東京大学陸上運動部ブログ

現役部員が競技生活・日常生活を思い思いに綴ります。

30.競歩は「自由」根津@歩3

突然ですが質問です。
Q.皆さんは今「自由」だと感じていますか?

そもそも「自由」とは何かから考えてみましょう。寝たい時に寝る、食べたい時に食べる、多くの人が自由とは何かと聞かれるとそういったことを思いつくと思います。

ところがカントは「自由」を次のように定義しています。
「自由」=自然法則や生理的欲求を押し切って自分の意志を通すこと。
これではよくわかりませんね。

生理的欲求とは寝たい、食べたいといった欲求のことです。

つまり、カントの言う「自由」とは、「眠たいのに二度寝せず(生理的欲求を押し切り)、自分の意志で1限に出席する」とか「食べ放題の店でもうお腹いっぱいで何も食べたくないのに、自分の意志でデザートを無理矢理食べる」とか言うことだと思います。

申し遅れましたが、競歩3年の根津駿介と申します。これ以降カントは出てこないのでご安心を。

冒頭の質問に対する自分の答えは以下のようになります。
A.僕は「自由」です。
どうしてそう言えるか例を挙げてみます。

例1.目的地が駅から徒歩60分のところにあるとします。ここで普通はタクシーに乗って楽をしたいと考えるわけです。

しかし、タクシー代を節約したいという強い意志を持てば、目的地まで歩いていくということになるわけです。

これはケチではありません。「自由」です。


例2.競歩の場合を考えてみましょう。5000mWのスタートラインに立ちました。さあ、早くゴールするためにはどうしたら良いでしょうか。

ルールがなければ、もちろんフライングしてスタートし5000mベントニーとロスオブコンタクトをしまくって走りたいと思うわけです。(生理的欲求っぽいもの)

しかし、そこで自分は膝を伸ばし、足を浮かさずに歩くんだという強い意志を持って歩けばそれはとても「自由」です!

ということで、僕は競歩をはじめて究極の「自由」を手にしたということです。これからも「自由」に陸上をやっていきます。

次回す人は後でコメントに書きます。


29. 結果の先に 近藤@長チーフ

こんなことを考えざるを得なかったのは大学2年の時だ。

小学3年から陸上競技に打ち込んできたが、どのステージでも満足いく結果を残すことはできなかった。だから「高校で結果を残す」「大学で結果を残す」と未来の可能性にかけて競技を続けてきた。

全中に出られなくてもインターハイに出られれば結果オーライ。インターハイに出られなくても箱根駅伝に出られれば結果オーライ。
要は、過去より未来においてより良い結果を残せるかどうか、で自分自身を評価していた。

しかし大学2年の冬、関東学生連合内での選考レースに敗北した。当時の規定では残り2年の箱根駅伝本戦の出走権も事実上なくなった。
※今は規定が変更されて出走権はあります。

「次がない」というのは初めての経験だった。結果至上で取り組んできた自分にとって、箱根駅伝に出ること以上のことが成し遂げられない限り存在価値はなくなり、過去に囚われ続ける。しかしたかが箱根駅伝なんぞに囚われて人生棒に振る自分はもっと嫌だった。根本的に競技に対するマインドを変える必要があった。

これ以上結果を残せないなんて価値がないと思いつめていた時、周りを見渡してみた。これまでも変わらず自分のことを応援してくれる人や気にかけてくれる人がいた。一連のドラマに共感してくれる人がいた。結果の価値なんて自分が勝手に決めてるだけで大事なものは他にもあるはずだ。結果というのはその先にある共感や感動を呼び起こすための手段に過ぎないのだ。こう思えて少し楽になった気がする。

そう考え直したからといってやることが変わるわけじゃない。でも、自分が競技を通して周りに何ができるのかを考えられるようになった。色んな人の有難さが身に染みるようになった。過去に囚われないありのままの自分を受け容れられるようになった。

結果の先にあるものを認識しておくことは、結果に拘らなくても良いというわけではない。でも心のどこかでそういう考えを持っておくと、自分や仲間の頑張りを素直に受け容れられる。人とのつながりをより強く実感できる。人生そのものがより色づいてくる。これが3年半で一番学んだことだ。


明日がチームとして走る最後のレースだ。ここまで3年半多くのものを与えてもらった。しかしそろそろ肩の荷を下ろしたいという気持ちもある。終わりとしてはこの上ないベストタイミングだ。ラスト1回の「チームのために」かつてない力をもたらしてくれるだろう。結果の先にどんなにドラマが待っているのか。確かめに行こう。

正解とは 油井@長4



陸上に絶対的な正解はあるか。


最後の予選会に出られないかもしれない。そんな一抹の不安が確信に変わったのは選考会のレースで残り一周を切った時だった。15kmまでで前をいくボーダーの人々には離されていたが、最後の一周でゆるりと上げれば内定圏まで行けるだろうと考えていた。しかし異変に気付く。思ったほどには体が動いてくれない。おまけに差し込みにまで襲われた。ペースを上げるどころか保つのがギリギリという状況で、特に巻き返すこともなくレースは終わってしまった。結果として補欠一番手。本番での出走権は失われた。


最後のブログ。書きたいことは色々あるけれど、いざ文字に起こしてみると全てが自分の言葉でないように感じられてしまった。この四年間で積み上げてきたはずの哲学も、言葉にすれば嘘に変わってしまいそうで怖い。単に文才がないだけだと思いたいところだが、胸を張って何かを語るに値する四年間ではなかったのだと、心のどこかで感じているのかもしれない。いや、果たしてそうだろうか?


