窓から零れてくる陽光に 、一日の始まりを告げるアラームが丁度良く鳴り響く。遠征三日目、最終日の早朝である。
手早く朝食を済ませ、チェックアウトの後本名川へ。昨日とは雰囲気は一変し、テントやステージ、スピーカーが用意されイベント会場そのものといった様相である。
開会式まで時間を持て余していたところで、我がクルーでカヤックやサップの体験をしてみることに。カヤックに乗った筆者、人生初の体験に興奮を禁じ得ない。
乗ってみるとなかなかバランスが取れず、初めてシングルスカルに乗った日が脳裏を過ぎる。始めは沈寸前でビクビクしながら恐る恐る、そしてだんだん感覚を掴み気が大きくなってくるもの。そして沈、というのがスカル合宿のお決まりであったが、今日はレース前、間違っても濡れ鼠で開会式の壇上に立つわけにはいかぬ。
なかなかカヤックというのは難しいもので、普段戸田で見かけるカヌー部の方々の凄さを思い知る。そして何より面白い。初めてというのは、何でも面白いものである。
カヤックに悪戦苦闘する我々の横で、川の反対側では大星と早見がサップで競争を繰り広げていた。早見がレートを爆上げして大星を引き離し勝利。本当に彼は、色々な意味で凄い人だと思う。何と言うか、度胸が違うのである。
ひとしきりはしゃぎ回ったところで、開会式に向かう。
式を済ませ、時間を潰しつつ、お昼のお弁当を頂く。差し入れも頂き、本当に今回の遠征は至れり尽くせりである。多数の方に支えられ、各方面より多大なるご支援を頂いて成り立っている今回の遠征である。この場を借りて皆様に御礼を申し上げます。
時刻になり、出艇。
アップ中、いろいろなことを考える。このクルーで過ごしてきたこの一ヶ月半、更には漕手として皆と艇に乗ってきたこの一年半。楽しさ、怒り、落胆、歓び、悔しさ、数え切れぬ程の感情を、水の上、艇の上で、様々なクルーと共にしてきた。オールを握りしめ、ただひたすらに、自分のためとも皆のためともつかず、一心不乱に漕ぎ続ける、そしてなぜか、それが大きな感動を産む。それが漕艇という競技である。
この競技を、私はまだ殆ど理解していないのだろう。たった一年半という期間で競技の本質が解ったなどとは余りにも烏滸がましく到底放言できるものではないが、一方でその片鱗を知り、その深遠さを少しでも覗くことができたのは、大きな収穫ではなかったかと思う。
何事も、初めは楽しいものである。今日初めて乗ったカヤックのように、ボートも最初に乗ったときはそうであった。試乗会で初めてオールを握った日、クォドに初めて乗った週末の乗艇練習、夏休みに初めて本格的に乗ったシングルスカル、スイープの導入で初めて乗った憧れのエイト…
そしてその楽しさは急速に遠のいていく。なかなか上達しない自分に苛立ち、少し上手くなったかと思ったらすぐにその感覚が逃げていく。体力もそう簡単に伸びるものではない。つらさばかりが募る。なんでこんなことをやっているのか、どうして自分はこんなにダメなのか、こんな状態では皆にも迷惑をかけてしまう、いっそやめてしまいたい…
そんな状態が続く上に、怪我をして満足に練習できない日もある。さすがにそんな日が続くと漕手を続けること自体がしんどくなってくるわけで、いつ漕手をやめようか、なんて考える日も少なくなかった。
しかし、鳴かず飛ばずというのはこういうことを言うのであろうか。いつか報われる日は来る。続ければ続けるほど、楽しみが分かってくるようになる日が来る。それが分かったのは、皮肉にもスタッフへの転向を決めた後であった。
新人戦の期間を振り返ってみると、楽しかったという記憶がまず出てくる。各大会期間ごとに印象がついているものだが(東商戦、京大戦、インカレなど…)、その中でも群を抜いて楽しかった。
初めての同期だけのクルーというのもあったし、コーチの絶大なるバックアップも間違いなくある。しかし、自分がボートの楽しさに気付き始めたというのも大きかっただろう。
そんな状態で選手を引退し、スタッフに転向するというのは、正直勿体ないと感じざるを得なかった。しかし決めたことは決めたことであるし、スタッフとしてやりたいことも山ほどある。自分の選択が正しいかどうかなど、現在の自分には分かるはずのないもの。この選択をしてよかったと、後で言えるようにしておきたい。
……
そんなようなことをぼんやりと考えながら漕ぎ、体力も技術もすっかり衰えてしまった自分を見て、新人戦から約一か月の空白期間の重さを感じるとともに、最後だと、艇の上から見る景色は最後だぞと自分に言い聞かせる。最後くらい楽しんで、終わってやろうじゃないか。
スタート位置につく。艇を止めると、本明川はあまりにも静かである。頭上を飛ぶ鳶の声だけが響く。
レースを終え、帰路へ。
本当に楽しい遠征だった。鹿出の卒業旅行だといつかコーチが言っていたが、言い得て妙というか、正にその通りとも言うべき完璧な遠征であった。
私の選手生活は、こうして幕を閉じた。立場はスタッフに変わるものの、東大漕艇部を強くする、より良いものにするという目標を共にする仲間として、これからの2年間を共に歩んでいければ幸いである。
