2年漕手の田中璃央です。1年前のこの時期には何度もボートをやめようと思っていたので、今もなお漕手という肩書きでいることが感慨深いです。

自分は記憶力が良い方だと自覚していますが、それにも限度があります。夕方のポンド脇でサイドステップをするいつかの私の動画を見せられても、全く思い出せなかったからです。結構ノリと勢いと情熱で生きているところはあるので、まあやりかねないなとは思いますがカケラも覚えていないのです。誰と一緒にいたのか。どんなシチュエーションだったのか。どんな気分でサイドステップをしようと思ったのか。楽しくなくてサイドステップをするはずがないので楽しい思い出が無くなったようでもの寂しい思いをしました。サイドステップに限らず、家族で行った場所とか過去の出来事は断片的にしか頭に残っておらず、おなじような気持ちになります。人間なんでまあ完璧に記憶することなんて絶対にできません。過去の思い出をずっと保持しておくなどというのは不可能なことなのです。それでも、私は過去のことを今起きていることのように覚えていたいと思ってしまいます。それはなぜなのでしょうか。過去が無くなったように思えると、フワッと何か冷たい風が胸の隙間を通り抜けていくような感覚になります。これは、先ほどはもの寂しいと書いた感情ですが、別にこの感情を味合わないようにするためという結果論的な感じではない気がします。とりあえず、鮮明に覚えている過去を例に挙げてみることにします。例えば、先日のインカレ準決勝でFAに届かなかったことが挙げられます。あの絶望的な10秒差は今でも悔しいし、確実に今の自分を突き動かす要因の一つになっています。この場合は楽しい思い出ではないですが、楽しい思い出も同様に今の自分が持つ感情の定礎となっているでしょう。つまり、過去とは私を形作る私の行動と思いであり、私が私であることを支えてくれているものなのではないでしょうか。私は基本ネガティブで自信がないので、自分の担保が欲しいという理由で過去を覚えていたいと思っているのかなと結論づけました。

ボート部は息つく暇もないほど、練習が連続しています。ついこの間までそんな「今」と向き合う生活に戸惑っていましたが、今はそうやって生きるのが楽しいです。過去は自分を形作るものだと思うし、思い出は大切にしたいとは強く思っています。しかしそれ以上に、今これから予想もできない面白いことが起きるかもしれないと思えるようになってきました。可能性無限大の今だっ!と考えると目の前の視界が開けて見えるのです。つまずいたりぐらついたりするかもしれないけど、今はボートに夢中で、全力な自分でいたいです。
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