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以上、自分が見聞したのはそんな感じで、結局メインのトークステージとアフタートークが中心で、別のコーナーである交流ステージやブースの徘徊はほとんどできなかった。(最後に「ヒューマン・スタジオ」でコミュニケーション・ロボット?の説明を伺ったくらい)

でも、「働く」「生きづらさ」のトークセッションは相互に絡み合う内容だったし、自分の関心が結果的にそのふたつに強くあったので、そちらに貼りついてしまったのは致し方なかった。もともと広く浅くものを見るタイプではないこともあるし。

特に泉谷先生のラディカルな発言の数かずは、ほかのもろもろの課題を超えて、その課題群の底流に流れる本質をついていく話でもあったと思うので、聞くに値するものだった。ひきこもりだけの話ではない。文字どおり哲学的な話題だったから。

トークステージを聞きながらも背後では交流スペースやブースからの声が飛び交い、話が聞き取れないことは全然ないけど、ガヤガヤした中で講演?を聞くという感じではあった。

こういう体験も初めてだった。うるさいなと思わないでもないが、不思議と煩わしいほどのこともない。いつも講演やシンポはシンと静かなところで聴くのが通例なので、時にそれらは肩が凝らないでもない。

それを思えば肩のこらないメインステージのありようも新鮮なものだなと思ったけれど、「やっとこここに来れた」人などにはどうであったろうか。始終ざわついている雰囲気はきつい人もいただろうか。それとも肩がこらず良かったろうか。

このフェス、ひきこもりからけっこう元気になった人にとってみれば文字どおり「お祭り感覚」を堪能できて、一体感を感じ満足して帰路につけたと思うけど、勇気を持って何とか足を一歩踏み入れたような人。

そのような人にとり、「ああ、元気な人ばかり。やはり自分は駄目だ」と思い静かに去った人もいなかったろうか。どんなイベントにもある、そんな「自分に合う、合わない」ムードの受け取りというものがあると思うけど、その辺のフォローまで配慮するというのはさすがに難しいことだろうとは思う。

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あと、新たな人との交流は可能な場だっただろうか。初めて来て、普通の交流スペースでじっくり誰かと新しい出会いの交流は可能だったろうか。

手前にブース、奥にメイントークステージ、真ん中に交流ブースがあるけれど、「非交流スペース」というスペースに行くというのもまたしんどそうだし、交流スペースの隣は「ひきこもり居酒屋」で、最後に一番賑わっていたのは(とはいっても落ち着いた賑わいだけど)その居酒屋だった。だから、帰りに顔見知りの人と挨拶を交わしたのはそのスペースが多い。


トークステージのアフタートークはテーマに強い関心を持つもの(僕のようなもの)が集まるわけだし、結局「新しい出会いの場」としての機能、ひきこもり親和群らしい、ゆっくり個別に親交をゆるやかに深めていくスペースの機能は持てたのかしら?そこが少し気がかりに感じたけれど、そこまでは認識できなかった。その点はのちのアンケートなどで見えてくるだろうか。

そして、ブースは、上記の通り申し訳ないけれど、ほとんど見ることができませんでした。自助会も再び参加したかったけれど、叶わなかった。

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結論を言えば、当事者発信、発信に伴うテーマ設定はうまくいったといえるんじゃないだろうか。午後から参加した自分にはそんなに偉そうなことは言えないけれど。少なくとも自分が聞いたトークセッションではメインテーマである「生存戦略」の片鱗は感じた。

ただ、もう少し「働く」テーマをじっくり聞きたかった。それこそ泉谷さんの紹介したアーレントの考えを含めつつ、どう考えるかという深め方もあるだろう。するとテーマの絞り方が必要になってしまうかな?


