ひきこもりUX会議 オフィシャルブログ

ひきこもりUX会議とは・・・当事者目線で「新しい生き方」を提案していくことをコンセプトに活動する、ひきこもり経験者グループです。

【イベント案内】2016年6月28日(火)14:00~『ひきこもり女子会』開催します

トークステージ

生存戦略 × 働く

竹村利道さん

 

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「ひきこもりUXフェス」にご登壇いただいたゲストのトークを公開します。
当日お聴きになれなかった方も、ぜひご覧になってください。
まずは「生存戦略×働く」竹村利通さんのトークから


 

 

恩田夏絵       恩田夏絵と申します。

(以下 恩田)     日頃はNGOピースボートで

「グローバルスクール」という

洋上フリースクールを運営しています。

 

旅をすることで自分を自由にすることができ、

今の仕事にも就いていますが、

私は小学校年から学校に行っていません。

ひきこもったり、リストカットをしたり

紆余曲折ありました。

 

竹村利道さんは、私が不登校・

ひきこもりだったときにこの人と出会っていたら、

絶対この人の下で働いていた!と思う、

おもしろい大人です。

 

 

竹村利道      よろしくお願いします。

(以下 竹村)   私はいろんなところでしゃべる機会があるのですが、

もしかしたら今までで一番緊張して、

ワクワクしているかもしれません。

 

 

恩田            よろしくお願いします。

そして、ひきこもりUXフェスの

実行委員の室井を加えた

3人で進めていきたいと思います。

 

 

室井舞花      よろしくお願いします。

早速ですが、竹村さんは現在、日本財団の

国内事業開発チームリーダーということですが、

普段なにをされているのでしょうか。

 

 

竹村            熱海で障がいのある人が働く温泉旅館を作ろうと思ったり、

全国30か所くらいで、今まで障がい者って

こんなことしていなかったよね、と言われるような

仕事つくりをしていこうとしています。

 

あんまりいきすぎてもあれですが、別に

(障がい者がはたらく)風俗があっても

いいじゃないかって思ったりして、

さすがにそれは羽交い絞めで止められたりしましたけど。

 

障がい者ってなんとなく、

ティッシュつめるとか割り箸を袋に入れるとか、

決まりきったことをさせられていたので、

そうではない仕事を作ることをしています。

 

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室井            もともと竹村さんは、高知で

福祉にまつわる仕事をされてきました。

福祉の世界では異端児とされることも

珍しくないと思いますが、

その由縁をお聞きしたいです。

 

 

竹村            小学生の頃、街なかで車椅子のひとを

ジロジロ見ていると親や先生に止められて、

「なんで?」って聞くと

「気の毒だから見てはいけない」といわれ

納得いかなくて、あえていいますけど

「なんとかしてあげたいな」と思ったんです。

 

中学生の頃に「24時間テレビ」が始まったこともあって、

いわゆる慈善路線まっしぐら。

「俺は障がい者という社会的弱者を

救ってあげなければならない」と思い

大学でも福祉を学び、仕事をはじめました。

 

普段だったらもうちょっとオブラートに包んで

伝えるのですが、今日はハッキリ言います。

施設では、お遊戯をさせられたり、

飼育係かと思うような格好で

街中に連れて行かれたりとかをしていて、

そんなことをしているから、

障がい者っていつまで経っても自信持てない、

自己肯定感が持てないんじゃないのって

思うようになりました。

 

そう考えるに至ったのには、

マイノリティのひとたちの存在だったり

ひきこもり経験者の人たちに教えられることがありました。

福祉の世界もそうですが、なんとなく

「それはこうであらなければならない」と

決め付けられていることが社会にはたくさんあって。

小学校出て中学校出て高校入って、大学入ったけど、

途中で脱線するひとたちがいたんです。

 

僕はそのとき、あえて言うけれど

「なんて甘えているんだ」と思ったし、

そんなところに行ってしまったらもう

レールに戻ってこれないぞと思いました。

 

でもあるとき気づいたんです。

社会がそう決め付けているところもあるけれど、

自分自身が麻酔をかけられているなと思いました。

 

(恩田を指して)彼女にも、小学校の算数で習う

『三角形の面積の求め方』の存在意義がわからない、

といって閉じこもっていったという話を聞いて。

 

