2010年10月20日
勇さんのびわカン日記<産經新聞掲載中>

メイン司会者ではなくプロデューサーの目線で書かせてもらおう。いつも「変えるぞ!」という旗振り役は私だ。未だに番組に対する思い入れ、責任感は誰よりも強い!と自負している。でなけりゃ、「改革」を言い出す資格なんてない。
今回のリニューアルは私の中では結構大きな“精神的改革”と言える。びわカンは良くも悪くも“ミスターびわ湖”勇さんがひとりで進行し、引っ張っていった。それは、彼が一番番組を理解し、時間調整・ゲスト対応の実質的テクニックにも長けているから。そして「他に任せられる者がいない!」…これがやむなく「勇さん進行」という形に頼ってきた所以だ。しかし、10月からは「任せてみよう」イコール「信じてみよう」と、やっとこさ腹をくくった。放送1000回を目指すには、勇さんには一歩引いてもらって、大きく番組を包んでもらい、若手出演者とスタッフが協力して、責任を持って進行する…勇さんにおんぶにだっこ状態から脱却し、みんなで新しいステージにチャレンジだ。御覧になった方、またご意見お聞かせ下さい。
『人に任せる』…企業においても、これなくして飛躍はない。後輩という奴はいつの時代も頼りなく見えるもの。しかし、どこかの時点で彼らを信じて、彼らなりのやり方を暖かく見守り、「失敗したらケツ拭いたる、思い切ってやってみいっ!」と言ってやれる懐の深さが、リーダーには必要。この勇気と判断…う〜ん、結局、自分が変われるかってことになるのだ。
番組が始まってから1年後に、このコラム連載がスタートしました。まさに、びわカンと共に歩んできたのが、このびわカン日記。しばらくの間、後進に道を譲って、お休みを頂きます。
(※勇さん情報は、yu−kawamoto.comでチェック)
2010年10月06日
勇さんのびわカン日記<産經新聞掲載中>

この5年間、ず〜っと懲りずに継続している企画が2つあります。ひとつは、『高校生音楽応援企画』。このイベント、10月までで約50回を数える。高校生にユーストンというプロも使用しているステージを解放し、思いっ切り音楽を楽しんでもらう。そして音楽を通して仲間づくりをしてもらう…固苦しい言葉で言うと「青少年健全育成運動」といったところでしょうか。高校生が滋賀のまともなステージでライブが出来るなんて!我々の世代では考えられないこと。5年前の高校生が、少しおとなになって、今もユーストンで活躍してくれている。だから!このイベント、止めるわけにはいかない。
もうひとつが『おとな音楽応援企画』。9月26日(日)に開催された「エンターズ」がそれに当たります。社会人になってからも音楽を続けてほしい。一生音楽に触れていてほしい。それほど音楽ってイイもんなんだ。人と人とを繋いでゆくんだ…そのためには目標となるライブ、夢のステージが必要!そんな思いが始まりだった。この日も5バンドが熱演を繰り広げ、最後は我がU☆TIME BANDとセッションをしてフィナーレ。日頃の憂さを晴らすように、みんな歌って、踊って、盛り上がってくれた。打ち上げの時、バンドメンバーが言う。「公務員やってますが、このステージに向けて、15年ぶりにベースを弾くことになりました。」「このライブの練習のたびに、みんなで飲んでます。」だから!このイベント、止めるわけにはいかない。
適切なハコを作って、やる気あるスタッフが運営する…そうすれば、文化は生まれ、人は育つはず。誰が創ってしまったのか、ガラガラで潰れかけの公共のハコたちよ!もっと工夫して、情熱を持ってそのハコにピッタリのイベントを考え、実施せよ!さもなければ、即座に閉鎖して、やる気ある者に委譲せよ。もしくは、民間に任せて、民間を補助せよ!!…少し興奮してしまいました。
今後もユーストンは『あなたの夢を応援します!』。“地域のハコ”として、あたたかく見守ってやって下さい。
2010年09月15日
