うずの田舎暮らし

 囲炉裏のある生活を夢見て--古民家の移築・再生へ手作りで進め、2012年年末ようやく作業小屋から転居できました。  日本の民家は、歴史に培われ、日本の風土に適した建物だと思います。  民家は、木と土を基本にできています。民家が朽ちれば自然界に戻ります。土は、断熱効果もあり、湿気が多ければ吸収します。           

 古民家移築の記事は、2007年10月の古民家解体にさかのぼり、移築再生へズブの素人が進める作業体験を掲載しています。

「語り継ぐ戦争と平和資料展」を開催

「語り継ぐ戦争と平和資料展」を開催
                         元特攻隊員の花道さん「資料展」に

117825208_3327065517314105_4918441286323978503_o (2)終戦から75年、8月15日に日高町平和を願う9条の会は、「語り継ぐ戦争と平和資料展」を開催しました。

その会場に、特攻隊員であることを30年間、親にも家族にも話したことはなかった花道柳太郎さんが車いすで見えられ、当時の数々の歴史を突き付ける資料の前で、見学の人たちと写真撮影ができました。

花道さんは、航法士として飛行第62戦隊に配属され、重爆撃機が特攻機として使われた「さくら弾機」に搭乗し、何度も出撃での命の危機がありましたが、偶然と上官の対応もあって命拾いをしたと言います。

閉ざされた花道さんに「本当のことを言うてなかったら・・歴史から消されてしまう」と林えいだいさん(記録作家)の話から「特攻隊の話をできる限り伝えよう」と資料の保管・収集も行い、講演も行ってきた歴史の証言の数々が展示会場に並びました。

「戦争の悲惨さを次世代に」

昨年6月「戦争の実体験を聞くつどい」を開催しましたが、実体験を話してもらえる人が極DSC_0094 (2)端に少なくなってきおり、昨年12月「戦争の悲惨さを次世代に語り継ごう」と「アピール」を発表しました。

「終戦時10歳だった子どもが85歳になるという今、戦争の悲惨さを次世代に伝えることは、待ったなしの状況に置かれている」「私たちは『体験者』として、また親や祖父母から伝え聞いた『語り部』として『戦争』を語り継ぎ、負の遺産として後世に伝え残していかなければなりません」「町内外の各家庭などに置かれている戦争やCIMG2817戦時に関する遺品や手紙、写真などがどれだけ残されているかを調査し、「発掘」する作業を始めなければならないと考えています」とアピールを発表し、調査を進め展示会開催に至りました。

調査は様々な困難さがありました。戦争体験者は故人となっていたり、家のリホームの際に「処分」されていたりで、75年の歳月・経過は「遺品」の探し出しに困難さを加えました。しかし、多くの皆さんの協力で沢山の「遺品」が集約されてきました。

戦死者に対する天皇からの賞状・勲章、「金○○円を授与」の賞状、「千人針」、出征兵士への「寄せ書き」、特攻隊への「寄せ書き」、「改正 治安維CIMG2813持法資料」、靖国神社からの「合祀」の通知、1947年文部省発行の中学生向け「あたらしい憲法の話」などなどが寄せられ、解説文をつけ展示しました。

「戦争は二度とダメ」感想文から

コロナ感染が広がる中、また、お盆という条件の中でも150名の方々が参加していただきました。とりわけ、若い人の姿も多くみられる展示会となりました。

感想では、34名の方から寄せられました。

「貴重な展示物だと思います。生まれて初めて見るものばかりでした」「実物が展示してあり、本や話から受けるのとは違うリアリティがありました。平和な時代がありがたいです」

「全国の末端すみずみまで戦争に組み込まれている拒CIMG2750否することのできない状況がしっかり伝わってきました。村を上げての式典・・・家族の死なのに悼むことのできないように追い込まれてしまう。そんなことを感じました」「終戦記念日にふさわしい内容の展示に感激しました。これだけの多くの資料が集まっていることに驚き、今をのがしたら本当に戦争を伝える生々しい史料(資料)が散ってしまうと思いました。今回の展示会を機会に、まだ、周辺に残っている史料が集まることを期待します」「ものすごく分かりやすかった。実物が置かれていて、戦争は二度としてはだめだと言うことが伝わった。お国のために‘命をささげるなんてまっぴらごめん,とおもった」などなどの感想が寄せられました。

自民党が敵基地攻撃能力の保有について提言をまとめ、安倍晋三首相に提出、安倍首相は、国家安全保障会議(NSC)での議論を開始すると表明しています。

「戦争できる危険な国」に変えようとする動きが強まってきている今、「二度と戦争はダメ」声を広め、「展示会」参加されたみなさん、若いみなさんとともに戦争の悲惨さを語り継ぐために、多くの皆さんに伝え資料の収集」を進め「資料館」ができるようにしたいと思います。

