こんばんは、大橋春人です。
そろそろこいほーよろしく!

さて、塔四月号の続きを読みます。
その①はこちら


まずは作品2、花山多佳子さんの選です。


都会では原発銀座と呼ばれおり知らずに受験に明け暮れし日々(藤田咲)

好きな歌と言うよりは、どうしても引いておきたい歌。「原発銀座」なんて控えめに言っても褒め言葉ではない。それを知らずに福井で勉強をしていた日々があった。淡々と感情を交えず書かれているから静かな怒りが見える。


中年となりし弟 少し背を丸めてパンの試食をしている(朝日みさ)

一字空けが効いている。現実として弟は中年と呼ばれる年齢なのだけれど、三句目から歌われる場面は子供の頃のままなのだろう。「パンの試食」がとてもいい。
俺は子供の頃からの仕草と読んだけれど、中年になって猫背になったという読みもできる。それだと一字空けが…。


クリスマスに真っ赤な服を着せてやる醤油の瓶みたいだねえと言う(井上雅史)

「醤油の瓶」!作者が誰かに(おそらく子供だろう)「真っ赤な服」を着せている。子供だとすればサンタの格好だろう。
それを「醤油の瓶」と言われてしまうと親としては悲しい気持ちになる。笑うしかない場面だ。


ひとの眼はおほきな光しか見ない 刃はしづかに夜に研ぐべし(小田桐夕)

「おほきな光」と言うのはおそらく何かの暗喩だろう。例えば社会現象やニュースと読んでもいいかもしれない。それは大勢が見るもの、「おほきな光」と例えられるのだろうか。
それに対して下の句は一人での場面だ。複数人数と私一人。「刃」も暗喩だろう。


ガンダムの肩のやうなるコート着て夫の友の通夜へと向かふ(古賀公子)

「ガンダムの肩のやう」なコートってどんなのだ?
参考画像
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一応バルバトスさんも貼っておきますね。
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「ガンダムの肩」を詠んだ歌というのは初めて見た。バブル期に流行った肩パット入りだろうか。
とすれば、下の句とうまく繋がらない。喪服で「ガンダムの肩」と言われると形状だけを詠んでいる。白じゃないよね?


立ったまま職場で食べる宅配のピザが美味しいクリスマスイブ(佐藤涼子)

四月号は1月20日〆切のため、クリスマスを詠んだ歌も多かったが、これほど物悲しくなる歌はなかった。
「立ったまま」で「職場で食べる宅配のピザ」がクリスマスイブの食事なのだ。物悲しい。
そしてこのピザ、皮肉でもなんでもなく本当に美味しいのだ。だから職場で立ったままというのが効いてくる。
さすがにこんな悲しいクリスマスイブではなかった…。


犬も猫も飼うことはもうないだろう実家の棚に四匹の骨(吉田恭大)

今は独立しているのだが、実家に帰れば四匹の犬猫の記憶がある。たぶん庭に埋められた四匹。その記憶があるせいで、また死んでしまうことに耐えられないからこのように歌うしかないのだ。


手に持ったパンが腕より長いこと抱きしめてはくれないのだパンは(鈴木晴香)

パリ在住、ということでこのパンはフランスパン。それにしても下の句でいきなり感情的になるのはなぜだろう。パンの長さで腕、誰かの腕を思い出したのだろうか。
パンはあったかくもないし、人を抱くこともしない。それでも食べたら美味しい。たぶん。



作品2、栗木京子さんの選に行きます。


富士山が見えているとき富士山のすべてを見ることはかなわないなあ(阿波野巧也)

発見の歌である。確かに富士山ほど(いや、ある程度の大きさの山であれば)大きな山であれば、山梨側から見るのと静岡側から見るのとでは理解が異なる。もちろん平地から見るのと、ビルから見るのと、あるいは飛行機から見るのと、登っている時に見るのと、山頂から見る富士山は全て違う。
さっき、ある程度の大きさの山ならどれでもいける、と書いたが、やはり富士山が一番だろう。歴史的にも、文学的にも、これほど愛された山はない。


おのずからスマホ仕様に進化して右手の親指落ち着きのなし(入部英明)

