Fumble or Fumble



気ままに書いてみよう!!

『罪と罰』を読まない:三浦しをん,岸本佐知子,吉田浩美,吉田篤弘

本書は、
かの有名なドストエフスキーの「罪と罰」を
未読の4名があらすじなどの知識や、

NHKの影絵(15分)などの記憶を元にいくつかのページを
断片的に読みながら、内容を推理していく。


なんとも奇妙な興味深い座談会。


作風に共感を覚える三浦しをんさんが、

どのような推理をしていくのかに関心を持った。

僅かな手がかりから筋書きを作り上げる。
小説家は他人の小説を読みながら
「自分だったらどう描くか」

一般読者ではない観察の視点があるのだろう。

巻末の「読むのはじまり」では、

小説は「読み終わったら終わり」ではない。

余韻を楽しんだり、
「あのシーンで登場人物はどんな思いだったかな」と想像したり。

あらすじや人物名を忘れてしまっても、
ふとした拍子に細部が読みがえり、
何度も何度も脳内で反芻する作品もある。

小説に限らず、創作物は「読む」という行為を終えても
作品が心の中に入り、反芻することにより
終わることのない行いと言える。

「本を読むことは、
読まない時から既に始まっているし、
読んだ後も終わることはない」


・・と語っている。

表題の問いかけがわかるような気がした。

本書は、
興味を喚起された読者の手引書となるかも知れない。

今頃、
4名がどこかの宴席でひそかに祝杯をあげておられるだろう・・・






シニア世代と情報端末機器

近頃、
若年層のPC離れが著しいと言われている。


ニューメディア開発協会においても
今春より
「スマホ・タブレットマスター養成講座」の事業が開始された。


スマホ・タブレットのような携帯性とパーソナル性に富んだ
情報通信端末の利用者が増えて、
パソコンの出荷台数を超えたようだ。


友人知人のコミュニケーション
Facebookや、Twitter、LINEやメール、

今では
Instagram(インスタグラム)のフォロワー獲得競争
SNSサービスは多々ある。


簡単な文書も作れる、ファイルの共有が出来る。
何よりもいつも携帯しているから
思いついたら直ちに発信できる。


スマホもiOs、 Andoroid があり、機種やアップデートの
頻度によりアプリの画面も違うこともある。

若年層は、これも慣れてくるとおおよその見当で
使いこなせる。


がしかし、
シニア世代でも若者同様に
使いこなせる人もあるが、現状はなかなか厳しい。


加えて、
安全使用対策(セキュリティ対策)
情報モラル・マナーは守られているか、

留意事項も必須となってくる。


アドバイザーの役割は
パソコンに限らずこの分野でも支援が必要となる。


2020年度より小学校の教育過程において
プログラミングが必修科目になるらしい。


今後も、
ビジネスシーンでは、
パソコンで素早く文書や資料が作成できる
スキルが必要とされるだろう。


若年層におけるパソコンの利用機会は
少しは増えることが予想されると思うが・・・


パソコン、スマホやタブレットの
「次」にやって来る情報端末が、

何時ごろでどのような形状だろうか?

