NPO、ボランティアの関係の仕事に身を置きながら、
実は、「ボランティア」っていう言葉にずっと違和感を覚えています。

「ボランティア」=「タダ働き」っていうイメージ、けっこうあると思うんです。
実際、「ボランティア タダ働き」でTwitterとか検索すると、社会にどう思われているのかがよくわかります。



一方で、ボランティアの定義、理念としては、タダ働きとは一線を画しています。



ボランティアは、理念と現実のギャップが大きい

ボランティアって、かなり理念と現実のギャップがある言葉です。

もちろん、実際にボランティアをやっている人の中には、誰かの役に立ちたくて、
そして、誰かの役に立っていることが実感できることが素晴らしいと感じている人も多いはずです。

でも、世間的には、ボランティアって言葉だけを取り出して、
その本来的な理念や、ボランティアの素晴らしさを汲んでくれる人は、よっぽどのお人好しです。

ボランティアの4原則(自発性、無償性、利他性、先駆性)って、よく言われますが、
正直、かなり都合の良い原則
だと感じます。

実際は、無償の労働力はすべてボランティアであって、
「無償性」の他に条件をつけてボランティアを雇う人なんかどこにもいません。
だから、「ボランティア」=「タダ働き」っていうイメージが定着しているわけです。


ボランティアを呼びかける立場の人々は、そうした世間の”イメージ”を必ず押さえなくてはなりません。
参加する人々の”気持ち”が大事な言葉については、”イメージ”が絶対的に重要だからです。

「ボランティア」=「タダ働き」のイメージがこびりついちゃっているから、
若者に対して「ボランティアをしよう」って呼びかけても、人は集まらない。

せいぜい、「就活に有利」みたいなイメージで大学生が乗っかってくれるくらいです。


ボランティアという言葉が、ますますボランティアの人々の立場を苦しめている

また、あまり話題にはなりませんが、ボランティアという言葉のイメージが、
いまボランティアをやっている人々の立場を苦しめているという現状も知っておかなくてはなりません。

「文化ボランティア」という活動をしている人々がいます。

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ピアノやヴァイオリン、琴を演奏できたり、紙芝居や舞踏なんかを披露できたりする人が、
福祉施設や生涯学習施設なんかへ出向いて、ボランティアでそれらを演じるわけです。

文化芸術の振興に資するものとして、文化庁も推進しており、
各自治体では、文化ボランティアとして登録している人々がいたりします。

そういう人々が、スケジュールが合えば、依頼のあった施設へ行くわけですが、
依頼をするのに条件があるわけではありませんので、いろんなイベントに呼ばれたりします。

もちろん、文化ボランティアの人々は、文化芸術に親しむ機会を増やすという使命を持っているので、
お客さんを選んだりはしないのですが、参加するイベントの中には扱いがヒドイものもあるそうです。

無茶振りでメチャクチャな要求をされたり、逆に演奏を誰も聞いていない状況だったり。
まるで「芸者」のような扱いをされることもあるようです。

つまり、「どうせボランティアだから」という意識が依頼者側にあるわけです。

せっかく文化を広める技術を持っていて、なおかつそれを役立てようとする心をもった
素晴らしい人々なのに、そうした扱いが苦痛でボランティアを辞めてしまう人も多いようです。

そして、さらにヒドイのが、それに追い打ちをかけるような遠慮のない言葉。

「あなたは見返りを求めてボランティアをしていたんですか?」

こういう環境が、ボランティアを苦しめている、ということも認識しておかなくてはなりません。


そろそろ「ボランティア」って呼ぶの、やめませんか?

ボランティアを考える上で、1つ主張したいのは、「無償性」という原則は除外すること。

「無償性」と「利他性」は切り離して考えるべきです。
誰かの役に立つ行動であれば、無償だって有償だって構わない。
無償の奉仕こそが大事なんて言っても、社会が良くならなかったら意味ないですから。

とすれば、どうしたらよいか?
答えは、「ボランティア」と呼ぶのをやめる、という以外にないと思います。

じゃあどんな言葉で言えばいいのかというのは、特にありません。
無理に言葉で括る必要はないと思います。

ボランティアを必要とする理由、目的ってなんでしょうか?

「一緒に世の中を良くしたいと思う仲間を求めている」のか、
「あなたの持つノウハウを分けて欲しい」のか、それぞれ訴えたいメッセージは異なるはずです。

ボランティアっていう言葉を使わずに、心からのメッセージを伝えれば、それが正解なんだろうと思います。