 

恩田           これが自分の将来の役に立つんだろうか? と

疑問を持ったことが、学校に行かない選択をした

きっかけでした。

 

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竹村            そんな話を聞いて、僕らは三角形の面積や

公式などがどう役に立つかなんて考えずに、

誰かが言っているからやるというのが当たり前で、

中学校出たら高校行くのは当たり前で、

大学出たら就職するのは当たり前だって麻痺して、

思い込まされていた。

 

皆から教えてもらったことは、

「ふつうってなんなの?」っていうこと。

 

福祉でも「障がい者はこうあらねばならぬ」という

考えをちょっとでも崩していくと、

多様性や可能性が生まれてくるのになぁと

思うようになってから、障がいのある人を

パチンコや競馬に連れていくことをしました。

 

あと、風俗って人間としての根幹でもあると思ったので、

風俗店に連れていくことも本当はやりたかった。

実現はしませんでしたが。

 

そういう楽しみもこちらが制限をかけて止めるのではなく、

障がい者の人にそのまま伝えていくということを

やっていく延長線上で至ったのが、

ティッシュや割り箸を詰めるとかではなく、

もっと彼らの特性を活かした仕事をしたら、

社会の他の人にも面白みを持って、

興味を持ってもらえるのではないか、と焦点を絞って

やりはじめたのが10年くらい前です。

 

 

恩田            ぜひ「土佐バル」って検索してみてください。

竹村さんが高知で開いたお店です。

すごくおしゃれでご飯も美味しい。

正直、福祉施設とは思えないようなお店です。

 

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土佐バル Facebookより

 

 

室井            竹村さんは以前、インタビューのなかで

「『仕事をちょうだい』ではなく一緒に働く仲間を」

と仰っていました。

その言葉は非常に印象的でしたが、

たとえばUXフェスのテーマである「ひきこもり」や

障がい者と呼ばれる人たちが、社会とつながって

「仕事をください」「あげますよ」という形ではなく、

「一緒になにかやりましょう」とお互いに働きかけることが

社会の中でまだできていないと感じています。

 

実際に、高知で障がいのある人と

いっしょに働く場所をつくってきて、

高知だけではなく、これは社会に広げていけると

核心を持ったポイントをお聞きしたいです。

 

 

竹村            福祉の展開や「支援」という言葉が

僕は好きではないのですが、

手の差し伸べ方が大事なんだと思います。

 

「なにかちょうだい」「仕事ちょうだい」って

手のひら開いて差し出す、そこに「はいどうぞ」と

飴ちゃんと言う名の支援を置いていく。

それではいつまでも、多分なにも変わらない。

 

「いっしょになにかやらない?」って

握手するように手を出すと、

「お前なんか手の出し方ちゃうな?」となる。

飴ちゃん差し出して、

「自分ってなんだかボランタリー」とか

「慈善家」って思うのではなく、Win-Winな関係で、

この人と組むとなんだか面白い展開あるかもしれない、と

期待させるようなことをすると

めちゃくちゃ面白い仕事ができるかもしれない。

 

そういう意味では、(ひきこもり状態にある人のなかに)

僕と全然違う感覚の人がいると思うので、

社会に対して、握手をするように手を出してもらえたら、

なんかおもしろいことになるんじゃないのかなと、

僕は思っています。

 

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恩田            私は働き方は2つあると思っています。

一つは、いまある社会の本流に沿ってその流れに乗ること。

もう一つは全然違う働き方をすること。

今の世の中にないものを生み出すのも一つだと思います。

 

ただ、どちらかというと、いまあるものの形を

すこし変えた働き方を生み出していくのが

「簡単だな」という気がしていて。

私は竹村さんがされていることは

それなのかなと思っています。

 

 

室井            竹村さんにとって「人が働く」というのは

どういうことだとお考えですか? 働くって何ですか?