ネット上ではいろいろな仮説が飛び交っている。


次は
人間の音声やジェスチャー、表情などを利用した
人間本来のコミュニケーション方法に近づき、


シニア世代でも簡単に使いこなせる端末が望ましい。





「工学部ヒラノ教授の終活大作戦」:今野 浩

1990年頃だったか、
筒井康隆氏の小説「文学部唯野教授」

文芸批評をモチーフにしたメタフィクション、
ベストセラーになった。

「工学部ヒラノ教授」シリーズはこのタイトルをもじったものらしい。

スタンフォード大学、黎明期の筑波大学、東京工業大学、
中央大学と多様な組織を渡り歩いてきた
経験から語られる大学業界の裏側が興味深い。

日本と海外の大学では研究者の実態は違うだろう。

ここまで赤裸々に内幕を描いても差し支えないのか
気になる。

研究者の終活はいかがなものか・・・と
期待をしたが、

大作戦というタイトルの割には
終活部分が思ったより少なく、

本書の真意はわからないままに終わる。





「銀河鉄道の父」:門井慶喜

宮沢賢治の父親視点から描かれた作品。


成人しても経済的には自立できず、
理想ばかりを追い続け中途半端に頓挫して、

そのたびに手を差し伸べている父親。


心配の種の尽きない息子、夢を追い続けた息子。
親子の葛藤と溺愛にも近い父性愛が描かれる。


イメージされた「偉人」ではなかった。


賢治の資質をよく理解していた父親は
息子の自由奔放さを許したからこそ、

豊かな感性と壮大な想像力、
凡人では持ちえない、

独自な世界観が育まれたのだろう。




「火定(かじょう)」:澤田瞳子

2017年の直木賞候補作品、
奈良時代天平9年(737)に天然痘が大流行する。

時の権力者である藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)全員が病死、
政治機能が一時的に麻痺する。


