こんばんは、大橋春人です。
誕生日でも通常営業。
こいほーよろしく!

今月は現代短歌の到着が大幅に遅れますので、塔4月号を読んでいきましょう。
正岡子規特集だからね、うちのブログでやらないなんてありえないからね。

まずは月集より。

焼かれゆく鮎の口よりしたたれる雫がじゅっと炭の上に落つ(吉川宏志)

方舟にもあったように、牧水賞で宮崎に帰っているときの歌ではないだろうか。歌意はシンプルなんだけど、「鮎の口から」という細かさはとても重要だと思う。


常温といふ飲み方はきらいなり常温などとふ温度はあらぬ(永田和宏)

常温とは、常の温度と書く。となると季節や場所によって変動するわけで、常の温度が常に同じではない。だから「常温などとふ温度はあらぬ」となる。理系っぽいなぁ。
日本酒を連想するけど、この場合何を飲んだかまではわからない。


綺麗ごとでなきことは言つてはならぬこと汝が悪はひそかに善に用ゐよ(真中朋久)

破調の歌。それにしても警句のようだ。人間関係にしても仕事にしても綺麗事しか言えない場面はたくさんあるものね。
ここまで破調しててもなんとか読める。6、9、5、7、4、7のリズムで読んだ。改めて見るとかなり破調ですね。


ダム堤にクリスマスツリー点されて水底の村明滅なせり(小林幸子)

この辺でいうと大川村もそうなのだけれど、ダム建設のために村ごと水没した地域がある。昔の建物がそのまま残されているケースもある。
「水底の村」がキラキラ光るのを見てるわけだが、実に幻想的であり、また、過去の生活を想像させることもある。


青き火を煙草に移すその刹那月のおもてを衛星よぎる(永田淳)

とても小さな煙草に火をつけるシーンと、衛星が月の前を通過している大きな場面の対比がとても面白い。火の青さ、月の明るい黄色っぽい色の対比もあるだろうか。


黒光りする羽根に威風どうどうと夜の道ゆくはゴキブリである(池田幸子)

ぎゃああああいあああああああ。
あいつら道で出くわすと結構堂々としてて腹立たしい。特に冬は動きが鈍くなるから「威風どうどうと」見えてしまう。


そうかチョコは海老茶色か少女のビターな歌にはじかれていつ(上條節子)

同じ塔の会員をこのように詠みこむのはとてもユニークだし、詠みこまれた方は嬉しくもなるだろう。たぶん海老茶さんと上條さんは直接面識はないのだろうが、誌面で読み合う関係というのもいいものだ。


時々は蝶の遺骨を取り出して眺めるようにあなたを思う(川本千栄)

これ、「時々はあなたを思う」に二句目から四句目までがかかってる、という解釈でいいのかな。
「蝶の遺骨」というのは実在しないと思うのだけれど、あるとすればとても細く、脆いもののように思う。それを丁寧に取り出して眺めるようにあなたを思う。「あなた」の大切さが伝わってくる。


ドイツ軍の秘密兵器と覚えをりシュメッタリンクは蝶のことなりき(小林信也)

蝶の歌を続けて。こちらの歌はとても現実的。ググったけど画像までは出てきませんでした。戦闘機みたいだけれど。
人殺しの道具に「蝶」と名付ける。戦争はどうかと思うのだけれど、兵器のネーミングセンスは時々詩的だと思う。


そのむかしプーチンみたいな叔父さんが居て怖かった法事の席に(貞包雅文)

どういうおじさんなのか。痩せてて、目付き鋭くて、スキンヘッドで、柔道黒帯なのだろうか。
その当時プーチンは知られてなかっただろうから、今思えばあのおじさんプーチンみたいやったよね、という回想だろう。


自分の名の上に故のつく想像をする隙はありしが欠詠す(澤村斉美)

欠詠はあまり良くありません。欠詠したことはないけれど、もし欠詠したら塔の中に俺はいないわけで、亡くなったように思われるかもしれないなあ。
お忙しいでしょうけど、一首でも澤村さんの歌を読みたいです。


ハーネスを装着すれば横になるきっぱりとした猫の性格(谷口純子)

猫だからね、仕方ないね。
「ハーネスを装着」ということは散歩に連れて行くつもりだったのだろう。にも関わらず寝やがった。「きっぱりと」してるけど、猫だからね、仕方ないね、としか申し上げられません。


ぱちゃぱちゃと昭和の上澄み二割ほど知りたるのみの昭和生まれよ(永田紅)

12年くらい?「上澄み」という言葉から「ぱちゃぱちゃ」というオノマトペが使われるのは面白い。
「昭和」をテーマにした歌が三首並んでいるが、その冒頭の歌だ。三首とも水にまつわる言葉が使われていて、一連に一抹の寂しさをもたらしている。


鳥取で買いし砂かけ婆の像を明日から職場に置くことにする(森尻理恵)

すごい職場だ。よほど怒りやストレスがたまっているのだろう。前の二首を読む限り理不尽な人事異動があったのだろう。それが「砂かけ婆の像」を置く理由。
同僚はたまらないだろうなぁ。何と声かけていいかわからない。


さて、作品1、永田和宏さんの選です。

オスプレイか鶏にするか迷ひをり賀状進まず晦日となりぬ(田中律子)

今年は酉年だからオスプレイか鶏にするか悩む。でも12月30日まで悩むのもなかなかですね。間違いなく元日には届かない。
オスプレイと鶏を並べるのを面白いと取るかどうかだけど、極端な差があるので面白いかな。


足袋の店舗など継ぐ気あらへんと言いますし、取り敢えずまあ駐車場にでも(川田一路)