 

 

竹村            自分のこれまでの人生でも

「死ぬんだろうな」というくらい

追い込まれたことがあるんですね。

「あぁ、こうやって日本では

 年間3万2千人が命を絶つんだな」

っていうところまで追い込まれて。

 

それは事業の失敗だったんですけれど。

こうして世の中から外れていくんだなっていうくらい

追い込まれたときに、働くっていうのは

対価を得るとか、出世をすることが

大事だという意味ではないんだと思い至りました。

 

働く、社会人っていうのは、社会とつながっている、

接点をもっている人をいうんだなって思ったんです。

 

仕事っていうのは仕えること。

社会に仕えること、社会に関わること、

社会の中で生き続けることそのものが

働くってことなんじゃないかなって僕は

死にかけたときに思いました。

無理することではない、働き方はいろいろでいいけど、

働くってキーワードは大事にしてもらえたらいいかなと。

 

 

室井            人によっては

「無理して働かなくてもいいじゃないか」、

「働ける人が働いたらいい」とも言います。

それは障がい者の世界でも

たくさん語られてきたと思います。

それを言われてきてもなお、

「働く」ことが大事だと思うのはなぜなのかを

もう少し聞きたいです。

 

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竹村            障がいのある人の月の給料知っていますか?

給料といわずに「工賃」と言いますが。

全国の障がい者作業所で働いている人は20万人います。

その人たちの工賃の平均はいくらか。

14,800円です。月額ですよ。

それでは足りないので生活保護と年金を合わせて

ようやく12万円になるんです。

 

高知で僕のところに働きに来た障がい者の人は最初に

「4万円でいいです。残りは生活保護ありますから」

と言います。でもね、働き出すんですよ。

「もらう10万と、稼ぐ10万円は違うことがわかりました」

って言って生活保護から抜け出す。

生活保護はセーフティネットなので悪いとはいいませんが。

 

働いてお金を手にするってことを知った瞬間に、

自分の身体や状態は変わっていなくても

胸を張り出すんです。

 

僕は、それがきっと

「矜持」っていう言葉なんだと思います。

英語にすると「プライド」とかになるのかな。

矜持っていうのが社会人として社会とつながるとか

働くってことなんだと思っています。

 

何回も言うけれど、ゆっくり考えればいい。

いろんなやり方があっていい、だけれど働くってのは

とてもすばらしく素敵なことなんだよ、

そんなに苦痛なことでもなく、

自分自身の人生を最後まで豊かに生ききるための

すばらしいコンテンツなんだよってことだけは

伝えておきたいです。

 

 

恩田            でも、今の竹村さんの言い方だと、

「(ひきこもりの人って)働きたくないんでしょ?」

って言ってるように聞こえますよ。

 

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働きたくない人もいると思いますが、

働きたいけど働けない人もいる。

 

私もいま働けていますが、

それはガチガチに厳しい環境ではなく、

多少は許容してくれる環境があるから

働いていられるんだなって思います。

タイムカードで管理されるような会社だったら

週に何度も始業時間に5分遅れることで、

「自分は時間も守れないダメな人間なんだ…」

とどんどん元気がなくなっていって

仕事を手放してしまうだろうなと想像がつく。

 

時間に寛容な場所がいいという話ではなくて、

個人の能力のどこに特性があるのかが

大切なんじゃないかと考えています。

 

つまり、皆が「働きたくない」と

考えているわけではないってことが言いたいんです。

好きで仕事をなくしたって人はいないはず。

 

今日は障害のある人の話をしてもらってますが、

ひきこもりと近い話をしているなと思うんです。

私も自分で発達障害の傾向があると思います。

 

表現する言葉がうまく見当たらないのですが、

グラデーションだと思うんです。

 

 

室井            それは、たとえば障がいの有無も

グラデーションだということ?

 

 

恩田            そうです。そういう意味です。

 

 

竹村            うまく伝わらなくてもどかしいんだけど、

伝えたいのは外からの

「働かざるもの食うべからず」というプレッシャーとか、

働けないことに罪悪感や否定感をどこかで持ちながら

「だから働かなきゃいけないんだ」っていう

お仕着せで考えなくっていいよ、

ゆっくり考えればいいよってことなんです。

 

働くというのは、誰かに言われて

「働かないと」という思考で働くのではない

「働きたい」って思えるものであると

もうちょっとゆっくり考えたり、

多様な考え方ができると思うんです。

 

たとえば今熱海でホテルを作ろうとしているんですけれど、

“ひきこもりホテル”なんてありだと思うんです。

ひきこもりたい人が集まるホテルっていいじゃないですか。

もっと僕たちは自由に考えればいい。

“ひきこもりカンパニー”とか。

誰とも話したくないのでメールでしかやりとりしません、

外には出ませんっていう考えもいい。

 

 

室井            きょう会場内で開催されている

「ひきこもり居酒屋」にも興味を示されていましたよね?

