし、みな真剣
なので、自然とモチベーションがあがる雰囲気がその場にはありました。
圧倒的な強さを持つ仲間、先輩に囲まれて練習できる事に喜びも
感じていました。
しかし、練習にいくまでのほんの、数メートルの道のりでは、
さぼりたい気持ちや、サークルや、部に所属していない周りの仲間の誘い
を受け、誘惑にかられた事も、正直何度もありました。
しかし、いつも、罪悪感を感じるくらいなら一生懸命練習しようと、
気持ちを鼓舞し、ここまでやってきました。
だからこそ、海外研修のオリエンテーション(説明会)に対して、
参加することに、違和感を感じ 罪悪感も感じていました。
しかし、まだ海外にいくと決めた訳ではない。
説明だけでも聞いておかないと・・・その道は絶たれるかもしれない
どちらに転ぼうと、選択肢があってもいいのではないかという気持ち
(もしかしたら、自分を正当化しようともしていたのではと思います)
から、迷ったあげく、始めてずる休みをして、オリエンテーション
に参加することに決めたのです。
続く ⇒ 第6回