勇さんのびわカン日記<産經新聞掲載中>

ストーリーは超簡単に言うと、動物たちが繰り広げる愛と夢と友情のファンタジー…私の役どころは、らくだ君を車で轢いた上、逃げ回るという極悪非道のミュージシャン。ド派手な衣装とメイクでお芝居しながら、原作者が書いたオリジナル曲を2曲、生バンドをバックに歌う。2時間半の演目の中盤、約20分間が私の持ち場。そしてファナーレでは、総勢約30人のキャストと共に歌い、踊るのです。
ひっさしぶりのプレッシャーでした。人前に立つのは慣れているものの、お芝居は初めてだし、人が作った曲を歌うことも無い。多くの人が参加するリハーサルは、イヤが上にも緊張し、一生懸命演じるキャスト、真剣な眼差しのスタッフを見る度に、「足を引っ張ってはいけない…」とビビり出し、完成度アップが求められる公演直前は、もう軽い鬱状態。「こんな仕事、受けるんやなかった…」と思ってみても、後の祭り。
バンドやテレビ・ラジオでは、自由にやらせてもらっているし、自分の出来は、ある程度自分で評価できる。がっ、恐ろしい数のスタッフが関わるミュージカルでは、ひとつのコマにしか過ぎず、全体を見渡す監督に「今のどうでしたか?」と聞くしか、自分を安心させる方法は無い。そして指導を受けると、「この人の描くストーリーの中で、完璧なコマにならねば…」と肝に銘じる(そりゃ、監督はモテるはずや!)。ランスルーを重ねて、やっと勇さんらしくアイデア・意見も言い、アドリブも出せるようになってきたのは、もう公演当日だった。
怒涛の3公演が終了。楽屋に戻り、メイクを落としだした時、やっとプレッシャーから開放された。出来云々よりも、とにかくホッとした。その分、打ち上げの酒はとってもうまかった。キャスト同士の友情、スタッフとの信頼関係なども、ちょこっと芽生え、酔いが進むにつれ達成感と充実感が沸いてきた。そして、素直に思った…みんなに感謝。
少し乱暴な教訓ですが、『何でもやらんより、やった方がいい』。これからも、いろんなことにチャレンジしていこうと決意を新たにする勇さんでした!
※この日の勇姿は、私のブログでチェックして下さい。
2010年09月02日
勇さんのびわカン日記<産經新聞掲載中>

そんな下界を飛び出して、標高1100mを越えるびわ湖バレイに逃げ出した。石山からR161を走って約1時間、山麓駅からロープウェイで5分、そこはもう別世界。同じ大津市とは思えない。気温約20度、さわやかな風は、体と心にとってもやさしい。今日は、スキーのストックを両手に持って歩くノルディック・ウォークにチャレンジ。コレは、体の90%も燃焼させるという超優れもののスポーツなんです。(ちなみに残りの10%は顔の筋肉なので、大声でしゃべって、笑ってたら燃焼率100%になるそうです。)両手のストックで歩行を助けることで、二足歩行が四足歩行になり、それが全身運動になるという簡単な仕組み。美人インストラクターの指導を受け、準備運動をして、いざスタート。確かに、歩いていると全身が熱くなってくる。ユリなどのお花畑を横目に、シカの糞を気にしながら、急な坂道を約30分登ると1174mの蓬莱山頂に到着。南に伝説の小女郎池(こじょろいけ)、北に比良山系最高峰・武奈ヶ岳1214mの堂々とした姿を望むことが出来た。残念ながら、東側に広がっているはずのびわ湖はガスっていて見えませんでした。
そして、今回は特別にびわ湖の源流を辿るコースを案内して頂いた。「比良は俺の庭や!」と大昔豪語していた私も、このコースは初めて。一旦西に下って谷に出て、再び道無き道をゆっくり登っていく。途中、ラッキーにも大きな角を持った鹿に出会った。楽しいおしゃべりが「ハァハァ…」という息遣いに変わってきた頃、遂に源流にたどり着いた。コケに包まれた岩盤から湧き出る水…インストラクターが「コレがびわ湖の最初の一滴なんです!」。歓声が上がり、その水を飲んでみる。「めっちゃ、美味い!」。味覚は気分と雰囲気が作るのだ。この一滴に感謝。