 

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ひきこもり居酒屋

 

 

竹村            あれだって新橋につくろうよって話です。

事務的な話をすると、そういうの作ろうってときに、

私の働いている日本財団に

「こんなことやりたい」っていう相談をしてください。

変な思いつき大歓迎なので。

とにかく火種があるという人は

名刺だけでも取りに来てください。

 

 

室井            竹村さんには、UXフェスというイベントが

どう映っているのかを聞きたいです。

 

 

竹村            何をもって「普通」というかにもよりますが、

あえてその言葉を使うとして、

普通じゃない選択をした人から、

普通じゃない体験をした人ゆえの実践や

アイデアが出てくるんじゃないかと思います。

ひきこもりってありだよね、っていうくらいの成功例を

作っていける人たちがたくさんこの場にいる気がします。

 

「普通に会社に勤める」ことから外れたとしても、

オルタナティブであるがゆえに豊かな貢献ができたっていう

事例を皆さんと生み出していくと、

「自分はひきこもりだ」という人に

勇気を与えられるかもしれない。

ひきこもることも一つの選択になっていくのかな

という気がします。

 

ちょっと皆さんに聞いてみたいんですけどいいですか。

この中に「こんなことできたら自分も活かされるし、

誰かも活かされる」というアイデアや

仕事の種を持っているひといますか。

(会場を見渡して)おお、結構いますね。

よかったらどなたかこの会場で

シェアしていただける方いますか。

 

 

参加者          千葉から来ました。大学に7年在籍しています。

就活のマナートレーニングとかしていると

気分が悪くなって結局就活はしませんでした。

私は大学に入ってから哲学を専攻しました。

最近友達の子どもで学校に行けなくなった子がいる。

でも感性は面白い子なんです。料理もうまい。

そういうのを研究発表して、何人かの

できること・面白いことを発表しあうお店、

みんなが研究者のお店があるといいなと思いました。

 

 

竹村            ありがとうございます。

いま勇気をもって言ってくれたことを含め、

アイデアを聞いて「そんな気づきもありか」と

思った人もいるだろうし、こうやって

一個ずつふたを開けていくとそれに賛同する仲間が

増えていくんじゃないかと思うんです。

 

僕個人はせっかちでぼんやりと考えるのは苦手なので(笑)、

どうしたらそれを形にできるのかという

戦略を後で聞かせてください。

本流ではない面白い何かがあるはずなんです。

それがダイバーシティだと思うんです。

 

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室井            このひきこもりUXフェスであり

UX会議も元当事者のアイデアから生まれているので、

そのアイデアの結集なのかなと思います。

 

 

恩田            今日竹村さんはアイデアを発掘しにここへ来たそうです。

ここから何かが生まれたらいいなって思います。

人は適材適所でいいんじゃないかと考えていて、

アイデアだけ出す人がいてもいいんじゃないでしょうか。

アイデアを具体的に形にしてくれる人はいるので。

 

このフェスも誰かが一人で決めているわけでなく、

アイデアに共感したメンバーが

得意・不得意を分担しながらつくっている。

それは社会や働くということもそうであったほうが

より面白いと思います。

 

そろそろ時間ですが、竹村さん最後に一言いただけますか。

 

 

竹村            十分わかってないところがあると思うので、

緊張しながら自分なりに素直に伝えたつもりですが、

失礼なところがあったらごめんなさい。

一緒に頑張って生きていくのも悪くないよねって。

 

自分たちの考えていることが

本流じゃないから間違ってるということではなくて、

本流じゃないからこそ気づいたことが

新しい価値なんだと伝えたかったです。

 

晴れの日は枝が伸びているけど、

雨の日はきっと根っこが伸びているので、

うまくいかないことも大事にしながら、人生には

たった一つの無駄な時間もないって信じられる人たちが

ここに集まっているんじゃないかなって思いました。

 

今日はありがとうございました。

 

 

 

 

 

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「ひきこもり女子会 Presents by ひきこもりUX会議」を開催します。

