東京大学陸上運動部ブログ

現役部員が競技生活・日常生活を思い思いに綴ります。

2016年06月

203. 身長が小さいということ 片渕@跳1

名前:片渕大成(かたふちたいせい)
出身:都立日比谷高校
科類:文Ⅱスペウェイ🎉
種目:三段跳び(12.86m)
好きな歌手:Mr.Children,尾崎豊

こんにちは、跳躍一年の片渕です。
普段は跳1の中でふざけている印象が強いと思いますが、今日は真面目な話をしたいと思います。

僕が陸上を始めたのは高1のときです。坊主が嫌だという理由で野球部を避け陸部に入りました。適当な理由で始めた陸上ですが僕はすぐにその魅力に引きこまれていきました。陸上はサッカーや野球と比べると地味ですが非常に真面目なスポーツです。しかし、そんな陸上の地味さと真面目さが自分の性に合っていると感じて僕は陸上が大好きになりました。そして、僕は高校三年間を陸上に捧げました。
しかし最後の夏、僕は目標にしていた都選抜、都大会に行けずに終わりました。陸上は結果が全てなので僕が高校三年間で残したものは何もありません。それが現実です。

引退後、僕は正直、もう陸上を続ける気がありませんでした。自分は高校三年間で何も残せなかった。それとともに、僕は自分の身長の小ささに限界を感じていた部分もありました。僕は身長が163cmと非常に小さい部類です。陸上は動きが単純である分、体格というものの重要性も大きいのです。

大学入学後、陸上を続ける気がなかった自分はサークルに入って楽しく遊ぶ典型的な大学生活を夢見ていろいろなサークルの体験に行ったり友達とカラオケでわいわいがやがややったりしました。しかし、どれだけ遊んでも最後に残るのは虚無感だけ、そういう生活は僕の性には合わないと感じました。
そして、結局またなんとなく陸部に入りました。

大学の部活に入ってからも最初の一、二ヶ月は目標もなくただ無気力に練習していました。負けても悔しくありませんでした。俺は身長が小さいしと。
しかしその反面、自然体で陸上に臨めたことで徐々に陸上を始めたころの陸上が好きな気持ち、新鮮な気持ちが蘇ってきました。勝ちたいという気持ちも芽生えてきました。
「勝ちたい」そう思えた時、僕は「身長が小さいこと」を言い訳に勝負から逃げるのをやめようと思いました。「身長が小さい」ことは欠点ではなく大事な僕の個性の一つなのだと。どんな人でも皆、人はコンプレックスを抱えていて結局はそれをどう捉えるかの問題だと思います。

それから僕は陸上ともう一度真面目に向き合うことを決めました。おおげさですが苦しい時は俺は身長が小さい人を代表して戦っているんだと自分に言い聞かせました。
そして、先日の四大戦、高校のベストを塗り替えることが出来ました。自分の跳躍に驚くとともに小さくたってまだまだ跳べると感じました。あの時陸上をやめなくてよかった、そう思いました。

そして今、僕には新たな目標ができました。それは対抗選手になり身長が小さい人たちに勇気を与えられるような跳躍をすることです。
いつか偶然、通りかかった背が小さい子が僕の跳躍を見て身長が小さくてもあれだけ跳べるんだと思ってくれたら幸せです。
僕は非常に不器用で実力もまだまだ足りないですが、頑張っている身長が小さい人たちに恥じないようがんばります。改めて陸部の皆さんよろしくお願いします。

最後になりますが日比谷高校は毎田と原澤を除いて健全な学校です。最近、僕や戸部先輩に対する風評被害が激しくて困っています^^;

次は愛しのひかるん、、、ではなく中1のもりもんこと森本君にお願いします✋

202.もっと 毎田@中1

 スポ身で一緒の飛雄馬から引き継ぎました、中1の"毎田"です。"前田"ではありません。最近、箕島さんに似ていると言われてとても嬉しいです。400mの記録を目標にするのはもちろん、私生活においても箕島さんを目標にして、幸せな大学生活を送りたいと思います。

名前:毎田 優
 
出身:都立日比谷高校

  hrsw(通称たっつあん)とkthtとtb先輩と同じです。東京の精神病棟らしいです。たっつあんは合宿でマーキング(知りたい人には個人的に教えます)をするなどいわば問題児なので扱いには気をつけてください。kthtは男の子に絡むのが好きで、最近の推しメンは跳1のfjwrらしいので気をつけてください。tb先輩はすごい優しい先輩という印象だったのですがなんか色々あったみたいなので気をつけていきたいです。
 
PB:400m 52"28 800m 2'00"79
 
身長:四捨五入して170cm
 
生年月日:1997年7月10日(納豆の日)