比良の名所、湿原・八雲ヶ原に行ける比良ロープウェイが、2004年に営業停止。登山口へのバス路線もどんどん廃止されている。比良山系へのアプローチは格段に不便になっている。なんとか、子どもたちや高齢者に、ポテンシャルの高い比良を手軽に楽しんでもらいたい。その方法はもうびわ湖バレイルートしかなくなった。
山…私がおすすめする“滋賀の楽しみ方”のひとつです。
2010年08月18日
勇さんのびわカン日記<産經新聞掲載中>

膳所高校生にとっての“レストラン”美富士食堂へ。当時のおじいちゃん、おばあちゃんはもういないが、雰囲気はそのまま、少し増築している。焼きそば、焼き飯、ハムエッグ…そしてもう充分大人になったからビール。量がウリのこの食堂、今の我々にはちょっと辛い。あの頃は、残さずに食い尽くしていたよなぁ…。
「白馬から後立山を縦走した夏合宿、ピーカンやった」「怖かったぁ、不帰ノ嶮」「キレットの方がビビったわ」「槍穂高縦走、もういっぺん行きたいなぁ」「キスリング、重かったぁ」「汚いコッフェル使ってたで」…しばらく使っていない山岳用語が、自然に湧いてくる。30Kg近い荷物を担いで、黙々とピークを目指し、狭いテントでメシを食い、ろうそくの明かりで語り合う。何日も同じ服で、同じ仲間と。今から考えると、あんなことよくできてたなと正直思う。
人生を山に例える人がいる。ひとつの山を目指して、一歩ずつ登ってゆく。山頂に着けば、少しだけ休憩して、また次なる山頂を目指して歩き出す。時には道に迷い、回り道もする。引き返す勇気も必要だ。雨も降るし、風も吹く。しかし、いつかはきっと晴れる。人生って山登り…やっと実感として納得できる年齢になった。
宴の最後、誰からともなく「また一緒に山に登ろか…」。あの頃の体力はないけれど、コースをうまく考えて、今にピッタリの山に登ってみよう。 同じ釜の飯を食った仲間たちは、てっぺんに立つ快感を忘れていないはずだ。
あっ、そう言えばこのコラム…山岳部一年後輩のS君が産経新聞社員になって、依頼してくれたのだった!来年の同窓会は、後輩たちも誘ってみよう。
2010年08月04日
勇さんのびわカン日記<産經新聞掲載中>

毎年、単にゲストとして参加していたのだが、今年からは「晴嵐って、地元のお祭りやん!俺たちの世代が動かないと!」という使命感と地元愛を胸に、事前の実行委員会議にも出席し、企画書も作り、地元企業ユーストンとしてイベント全体の制作に携わることになった。自分たちがこのお祭りに参加するようになってから、「こうしたら、もっとオモロくなるやん。来る人にもっと楽しんでもらえるやん。ブース出展者、出演者もやりがい持てるやん…」と考えていたことを、やっと具体的アイデアとして提案させて頂くことが出来たのだ。しかし、37回を重ねる伝統あるお祭り、石山という古い土地柄…一気にイベント内容を変えることには、かなり抵抗があった。当然だろう。いろんな人と団体の思惑が絡み合いながら、この地域の大イベントはずっと成り立ってきたのだ。今までの担当者には、「新参者が何を言うとんねん」という雰囲気もあるし、「今まではワシらが良かれと思って、やってきたんや」という自負心もあるだろう。たかが、地域のお祭り…されど、わが町一番のお祭り、なのだ。そんな状況の中、今までの実行委員会とユーストンは、微妙なギクシャク感を持ちつつも、より良いイベントを目指し、前向きに歩み寄っていった。祭りを積み重ねてきた先輩たちに敬意を払い、また新しい人材とアイデアに賛同して頂きながら…。そうこうして迎えたのが2010年の「晴嵐夏祭り」だったのだ。