疫病の流行、政治・医療不信、偽神による詐欺。
凄惨な情景が重くのしかかる。

人は極限状態に追い込まれると普通ではいられないだろう。
人間の本性が浮き彫りにされる。

寝食を忘れて疫病と向き合う医師たちの必死の戦いによって、
僅かな希望を見いだす。

藤原氏から聖武天皇を中心に橘諸兄などによる皇親政治が始まり
武智麻呂の子・仲麻呂が巻き返しを図る。

疫病の大流行は
歴史のターニングポイントになった出来事だろう。

読み終えてから、

今年初めての読書に本書を選んだことを後悔する。

1月に両眼白内障の手術をした。
しばらく、眼の養生のためにパソコンも読書もやめていたが、

いつまでも休んでいられなくなり、
PC用のメガネを調達し仕事を再開、読書も始めた。

ところがテーマーが今の心情に合わなかった。

術後経過は良好らしいが、違和感が残る
そのためかも知れない。




「淳子のてっぺん」:唯川 恵

本書は、
女性として世界で初めてエベレスト登頂に成功した
田部井淳子さんをモデルにした長篇小説。

山に魅せられて最後まで山に生きた人生。

彼女を支える夫はこの世代では稀有に等しい。
彼女の目指す「てっぺん」の真意が良くわかる。

巧みな構成力
最後まで一気に読ませてしまう著者。

数年前からその年の最後の読書は、

心に残る作品を読むことに決めていた。

白内障手術を控え、眼の状態が良くない中で
在宅仕事の合間に、

今年最後の本として選んだ甲斐はあった。

清々しい気持ちにさせられた。



「ルーアンの丘」:遠藤周作

テレビ番組に取り上げられて話題になり絶版だつた本書が
増補復刊された。

遠藤周作氏、没後11年になる。

戦後まもない1950年にフランス留学した時の旅行記。
新たに収録されたのは
フランス時代の恋人フランソワーズに送った手紙。

後の遠藤文学へと繋がるエピソード。

渡仏船での異文化体験、
旅行中に触れた貧しい人たちと、自分やフランス人を比較して
世界のあり方や神を意識する。

病のため志半ばで帰国することになった
作者の無念さが伝わってくる。

瑞瑞しい筆致ではあるが文体が若さゆえか
馴染めない。



「星の子」:今村夏子

相変わらずのドライアイは続くが
長年の習性は変えることが出来ない。

キワードは短編、200ページ位で初めての著者、

選んだのが本書だった。

滑り出しは上々、

不穏な雰囲気を漂わせて
簡素な文章が淡々と続く。

出生直後から病弱だった主人公を救うために
あやしい宗教にのめり込んでいく両親。

その信仰が、
家族に与えていく影響が淡々と描かれる。

反発する姉は家を出るが、
主人公は、新興宗教を嫌がるわけでもない、
肯定もしない。

ラストシーンが心に刺さる。

同じ方向を見ていても流れ星を同時に
見ることが出来ない。

三人寄り添っていつまでも星空を眺め続ける。

問いただされた、不思議な小説だった。

ある選評に、

無垢(むく)な視点が炙(あぶ)り出す物語の奥の残酷さ

とあったが、まさしくそうなのだろう。



「竜宮城と七夕さま」:浅田次郎

日頃から目の酷使に注意が足りなかったために
とうとう、ドライアイになる。

お世話になっている眼科医院で処方してもらった点眼薬で
凌ぐ。

その間、

パソコンをまったく見ないわけにもいかず。
最小限の仕事をこなし、

朝の読書はしばらくお預けにするつもりが、

ままならず、

熱中しない本、気軽に読めるエッセイはいいだろうと
本書を選んだ。

著者は「鉄道員(ぽっぽや)」の作者であることぐらいは知っていた。

JAL機内誌の人気連載を単行本化した本

肩もこらず、
時間のつなぎ目に読んでみる。

この話術は、きっと男性ファンが多いのだろう。
可もなく不可もなく数編読む。

それにしても、

中華料理の嚆矢、膂力、面壁久しい、
鬱と鬣、掌の中の箱匣、 

など多数、

普段使わない漢字や語彙が頻繁に使われる。
漢字に関する考察や、語彙力の豊富さには圧倒された。



君が夏を走らせる」:瀬尾まいこ

あと少し、もう少し」の派生作品。

高校生になった大田君が先輩の子ども
1歳10ヶ月の女の子の面倒を見ることになる。

16歳の思いがけない奮闘物語。

成績順により振り分けられ、
もう捨てたも同然だと思っている高校生活に
新たな風が吹き始める。

出来過ぎの感はあるものの、
ひと夏の経験が彼の心の成長を図り、
余韻の残る結末だった。


全編に著者の暖かいまなざしがあふれ、
爽やかな気分になれる。




「あとすこし、もうすこし」:瀬尾まいこ

陸上部以外からも寄せ集められた6人の中学生駅伝物語。

県大会出場を目指して襷を繋ぐ、

6人の男子中学生たちのそれぞれの想いや背景(家庭環境)が
各章(区間)となり、襷がつながれていく。

三浦しをん作『風が強く吹いている』と比べると
少し物足らなさはあるけれど、

久しぶりに、
清々しい読後感をあじわった。




「龍が哭く」:秋山香乃

河井継之助の生涯を描いた長編小説。


徳川時代末期の武士。
越後長岡藩牧野家の家臣。

疲弊した経済を立て直し、
財政再建を成し遂げている。

戊辰戦争(北越戦争)で長岡藩は
中立の立場を明らかにするが、
新政府軍に聞き入れられず、

止む無く
旧幕府軍として「奥羽越列藩同盟」を組んで
北越戦争に参戦することになる。

継之助は何も得るところもない戦いに、
長岡藩士のすべてを投入して敗れ、

長岡は壊滅的な打撃を蒙り焦土と化す。
継之助は中途戦死する。


著者のあとがきでは、

「等身大の継之助を描きたい。

英雄としての格好いい姿ではない、
十分すぎるほど弱さも抱えて、

その中で自身の出来ることを
精一杯成し遂げた人間臭い継之助を描きたい。

生きていた時代でさえ、
人物評価は割れていたという。

それぞれの中にそれぞれの継之助が存在するのだから
私は私流の継之助を描いた」・・・とある

現在でも長岡市民の評価は割れている。

武装中立の道を目指しながら、
戦争になってしまった。

どっちも付かず中途半端な、
自己矛盾の塊とまで評される人物を

著者は愛情を持って描いている。





「流」:東山彰良

2015年第153回直木賞受賞作品。


この年、
芥川賞に「火花」が受賞している。
芸人作家の誕生で騒がれた年でもある。


本書は、

日中戦争に翻弄された歴史を
台湾の外省人と本省人の抑圧と解放をテーマに

外省人の青年を主人公に描いている。


当時の選考委員の評価は高かったようだが、
暴力的なシーンや野卑的な表現についていけないところもあり
興味も半減したが、

文章の勢いと主題に魅了されて読んでしまった。

読書は人それぞれに嗜好があるので

個人的には合わなかったが、

戦争の知らない世代が、

日本、台湾、中国の関係や争いの虚しさを知る
切っ掛けに成れば良い。



「京都の壁」:養老孟司

数年前に、
著者のシリーズもの「バカの壁」はべストセラーになったけれど
バカの壁という概念に興味を持って読まれた方も多いと思う。

肯定的な評価と否定的な評価とさまざまな反響があった。

本書の場合は

「京都以外の出身者から見た京都論」とはいかなるものか
京都と言えば、「ぶぶ漬けだけでも」「いちげんさんお断り」等に代表される、
典型的な「よそ者を寄せつけない壁のある街」と引き合いに出されるが、