 もうすぐ誕生日といういい時期に回してもらえました。いつも誕生日プレゼントは納豆をもらえるので、今年は大学生になった分だけ納豆をたくさんもらって SNSにアップしたいです。今年の7/10は日曜日で会えないと思いますが、参議院の期日前投票ならぬ期日前プレゼントでいただけたら嬉しいです。

好きなアーティスト:Mr.Children

  ずっと好きで、高2からはF&Mの会員にもなっています。今のところ、中3のりんぺいさんと中1の小野くらいしかチルヲタを観測していないので、自分も好きだーという人は是非声をかけていただきたいです。


 ここから陸上歴について少し話したいと思います。

陸上を始めたのは中学からで、当時は野球の補強としてやっていたこともあり、苦手意識のあった長距離をやっていました。今考えるとこの謎チョイスのおかげで今まで陸上を続けることになっているのかなと思っています。なぜかというと当時一緒に練習していたメンバーは地元の公立校であるにもかかわらず最終的に関東駅伝にまでいったような強いメンバーだったんですね。その中で揉まれて走っていたおかげで、3年から大会に出始めたけど800mで都大会入賞することができて、高校でも続けることになりました。高校では800mをやりたいと思い、中距離パートでやることになったのですが、なんせパートに一人しかいないという状況でなかなか恵まれた環境とは言えず、またスペ体質だったこともあり、記録は思うように伸びませんでした。しかし高3になってマイルにも力を入れようと短長と一緒の練習を増やしたところ、これがはまって、短い方もうまく走れるようになりました。大学では800mで1分台を出せなかった悔しさがあるので、まずはそこを目標にしていくのですが、多分、伸び代なら400mの方があると思うので、走りが良くなってきたら400mも重点を置いてやっていきたいです。マイルメンバーにもなりたいと思っています。もっともっと記録を伸ばしていきたいです。

 今はインフルエンザにかかったり、その直後に風邪でやられたり、体調が治った直後に膝を怪我したりと全く走ることができておらず悔しい悔しい日々を送っているのですが、いつか自分が大きな舞台で活躍している姿を思い浮かべながら補強で追い込み見続けていきたいと思います。


 東大の陸上部は競える仲間が多くてトラックがあるので非常に恵まれている環境だと思っています。ここの陸上部の一員として練習できることが嬉しくてたまりません。中1も、ジュースを補充している際中の自動販売機で飲み物を買おうとするマッツや、サバイバー小林など個性的なメンバーたちばかりで、アスペと言われようが片渕のせいでホモキャラ扱いされようがとても楽しいです。

 
 次は、早くブログを書きたいと言っていたので跳1の片渕にしたいと思います。 



201.高みへ 阿部@長1

「ただ走るだけって楽しい?」
この質問を今までに何度されたことか。最初は確か中学校の時、野球部の友人にされたと思う。
「野球は打ったり投げたり取ったり、パフォーマンス性があるけど、長距離ってただただ走るだけじゃん」
「確かに。」私は首を縦に振る他なかった。的を得ている。練習内容はインターバルとかレぺ、ジョグなどという言葉を使い分けているが、結局はどれも走るのには変わりない。走るだけ、そんな競技に惚れ込んでしまったのはいつからだろうか。 

出身は岩手県滝沢村。見渡す限りの田園風景、キジやカッコウ、ヤギ、ニワトリ、牛の鳴き声、暴走するDQNのバイク音で目が覚めるのどかな田舎だ。
生まれつき体が弱く、健康的とは言えない生活をしていた。毎日家にこもりゲーム漬け。走るなんて行為は一切していなかった。走るのは嫌いだった。小学校中学年くらいの時、見かねた母が強引に自分を走らせ、陸上人生が始まった。走らないとゲームを取り上げられてしまうので嫌々ながらも走った。兄二人も長距離をやっていたので知らぬ間にマラソン大会に出場させられた。毎日走っていれば嫌でも速くなるわけで、六年生の時に出場した田舎の小さなマラソン大会で優勝。トロフィーと商品の山のようなリンゴを手に入れ、ロープレをクリアしたような満足感を得た。子供心に火が付き、気が付けば走るのが楽しくなっていた。

中学校に入り、自分より速い人ばかりになると競争心が生まれた。レベル上げをする気持ちで練習し、ボス戦をクリアする気持ちでレベルが上の選手に挑み続けた。気が付けば全国の舞台に立っていた。

盛岡第一高校に進学しても走ることへの気持ちは変わらなかった。 大先輩である新妻先輩の存在に魅了され、新妻先輩を超えるために走りまくった。誰にも負けないために誰よりも練習したと思う。県大会、東北大会と徐々にステージを上げ、ラストイヤーにはインハイにたどり着いた。しかしそれ以上のステージには行けなかった。未練が残った。もっと上の世界が見たかった。「なんであそこで仕掛けたんだろう・・・・」「なんでついていけなかったんだろう・・・」今でもそんなことを思ってしまうことがある。暑い夏だった。