お天気にも助けられ、大盛況となった「第37回晴嵐夏祭り」。今回は、各学区代表者がステージで歌を披露、競い合った。またブースには、石山に活気を与えてくれている飲食店が数店初参加してくれた…ご来場者の皆さん、楽しんで頂けたでしょうか? 石山にライブハウスであり企画制作会社であるユーストンを設立して早5年。初めて、地元が大切に守ってきたイベントに、“制作として”関わることが出来た。後片付けの時、長老の方に、「お疲れさん。後日、この祭りの反省会するから、その後一杯やろうや。」とお誘いを受けた。素直に嬉しかった。やっと、今までの活動を故郷・石山に認めてもらえたような気がした。これからも、私を育ててくれたこの町を大切にしていこうと、決意を新たにした暑〜い一日でした。
2010年07月21日
勇さんのびわカン日記<産經新聞掲載中>

テレビをつけると、昔の絵画を使って、フランス革命のお勉強をしている。この時代の史実を描く作品は、フランスのお家芸とも言えるアート、傑作が多い。まずは、祝日の歴史的意味を理解せよ、ということだろう。そして生中継となり、めっちゃめちゃ色っぽいリポーターが、凱旋門周辺のパレードの準備を伝える。軍人さんたちのインタビューには、フランス軍の日頃の活動ぶりを紹介するVTRがインサートされる。各国、各界からの著名人も続々登場。おっと、沿道の人に手を振りながら現れたのがサルゴジ大統領。しばらく、その雄姿をカメラは追う。式典では、ビートルズの名曲♪オール・ユー・ニード・イズ・ラブの前奏に使用されているフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が歌われる。次の瞬間、私は見とれた。なんと気品漂う女性だろう…世界一美しいファーストレディー、カーラ・ブルーニ(モデルであり歌手。ちなみに私、この人のCD持ってます)。シックな紺のワンピースに、薄めの化粧、アクセサリーは一切なし。フランス女性の象徴は、凛としたたたずまい、堂々としていて、誇らしげだ。この姿を見た時、なぜだろう、女性専用車両がある日本が恥ずかしく思えた。ようやくテレビを消して、アパート(約2週間、借りてます)を出て、シャンゼリゼ通りへ。パレードはまさに軍隊のプロパガンダ。大群衆の中、兵士、戦車が行進し、空には戦闘機、落下傘部隊が…。そして、パリらしからぬ土砂降りの雨と共に、お祭りは終了。カフェで雨宿りしながら、この革命記念日とやらを考えてみた。
フランスの歴史的背景…革命で民主主義の礎を築き、戦争で領土を広げ、犠牲と繁栄を繰り返してきた。世界の陸地の8.6%がフランス領土だった時代もある。世界に通用する“強さ”が、誰もが認める世界一美しい都パリを作った。国歌「ラ・マルセイエーズ」の歌詞の意味を知っているだろうか?♪…市民たち、武器を取れ、軍隊を組織せよ、進め!進め!…戦争賛美の歌だ。「今の生活があるのは、この国の歴史…革命や戦争、そしていつの時代もフランスのために闘ってきた軍隊のおかげ…」であることを、全フランス国民が肝に銘じる日…それが7月14日なのだろう。
歴史を伝え、考え、今の国家を感じる祝日。日本には、そんな日ないなぁ…と思っていたら雨は上がっていた。アパートに帰ると、延々とツール・ド・フランスの生中継。この競技の熱狂を理解するには、もう少しパリにいる必要がありそうだ。
2010年07月08日
勇さんのびわカン日記<産經新聞掲載中>

ただ、何よりも貴重なことは、大学生との交流だろう。私はプロジェクト研究として「ANZAN」というチームを結成し、指導している。この名称は学生の発想…安らかにアイデアを生み出すチーム、アイデアの山などの意味を持ち、ANの間にZがあるロゴスタイルも気に入り、即決した。毎月、BBCびわ湖放送でヘビーオンエアされる30秒環境CMを企画・制作するのが、大きな役割だ。どんなコンセプトにするのか?絵コンテは?ディレクターは?ロケ場所は?編集は?…毎週毎週、決めなきゃならないことが多くて、あっという間に講義の時間が過ぎてしまう。放送に穴をあけないため、絶対に納品日を守る!という鉄則は、学生にプロ意識を芽生えさせ、責任感を植え付けている。