ひきこもり状態にあったり、対人関係の難しさを感じているなど、様々な生きづらさを抱えている女性を対象に、当事者体験談・交流会を開催します。

この企画は、性自認が女性の方、女性に近い、という方であればどなたでもご参加いただけます。


私たちにも生きることがつらく苦しい時期がありました。

時間をかけて自分を取り戻し、すべてが解決したわけではありませんが、今は前に向かって生きて行こうと思っています。その為にしてきたこと、やめたこと、きっかけ、そんな経験も少しお話します。

そして一緒に考え、語り、情報交換もしましょう。

▼詳細

日 時:2016年6月28日(火)14:00~16:30

場 所:東京ウィメンズプラザ・視聴覚室C [ アクセス
参加費:300円

予 約:メールにてお申し込みください。

連絡先:uxkaigi@gmail.com

※件名に「ひきこもり女子会」とご記入ください

※人数の把握の為予約受付しますが、当日急にいらしても大丈夫です

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【 交 通 】
・JR・東急東横線・京王井の頭線・東京メトロ副都心線「渋谷駅」宮益坂口から徒歩12分
・東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線「表参道駅」B2出口から徒歩7分


▼タイムスケジュール

13:30~14:00 開場

14:00~15:00 わたしたちの当事者体験談

15:00~16:30 交流会

※途中参加、途中帰宅、自主休憩など、ご自由にどうぞ



▼主催者の紹介

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 林恭子 はやしきょうこ

 新ひきこもりについて考える会、ヒッキーネット

高校2年で不登校、20代半ばでひきこもりを経験する。信頼できる精神科医や同じような経験をした仲間達と出会い少しずつ自分を取り戻す。様々なアルバイト、正社員などを経て、現在は2005年に結婚した夫と古本屋を経営し雇われない働き方を模索中。
【WEB】新ひきこもりについて考える会ヒッキーネット

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 恩田夏絵 おんだなつえ

 ピースボートグローバルスクールコーディネーター

小学2年から不登校に。その後、ひきこもり、リストカットなどを経て定時制高校を卒業するが、“生きること”への希望を見いだせず、人生最期の旅のつもりで地球一周の船旅へ。様々なヒトと出会うことで“生きること”の多様性を実感。死ぬのをやめて現在の仕事に就職。2010年、洋上フリースクール『ピースボート・グローバルスクール』を開校。2013年6月には同性パートナーと東京都庁で結婚式を挙げた。
【WEB】ピースボート・グローバルスクール


 
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4月16日に行われた「ひきこもりUXフェス」でご協力いただいたアンケートより、
参加者のみなさまの立場や年代等のデータを公表します。

今回は当事者・経験者の方に多くお越しいただいたことが分かりました。
今後も当事者を主体としつつ、様々な立場の方にもご協力いただき、
活動を続けていければと思っています。


「ひきこもり」に対しての立場
立場
年代
年代

このイベントをどこで知りましたか?
きっかけ
 今日は一番何に期待して来ましたか
期待
※アンケート
2016年4月16日(土)ひきこもりUXフェス 大田区産業プラザ にて
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以上、自分が見聞したのはそんな感じで、結局メインのトークステージとアフタートークが中心で、別のコーナーである交流ステージやブースの徘徊はほとんどできなかった。(最後に「ヒューマン・スタジオ」でコミュニケーション・ロボット?の説明を伺ったくらい)

でも、「働く」「生きづらさ」のトークセッションは相互に絡み合う内容だったし、自分の関心が結果的にそのふたつに強くあったので、そちらに貼りついてしまったのは致し方なかった。もともと広く浅くものを見るタイプではないこともあるし。

特に泉谷先生のラディカルな発言の数かずは、ほかのもろもろの課題を超えて、その課題群の底流に流れる本質をついていく話でもあったと思うので、聞くに値するものだった。ひきこもりだけの話ではない。文字どおり哲学的な話題だったから。


トークステージを聞きながらも背後では交流スペースやブースからの声が飛び交い、話が聞き取れないことは全然ないけど、ガヤガヤした中で講演?を聞くという感じではあった。

こういう体験も初めてだった。うるさいなと思わないでもないが、不思議と煩わしいほどのこともない。いつも講演やシンポはシンと静かなところで聴くのが通例なので、時にそれらは肩が凝らないでもない。