しかしこう考えるとフェスという枠組みの中でもひきこもりをテーマにすると膨大かつ深く広い考慮点があるな、と気づく。

人集まりに苦手の人も勿論いるはずだし、そういう人たちにとっては入口の安心感を求める希望から、自分みたいに馬鹿者、つまりフェスの場でさえも物事を深く話したいという野暮な厄介者までいる。純粋にお祭りとして親交を深めたいという人もいただろう。おお、これぞまさにフェスの多様性というものでもあろうか。何でもかんでも配慮配慮というわけにもいきますまい。

でも、最後に主催者側から「この場所に来れない人たちにも思いをはせてください」旨の発言があったのにはホッとした。それは本当にみな心にとどめおかないといけないと思う。

一回目のこのイベントも、二回目のおしゃれカフェももちろん遠方住まいの僕はしらない。今回のフェスの雑感だけれど、長々書いて何となく気づかれているとも思うけれど、少し「何でもアリ」過ぎたのではなかったろうかと正直思う。

確かにフェス=お祭りを志向したのであればそれは正しいだろう。しかし、片方にはひきこもり当事者のUX(User Experience)の思いを伝えるという真面目な側面もある。それを具現しているのはまずメインステージでのトークセッションであり、そのセッションを共有した聞き手との間でのもう少し話したいことの広がり、深さに向き合うことでもあるだろう。それにはアフタートークの部分が短すぎた気がする。

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自分は聞けなかったけれど、午前の「親子問題」、午後最初の「性的マイノリティ問題」を含め、どこからでも入り口を、という趣旨は非常にいいのだけど、これを一日で全部やるのはやはり幕の内弁当的ではなかったろうか。

実際問題、「ひきこもりと○○」の課題ひとつだけで半日語り合っても全然構わないと思うくらいだ。実は「交流スペース」という存在もそのデスカッションの熱を徐々にクールダウンしながら相互に交流が始まる、という流れが実はもっとも自然な気がする。

まあ、余りにリアルな理屈を展開するのも主催者の人たちに気の毒な話。実際、ひきこもり契機が新たに発見されるものが現在多くなっている気がするので、そのさきがけ的なテーマをリアルに展開したという意味ではあとあとまで価値あるものだろう。

ただ、テーマが多様であるとしても、これは聞き手としても想像外だったけれども、「働く」というテーマと、「生きづらさ」のテーマは意外とかぶる話が多かった。

今後同じようなことをやる場合、ゲストスピーカーと打ち合わせを重ね、事前に話が被りそうだと思ったら、二つをひとつにまとめるのも手ではないだろうか?

それこそ、アーレントの労働観というものがあるのだ、というところから「働く」常識を改めて考えなおすのを二人のゲストスピーカーを合わせてやってみても良かったのかもしれない。

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また、ブースには個人的にはそれ程触手が動かないだろうな、という自分なりの感触があった(すみません)

でもこれは難しい。フェスの賑わいには必要な要素でもあるだろうし、多様性の証でもあるだろうし。要は僕が自分の目が狭くて、いろいろ楽しむという傾向が弱いせいもあるだろう。でも、例えばメイントークと親和性のあるブースがあるなら、トークの終わりに、「このトークに近いNPOがブースを出してますよ、ぜひ話を聞いてみてください」という呼びかけとか、逆にブースの人がアフタートークで何かヒントになることを話す、というやり方もあるかもしれない。


何かいろいろと注文、要求みたいなものを加筆してしまった気がしますが、かなりハイレベルな要求をしてしまっているわけで、大きなイベントを主催、運営するというのはどんな社会でも大変であるだろう。それを元ひきこもり当事者側の人たちが主にやっているということを考えれば、どんなにすごいことかと思う。もう、運営の人は「どうでえ!」と胸を張ってお天道様のど真ん中を歩いてください(笑)いや、これは冗談ではなく、本当のことです。

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ちなみに第2回目の参加者は400人くらいとのこと。前回を超えましたね。関係者の皆さん、本当にお疲れさまでした。はてさて、この集まりのうち、当事者の人はどれくらい集まったんんだろうなぁ。

レポーター
札幌市 杉本賢治

>>「UXフェス/レポート前編「働く」 by杉本賢治」
>>「UXフェス/レポート中編「生き辛さをどうする」 by杉本賢治」



【レポータープロフィール】
杉本賢治(すぎもと けんじ)
札幌市。経験者が聞く10のインタビュー『ひきこもる心のケア』(世界思想社)。中井久夫推薦! ナンチャッテ社福士。排除を関心領域に社会保障に興味あり。趣味はマイナーな音楽を聴くこと、寝ること。
WEBサイト インタビューサイト「人と社会を考える」