いや、全くそうなのだ。以前のガラケー時代とはだいぶ打ち方が異なっている。今だって右手の親指で全部やってるからね。ガラケー時代も「落ち着き」なんてなかったけれど、今はなおさら動きが激しい。
それを「進化」と捉えるのが面白い。


広隆寺弥勒菩薩は斜視なるや左の頬はゆるめておわす(岡崎五郎)

太秦の広隆寺の弥勒菩薩は美しい銅像だと思うけど、どうしても指に目が行ってしまう。「斜視なるや」という問いかけが面白い。写真で見る限り眼位まで特定はできなかったが…。
上の句のインパクトが強すぎて、下の句の写実は印象薄目。じゃない薄め。


新しいメガネによってできた顔このテイストでしばらく生きる(真田菜摘)

「よって」が説明的やけど面白い。普通「新しいメガネをかけて」とするだろう。あえてずらしたのだろう。
下の句、確かにメガネの単価は大幅に下がっているが、それでも毎月買うという人はそうそういない。「しばらく生きる」となるのだ。人の顔も塩顔しょうゆ顔なんて言うから「テイスト」も生きている。


浮かせたる肥後菊の花閉じ込めて青磁の鉢に氷張りたる(松竹洋子)

素直な叙景で、とてもいい場面を捉えている。「青磁」と「氷」の色、あるいは透明感が効果的。その中に「肥後菊」が閉じ込められている。冬の朝だろうか、美しい光景だ。結句の締め方も感動なのだろうな。


七五三の記念写真の真ん中は私の顔した私の子ども(吉口枝里)

面白い歌だ。要約すると七五三の写真に昔の私の顔そっくりの私の子どもがいるということ。ただ、子どもの写真を見ることで自分が幼かった頃の記憶が巻き戻ってくるような不思議さがある。


「おまえなんか土に埋めて忘れてやる」五歳の喧嘩の捨て台詞(宇田喜代子)

すごい捨て台詞だな(笑)「土に埋めて」ということは殺害予告みたいなものだが、「忘れてやる」というのが子供っぽくて良い。「忘れてやる」なんて、忘れる努力をしないと言えないし、忘れる努力をするということは忘れることなんてできないということだ。


作品2、前田康子さんの選に行きましょう。


マスクしてプラットホームに並びたり今朝は左のレンズ曇りぬ(宗形光)

風邪の季節、構内で電車を待つ時にインフルエンザをうつされてはたまらないからマスクをする。そうすると左レンズのみ曇る。「今朝は」ということは昨日は右、あるいは両方が曇ったのか。面白いところを見ている。


思う存分睡眠をとることが大人にとってのお年玉と(杉田菜穂)

かなりの破調だ。定型に収まるのが二句目のみ。それだけ破調させても伝えたかったことがこれである。正月休み、寝正月は大人のお年玉。うらやましい(2日から働いていた人)。
普段よほど眠れていないのだろう。盆正月くらいはゆっくり眠っていただきたい。


歩道橋渡れば無敵みたいだな信号の列をはるばると見る(長月優)

この主体はどこにいるのだろう。普通に考えたら歩道橋を渡っている途中だろうけど、「歩道橋渡れば」と仮定になっているので、階段の下から歩道橋を見上げているのかもしれない。「歩道橋渡れば無敵みたい」というのは、あちらに渡ったら私が変わるような感覚があるのだろうか。
上にいるにしても下にいるにしても、とにかく主体は遠くを見ている。「信号の列」ということは街中だろう。
少し物悲しさもある歌だ。無敵になりたいけど、なれないのだろう。


「お客様!」店員のこゑにセルフレジ途中のわれら五人ふりむく(古屋冴子)

セルフレジを通ったことがない。
たぶん大きいスーパーでの光景だろう。何かしらミスかトラブルがあり、店員が「お客様!!」と叫んだら「お客様」である「われら五人」が振り向いた。日常によくあることだが、セルフレジという新しい道具が面白い。


グーグルのマップで今の位置を見るのぞみの中の新たな楽しみ(柳さえ子)