それらは「日本人特有の性質」であって、京都は、
それらを色濃く残しているだけに過ぎないことを、
東京や大阪、鎌倉といった都市と比較されています。

それを「ゲマインシャフト」地域共同体と「ゲゼルシャフト」
機能別共同体の関係で読みといておられる。

千年の都・京都にはいくつかの壁が存在する。
言葉の壁、老舗の壁、地形の壁、京料理の壁、京都人の壁、文化の壁……

このような壁が有るのか否か、

最終章で、

「京都の壁は、本来は京都だけではなく、日本の街には必ず存在している地域共同体の壁なのです。」

まさにそのとおり、

慣習やしきたり言葉などは地域の人の生活を守る精神的な壁であり、
京都に限らず排他的な壁はどこにでも存在する壁だと思う。

因みに、

洛中の認識が、
明治になり京都市内に路面電車網が張り巡らされ、

「北大路通、東大路通、九条通および西大路通の内側が洛中」
という共通認識が生まれたようですが、

京都で生まれ京都で育った「明治生まれの母」は認識が違った。

洛中は、

北は丸太町、南は五条通まで、
東は寺町、西は千本通りまで。

祇園祭の鉾や山が建つ町内あたりが洛中だったようです。

糺の森には山賊がでる・・・なんて云ってました。






「がん消滅の罠」完全寛解の謎:岩木一麻

本書は、『このミステリーがすごい!』大賞受賞作品。

興味を惹くタイトル、「救済のネオプラズム」が原題らしい。

余命宣告を受けた末期がん患者が、
生命保険の生前給付金を受け取り、

その後がんが消える‥‥

がんセンターの内科医と研究者、保険会社の調査員が
保険金詐欺の疑いをもって調査を始める。

がんは、日本人の死亡原因の第1位であり、

がんとは無縁で生きられない昨今、

「がんの完全寛解」は、誰もが関心を寄せる事柄。

しかし、

がんの発生と消滅に関してのトリックは、
果たして理論上がんの完全寛解があり得るのか。

本書においては、動機や登場人物の関係、
次々と起こる出来事にご都合主義を感じる。

がんをコントロールする医師と、
従わなければ命を脅かされる患者

支配する側とされる側、

人間の尊厳を否定し、人の命をもて遊ぶ行為は許せない。

倫理観欠如の医師が増えればどうなるだろう・・・

トテモ怖ろしいことだ。

人間の生命をあつかう医療に利益追求の考えを
持ち込むべきではない。

概して医療関係者は、
医療の世界に経済学を持ち込むことには

抵抗感が強いはず・・・と信じたい。





「応仁の乱」: 呉座勇一

「応仁の乱」について、知っている概略は、

複数の守護大名家の家督争いや将軍家の後継問題、
有力大名の細川勝元と山名宗全の幕政をめぐる主導権争い
などが要因となり、
全国の諸大名が東西両軍に分かれる形で応仁元年(1467)に勃発。

