おはようございます。大橋春人です。
塔4月号を読む、その③です。

その①

その②

作品2、永田淳さんの選です。


掌の中で死んだよと言えばその瞬間軽くなったかと子は尋ねたり(谷口美生)

飼っていたツバメの死をテーマにした一連の最後。「軽くなったか」と問うのは、魂のぶん軽くなったか、ということであろう。子供らしい好奇心と取るか、悲しみの表現ととるか。


元恋人の姓とわたしの名をつなげググったら出てくる犯罪者(田宮智美)

不覚にも笑ってしまった。「元恋人」ということは、その苗字になる可能性もあったということ。今に満足できず、もしそのありえた未来だったらどうだろうとググったら犯罪者が出てくる。嗚呼。


月曜の一校時目に授業在り水割りを飲み日付の変はる(佐藤和彦)

「一校時目」という見慣れない言葉が気になる。宮城ではそう呼ぶのか。
作者は学校の先生。日曜の夜の日付の変わる瞬間、寝られないのだろうか、水割りを飲んで無理やり寝ようとしている。少し物悲しい。


花束を抱えてしまってスマホなど使えないんだぼくだけを見ろ(徳田浩実)

「花束を抱えてしまって」いるのは誰だろうか。相手か、それとも「ぼく」か。個人的には見て欲しい誰かが花束を持っているからスマホを見れない、そのぶんぼくを見て欲しい、という呼びかけとして読んだ。


夜の卓に本読みをればカメムシは我が物顔に誌面を歩む(古谷智子)

やだなぁ(笑)
まだゴキブリでないだけマシかも知らないけど、これはこれで気分の良いものではない。集中している時にあの緑色が視界に入ったら集中だって切れてしまう。


「くつしたちゃん」と呼ばれる猫の靴下に長いものあり短いものあり(高松紗都子)

猫に「くつした」と名付けることはしばしばあるけれど(やったことあります)この歌の読みどころは下の句、「長いものあり短いものあり」。たくさん「くつしたちゃん」がいるんですね。かわいい。


作品2、小林幸子さんの選です。


都会的叙情はたとえば屋上であらたな階段に出会うこと(石松佳)

最近気になる塔の人の一人。この歌すごく好きです。地方都市在住、田舎勤務の俺にとってこの「都会的叙情」はとても眩しい。
確かにビルの屋上に行くと、どこに通じているのかわからない階段を見かける。マンションにもあるだろうか。そういう階段を見るたび、好奇心がムクムク湧いてくる。
他の歌も比喩が効いていたり、出てくる小道具がとてもユニーク。


被災地に住むのはほんの二、三年それで自分に何ができるか(山上秋恵)

被災地に行ったこともなく、行く予定もない俺がこういうと傲慢なのだろうけど、現地に住み、このような歌を作ることが大事なのではないだろうか。
そしてその土地を離れた後にも考え続けること、行動することが大事だと思う。
東日本大震災の被災地にも、熊本地震の被災地にも行ったことはないから、今自分にできることをしていきたいと思った。


言ひよどむ仕草のうちにわれはいま他人であると気づかされたり(濱松哲朗)

誰かと一緒にいる場面。相手は「われ」にとって気の置けない、他人とは呼べない相手だと思っていたのだけれど何かを言い淀んだ場面でこの人も他人でしかない、と気づかされる。
近しい関係と思っていればいるほど傷ついてしまうのだ。


撮鉄に乗鉄にまた或るひとは酔鉄と言うわたしは詠鉄(大野檜)

現在特急いしづちで松山に向かってるので引いてみた。鉄ヲタという人種にもさまざまな人がいて、「酔鉄」は初耳だが、電車でお酒飲むのが好きな人の意味?面白いな。
詠鉄という言葉も造語だが、結構鉄道好きな歌人は多い。塔だと真中さんも以前鹿児島市電を詠まれてましたね。
私も好きです。ことでん詠んだし。


どの家も日の丸掲げ少年の日の元旦は美しかりき(坂下俊郎)

便利になった、と言えばそうかもしれない。が、昔の元旦の静けさはもうない。スーパーでも大きいところは普通以上に長い時間の営業をしているし、コンビニは通常営業だ。正月気分なんてない。ちょっとノスタルジーに浸りすぎにも思えるけど、33歳にも実感はある。


一月も四日となれば新年の緊張忘れて口喧嘩する(服部知子)

四日になればこうだ!三日くらいまでは新年感あるのだけれど、四日になれば通常営業である。つまり、普段通りの口喧嘩もしてしまう。
いつもの口喧嘩に「新年の緊張」を絡めたのは面白いと思った。


二百円 角川文庫の色褪せた『心的現象論序説』買う(山下幸一)

京都の百万遍の古本屋の場面。吉本隆明の古本が置いたある。前の歌で「再会せしは」とあるので、昔読んだことがある。
もちろん『心的現象論序説』自体は今でも新刊で手に入るが、「角川文庫の色褪せた」本でなくてはならないのだ。その当時に戻されて行く感覚がある。


若葉集は三井修さん。


フランスは遠くなければスカイプで交はす話のとりとめもなし(高橋ひろ子)

もちろん肉体的な距離で言うならば、フランスはとても遠い。だが、スカイプがあればいつでもコンタクトを取れるし、とりとめのない話もできるから、「フランスは遠くなければ」という実感に至る。
細かいところではあるが、googleマップの時も書いたけれど、Skypeと表記してほしい。


限界は幻界にしてああ窓を昏くかがよふキリンが通る(有櫛由之)

難しい歌だが、これは心象風景と読むべきだ。疲れから「限界」に来て、そのまま「幻界」に移行していくのだ。窓は普通にそこにあるのだけれど、もしかしたら何かの影がキリンのように見える。現実と非現実がまぜこぜになっている。


机机机机机机机ドアは二つだ教室3Bの間取り(川又郁人)

「机机机机机机机」の羅列。高校だと、大体縦一列で7つくらい机があったように思う。7×6くらいかな。
教室の間取り、と言われてしまうとそこまでだけれど、机×7のインパクトは強烈だ。荒いと言えばかなり荒い表現だが、面白い。


お雑煮に餅二切れを入れながらそうかSMAPはもういないんだ(中井スピカ)

正月の風景と年末で解散してしまったSMAPの取り合わせ。当たり前にいたグループが当たり前の正月にいない寂しさがある。


そういえば、ここでも星が見えるって伝えたくなる(誰に)誰かに(山口蓮)

「(誰に)」は自分で自分に問いかけているのだろう。仕掛けとしては岡井隆風で面白い。それ以外は青春の歌で、無難な仕上がりだろうか。この「(誰に)」で歌を引き締めているように感じる。


早押しのクイズのように目覚しをとめた後には間が二秒あり(中西寒天)

面白いのは二ヶ所。目覚まし時計の止め方を「早押しのクイズのように」と例えたこと。ふたつめは、止めたあとの間「二秒あり」というリアリティ。すぐ布団から出た、では面白くない。一瞬布団から出たくない、二度寝したいという気持ちがあっての「二秒あり」ではないか。


今回は少し少なめですが、この辺で。
その④では時評、散文、新樹集、特別作品を読みます。