引退後は京大の平井健太郎さんに触発され絶対に東大に入ろうと奮起。そして受験に失敗。浪人中は現長2の近藤さんに刺激され、とにかく東大陸上部に入るために陸上をいったん捨てた。つらかった。とにかくつらかった。「走る」という単純な行為ができないことがこんなにつらいものなのかと初めて実感した。走るのが嫌いだった幼少期から考えると信じられない変化である。一番(?)好きなものを断つと目標がかなうという伝説通り東大には受かった。受験前日に脇から眺めて密かにモチベーションを上げていたあのトラックでまた走れるのかと思うと、ワクワクが止まらなかった。

そして今、また心から陸上を、「走る」という行為を楽しんでいる。ただ「走る」ことがなんでこんなに好きなのか。その答えは今なお見つかっていない。 もっと上の世界にたどり着けば、その答えは見つかるのではないか。そんな思いで日々練習に励んでいる。ただ一つ言えることは、「走る」ことが自分の人生全てを形作ってきたということである。「走る」ことがなければ東大を目指すこともなかったろうし、何の刺激もない死んだような人生を送っていたことであろう。「走る」ことは自分のすべてだ、と今は自信をもって言える。もっと上の世界を見るために、「走る」ことの楽しさの正体を知るために。まだ見ぬ世界への挑戦を続けていく。


次は毎田@中1に回します。 

199.今は夢だけど 若杉@中1

はじめまして。中距離1年の若杉です。よろしくお願いします。まずは簡単に自己紹介です。

名前:若杉 亮
科類:理科一類(25組)
出身:宮崎大宮(宮崎)
種目:800m

僕が陸上をはじめたのは高校からです。陸上部に入部したてのころ、ある大会に新入生の有志で応援に行きました。初めて見る陸上の試合。すごくわくわくしたのを覚えています。会場に着いたとき、ちょうど3000m障害のレースをしていました。たしか先輩がひとり出てるはず。先頭から順に目で追っていくと…。確かにいました。けれど先頭争いにはとてもからめない位置で、すごく苦しそうに走っていた先輩。
それを見た僕は、一瞬、なにも考えられなくなりました。驚きというか、物足りなさというか、拍子抜けというか。要は、すごくがっかりした。このときの気持ちは今でもはっきり思い出せます。(いま思えばものすごく失礼だし、何様のつもりやと思います…素人は怖いです)
そして、自分は絶対にあの先頭争いをしている選手たちになりたい。なってみせる。という気持ちが、すごく自然に、なんというか、あたりまえのようにわいてきました。初めての感覚。でも、たぶんこのときの気持ちを忘れることはしばらくなさそうだな、と思いました。

それから約2年。IH県予選・男子800m決勝の舞台に、持ちタイム2番目の選手として、僕は立っていました。2年かかって、やっと、宮崎県の頂点争いができる場所まで上りつめた。
前評判通りの2位で総体を終えた僕は、久しぶりに2年前のあのときの気持ちを思い出していました。あのときあんな風に思ったから、今の自分があるのかもしれない。優勝は逃したものの、なにかすごく大きなことをした気がして、最高の気分でした。(その後もちろん南九州地区予選で、まだまだ上がいることも思い知りました。)

それから約2年。舞台は変わって、日産スタジアム。僕が初めて見た大学陸上の試合は、関東インカレでした。巨大なスタジアム、初めて見るスクリーン、ド迫力の応援、そして、UTTFの代表選手たち。それらを見て、というより全身で受け止めて、僕は一瞬、なにも考えられなくなりました。あの舞台に立ちたい。あそこで活躍したい。鳥肌が立って、全身に血がブワァーっと流れるのを感じたのを覚えています。ただ4年前と違ったのは、UTTFの先輩方もまた、間違いなく憧れの対象であったこと。このときの気持ちを忘れることはしばらくなさそうだな、と思いました。

それから約1ヶ月。関カレで受けたあの衝撃は忘れないままで、日々実力不足を感じながら練習しています。あの舞台で戦うにはまだ全然力が足りません。
でも、2年後は…?3年後は…?


次は村井@跳1に回します。

198.原点 一柳@長1

はじめまして。長距離1年の一柳です。出身高校は麻布(東京都)。福島さん@長5の後輩にあたります。福島さんが高3の時の中1(UTTFでは中学1年と書かないと間違えられそうだ)なので、中学生の頃は、まさか大学でご一緒できるとは思っていませんでした。奇跡のような話です。

麻布は中高台一貫の7年制教育をウリにしています。「麻布の常識、世間の非常識」で有名な麻布。中高6年間、身も心も麻布に染まった男たち(男子校で高校入学がいない。これでは麻布に染まるしかない)がいきなり大学に放り込まれたら、みんな世間の常識に適応できず社会不適合者になってしまうだろう―という教育的配慮で、6割の生徒には、駿台(河合塾ともいう)で社会へのリハビリ期間が与えられます。これが麻布名物・中高台一貫教育だ!!!