戦乱は11年にわたって続き、
主戦場となった京都の荒廃や室町幕府の衰退を招いた。

この程度しか知らない。

本書は、
奈良・興福寺僧の尋尊と経覚という2人の日記と
多くの学者の見解を活用され展開する。

細川と山名二者間の利害の対立だけならば当事者間の交渉で
妥協が可能だった。

戦いで払った犠牲に見合う成果を求めたため、
さらに戦争が長期化する悪循環が生まれた。

複雑な人間関係、東西両軍色分けも便宜的に変わる。

不条理な不可解な長い戦乱。

やはり一通りの読み方では十分に理解できなかった。

本題から逸れるが、
巻末の主要参考文献の多さには圧倒された。

蛇足ながら、

学術書でない読み物としての「応仁の乱」が
ベストセラーになったのは、

惹句や人目を引く作戦が功を奏したのだろうか。

現今、ベストセラーは作られるものらしい。


「墨龍賦」 : 葉室 麟

「海北友松」は桃山時代の絵師、建仁寺の障壁画はとくに有名。


武門の生まれながら、血筋を残すために幼くして仏門入る。


迷いながらも
還俗してお家を復興させようという気概を終生持ち続ける。


安国寺恵瓊、尼子勝久、明智光秀など、
歴史上人物と出来事を淡々と描いている。


葉室凛氏の作品は
羽根藩シリーズ三作「蜩ノ記」「潮鳴り」「春雷」以来
読んでいない。


本書は、著者にとって50作目の記念作品らしい。

重厚な作品を期待していたが、残念な結果だった。





「水壁・アテルイを継ぐ男」:高橋克彦

著者のふるさと東北が舞台。

東北の民・蝦夷(えみし)を
搾取と差別で痛めつけてきた。

その時代の中央政府(京の朝廷)
との戦いをテーマーにした物語。

高橋克彦氏の作品を読むのは何年ぶり。

なかでも
東北の民・蝦夷(えみし)を主人公に据えた作品は
強く感銘を受け印象に残る。

『火怨(かえん)』

蝦夷の英雄阿弖流為(アテルイ)と征夷大将軍坂上田村麻呂の戦い

『炎立つ(ほむらたつ)』

京の朝廷に対して、反乱を起こした安倍貞任と、
東北の地に黄金の楽土を築こうとした奥州藤原氏の興亡が
描かれる。

『天を衝く(てんをつく)』
九戸政実(くのへまさざね)の戦い。

『風の陣』
奈良時代の蝦夷の動向を追った作品。


本書は
阿弖流為の死から75年後、
平安時代(元慶二年・878年)に起きた蝦夷の反乱、
元慶の乱(がんぎょうのらん)
阿弖流為の4代後の子孫天日子が決起する。

著者ライフワークの壮大な物語の全編を
再度読み直したくなった。



「戦争の日本中世史(下剋上)は本当にあったのか」:呉座勇一

本書は、
元寇から南北朝をへて応仁の乱までの中世史を
「戦争」の実態・変化から論じた一冊。
膨大な史料を提示して実証している。

通説を外れて史料を改めて検証することで、
「別に戦争なんてしたくない人たち」の姿を描いている。

一貫して貫かれているのは、戦後歴史学を引っ張ってきた
「階級闘争史観」「唯物史観」の見直し・批判ではないのか・・・・

あとがきに
足枷を外せば視野は広げられるという試みに過ぎない。
「階級闘争史観」を全否定をするつもりはない・・・と
あった。

「今でしょ」「倍返しだ」のようなネットスラングや流行語が
見られ、読みやすくするためとはいい、
著者の言い回しに違和感をもつ。

けれども、
歴史研究者が、
資料からどのように推論するのかが良くわかり
得るところはあった。


「十二人の死にたい子どもたち」: 冲方 丁

ショッキングなタイトルだが、
「12人の怒れる男」や「12人の優しい日本人」を彷彿する。

廃業した病院に集まる12人の子どもたち、
彼らの目的は集団自殺。

しかし
集合場所にはすでに一人の少年がベッドに横たわっていた。

彼は一体何者なのか、誰かが彼を殺したのではないか。
このまま計画を実行してもいいのか。

子供たちは自殺を実行するべきか、否か、
各々事情を抱えた者同士が感情をぶつけながら、

全員の意志が一致するまで議論を重ねていく。

議論(謎解き)を重ねるうちに、

ある子の切実な死にたい理由が、
他の子にとっては「な、なんで」「え、そんな理由で?」となる。

そのような状況から
別の価値観があるんだということを認識し、
絶対的な価値観が相対化されていく。

この集いの本当の目的は・・・

子どもたちの議論の行く先は・・・

おおよその予想どうりとなり終わるが、


子どもたちはなぜ死を求めるのか、
キャラクターの内面や背景が、
もう少し詳しく知りたい。





記事目次
Twitter プロフィール
シニア情報生活アドバイザー養成講座の認定講師。 京都市にある「ひと・まちPCサロン」Web管理をしている。 近江八幡市で「ネチズン・八幡(シニアネット)」を主宰。 依頼をうけ、公私団体のWeb製作をしている。
月別アーカイブ
  • ライブドアブログ