京都弁の効いた一首。その前の歌にもあるように作者を含めて三世代で愛用した店を閉める理由がこれ。(三世代というのもすごい。さすが京都である。)
たぶん街中なのだろうけど、駐車場というのが皮肉というか何というか。建物ごと潰すというのもなんと勿体無い…。


あったかいとあたたかいの差 湯気立たぬ程度にぬくいマスターの語尾(白水麻衣)

バーでの会話。確かに「あったかいとあたたかい」には何かしらの差を感じる。言葉にはなかなかしづらいタイプの差ではあるが。
そして「ぬくい」もまた違うのだろう。「ぬくい」というのはより親密な言葉のように思う。マスターとの距離感が伝わってくる。


ほとんどが工藤吉生だつぶやきの相原かろを検索すれば(相原かろ)

エゴサーチ、するよね。そしたら同じ人ばかり自分の歌を引いている。二句目までは個人的に工藤吉生さんに対してはポジティブな感情を持っているととらえた。
ただ、それ以外の人には引いてもらえてない、それはさみしいとも読める。
「つぶやき」だからtwitterだけやけど、ここでもちゃんと引いております。


拍動が耳にひびくを医師に言う短い手紙を手渡すように(黒沢梓)

上の句の実景と下の句の比喩の組み合わせがとてもいいと思った。「拍動が耳にひびく」というのは決して良いことではないが…。
「短い手紙」が特に良い。あまり長く伝えずに要点だけをサクッと伝えたのだろう。


栂ノ尾で急にさびしくなつたなあバスとは常にさういふもので(西之原一貴)
栂ノ尾は京都の北山の方だったか。一度行ったことがあるけれど、バスで行くと本当に寂しくなる。冬の平日だったせいか、乗客は俺一人だった。
下の句は少し難しい。「さういふもの」とは「急にさびしくなつた」ことだろう。と、なると俺の個人的な体験も、栂ノ尾というさみしい地名も置いて読むべきか。
たまたま栂ノ尾でさみしくなり、バスに乗って遠出するといつもさみしさを感じるのだろう。


どうしてもぶつちやけ話になつてゆく口語をぐつと戒めている(毛利さち子)

この歌は口語だけれど、他の掲載四首は文語。あえてこの歌だけ口語にしたのだろう。
作者としては口語を使うと「ぶつちやけ話」になってしまうから気をつけている、ということだ。本当にそうかなぁ。短歌自体「ぶつちやけ話」になりやすいからなぁ。文語だと抑制効くのかもしれないから。


秋よりも記憶の浅い祖母の老い わたしは祖母をとりこぼしそう(永田愛)

認知症だろうか、年齢によるものだろうか。次第に記憶の薄れていく祖母。そんな祖母を次第に「とりこぼしそう」と感じている。「とりこぼしそう」がこの歌のキモで、「祖母の老い」を受け入れられないのだろうか。少なくとも意識して受け入れていないというよりは、心のどこかで苦しんでいるのだろう。


作品1、池本一郎さんの選です。

神隠しに遭いたる人のいるような池田醫院の白壁の罅(数又みはる)

醫院!この正字体の怖さ。かなり古くから運営している病院だろうけど、神隠しに遭った人がいてもおかしくないような病院。ホラーである。そして罅。怖い。
近寄らずに済むのなら近寄りたくはない。神隠しに遭いたくはないから。


「軍隊」とハードワークを称されてユン新監督体制始動す(朝井さとる)

あくまでも軍隊のようなハードワークなのだけれど、ユン監督というおそらく韓国人の名前と軍隊が上手くハマっている。日本人監督ならそうハマらないような気がする。
セレッソは昇格プレーオフを勝ち上がって昇格。現在までかなり調子良いみたいです。


しぐれたる尻無川にカモとサギ中途半端に生きるのもよし(紺屋四郎)

いい意味で中途半端さを歌っている。(歌自体が中途半端という意味では断じてない)
まず「尻無川」。この中途半端な地名。メジャーでは決してない。「カモとサギ」は「…かも」や「詐欺」に通じる。ヘンテコである。


三人が四、五、六階のボタンを押し初出勤のひと日始まる(清水良郎)

二句目がうまくリズムに乗れない。乗れそうで乗れない。それが「初出勤のひと日」の乗れない感覚につながり、各階に止まるエレベーターのうまくいかない感に繋がっている。


なぜロシアケーキといふか知らざれど村上開新堂の扉を引く(白石瑞紀)

前の歌にもあるのだけれど、三月書房の近くにある有名なお菓子屋らしいですね。「ロシアケーキ」の由来は知らないけれど、美味しいと言われているものがそこにある。それだけでいい感じが伝わってくる。


返信用封筒に貼る味気なき切手の裏の糊がひかれり(西村玲美)

「返信用封筒」ということは事務的な要件で出す封筒なのだろう。ということは切手だってコンビニに売っているような普通切手。
それでも濡らして貼ろうとする一瞬、糊が光っているのを見る。わずかな時間を捉えた歌。


たのみたる覚えなけれどクリスマスの朝に子猫が届けられたり(福井まゆみ)

考えられる中で最も素晴らしいクリスマスプレゼントではないですか!!!
「たのみたる覚えなけれど」とはどういうことだろう。いろいろ想像できるが、とにかく三句目からがかわいい。


呻きつつ笑いつつひとを泣かせつつあなたは冬を越えてゆく鹿(大森静佳)

病人を見舞った時の歌。おそらくのっぴきならない状態なのだろう。三句目までで作者と「あなた」に流れた時間で起きたことが歌われる。様々な感情や声が読み取れる。
「冬を越えてゆく鹿」が美しい。冬だから食べるべき草もなく、痩せながらでも生きていく鹿。暗喩はとても難しいが、この歌はうまく飛躍し、着地しているのではないだろうか。


近いうちにその②もやります。