手早く朝食を済ませ、チェックアウトの後本名川へ。昨日とは雰囲気は一変し、テントやステージ、スピーカーが用意されイベント会場そのものといった様相である。
開会式まで時間を持て余していたところで、我がクルーでカヤックやサップの体験をしてみることに。カヤックに乗った筆者、人生初の体験に興奮を禁じ得ない。
乗ってみるとなかなかバランスが取れず、初めてシングルスカルに乗った日が脳裏を過ぎる。始めは沈寸前でビクビクしながら恐る恐る、そしてだんだん感覚を掴み気が大きくなってくるもの。そして沈、というのがスカル合宿のお決まりであったが、今日はレース前、間違っても濡れ鼠で開会式の壇上に立つわけにはいかぬ。
なかなかカヤックというのは難しいもので、普段戸田で見かけるカヌー部の方々の凄さを思い知る。そして何より面白い。初めてというのは、何でも面白いものである。
カヤックに悪戦苦闘する我々の横で、川の反対側では大星と早見がサップで競争を繰り広げていた。早見がレートを爆上げして大星を引き離し勝利。本当に彼は、色々な意味で凄い人だと思う。何と言うか、度胸が違うのである。
ひとしきりはしゃぎ回ったところで、開会式に向かう。
式を済ませ、時間を潰しつつ、お昼のお弁当を頂く。差し入れも頂き、本当に今回の遠征は至れり尽くせりである。多数の方に支えられ、各方面より多大なるご支援を頂いて成り立っている今回の遠征である。この場を借りて皆様に御礼を申し上げます。
時刻になり、出艇。
アップ中、いろいろなことを考える。このクルーで過ごしてきたこの一ヶ月半、更には漕手として皆と艇に乗ってきたこの一年半。楽しさ、怒り、落胆、歓び、悔しさ、数え切れぬ程の感情を、水の上、艇の上で、様々なクルーと共にしてきた。オールを握りしめ、ただひたすらに、自分のためとも皆のためともつかず、一心不乱に漕ぎ続ける、そしてなぜか、それが大きな感動を産む。それが漕艇という競技である。
この競技を、私はまだ殆ど理解していないのだろう。たった一年半という期間で競技の本質が解ったなどとは余りにも烏滸がましく到底放言できるものではないが、一方でその片鱗を知り、その深遠さを少しでも覗くことができたのは、大きな収穫ではなかったかと思う。
何事も、初めは楽しいものである。今日初めて乗ったカヤックのように、ボートも最初に乗ったときはそうであった。試乗会で初めてオールを握った日、クォドに初めて乗った週末の乗艇練習、夏休みに初めて本格的に乗ったシングルスカル、スイープの導入で初めて乗った憧れのエイト…
そしてその楽しさは急速に遠のいていく。なかなか上達しない自分に苛立ち、少し上手くなったかと思ったらすぐにその感覚が逃げていく。体力もそう簡単に伸びるものではない。つらさばかりが募る。なんでこんなことをやっているのか、どうして自分はこんなにダメなのか、こんな状態では皆にも迷惑をかけてしまう、いっそやめてしまいたい…
そんな状態が続く上に、怪我をして満足に練習できない日もある。さすがにそんな日が続くと漕手を続けること自体がしんどくなってくるわけで、いつ漕手をやめようか、なんて考える日も少なくなかった。
しかし、鳴かず飛ばずというのはこういうことを言うのであろうか。いつか報われる日は来る。続ければ続けるほど、楽しみが分かってくるようになる日が来る。それが分かったのは、皮肉にもスタッフへの転向を決めた後であった。
新人戦の期間を振り返ってみると、楽しかったという記憶がまず出てくる。各大会期間ごとに印象がついているものだが(東商戦、京大戦、インカレなど…)、その中でも群を抜いて楽しかった。
初めての同期だけのクルーというのもあったし、コーチの絶大なるバックアップも間違いなくある。しかし、自分がボートの楽しさに気付き始めたというのも大きかっただろう。
そんな状態で選手を引退し、スタッフに転向するというのは、正直勿体ないと感じざるを得なかった。しかし決めたことは決めたことであるし、スタッフとしてやりたいことも山ほどある。自分の選択が正しいかどうかなど、現在の自分には分かるはずのないもの。この選択をしてよかったと、後で言えるようにしておきたい。
……
そんなようなことをぼんやりと考えながら漕ぎ、体力も技術もすっかり衰えてしまった自分を見て、新人戦から約一か月の空白期間の重さを感じるとともに、最後だと、艇の上から見る景色は最後だぞと自分に言い聞かせる。最後くらい楽しんで、終わってやろうじゃないか。
スタート位置につく。艇を止めると、本明川はあまりにも静かである。頭上を飛ぶ鳶の声だけが響く。
レースを終え、帰路へ。
本当に楽しい遠征だった。鹿出の卒業旅行だといつかコーチが言っていたが、言い得て妙というか、正にその通りとも言うべき完璧な遠征であった。
私の選手生活は、こうして幕を閉じた。立場はスタッフに変わるものの、東大漕艇部を強くする、より良いものにするという目標を共にする仲間として、これからの2年間を共に歩んでいければ幸いである。