それを思えば肩のこらないメインステージのありようも新鮮なものだなと思ったけれど、「やっとこここに来れた」人などにはどうであったろうか。始終ざわついている雰囲気はきつい人もいただろうか。それとも肩がこらず良かったろうか。


このフェス、ひきこもりからけっこう元気になった人にとってみれば文字どおり「お祭り感覚」を堪能できて、一体感を感じ満足して帰路につけたと思うけど、勇気を持って何とか足を一歩踏み入れたような人。

そのような人にとり、「ああ、元気な人ばかり。やはり自分は駄目だ」と思い静かに去った人もいなかったろうか。どんなイベントにもある、そんな「自分に合う、合わない」ムードの受け取りというものがあると思うけど、その辺のフォローまで配慮するというのはさすがに難しいことだろうとは思う。



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あと、新たな人との交流は可能な場だっただろうか。初めて来て、普通の交流スペースでじっくり誰かと新しい出会いの交流は可能だったろうか。

手前にブース、奥にメイントークステージ、真ん中に交流ブースがあるけれど、「非交流スペース」というスペースに行くというのもまたしんどそうだし、交流スペースの隣は「ひきこもり居酒屋」で、最後に一番賑わっていたのは(とはいっても落ち着いた賑わいだけど)その居酒屋だった。だから、帰りに顔見知りの人と挨拶を交わしたのはそのスペースが多い。
 



トークステージのアフタートークはテーマに強い関心を持つもの(僕のようなもの)が集まるわけだし、結局「新しい出会いの場」としての機能、ひきこもり親和群らしい、ゆっくり個別に親交をゆるやかに深めていくスペースの機能は持てたのかしら?そこが少し気がかりに感じたけれど、そこまでは認識できなかった。その点はのちのアンケートなどで見えてくるだろうか。

そして、ブースは、上記の通り申し訳ないけれど、ほとんど見ることができませんでした。自助会も再び参加したかったけれど、叶わなかった。


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結論を言えば、当事者発信、発信に伴うテーマ設定はうまくいったといえるんじゃないだろうか。午後から参加した自分にはそんなに偉そうなことは言えないけれど。少なくとも自分が聞いたトークセッションではメインテーマである「生存戦略」の片鱗は感じた。

ただ、もう少し「働く」テーマをじっくり聞きたかった。それこそ泉谷さんの紹介したアーレントの考えを含めつつ、どう考えるかという深め方もあるだろう。するとテーマの絞り方が必要になってしまうかな?


しかしこう考えるとフェスという枠組みの中でもひきこもりをテーマにすると膨大かつ深く広い考慮点があるな、と気づく。

人集まりに苦手の人も勿論いるはずだし、そういう人たちにとっては入口の安心感を求める希望から、自分みたいに馬鹿者、つまりフェスの場でさえも物事を深く話したいという野暮な厄介者までいる。純粋にお祭りとして親交を深めたいという人もいただろう。おお、これぞまさにフェスの多様性というものでもあろうか。何でもかんでも配慮配慮というわけにもいきますまい。

でも、最後に主催者側から「この場所に来れない人たちにも思いをはせてください」旨の発言があったのにはホッとした。それは本当にみな心にとどめおかないといけないと思う。

 

一回目のこのイベントも、二回目のおしゃれカフェももちろん遠方住まいの僕はしらない。今回のフェスの雑感だけれど、長々書いて何となく気づかれているとも思うけれど、少し「何でもアリ」過ぎたのではなかったろうかと正直思う。

確かにフェス=お祭りを志向したのであればそれは正しいだろう。しかし、片方にはひきこもり当事者のUX(User Experience)の思いを伝えるという真面目な側面もある。それを具現しているのはまずメインステージでのトークセッションであり、そのセッションを共有した聞き手との間でのもう少し話したいことの広がり、深さに向き合うことでもあるだろう。それにはアフタートークの部分が短すぎた気がする。

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自分は聞けなかったけれど、午前の「親子問題」、午後最初の「性的マイノリティ問題」を含め、どこからでも入り口を、という趣旨は非常にいいのだけど、これを一日で全部やるのはやはり幕の内弁当的ではなかったろうか。

