【東京新聞/金嬉老事件】在日コリアンへの差別が動機だった 学生たち「過去の事件ではない」「現代は当時よりも排他的」

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201802/CK2018022002000254.html

 1968年、在日韓国人の金嬉老(キムヒロ)元受刑者が男性2人を射殺後、人質を取って寸又峡(すまたきょう)(静岡県川根本町)の温泉旅館に立てこもった事件から20日で50年。県内の在日コリアンの大学生らが14、15の両日、事件の現場を訪れ、当時を知る人たちから話を聞いた。在日コリアンへの差別が動機だったが、半世紀後を生きる学生たちは「過去の事件ではない」という思いをかみしめた。 (佐藤浩太郎)

 学生ら九人は、差別やマイノリティーについて研究する静岡大の山本崇記(たかのり)准教授(38)がまとめる学生団体「日朝学生青年交流会」の活動で訪問した。

 金元受刑者が立てこもったふじみや旅館(廃業)を見学した後、事件当時、警察や報道機関の宿舎になった翠紅苑(すいこうえん)で、経営者の望月孝之さん(72)と、孝之さんの父親で前経営者の恒一さん(百歳)に話を聞いた。

 ふじみや旅館から百メートルほど坂を下った翠紅苑には防弾チョッキを着た警察官らが昼夜を問わず出入りし、従業員も何人が宿泊しているか分からないほどの混乱ぶりで、二人は対応に追われた。旅館のベランダからは立てこもる金元受刑者の話し声が聞こえたという。

 金元受刑者は報道陣に「刑事から『朝鮮人じゃないか』とけなすようなことを言われ、心が煮えくり返った」などと事件の動機を語り、県警の刑事や本部長を指名し、テレビを通じて謝罪させた。学生の一人は、民族差別を訴えた元受刑者の姿が「当時の寸又峡の日本人にはどのように見えたか」と孝之さんに質問した。

 孝之さんは、遅くとも昭和初期から寸又峡には、発電所の建設などに従事した多くの朝鮮出身者が住んでいた事情を説明。「彼に同情的な気持ちと、犯罪者として捉える気持ちが半分半分だった」と明かした。恒一さんは筆談を交えながら「(寸又峡が全国に宣伝されたという意味で)プラスになったことの方が多かった」と答えた。

 朝鮮半島にルーツを持つ静岡県立大四年、米沢美侑(みゆう)さん(23)は「在日コリアンへの差別は今も続いている」と指摘。金元受刑者の訴えは「たとえ多くの人に響かなかったとしても、救われた人はいたと思う。今の自分も励まされる部分がある」と話した。

 これに対し、同大四年の望月直人さん(22)は「差別に立ち向かったことより、人を殺したり、脅したりした事実の方が先にくる。必要な訴えだったと思うが、他のやり方もあったのでは」と語った。

 在日コリアンの静岡文化芸術大一年許松大(ホソンデ)さん(23)は「在日にとって事件を過去の出来事として無視できる人はいない」と強調。ヘイトスピーチがはびこる現代は当時よりも排他的で「差別の強度がより高い」と感じている。「今、同じ事件が起きれば、もっと極端な意見が出て、溝がさらに深まる。半世紀たっても世の中は変わっていない部分があると思う」

<金嬉老事件> 1968年2月20日、在日韓国人の金嬉老元受刑者が静岡県清水市(現静岡市清水区)のキャバレーで暴力団員2人を射殺後、ライフルと約100本のダイナマイトで武装し、寸又峡温泉の旅館に13人の人質を取って約88時間立てこもった。75年11月に最高裁で、殺人罪などで無期懲役が確定。99年に仮釈放され、韓国に帰国した後に殺人未遂事件を起こし、有罪判決を受けた。2010年3月、前立腺がんで81歳で死去。



アスラン
差別差別って自浄作用も反省も無けりゃそりゃ区別もされるわ
自分の主義主張を通すためにはテロも辞さないと…
…やはりお前ら朝鮮とは相容れないわ


キラ
パヨクと一緒だな
自分達が正しい!だから何やっても許されるの精神
テロリスト以外の何者でもない


シン
実際は差別でもなんでもなく
ただの殺人犯が人質とって立てこもった事件

元々粗暴で犯罪を数々おかしてたのを 差別がーと供述しただけなのに
マスゴミが差別がーと騒ぎ立てた事件


レイ
戦前から渡米した日本人、
日系人が差別受けてたけど犯罪犯したって聞いたことないわ
都合のいい解釈してんじゃないよ


ぽるぽる
ハワイで差別された日本人はその後に立派に成功したけどな。
日本が嫌なら出て行けばいいだけなのになんでこんな事件を起こすんだよ。
だからバカチョンと世界中で呼ばれるんだよw

いくら自分の奥さんがケチでお小遣いくれないからって
特亜のロビー団体から遊ぶ金欲しさに大金受け取って反日やるとは
アメリカの反日議員も少しは自分を情けないと思うべきだよな。



横浜タイヤ
こんなクズ民族の朝鮮人や中国人なんかのために
正義面して日本を悪者に仕立て上げ
太平洋戦争した挙句、
GHQ政策で天皇陛下から下は庶民の赤子までを
クソ外道扱いしたアメリカの民主党の
特亜と共産主義に対するバカ正直とお人好しも大概だよな。


金嬉老事件

金嬉老事件(きんきろうじけん、キムヒロじけん)は、1968年2月20日に在日韓国人二世の金嬉老(きんきろう(キム・ヒロ)、改名後の本名:権禧老(クォン・ヒロ)、1928年11月20日 - 2010年3月26日、事件当時39歳)
が犯した殺人を発端とする監禁事件である。寸又峡事件とも呼ばれる。

帰国後

1999年9月7日、韓国政府から助力を得て、釜山にて新生活を始めた。本名を金嬉老から権禧老に再変更し、1979年に獄中結婚した女性としばらくして同居するようになる。2000年4月13日、韓国国民として国政選挙に投票して主権を行使した。
4月25日、夫人が生活定着金など4750万ウォンもの現金をタンスや権の銀行口座から引き出して逃走、窃盗と私文書偽造の容疑で指名手配され1年5ヶ月逃走後の2001年9月25日に夫人は逮捕された。

2000年9月3日、講演会がきっかけで内縁関係になった愛人の夫の殺害を計画、凶器を持って押し入り乱暴を働いた上に家の中に火を付けて、夫への殺人未遂と放火および監禁事件を引き起こし、
シャツとズボンに被害者の返り血が付いたままの姿で現行犯逮捕され服役した。そのため、韓国での金嬉老の人気は地に落ちたという。