ピロン。通知が来た。千菊さんからだ。背筋がシャキッとする。忙しい千菊さんが、わざわざ俺に。こう言うと反省してないようだが、俺の欠点を延々と指摘する、千菊さん特有の厳しさも、いつしか日常になった。
ピロン。今度は金谷さん。さっきの相談に、もう返事をくれたみたいだ。金谷さんは兄貴そのものだった。上の兄弟がいない俺にとって、こんな兄貴がいたらよかったのにと、困ったときには、この人に相談すれば何とかなるだろうと、そう思えた頼れる兄貴。
2人とも、ずっと、ここにいると思っていた。
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金谷さんは、俺が最も早く知り合った陸上部員だった。最後のインターハイで失格し、引退後の切り替えができずにいた時。勉強に身が入らず、ひたすらツイッターをクルクルしていた俺を見つけてくれた。
陸上の呟きをする度にリプで絡んでくる、アニメアイコンの謎の東大生。しきりに東大に勧誘してきた。その時から数えると、丸3年の付き合いになる。予期せぬ1年の延期があったが、金谷さんは浪人中も、頻繁にリプライで励ましてくれた。
合格発表があった、3月10日午後0時。自分の番号を見つけた、合格したとツイッターに投稿した、その2分後に、LINEのQRコードと一緒に、金谷さんからDMが来た。
「東大合格おめでとう!次は関カレ!」
応援部もびっくりの青田買いである。選択肢など、あってないようなものだった。後悔しかなかった高校陸上。俺は絶対に、あんな場所で終わる選手じゃないはずだ。
もう一度、この脚で、全国の舞台を掴み取ってやる。そう誓った俺の、返す言葉はもう決まっていた。
「越國太貴です。よろしくお願いします」
19歳。大学陸上の世界に、足を踏み入れた。
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千菊さんは、研究が忙しいらしく、頻繁には練習に来なかった。時々、一人淡々と、長いこと歩いているのを見た。博士課程の研究と並行し、独自の理論に沿って、詰将棋みたいに練習をする千菊さん。アスリートのひとつの究極形だった。
今でも鮮明に覚えているのは、1年生の11月。爽やかな風が吹く秋の日。その日のメニューは4000×4。普段、長い距離は見慣れている競歩パートでも、思わず目を疑ってしまうような、過酷なロングインターバルだった。
その日は珍しく、千菊さんがいた。弱った。垂れれない。とりあえず、1km4分45で始めよう。4分30はちょっときついけど、そのままラストまで行ければ、関カレ標準ペースも上回っているし、十分すぎる効果だ。
最初の2本は楽だった。よし、次も同じペースで行ける。そう思って入ると4分40だった。問題はない。体が温まって少し速くなっただけ。最後、4本目は頑張ろう。もう12km歩いた。あとたったの10周で完遂だ。やってやるよ。そう思ってスタートラインに立つと、今まで別練習をしていた千菊さんも横にいた。
一緒に4分30で入って、2000までは行けた。なんだ。できるじゃないか。強くなったな。そう思った矢先、フッと足が止まった。少し遅れた。ダメだ、ズルズルと落ちてしまう。3本目まではいけたし、妥協点かな。そう思うと、前から言葉が飛んできた。
「何してる、まだ4分半」
歩きながら振り返り、手招きする千菊さん。そうだ。ペースは上がってない。まだ練習は終わってない。キロ4分30、1周1分48で、10kmを完歩しないと、3月の全日本競歩には行けない。もう一度ギアを上げた。息が上がり、心拍計は200を叩く。それでも、前を行く高い壁に、合わない歩幅に、必死に速度だけは合わせて歩いた。
スマートウォッチのログを見返すと、ラスト5周の記録も残っていた。
1'48-1'48-1'47-1'45-1'41 maxHR:206
その日の練習後、千菊さんに、初めて褒められた。
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金谷さんの、35kmへの挑戦は、最初は嫌々なように見えた。
20kmと35kmが開催される、3月の全日本競歩の、35kmの標準は切れていたけれど、20kmは切れなかったからだと、そういう理由だった。とはいえ、遠征に行くためなんていう理由で、おいそれと目指せるような種目ではないはずだった。少なくとも俺は、そんなことになっても、35kmには出ないと思う。歩き切れる自信が全くない。
程なくして、金谷さんから、某ビジネスホテルの愚痴を聞かなくなったことに気づいた。長いことやっていた朝バイトを、朝練のために辞めていたらしい。2部練。今でこそ、俺もできるようになったが、通常練習でヘトヘトになるのに、追加でその日に自主練なんて、当時の俺には信じられなかった。
取り憑かれたように練習していた金谷さん。設定もピッタリで、それでも満足せず、試合の方が辛いんだからと、気を緩めているところを一度も見なかった。
迎えた3月16日。全日本競歩能美大会。俺の20kmは遅めのスタートだったので、会場に着いた時には、35kmの試合は佳境だった。そこに、冷たい雨が降る道路を、ものすごい顔で歩く金谷さんがいた。軽く応援の声をかけ、アップへと向かった。
俺がスタートする直前。アップが終わって控え室にいた頃、夏子さんから、金谷さんが8位になったことを聞いた。日本選手権での入賞。一気に胸が熱くなった。