実際問題、「ひきこもりと○○」の課題ひとつだけで半日語り合っても全然構わないと思うくらいだ。実は「交流スペース」という存在もそのデスカッションの熱を徐々にクールダウンしながら相互に交流が始まる、という流れが実はもっとも自然な気がする。

まあ、余りにリアルな理屈を展開するのも主催者の人たちに気の毒な話。実際、ひきこもり契機が新たに発見されるものが現在多くなっている気がするので、そのさきがけ的なテーマをリアルに展開したという意味ではあとあとまで価値あるものだろう。

 

ただ、テーマが多様であるとしても、これは聞き手としても想像外だったけれども、「働く」というテーマと、「生きづらさ」のテーマは意外とかぶる話が多かった。

今後同じようなことをやる場合、ゲストスピーカーと打ち合わせを重ね、事前に話が被りそうだと思ったら、二つをひとつにまとめるのも手ではないだろうか?

それこそ、アーレントの労働観というものがあるのだ、というところから「働く」常識を改めて考えなおすのを二人のゲストスピーカーを合わせてやってみても良かったのかもしれない。

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また、ブースには個人的にはそれ程触手が動かないだろうな、という自分なりの感触があった(すみません)

でもこれは難しい。フェスの賑わいには必要な要素でもあるだろうし、多様性の証でもあるだろうし。要は僕が自分の目が狭くて、いろいろ楽しむという傾向が弱いせいもあるだろう。でも、例えばメイントークと親和性のあるブースがあるなら、トークの終わりに、「このトークに近いNPOがブースを出してますよ、ぜひ話を聞いてみてください」という呼びかけとか、逆にブースの人がアフタートークで何かヒントになることを話す、というやり方もあるかもしれない。

 


何かいろいろと注文、要求みたいなものを加筆してしまった気がしますが、かなりハイレベルな要求をしてしまっているわけで、大きなイベントを主催、運営するというのはどんな社会でも大変であるだろう。それを元ひきこもり当事者側の人たちが主にやっているということを考えれば、どんなにすごいことかと思う。もう、運営の人は「どうでえ!」と胸を張ってお天道様のど真ん中を歩いてください(笑)いや、これは冗談ではなく、本当のことです。

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ちなみに第2回目の参加者は400人くらいとのこと。前回を超えましたね。関係者の皆さん、本当にお疲れさまでした。はてさて、この集まりのうち、当事者の人はどれくらい集まったんんだろうなぁ。



札幌市 杉本賢治
プロフィール

杉本賢治
経験者が聞く10のインタビュー『ひきこもる心のケア』(世界思想社)。中井久夫推薦! ナンチャッテ社福士。排除を関心領域に社会保障に興味あり。趣味はマイナーな音楽を聴くこと、寝ること。 インタビューサイト「人と社会を考える」

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トークステージのラストは「生きづらさ」
ゲストスピーカーは精神科医の泉谷閑示さん。主催者側聞き手は林恭子さん。林さん自身が泉谷さんのカウンセリングを受けていたことがある人。

まず林さんから生きづらさの理由の一つとして「自己肯定感」が持てないということがあるのでは、と問いかけ。

それに対して泉谷さんは自己肯定の反対は自己否定。このように「マルかバツか」の思考を「二元論」という。私はこの二元論の苦しみから離れるお手伝いをしている、と。これがおそらく泉谷さんの心の悩みに関する解きほぐし哲学のメインであろうと全体の話を聴く中で再考したことだ。
 

先ほどの「働く」のテーマでも出た「普通」ということば。その普通という「大通り」は人為的に作られたものだ。だから大通りからずれたとしても、私(泉谷)は大通りに戻らない道を勧めている。つまり「自分だけの道」を歩むことを勧めている。大通り以外の道はモデルがないとしても、モデルというのは邪魔なものでしょ?大通りから離れて歩んだら林さんのような人が生まれる。そういうことです、と。
 

林さんの次の質問は、これも「働く」テーマのトークステージと絡むけど「とりあえず考えてばかりいないで、まず働いてみたら」と巷間よくいわれるアドバイスについて。
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泉谷さんは自分はその意見から「働く」についてとことん考えてみた。実は「働く」には三種類がある。その三種類を「働く」という言葉ひとつにまとめてしまうから話がややこしくなる。