麻布には校則が3つしかない上に、全ての校則に抜け道があります。下駄禁止(鉄下駄以外はOK)、出前禁止(授業中以外ならOK)、麻雀禁止(牌を使わなければ摘発されない)。これと「麻布の常識、世間の非常識」が重なるとどうなるか。センター試験の昼休みに麻雀を始めるんです。わざわざ同じトランプを4組持ってきて、「牌を使わなきゃOKでしょ?」とか言い出すんです(ちなみにトランプ麻雀は麻布の日常風景ですが、これがOKなんてルールはありません。先生方が見逃しているだけ)。いや、そういう問題じゃないだろ。そりゃお前ら浪人するに決まってるわ。そりゃリハビリしなきゃダメだわ。

ちなみに僕は、7年制のカリキュラムから飛び級してしまいました。リハビリ期間をすっ飛ばして大学に飛び込んでしまったので、僕に世間ズレがあるとしたらこれが原因です。自分でもたまに常識が欠けているなと感じてしまいます。ごめんなさい。

 

飛び級ができたのは、ひょっとしたら陸上部のおかげかもしれません。というのも……

 

忘れもしない2月25日。駒場の13号館で国語の試験を受け終えた僕は、母親が作ってくれた弁当を食べていました。半分強を食べ終わり、少しお腹いっぱいになり始めていた僕は、少し教室から出て歩いてみようかと思い立ちました。

12号館を抜けると、緑に囲まれた小道がありました。そこから道なりに(テキトーに、とも言う)緑の中を歩いていくと、座禅の看板が。何だろうな、と思い、更に奥へと進みます。

後で調べてみたら、三昧堂の裏に出ていたようです。野球場の奥の散策路にたどり着き、ラグビー場も通り過ぎると、なんと立派な陸上トラックがあるじゃないですか!!!

「東大のトラックで走ってきた」なんて言ったら立派な自慢になるだろうな、と思って(なんだその理由)100m、メインストレートを走ってみました。

いやー、楽しかった。流れる景色、心地よい疲れ。1年3か月ぶりのトラックは、本当に気持ちが良かった。この時僕は、東大に入って陸上を続けようと心に決めました。そして東大に入るためには、午後の数学を頑張らないといけない……

 

数学のことを意識して、この時僕は、一気に現実に引き戻されました。そろそろ昼ご飯の続きを食べないと。引き返そうとして、周りに人っ子一人いないことに気付きます。さすがに心配になってきました。

テニスコートの近くに戻った時、僕の目の前に飛び込んできたのは、なんと「立入禁止」と書かれたコーン。必死で来た道を思い出しますが、緑の中をテキトーに歩いていただけの僕には思い出せない。どうやって立入禁止のコーンをかいくぐったのか、皆目見当も付かない。(今日、このブログを書くにあたって、あの日の道をもう一度歩いてみました。でも、結局正確なルートは分からずじまいでした。僕は一体どこを歩いてたんだろう?)

結局、人目の少ないことを確認して何事もなかったかのようにコーンを乗り越え、事なきを得ましたが、とても肝を冷やした昼休みでした。

トラックのご利益があってか、午後の数学は上々の好成績。翌日もよく解けました。そして、晴れて東大に合格。1回走って立派な自慢どころか、いつも東大のトラックで走ることになったのです。

 

初めて練習に参加した日。麻布の先輩でもある福島さんが、全体集合で「許可なく部員以外がトラックを走るのは禁止、徹底するように」とおっしゃっていました。

入試の日の僕の行動に気付いていたかのような注意。少し背筋が寒くなって、これまでこのことを言い出せずにいました。

先輩方、すみませんでした。おかげでUTTFの部員が一人増えたと思って、お許しください。

 

UTTFに入って、先輩方や同輩に比べて、僕は陸上に対するモチベーションが少し低いのかな、と思う時もあります。今でも兼サー(麻布時代からの悪癖?)を続けていたりもします。それでも僕がUTTFで走り続けるのは、自分はやっぱり走りたいんだ、そう、あの入試の日に気付いたからです。

あの時以上に、走る喜びを噛みしめられるような会心のレースをすること。これが、大学生活4年間の目標の1つです。

これから、よろしくお願いします!

 

次は若杉@中1に回します。

 

PS.長距離の新歓コンパの日。コンパ会場を探して、渋谷の街をテキトーに歩いていたら、大遅刻をしてしまいました。地図見ろよ。入試の日、立入禁止の場所に足を踏み入れた反省を、全く生かせていない僕。やっぱりリハビリが必要だったのかもしれません。

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