俺の試合はダメだったけど、迎えてくれた金谷さんのいつもの顔からは、一つ大きなことを成し遂げた自信が溢れ出していた。この大会に来られて、金谷さんの勇姿を見られてよかったと、心から思った。
アスリートとしての金谷さん。その姿は、脳裏に焼き付いて、今でも俺の歩く指針になっている。
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全日本競歩を終えて、2年生になった俺は、20kmシーズンを終えて、一回り強くなった。冬に積み上げた距離と、春の暖かい空気は、スピードを底上げしてくれる。
4月の練習で、1000mのインターバルをしたら、4分15がサラッと出た。おっ、これは強い。4分30がやっとだった冬前を思えば、目をみはる成長だ。
5月に控える関東インカレでは、俺より強い人たちと一緒にレースできる。そこで、全カレの標準を切れるんじゃないか。誰もが憧れる大会の、そのA標準は42分00。1000m4分10のペースで、10000mを歩けば切れる。俺も全国にチャレンジしてみたい。
とはいえ、いきなりスピードが上がっても、敢えて獲得しようとは思わずに、思いがけず得た力を、どうしていいのかわからない。とにかく速くやればいいんじゃないか。それしか思いつかなかったし、短い距離を、速く歩く練習をしたら、確かに速く歩けるようになった。4分10もこんなもんか、と思った。
しかるに関カレは惨敗だった。4分10で、3000mまでしか行けなかった。全カレには遠く及ばなかった。できると思ったことができない、情けなさともどかしさ。関カレ2部3位という、輝かしく見える成績の裏に、悔し涙が滲んだ。
クヨクヨはしない性分なので、頭の中には次を見ることしかなかった。七大戦5000mW。20分台前半でも、得点すら怪しいタフな試合。19分台を出そう。出して優勝しよう。そう思って、関カレの結果報告にそう書いた。
その日の夕方、千菊さんから、びっくりするほど長いラインが来た。一言で言うと、見通しが甘い、ということへの指摘だった。かなり堪えた。七大トップと俺の間にある差は、数ヶ月で埋められるようなものではない。もし、埋められるほどに、俺が早く成長できるとしても、その目標は、成長した結果、後に上方修正するべきものだ、と。
1000mが速くても、10000mが速くないと何の意味もなかった。関カレで垂れたのは、設定ペースが実力に見合わなかっただけ。俺は、七大戦の得点圏外で、眼中に入ってもいない。数々の、見て見ぬふりをしていた、厳しい自分の現実。目を逸らしたままでは、お前はこれ以上強くなることはできないと、そういうメッセージだった。
10000mW 41:44.41
それからの俺の成長の日々は、今の俺のこの記録が、どんな文章よりも、雄弁に語ってくれるだろう。
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千菊さんみたいになりたかった。とにかく理論。強くなるために、何をすべきか。自分を分析し、制御し、確実に結果に結びつける。最後の年で全カレを手にした千菊さんの笑顔。夢を追うことの重さと、叶える喜びを、最後のわずか2年の間に、その背中で教えてくれた。
金谷さんみたいになりたかった。負けん気とポジティブさで、どんなことでも乗り越える。大学から競歩を始めて、フルマラソンを完歩した金谷さんの力強い足取り。俺にはまるで想像もつかない過酷な道程を、いつもの顔で踏破した。金谷さんは、凡庸だなんていうけれど、間違いない。歴代の名だたる選手に並ぶ、憧れの先輩だ。
いつしか気づいた。俺は2人にはなれない。千菊さんみたいに、涼しい顔で信じられないほど重い仕事をこなすことも、金谷さんみたいに、ガッツで過酷な試練を強かに乗り越えていくことも、結局できなかった。でも、2年間で、俺にしかできないことも、たくさん見つけることができた。同じようにはできなくても、学んだことを少しずつ消化していった。
そして今。入部を決めたあの日、心に誓った全国の舞台の、その切符はこの手の中にある。
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金谷さんが、3時間寝坊して、結局欠席したこと。
千菊さんが、当たり前のように、召集終了ギリギリに登場すること。
雨の日のロング練習で、金谷さんが何回もトイレ離脱すること。
宿泊所の布団から、千菊さんの足がはみ出すこと。
遠くに犬が見えるだけで、金谷さんが引くほどビビること。
先輩と過ごした時間の全部が、下級生としてこの場所で過ごした俺を、ここまで成長させてくれた。どんなに心強かっただろう。俺より進んだところから、いつでも声をかけてくれる。導いてくれる。この先もずっと、その背中に引っ張られていたかった。
もうじき、俺は3年生になる。いつまでも後輩ではいられない。ここで、2人の背中を見送らないといけない。こんどは、後ろに続く後輩たちを、俺の背中で引っ張らないといけない。偉大な先輩たちが、一人一人何かを残して去っていく。先輩たちと同じように、後輩に財産を残す。そんな、かっこいい自分を想像することは、まだできない。
それでも、トラックに向かう。自分の進むべき道を、自分の脚で進むために。2人と一緒にいられるのは、あとほんの数ヶ月だ。もう俺は、先頭で歩く覚悟を決めないといけない。遥か上の世界の選手達を、何度も憧れた、いつか見てみたい景色を、ひたすら追いかけて、歩いて、歩いて、どこまでたどり着けるだろう。
俺が歩いて行く先の景色と、その足跡が、いつの日か、憧れの2人と同じように、後輩を導く標になることを願う。