哲学者、ハンナ・アーレントはその三種をまずlabor(労働)、work(仕事)、action(活動)にわける。そして、後者に向かうにつれて人間らしいものになる。古代ギリシャでは労働は卑しいものとされた。だから生きる以上しなければならない労働は奴隷にやらせた。

良し悪しは別として、労働だけが中心だと人間は生きることに意味を見出せなくなる。いまはlabor中心の社会だけれど、workやactionの中にある「意味」を感じたいと人は思っているはずだと。

 

次に「好きなものがない、好きなことが見つからない」という声もよく聞く、と林さん。泉谷さん曰く、そういう人は多い。でも好きなことは考えても出てこない。むしろその前に嫌いなこと、やりたくないことを自分の中でハッキリさせることのほうが先決だ。「ノー」が生き物の最初の自己表現である。

みんな頭の声ばかり聞いて、心の声を聞かない。心の声の最初のものは「ノー」なのだ、と。

林さんはその意見に同意しつつも、でも「心のノー」は怖い。そう思ってしまうのにはどうしたら?と。

泉谷さんはもちろんそういうことはある。でも、「心のノー」を無視した関係性は壊れるときは壊れるものです、と。

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続けて林さんより、そういう進み方は泉谷さんという伴走者を得たから進めたけれど、心の中の声を出す勇気を与えてくれる人がいないときはどうしたら?と。

泉谷さんはそういう声を出してきたかつての人びとの言葉を参照にすれば良い、と(本、音楽、美術等のアートなど〕。


「心の声」に絡めて林さんから「とはいえ、この会場に来られた人はなぜここに来られたのでしょうね?」と。

それに対しては「大通りを歩くくらいだったら死んだほうがマシだ」と思っているからじゃないですか、と。
「だって、大通りを歩いているのは死体ばかりじゃないですか」となかなか過激なご発言。
「人は自分が生きたいと思う道を行くんだ。自分が人生の最後に『面白かった』と言って死ねればよい」と。

これは結構うなづけるというか、最後の希望というか。例えば大通りを守るように生きてきた自分の父親を考えてみると、昔の価値観に縛られたままの老境で、日々がつまらなそうで、わがまま放題の様子を見ていると、正直『こうはなりたくないよなぁ…』と思うわけなのですよ。親に対して何と残酷な思いだ、と言われるかもしれないけれども。
 

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さて、アフタートークでは「日本人の自分としては、自分の本音と建前の区別が分からなくなっている気がする」というご意見あり。

それに対して泉谷さんは「わがまま」を復権させるべきだ。麻痺を解除するために、我慢からちょっとずつ離れてみることが必要、と。

精神科医志望の医学生から「泉谷先生みたいになるにはどうしたら?」
「まず一個の人間になること。技術だけじゃなく、「そうか」と実感できる方法で。すべて真っさらなところからカウンセラーになって欲しい。私自身、もう勉強はいい、と思っている。フロイトもユングももういい。それよりも知識じゃなく、『目の前の人がわかること』が大事だと思っている」とのお話でした。

 


私自身がもう27年精神分析という名目で特定の先生と長いセッションを続けている存在なので、泉谷先生の話しに全く異議なしだ。

小手先のテクニック的な話は一切なく、一貫して本質的なことしか話されなかったので、その点も信用ができたし、実際「揺らがなさ」において自分のセラピストに良く似ている。この境地まで至ると最早「存在が語る」世界だな、と思った。つまり人として本物だなと思ったのである。著作本のとおりの人だった。
 

ただ、個人的にアフタートークのときに質問させていただこうと思ったのだけど、泉谷先生のカウンセリングを受け始めた当初の人にも今日の会合のような本質的な話をされるのだろうか、ということだった。でもほかの人に対する質疑のやりとりを聞いて、特にあえてこの場でそのことを聞くこともないな、と思い直した。そこは人を見て機を見ながら対話をしていく根本は持たれているだろう、と直感したからである。

レポーター
札幌市 杉本賢治

プロフィール
経験者が聞く10のインタビュー『ひきこもる心のケア』(世界思想社)。中井久夫推薦! ナンチャッテ社福士。排除を関心領域に社会保障に興味あり。趣味はマイナーな音楽を聴くこと、寝ること。 インタビューサイト「人と社会を考える」

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