確かに新幹線に乗ってGoogleマップを見ると実に楽しい。自分がどこにいるのか、周りに見える建物は何か。どれくらいの速さで進んでいるのか、次の駅はどこだろう。スマートフォンが普及した現代ならではの歌である。
細かいことだけれど、「グーグル」は「Google」って書いて欲しいです。固有名詞はしっかりと正式表記にこだわりたい。

ちょっと脱線するけど、いっとき「くまモン」の歌が多かった。でも「くまもん」とか「クマモン」と書いてる人もいて、そこはちゃんとして欲しいなぁ、と思うのです。
もちろん俺もちゃんとします。
間違いがあればご指摘ください。


日だまりに目を細めゐる猫のごと梅一輪を刺繍してをり(石丸よしえ)

猫!はこの歌にいません。上の句はすべて明喩。実際主体は刺繍をしている。おそらくは目を細めて。つまり見えにくいのか、少し疲れてきたのだろう。そこで上の句に戻ると少し眠そうな、うとうとしている猫のようだ、となる。無限ループのように読めてしまう歌だ。たぶん刺繍は終わらない。
前田さんは句切れがわかりにくいと書かれているが、句切れなしの歌と読んだ。強いていうなら三句目で軽く切れる感じかな。


作品2、江戸雪さんの選行きます。

不知火というプロレスの技があることをあなたに教えてもらう(川上まなみ)

「あなた」は普通に考えると恋人なのだろうけど、なぜかしんくわさんを思い出してしまった。
「不知火」がいいですね。プロレスの技らしくないネーミングだ。たぶん深夜のプロレス番組を一緒に見ていたのだろう。そういえば昔そういうカップルが身近にいて、彼女さんの方がプロレスに詳しくなるというケースもあった。


夕焼けがこんなにきれい そうだもう白髪を染めることはやめよう(相本絢子)

三句目以降をポジティブに解釈するかどうか。
できたらこれはあるがままをいい意味で受け入れたというふうに読みたい。「白髪」をあるがまま受け入れて、きれいな夕焼けのように自然に生きようという決意の歌ではないか。


きんいろのやはらかなロゴひかりをり洗濯機の上の眼鏡のつるに(岡本伸香)

「洗濯機の上の眼鏡」がいいですね。本当に置いてそうだ。そして洗濯機の中に落として悲惨なことになったケースを何件か見たけれど。
「きんいろのやはらかなロゴ」。意外とありそうでないのです。レイバンはシルバーだし。なんとなくですが、あまり派手な眼鏡ではないように思う。


新しい本屋ぐるぐるまわりおり北欧の家具のごとき本屋を(廣野翔一)

「北欧の家具のごとき本屋」とはどんな本屋だろうか。北欧の人はかなり大柄だから家具もおそらくかなり大きいだろう。と、言うことはとても大きい本屋で、かつ北欧のイメージからオシャレな本屋でもあるのだろう。
置いている本も小洒落たものが多く、目移りするから「ぐるぐるまわりおり」となってしまう。


同僚に勝手にしろと言うた日は猫のポーズがうまくできない(山名聡美)

この歌のカギは、「言うた」という方言めいた言い方と「猫のポーズ」だろう。
「勝手にしろ」は怒って発した言葉。だからつい地元の言葉「言うた」が出てしまうのだろう。「猫のポーズ」と言うのは可愛らしいポーズか?怒ってるのも猫っぽいが…普段は猫を被っているということ?まさか。


わが母へ弁当配るコンビニの店長の推すおせち予約す(柳村知子)

コンビニは老人?に弁当を配る業務もしているのか。まずはそれに驚いた。単純に「コンビニの店長」が「母」や主体と親しいから弁当を届けてくれるだけかもしれないが。
そしてコンビニでもおせちを売る時代。ノルマのきつさが最近よく話題になるが、これもまた現代のご近所付き合いなのだ。


詩がみえるように頭を空にして一人で歩くように働く(吉岡昌俊)

この「空」は「から」か「そら」か。普通なら「から」だろうけど、「そら」とすると詩的だ。
下の句、働くのは多くの場合他人との関わりが(面倒だけれども)ある。でも「詩がみえるように」「一人で歩くように働く」。仕事しながら短歌のことを考えられる時間は時に至福だが、なかなかそうはいかないのが悲しいところ。


残りはその③で。水曜日か木曜日に更新したいところ。