先月放送分の環境CMは梅雨を意識して、「傘の使い捨て編」。日本は世界一のビニール傘消費量というデータから、大学生が使い捨て文化を否定する作品だ。そして、7月は選挙シーズン、「ANZAN党から立候補した大学生編」。今の時代を反映した、若者ならではの政治への切り込みを期待したい。他にも、湖岸バーベキューのゴミ編、登山ドキュメント編、パラパラ漫画編などなど、突拍子もない切り口が楽しみであり、刺激である。
イマドキの大学生、ゆとり世代という言葉でひとくくりにはできない。直接相対していると、やる気や夢は、時代や体制のせいではなく、極めて個人的な問題だと感じている。子供から大人、そして社会人に向かう不安定かつ繊細な一時期。自らを振り返ると、大学時代にいろんな人と触れ合いながら、考えをまとめていった「川本勇の夢の原型」は、極めて重要な人生のターニングポイントだった。毎週顔を突き合わせて、泣き、笑い、時には怒りを共有している今の教え子が、「夢の原型」を創造していく過程を、じっくり見守りたい。そのためにも、本気で向かい合う覚悟が必要だ。無気力・無感動・無関心に生きる大人たちよ、忘れるな!いつの時代も若者は、“本気を見抜く純粋な目”を持っている。
2010年06月17日
勇さんのびわカン日記<産經新聞掲載中>
前田敦子さんが連覇を逃し、大島優子さんが1位を獲得した「AKB48選抜総選挙」…皆さん、このニュース、おわかりでしょうか?簡単に言うと、アイドルグループで公正なファン投票が行われ(昨年も行われ、ちゃんと事前のアピール、政見放送的ビデオまであるのです)、票数によって、次回CDのメンバーになれたり、トップ当選は写真のセンター位置を獲得出来たリというルールの中で、立候補者に当たる純粋そうな(?)少女に結果が言い渡されたという芸能ニュースなんです。
従来のアイドル作りは“その道のプロ”が「これで行こう」とクローズドの世界で決めてきたものだ。それを、この企画のプロデューサー秋元康氏は、「ファンに決めさせよう」という発想転換をして、世の政治ブームにも乗っかり、「総選挙」という強いワードで、熱心なファンの参加意識を煽り、容赦ない勝ち負けを受け入れなければならない少女たちの悲喜こもごもを映し出すことで、一大ブームを巻き起こしたのだ。究極の世論調査でアイドルを決めるというイマドキの感覚、秋元先生、あっぱれ!って感じです。
“その道のプロ”がクローズドの世界で物事を決めていく…これは、芸能界だけでなく、政治の世界でも同じ。その最たるものが代議士制度、ご存じの通り、ニッポンの首相を決めるのに、私たち国民は直接投票できない。ただ、今の政治は世論調査というものに過剰に振り回されて、その分野に大した興味も知識もない一般人の意見を重要視しすぎる傾向があるのではないか?何でも万人の意見を聞けばいいってことはない。“その道のプロ”に任すべきことは多いはず。(ただ、最近、プロの資質と信頼性が落ちていることが問題なのだ。)
例えば『瀬田の唐橋、塗り替え色問題』。一般市民に街頭アンケートを取ったら、「朱色がイイ!」という意見が圧倒的に多かった。理由は「観光地っぽい」「派手」「明るくなる」などなど。しかし、最終的には「有識者」の意見を聞いて、歴史・伝統的背景も考慮して決めるということだ。おそらく、木造色に落ち着くだろう。要するに、あの世論調査は話題作りにすぎず、結局は“その道のプロ” に委ねる方法を取ったのだ。
さて、7.11は『滋賀県知事選挙』。代議士ではなく、みんなの一票が滋賀のリーダーを決める一大イベントである。世論調査的人気投票ではなく、有権者がある程度“その道のプロ”になって一票を投じる選挙にするべきだろう。そのためには、地域メディアもしっかりと選挙情報を伝える必要がある。だからっ!次回の勇さんコラムはお休みさせて頂き、この紙面を“選挙に関する良質な記事”にお譲りしたいと思います。