2020年8月16日

あけましておめでとうございます

DSC_0184あけましておめでとうございます
昨年、6月「戦争の実体験を聞くつどい」を日高町平和を願う9条の会が開催。5年前の「戦争体験記録集」掲載の方を訪問したが、亡くなられた方、施設に入られている方も多くなり、「もうこれからは聞けなくなるな!」を実感。「戦争の記録、記憶を次世代に残すために」「戦争」を語り継ぎ、負の遺産として後世にと、遺品や手紙、物品、ビデオにと昨年末プロジェクトを立ち上げた。私が年末最初に手掛けたのは、百一歳になる女性元教師を訪問しビデオに。その方は「なんでアホな戦争始めてしまったのだろう。当時の教科書は『すすめ進め兵隊さん進め』報道は「勝った勝った』ばかり」「いま、また戦争を始めてしまうのでは」と語った。安倍首相は「桜疑惑」を覆い隠し、憲法9条を「私の手で変える」と表明。今年も百一歳の方の思いを胸にできることから地域の皆さんと共に頑張ろう。
 古民家は、昨年少し手掛けた。大阪のラガーマンたちの手助けで、犬走づくり。溝を掘り古瓦を並べてもらった。完成は遠いかな。

2020年 元旦

戦争の記録、記憶を次世代に残すために

12月8日は、78年前、太平洋戦争が開始された日です。

太平洋戦争では、日本人が310万人、アジアの人々が2000万人を超える人々が犠牲となりました。日高町の戦死者は389名と日高町史に記載されています。

日高町平和を願う9条の会は、「戦争体験を聞くつどい」(201312月)の開催、「平和のための戦争展」で「戦争体験の交流」(2014年6月)「戦争体験の記録」集(43名を収録201412月)の作成、「戦争の実体験を聞くつどい」(2019年6月)などを開催してきました。

しかし、いま、戦争の実体験をされた方の話を直接伺うことは困難になってきています。

悲惨な戦争の記録・記憶」を語り継ぎ、次世代に残し、二度と再び戦火を交えることがないように、日高町平和を願う9条の会として「戦争の記録、記憶を後世に残すために」の呼びかけをしました。

《呼びかけ全文》
戦争の記録、記憶を次世代に残すために

戦後74年が経過しました。終戦時10歳だった子どもが84歳になるという今、戦争の悲惨さを次世代に伝えるという仕事は、待ったなしの状況に置かれています。戦争体験者はもとより、「戦後生まれ」と呼ばれた世代の多くがリタイアしている現状を考えたとき、わたしたちは「体験者」として、また親や祖父母から伝え聞いた「語り部」として、「戦争」を語り継ぎ、負の遺産として後世に伝え残していかなければなりません。

 そこでわたしたちは、まず初めに、町内外の各家庭などに置かれている戦争や戦時に関する遺品や手紙、写真などがどれだけ残されているかを調査し、「発掘」する作業を始めなければならないと考えています。そして将来的には、それらを提供していただき大切に「保管」し、子どもたちや住民のみなさまに戦争の記録を「伝承」する平和資料館(仮称)の設置をすすめていきます。

 わたしたちには次世代へ向けて「平和のバトン」をわたしていくという責務があります。そのために「平和資料館」を含め、下記にあげる6つのすべきことを書き留め、その実現に向けて前へ進めていきたいと考えています。

この活動に対する住民のみなさまの積極的なご協力、ご参加をお願い申し上げます。

 

  1. 戦争・戦時に関する資料、物品等を収集、保管し展示を行う「平和資料館」を設置する。

2.「戦争体験」や「戦時の生活」を子どもたちや若者に語り伝える。

(直接、ビデオ、録音等)

3.「戦争」に関する書物、絵本、新聞等の収集、保管と読み聞かせ等を行う。また映像の上映会も行う。

4.日清戦争(1894年)以来の日本の戦争の歴史を精査して、「戦争への道」をたどっていった資料集を作成する。加えて、加害・被害の実態と当時のアジア諸国の様相も明らかにする。

5.日高町や近隣の御坊市、日高郡、和歌山県内の「戦争」の実態を調べ、戦死者だけでなく空襲や空襲による死者なども取り上げる。

6.現在も続いている世界中の戦火の実態や核兵器の保有国などを明らかにし、また世界の人々のピース・メッセージや反核・平和の取り組みを紹介する。

 

      2019年12月7日

日高町平和を願う9条の会


プロフィール

埋橋 忠彦

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