こんばんは。3年の相庭です。報告が遅くなり申し訳ありません。

昨日の練習について報告します。


昨日の練習:8000mPR


 今昨日は京大戦前の調整としてペーランを行いました。選考会を走った人は疲労抜きのためにジョグにした人も多くいました。

全体としては、3'15~3'40の集団ごとに走りました。先週のペーランと比べると日差しもあり、やや暑さに苦しんだ人が多かったようです。とはいえ、ケガから復帰して状態を上げている額田(3)や勢いのある加藤泰(1)、京大戦対校を控えた栗山(3)、予選会メンバー内定の岩崎(4)など良い走りができている人も多く見られました。


 自分は3'35の設定でしたが5400mDNFでした。先週の8000を3'45で刻んで最後の100を余裕を持って3'20まで上げられたので、3'35なら行けるだろう、と思って挑戦しましたが暑さにやられました。5000までは余裕があったのですが、急にきつくなってしまい5200で集団から離れると5300過ぎに走りつづけることもできなくなってしまいました。暑さを考慮して設定を考える必要があるな、というのが反省点です。

 とはいえ、今自分は今までで一番調子が良いと思っています。7月まではキロ4のペース走が2000までしか保たないという空前の絶不調でしたが、七大戦と北海道合宿で調子が急上昇、8月は約600km、9月前半で約320kmを走破して脚づくりができてきました。そして今月はポイント練では(スピード系を除いては)安定してこなせています。唯一の不安要素としては、200mを全力で走っても32~33秒かかるスピードのなさですが、5000mなら大丈夫でしょう。天候も味方してくれそうなので最高の状態で京大戦を迎えられるようにします。


ということで昨日の練習の報告は以上です。


ですが、今回も書きたいことがいろいろあるので続けます。恐らくこれが僕の最後の長blogになるので読んでいただけると嬉しいです。






上の文を読んで、「『最後の』?こいつまだ3年だからあと1年あるでしょ?」と(長距離の部員を除いては)思ったでしょう。つまりそういうことです。

僕は、月曜の京大戦を区切りに、引退するという形にさせていただきました。

理由は、簡潔に言うと、あと1年競技を続けるモチベーションがなくなったということです。


なぜモチベーションがなくなったかについては7月初頭にやめることを決めて以来ずっと考えていましたが、3つの理由があると思いました。


一つ目に、陸上をやる上での自分にとっての「楽しさ」がなかなか得られていないことです。部員が陸上を続ける理由としては、いろいろあると思います。単純に記録が伸びるのが楽しいとか、速くなって周りに認めてもらいたいとか、いろいろな動機があり、それらに優劣はないと思います。僕は、「速くなって中高のリベンジをしたい」、「競り合いたい」という2つが主な動機でした。ですが、これらは速くならないと「楽しさ」を得られない動機でした。なので、大学でも伸び悩んで陸上の『楽しさ』を感じることが少なかったのかもしれません。


二つ目に、一つ目と重なるところがありますが、「目指したいレベル」と「目指すレベル」の乖離がありました。「今まで9年間これだけ必死で陸上に懸けてきて、16分台や17分10では目指す価値がない、最低でも15分台を目指すしか」という思いがある一方で、現実的に目指せるのは「目指す価値がない」と思っていたレベルの目標でした。そのため、目標を立ててもその目標に魅力を感じなかったようです。


三つ目に、「やれることはすべてやった」と感じたということです。「もうこれだけやってダメだったんだから、もう無理でしょ」と諦めがついてしまいました。


モチベーションが中途半端になってしまったのはこのような理由だと思います。

このまま続けるという選択肢もありましたが、中途半端に続けるくらいならやめた方が良いというのが自分の信念なのでこの決定をさせていただきました。


ただ、もしかすると、ないとは思いますが、京大戦で今までと全く違う景色が見えて、「続けたい」と思うかもしれません。そうしたら考え直そうと思います。とはいえ9割方引退の方向でいるのでその前提で続けさせていただきます。




自分は、今までの陸上人生を通して得たことは多くありますが、その中でも一番強く思ったことを書きます。以下で書いていくことは万人に絶対的に正しいとは思いません。ただ、当てはまる人も多いのでは、と思います。

それは何かと言うと、






「夢中は努力よりも強い」




ということです。


この言葉は去年長距離4年だった田村さんの引退ブログにあった「努力は夢中には勝てない」という言葉をお借りしました。

この思いに至った経緯について。



僕は、今まで、「努力家」と評して頂いたことが多かったように感じます。おそらく、もがき苦しみながら地道に練習を積み重ねる姿だったのかもしれません。

一般的に、「努力」はポジティブな意味として使われることが多いと思います。それこそ学校の勉強は努力至上主義の風潮があるなどと言われますし。

しかし、実力のある選手を見ていても、それほど「努力」をしているようには見えません。ではなぜそんなに強いのか。

それは、僕の推測に過ぎないのですが、「楽しさ」や「情熱」を上手く力に変えているのだと思います。「速くなりたい」と思って、「夢中」で練習している。だからそれを「努力」だと思っていない人が多い。


では、「努力」って一体、何なのでしょう。


今挙げたような人が「努力」と思わないのは、「努力」とは苦しいこと、というイメージがあるからだと思います。

逆に、自分のしていることを努力だと思うということは、それが「苦しい」と認識しているのではないでしょうか。そこでの「夢中」との違いは、楽しさなどを捨て、ひたすら耐えているところにああります。

 こう考えると、「努力をしている」という状態は、良い状態ではないのでは、というのが僕が至った結論です。「努力」は苦しいことだと認識しているから、どうしても見返りを求めてしまう(いわゆる「報われる」ことです)。努力してもうまくいかないと、「結果に表れない」とネガティブになってしまう。
一方、「夢中」になっていれば、結果は後から付いてくるもの。うまくいけば嬉しいし、うまくいかなくても悔しさはあるとはいえ悲壮感に駆られることはない。
このようなことが、僕が「夢中は努力より強い」と書いた所以です。

では、どうすれば「努力」から「夢中」に変えられるのでしょう。「夢中」になるのは難しいとしても、「努力」と感じないようにするには、「自分は頑張っている」と考えないことが必要だと思いました。目指したい目標があるのなら、その夢に向かっている、と発想を変えるのが良いのではないでしょうか。自分も「努力家」と言われるうちはまだまだだな、と思うようになりました。

結局これを書いている自分も、長々と書いているうちに、でも実際どうなのかな、と迷いが多く出てきましたし、言いたいことをあまりうまく伝えることもできませんでした。また自分の「努力」を否定する価値観は、自分の考えと相容れないという人も多いのかもしれません。
でも、この、「夢中は努力よりも強い」という言葉は、少なくとも自分の中では、真理だと思います。

結局自分の中でも考えを整理しきれなかったとはいえ、このようなことを深く考えることができたのは、陸上を続けてきてよかったことの一つです。これからは陸上で得たことを生かして過ごしていきたいと思います。
その前に、まずは京大戦があるのでそれに向けて調整していきます。目標は5000mOPでPB(17'26)を更新して17'15を出すことですが、それ以上に、とにかくベストを尽くし、笑顔で走りきれればいいなと思っています。 




最後に。勿論京大戦は僕だけでなく大半の4年生の引退レースとなります。東大長距離、東大陸上運動部の応援をよろしくお願いします。


最後まで読んでくださりありがとうございました。