従来のアイドル作りは“その道のプロ”が「これで行こう」とクローズドの世界で決めてきたものだ。それを、この企画のプロデューサー秋元康氏は、「ファンに決めさせよう」という発想転換をして、世の政治ブームにも乗っかり、「総選挙」という強いワードで、熱心なファンの参加意識を煽り、容赦ない勝ち負けを受け入れなければならない少女たちの悲喜こもごもを映し出すことで、一大ブームを巻き起こしたのだ。究極の世論調査でアイドルを決めるというイマドキの感覚、秋元先生、あっぱれ!って感じです。
“その道のプロ”がクローズドの世界で物事を決めていく…これは、芸能界だけでなく、政治の世界でも同じ。その最たるものが代議士制度、ご存じの通り、ニッポンの首相を決めるのに、私たち国民は直接投票できない。ただ、今の政治は世論調査というものに過剰に振り回されて、その分野に大した興味も知識もない一般人の意見を重要視しすぎる傾向があるのではないか?何でも万人の意見を聞けばいいってことはない。“その道のプロ”に任すべきことは多いはず。(ただ、最近、プロの資質と信頼性が落ちていることが問題なのだ。)
例えば『瀬田の唐橋、塗り替え色問題』。一般市民に街頭アンケートを取ったら、「朱色がイイ!」という意見が圧倒的に多かった。理由は「観光地っぽい」「派手」「明るくなる」などなど。しかし、最終的には「有識者」の意見を聞いて、歴史・伝統的背景も考慮して決めるということだ。おそらく、木造色に落ち着くだろう。要するに、あの世論調査は話題作りにすぎず、結局は“その道のプロ” に委ねる方法を取ったのだ。
さて、7.11は『滋賀県知事選挙』。代議士ではなく、みんなの一票が滋賀のリーダーを決める一大イベントである。世論調査的人気投票ではなく、有権者がある程度“その道のプロ”になって一票を投じる選挙にするべきだろう。そのためには、地域メディアもしっかりと選挙情報を伝える必要がある。だからっ!次回の勇さんコラムはお休みさせて頂き、この紙面を“選挙に関する良質な記事”にお譲りしたいと思います。
2010年06月03日
勇さんのびわカン日記<産經新聞掲載中>
全世界でサッカーW杯のテレビ視聴人口は、述べ260億人ですよ。わけわからん競技がいっぱいあるオリンピックの約5倍ですよ。超一流選手が、お国のために、血相変えて必死にボールを追い掛け回すんですよ。未来永劫語られるスーパープレーが飛び出すんですよ。予選参加国約200って、貧しい国も、ちっちゃい国も、世界中のあらゆる国が、この舞台を目指して予選に参加してるってことなんですよ。どんな国に行っても、サッカーかビートルズの話をとっかかりにすれば、すぐにお友達になれるんですよ。そんな、世界共通の無茶苦茶スゴイお祭りがW杯。日本のことを世界にPRする絶好のチャンス。どうです?応援するべきでしょう!。
若者たちよ、4大会連続出場…この偉業を当たり前に思い過ぎていないか?ストライカー釜本を擁した68年メキシコ五輪での銅メダル以降、日本サッカーは不遇の時代が続いた。そして、やっとプロのJリーグが誕生。そして、カズが泣き、ゴンが地面を叩き、ラモスがうずくまったドーハの悲劇。そして、中田がスルーパスを出し、岡野が決め、落ち武者のような形相で岡田監督と抱き合ったジョホールバルの歓喜。そしてそして、やっと今があるということを忘れるな!。
4年に一度という、人生においても絶妙なタイミングで開催されるW杯。当然、思い出もついてくる…「ドイツの時は、仕事の転機やったなぁ」「日韓の時は、わがままな娘と付き合っていたなぁ」「フランスの時は、京都で毎晩飲んでたなぁ」「マラドーナの10人抜きのときは、自分もマラドーナになれると思ってたなぁ」…W杯は全人類の心に生きている。だから!私は6月14日(月)午後7時から、カメルーン戦直前に、FM滋賀で「日本サッカー応援特別番組」をやるんです!長い番組宣伝で失礼しました。