陸上に絶対的な正解はあるか。

ある時からそんなことばかり考えるようになった。トレーニング論に完成形は存在するのか。理想のフォームとは存在するのか。最も記録が狙えるレース展開とは?最善の生活習慣とは?
考えうる全てのパラメタに関して最高値を叩き続ければ、文字通り100%の正解が得られるだろう。
なんだ、簡単なことじゃないか。常に最高を目指すだけでいい。

もちろん現実にそんなことは起こらない。正解と言っても、実際に現れる正解とは鉤括弧付きの正解である。

時に、正解とは目標に言い換えることができるかもしれない。目標は、そこに挑む人間を選別する。
全カレ出場、関カレ出場、対校戦出場、自己ベストの更新、怪我からの復帰、など。目的地も異なれば、そこに至る難易度も異なる。どんな目標を目指しても構わないが、到達点を決めた瞬間から様々な壁が立ちはだかる。「お前にこれを越えられるのか?」と言わんばかりに。挑戦の果てに待つのは、途中で挫折するか最後まで上り詰めるか。その二つしかない。

全カレ出場という大きな目標には門前払いをくらった。関カレ出場という目標には少し手が届かなかった(?)。対校戦には運よく出させてもらった。自分の器をなんとなく測ってみると、掲げるべき目標は自然と決まっていた。残酷なことのように思えるが、個々の能力差が明確に現れる世界なので仕方ない。そして、目標の大小が良し悪しに直結するわけでもない。そこで掲げた目標は、間違いなく自分にとっての正解だ。

時に、正解とは道に言い換えることができるかもしれない。道は、そこを歩いてきた自分を語る。

この大学四年間で自分が歩いてきた道は、果たして道と呼べるようなものだっただろうか。確かに、最後の2年間で見せた成長の軌跡は、自分の後ろにはっきりとした道を残してくれたと思う。しかしさらにその後ろ、一二年生の時を振り返ると、大したことはできなかったなと言わざるを得ない。胸を張って何かを語るに値する四年間だと断言できない気がするのはこのせいなのかも知れない。ただ、それも自分が選んだ道である。結果はどうであれ、選択に対して今さら後悔するのも何か違う。
 

冒頭の問に対する答えが出せそうだ。絶対的な正解というものはおそらくある。しかし、同時に無数の正解が存在するのも事実だ。自分の進む道が他の誰かと違えても、その選択が不正解であることの証明にはならない。僕たちがやるべきことは、選んだ道を確かな正解へと導くこと。責任を持って必要なトレーニングを積んで行くことだ。そして、それができない時に初めて、後悔が眼前に現れる。
幸か不幸か、UTTFには実に色々な人間がいる。100人いれば100通りの正解があると思う。自分の信ずるところが変わることだって何回もあるだろう。それでいいと思う。正解に正解を上書きして、100通りの道を示せればいい。四年経った後に振り返ってみて、正解と思えれば本望だろう。



いよいよ明日が予選会だ。
 
上述の通り、滞りなく物事が進めば自分はラストレースを走ることなく引退を迎える。
自分は正解を選び続けただろうか。夏合宿で怪我をした時点で、選考会には間に合わない予感はした。しかし一方で、ここから正解を選び続ければ、予選会本番までには復調する感覚もあった。実際に結果はその通りとなった。状態は去年以上の水準に持ってこれたが、当日のスタートラインに自分は並ばないだろう。
チーム目標である東大記録相当の達成に向かうまさにその時に、戦力となるはずの自分が走れないのは悔しい。走れと言われればいつだって走る。準備はできている。なんなら、内定者よりも速く走って10番以内に入ることだって可能だ。でも、自分に選択権はない。

後悔はしていない。どんな結果になったにせよ、自分がこれだと思い、自ら選んだ道である。そこで掲げた道は、間違いなく自分にとっての正解だった。明日に走る12人の選手たちが、そのことを証明してくれるはずだ。

明日が本当に最後である。
特に同期の5人には、この四年間の集大成を見せて欲しい。正直自分たちの代は、ダメな奴らばかりだったと思う。やる気のないやつ、練習しないやつ、練習日誌を書かないやつ、なぜか練習に現れないやつ、怪我がちで走れないやつ、なかなか記録の伸びないやつetc…。そんな中でも近藤は独りでチームを引っ張ってくれていた。
入学当初に自分たちが思い描いた成長曲線からは大きく外れる結果になっただろう。だが今となっては、そんなことはどうだっていい。同期の一人一人が選んできた道のはずである。君たちにとっての正解のはずである。それを周りがとやかくいう義理はない。

さぁ、12通りの正解を見せて欲しい。明日、立川で答え合わせをしよう。 



ラストは近藤。
 
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